駆け抜けせくすてっと

本編


第三話 吹奏楽合唱

   ――春の日差しが強まる時期に(執筆者 崎坂優弥)

 その人たちに出会ったのは、二股宣言が行われて一週間ほど経ったある日の放課後だった。家に帰ろうと廊下を歩いていると、後ろから誰かに呼び止められた。

「優弥くん、ちょっとお願いがあるんだけど」

「前に興味があるって聞いてさ、どうかな?」

「あなたがいれば他の女子も勧誘しやすくなると思うの」

「打算的なこと言ってごめんね。でもそれくらい切羽詰まってるの」

 声をかけてきたのは四人。声を発していない人を合わせると、六人の女子がそこにいた。同学年の人もいれば、先輩にあたる三年生の人もいる。彼女たちの顔に見覚えはない、けれどその言葉から何となく目的は理解できた。

「部活の勧誘、だよね。どっちの?」

 今年は文化系の部活に入部者が少ない。そのためか、人の必要な吹奏楽部と合唱部は、新入生だけでなく二年生や三年生にも声をかけていると、話では聞いていた。けれど、吹奏楽部や合唱部は女子比率が高い。僕には縁のないことだと思っていたものの、そうではなかったらしい。

「吹奏楽」

「聞くってことはまさか、合唱にも興味が?」

「だとしても、先手を打ったのは私たち。来る前にさっさと決めちゃおう」

「そうだね。というわけではい、入部届。名前書くだけでいいから」

 四人は一気にまくしたてる。残りの二人は僕たちから少し離れて、周囲の様子を窺っている。目の前には一枚の、入部届と書かれた紙が一枚。僕が対応に困っていると、僕たちから離れていた女子の一人が声を上げた。

「先輩! 合唱部です!」

「……来たか。みんな、急いで!」

「優弥くん、早く!」

「いや、あの、突然そんなこと言われても……」

 そうこうしているうちに、廊下を曲がった先からら五人の女子が近づいてくる。先ほどの言葉通りなら、彼女たちは合唱部の人たちなのだろう。

「……吹奏楽部?」

「なんであの人たちが?」

「まさか、優弥くんを狙って!」

「……急ぐよ!」

 廊下を歩く速度を速める合唱部の人たち。しかし、防ごうとする吹奏楽部の人たちが立ちはだかるせいでなかなか先に進めない。吹奏楽部は六人、合唱部は五人。人数の多い吹奏楽部は、一人が一人を防いでもまだ一人余る。そして残りの一人は僕の前に。

「……えーと、僕はどうしたらいいのかな」

「入部届に名前を書けばいいの」

 呟きに対して返ってきたのはそんな言葉。しかし、そうしたらそうしたでなんか面倒なことに巻きこまれそうな気がする。

「こらー! 優弥くんを取るなー!」

「それはこっちの台詞! 合唱部には渡さないから!」

 などという叫びが聞こえる中で、名前を書いたらきっと面倒に巻き込まれるだろう。そこで僕は考えた、この場をどうにかしてやり過ごそうと。

「あの、僕用事が……」

「名前書くだけだからすぐだよ。ほら、ペンも用意してあるし、ね?」

 失敗。それどころか、両腕を掴まれて逃げにくくなってしまった。一人なら振り切ることもできるだろうけど、この数を相手に逃げきれる自信はない。

「……えっと、じゃあ、こういうのはどうかな?」

 この学校では部活を掛け持ちすることが許されている。そして、四月のうちはまだ仮入部期間のはずだ。つまり、この場をどうにかしてやり過ごすには、吹奏楽部と合唱部、どちらにも仮入部するのが一番手っ取り早い。

「わかりました、それで妥協します」

「無理やり決めさせるのもひどいしね」

「仮入部させれば、吹奏楽がどれだけ合唱部よりいいかわかるはずだし」

「ん、それは逆じゃないのかなー?」

 色々言っているが、一応どちらの部の人たちも賛同してくれた。事が落ち着いて、彼女たちは帰っていったけれど、一人だけ合唱部の女子が残っていた。その顔には見覚えがある。同じクラスの結城さんだ。

「ごめんね、優弥くん。事情はわかってると思うけど、その、仮入部はしてもらったけど、無理して入部することはないからね。そりゃ、入ってくれると私も嬉しいけど……」

 結城さんは照れたような笑みを浮かべながらそう言った。その照れには様々な意味が少しずつこもっているように感じられたけれど、今はそれよりも気になることがあった。

「ありがとう。ところで、一つ聞きたい事があるんだけど、吹奏楽部と合唱部って仲悪いの?」

「ううん。さっきはああ言ってたけど、吹奏楽部と合唱部は仲が良いよ。大会もあまり重ならないし、両方に入ってもらっても問題ないんだよね実際。その分、練習は大変だから、賭け餅に挑戦した人の大半はどっちかに落ち着いてるけど」

