ンレィスたちからの報告は、決定的ではないかもしれないけれど、唯一の手がかりを与えてくれた。
大きな情報を得た私たちは、第一生物部の部室を飛び出して、ピッツァカフェ ン・ロゥズに向かっていた。なぜかと思ったけれど、里湖会長の提案である。今日は少し生徒会の仕事と神尾塚の家の役目で遅れるから、学校よりそこに集まった方が早いのだという。
学校からン・ロゥズまではそんなに距離もないし、それだけならどっちでもいいと思うのだけど、店長の恋凜さんもいるし、そして第一生物部の部費でピッツァもごちそうしてくれると言われたら、断る者は誰もいないのである。
「ン・ロゥズの使用料と、相談料みたいなものですね。彼女も今回の件はご存知ですから、水だけでも長居は許してくれるでしょうが、遅くなってはみなさんの夕食に影響が出てしまいますから」
どれだけ遅れるかは告げなかったけれど、里湖会長は会長だから忙しいのだろう。その割に、鋭刃くんはお手伝いをしていないのが気になったけど、彼曰く、あれは里湖さんにしかできないことだから、とのことだ。
ンリァスちゃんが見つけた、綺麗な衣は、今は鋭刃くんが持っている。あれから効果はさらに弱まったようで、今は何の効果もないただの綺麗な柄の衣になっている。私たちの前に持ってきたときでさえ効果はほぼ失われていたから、私たち人間組にはそもそも話に聞いただけの効果なのだけど、四触も揃っていて勘違いをしてしまったわけではない、というのを理解するには十分な証明だった。
いつものように大きな両開きの扉を開けると、中から出てくるのもいつもの店員さん、ポニテのかわいらしい女の子だ。
「いらっしゃいませ。鋭刃先輩、里湖から話は聞いてます。ところで告白はまだしないんですか?」
いつもの態度――じゃなかった。彼女は脇目も振らずに鋭刃くんに近寄って、彼の目を正面から見つめてそんなことを言ったのだ。
「粉薄、君は今、お手伝い中じゃないのかい?」
「え? もう、鋭刃先輩、何言ってるんですか。私はここに修行にきているだけです。お手伝いはしていますが、それは対価でもないし、修行の一貫です」
ちら、とポニテの店員さんは私たちに視線を向けて、ぺこりと礼をした。
「私、上白粉薄〈かみしろ こはく〉。注文、決まった?」
唐突に話が店員と客のものになったけれど、あらかじめ頼むものを決めていた私たちは、マルゲリータを四枚注文した。里湖会長もあとでくるけど、いつくるかはわからないから今いる四人の分だけを頼む。
「はあ、鋭刃先輩、早く里湖会長と恋人になってください。そして、鋭刃先輩を寝取ってやれば、里湖も私のすごさに気付く!」
とても個性的な台詞を残して、ポニテの店員さん――上白粉薄ちゃんは注文を伝えにカウンターの奥に戻っていった。
今のがどういうことなのか、私たちの視線は鋭刃くんに集中する。鋭刃くんは大きく肩をすくめて、カウンターの方に視線を送りながら答えた。
「上白家は神尾塚の家の分家のようなものでね。家系を辿ると色々複雑なんだけど、ともかく僕や里湖さんと粉薄は幼馴染みなんだ。それで、彼女も口にしていたと思うけど、粉薄は恋凜さんから色々と教わっている最中でね。粉薄も変異種になるんだけど、変異種については、僕らも彼女ほど詳しくはないからね」
「そうなの? じゃあ、恋凜さんみたいに……」
カウンターの奥に消えた粉薄ちゃんの姿は見えない。
「いや、粉薄はそこまでじゃないよ。それより、僕たちだけでも話を進めておかないかい?」
鋭刃くんが笑って答えて、話を促す。他にも気になることはないわけじゃないけど、今はそうした方がよさそうだ。頼みを引き受けた以上、考えるのは里湖会長に任せきりというわけにはいかない。
マルゲリータが四枚焼けるまでは、まだもう少しの時間がかかる。鋭刃くんは取り出した綺麗な衣をテーブルの上に乗せて、優しく丁寧に広げる。
