まじかるゴースト


一月二十五日 午後六時五分 研究棟二階 資料室


「誰もいないみたいですね」

「ああ、気配も感じない」

 二階の最後の部屋には、研究資料がたくさん保管されていた。資料室と考えるのが妥当だろう。魔法の気配も、人の気配も感じない。

 放棄された研究施設にしては、研究資料もそのままというのは気になるが、調べてみると資料室の棚には一部不自然な抜けがあった。重要な資料や必要な資料は、処分するなり持ち出すなりされているのだろう。

 探せばこの魔法研究施設の場所についての手がかりもありそうだが、この数では時間がかかる。俺たちは資料室を出て、実験棟寄りの階段から三階を目指すことにした。

 俺と樹さんを先頭に、後ろに瑠那と熾月ちゃんが続く。正確にはふぁいんが先頭ではあるが、俺にしか見えないのであんまり関係はない。

「あ」

 階段を上りきったところで、ふぁいんが小さく声をあげた。どうしたとは口にせず、何かがあるのは間違いないと、一層気を引き締めてから足を踏み出す。ふぁいんの様子から危険はないかもしれないが、驚くようなことはあるかもしれない。

「おや、まさか四人もいるとは……予想はしていたが、予想外だな」

 三階の階段の前、俺たちを待っていたのは一人の背の高い男性だった。


一月二十五日 午後六時十六分 研究棟三階 廊下


 二メートル近い背の男。清潔感のあるラフな服装に、さらさらしていそうな短めの髪。年齢は二十代前半、いや、ぎりぎり後半といったところだろうか。少なくとも十代には見えない、大人の男性だ。

「そう警戒しないでくれ。僕も君たちと状況は同じだ。突然の転移魔法で、目が覚めたら屋上にいた。そこで通路を抜けてこちらに来てみれば、階段があったのでね。他にも同じ状況の者がいるとすれば、下手に動くよりここで待つ方が合流しやすいだろうと考えたのだよ」

 にっこりと微笑む男。嘘をついているようには見えない。

「そうだ、名乗り忘れていた。名は沢登鋭一郎。王立の第三魔法研究機関に所属する、一人の魔法研究者だ。君たちくらいの年代なら、王立魔法学園の第二十二期術士課程の卒業生、と言った方が通じやすいかな?」

「第二十二期……」

「沢登、鋭一郎?」

 俺と樹さんは記憶を辿ってみるが、そんな名前は聞いたことがない。ただ、第二十二期の卒業生ならば、年齢が二十代後半であることは確定する。

 しかし、彼の言葉が真実であれば。同期入学生のうち、十分の一しか無事に卒業できない術士課程。そのほとんどが王や国に仕える軍人や研究者となるため、魔法研究機関に所属しているのは珍しくないが、第三というのは珍しい。

 王直属の優秀な研究者が集まる第一。一般の研究者が多数集まる第二。そして第三は、特殊な研究を主とする人の集まる機関。

「先に答えておくが、僕はこの魔法研究施設については知らない。過去を遡っても、第三とは関係のない施設のようだな」

「そう、ですか」

「すまないね。それで、君たちの情報もいいかな?」

 期待していた情報は得られなかったが、嘘をついているわけではなさそうだ。俺たちは自己紹介をしてから、一通りの事情をかいつまんで話し、施設についての探索状況も簡単に伝えた。

「なるほど。魔堂家のお嬢さんが。とすると、相当な距離を飛ばされたと見ていいだろうな。脱出も簡単ではないだろうが、まあ、まずは、だ」

「この階の探索ですね」

「ああ。さっさと調べてしまおう」

 すたすたと歩き出す沢登さんに続いて、三階の部屋を探索する。階段の先にある廊下はやはり丁字路になっていて、扉は左の壁の奥にあるのみ。

「あっちは屋上だ。見える扉は四つ、それと……見えない通路の先には八つ部屋があるようだね。右の方は僕と晴人くん、それに瑠那嬢。もう一方はそちらの仲の良い二人に任せてもいいかな?」

「はい」

「わかりました」

 俺と樹さんが揃って答える。感知魔法を素早く使った上での的確な指示。さすがは術士課程を卒業した先輩である。

 そうして調べた結果、右側の壁、階段と階段の間にある部屋は手前が倉庫、奥が浴室と判明した。階段の先にある二部屋は、手前の一枚扉の部屋が副研究長室、奥が研究長室だった。

