四月 第三章 触手と恋と約束と


第四話 恋心を伝えられて伝えて


 学校では当然だけど、里湖会長の探している触手の話題は広まっていなかった。里湖会長が何かをしているらしいという話はあるけれど、彼女は生徒会長だから、常にそういった噂には事欠かない。

 それでも、あの合宿・自由施設での事件が未解決であるとなれば、もっと話が広まっているのだけど、直接関わった私たち以外には詳しい情報は伝えられていない。第一生物部が関わったということは知っている人もいるけど、解決に導いたのは流れの探偵や里湖会長であると伝わっていて、私たちが手伝っていたことを知る人は少ないし、どんな手伝いをしていたかに至っては普通の生徒はまず知らないことだ。

 そして、その第一生物部は今は目立った活動はしていなくて、気が向いたら集まるだけの場所に戻っている。里湖会長に頼まれてから、毎日熱心に活動をしていたら、何かしら気付く人も出てくるだろうけど、二日程度では怪しむ者はほぼ現れなかった。

「何か……してる気がする……何かはわからないけど」

「晴虎、随分抽象的だねー。私も気のせいだっては言えない気がするけど」

 何かを察しているような察していないような、晴虎ちゃんと千草ちゃんは、私たちにそんなことを言ったけれど、それ以上の追及はなかった。二人には話してもいいのだけど、見えない相手に伝えるのは時間がかかる、ということで今は触手の話はしないことにしている。

 ちなみに、離れた席で私たちを眺めている男子たちの話題は、美少女四天王がなかよくなった原因を探るとかどうとかで、施設の不思議な現象はもう忘れ去られたらしい。

 なかよくなったといっても、私と成ちゃんと鞠帆ちゃんがなかよくなっただけで、鞠帆ちゃんと千草ちゃんと晴虎ちゃんの間にはまだまだ距離があるのだけど、ただのクラスメイトから、ちょっとだけ仲のよいクラスメイトには縮まっている。

 今日も私たちは第一生物部の部室に集まる。というより、寄るというのが正確で、話しやすい場所で鋭刃副会長から里湖会長の様子を聞くのが目的だ。

「鋭刃くん、会長はどうしてるの?」

「生徒会の仕事が終わってから、夜に毎日探しているよ。まだ肝心の触手は見つけられていないけど、手がかりなら、ほら」

 鋭刃くんが鞄から取り出したのは、綺麗な衣だった。姿を隠す効果がほとんど失われていない、新しい衣が机の上に広げられる。

「神尾塚の家の庭に落ちていたそうだよ。粉薄からの情報のおかげだね」

 どういった理由かはわからないけど、その衣を使う触手は神尾塚の家に現れることが多いようだ。粉薄ちゃんが忍び込んでいたように、衣に隠れて気配を隠して、神尾塚の家に忍び込んでいるのだろうか。

 何のために? と聞かれても答えられないし、考えてもわからない。忍び込むというのが目的だとすると、疑問だらけだ。

 そう考えると、その目的自体が間違っているのかもしれない。たまたまよく通る道が庭の上であるとか、あるいは、そう、神尾塚の家の誰かと会っているとか、そもそも他の場所――地上には探しても見つからなった衣が、簡単に見つかるというのも不思議な話だ。

「落とし主からの接触があればいいんだけど、そういったこともなくてね、里湖さんも様々な手を講じているのだけど、一人では困難だと判断したら、また君たちの手を貸してほしいと言っていたよ」

 鋭刃くんは小さく肩をすくめて、微笑みながらそう言った。

「一人でってことは、鋭刃も手伝ってないの?」

「ああ、触手探しに関してはね。生徒会の仕事は、時間の確保のために多少は引き受けてはいるけれど、それだけさ」

 成ちゃんが質問すると、鋭刃くんは繰り返すように肩をすくめて、今度は苦笑といっしょにそう答えた。

「里湖さんにしては珍しいことだよ。けど、そうしないといけない理由があるんだろうね」

 鋭刃くんは納得した様子で頷くけど、どういう理由なのかは聞いていないみたいだ。だからこれ以上の話は鋭刃くんからはなくて、今日の第一生物部の活動も終了するのだった。

 成ちゃんと並んで歩く、帰り道。

 私の肩のあたりにはンレィスもいて、少し離れた道の先では、頭に乗せた月星ちゃんと何やら楽しそうにしている鞠帆ちゃんの姿が見える。鞠帆ちゃんもいっしょにと思ったけど、彼女には断られてしまった。

「今日は遠慮しておく。月星とも話したいし、それに……」

 最後の言葉は言いかけで終わってしまったけれど、視線が成ちゃんの方を向いていたのと、小さく笑顔を見せていたのはわかった。どういった理由かはわからないけど、成ちゃんと何かあったのかもしれない。

