四月 第二章 四つの触手


第四話 四つの閃穴


 合宿二日目。

 夜が明けて、今日は丸一日を自由に使える合宿の本番だ。女の子の部屋では鞠帆ちゃんと月星ちゃんが一番に起きて、私と成ちゃんは少しあとにいっしょに目を覚ます。起きたらンレィスに声をかけると、彼女も目を開けるのはいつもの日常だ。

 ンリァスちゃんは私たちが起きるより前に動き出したらしく、窓際で一触佇んでいる。声をかけても生返事だから、完全に覚醒はしていないのかもしれない。

 ちなみに、恋凜さんは教員用の部屋で寝ているからここにはいない。だけどきっともう目を覚まして、私たちの朝食を準備してくれているに違いない。

「……んー。やっぱ、あそこのも復活してるね。それから、遠いけどよく見たらあっちも」

 ぼんやりしていたンリァスちゃんがそう言ったのは、私たちが身支度を終えた頃だった。

「そうですの。灯、一つは窓から見えるあそこの木の葉の中、遠い方は微かに見える運動施設の側面ですわ」

 閃穴の話をしているのはわかったけど、私たちには窓から見たところで認識はできない。でも、すかさず触手で場所を指し示してくれたンレィスのおかげで大体の位置は把握できた。

「もう一個は露天風呂の屋根の上にあるのよね」

「うん。これで全部?」

「昨日案内されたのは、もう一か所ありますわ。どうですの?」

 私からンレィス、ンレィスからンリァスちゃんに質問が飛んで、昨日の夜にどこかへ消えた彼女がすぐさま答える。

「場所は管理人室のすぐ外、窓の上の屋根の下だよ。あたしが昨日見た限りだと、あれも復活してるよ。これで四つとも全部だね」

「ふーん。食べ放題ね」

 成ちゃんがそう言うと、月星ちゃんが小さく頷いて、ンレィスは小さく触手をすくめた。

 食堂に降りると、恋凜さんが笑顔で出迎えてくれた。席には鋭刃くんの姿があるだけで、彼がいるなら起きているはずの正五さんや氷河さんの姿はない。

 一人と一触が戻ってきたのは、恋凜さんが完成した料理を食卓に並べ終える直前で、帰ってくるなり彼は私たちに一声かけた。

「君たちも気付いているに違いないが、この目で閃穴を確認してきた。氷河が見落とすことはないとはいえ、どこに原因があるかはまだ推理中だからな」

「我は情報を集めるだけで、推理は我が友である正五の役目だからね」

 正五さんにくっついていた氷河さんが言い終えた頃には、正五さんはするりと食堂の中を抜けて、今朝も美味しそうな料理の盛られた皿の前の席に腰を下ろしていた。

 そのまま話の続きが始まることはなく、正五さんは料理を食べながら、昨日と同じようにときどき感想を口にする。恋凜さんがそれに一言二言返して、再び正五さんは料理を口に運ぶ。

 私たちもいっしょに朝食を食べて、みんながすっかり料理を食べ終わった頃、正五さんはナプキンで口を丁寧に拭いながら私たちに目配せした。ついでに恋凜さんにも目配せをしたけど、返ってきた答えはこの一言だ。

「デザートなら、お昼を楽しみにしていてください」

「……そうか」

 声には残念さはなかったけれど、少しの間があったことで残念な気持ちは伝わってくる。

「さて、口を拭いている間に推理はまとまった。話させてもらおう」

「食べてる間じゃないんですね」

「食べるときは食べることに集中すべきだ。集中して一旦頭から離れた事件の情報を、改めて整理することで推理は捗る。そういうものだ。で?」

 改めての確認に、私と成ちゃんは大きく頷く。鞠帆ちゃんは少し考える仕草を見せてから頷いて、代表のような立場の鋭刃くんはまとめるように一言。

「問題ありません。僕たちに話す必要があることなんでしょう?」

 もちろん、ンレィスやンリァスちゃんも頷くような触手の動きを見せて、月星ちゃんは鞠帆ちゃんより一瞬早く頷いていた。

「そうか。君たちには少し試してほしいことがある。触手の者たちに閃穴を食べてもらい、次に閃穴が復活するまでの時間を計ってもらいたい」

 言いながら、正五さんは三つのストップウォッチをテーブルの上に差し出した。見た目だけでの判断だけど、安物ではなくちゃんとした高性能なストップウォッチのようだ。

「時計があれば時計でもいいのだが、こちらの方が正確だからな。もっとも、計るのが人間である以上、数秒の誤差はあるかもしれないが、少なくとも勘違いによる計測ミスは起こらないだろう」

