まじかるゴースト


一月二十六日 午前九時十八分 研究棟地下 実験棟側階段


 食堂前の丁字路で左右に分かれて、俺と沢登さんは左の階段へ、樹さん、瑠那、熾月、八雲さんの四人は右の通路へと歩いていった。

「そういえば沢登さんって、何の研究をしてるんですか?」

 地下に続く階段を下りながら、ふと聞いてみる。

「幼女」

「……はい?」

 この人は今なんて言ったんだろう。『幼女』と聞こえたのは、聞き間違いだろうか。

「幼女が好きだから幼女の研究をしている」

「ええと、それって」

「なんだい?」

「もしかして、瑠那や熾月のこともそういう目で?」

「ないな。彼女たちは確かに体型こそ幼いが、僕の目当ては体ではない。それに、三次元の幼女は成長する。論外だな」

「ああ、そういう」

「二次元の幼女は確かに成長しないが、触れられない。そもそも、それなら術士課程に通うほどの魔法は必要ないだろう?」

「むしろ美術や漫画の分野ですね」

「僕の住むこの世界への、究極の幼女の創造。それが研究内容の全てだ」

「なるほど」

 一連の受け答えを、沢登さんはいつもの調子で淡々としていた。俺も彼に合わせるように、いつもと変わらない調子で会話する。

「驚かないかい?」

「いえ、第三という時点で心の準備はできていました。それに、八雲さんのこともありましたし」

 八雲さんと沢登さんの口から聞かされた秘密――というには二人とも隠す気は全くなかったように思えるけど――は、一般的には衝撃の事実なのかもしれないが、この状況が既に一般的ではないから、いちいち驚いてもいられない。

「そうか。もしかすると、君にも素質があるかもしれないな」

「そうですか?」

「ああ。少なくとも君は、第三自体を嫌悪してはいないのだろう?」

「まあ、そうですけど」

 特殊な研究を主とする人の集まる、第三魔法研究機関。色々と怪しい噂の絶えない第三ではあるが、第一、第二と同じく王立であることに変わりはない。第一、第二に比べても研究施設の規模が劣るわけでもない、国にとって重要な機関の一つだ。

 王道の研究だけでなく、特殊な研究も続けることで、不測の事態にも対応できる――というのが設立の経緯と聞くが、詳しいことは知らない。

「それだけで十分だ。もし君が研究者を目指して、やりたい研究が第三向きだったとしても、受け入れられる心がある。それは大事なことだよ」

「そうですね。将来の話をするにはまだ早い気もしますが」

「もっともだ。さあ、探索の時間だ」

 地下に辿り着いたので、話はそこで終わりとなった。地下の廊下にも明かりは灯っているが、地上階に比べるとやや暗い。魔力が届いていないのではなく、元々そういう仕様になっているようだ。

 まっすぐに伸びた短い廊下は、途中で右に曲がる一本道。廊下の左端にあるのは地上階と同じ、男女別のトイレだけ。

 角を曲がると、長い廊下が目に入る。ずっと奥には両開きの扉が。左右の壁にも扉はあったが、廊下の長さからすると数は少ない。右の壁の中央に、両開きの扉が一つ。左の壁には手前と奥に一枚の扉が二つ。たったそれだけだ。

「まずはこっちですね」

「ああ。僕が先に行こう」

 沢登さんが扉を開けて、俺も後に続く。左の壁、扉の先に広がっていたのは広い研究室だった。研究棟地下の半分近くを占める、特大の研究室。奥の扉もこの部屋に繋がっているもので、俺たちは軽く中を見るだけで手前の扉から廊下に戻った。

 次に開けたのは、廊下の右にある部屋。両開きの扉を、片方ずつ俺と沢登さんで引いて開く。中には棚や箱がたくさん並んでいて、棚の上には魔法石が綺麗に並んでいた。

「倉庫……ではないですね」

「ああ。ふむ、そうだな」

 沢登さんはざっと部屋を眺め回す。俺も同じように眺めてみて、気付いた。棚の上に並んでいる魔法石。そしていくつか見られる仕切り。箱の中は見ていないが、それだけで大体の察しはつく。