 当の成ちゃんはというと、最初はちょっと困ったような顔をしていたけど、やがて納得した表情で小さく頷いていた。

「わたくしは……、見届け触手ですわね」

「何のこと?」

「さあ、なんでしょう?」

 自信満々に変なことを口にしたンレィスに、尋ねてはみたけど答えは教えてくれなかった。触手をすくませることもなく、堂々とはぐらかされたのである。

「灯、明日は土曜日だけど、予定はある?」

「予定? ううん、特にないよ」

「だったら、私といっしょに出かけましょう」

「うん。どこにいくの?」

 珍しくはない成ちゃんからのお誘いだけど、出かける場所を最初に言わないのは珍しい。

「それは、まだ固まってないから明日伝えるわ。ンレィスは……」

 成ちゃんは私の肩のあたりで、見届け触手とやらをしているンレィスに顔を向ける。

「ま、いいかしらね」

 何がいいのかはよくわからないけど、とにかく一人と一触の間には何らかの納得があったらしい。

 土曜日。

「灯ー、迎えにきたわよー!」

 朝ごはんも食べて身支度を終えた頃、成ちゃんが私の家にやってきた。インターホンを押してから、私が部屋を出て玄関に向かうのを見計らってかけられた元気な声に、私は玄関の扉を開けながら答える。

「おはよう、成ちゃん。どこにいくかは、決まった?」

「ええ、デートプランは完璧よ」

 小さく胸に手を添えて、成ちゃんは言った。

「デートなの?」

「デートよ。それも最後には告白つきのね」

「ふーん……告白?」

 にこにこしている楽しそうな成ちゃんに、私は小さく首を傾げていた。もしかして成ちゃんに彼氏ができたとか、だから私といっしょにいる時間も減るかもしれないとか、そういう告白だろうか?

 なんて考えたけど、そんな告白なら成ちゃんが嬉しそうにするはずがない。告白の内容は私には想像もできなかったけれど、とりあえず成ちゃんが楽しそうだからよしとしておいた。

 ンレィスはさっきから黙ったままで、触手の動きからも感情はほとんど読めない。今日も彼女は見届け触手でいるつもりらしく、傍にいるけど私たちの会話や行動には干渉する気がないみたいだ。

「じゃ、いきましょう。まずはあそこね」

 行き先を告げずに歩き出した成ちゃんに、私は大きな一歩を踏み出してついていく。玄関を出て成ちゃんが歩いていく道は東の方、あっちにあるのは色々だけど、「まず」という言葉から推測される有力候補は……。

 守月神社に到着した。

 予想していた通りの場所に、成ちゃんは私を連れていってくれた。

 境内をゆっくり歩く。ここまできたら私は成ちゃんのあとをついていくことはなく、成ちゃんの隣で参道の端を歩いている。

 ここからも見える神樹の大きな枝と葉を横目に、私たちは無言で歩き続ける。成ちゃんから差し出された手を握りながら、彼女の私よりほんのちょっとだけ小さい手の体温を感じる。どこか普段とはちょっと違う気がするけど、やっぱり今日がデートだからだろうか。

 しばらく歩くと、賽銭箱の前で箒を両手にお掃除をしている鞠帆ちゃんを見つけた。今日の月星ちゃんは頭の上じゃなくて、箒の上に太い足のような何本もの触手を器用に乗せて楽しそうにしている。

 少し前のようなぎこちなさはもうどこにもなくて、誰が見てもなかよしの一人と一触だ。……触手が見えないと、鞠帆ちゃん一人しか見えないのだけど。

 私たちに気付いたのか、ちらりとこちらを向いた鞠帆ちゃんは、私の顔は一瞬見ただけで、成ちゃんに視線を向けて怪訝そうな顔をしていた。まるで、「どうしてここにきたの?」と言いたげな顔だ。

「……なんでここにいるの?」

 そしてもうちょっと近付いて、大声を出さなくても声が届く距離になったところで、言いたげなことと似たような言葉を鞠帆ちゃんは口にした。

「神社にくるのに、理由がなくちゃだめ?」

「別に、いいんだけど」

 二人の会話はそれきりで、鞠帆ちゃんは黙々と境内を掃き掃きするのを再開した。箒を持っているから肩をすくめることはなかったけれど、やや呆れたような少し困ったような声は、小さく肩をすくめた姿がよく似合う声だった。