「あれ? なんだか小さくなってない?」
「ああ、そのようだね。力を失ってしまったから、分解が進んでいるのかもしれない」
それはもう衣と言うには小さいくらいの大きさになっていて、これを衣として使えるのはカブトムシくらいの小さめの甲虫くらいだろう。始業前に見せてもらった朝から夕方でこれだから、明日にはこの衣は消えてしまっているかもしれない。
「ふーん。これ、手がかりになるのかしら?」
「力が失われる速度から、衣ができた時期を推定することはできるかもしれないけど、数日前の足取りじゃ大して役に立たない」
鞠帆ちゃんの言葉に、私たちは小さく同意を示す。もっと多くの手がかりがあれば別だけど、今のところ見つかっている手がかりは、あの日に施設にいたことと、数日前に湖の中にいたこと、それから薬屋のおばあちゃんの写真もあるけど、撮影した日時はもっと昔で、行動の範囲や傾向を推定するには情報が少なすぎる。
「ンレィス、触手同士なら何かわからない?」
「そうですわね……、この衣を生み出した触手を見つければ、それが間違いないものかの判断は確実にできると思いますわ」
「見つけられたら、かあ」
それはそれで大事な確認だけど、見つけられなければどうしようもない。
私たちが悩んでいると、マルゲリータをお盆に乗せた恋凜さんと粉薄ちゃんがやってきた。
「みなさん、お悩みのようですね。話は粉薄ちゃんからも聞いていますが、珍しい触手のようですね。それが、気配を隠すという神秘のベールですか?」
「はい。恋凜さんに見覚えはありますか? それから、粉薄にも」
鋭刃くんが頷きながら、二人に尋ねる。
「こんな特徴的な衣なら、一度見たら忘れるはずがありませんね。私は記憶にないですが、粉薄ちゃんはいかがです?」
「うーん……んーと……この色、どこかで……」
何も見ていない様子の恋凜さんに、すぐには答えられない粉薄ちゃん。彼女はじっと小さくなった衣を見て、手にとって裏からも眺めている。
「あ、この前、神尾塚の家に忍び込んだときに、落ちてたのと同じ衣。何度か見たことがあるけど、これよりもっと何倍も大きいやつもあったと思う」
「どれくらい?」
「んーと、一番大きいのだと、これくらい?」
鋭刃くんに問われて、答えた粉薄ちゃんが腕を広げて大きさを示す。それは四人掛けのテーブルいっぱいに広がるくらいの大きさで、私たちが力が失われる前に見た衣を広げたものよりも一目でわかるくらいに大きかった。
私たちが見つけた、綺麗な衣が最大ではなかったのだ。だけどあの時点で力を残していた衣はサイズが縮小していないはずで、ンレィスたちが見つけたものも切れ端ではない。
「なるほど、そういうことですのね。二つの大きさの違う衣があって、どちらも使われていたとすれば、そんなことをする触手は一つしかありませんわ」
「切触種だね?」
「ええ、厳密には、変異種の可能性も否定はできないのですが、そんなものは特別すぎて手がかりから探すなんて無理ですわよ」
ンレィスの何もかもを理解したというような声に、私はちょっとも考えることなく、彼女に教わった知識を元に答える。
「それも、すっごい切触種?」
「その可能性もあるかもしれませんわね。少なくとも、普通の切触種であれば、ここまでの大きさの違いは出ないと思いますわ」
「ふふ、探偵顔負けですね。……それはいいのですが、ピッツァが冷めては私がちょっと悲しみます。いかがです、話の続きは食べてからでも?」
焼きたてのマルゲリータピッツァは、まだ熱を持ったままで二人のお盆の上に乗っかっていた。私たちは恋凜さんの言葉に大きく頷いて、まずはピッツァを食べることにするのだった。
