質問『人生についてどう思いますか?』
回答者 崎坂優弥(一年二組)
「いきなりそんなこと聞かれても……」
三学期が始まって数週間経ったその日、帰宅しようと廊下を歩いていると、突然そんな事を聞かれた。あまりにも抽象的な質問に、どう答えるべきか迷う。
「一言だけでも結構ですから、お願いします!」
質問してきた女子生徒の手には紙製のマイクが握られている。校内では有名な新聞部お手製のマイクだ。その証拠に、彼女の左腕には夕吹第一高校新聞部と書かれた腕章がついている。
「一言だけ?」
それなら何とか答えられるような気がする。もっとも、それでもすぐに答えられるということにはならないけれど、少し考えれば答えられるだろう。
「楽しみたいもの……かな?」
微笑を浮かべつつ、僕は答えを口にした。新聞部の女子は手帳に素早く書き留めると、もうひとつ続けて質問をきた。質問というより、疑問と言うべきだろうか。
「楽しむものではなく、楽しみたいもの?」
当然の疑問だ。何となく聞かれるだろうと予想していただけに、返答はすぐに行えた。
「うん。だって、楽しむものといったら義務みたいでしょ? けど、人生を楽しむも楽しまないもその人次第だから義務ではない。だから、楽しみたいもの」
「なるほど。では最後に、名前をお願いします」
「崎坂優弥です。学年はいいんですか?」
その僕の疑問は、すぐに氷解することになる。
「さきざかゆうや……と。ということは、一年二組ですね?」
「はい。間違いないです。けど、何で?」
「新聞部たるもの、全生徒の情報はここに入ってますから。さすがに、顔までは覚えてないんですけど」
彼女は頭を指差しながら、にこやかに微笑んだ。そして軽く一礼してから、彼女は早足で別の相手を探しに行った。僕はそれをちょっと眺めてから、再び廊下を歩き始める。
玄関まで辿り着くと、一人の女子生徒が僕に手を振ってきた。
「今日はちょっと遅かったね、何かあった?」
振る手に合わせて、胸に届く程度の髪が揺れる。
彼女の名前は柳文月。女子の中では背が高い方で、身長は僕よりほんの少しだけ彼女の方が高い。顔立ちはいつも見慣れているから正確じゃないかも知れないけれど、一般的に美しいと評される部類に入るだろう。体つきは細いが、出るところはそれなりに出ていると思う。
こんな綺麗な女の子と待ち合わせ……というとまるで彼女みたいだけれど、僕と文月の関係は単なる幼なじみだ。家も近所で、小中高とずっと一緒の学校に通っていただけに、異性としてはどちらも見ていないというか、見られなくなっていることだろう。
仲の良い友達、親友、という表現が一番しっくり来る。僕たちはどちらかに用事があるとき以外は、いつも一緒に帰っている。そして大体の場合、待つのは文月の方だ。
というのも、僕は二組、文月は三組とクラスが違うことが大きな理由である。授業担当の教師の違いから、三組の方が早く授業が終わる事が多いのである。
「ああ、ちょっと新聞部の人に質問されたんだ」
「『人生についてどう思いますか?』ってやつ?」
「うん。もしかして文月も?」
「私じゃないけど、友達がね。昼休みにそんな質問をされたって」
「そう。ねえ、もし文月だったらなんて答える?」
文月は少し考えるような仕草を見せてから、視線を僕の後ろに向けつつ答えた。
「すぐにわかるんじゃないかな?」
視線を追って振り向くと、そこには先ほど見かけた新聞部の女子の姿があった。その彼女の視線が僕らの方を向くまでには、ほんの数秒しかかからなかった。
質問『人生についてどう思いますか?』
回答者 宮内沙由(一年三組)
そんな質問をされたのは、三学期になって数週間経った日の昼休みだった。いつものように昼寝をしようとしていたところに、新聞部の女子はやってきた。ネクタイの色を見るに、おそらく同学年だろう。顔に見覚えはないからきっと別のクラスだ。
「他の暇な人に聞いて」
私はあくびを噛み殺しながら手であっち行けのジェスチャーをすると、机に突っ伏した。