 途中、左に続く廊下が二つあり、その先には左右に扉が二枚ずつ。どれも同じ広さの小さな個室。倉庫には日用品も多いことから、この階は研究者が住むための階のようだ。

「結果的に放棄されたようだけど、再利用の余地は残していたみたいだね。研究内容に未練があったのだろうが、僕たちにとってはありがたい状況だ。あとは食糧さえあれば、一週間はここで暮らせるだろう。全て魔動式なら僕や瑠那嬢の魔力でどうにかなる」

「そうですわね。魔力供給だけなら失敗もしませんわ」

「何日も、ここで、ですか?」

 その言葉に不安を口にしたのは熾月ちゃんだった。

「それ、危ないと思います」

「ふむ。僕や晴人くんのことを気にしている、というわけではなさそうだね」

 沢登さんの言葉に、熾月ちゃんは無言で答えた。樹さんに視線を向けると、彼女は苦笑して小さく首を横に振った。知っているけど私からは話せない、といったところか。

「まあいいさ。では、次は食糧の確認だ。食材庫には鍵がかかっているのだったね?」

「ええ。あるといいですけど」

「あら、食糧ならなくても大丈夫ですわ。私、料理魔法は得意でしてよ」

 胸を張って瑠那が言った。料理魔法といっても、食材がなければ大したものは作れないのが普通だが、得意というからには期待してもいいのだろうか。

「みなさんにはお詫びもしないといけませんからね。ただ、その前にもう一つ気になることが……」

 彼女がそう言ったところで、施設に来客を知らせるチャイムの音が鳴り響いた。

「今の音は……」

「聞き間違い、じゃないですよね?」

 俺の呟きに樹さんが答える。放棄された魔法研究施設への、来客。他のみんなにもちゃんと聞こえていたようで、俺たちは顔を見合わせると、すぐに一階へと下りていった。


一月二十五日 午後六時三十八分 研究棟一階 玄関


 俺たちが一階に下りると、玄関で待っていたのは一人の女性だった。壁に背を寄りかけて、横目にこちらを確認する、露出の少ない落ちついたメイド服を着た、若い女性。髪はミディアムストレートで、女性的な膨らみもそこそこ目立つ大きさの、美しい人だった。

「八雲!」

「やはりここにいましたか、お嬢様。他にも何人かいらっしゃるようですが、大体の事情は察しました」

 駆け寄る瑠那を優しく抱きとめながら、メイドさんは壁から背を離して名乗る。

「八雲妹、と申します。瑠那様のメイド兼、魔法指南役をしております。この度は、お嬢様の魔法のせいでとんだご迷惑を。可能な限り、状況解決のためにお手伝いをさせていただきますので、どうかご容赦を」

 綺麗な笑みを浮かべる八雲さんに、俺は気になっていたことを尋ねる。

「あの、鍵は?」

「この程度の鍵でしたら、魔法で解除しましたよ。それにしても、みなさんは最初からこの施設内に?」

「そのようだね。僕は屋上だったけれど」

「建物の上ですね。それはご無事で何よりでした。外の雪山にでも飛ばされていたらもっと大変なことになっていたでしょう」

「八雲はどこにいらしたのです?」

「雪原の先にある魔法連絡塔です。お嬢様の魔法が失敗したとわかった瞬間、自衛のために軽く魔法で制御してみたのですが、裏目に出てしまったようですね」

「雪原に、雪山……」

 雪がいっぱいなのは窓からも見えていたし、ふぁいんも言っていた。屋上から外を見たであろう沢登さんも何も言わないから、その事実に嘘はないようだ。

 俺たちも自己紹介をして、これまでに探索した情報を彼女とも共有する。

「降谷熾月?」

「はい。あの、私に何か?」

 一人だけ名前を呼ばれて、小首を傾げる熾月ちゃん。

「私はかつて、王立魔法学園の助士課程に一年ほど在籍していたのですが……」

 助士課程とは魔法使いの補助者を育成することを主とし、術士未満の学生を育成する場でもある。同期入学生のうち半数は卒業し、二割は才能を認められて術士課程に移る。一年ということは、残りの三割――いや、だとしたら指南役には不適格だろう。