「魔法資材保管室、ですか?」

「僕も同意見だ。しかし、これほどの魔法資材を残しているとは、放棄したにしては珍しいな。よほど未練のある研究だったのかもしれないね」

「そうですね。この箱の中、見てください」

「ほう。これは……」

 近くにあった箱を開けてみると、中には魔法樹の木材が保管されていた。とても高級な魔法資材として、魔法使いの間では有名なものだ。一本手に入れるだけでもそれなりの値が張るものが、十数本も。

「これだけ手に入るということは、ここは国、もしくは王直属の魔法研究機関であったと考えるべきだろうね」

「軍事、でしょうか」

「可能性は高いね」

 魔法樹自体を武器として利用する可能性は低いが、軍事的に役立てるのに使う可能性なら十分にある。それ以外の実験でも使わなくもないが、この部屋にある魔法石の数と、箱の数からすると、大規模な研究をしていたことは疑いない。

「ま、調べるのはあとだ。次の部屋に行こう」

 俺は頷いて、研究棟地下の最後の部屋へと向かう。両開きの扉を押し開いた先、まず感じたのは部屋に充満する魔力だった。そして弱い魔法の気配が部屋のあちこちに。

「ここがこの施設の心臓部、か」

 沢登さんが呟いた。部屋を軽く見るまでもなく確信する。この部屋は魔力管理室。魔法研究施設の魔力の流れを管理し、魔動式の設備を安全に稼動させるための部屋。研究棟だけにしては広すぎるから、おそらく実験棟もここで管理しているのだろう。

「彼女の提案には感謝してもいいかもしれないね。晴人くん、端から確かめるとしよう」

「はい」

 脱出するまで俺たちはここで暮らすことになる。どのような設備があるのか、故障している、または故障する危険のある設備はないか、確かめるべきことはたくさんある。一人で調べるには大変な量だが、二人でやるならほどよい量だ。

 二人で手分けして調べた結果、珍しい設備はほとんどなく、故障の危険のある設備も見つからなかった。何か月もここで暮らすならまだしも、数日から数週間であれば、俺たちだけでも維持することはできるだろう。

 知識は沢登と八雲さん、それに一応、俺と樹さんも。魔力なら瑠那や熾月がいる。

「今の状況だと、数日は問題ないと見えるが……そうだな、少し補充しておくとしよう。晴人くんは、余裕はなさそうだね?」

「すみません」

「謝ることはない。君がいなければ、昨日のうちに全てが消えていただろうからね」

 魔力管理室にある複数の魔法石に、沢登さんが魔力を注いでいく。特にやることのない俺は、椅子に座り黙ってそれを見ていたが、途中で立ち上がった。

「どうしたんだい?」

「トイレ、いいですか?」

「ああ。まだ時間はかかるから、好きにするといい」

「はい。ついでに、研究室でも調べてきます」

「じゃあ、終わったら迎えに来てくれるかい?」

「わかりました」

 俺は扉を開けて、トイレまでの長い廊下をまっすぐ歩く。急ぎではないので周囲を確認して、何か怪しいものがないかを確認しながらゆっくりと。天井や壁、そして床にも気を配る。

 魔力管理室では大雑把な魔力の流れしかわからなかったので、どこかに隠し部屋があるかもしれない。そしてそれがあるとすれば、この地下が一番怪しい。

 俺がトイレに向かうのは、半分は尿意を催したからだが、もう半分はそれを確かめるためだった。この研究棟地下には、明らかに怪しい箇所がひとつある。その箇所がトイレのすぐ近くなら、ついでに用を足すのが効率的だ。

 正面に見えるトイレは、左が男性用で、右が女性用。俺は手早く用を済ませてから、気になる箇所について調べ始めた。

 気になる箇所は、女性用トイレの隣。そこにある壁だ。ここで廊下は右に曲がり、まっすぐに続いているのだが……地上階の広さと比べると、どうもここに壁があるのはおかしい気がする。

 研究棟の地上階。一階、二階、三階は綺麗な長方形。なのに、地下だけ角が若干欠けている。ちょうどこの壁の先に当たる部分が、欠けているのだ。

 壁を軽く叩いてみるが、他の壁と同じで特に違和感はない。とすると、考えられるのは研究室だろう。俺はすぐ隣の研究室に入り、怪しい箇所がないか確かめてみる。並ぶ棚の裏に隠し扉でもあるのではないかと。さすがに動かすのは重くて疲れるので、とりあえず感知魔法で確認。この部屋くらいなら俺でも問題なく使える。