「昼寝に忙しいのはわかっています。でも、お時間はとらせませんから、お願いします」
「私が一番暇そうだから、とは言わないんだ?」
「はい。もちろんですよ。昼寝は重要な時間だということは重々承知の上です」
珍しい人もいたものだ。昼寝の重要さをわかっている人の頼みを聞かないほど私は心が狭くはない。とはいえ、最後に一つ確認すべきことがある。
「それ、本心?」
「取材をスムーズに行うためには、仕方なく嘘をつくことも必要です、とだけ」
遠回しに本心ではないと彼女は答えた。合格だ。私の機嫌をとるためだけについた嘘であることを認めるその心意気には好感が持てる。
「わかった。じゃあ答えるね」
「はい。ではマイクに向かってどうぞ!」
差し出されたのは紙製のマイク。紙製といっても、新聞部伝統の紙マイクだ。職人技とも言うべき、丁寧な作りのマイクである。
「面倒くさいもの、かな」
「面倒くさいもの、ですか?」
「うん。人生なんて面倒くさいでしょ? 人間関係とか、勉強とか、恋愛とか、生物として繁殖するためには不要なことばっかりやってるんだよ人間は。ま、だからこそ人間が人間たりうるのかもしれないけど、面倒くさいことに変わりはないよ」
彼女は素早く手帳にペンを走らせていく。その速度は私が言葉を口にするよりも早い。きっと、表情や態度なども同時にメモしているのだろう。
「なるほど、じゃあ最後にお名前を」
「宮内沙由」
「みやうちさゆ……と。じゃあ私の質問はこれで終わりです。最後に、伝言をお知らせします」
「……伝言?」
「放課後買い物に付き合ってくれ、とのことです。誰からかは言わなくてもわかると」
「あー、うん、そういうことね」
いくら優秀な人材が多いと聞く新聞部でも、ここまで私の扱い方が上手いのはちょっと不思議だなとは思っていた。何より、わざわざ教室に入ってまで聞くというのは変だ。だけど、その理由は伝言という一言で納得がいった。
「確認するけど、その人から助言でも受けた?」
「いえ。ただ、あなたの事を紹介されて、彼女から答えを聞き出せたら記者として優秀だとは言われましたけど」
「本当に、助言は受けてないんだ?」
「はい。このマイクにかけて誓います」
マイクにかけてというのは、新聞部にとって重要な意味を持つ、と聞いた事がある。新聞部として誇りに恥じないことを示す宣誓。それをしたということは、彼女の言葉は真実なのだろう。
「確かに、優秀かもね」
私は彼女に聞こえないように、小さく呟いた。
「うん、伝言はちゃんと聞いたから。相手は、髪の毛が肩くらいまで届いていて、身長は百七十センチ超。常に冷静ぶってるけどよく表情の変わる、まあどちらかというと格好いい部類に入る男子生徒……で、間違いないよね?」
「はい、間違いありません」
特徴だけ言ってあえて名前は出さなかったのに、それでも即答できた彼女はやはり優秀なのだろう。将来的には有名な記者になるかもしれない。
「では、昼寝の邪魔をして失礼しました」
礼をして素早く教室を出ていく新聞部の女子。また次のインタビュー相手を探すのだろう。私は彼女が出ていったのを確認すると、すぐに机に突っ伏した。待ちに待った昼寝の時間だ。
質問『人生についてどう思いますか?』
回答者 柳文月(一年三組)
質問の内容は沙由から聞いたものと全く同じだった。ほんの少し前に同じ質問をされた優弥は、彼女と私の間を遮らないように素早く後ろに移動する。その瞬間、普段は髪で隠れている耳が見えた。中学生までは耳にかかる程度の長さだったが、今は耳が完全に隠れるまでに伸びている。私の予想通り、優弥によく似合っている。
優弥は特に髪にこだわりがないので、そうするといいんじゃないかと助言をしたのは私だ。こうして助言をするのは初めてではなく、小学校に入る以前から何度も助言をしている。
幼なじみの意見なので正確ではないかもしれないけれど、優弥は身長も充分、体型も悪くないし、顔も格好いい部類に入る。ただ、身だしなみにはこだわりが薄いせいか、なぜか優弥自身は自分の魅力に気付いていないようだ。