「そっか。ありがとう。それと、もうひとつ大事なことを聞きたいんだけど」

「なにかな?」

 さっきの質問は前振りのようなものだ。本当に聞きたいことは、これからの一言に集約される。

「僕が吹奏楽や合唱に興味があるって、誰に聞いたの?」

 そう。僕は吹奏楽や合唱が嫌い、というわけではないけれど、学校で興味があるなどと言ったことは一度もなかった。それなのに、なぜ彼女たちはそんなことを言ったのか。誰かから聞いた、以外には考えられない。

「それは――」

 彼女の答えは、僕の予想通りの相手だった。

「……なるほど、それで仮入部する羽目になったと」

 翌日、僕は昨日あったことを朱通、文月、沙由の三人に話した。最初に言葉を発した朱通からは、苦笑が漏れる。

「そうなんだよ。誰かさんのせいで、ね」

 僕も苦笑しながら、その誰かさんを軽く睨む。睨まれた相手は、いつもと同じ調子で答えた。

「いいじゃない、たくさんの女の子に囲まれる青春……素晴らしいと思わない?」

「だとしても、文月には言われたくないな」

 そう。僕が吹奏楽や合唱に興味がある、と吹奏楽部や合唱部の人たちに伝えたのは、彼女――柳文月なのだ。

「それにね、私は嘘をついたわけじゃないんだよ。優弥、小さい頃は興味あったでしょ?」

「小学生の頃の話を今もそうであるようにぼかして言っただけ、だと?」

「その通り。よくわかってるじゃない」

 文月のことなら何でもわかる、とまでは言わないけれど、これだけ長い付き合いをしているんだから、ある程度のことは推測できるようになった。とはいえ、彼女の方が上手なのは言うまでもない。そうでなかったら、僕は最初の時点で文月が発端だと気付いていたはずだ。

「それと、仲が悪そうにしろ、と言ったのも文月でしょ」

「そうそう。優弥なら慌てさせれば簡単な演技でも騙せると思って」

「僕なら簡単にって……まあ、反論はできないけど」

 人が去って冷静になってからは演技だと気付けたけれど、確かに最初のうちは演技であるなどは疑いもしなかったのは事実だ。とはいえ、なんかこう、思い通りの行動をとらされるのはあまりいい気分ではない。

「文月。あとで覚悟しておいてね」

「ええ、今回も期待してるから」

 いつものように、僕は文月に宣言をする。今回のようなことがあったのはこれが初めてではない。何度も似たようなことがあったのだ。最初のうちは黙っていたけれど、さすがに何度もされるとやっぱり気分が悪くなる。そして小学四年生の頃、僕は一度、文月に宣言してからお返しをしてやったのだ。

 宣言はされても、予想外のことであったためか、そのときのお返しは成功した。思えば、文月の恥ずかしがる表情を見たのはあのとき初めてだった気がする。それから僕はことあるごとに文月にお返しをした。しかし、最初こそ簡単に成功したものの、次第に慣れてきた文月は僕のお返しを見抜くようになっていた。

 見抜かれてからは、今度は見抜かれないようにともっとしっかり考える。それで文月の予想の上をいき、また文月が見抜く。それの繰り返しだ。最近でいうと、僕の負けが続いている。そろそろここらでお返しを成功させたい。僕の心はいつにも増してやる気に満ちていた。

「ね、朱通。今のって陵辱宣言か何か?」

「いや、特殊なおしおきプレイの宣言じゃないか」

 ……そういえば、一年生のときは文月と別のクラスだったこともあってか、彼らの前で宣言をするのは初めてだった。まずは二人の誤解を解くことが先決みたいだ。

 その日の昼休み、僕は屋上にいた。いつも一緒に昼食をとっている文月の姿はなく、ここにいるのは僕、朱通、沙由、瑠美奈、一羽の五人だけ。別に僕が集めたわけではなく、単に文月が、作戦会議があるだろうからと、自分から抜けてくれたのだ。