 それから、正五さんは私たちにそれぞれの担当の場所を指示する。私とンレィスは遠くの運動施設の側面、鞠帆ちゃんと月星ちゃんは女湯の露天風呂の屋根の上、鋭刃くんとンリァスちゃんは管理人室のすぐ外の窓の上の屋根の下、そして正五さんが部屋の窓から見えた木の葉の中を調べるそうだ。

「わたくしたちが一番遠いですわね」

「そうだね。同じ時間じゃなくてもいいんですよね?」

「ああ、確実にストップウォッチを操作して、記録さえしてくれればいい」

 こうして私たちは四手に分かれて、それぞれの場所へ調査に向かうことになった。私とンレィスには、成ちゃんも当然いっしょについてきてくれる。

「運動施設の側面って、具体的にはどのあたり?」

 玄関を出る直前、成ちゃんがンレィスに尋ねる。鋭刃くんとは廊下で分かれて、正五さんはそちらの方が近いというので裏口から、鞠帆ちゃんはお風呂に向かうので食堂から別行動だ。今頃、鍵を持っている恋凜さんといっしょに露天風呂に向かっていると思う。

「ここから外周に沿って歩けば、すぐに見えてくると思いますわ。角度もちょうど、見える位置にありますの」

 彼女の言葉通りに、歩いていくと次第にはっきりとした閃穴が見えてきた。といっても私たちに見える角度は決まっているから、そこから少し動くとまた見えなくなる――のが普通なのだけど、ちょうど私たちの目線の高さにあるためか、ある程度近付くまでは私にも成ちゃんにもそれを確認し続けることができた。

 閃穴は小さな窓くらいの大きさで、近付くとンレィスが触手を伸ばして準備する。私はストップウォッチを片手に、成ちゃんに合図する。ここまで近付いたら見えているのは私だけで、成ちゃんには見えていないけど、閃穴は移動しないから大体の位置はわかっている。

「では、いきますわよ。灯、準備はいいですわね?」

「うん、完了してるよ」

 その答えを合図に、ンレィスは閃穴に触手を伸ばして光を吸収する。その瞬間、私はストップウォッチのボタンを押して、計測を開始する。

「復活するまで、ここに立っていればいいのかな?」

「わたくしが確認しますから、灯たちはここから遠く離れなければ大丈夫ですわ。私が押せればいいのですけれど、それは人間用に作られたものですから、少し操作が大変ですの。やろうと思えばできないことはありませんが、誤差が許されるなら問題ないでしょう」

「じゃあ、私たちはそこのベンチで休んでるね」

「立って見張っているのは疲れるものね。合図は決めておきましょう」

「でしたら……」

 決めた合図は、ンレィスが長い触手を二本伸ばして頭上でバッテンの形を作るというものだった。彼女は閃穴のあった場所の傍に浮遊して、そこから合図を送る。数メートル離れたベンチに座る私たちにも見落としがない、わかりやすい合図だ。

 運動施設の側面ということもあって、ベンチの傍には草があまり生えておらず、踏み均された土が広がっている。きっと走り込みなどで何度も使われているのだろう。

「で、何時間待てばいいのかしら?」

「天気もいいし、日向ぼっこになるくらいの時間だといいね」

「そうね。日焼けしない程度に太陽の光を浴びましょう」

 私と成ちゃんはベンチに隣り合って腰を下ろし、春の日差しを浴びながらゆっくりと時間を過ごす。春の日差しは暖かくて、今日は風も弱いから肌寒さも感じない。

 これが合宿の本番でもある夏になると、いくら涼しい北海道といえどそれなりの暑さになるのだろうけど、今なら心地よさだけがここにはある。そう、少し眠たくなっちゃうくらいの、日向ぼっこに最適な空間なのだ。

 とはいえ、ここは休憩用の簡易なベンチで、うたた寝するにはちょっと座り心地が悪い。私の肩に頭を乗せて寄り添っている成ちゃんの体は柔らかいけど、右側だけで左側は空っぽだ。