とても美味しいピッツァを喉から胃に届けたところで、私たちは話を再開する。けれどその話はすぐに脱線して、神秘のベールに包まれた切触種の話をしていたのは最初の数十分だけだった。
里湖会長は未だやってこず、数十分が経過してもまだまだ話をする時間が残っていたのである。ポニテな店員の粉薄ちゃんは、他の客がいないこともあり、鋭刃くんの隣に椅子をもってきて座っている。……彼女なら、他の客がいても鋭刃くんがいれば同じことをやりそうだけど。それくらいに、彼女はわかりやすい素直な女の子だった。
「恋凜さんって、綺麗な女の人ですよね。やっぱり、恋の経験も豊富なんですか?」
ちなみにその脱線を始めたのは、誰あろう私である。一度、恋凜さんには聞いてみたかったことなのだ。名前にも恋という単語が入っていることだし、とは散々言われていそうだから、わざわざ私の口からは言うこともない。
「あら、興味がありますか? 私、恋愛に関しては哲学がありまして、里湖さんがくるまでのお暇を潰すくらいならできますよ」
微笑む恋凜さんの答えに、おおー、と私たちの一部から歓声が上がる。声を上げたのは私とンリァスちゃんと粉薄ちゃんの二人と一触だけど、成ちゃんやンレィスに月星ちゃんも興味津々のようだ。鞠帆ちゃんも興味はあるようだけど、他のみんなより興味は強くなさそうで、鋭刃くんは一人困ったような顔で椅子に座っていた。
「みなさん、恋愛の目的はどういうものがあると思いますか?」
こほんと咳を払ってから、恋凜さんが口を開く。その言葉は疑問形だけど、質問ではないとわかる声の調子だったので、わたしたちは誰も口を挟まず次の言葉を待つ。
「まず一つ目は、子作りですね。子孫繁栄、種の存続のため、人は恋をするのです。子供を作るだけならもっと単純な行為でよいのですが、刹那的に一人の子を産むより、恋する相手と何人もの子供を産んだ方が種が滅びる確率は大きく低下します」
そこで、恋凜さんはすっと目を細めて、小さく笑って、小さく肩をすくめてから言葉を続けた。
「しかし、今この世界にはとても多くの人類がいます。子供を作らない人間が全人類の半数に及んだとしても、何千万もの人間が残りますから、絶滅の可能性は元々かなり低いものであると考えます。何百年も昔ならいざ知らず、現代の人間には、恋の第一目的として絶対のものであるとは言えませんね。
そこで、二つ目の理由として考えられるのは、他社との共生による利益です。人が一人でできることには限界があります。かといって、ただ二人三人と集まっただけでは、利益が得られるとは限りません。互いの癖を知らない急造の野球チームで、いきなり阿吽の呼吸でプレーをすることはできませんよね。
けれど、恋をする相手となら、互いを知るのは当然のことです。なかよしの二人でいっしょに暮らせば、一人では解決できないことも容易く解決でき、大きな利益を得ることもできるでしょう」
そこで一旦言葉を区切った恋凜さんに、成ちゃんが一言を口にした。
「それはまた、随分と打算的ね」
「そうですね。けれど、恋愛にはそういう側面もあるのは否定できないでしょう。ただ、この二つの他にも、恋愛をする目的はあります。
三つ目は、その人といっしょにいることで、安心を得られることですね。人は精神が弱っているときは、なかなか力を発揮できないものです。けれど安心して、精神が強い状態にあれば、いつでも普段通りの力を、時には普段以上の力を発揮できるでしょう」
恋凜さんは大きく微笑んで、言葉を止めた。どうやらこれでお話は終わりらしい。
「それで、肝心の恋凜さんの恋愛経験はどうなんですか?」
そこで私が真っ先に口にしたのは、このことだった。それだけの恋愛哲学は実体験から生まれたものなのか、それとも、ただ考えただけなのか、どっちにしても勉強になる考え方だったけど、元々の私の質問は哲学を聞くことではない。
