夏である。季節は春だが、夏を感じる部屋である。机にべったりと座り、左手の扇から涼しい風を送り続ける、その様子はまさに夏の光景である。
一室に夏を作り出している少女――炭石涼乃〈すみいしすずの〉は来客を前にしても、普段の態度を崩すつもりはなかった。先輩としての威厳である。
彼女が座っているのは部屋の奥。校長が座りそうな大きい机は、旧校舎の残った部分の部屋内に残されたもの。いつもの旧校舎前での練習の前に、四伝が珊瑚や稲穂に案内されたのはその部屋だった。ちなみに四季花も誘われたが、用事があるからと断っている。
「こんにちは、陸道四伝くん」
炭石涼乃は先頭に立たされた四伝に挨拶をしたあと、他の二人に視線を向けた。
「二人もご苦労様。一文字珊瑚さん、南城稲穂さん」
扇を一振り、自らに緩風を送って緩く微笑む。しかしその瞳には揺らぎはなく、冷たくはないがどこか涼しさを感じさせる眼〈まなこ〉で、涼乃は再び四伝の方を見た。
「私は炭石涼乃。三年東組の、『タギ』に所属する白の一員」
言いながら、すっと袖をまくって左腕に装着されたフラグメント・ウェポンを見せる。扇は畳まれず握られたまま、四伝はその装着位置に少しだけ驚く。
「……左利き?」
「利き腕に装着しないといけない決まりはないけれど、ここにいる四人は、そうなっているみたいね」
言われて四伝は珊瑚を見る。返ってきたのは小さな笑みだけで、言葉はない。今までの練習で、四伝は彼女のフラグメント・ウェポンを見たことはない。だから利き手もわからないが、急いで確かめたいものでもないので四伝は視線を戻す。
「不思議な夢を見た、という話は南城稲穂から聞いているわ。そうなったら報告してと、一文字珊瑚と南城稲穂にも伝えている。だから陸道四伝――あなたをここに呼んだ。私がフラグメント・ウェポンについて、もっと詳しく話してあげましょう」
「フラグメント・ウェポン……」
四伝は呟く。不思議な夢を見たと伝えたら、詳しい人に会わせてあげると言われた。四伝が知っているのはそこまでだ。だから、フラグメント・ウェポンという単語が出た時点で、彼にとって未知の話は始まっている。
「知っての通り、フラグメント・ウェポンは装着することで、装着者の脈動を動く力として武器を生み出すの。その脈動によって動くフラグメント・ウェポンは、装着者との相性によって分岐型が決まり、装着者との関わりによって分岐・成長する」
「あの」
「あ、それも話していません」
四伝が口を挟んだのと、稲穂が言葉を加えたのは、ほんの少し稲穂が遅れただけで、ほぼ同時だった。
「脈動は鼓動から生まれる力。意味としてはほぼ同義だけど、擬人の使う武器は鼓動から生まれる。けれど、フラグメント・ウェポンは脈動でしか動かない。鼓動から生まれる別の力で動くから、鼓動は消耗しない。これだけ捉えてもらえばいいわ」
涼乃は稲穂を一瞥しただけで、冷静に的確な説明を加えた。
「さて、そのフラグメント・ウェポンの仕組みだけど、私たちも詳しくは知らない。けれど、あなたの夢に出てきた少女は、私たちも知っている。フラグメント・ウェポンの少女と呼ばれているわ。彼女との邂逅によって、私たちのフラグメント・ウェポンは分岐・成長する」
「練習で成長したり、擬人を倒して成長することはないんですか?」
「それが成長の一助となることはあっても、それだけで成長することはないわ。単純なロールプレイングゲームみたいに、経験値を貯めてレベルアップしたら新たな武器が生まれるようなものではないの。何かの数値が一定値に到達したら新たな変化が起きる、育成シミュレーションゲームのようなものと考えてもらえばいいわ。あるいは、恋愛シミュレーションゲームでも大きく外れてはいないかもしれない。