それはちょっともったいないなと思った私は、時折、彼に助言をするようになった。それで自分の魅力に気付いてくれると嬉しいのだが、いつも効果はない。数日間様子を見た結果、今回の助言もやはり効果はなかったようだ。
「それで、人生についてだっけ?」
優弥について考えるのはこれくらいにして、私は質問に答えることにした。優弥に聞かれたときから考えていたので、質問される前に答えは用意してある。
「他人との関わり、かな。人として生きるには、やっぱり他人がいないといけないと思う。深さは違っても、人として生きる上で、他人との関わりを無視する事はできない。けれどさすがにイコールの関係ではないかな。人生がそんなに単純なものなら誰も苦労しないよ。でも、重要な要素の一つだとは思う」
「……無難な回答ですね、つまらない」
「え?」
私は思わず目を見開いた。彼女につまらないと言われたことに、ではない。無難な回答をしたことを見抜かれたことに、だ。沙由から優秀だとは聞いていたけれど、ここまでとは思ってもいなかった。
「わかるんだ?」
「当然です」
自身満々に答える新聞部の女子。彼女はもう一度マイクを向けてくる。
「よければ、本音をお聞かせください」
「……ま、見抜かれたなら仕方ないか」
私は諦めたように小さく息を吐く。見抜かれていながら更に取り繕うようなみっともない真似をする気はないし、したとしてもどうせまた見抜かれるだろう。
「見守るもの、だね」
「見守る、とは?」
「そのままの意味だよ。私個人には大きな力はないから。なるべく多くの人に影響を与えて、変わっていく環境、世界を見守る。それが今の私の答え」
「なるほど。わかりました。では、最後にお名前を」
素早くメモをし終えた彼女は、やはりこの質問をしてきた。私はちょっと冗談を言ってみることにした。
「柳に文、最後に月でりゅうもん……」
「やなぎふづき……と。一年三組ですね」
「優弥から聞いたわけじゃ、なさそうだね?」
「ええ。新聞部たるもの、ある程度の交友関係は知識として覚えていますから」
「でも顔は覚えてないんだよね」
「苦手なんです、顔を覚えるの。文字を覚えるのは得意なんですけど」
包み隠さず素直に、新聞部の女子は答えた。記者として優秀であり、人として好感も持てる。確かにこれは、将来有望と言わざるを得ないだろう。
「では、私はこれで」
彼女は手を振って、玄関の方に駆けていった。紙製マイクと手帳を持ったまま。
「……外にも行くんだ」
優弥が驚いたような呆れたような声で小さく呟いた。私は小さく頷いて、同意を示す。どうやら、彼女は予想の上をいくのが好きなようだ。
質問『人生についてどう思いますか?』
回答者 土岐朱通(一年二組)
「考えたこともないし、考える気もない」
俺はそう言い放って、紙製のマイクを構え、校門で待ち構えていた新聞部の女子をあしらった。寒い中、それもこんなに早い時間から待ち構えている根性は認めるが、わざわざそれに付き合ってやる義理はない。
玄関で上履きに履き替えていると、さっきの女子も中へ入ろうとしていた。どうやら彼女は一年一組の生徒らしい。特にこちらに話かけてくる様子もないので、おそらく寒くなったから校内に戻ることにした、といったところだろう。
教室へと廊下を進む。一組と二組は同じ方向にあるので、必然的に彼女と同じ道を歩くことになる。しばらくすると教室が見えてきた。先行していた彼女は、二組の入り口の前で立ち止まった。
「ここなら暖かいですよね」
振り返って言う。その言葉は他の誰でもない、俺に向けられていた。
「何の話かな?」
「忘れたなら、質問を繰り返しますけど?」
「考える気はない、と言ったはずだけど?」
俺は彼女を無視して教室に入ろうとしたが、ちょうど入り口を塞ぐような位置に陣取っているためそれはできなかった。
「そうですね。覚えています。けど、答える気はないとは仰っていませんよね?」