 結果は……何も見つからなかった。スペースからすると隠し部屋があると考えるのが妥当と思うのだが、怪しいものは何もない。あるのはただの壁だけだ。

 俺はこれ以上の調査を諦めて、沢登さんを迎えに行くことにする。気にはなるが、詳しく調べたところで脱出に役立つわけでもない。ただ、ここが怪しいことは覚えておく。余裕があれば、ふぁいんに調べてもらうことにしよう。壁をすり抜けられる彼女なら、力尽くで壁を壊さずとも調べられるはずだ。

 まあ、それも合流して、情報交換を済ませてからの話だ。俺は魔力管理室への廊下を歩きながら、ふぁいんが今どうしているのかぼんやりと考えていた。


同日 同時刻 実験棟一階 測定室


 丁字路の右、二階部分まで吹き抜けの広い通路を抜けた先には、大きなガラスが目立つ測定室があった。研究棟側からも、実験棟側からも、通路側に開く両開きの扉は二階で見た通路と同じ、魔法が漏れるのを防ぐためのもの。

 ガラスの先には大きな実験室。私は測定室を調べる美晴たちを、いつものようにふわふわ浮かびながら眺めていた。

 ゴーストたる私は、天井もすり抜けられるし、壁だってすり抜けられる。その気になれば一人で全部の部屋を見ることもできちゃうけど、それだけだ。触れられなければ、詳しく調べることもできない。魔法で干渉すると騒ぎになっちゃうし、見守ることが私の使命なのだ。

「お嬢様、この先は?」

「知りませんわ。こちらの通路を抜けるのは初めてですもの。ただ、この部屋の左には廊下があって、扉もありましたわ。だから多分、突き進めば迷いませんわ」

 妹さんの質問に、瑠那ちゃんが答える。美晴と熾月ちゃんは測定室を軽く調べていたみたいだけど、それも二人が話しているうちに終わっていた。

 実験室は広いだけで何もなかったので、右奥にある扉を開けて進む美晴たち。

「これは……凄いですね」

 先頭に立って扉を開けた美晴が、中の様子に驚きの声をあげる。それほど広くない部屋には、実験用の魔法機材がいっぱい並んでいた。その間をすり抜けるように進んで、部屋の奥にある扉へ美晴探検隊は前進する。

 その扉があるのは、入ってきた場所から見て左側。辿り着いた探検隊が見たのは、横に広がる細長い空間――そう、廊下だった。

 廊下の右奥には階段、左にずっと続く廊下には扉が二枚。

「お嬢様」

「ここは見覚えがありますわ。階段を上って、廊下をまっすぐ進んで、研究棟につきましたの。まずはそちらに案内しますわ」

 扉を無視してまっすぐに廊下を進んでいくと、廊下は右に折れて、研究棟と実験棟をつなぐ通路への扉が左に見えた。廊下の先には、研究棟に比べると小さなトイレが一つ。扉が一つだから男女共用みたい。

 それから廊下にあった二枚の扉を確認する美晴たち。中は両方とも小さな実験室で、これといった手がかりはなかった。

 階段を上って、美晴探検隊は実験棟の二階へ進む。二階に辿り着いた探検隊が見たのは、縦に広がる細長い空間――やはり廊下だった。

 ずっと奥にはトイレがあって、廊下の右には扉が二枚。階段の近くに一枚、トイレの横に一枚。

「この先は、実験室ですね?」

「ええ、あっちは測定室でしょうね」

 扉を開けて、熾月ちゃんと美晴が確認をさっさと済ませてしまう。

 手前の扉の先には、熾月ちゃんが目覚めた特大の実験室。奥の扉の先は測定室で、ガラスを挟み、二枚の扉で実験室と繋がっている。この測定室と実験室の組み合わせや扉の配置は、基本的に一階で見たものと同じだ。