その何かは、人それぞれだとは思うのだけど、詳しくはわからないわ。知っているのはフラグメント・ウェポンの少女だけ。だけど、彼女はそれを話してはくれない。
ちなみに彼女の姿は、フラグメント・ウェポンの考案者や開発者本人の若い頃の姿、初恋の相手などと言われているけれど……真相は知らないわ」
涼乃の言葉が止まったところで、四伝は理解したことを考える。
「全てはわからないけれど、ともかく、俺の体に異変はない、フラグメント・ウェポンを装着した者として、当然の変化を経験しただけ、ということですね」
そして考えを言葉にする。
「ええ、ひとまず、それだけ理解すれば十分よ。興味があるなら、あとでもっと詳しく話してもいいけれど……」
涼乃はほんの少し期待のこもった視線を四伝に向けて、微笑する。彼女は興味があるらしいことを四伝は理解したが、無言で首を横に振った。
「今度なら考えます。それより俺には、まだまだ知らないといけないことがある……一人でも擬人と戦えるようにならないと。ですよね?」
「ええ、その通りよ。まずは分岐型の型について教えてあげましょう。それぞれの分岐型を知っておくことも、今後の連係に必要になるでしょうから。一人で戦う力は必要だけど、対擬人集団としては複数で動く場面もある。白としても、黒としてもね」
声は優しく、涼しく耳に届く。おそらくこのことは稲穂や珊瑚も知っているのだろうが、彼女が一番説明が得意らしいことは四伝もすぐに理解した。
「図解も用意しましょう。黒板とチョークは、そこにあるわね」
涼乃が視線を向けた先、珊瑚の隣の壁には中くらいの黒板とチョークがある。使われていない部屋にしては不思議だが、机も残っていたし、練習の場所もここの前。きっと湖囲高校に通う『タギ』の人たちが集まる際に、旧校舎はよく利用されているのだろう。
四伝が考えている間に、珊瑚がチョークを手に取った。手に取ったチョークを掲げて、黒板に向けて格好良く振り下ろしながら、涼乃に確認する。
「芸術的に? それとも普通に? 五線譜でもいいよ」
「五線譜で芸術的に、かつ普通にわかりやすいものをお願いするわ」
「ふ……さすが涼乃先輩。そうなると……こんなところだね」
珊瑚は五線譜――にしては間隔の広い長い線で黒板を四つに分け、達筆で芸術的な文字で黒板に記していく。五線譜の上下は黒板の上端と下端のすぐ傍で、実際に五線譜として使ったらいくつかの音符が載せられなくなることだろう。
黒板にチョークの音が走り、図解が記されていく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
派生型 ――武器2―― ――武器5――武器7――……
武器1――| |――武器4――|
――武器3―― ――武器6――……
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
枝分れ型 ――武器2――――武器4――……
| |――武器5――……
武器1――|
| |――武器7――……
――武器3――武器6――――武器8――……
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
特化型 |――武器2――――武器4
武器1――――武器3――――武器5――――武器7――……
|――武器6――……
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一途型 |――武器2
武器1――――武器3――――武器4――――武器6――……
|――武器5
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「これが分岐型の四つの型。派生型と一途型については、もう聞いた言葉のはずだけど……」