確かにその通りだ。彼女の言葉に嘘はない。しかし、考える気はないというのは、答える気もないということだ。仮にも新聞部なのだから、それくらい理解しているはずだ。その予想は当たったようで、彼女は俺が言葉を返す前に言葉を続ける。
「あ、別に考える気のない人に考えてもらう気はありませんよ。そんなやる気のない回答、こちらから願い下げです。ただ、嘘はよくないなと思うんですよ、私」
「何の話か、聞くまでもないかな?」
「そうですね」
彼女の言う嘘が何なのかはすぐにわかった。ハッタリということも考えられるが、わざわざ確認するまでもないだろう。質問をするにあたって、嘘はよくないが、時にハッタリは有効な手段となる。それを否定する気はない。
「言い直そう。考えた事はあるが、答える理由がない」
「あの、ここは学校ですし、あまりそういうことは……けど、どうしてもと言うなら、その」
かすかに頬を紅潮させ、うつむきながらもじもじと身をくねらせる新聞部の女子。間違いなく誰かに見られたら誤解されそうな状態である。もっとも、これくらいで動じるような俺ではない。
「色仕掛けは通じないぞ」
「そうですか? なら、仕方ないですね」
にっこりと微笑みながら、ゆっくりとスカートを脱ごうとする彼女。周囲に見られたら危ないが、見られなければいいだけのこと。俺は一旦、廊下を引き返そうとした。しかし、いつの間にか左手を握られていて、それは叶わない。
「……しつこいな」
「しつこいですよ」
「……わかった。わかったからやめてくれ」
このまま時間を無駄に過ごすのはよくない。特に答えたからといって害になるわけでもないし、ここまでして聞き出そうとする彼女のことだ、変な記事は書かないだろう。しかし、無条件で答えるつもりはなかった。
「交換条件だ。答える代わりに、二つ頼みを聞いてもらう。質問に答える対価と、迷惑の対価だ」
「無茶な注文でなければ、いいですよ」
「一つ目。今日中に、以下の特徴を持つ人物に伝言を頼む。伝言の内容は後で話す。腰近くまで届く髪、小さい胸、いつも机で昼寝をしている三組の少女だ。名前は自分で調べられるよな?」
了解の意を示すように、彼女は小さく頷いた。それを確認して、二つ目の条件を提示する。
「二つ目。こちらは真面目に答えるんだ、面白おかしく扱われては困る。そうしないという確証を示してほしい」
「あ、それなら大丈夫です。この質問は私が個人的にやってることですから、記事は書きますけど公表をする気はありません。優秀な貴社になるための訓練、ってやつです。新聞部の伝統ですね。確認は他の部員に聞けばとれると思います。そうですね、ちょっとお待ちください、部長を連れてきます」
そう言って彼女は来た道を戻って行った。その間に逃げてもよかったのだが、どうやら目的の人物はすぐに見つかったらしく、数分と経たないうちに彼女は戻ってきた。連れてこられた上級生の女子生徒――おそらく彼女が部長なのだろう――はすぐに事情を察したようで、ポケットから一枚のカードを取り出して一言。
「この子の言葉に嘘はありません。部長の証と、このマイクに誓って」
カードには新聞部部長と書かれていた。夕吹第一高校では、各部の部長は必ず部長を示すカードを持つことになっている。カード自体は以前に見た事あるので、偽物ではないだろう。
「では、私はこれで」
優雅な足取りで新聞部部長は帰っていった。静かな口調だったが、その言葉には気品と聡明さが見え隠れしていた。俺の目が節穴でないなら、彼女があの優秀な人材が多いと噂される新聞部の部長であると疑う余地はない。
「これで納得していただけましたか?」
俺が頷くと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「さて、質問の答えだったな。人生についてどう思うか……だな。俺の回答は、どうも思わない、だ」
「どうも思わない?」
困惑したように聞き返す新聞部の女子。一瞬ペンを取り落としそうになったくらいだから、相当な困惑だったのだろう。