 それにしても、実験室の奥にもあんな扉があったなんて、昨日見たときには気付かなかったよ。熾月ちゃんの魔法が暴走していたから周囲なんて気にしていなかった。美晴と熾月ちゃんが覚えていたのは、二人がここで出会って仲良くなったから当然だ。隠し扉ではないから、こうして落ち着いて見ればすぐに気付ける。

「ここで二人が仲良くなって、熾月さんは昨日、晴人さんとも仲良くなったと……」

 実験室の中で、妹さんが呟いていた。静かな実験室で、みんなに聞こえるように。

「お嬢様も熾月さんと仲良くなってはいかがですか?」

「八雲、それはどういう意味ですの?」

「お二人は歳も近いですし、とりあえず普通にお友達としてに決まっているではありませんか」

 自然な口調で、特にどこかを強調することもなく、笑顔で言った妹さん。

「さらりと余計な言葉を混ぜましたわね」

 そこに含められた彼女の真の意図を、瑠那ちゃんはあっさりと見抜いてみせた。もし今朝の告白を聞いていなかったら、私たちは違和感を覚える程度で終わっていたと思う。

「まあ私も、普通の、お友達としてなら文句はありませんが、彼女次第ですわね」

「私は、その……えっと」

 瑠那ちゃんに視線を向けられて、熾月ちゃんは困ったような顔を見せる。

「か、考えさせてください」

「だそうですわ。残念でしたわね、八雲」

「お嬢様。地下へ参りましょう」

 瑠那ちゃんの言葉を受け流して、妹さんはさっさと歩き出してしまった。一歩先に階段を下りていく彼女を、他の三人は少し後ろを歩いて追いかける。

「熾月、彼女は苦手?」

「そういうわけじゃ、ないんですけど……その、友達というのは、困ります」

 三階から地下一階への階段を下りながら、美晴が聞いていた。ちなみに「彼女」も近くにいるので、話はちゃんと聞こえている。

「魔法が暴走したら、大変ですから。私の魔力量だと、命に関わるんです」

「命……」

 昨日のことを思い出しているのか、美晴は深刻そうな顔で呟いた。私としては、過去のことよりこれからの危機に対して深刻になってもらいたいけど、美晴は知らないから仕方ないか。晴人くん経由で伝えるのも彼がやらないだろうし。

「でも、お姉さんとは一緒に暮らしているのではなくて?」

「はい」

「お姉さんは無事なのでしょう? それに、ご両親も……」

 瑠那ちゃんの言葉に、熾月ちゃんが肩を振るわせた。ご両親、という部分で反応したのは、後ろから眺めていた私にはすぐにわかった。

「パパとママは、無事じゃなかったんです」

「それは……詳しく聞かせてもらえます?」

 迷う様子を見せずに、はっきりと尋ねる瑠那ちゃん。

「……なんでですか?」

 熾月ちゃんは冷たい声でそう返した。なんか暗い雰囲気になってるけど、頼みの美晴は黙って見ているだけだ。彼女たちの方と、たまに後ろの方を。やっぱりこの距離でずっと近くにいると、美晴には私の気配がちょっとは伝わるみたいだ。

「なんで、と言われましても。あなたとお友達になりたいからですわ。自慢ではないですが、私、友達なんていませんのよ? 魔堂の名は意外と厄介でして」

「だから、それは」

「話さないのなら私の予想を口にしますけど、いいですわね? あなたのご両親は、あなたの魔法暴走にでも巻き込まれて、大怪我――それとも」

「……そうです。パパとママは、私が、私の魔法が暴走したせいで……だから、私は!」

 瑠那ちゃんの指摘に、熾月ちゃんが珍しく声を大きくする。しかしそれも一瞬で、すぐに口を押さえて黙ってしまった。

「それを繰り返さないために、お友達はいらないと」

「そう、ですよ。今は仕方ないですけど、本来なら私は、誰かとずっと一緒にいてはいけないんです。誰も私の魔法暴走症に巻き込まないために。お姉ちゃんだって、できることなら……」

「あら、そんな心配を私になさるとは、失礼ですわね。確かに、あなたの魔力量は凄まじいのでしょう。普通の魔法使いでは止めることも叶わないほどに。ですが、私も魔力量なら負けていませんわ。簡単なことです。凄い魔力量には、凄い魔力量で対処すればいいのですわ!」