図解を目にしながら、横から聞こえてくる声に四伝は頷く。派生型は自分のフラグメント・ウェポンの分岐型。一途型は四季花が試したフラグメント・ウェポンの分岐型だ。
「他の型を説明する前に、まずはあなたの分岐型を理解した方がいいわね。派生型は、分岐して成長したものが収束して、再び分岐して派生する分岐型。ここにいる中では、陸道四伝、あなたと、それから私の分岐型になるわ」
言葉だけでは少しわかりにくいが、図解があれば理解も早い。四伝が疑問を抱いていないことを確認して、涼乃は解説を進めていく。
「枝分れ型は分岐したものが、さらに分岐して成長していく型。派生型との違いは、収束しないことね。この図解では四つにしか分岐していないけれど、もっと多くなる例も多いわ。派生型にしても、この図解よりも複雑な分岐をしている」
「私のフラグメント・ウェポンはこの型だよ」
稲穂が付け加える。
「それから、特化型。これは一つの武器に成長が特化している型ね。強力なメイン・ウェポンと、戦術の幅を広げるサブ・ウェポン。サブは早期に強化が完成するわ。一文字珊瑚、彼女のフラグメント・ウェポンの型よ」
涼乃に名を呼ばれて、珊瑚は笑顔で答える。
「一途型は特化型に似ているけれど、一つの武器しか強化・成長しない型。他の武器も分岐して生まれるけれど、戦いでは役に立つものではないわ。フラグメント・ウェポン――分岐型武器の、分岐が活かせないから、相性が悪いとされているわね」
その言葉は前にも聞いたことがあるが、他の分岐型を図解で詳しく知った今なら、より深く理解できる。
「あとは、そうね。南城稲穂と、一文字珊瑚、二人のフラグメント・ウェポンは、直接見てもらった方が早いと思うけれど、どうする?」
別に見なくとも、今の四伝の実力なら問題はない。力がついてから見ても遅くはないことだが、せっかく揃っている状況である。四伝は迷わずに答えた。
「お願いします、南城さん、一文字先輩」
「いいよ。って、前にも見たと思うけど……はい」
稲穂の手に小剣が生まれる。前に見たものと全く同じだが、前は僅かな時間しか見られなかった。それに衝撃もあったので、四伝は細かい部分までは覚えていない。
「小剣、でいいのかな?」
「うん。小剣2、だね」
稲穂は笑って答える。初期のものではなく、成長した形の武器。見た目に感じることはできないが、使い慣れている感じだけは四伝にも理解できる。
「他には刺突剣もあるけど、見る?」
「お願いするよ」
四伝は即答する。稲穂のことなら知っておきたい。一目惚れの相手だからというのもあるが、仲間としても知っておくべきだ。
「じゃあ、はい」
小剣が消えて、新たに生み出された刺突剣。淡い輝きを放つそれを見て、四伝は呟く。
「……剣が中心なんだね」
自らの武器についても考えてみる。彼女が剣を中心に分岐していくのなら、自分はやはり盾を中心として、新たな盾が生まれていくのだろうか。
「分岐の先を見ることって、できるんですか?」
その質問は一番詳しいであろう、炭石涼乃に向けて。涼乃は考える仕草も見せずに、すぐに答えた。
「できるけれど、簡単じゃない。準備も必要だし、今の段階であなたのフラグメント・ウェポンの先を確かめる意味はない。ただ、使いものにならないなら……そもそも、派生型にはならない。そこは安心しなさい」
「そうですか。わかりました」
厳しいようで、的確な言葉。四伝は彼女から視線を外して、黒板の前に立つ少女に顔を向ける。
「あたしのはこれ、薙刀」
両手に生み出された一本の長い武器。ほんのりと輝く刀身を先端に持つ、薙刀。珊瑚はそれを狭い室内でも軽々と回してみせて、回転が止まる頃には生み出された薙刀は消えていた。
「それから、弓」
代わりに生み出されたのは、木製ながらも輝きを内包する弓。左手で持ち、右手で弦を引く、大きな両手弓だ。