「ねえ、晴人さん。もしかして」

「ああ、多分、同一人物だろうな」

 十数年前、学園の助士課程を一年という史上最速で卒業した学生がいた。それも十歳という若さで。その学生の名も、彼女と同じ八雲妹。術士課程の在籍者にはそれほど有名ではないが、妹と書いてマイと読む名前が珍しかったので、よく覚えている。

 彼女の見た目は二十代前半。十数年前という時期とも一致する。

「同期入学生に、降谷菜月という親友がおりまして。今でも仲が良いのですが、その彼女には降谷熾月という妹がいるのです」

「菜月お姉ちゃんの?」

「菜月は今も助士課程に通っていますよね。あなたの特徴は、菜月から聞いた特徴とも一致します。まあ、とっても可愛くて抱きしめたくなるほど可愛いばっかりですけど」

「お、お姉ちゃん……」

 恥ずかしそうに顔を赤らめる熾月ちゃん。確かに可愛い反応だ。

「ということで、私は熾月さんの事情も知っています。何か困ったことがあったら、いつでも頼ってください」

「はい。ありがとうございます」

 熾月ちゃんは微笑みを見せた。初めて見る笑顔は、とても可愛かった。抱きしめたくなるという気持ちもわかる可愛さだ。樹さんの可愛くて綺麗な笑顔とは、また違う可愛さである。

「さて、八雲も見つかりましたし、おそらくこれで全員ですね。みなさん、食堂へ向かいましょう。料理魔法を披露しますわ」

「その前にちょっといいか? 外、確かめてみたいんだが」

「そうですね。私もちょっと気になります」

 俺が言うと、樹さんも同意してくれた。外がどんな状況なのか、一度自分の目で確認しておきたい。

「暖房魔法と防寒魔法がかかっているここと違って、外は寒いですよ。高度な防寒魔法は使えますか?」

「二式なら、一応」

「あ、私は一式しか使えません」

「一式は論外ですね。二式も、少々心配です」

 基本的な防寒魔法が一式。一般的な防寒具と同じくらいの効果だ。二式はそれよりも効果が高く、寒いところで長時間動くにも適する高度な防寒魔法である。その他の防寒魔法は、術士課程では学ばない。学園図書館で魔法を調べたときに見かけたくらいだ。

「少なくとも三式は必要かと。しかし、あなたたちは術士課程に通っていますね? さきほど、私の名を知っているような反応を見せていました」

「はい」

 俺と樹さんが揃って答える。二人だけの小さな声での会話だったが、八雲さんの耳に届いていたらしい。これもメイドスキルの一つだろうか。

「私も助士課程を卒業した身です。魔法理論ならすぐに教えられますが、二式も使えない方には難しいですね」

「そうですか……では、晴人さん、お願いします」

「ああ。八雲さん、教えてもらえますか?」

「わかりました」

 口答で防寒魔法三式の魔法理論を教えてもらう。理論自体は簡単なものだったが、基礎として要求される魔法が全て高度なもので、確かに一式が使える程度では理解するのも難しい。だが、組み立て方が違うだけで、その多くは二式の基礎魔法と同じでもある。

 二式との大きな違いは、防寒性能の向上と、消費魔力量の少なさ。短時間でも二式の半分以下、長時間だと十分の一くらいにまで減らせそうだ。

「……以上です。どうですか?」

「魔力量は必要としないんですね。これなら、大丈夫そうです」

 早速教えてもらった三式の防寒魔法を使い、玄関から外を確認してみる。玄関を開けても室内に冷気が流れ込まないよう、施設に魔法はかけられているようだが、あくまでも一時的な効果しかないようだ。

 外には雪原が広がっていて、遠くに見えるのは雪山。左斜め前、ずっと先には高い塔があったから、あれが魔法連絡塔なのだろう。詳細は不明だが、八雲さんが何も言わないところをみると、機能している可能性は低い。