「な、そんなこと……」

 あっさりと言ってのける瑠那ちゃんに、熾月ちゃんはやや怒った表情を見せる。なんだかんだで、瑠那ちゃんは彼女の色んな顔を引き出している。もしかすると美晴は、こうなることを予想してずっと黙っていたのかもしれない。いや、絶対にそうだ。美晴のゴーストだから贔屓するわけじゃないけど、美晴はそういう人なのだ。

 ただ、彼女にとっても予想外のことはあったみたいで、そこで開きかけた口を閉じて考え込んでしまった。そして美晴のフォローの代わりに、妹さんが言った。

「そうですよ、お嬢様。そんなことをしたら、街がひとつ吹っ飛びます。自分がどれだけ魔法が下手なのか考えてから仰ってください」

「い、いくらなんでも、そこまで下手じゃありませんわ!」

「でも、それ、いい考えだと思いますよ」

 ここで我が御主人様、美晴の登場である。考えはすぐにまとまったようだ。

「瑠那さんの魔力量を活かせば、普通じゃできない治療もできます。症状を抑えるのは簡単じゃないかもしれないけど、色々考えればきっと見つかります。いえ、私が見つけてみせます」

「美晴、さん……」

「だ、そうですわよ。どうです? 私とお友達になってくれませんか?」

 すかさず瑠那ちゃんが再びの誘い。熾月ちゃんは少しだけ迷う素振りを見せてから、小さく頷いてみせた。

「わ、私でいいなら、喜んで。えと、る……瑠那ちゃん」

「嬉しいですわ、熾月。これからずっと、仲良くできることを祈りましょう」

「うん。脱出、しないとね、瑠那ちゃん」

 どうやら上手くまとまったようだ。会話している間に階段もだいぶ下り終えて、目的の地下一階までもうすぐのところまで辿り着いていた。

「美晴さん、美晴さん。治療について、私からひとつ提案があるのですが」

「はい。お聞かせください」

 足を緩めて、真面目な顔で言った妹さんに、美晴が真剣な声で返事をする。

「とりあえず、性的興奮の高まった状態での、二人の魔力量について検証してみてはいかがでしょうか。可愛い女の子が二人、一糸纏わぬ姿で愛し合えば、きっと何かすごい力が働くと思うのです」

「……ええと」

「え、その、それって……」

「や・く・も?」

「ふふ、お嬢様。私は本気ですよ?」

 ちょうど地下一階に辿り着いたところで、足を止めて振り返り、にっこりと微笑む妹さん。その上、緊張をほぐすための冗談ではないと自ら断言するとは、とんでもないメイドさんだ。

「熾月。気のせいでしょうか。私、八雲の方が危険だと思いますわ」

「気のせいじゃないよ。私もそう思う」

「それはさておき、お嬢様。本気で治療に協力するというのでしたら、魔法をもっと練習しないといけませんね。そちらについて考える必要もありますし、まずは探索を済ませてしまいましょう」

 さておいた。自分で言って、さておいたよこの人。でも、美晴も、瑠那ちゃんも、熾月ちゃんも、誰も文句は言わなかった。彼女たちが自分から話を戻すメリットなんてないから、当然である。

 地下一階は短い廊下が一本と、右の壁に扉が一枚あるだけの小さな空間だった。廊下の長さからすると、地上階の半分くらいの広さしかないように思う。

「ここが私の目覚めた測定室ですわ」

 瑠那ちゃんは躊躇なく扉を開けて、私たちを測定室に案内する。

「そしてガラスの向こうにあるのが、実験室ですわね」

 地下の実験室は、一階や二階の実験室と比べると中くらいの大きさだった。測定室もあるし、魔法機材室からも近い。その他にも、この実験室には特筆すべきことがある。

「なるほど。美晴さん、あなたの意見も聞いてよろしいですか?」

「はい。やっぱり、そうですよね」

 魔法である私にもはっきりとわかる。地下一階の実験室は、地上階の実験室よりも丈夫にできている。物理的な衝撃にはもちろん、特に対魔法性能が非常に高い。それでも私ならすり抜けられるけど、凄く疲れそうだからやめておこう。