「他は、四伝に見せるにはまだ早い。ちなみにこの矢、無限に撃てるんだ。フラグメント・ウェポンが使える限りはね」
「脈動があれば、武器は損耗しないと」
珊瑚は首を縦に振る。便利な武器ではあるが、その武器を使うのは人間。涼乃が付け加えた言葉もそれを如実に示していた。
「体力が弱まれば脈動も弱まる。体力がなければ脈動もなくなる。疲れていればフラグメント・ウェポンも真の力を発揮できない――覚えておくことね」
「はい」
それに答えたのは四伝だけではなかった。珊瑚は当然理解しているらしく笑顔で動じなかったが、稲穂も声を揃えて涼乃の言葉に答えていた。
「ところで、一文字先輩。特化型ということは……どちらがメインなんですか?」
「うん、その質問待ってたよ」
珊瑚は楽しそうな表情を浮かべて、質問に答えた。
「あたしはアーティストでミュージシャン。だから、フラグメント・ウェポンも、あたしに力を与えてくれる。薙刀と弓、どっちもあたしのメイン・ウェポンさ」
「それって、どういう……」
四伝が言葉を言い切る前に、珊瑚は制服の右腕の袖をまくってみせる。それから、スカートもめくって健康的な右脚の太ももを露わにする。
「ちょ、ちょっと、先輩!」
その行動にどぎまぎする四伝だったが、珊瑚のスカートの下にはスポーティなショートパンツがあった。それに安心しつつも、健康的な素肌にやはり目のやり場に困るが、困った先の視界にあった二つのものにまた驚かされる。
珊瑚の右腕には、輪っか。腕輪として装着されたフラグメント・ウェポンが一つ。
珊瑚の右脚にも、輪っか。脚輪として装着されたフラグメント・ウェポンが一つ。
「……二つ?」
「そ、あたしのフラグメント・ウェポンは、特化型が二つ。だから、薙刀も、弓も、特化型のメイン・ウェポンってわけ。理解した?」
満足そうな表情で、珊瑚はスカートと袖を元に戻す。やや名残惜しく視線を奪われそうになるが、自分以外は女の子しかいない状況を思い出して、四伝は奪われないように抵抗する。
「あたしの脚線美に惚れちゃだめだよ? 四伝。あんたには、大事な人がいるんだから」
「ほ、惚れませんよ。それから、ああ、何でもないです!」
何を言ってもいけない気がして、四伝は文句を言うのをやめる。
「四伝くん……いつの間にか、だいぶ仲良くなったよね」
そのやりとりを見て、稲穂が言った。四伝がどう答えるべきか迷っている間に、さらりと珊瑚が答えてしまう。
「毎日練習しているからね。けれど、まだまださ。あたしと稲穂の仲に比べればね」
「私と四伝くんよりは、仲良くなっているような気がします」
今度は何も答えず、珊瑚は微笑んで四伝に優しい眼差しを送る。確かにその通りなのである。擬人と戦うための練習で一緒にいるから仕方ないとはいえ、四伝は今のところ、稲穂よりも珊瑚と仲良くなっている。
これは彼にとってもじれったいことではあるが、かといって今すぐに告白はできない。一目惚れしましたが、一目惚れでしたに変わったことで、必要な勇気も少し変化してしまった。
そして今日も、これからは珊瑚と二人での練習である。四伝が稲穂と仲良くなるには、まだしばらくの時間が必要になりそうだった。
―― 時、遡り ――
南城稲穂と南城小麦がその幼女と出会ったのは、二人もまだ幼い頃だった。そしてそれは、二人が擬人を初めて目にする少し前の出会い。
南城菜奈〈なんじょうさいな〉と南城堅冥〈なんじょうけんめい〉、稲穂と小麦の両親も『タギ』の一員であったのだから、二人が幼き頃から擬人を知るのは必然と言えた。
「こーむぎー!」
「……なに、姉さん?」
ただし、フラグメント・ウェポンを手にするようになるまでは、まだしばらくの時間を必要とする。擬人は知っていても、擬人との戦いには身を置いていない。それが幼い頃の、南城稲穂と南城小麦の立場だった。