 軽く見回してから、俺は再び施設に戻る。樹さんや他の人に伝えて、見えた塔が魔法連絡塔であることも八雲さんに確認。それから、もうひとつ気になったことを尋ねてみる。

「沢登さんは、屋上で寒くなかったんですか?」

 彼が魔法を得意とするのはわかっているが、意識を失ったまま魔法は使えない。

「問題ない。屋上も効果範囲のようだからね。だが、瑠那嬢の魔力で施設が動いていなければ危なかった」

「それにしても、三式をあっさり使うとは……お嬢様とは大違いですね」

「わ、悪かったですわね。いつも失敗してばっかりで」

「いえ、それでこそ教えがいがあるというものです」

「あまり嬉しい言葉ではありませんわね。ほら、食堂に行きますわよ!」

 八雲さんが来てから急に、というかさらに元気になった瑠那に連れられて、俺たちは食堂へ向かった。得意の料理魔法を披露してもらうことにしよう。


一月二十五日 午後六時五十五分 研究棟一階 食堂


「できましたわ。さあ、お食べになって」

 食堂についてすぐ、厨房に潜った瑠那が作った料理はカレーライスだった。準備にかかった時間は大きな鍋と、食器を探すのにかかった時間。料理魔法自体は一瞬で、鍋の中にカレーのルーが満ちていく様子は、まさに魔法といった光景だった。

 彼女がそんなパフォーマンスを見せている間に、八雲さんは食材庫に開錠魔法をかけて中を確認。その結果、食材庫は空っぽだったと判明した。

「一晩寝かせた美味しい特製カレーですわ。お米もカレーによく合う、最高のものを選びましたの。高級米が一番というわけではありませんでしてよ」

 見た目は一般的なカレーと大差ないように感じるが、一口食べてみると彼女の言葉以上のものを感じる美味しさだった。

「美味しいな」

「確かに、料理魔法でここまでとは、驚きだ」

 料理魔法は基本、簡易的なものという捉え方をしている人が多い。魔法が使えるなら誰でもできるカップラーメンみたいなものだ。複雑で美味しい料理を作るには、魔法の知識だけでなく料理に対する深い知識も必要とする。

 そのために調理技術なども必然的に学ぶため、さらに苦労して魔法理論を覚えるよりは普通に料理をした方が早い、と考えるのが普通である。特に味を重視するなら一定の魔力量も必要になるから、一般的な魔法使いなら時間のかかる熟成期間を短縮するのに役立てる程度だ。

 今回のカレーライスでいえば、カレーライスを調理するところまでは魔法を使わず、一晩寝かせるのに魔法を使う、といったところである。

「ふふ、そうでしょう。何日食べても飽きないように工夫もしていますのよ」

「毎日これですか?」

「味付けや種類は変えますわ」

 樹さんの質問に、あっさり答える瑠那。

「他の料理も作れますけど、考えるのが面倒なので……飽きたら言ってくださいな」

 ここにいる間は毎日カレーか。まあ、今は特に気にすることもないだろう。それほど長い期間がかかるかもわからないし、何より食糧の心配がないだけでも安心だ。

 食事を終えた俺たちは、そのまま食堂で今後のことについて話し合った。

「探索を再開するか?」

 夜になったとはいえ、時間はまだある。実験棟は明日でもいいとして、研究棟の探索だけでもしておいた方がいいかもしれない。

「そうですね。施設の機能はすぐに停止しないと思いますが……」

 ちなみに会話をしているのは俺と樹さんの二人。瑠那と熾月ちゃんも一緒に座っているが、二人は二人で別の会話をしている。瑠那が喋って、熾月ちゃんが軽く返事をするといったものだが、嫌がっている様子はなさそうだ。

 八雲さんは食器の後片付けをしている。沢登さんは食堂の端で目を瞑って、感知魔法を施設内に展開させていた。

「晴人くん、晴人くん。私、晴人くんと二人きりになりたいな」

 話し始めてすぐに、しばらく黙ったままだったふぁいんが口を開いた。「考え中」の合図を返す前に、ふぁいんは続ける。

「そろそろ話しておこうと思うの、私のこと」

「でも、先に寝床を確保しておいた方がいいかもしれないな」

 ふぁいんの提案に「はい」の合図を返しながら、俺は言った。

「何か危険なものがあるなら、あの人が知らせてくれるだろうし」

「今日は休んだ方がいいと。それもいい考えですね。お風呂にも入れますし」

「瑠那と熾月ちゃんも、それでいいか?」

「もちろんですわ」

「はい。無理は禁物だと思います」

 その後、食器洗いを終えた八雲さんと、感知魔法を使い終えた沢登さんにも了承をとって、今日の探索はここまでとすることにした。

 部屋決めにはさほど時間はかからなかった。浴室前の廊下の先にある四つの部屋。左手前に瑠那、左奥が八雲さん。右手前に熾月ちゃんで、右奥には樹さん。研究長室と副研究長室前の廊下の先は、左奥に俺、右奥に沢登さん。