「ということは、ちょうどいいですね」

「なんですの、八雲」

「地下の密室といえばもちろん、お嬢様と熾月さんの……ふふ」

 興味を失った瑠那ちゃんが視線を逸らそうとした、まさにその瞬間。妹さんは微笑んだまま、次の言葉を口にした。

「冗談ですよ。やはり、初めてはベッドの上が一番と思いますので」

「で、なんですの?」

「いえ、ここならお嬢様の魔法を練習するにはちょうどいいかと思いまして。ただ、問題がひとつ」

「問題?」

「はい。私一人ではいつもの練習しかできないので、他の方の助力も必要かと。とりあえず、熾月さんと美晴さん、できれば晴人さんも呼んでいただきたいですね。的として」

「あの、八雲さん。的って……」

 美晴が確かめるように妹さんに尋ねる。熾月ちゃんと瑠那さんも、彼女に視線を送っている。

「実戦的な訓練が有効と考えてのことです。私では力不足で、今まではできませんでしたが……彼なら十分です。かといって、お嬢様を傷つけさせるわけにはいきませんし、受けるに徹してもらいますから、的、と」

「私じゃ、だめなんですよね?」

「あなたは晴人さんより戦闘系の魔法に長けていませんよね?」

「はい。治療系以外は苦手で」

「あの、沢登さんじゃだめなんですか?」

 言ったのは熾月ちゃんだった。晴人くんの魔法を扱う力、魔法理論を理解する力は確かに高いけど、今この施設にいる中で、一番魔法に長けているのは沢登さんだ。

「はあ。しかし、彼はロリコンですし」

「ロリ?」

「コン?」

 熾月ちゃんと瑠那ちゃんが続けて言った。息がぴったり、見事な反応だ。

「第三研究所の沢登鋭一郎といえば、究極の幼女を研究していることで有名な方です。首席以上の成績を出しながらも、『僕に栄誉を与えていいのは幼女と王だけだ』と辞退した話は、学園では有名ではないのですね」

「初耳です。でも、第三ですから、納得はできますね」

「もっとも、彼はお嬢様や熾月さんには興味はないでしょうから、特に問題はないのですけど……お嬢様としては、彼より晴人さんの方が嬉しいのではないかと思いまして」

「まるで私が晴人さんを好きみたいな言い方、やめてくださる?」

「違いましたか?」

「違いますわ。まあ、確かに、彼の方が頼みやすいのは事実ですけれど、晴人さんと仲良くしているのは、その」

 瑠那ちゃんがちらりと美晴を見る。見られた美晴は首を傾げるだけで、視線の意味は全く理解していないようだった。それも当然、美晴が晴人くんへの恋心に気付くのは、彼が死んでからなのだ。

「まあ、わかりましたわ。では、戻ったら私から伝えておきますわ」

「あ、だったら私も手伝います。彼とは同期入学生ですから、彼のことなら瑠那ちゃんより詳しいと思うの」

 自信満々の美晴だけど、残念ながらこと恋心に関しては、美晴より瑠那ちゃんの方が詳しいんだよ。それを知っている私としては、瑠那ちゃんの答えは予想通りのものだった。

「私だけで大丈夫ですわ。あなたには八雲と練習内容の相談をお任せします」

「そう、なの?」

「ふふ、あなたにもそのうちわかりますわ。多分、ですけれど」

 ぽかんとした表情の美晴に、瑠那ちゃんは余裕の笑みを浮かべる。熾月ちゃんはよくわからないといった様子で二人を見ていたけど、妹さんだけは得心したように何度か頷いていた。今ので多分、彼女も気付いちゃったんだろうな。晴人くんも大変だ。

 こうして美晴探検隊の実験棟探索は、和やかな雰囲気で幕引きを迎えた。私はふわりと浮かびあがって、天井をすり抜けていく。この流れなら、報告は早めにしないとね。


登場人物

一ノ木晴人:いちのき はると

ふぁいん:ゴースト

魔堂瑠那:まどう るな

樹美晴:いつき みはる

降谷熾月:ふるや しづき

沢登鋭一郎:さわのぼり えいいちろう

八雲妹:やくも まい


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