元気に呼びかけて、アニメのヒロインを真似たパンチをしてくる稲穂に、小麦も特撮のヒーローみたいに格好付けて両手でガードしてみせる。
家から少し離れた大きな神社の境内。姉弟はいつもの場所で、今日も遊んでいた。
だけど今日は、神社に見たことのない巫女さんがいる。大きい神社でも、人が多くないのは知っている。何度も遊んだ場所だから、見かける大人の顔も大体は覚えている。
稲穂は不思議に思いながらも、今は遊ぶのが一番。誰かに尋ねることはしない。
もしかすると、コスプレ、というものかもしれない。だってその巫女さんは中学生か高校生くらいでとても若くて、稲穂の目から見ても大人と言うよりお姉さんだ。
小麦はお手伝いの臨時巫女だって主張するけれど、稲穂はそうかもね、と否定も肯定もしない。遊びたい二人にとっては巫女さんの正体など、どうでもいいことだった。
「あの巫女お姉さん、気をつけた方がいいよ」
そんな二人に声をかけてきたのは、こちらも初めて見る小さな女の子だった。
「気をつける?」
「うん。あの人は、きっと……」
見知らぬ幼女の言葉はどこかふわふわしていて、はっきりと断定はしない。それは南城姉弟とも変わらないのだけど、幼女には自信があるように見えた。
「……男? 女?」
稲穂が言葉の意味を考えている間に、小麦が失礼なことを言った。確かに顔立ちは男の子みたいな感じもあるけれど、ちゃんと長いスカートを履いている。
「ボク? どっちかな?」
少し言葉も紛らわしいけれど、同じ女の子として稲穂にはわかる。けれども、疑い続ける小麦の言葉に稲穂もちょっとだけ不安になってきた。
「私は南城稲穂。あなたは?」
「ボクの名前……ええと、秘密だよ」
とりあえず自己紹介。笑顔と一緒に返ってきたのは答えじゃない言葉。だけど、名前なんてあまり気になるものではなかった。遊び相手が一人増えた、その事の方が大事である。
それが南城姉弟と名乗らぬ幼女の出会い。
その日の夜、二人は両親から神社に擬人がいたことを知らされた。あれが話に聞く擬人であるなら、名乗らぬ幼女の言葉は正しかったのだ。
そう、彼女は擬人を見分けられていた。そして稲穂と小麦も、この日から擬人を見分けられるようになった。擬人がいると知って、擬人をその目で確認したから。だけどやはり、二人がフラグメント・ウェポンを手にするのは、まだまだ先の話である。
―― 時、戻りて ――
夏である。それは間違いなく、夏であった。今日の練習はお休みだと、朝のうちに珊瑚に直接伝えられた。久々に四季花と放課後の時間を過ごしていた四伝の前に、夏が姿を見せた。
「お兄ちゃん、あれって……」
「ああ。遠いけど、間違いない」
四季花も擬人は見分けられる。遠い擬人に先に気付いたのは四季花で、練習していた四伝には負けた衝撃も大きいが、今はそれどころではない。
詳しくは聞いていないが、珊瑚は今、湖囲高校の近くにはいない。アーティストかミュージシャンか、ともかくそういった仕事で北凍市内の遠くに出かけているのだ。
稲穂は放課後、誘ったけれど断られた。たまには四季花ちゃんと一緒に帰ったら? と言われてしまっては、四伝もそれ以上は誘えない。まだ告白もしていないし、気持ちもはっきりと伝えていないから。きっとまだ、学校周辺に残っていることだろう。
炭石涼乃――三年生の先輩は、どこにいるのかもわからない。多分、学校には来ている。
つまり、この場にいるのは四伝だけ。いざというときのために、心得は教わっている。
「四季花」
春であれば、自由にやってみるといい。それくらいの力はもうついている。
「うん。やるの?」
夏であれば――、
「学校に戻るぞ。稲穂さんを呼びに行く」
夏であれば、絶対に一人で手を出すな。落とした命は拾えない。落とす前に助けを求めるんだ。珊瑚に教わった心得に従い、四伝は迷わず行動する。