「ここ、恋愛成就のご利益はないから」

「そんなのしないわよ」

「そもそも、どんなご利益があるの?」

 成ちゃんのあっさりした答えに続いて、ふと気になったので尋ねてみる。巫女さん鞠帆ちゃんの巫女さん部分への質問だ。

「平穏、平和、安全祈願。主なところは、そんなところ」

「そうなんだ」

「ええ、それより……」

 鞠帆ちゃんは箒を両手に、成ちゃんをちらりと見る。視線を向けられた成ちゃんは小さく頷いて、私に向けて声を出した。

「灯、そろそろいきましょう。急ぎはしないけど、話し込んでいたら日が暮れちゃうわ」

「そうだね。デートなんだもんね?」

 デートというからには、成ちゃんは私を、私は成ちゃんを一番にするべきなのだ。鞠帆ちゃんとも話したいけど、今日は成ちゃんが優先されるのである。

 参道を引き返す間際、月星ちゃんとンレィスが触手を小さく振って、何かを分かり合ったような仕草を見せていた。何を分かり合ったのかは私にはわからないけど、傍にいた鞠帆ちゃんも得心のいった顔をしていたから、彼女にはわかっているのだろう。

 次に成ちゃんが向かったのは、守月神社の北の橋の方だった。

 少し前にも渡った木造の橋。ここを渡れば第一生物部のみんな――部長の里湖会長はいないけど――と恋凜さんと探偵さんとで二泊三日を過ごした合宿・自由施設に辿り着く。

 橋の上には誰の姿もない。橋の先にも人の姿はないし、触手の姿もない。ただ、私に見えるのは一個だけだったけど、そこには多くの閃穴があるみたいで、ンレィスは私たちから意識を逸らして橋の方に集中を向けていた。

「わたくしはここで待っていろ、と言うつもりですの?」

「あのね、私は触手じゃないんだから、そんなのを調べて予定を組めるわけないでしょ」

 ンレィスに触手を二本向けて問いかけられて、成ちゃんは呆れた顔で答えた。守月神社の月祭りで閃穴が増えていることは知っているけど、特に閃穴の多い場所が橋の上らしい。

 それにしても、成ちゃんも結構ンレィスの感情がわかるようになったみたいだ。私よりいっしょにいる時間は短いけど、私と成ちゃんはいつもいっしょで、私とンレィスも第一生物部に誘われてからはいっしょにいる時間が増えた。そうなると、成ちゃんとンレィスがいっしょにいる時間も自然に増えていく。

 前よりなかよくなった一人と一触の様子に私が微笑んでいると、成ちゃんは思い出したようにンレィスから視線を外すと、私の目をまっすぐに見て、手を軽く引いて言った。

「こんなことしてる時間はないわ。灯、こっちよ」

 成ちゃんは私の手を引いて、ゆっくりと橋の方に歩いていく。この速度だと橋の向こうまでずっと歩くとは思えないから、きっと行き先は橋の上か、そのちょっと先だ。

 成ちゃんは橋の中央で足を止めて、私を手招きしながら視線は湖に向ける。横目に見ている成ちゃんは黙ったままだけど、私も同じように湖に視線を向けた。

 私と成ちゃん、並んで二人で眺める湖は今日も綺麗だ。施設に向かうときはすぐに通り過ぎたから気付かなかったけど、立ち止まって見るここからの景色は湖の違った姿を私たちに見せてくれる。

 橋があるのは湖の下流の川の上で、平らで低い橋だから湖よりやや低い位置から眺めることになる。加えて、橋の欄干がちょっとした額縁みたいになって、絵になる風景だ。

「前に通ったとき、ここ、結構いい景色だと思ったのよね。高いところから湖の全景を眺めるのもいいけど、それとはまた違った味があるでしょう?」

「うん。新鮮だね。ずっと村に住んでいるけど、こんな景色があるなんて知らなかったよ」

 私が素直に同意を示すと、成ちゃんは私の方にちょっとだけ視線を寄せて言葉を続けた。

「私たちには、まだ見たことのない景色がいっぱいあるわ。この村の中にだって、村の外にはもっといっぱい、きっと知らない景色ばかりよ。私はね、そんな景色を一人じゃなくて、二人で眺めたい。灯といっしょに、色んなところにいって、この村の中だけだっていいし、村の外だっていい。灯といっしょなら、私はどこにでもついていけるから」

 いつの間にか、成ちゃんはまっすぐに私の顔を見つめていた。私も成ちゃんに視線を返して、次の言葉を待ちながら彼女の顔を見つめる。すると、成ちゃんはちょっと照れたように視線を斜め下に逸らしたけど、一瞬だけでまた視線は私の顔に戻ってきた。

「それで、ね。その景色は、ただのともだちとして見たいものじゃないの。親友としてでもないわ。私はね、えっと……」

 成ちゃんがここまで言い淀むのは珍しい。私以外の人に対してならたまにないわけじゃないけど、私に対してこんな成ちゃんを見るのは何年ぶりだろう。ひょっとすると、初めて会ったとき、ううん、それよりもっとあと、初等部の高学年か、中等部になったばかりの頃だ。