 作戦会議、という言葉に疑問を口にした瑠美奈、一羽の二人に事情を説明し、昼食も終えた僕は咳払いを一つしてから口を開いた。

「まず確認しておきたいんだけど、みんなはどうするの?」

 作戦会議をするにあたって、情報が文月に伝わってしまっては意味がない。

「そうだな、協力するかどうかはともかく、文月に伝える気はない、とだけ」

「同じく。傍観してる」

「……えーと、よくわからないですけど、聞くだけなら」

「僕も同じく」

 朱通、沙由、瑠美奈、一羽が順に答える。とりあえず、作戦が漏れる心配はなさそうだ。

「で、作戦はもう考えてるんだよな?」

「もちろん」

 そう口にして、僕は考えていた作戦を話した。ここ最近は負けが続いているから、文月の想像もつかないようなことをしなくてはならない。そのためには、僕自身が一番やらなそうなことをする。そうすればきっと成功するだろうと。

「具体的には?」

「抱く」

 僕が真面目にそう言うと、一瞬の沈黙が訪れた。それを破ったのは瑠美奈の慌てた声。

「だ、抱くって……そ、それってつまり……」

「優弥先輩、さすがにそれは」

 続く一羽の言葉に、朱通が堪えきれなくなったようで声を出して笑った。文月は眠たそうに見ているが、異論を口にしないところをみると、意味はちゃんと伝わっているのだろう。

「優弥、ちゃんと説明したらどうだ?」

「そうだね。抱くといっても、そういう意味じゃなくて、単に抱きしめるだけだよ」

「文月、あれでそういう耐性ないから」

「そう、そして僕にはそんな度胸はないと思ってる。だから多分、成功する」

 確信を持って僕はそう言った。ようやく意味を理解した瑠美奈と一羽は、安堵の息をもらしていた。その後、決行は今日の放課後という事になり、残りの時間はちょっとした雑談に費やされることになった。

「あの、私、気になっていたんですけど、優弥先輩がいるとなんで部員が集まるんですか?」

「一つの理由はまあ、優弥の容姿や性格だろうな」

 それは違う、と答えたかったけれど、他の人たちはすんなり受け入れているようなので僕は黙っていた。たまに文月からも似たようなことを言われるけど、そんなことはないと思うんだけどなあ。

「あとは、小学校時代のことだと思うんだが……優弥、わかるか?」

「うん。僕、小学校時代には両方経験した事があって、その、一応コンクールでもいいところまでいったんだ。でも、それは僕の力だけじゃなくて周りの人が優秀だったからだと思うんだけど」

「確かめてみるか?」

「僕に今ここで歌えと?」

「それが手っ取り早いな。いやなら強制はしないが」

「わかったよ。それくらいなら構わない」

 僕は迷うことなくそう答えた。さっきはああ言ったけど、少なくとも、その優秀な人たちについていけるくらいの実力は持っているという自負はあった。もっとも、小学校時代の話なので、今はどれくらいかわからないけれど、一度みっちりやったからには、体が覚えているはずだ。昔ほどではないにしても、少なくともまともに聴けないレベルではないだろう。

 何度か深呼吸してから、軽く発声練習をする。それから、僕の記憶に残っている曲を歌いだした。外国の曲で、はっきりと覚えているのはタイトルだけ。歌詞は思い出せるかどうか不安だったけれど、練習しただけあって、前奏を思い出したら自然と他の部分も思い出せた。

 とはいえ、最初から最後まで覚えているわけではなかったようで、ちゃんと歌えたのは一番と、難しくて何度も練習した締めの部分だけだった。

 歌い終わってみんなを見ると、朱通は感心したような笑みを浮かべていて、瑠美奈は口を小さく開けて呆けていた。一羽は「凄いですね」と一言、沙由はというと、気だるそうにしながらも、小さく拍手をしていた。

「……結構できるもんだね」

「みたいだな。優弥、いっそのこと、仮のつかない入部したらどうだ?」

「そうですよ! 私、難しいことはよくわかりませんけど、上手でした!」

「練習、してたんですか?」

「音楽の授業の前くらいには。一応、成績は最高評価だったよ」

「吹奏楽は?」

「中学時代、何度か吹奏楽部の友人に頼まれて、練習時の欠員の代わりをしたことはあったけど、今はよくわからないや」

 そのときも、それなりに評価を得ていて、部員にならないかと勧められたことはあったけれど、たまたま覚えていただけのまぐれだと思ったので入部はしなかった。今回も、みんなには褒められたけれど、それでもきっと普通の人に比べれば、というレベルだろう。入部している人と比べると、僕なんかじゃ足りないし、練習してもきっと届かない。