「お兄ちゃんの活躍は見せてくれないの?」
意地悪な笑みを浮かべる四季花に、四伝は苦笑しながらも行動は変えず、迅速に動く。見たことのある擬人とは明らかに違う雰囲気。肌で感じた危険に、迷ってはいけない。
幸い、夏と言えども擬人は無差別に人を襲うものではない。だが春よりも積極的に、強引な方法で鼓動を吸収しようとすると聞く。そして何より、フラグメント・ウェポンを装着した者は明確に敵と認識し、殺めに来る。
武器も生まずに、敵意も見せなければ安全に切り抜けることもできるそうだが、それは危険な擬人を一人見逃すことになる。だから行動は、決まっているのだ。
「夏? やだな、四伝くん。まだ春だよ?」
湖囲高校に戻ると、程無く稲穂は見つかった。彼女はロビーでのんびりと、文庫本を両手に読書を楽しんでいた。その本がよほど楽しいものだったのか、稲穂は報告を聞いてすぐに本に視線を戻す。
「そっちじゃなくて、あっちの、サマーの方の夏」
「サマー……あ。うん、了解。紛らわしいよね、特にこの時期」
今度は報告を正しく理解して、稲穂はしおりを挟んで文庫本を閉じた。
「北海道には夏なんてまだまだ先だけどね」
「そうだね。春が来たばかり。……行こう」
閉じてからの準備は早かった。微笑みの中に真剣な色も混ぜて、足早に移動を始めた稲穂の背中を、四伝は慌てて追いかける。その二人には四季花もしっかりついて来ていた。
「四季花は残ってろ」
すかさず四伝は短い言葉をぶつける。
「やだ。お兄ちゃんの応援する」
あっさり四季花は言葉を跳ね返して、すっと四伝の横に並ぶ。ここまでは稲穂にも聞こえる言葉、ここからは四伝にしか聞こえない言葉。
「恋の応援、してあげないと。さっさと告白する!」
囁かれた言葉に四伝は反応に困るが、と同時に緊張も解ける。狙ってやったものではないと思うが、彼にとっては助かる言葉だった。
「四伝くんは見ていて。もしそっちに行ったら、四季花ちゃんを守ってあげてね」
玄関を抜けながら、稲穂は簡単に説明を加えていく。
そのまま報告のあった場所に向かい、稲穂は擬人の姿を捉える。若い会社員のようなスーツ姿の擬人。周囲に人はなく、営業の人でも装っているのだろうか。
「あれなら……すぐに終わらせるね」
駆ける稲穂の姿を、四伝はすぐには追えなかった。走る速度こそ特別速くはないが、予備動作もなく最高速に近い速度で駆け出したため、突然の大きな変化に目が追いつかなかった。
稲穂が右手に生み出したのは、刺突剣。まっすぐに擬人――夏に駆けていく。
春であれば、このまま近付いて、フラグメント・ウェポンで攻撃して終わり。だが夏は違った。駆けてくる姿に気付いたかと思うと、擬人も即座に長い剣を片手に生み出して臨戦態勢を整えていた。
危機を察知する能力の高さも、春の比ではない。
「四伝くんは驚いているかもね。でも、ちょっと遅かったね。ここは――もう、私の間合いだよ」
走りながら大きく踏み込んで、刺突剣を一突き。長剣よりも長いリーチから放たれた一撃に、擬人は倒れ、煌く刺突剣の淡い光だけがその場に残る。
その輝きもすぐに消えて、武器を消滅させた稲穂は振り返って笑顔を見せていた。
「終わったよー!」
大きな笑顔から放たれる、大きな声。
「おお。お兄ちゃんも、あれできるの?」
「いや……まだ――まだまだ、無理みたいだ」
まざまざと実力の差を見せつけられて、それでもなお、四伝は怯まない。動き自体は、どれも特別なものではなかったのだ。身体的な技術だけで言えば、四伝にも真似できないものではない。
決定的な違いはただ一つ。戦いにおける、一瞬の判断力。判断の速さが、今回の勝負を決めた。これが白のやり方、その極致、なのかもしれない。
そして戦いはすぐに終わったため、四伝の告白が応援されるのも、まだ――まだまだ先になるのだった。