 あのときの成ちゃんは、いつもと様子が少し違っていた。私の顔を見て、手をつなぎたいって、つないでいっしょに学校へいこうって、そうお願いしたときだ。

 なんでそんなことにそこまで緊張するんだろう、出会ったばかりじゃなくて、幼馴染みとしてずっといっしょにいるのに、何となく手をつないで歩くこともときどきあったのに、そんな不思議を私は成ちゃんに尋ねたことはなかった。

 なぜなら、彼女がそんな態度を見せたのはその日だけで、翌日からはあっさりと「手をつなぎましょう」と言うようになったからだ。昨日の不思議は、そんな平然とした態度ですぐに薄れていったのだ。

 だけど、今なら一つだけわかる。今の成ちゃんと、あの日の成ちゃん、きっと、言い淀んで緊張している理由は同じなのだ。それがどんな理由なのか、それは全くわからない。

「うん。言うわ。灯、心の準備はいい?」

「それ、成ちゃんにだけ必要なものじゃないの?」

 私は微笑んでそう答えながら、しっかりと大きく頷いてみせた。

「……ま、そうだけど」

 成ちゃんは小さく笑って、呟く。それからまた真剣な顔に戻って、言葉を続けた。

「私はね、恋人として二人で景色を見たいの。灯といっしょに、二人きりで、色んな景色を並んで見たい。ともだちでも、親友でも、なくて、恋人として」

「それって……」

 何のことか、言葉の意味がわからないわけじゃない。突然のことに混乱して頭が追いつかないこともない。告白されたという事実にちょっと戸惑ってはいるけど、予告はちゃんとされていたから、言葉を受け取る準備は万端だったのだ。

「いつから? なんて、尋ねても意味ないかな?」

「そうね。いつからか、なんて断定できるものじゃないわ。だって、ずっといっしょにいたんですもの。でも、そうね、最近じゃないことは確かよ。何年も前からずっと、と言えるくらいではあると思うわ」

「そっか。うん、わかったよ」

 成ちゃんはそれくらい前から、私とそういう関係になりたいと思っていたのだ。それに私はずっと気付かなかったけど、成ちゃんはずっとそう思っていたのだ。

「ごめんね、成ちゃん。私、恋人にはなれないよ」

 だったら、告白までされたなら、成ちゃんを待たせるわけにはいかない。私は成ちゃんの表情が変わる前に、言葉の続きを話す。

「あのね、私、成ちゃんのことは好きだよ。でもね、そこに恋人になりたいって、恋心があるかって聞かれたら、わかんないの。私、そういうのまだよくわからないから、男の子が好きなのか、女の子も好きになれるのか、わかんない」

 成ちゃんの表情は変わらない。それはまるで、答えをわかっていたようにも見えるけど、成ちゃんも私もお互いのことを何でも知っているわけじゃない。だから、どこまでがわかっていたことで、どこからがわかっていないことなのかは、わからないのだ。

「そう。じゃあ、私はどうすればいい? この気持ち、忘れてと言っても無理よ?」

「そうだよね。だから成ちゃん、私、意識してみるから。女の子を――成ちゃんのことを恋の対象として好きになれるか、その間、成ちゃんがずっと同じ気持ちでいてくれるなら……」

 成ちゃんの表情が少し変わる。唾をごくりと飲み込んで、何かを期待するような、怖がっているような、けど、彼女はもう覚悟を決めているのだ。告白した瞬間には、もう答えを受け取る準備はしていたはずなのだから。

「そのときは、私から告白するよ。だから、待っててね。あまり待たせたくはないけど、きっとすぐにはわからないから」

 私は大きな笑顔で、成ちゃんに言った。

「……そう。私、灯のそういうところ、大好きよ。けど、同じ気持ちでいるのは無理かもしれないわね。だって、今のでもっと好きになったんだもの。待たせすぎると、気持ちが爆発しちゃうかもしれないから、大人になるまでには決めてほしいわね」

「大人って、いつ?」

「さあ? いつかしら?」

 成ちゃんは大きく肩をすくめて、私と同じくらい大きな笑顔で言った。

 大人っていつかはわからない。でもきっと、大人になる前には恋の答えは出るだろう。だって、本気で恋をしたことがなければ、大人にはなれないと思うから。それがどういう、誰に対しての恋かは、想像も大変だけれど。

「二人だけの世界、ですわね。今日はずっと、わたくしもいっしょに景色を見ていたのですけれど……野暮なことは言いませんわ。今日のわたくしは、見届け触手ですもの」

 そして、すっかり忘れていたンレィスの一声に、私と成ちゃんは顔を見合わせてくすりと笑うのだった。


前へ

触手がつなぐ、あらゆる関係。目次へ
夕暮れの冷風トップへ