「みなさんよりはあるかもしれませんが、どうでしょうね。幼い頃から好きな人が傍にいて、ずっと恋をし続けている方もいらっしゃいますし、回数では勝るかもしれませんが、年数では私などまだまだかもしれません」
恋凜さんの年齢は知らないけど、まだ彼女も若いはずだ。それなら確かに、そういう恋をしている人たちの方が長いかもしれない。
「恋なんて、回数や年数で測れるものじゃないわよ。質と量なら、量より質が圧倒的に大事なのが恋愛ってものじゃないかしら?」
「そうだね。数を重ねることで鍛えられるものもあるだろうけど、それが単なる淡い恋心なら、真に恋をしたときにはほとんど役に立たないはずさ」
成ちゃんと鋭刃くんが恋凜さんの言葉に応えた。続いて粉薄ちゃんも何か言うのかなと思ったけど、彼女は二人の言葉に何かを考えているようだった。
そんな話も一区切りがついて、待たされてることが退屈になったのかンリァスちゃんがぴょこぴょこ動き出した頃、里湖会長が扉を開けてン・ロゥズにやってっきた。
彼女は優雅な足取りで店内を歩いて、私たちの顔を見回しながら声を発する。
「みなさん、お待たせしましたね。お話は、鋭刃がまとめてくれていると思いますが、読み上げてもらえますか? 他のみなさんは、気になるところがあれば遠慮なく指摘してください」
席に腰を下ろすまでに、里湖会長は的確に指示を出して話を進めてしまう。
「じゃあ、始めるよ。里湖さんはいいとして、みんなも準備はいいね?」
私たちが頷くのを待って、鋭刃くんはここで話したことをまとめて、里湖会長に口頭で伝えていった。特にメモをしていた様子は見えなかったけれど、ほとんどが頭の中に入っているらしく、私たちからの間違いの指摘や追加情報の補足はほとんどなかった。
全てを聞いた里湖会長は、大きく頷いて、笑顔を見せた。
「進展ですね。あとは、私にお任せください。みなさんにも協力してもらうことはまだあると思いますが、考えるのは私の役目ですから。……それに、呼んだ彼らが到着するのは、もっと遅い時間になるでしょうから」
彼女が誰のことを言っているのかは、私たちにも難なく想像できた。里湖会長と探偵さんの会話がどうなるのかが気にならないわけではないけど、もう時刻はすっかり夕方だ。月だってもうすぐ輝いて見えることだろう。
私たちは里湖会長の言葉に甘えて、残りは彼女に任せることにした。
意外だったのは、鋭刃くんも家の用事があるからと帰宅したことだけど、里湖会長は笑顔で送り出したから始めからそういう予定だったのだろう。
「神秘のベール――綺麗な衣に姿を隠す切触種。情報はきっと、十分なはずです。さあ、待っていてもいなくても、私が見つけます」
最後に里湖会長が口にした決意は、大きな声ではなかったけれど私たちの耳にも届いた。あんな会長の姿を見るのは新鮮で、それは鋭刃くんにも同じだったらしく、彼はやや嬉しそうな顔で慕う相手の顔を遠くから眺めていた。
その感情がどういうものなのか、私は直接聞いたことはないけれど……。彼と接してこれだけの時間が経てば、そしてさっきの恋凜さんの言葉への反応を見れば、それが恋愛感情であることは私にも察することができる。
そして、同じく恋凜さんの言葉に反応した、成ちゃん。彼女もきっと、誰かに恋をしているのだ。私に話せない誰かのことを、私から尋ねることはしない。
いつもと変わらない様子の成ちゃんの横顔を見て、私は小さく笑うのだった。その笑顔はきっと、成ちゃんには見られていないはずで、だけど隣を歩く鞠帆ちゃんにはよく見えていて、彼女が私を見て大きく肩をすくめたのが不思議だった。
……私、何か気になることでもしたのかな?
おまけでついていた苦笑いと、ため息にならないくらいに吐き出された息の意味もわからないまま、私はそんなことを思いつつ首をかしげるのだった。