「……あれ? 成ちゃん、寝てない?」

「……んー? ……寝てないわよ」

 明らかに答えが遅かった。ストップウォッチを持っているのは私だし、私がちゃんと起きていればいいのだけど、成ちゃんが寝てしまうと私もつられて眠たくなってしまう。

「……ねえ、灯、私、ひざまくらしてほしい。……寝ないから」

「だめだよ、成ちゃん。こんなところでひざまくらしたら、体が痛くなるよ?」

「じゃあ、ンレィスにマッサージでもしてもらうわ。灯でもいいけど……そうしたら灯が疲れるでしょう?」

 話している間に、少しずつ成ちゃんの言葉が途切れなくなってくる。話していると私も眠くならないし、ンレィスの様子を見ながら私は言葉を続ける。

「もう。ほら、成ちゃん、ひざまくらならあとで部屋に戻ったらしてあげるから」

「……布団の中なら、うでまくらがいい」

「やだよ。それ、疲れるもん」

「じゃ、灯を抱き枕にして寝る。そうしたら最高の気分よ」

 成ちゃんはあくびをしながら、私の肩から頭を離す。あくびは眠たいときにするというけれど、大きく酸素を取り込んで集中するためにするものでもあるらしい。

「どうしようかなー。鞠帆ちゃんもいるし、ちょっと恥ずかしいかも」

「なら、鞠帆も混ぜればいいわ。その場合、灯を二人で挟むか、灯の隣を独占するかが悩みどころね。どっちがいい?」

「どっちでもいい……あ」

 お話している間に、ンレィスが動きを見せた。長く伸ばした二本の触手が頭上でバッテンの形を作っていく。その形が完成する瞬間に、私はストップウォッチのボタンを押した。

 止まった時間を二人で確認すると、時間は三十分とコンマ数秒を示している。

「成ちゃん」

「ええ、そうね。戻るわ」

 ふよふよとンレィスが飛んできて、私の肩のあたりに浮かびながら言った。

「成が眠そうにしていましたけど、ちゃんと計れましたの?」

「うん。私は起きてたから、大丈夫だよ」

「だったら問題ないですわね」

 無事に計測を終えた私たちは、並んで食堂に戻ることにする。

 食堂に着くと、既に計測を終えたみんなが席に座って待っていた。私たちが最後だと思ったけど、戻っているのは鋭刃くんとンリァスちゃん、正五さんと氷河さんだけで、鞠帆ちゃんと月星ちゃんの姿はまだなかった。

「時間の確認をしたい。ストップウォッチはそのままにしてあるな?」

「はい。これです」

「……ふむ」

 三十分とコンマ数秒が表示されたストップウォッチを受け取った正五さんは、あまり見ない独特な形の手帳にそれをメモしていく。

「やはり、この時間でほぼ間違いないようだな。だが、どうだ?」

 正五さんはンレィスに視線を向けて聞く。

「少し離れたら、感知はしにくくなりましたわね。近くにいればはっきりと確認できますが、遠くからはわかりにくい閃穴なのでしょう」

「そういった閃穴もたまにあるけど、復活までするのは珍しすぎるよねー」

 ンレィスに続いて、ンリァスちゃんも声を発する。私たちにはわからないけど、どうやら相当珍しい閃穴らしい。

 しばらくして、ついでに露天風呂を楽しんでいたという鞠帆ちゃんたちが戻ってきて、彼女の出したストップウォッチも時間は約三十分を示していた。お風呂は恋凜さんも楽しんでいたようで、二人ともほこほこしている。月星ちゃんも楽しんだそうだけど、触手はお風呂に使ってもふやけないし、ほこほこもしないから見た目には変化がない。

「……なんかずるい」

「あなたも日向ぼっこを楽しんだじゃない。……いえ、確かに灯には、ずるいと感じても仕方ないわね。もう一人の女の子には、至福の時間だったかもしれないけど」

「かも、じゃなくて、至福の時間だったわよ」

 私には小さく肩をすくめてから、成ちゃんには皮肉っぽく言う鞠帆ちゃんに、言われた成ちゃんは堂々と答える。成ちゃんが幸せなら私も嬉しいけど、一人――正確には二人と一触だけど――だけ露天風呂を楽しんだこととは話が別だ。