「そう。人生についてどう思うかは人それぞれ。単純だったり複雑だったり、漠然としていたり明確だったり……きっと誰でも何かしら人生とはこういうものだという意見を持っている。なら、一人くらい何も思わない人がいてもいいんじゃないか、と思うんだ」
「なるほど、単なる思考放棄ではないと?」
「少なくとも、単なる、ではないと思うな」
新聞部の女子は質問をしながらも、素早く手帳にペンを走らせていく。その手際のよさには目を見張るものがある。
「ありがとうございました。では、最後にお名前を」
「土岐朱通だ」
「ときあけみち……と。じゃあ、今度は私の番ですね。伝言をどうぞ」
伝言の内容を話そうとしたところで、ひとつ面白い事を思いついた。
「そうだ、伝言のついでに自分を試してみないか?」
俺はそう前置きして、伝言を聞かせてから、ある提案を新聞部の女子にしてみた。暇だったのか、優秀な記者という言葉に反応したのか、興味本意か、どんな理由かはわからないが、ともかく彼女はその提案を受け入れてくれた。
質問『人生についてどう思いますか?』
回答者 羽根瑠美奈(夕吹中学校三年一組)
「どなたですか?」
歩道を歩いていると、突然質問をされた。私がそう聞くと、高校生のような制服を着た女の人は、一枚の名刺を差し出した。受け取った名刺には、彼女の名前が漢字とローマ字表記で、そしてその上に、夕吹第一高校新聞部と書かれていた。
「しろやひとね、さん?」
「はい。一言だけでも構いませんから、お願いします!」
そんなことを言われても、と私は困った。そんなことを考えたこともない。考えようと思っても、難しくてよくわからない。自然と視線は下を向く。ちょうど、一音さんの胸のあたりが目に入った。
大きい。一目でわかるくらいに大きい。少なくともBカップ、いやCカップはあるだろう。自分の胸を見てみる。胸のあたりまで伸ばした髪は、ほぼ真っ直ぐに伸びている。そこにあるのは小さなふくらみだけだ。
「あの、一音さんは何年生ですか?」
「ん? 私は一年生だけど……っと、一年生です」
一年生ということは、一年先輩ということだ。一年で私の胸があれくらいにまで大きくなるとは、いくら楽観的に考えても無理だという結論しか出ない。特に小さいから悩んでいるというわけではないけれど、やっぱり羨ましい気持ちはある。
「悩み、なのかな……」
「悩み?」
「はい。さっきの質問の答え。悩み、なんじゃないかな、と思って」
一音さんは私の回答に頷きながら、胸元でペンを手帳に走らせていく。直接胸は見えなくなったけれど、手帳が比較対象となってより大きく見える。
私は少し視線を下に向ける。いつの間にか彼女の腰には、先ほどまで手にしていた紙製マイクが携えてあった。よく見ると、紙製のホックらしきものが腰についている。マイクが落ちる様子はなく、紙製でありながらもかなりしっかりした作りだとわかる。
「なるほどね。じゃあ最後に名前を教えてくれますか?」
「羽根瑠美奈です」
「はねるみな……と。夕吹中学校の三年一組だね。それじゃ、ありがとうございました」
なんで学校や学年がわかるのだろう。私が疑問を口にする前に、一音さんは礼をして駆けて行ってしまった。その様子を少し眺めてみると、彼女は他の人に話かけていた。どうやら色々な人に質問をしているようだ。
私は彼女から視線を外すと、歩みを再開する。行き先はちょうど彼女が走ってきた方向、夕吹第一高校だ。どんな高校か下見に来ていたところで、偶然その高校の生徒に会えるとは運がいい。
一音さんだけを見て全てを判断する事はできないけれど、彼女のような人が楽しそうに生活している高校なら、きっと楽しくやっていけることだろう。他の高校も見て回ってみたけど、一番私に合っている高校はここかもしれない。
私はよく晴れた空を見上げながら、受験に対する決意を新たにした。
「ん? そういえば城家って、確か私のクラスにもいたような……?」
明日学校にいったら調べてみることにしよう。何となくだけど、そうすれば先ほど抱いた疑問は簡単に解消されるような気がした。
質問『人生についてどう思いますか?』