 部屋の広さや内装はどこも同じで、放棄するときに掃除していたのかどの部屋も綺麗だった。ほこりがなかったのは、部屋に取り付けられた魔動式の清浄器具のおかげだ。

 研究以外に時間をとられるものはなるべく自動化する。研究施設にとっては当たり前のことだと、沢登さんが教えてくれた。掃除好きの研究員は自分でやるそうで、彼もその一人というのはやや意外だった。もっとも、彼は別の理由でそうしているらしいのだが。

 男女で分けただけの簡単な部屋決め。裏に樹さんがいるというのはちょっと緊張するけど、部屋と部屋が扉で繋がっているわけでもないし、そのうち慣れるだろう。


一月二十五日 午後八時二十二分 研究棟三階 個室(一ノ木晴人)


「ふぁいん、話してくれるんだよな?」

 個室で二人きりになったところで、俺は目の前で微笑みながらふよふよしているゴーストの少女に、改めて確かめた。今の時間は女の子たちがお風呂に入っている時間。呼びに来るのはまだ先になるだろうし、沢登さんが訪れる可能性も低い。

 ちなみにお風呂を用意したのは樹さんだ。シャワーなどの動作確認は八雲さんと沢登さん、俺の三人で手分けして行った。水は魔法道具で生み出しているようだが、肝心の魔法道具は浴室の傍にはなかった。あるのはおそらく、研究棟の地下だろう。これだけ多くの魔動式の設備があるなら、大きな部屋でまとめて管理するのが効率的だ。

「うん。でも、どこから話そうかな。晴人くん、驚かないでね」

「保証はできないけど、大声は出さないようする」

 一人しかいないはずの部屋で大声を出せば、沢登さんへの説明も面倒だ。

「お願いね。じゃあ言うよ。晴人くんには危機が迫っています。死の危機が」

「まあ、だろうな」

 瑠那の料理魔法と、残された物資があるとはいえ、見知らぬ土地の見知らぬ研究施設に閉じ込められていることに変わりわない。何もせずにただ救助を待つだけでは、待ち受けるのは死しかない。そしてすぐに救助が来る可能性は、極めて低いと見ていいだろう。俺たちの誰もが、誰かにここへ来ることを知らせてはいないのだから。

「でも、死の危機が迫っているのは、晴人くんだけじゃないの。美晴以外の、他のみんなもなんだよ」

「樹さん、以外?」

 俺は首を傾げる。どういうことかよくわからなかった。ただじっと、ふぁいんの次の言葉を待つ。彼女は驚かないように情報を小出しにしているのだから、待てば欲しい情報はいずれやってくる。