「よし、記録は完了だ。多少の誤差はあるが、全て三十分で復活するものだと考えていいだろう。次は……ああ、デザートだな」

 推理や調査の続きをするのかと思ったら、正五さんの口から出たのは別の言葉だった。

「ホールケーキの下準備は完了していますよ。素材の関係で、イチゴのない生クリームだけのショートケーキですけれど、それからお昼はたこ焼きです」

「……恋凜さんって、大阪出身ですか?」

 ホールケーキを作っていたことにも驚きだけど、お好み焼きからのたこ焼きには、ついそう尋ねたくなる。この施設の厨房もちょっと覗いたけれど、たこ焼き器はなかったはずだ。

「いえいえ、北海道生まれの地球育ちですよ。ふふ」

 笑顔の恋凜さんに、私たちからそれ以上の質問が飛ぶことはなかった。日本じゃなくて地球というのに突っ込みたくなったけれど、恋凜さんが持ってきたホールケーキに私たちの興味が奪われたのだ。

 恋凜さんはケーキを取り分けて、私たちがそれを食べている間にたこ焼きを焼くつもりらしい。食事とデザートの順序が逆な気はしつつも、甘いものが食べたい私たちにはケーキへ伸びる手を止めることはできなかった。少しくらい置いていても問題なくても、目の前にこんなに美味しそうなケーキを置かれて、我慢しろというのは無理な話だ。

「うん、やはりこの生クリームは絶品だね。里湖さんでも、ここまでのはなかなか……」

「レシピも忘れずに尋ねるとしよう。……いや、帰り際にまとめてもらった方がいいか?」

 鋭刃くんや正五さんも大満足のケーキを食べ終えて、私たちの前に運ばれてきたのは大きなたこ焼きが山のように積まれた大皿だった。

 マウンテンたこ焼きの見た目に嘆息してしまったけど、冷静に見るとそんなにたこ焼きの数は多くなくて、山の中心はネギでかさ増しされているだけだった。上からかけられたソースは流れる溶岩のようにたこ焼きにまんべんなくかかり、その上では樹々の葉が揺れるようにかつお節が躍っている。てっぺんから広がるように振りかけられた青のりは、色違いの雪だ。

 その山を崩さないように、恋凜さんは素早い動きでたこ焼きを取り分けていく。山の中に埋もれていたネギも綺麗に添えられて、見た目と運びやすさと、ソースやかつお節などの調味料やトッピングにもムラがない、全てが計算された絶妙な盛り方だったとわかる。

 けれども、あの手が見えないくらいの素早い取り分けができないと、この料理は成立しないだろう。

「……これは、レシピを聞くだけでは意味がないな」

 それは正五さんが運ばれてきたマウンテンたこ焼きを一目見た直後に呟いた、その一言でも証明されていた。

 食後。

 正五さんはナプキンで口を拭ってから、進展した推理を聞かせてくれた。

「施設の周辺にある四つの閃穴は、連動した一つの閃穴であると考えられる。そこで、俺と君たちで、四つの閃穴を同時にふさごうと思う。おそらく、それで今回の件は解決するはずだ」

 短いけれど、決定的な推理を正五さんは口にした。

「できれば今すぐに、と言いたいのだけど、我も満腹でね」

 正五さんの首筋からすっと伸びた、氷河さんが葉っぱのような触手を静かに揺らしながら言う。

「わたくしもですわ。あれは栄養がありますもの」

「……うん。すぐは、食べれない」

「あたしはいけるよ! ンリァスちゃんはヒロインだから、変身にはパワーが必要なの」

 ンレィスに続いて、月星ちゃんもはっきりと声にして言った。ンリァスちゃんは触手の中でも大食いなのかまだいけるらしいけど、他の三触が食べられないとなれば答えは見えている。

「ということで、行うのは今夜にしたいと思う。触手の皆は問題ないと見るが、君たちも問題はないか?」

「僕たちなら、問題はないです。元々そのつもりできていますし、ただ……」

 私たちの表情をざっと見回して、代表する鋭刃くんが答えた。彼が最後の言葉を言い切る前に、正五さんは大きく頷いて注文に答えた。

「午後六時、月が昇り始めた頃に行う。深夜にはならないし、温泉に入る時間もある。それでどうだ?」

「だったら、文句はもうないです。みんなも、問題ないかな?」

 念のために言葉でも確認する鋭刃くんに、私たちは揃って頷きを返すのだった。


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