回答者 城家一羽(夕吹中学校三年一組)
「という質問をしてきたんだけど、一羽も答えてみる?」
帰宅すると、いきなり姉がそんな事を口にした。以前聞いたことのある、夕吹第一高校新聞部の伝統というやつだろう。僕はとりあえずその問いかけは無視して、ただいまと帰宅のあいさつをしておいた。
「ん、おかえりなさい。で、どうする?」
「姉さんが望むような面白い答えはできないけどそれでもいいのなら」
背負った鞄を置いて、帽子を脱ぎ髪を整える。耳に届く程度の長さしかないので普段はやるまでもないのだけれど、今日はいつもより空気が乾燥しているせいか、静電気が強かった。綺麗にセットするつもりはないが、ある程度整えておかないと落ち着かない。
「大丈夫。元々期待してないから」
「それが実の弟に言う言葉?」
「うん。ところで、もし義理なら言ってもいいのかな?」
とりあえずこの質問は無視することにした。どうせ答えは期待していないだろうし。
「最初の質問に答えるけど、いい?」
返事の代わりに手帳とペンを構える姉。こういう切り替えの早さは自分にはない柔軟さで、羨ましくもあり、見習うべき点だと思う。
「高みを目指したい、と思うね。生きている限りはなるべく、崇高な心を持って真っ直ぐに」
「なるほど。じゃ、最後に名前を」
投げやりだな、と誰が見てもわかる声色で聞く姉。相手が弟でも名前を聞くのは、形式上そうしないと格好がつかないからなのだろう。僕は深く追求せず、素直に答える。
「城家一羽」
「しろやいちば……と。夕吹中学校三年一組、で間違いないよね」
「間違いないね」
姉の記憶力はよく知っているので、確認するまでもないと思うのだけれど、一応答えておく。もっとも記憶力が高くなくとも、まともな姉なら弟のクラスくらいは覚えているだろう。
「ありがと。じゃ、ちゃんと一羽のも記事書いとくから」
「珍しいね」
これまでにも何度も質問された事はあるけれど、自分の回答を記事にしたことはほとんどなかったと思う。姉によると、弟の回答を書いても特に意味はないからというのが大きな理由だそうだ。確かに、家族とそれ以外では苦労の面で大きな差があるから、その理由は納得がいくものだった。
「そうだね。今回はちょっと特殊でさ。家族からも聞かなきゃいけなかったんだよ」
「それも新聞部の伝統?」
「うん。内心、断られたらどうしようかと冷や冷やしてた」
なんて言いながらも微笑みを見せる姉。とても冷や冷やしていたようには見えないが、姉は不要な場面で嘘をつくような人ではない。だからきっと本心なのだろう。実際に、姉に質問された内の半数くらいは回答を断っているのだから、冷や冷やしてもおかしくはない。
「けど、頼まれたら断らないよ」
「それは記者としてのプライドが許さないから」
「だろうね」
何となく予想はしていたけれど、一応聞いてみた。姉がどういう人物かわからないほど悪い姉弟仲ではない。
「ところで、姉さんは?」
会話を終え、僕は鞄をしまいに二階へ、姉は居間へ向かおうとしていた。その後ろ姿に僕は声をかける。振り返るとき、姉の腰にかかる程度まで伸びた髪が綺麗になびく。
「私?」
「うん。人生についてどう思う?」
聞いておきながら自分で答えないというのは納得がいかない、という気持ちがあることも否定はしないけれど、それよりも姉がどう考えているのかが気になったというのが大きい。僕の質問に対し、姉は顎に手をあてて悩んでいるようだった。
「そうだね……私は、難しくてよくわからないよ」
あはは、とわざとらしく声に出して笑う姉。表情や態度に嘘は見られない。
「わかるくらいなら、質問なんかしないって」
そう言って、姉は居間へと入っていった。それを見て僕も二階へと上る。
後で姉に聞いたところ、新聞部伝統の今回の指令(と称してはいるが、実際は言葉ほど堅苦しいものではない)は、自分が一番わからないことを質問し、その回答を記事にするというものだったという。
質問『人生についてどう思いますか?』
質問者 夕吹第一高校新聞部 城家一音(一年一組)