 そもそも、吹奏楽も合唱も個人ではなくて複数でやるものだ。だから、僕一人だけで歌った今の評価は適切なものとは言い難いんじゃないかと思う。

 文月がいたら、そんなことはないと言われそうだけど、今はいない。だから僕は思ったことは一切口にせず、ただ曖昧な笑みを浮かべて、みんなの質問に答える。程なくして質問が終わり、話題が別のものになり、そのまま僕たちは午後の授業開始まで雑談を続けていた。

 放課後。作戦実行の時間だ。

 当番の掃除を終え、他の当番の人たちが変えるのを待つ。教室に残っている者は僕ら四人だけになった。廊下からは一年生二人が中の様子を見ている。

「それで、優弥。まだ何もしないの?」

「人も減ったし……そろそろいいかな」

 文月は余裕の表情で僕を見ている。僕が歩み寄ってもその表情は変わらない。ただ、視線は僕の手や腕に向けられている。昔、虫を見せて驚かせようとしたことを覚えていて警戒しているのだろう。ちなみに、文月は虫が嫌いではなかったので、そのときは僕の負けだった。

 手、正確には腕を使うことに代わりはないが、手の中にはないもない。僕は充分近づいたところで、不思議そうに僕を見ている文月の体を抱きしめた。

 さすがにあまり強く抱いたり、触れる場所を間違えたりするとやりすぎなので、腕を回すのは文月の背中に。身長差がほとんどない、という事もあり。文月の顔が近づく。このままもう少し近づけば、互いの唇が触れてしまいそうなので、僕は少し体をずらした。同時に、文月の表情を見る。不思議そうな表情のまま、変わっていないようだ。

 数秒抱きしめてから、体を離して再び文月の表情を確認する。表情は先ほどのまま、変わっていない。驚いているわけでもなく、照れているわけでもない。

「……文月?」

 声をかけるが返事はない。気絶、でもしているのだろうか。顔の前で手を振り、再び名前を呼ぶがやはり返事はない。しばらくそうしていると、文月の後ろから声が聞こえてきた。

「えい」

 声と同時に文月の背中から伸びた手は胸の膨らみに触れる。触れられたことで体を震わせ、小さく声を上げる。数秒後、文月は我を取り戻したようだ。

「ちょ、ちょっと優弥! それはさすがにやりす……あれ?」

 手を伸ばしているのは僕ではない。そもそも、僕は前にいるのだから、後ろから触れる事はできない。それに気付いたのか、文月は後ろを確認する。

「……沙由?」

「こうでもしたら気付くかなって思ったんだけど、やめた方がよかった?」

「えっと、その……」

 かすかに頬を染めて、言葉を探す文月。普段は滅多に見せる事のない姿だ。

「これは僕の勝ち、ってことでいいよね?」

 文月は周りを見て、状況を確認する。そして、ひとつ大きく息をついてから、小さく頷いた。それから、口を開く。声のトーンはいつもと変わらなかった。

「優弥がこんなことするなんて思わなかった」

「僕も、文月がここまでの反応をするなんて思わなかったよ」

 驚くか、照れるか、そのくらいの反応かと思っていたら、硬直する、という予想以上の反応をされたのだ。今回は沙由がいたからよかったけれど、もし二人きりだったらどうしたらいいか困惑してしまっただろう。

「そりゃ、私も女の子だし、こんなことされたら驚くし、照れもする。……優弥、こういうこと、他の女の子にやったらだめだからね」

「わかってるよ。文月だからやってるんだ。警察や先生を呼ばれたりしたら大変だしね」

「やっぱり優弥は優弥、か」

 呆れたような顔で文月は呟いた。どうしてそんな態度をとったのか不思議ではあったけれど、こういう事は初めてではない。一応、今回も聞いてみたけれど、返ってきた反応はいつも通り、わからないならわからないままでいいよ、というものだった。

「……女の子なら驚く、か」

「朱通、何してるの?」

 声のした方を見ると、朱通が沙由を抱き寄せていた。身長差があるため、ちょうど朱通の胸に沙由の顔が覆われる形になっている。

「いや、沙由も照れるのかなって」

「私は照れないけど、瑠美奈ならきっと顔を真っ赤にして照れると思うよ。試してみれば?」

「やめておこう。倒れられたら困る」

「そう。じゃあ離して」

 返事の代わりに、朱通は丁重なしぐさで沙由を解放する。沙由の表情はいつも通りで、照れていた様子は微塵も感じられなかった。ふと一年生二人を見る。瑠美奈はその光景から目を逸らして、照れたように体をもじもじさせていて、一羽はさっきの文月のように硬直していた。

      ***

 ――春の夕日は僕らを照らす。照れた頬を隠すように、優しい色で。


第二話 先輩と後輩へ
第四話 柔らかな枕と一緒へ

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