「そう。この魔法研究施設で生き残ったのは、美晴だけ。それが過去の、今の晴人くんにとっては未来の出来事だよ」

「末来、過去……」

「愛する者を守るため発動する伝説の魔法。時空を超越し死の運命をも変える。それがゴーストの魔法。晴人くんでも、さすがに知らなかったかな?」

「……いや、どこかで見かけたことはある。でも」

 伝説の魔法。神話やおとぎ話の中の魔法だと思っていたから、本格的に魔法を学び始めた現在はほとんど忘れていた。詳細だって記されていないような魔法だ。

「本当にあるとは思わなかった?」

「ああ」

「ま、そりゃそうだよね。美晴も知識にはあったけど、発動したのは偶然みたいなものだし……でもさ、これで私のこと、信じてくれたでしょ?」

「信じるには足りない情報が二つある」

 俺がそう言うと、ふぁいんは優しく微笑んで見せた。聞きたいことはわかっていると言わんばかりの表情。俺はまず、聞きやすい方から尋ねることにした。

「君が樹さんのゴーストだっていう証拠は?」

「はい」

 ふぁいんが言った瞬間、彼女の体が緩やかに魔力が流れ出した。この特有の流れ、認識操作の魔法を解除したのか。

 魔力が消えて、改めて目にしたふぁいんの顔は、樹さんにそっくりだった。髪の色や長さは元のままだけど、身長や体格は樹さんと変わらない。

「ゴーストは魔力の塊だからね。これくらいの魔法は使えるんだよ」

「なんで隠してたんだ?」

「その前に、もう一つのほう聞きたいなー。信じてくれない人には教えてあげない」

 にやにやして俺を見るふぁいん。

「愛する者って、そういうことなのか?」

 仕方なく俺はもう一つの質問をする。愛する者を守るために発動する伝説の魔法。その言葉が真実であれば、それはつまり。

「ん、美晴も君のことが好きだよ。君が死んで初めて気付いたみたいだけどね」

「本当なのか?」

「こんなことで嘘つかないよ。そもそも嘘だったら私はここにいない。信じられないなら直接確かめたら?」

「いきなりそんなこと、できるわけないだろ」

「だよねー。ま、ともかくさ、信じてくれたなら話、続けていい?」

「構わないが……なあ、ふぁいんは樹さんとは違うのか?」

 ふぁいんが樹さんの魔法であるなら、もしかして樹さんの一部なのだろうか。全てが解決して、彼女の記憶が樹さんのものになるとしたら、色々考えなくてはいけない。

「んー、私は美晴と本質は同じだけど、美晴の娘みたいなものだよ。だから、君が心配してるようなことはないから安心して。まあ、君が私にいかがわしいことをしたら、魔法を駆使して美晴に伝えるくらいはできると思うけど」

「そうか。続けてくれるか?」

「うん。私が生まれたとき、この施設に生き残っていたのは美晴だけ。何が起きたのかはわからない。唯一わかってるのは、みんなを死なせた犯人は美晴じゃないということ。だから、守るべき君にもすぐには正体を明かさなかったんだよ」

「俺が原因という可能性もあるから、か」

「そう」

「でも、手がかりくらいはあるんだろ?」

「ないよ」

 ふぁいんは即答した。聞き間違いかとも思ったが、聞き間違えるような単語ではない。

「本当に何もないのか? その、死体の状況とか、凶器とか、そういうのも」

「ないよ。それと私、殺人事件が起きたなんて言ってないよ?」

「でもさっき、犯人って」

「何が起きたかわからないって言ったじゃない。可能性の話だよ」

「本当に何もわからないのか」

「殺人事件かもしれないし、事故かもしれない。大変だけど晴人くん、生き残るためにがんばろう!」

「軽いな」

「だってほら、私ゴーストだし? 万が一失敗しても、二度目三度目があるかも」

「でも今みたいに記憶ないんだろ」

「無限ループだ! ま、大丈夫だって。神話でもおとぎ話でも、ゴーストは一度で守ってるんだからね」

 おぼろげな記憶を辿ってみると、確かにゴーストが何度も現れているような話はなかったと思う。記憶の有無についてはわからないが、神話が真実を伝えているとすれば、きっとふぁいんと状況は同じなのだろう。

「なら、信じさせてもらうか」

 手がかりはなくとも、俺たちに死の危機が迫っているとわかっただけでも十分だ。何もしなければ樹さん以外の全員が死ぬと知っていて行動するのと、知らずに行動するのはそれだけでも大違いである。

 知っていれば見落とすはずがない伏線も、知らなければ案外見落としやすいもの。何かがあると知っているというのは、何より重要な情報なのだ。

「うん、ありがとね」

 ふぁいんは満面の笑みを浮かべていた。樹さんと同じ顔の笑顔は、やはり可愛くて綺麗だ。彼女の笑顔を守るためにも、死の運命とやらには抗わせてもらおう。


登場人物

一ノ木晴人:いちのき はると

ふぁいん:ゴースト

魔堂瑠那:まどう るな

樹美晴:いつき みはる

降谷熾月:ふるや しづき

沢登鋭一郎:さわのぼり えいいちろう

八雲妹:やくも まい


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