全ての七不思議は解明された。だが、湯木原浴衣にはもっと大事なことが残っている。観察している間もぼんやり考えていた、自分と恋人と幼馴染みのこれからの関係。
「私たちの母君と違い、二人の少女は家に関しては自由よの。愛する弟はどんな関係を望むのかや?」
姉はそう言った。話すまでもなく様子から察しての、先制アドバイス。
「なんですか? いちまんねん独身みたいな私へのあてつけですか?」
女神はそう言った。笑顔で冗談混じりに前置きしてから、真面目アドバイス。
「私の役目は見守ること。願いを叶えることではありませんが、神様ですから願いを知ることはできます。浴衣さんの望みと、茜さんの望み、オルハさんの望み――三人の望みはどれか一つしか選べないような、ぶつかり合うものではないですね。こと恋愛に関しては」
「孫ができるのか先か、浴衣に妹ができるのが先か、勝負する?」
母はそう言った。迷わず聞き流した。
(長引かせるわけにはいかないよな)
そして浴衣は考えた。これからの関係を、自分がどうしたいのか。
(俺は茜とも、織羽ともずっと一緒にいたい)
それだけはわかっている。考え始めたその瞬間から、わかっていた。
でも。
どういう関係で。
恋人として?
幼馴染みとして?
その答えはすぐには出なかった。だからこそ考える時間が必要だった。
そして浴衣は考えた。自分がどんな関係を、二人がどんな関係を望むのか。
「茜、織羽」
浴衣は二人の名前を呼ぶ。
「なーに?」
「ゆかたん、するの?」
魂流図書美術博物館。五葉カフェの裏。いつもの場所の、いつもはあまり行かない場所。緋色茜と金藤織羽を――恋人と幼馴染みを集めて、湯木原浴衣は声を発した。
気楽に変化を楽しむ茜に、関係の変化を恐れるオルハ。今の浴衣には、二人の感情も何となくわかる。もちろん茜もオルハのことを、オルハも茜のことを理解していて、おそらくは自分の気持ちも何となく理解されているのだろう。
「恋人でもなく、幼馴染みでもなく、俺は君たちとずっと一緒にいたいと思っている」
素直に、単刀直入に。今度は先には言わせない。読ませない。
「俺たち三人だけの、言葉にできない恋愛関係――俺が望むのはそれだけだ」
そしてまっすぐに。茜とオルハの顔を、二人まとめて視界の中心に入れて浴衣は言った。
「私たち三人だけの、口では言えないえっちなことばかりする関係――私が望むのは」
「それだけなら、さっきの言葉は撤回する」
「む。浴衣くんもやるようになったね!」
茜は笑みを浮かべる。浴衣も笑みを返して、言葉も返した。
「君を驚かせてみせるって、言ったからな」
もうこの程度では、雰囲気は壊れない。壊させない。
「私も一緒の、恋愛関係?」
「もちろん」
今度はオルハから。浴衣はすぐに大きく頷いた。
「ゆかたんは、私のことを好きになれる? ゆかたんが望む劇的な出会いは、私にはない。遠い銀河からやってきた、その事実を明かしたのも随分あとのこと」
「織羽」
目を逸らしそうになりながらも、何とか視線を留めている幼馴染みの両肩に触れる。このまま抱き寄せる勇気も、今なら出せる。
「俺は同情でこんなことが言えるほど、緩い恋愛は求めてないから」
幼馴染みを抱き寄せて、しかし抱き締める勇気はなかった微妙な体勢で、浴衣は言った。
「幼い頃に出会った可愛い女の子が、こんなに綺麗に成長して、ずっと一緒にいてくれる。俺たちにとっては当たり前でも、それだけで十分劇的な展開じゃないか」
「ゆか、たん……」
微笑む浴衣の顔を、オルハは見上げて目と目を合わせる。
「茜とはまた違う感覚だけど、好きだよ、織羽」
「うん」
はっきりと口にされた言葉。オルハはゆっくり目をつむって、ほんのちょっとだけ背伸びをして、大好きな言葉にできない恋愛関係の顔に自分の顔を近づけて……、
「ちょっと待ったー!」
(横から!)
それを同じく言葉にできない恋愛関係である、茜が引き離した。両腕伸ばして浴衣を全力で突き飛ばすという、なかなかに豪快な手段で。浴衣は咄嗟に腕を離して、オルハを巻き込まないようにするのが精一杯だった。
「オルハちゃん、今キスしようとしてたでしょ!」
「今の私とゆかたんは、キスしていけない関係じゃない。茜もしたければ、すればいい」
「そうだけど、浴衣くんに先に告白されたのは私なんだよ! だから、キスもその、私が先にしたいなー」
転んではいないもののそこそこ吹き飛ばされた浴衣に、視線を送る茜。
「引き離すにも程度ってものが」
「でも茜より、私の方がゆかたんのことを好き。気付くのがちょっと遅かっただけ。ちょっと前まで恋する気持ちもわからなかった茜に、時間も深さも負けてない」
浴衣の言葉はオルハの言葉にあっさり掻き消された。
「そりゃ、確かにそれでは勝てないけど……今は恋する気持ちもわかるし、そうじゃなかったらこんなことしないし」
掻き消されたと思った言葉は届いていたのか、茜はゆっくりと浴衣の方に歩いていく。転んではいないが手を伸ばして、同じく伸ばされた浴衣の腕をぐいと引いて顔を寄せる。
「えい」
「ふむっ」
「あ!」
不意の口づけ。ほんの一瞬のキスだったが、はっきりと伝わる唇の感触。
「ふふ、油断したね! これでファーストキスは私のものだよ!」
勝ち誇った笑みを浮かべる茜を、オルハは悔しさを込めた瞳でじっと見ていたが、ふと表情が和らいだ。そして次に浮かんだのは、こちらも勝ち誇った微笑み。
「残念。ファーストキスなら、私がずっと昔にもらってる。ゆかたんも覚えてる」
「あ、ずるい! 前は覚えてないって言ったのに!」
「覚えてないけど、思い出した。それだけ」
「むー。でも、それはこういう関係になる前のキスだよね。こういう関係ってどういう関係か言葉にはできないけど、そういう意味では私の勝ちだよ」
「……この」
(織羽が怒るの珍しいな)
それもこれだけ感情を剥き出しにして。もちろん、異銀河人と判明する前にはよく見られた光景だが、判明してからは初めて見る姿だ。恋する幼馴染みが演技じゃなかったのなら、これもきっと彼女の素なのだろう。
浴衣からの優しい視線に気付いたオルハは、笑顔を見せて彼に駆け寄る。
「ん」
「ふむっ」
そのまま背伸びしての、不意の口づけ。二度目のキスは、さっきより少し長かった。
「ふーん。積極的だねオルハちゃん」
「私もこの、三人だけの関係は好き。でも茜に勝ち誇られるのは、好きじゃない」
「私も好きだよ、この関係。でも悪の組織の一人娘として、正義の味方の先祖にまで負けられないの。ついでに一人の女の子としても、負けないよ」
「砕き潰されたい?」
「あはは、遠慮しとく。そっちはまだ動かないよ」
どうやらそっちの争いはしばらく心配無用らしい。問題はこっちの争いである。今日は穏やかに終われるかと思ったが、やはり劇的な恋はいつも簡単には終わらない。
「はい、証拠だよ。ちゅっ!」
「ひゃむっ」
唐突に接近した茜。身構えるオルハ。その一瞬の硬直で、茜はオルハの唇を奪っていた。
「な、何を」オルハが動揺した声を響かせる。
「ん? 私たちの関係は三人だから、こういうのもしていいんだよね?」
茜に視線を飛ばされて、浴衣は呆れた顔で答える。
「茜がしたいなら。でも、子作りはしないからな」
「私まだ何も言ってないのに。本当はしたいんでしょー、浴衣くん?」
「……ゆかたんがしたい、なら」
「繰り返されると我慢できなくなるから、それくらいにしてもらえると助かる」
浴衣の真剣な言葉に、茜とオルハは顔を見合わせる。二人の少女は微笑み、頷き、とりあえずこの場は穏やかに落ち着くのだった。