緋色の茜と金のオルハ

十三 魔女と女神と血を引く少年


 オルハから話を聞いて、再び休日に集まった四人。待ち合わせ場所は図書美術博物館広場の彫像前。時刻は午前十時。今回は朝からの調査である。

「手伝うのはいいけど、魔衣さん」

「お姉様とはまだ呼んでくれぬよの」

「これで修行になってるのか?」

「問題はないよの。詳しく話してもよいが……」

 それなりの時間がかかるよの、という意味を込めた視線と表情を察知して、浴衣はゆっくりと首を横に振る。

「氷の精は意外と一般的な現象だったけど、他はどうかな?」

「それは未来基準で? それとも茜の基準か?」

「ん、未来基準だよ。彼女から彼氏に手取り足取り、三時間説明してあげよっか?」

 浴衣は手取り足取りと言い始めたところで、素早く首を横に振っていた。三時間という時間を聞くまでもなく、楽しそうな茜の声や表情から短い話でないのはすぐにわかる。

「それで、調べる内容は?」

「その前に、まだ全員揃ってないよの」

 魔衣は答えて彫像の前に立つと、軽く彫像をノックする。

 数秒後。

「お待たせしました」

 声とともに図書美術博物館広場の入口からやってきたのは、魔衣の呼んだラフィェリータだった。今日は大きい方の少女ラフィェリータである。

(今どこから出てきたんだ)

「ふふ、女神ですからこれくらいの距離なら空間転移で簡単ですよ」

 浴衣が疑問に思ったのと同時に、ラフィェリータは自ら答えを明かす。実際に空間転移をしたのか、元々あの場所にいて彫像を叩く音を聞き取ったのではないか、茜やオルハは浴衣とは別の疑問を覚えていたが、誰も真実を尋ねることはなかった。

 女神様ができることにいちいち理由を求めていては、神話など読めないし、神話を体験することなどもっとできないのである。

「ラフィェリータも知らない七不思議って、いくつあるんだ?」

 五人揃って出かける前に、浴衣が女神に尋ねる。

「聖地アクセイについては、私も詳しくないですね。他は……ちょっと判断に迷うのもありますが、二つくらいでしょうか」

 判明した七不思議は、『一、彫像の下の秘密基地。二、街の空に浮かぶUFO。三、断崖に暮らす氷の精。四、握清高校に浮かぶ淡く明るい小さな光。五、埋もれたコンサートホールの怪。六、フレッシュ図書美術博物館の不思議。七、聖地アクセイの謎』のうち、一、二、三、五の四つ。判断に迷うという七不思議は、消去法で四と六の二つと確定される。

「つまり、残り全部?」

「はい」

 念のために確認した浴衣に、ラフィェリータは神々しい微笑みを浮かべて頷いた。

 図書美術博物館の広場から、五人は揃って移動を開始する。移動場所はここからすぐ近くの五葉カフェである。

 休日は普段より人の多い図書美術博物館だが、今週の休みは三連休。一日多いと遠出する人も増えるため、今日は休日にしては人が少ない。図書美術博物館について調べるには、うってつけの連休である。

「やはり、直接聞いてみるのが一番よの」

 魔衣がそう言ったのは移動する直前。フレッシュ図書美術博物館の不思議を探るには、現在の図書美術博物館の司書学芸員に直接聞くのが早い。それもなるべく、深いところまで。

「五葉カフェで働き始めた理由?」

「うむ。採用方法など、おかしなところはなかったかの?」

 興味のある魔衣と茜が質問をして、残りの三人は持ち帰りのクッキーを注文しながら様子を見る。基本的には付き添いで、彼らが頭を働かせるのは聞き込みの結果に対してである。

 最初に尋ねたのは、東山椛。二十二歳と図書美術博物館の関係者では最も若い女性だ。

「おかしなところはなかったですけど、募集して応募してという形ではなかったですね。図書館で本を読んでいたら新井さん――館長に声をかけられて、誘われて」

 あらいかんいち。新しい井戸に、館長一人で新井館一。ここ魂流図書美術博物館の現館長の名前であり、浴衣たちも見かけたことはないが名前くらいは知っている。

「楓さんは……」

 椛が視線を向けると、カウンターの裏にいた西崎楓が答える。

「私も椛と似たようなものです。私の場合は美術館にいたときに、穂野絵さんに声をかけられて五葉カフェにやってきました。二人とも、やや特殊な採用の形ですね」

 長い話になりそうだと思ったのか、椛もカウンターの裏に入って楓の半歩前に控える。

「誘われる前は何をしていたんですか?」

 茜が聞いた。

「私は大学生やってたよ。その頃から五葉カフェにはよく来てたし、前の人がやめるって話も聞いてはいたけど……他まで全部入れ替わったのには驚いたね」

「家で茶道を少々。作法がどうこうより、味を楽しむのが好きだったから……」

「カフェの仕事は望むものだった。問題はなさそうよの」

 魔衣の言葉に茜も頷いて、五人は次の場所に向かうことにした。

「俺は当然、北都くんがいるからここに来たんですよ」

「確かに、僕の方が君より先に司書学芸員として働いていたが」

 同じ質問を美術館の司書学芸員、本田北都にする魔衣と茜。たまたまそこにいた、博物館の司書学芸員の博田南も一緒に質問に答える。

「せいぜい三日、それくらいじゃなかっただろうか」

「三日もあれば十分ですよ。そして俺は、あらゆる手を尽くして北都さんと同じ職場に」

「具体的には?」

 南の答えに、茜が深く質問する。

「はは、悪いことはしてませんよ? 館長はうちの大学にも何度か来たことがありまして、その頃から顔見知りだったんですよ。あとは直接、しつこく、北都さんと一緒になりたいって気持ちを伝え……るまでもなく、意外とあっさり承諾してくれましたね。二日で」

 朗らかに笑い、北都を横目に答える南。

「二日であっさり?」

 少し離れたところで、今回も様子を見ていた浴衣から疑問が出る。

「連絡して、翌日に会ってそのまま。あっさりでしょう?」

「じゃあ、北都さんは?」

 様子見浴衣の疑問が解決したところで、茜がもう一人に質問する。

「僕は元々、東京にある別の美術館で働いていた。ただ、学芸員になろうと思った日からできれば生まれ育った北海道で働きたいと思っていてね。美術館にやってきた新井館長に声をかけられて、二つ返事で承諾したというわけだ」

「その結果、俺にも会えて最高でしたね」

「確かに、南くんは優秀な司書学芸員だな。同僚として頼りにはなる」

 南の積極的な態度を、北都はさらりとかわす。茜と魔衣は視線で様子見組の二人――浴衣とオルハに尋ねてみる。

「いつものことだ」

「いつものこと」

「……いつも少し困っている」

 すぐに答えた浴衣とオルハに、北都は小さな声で続けて同意したのだった。

 彼らが次に目指したのはもちろん、図書館担当の司書学芸員本田真北のところである。広場を抜けて、軽く本の整理をしていた真北にも同様の質問をする。

「ああ、それなら、私は穂野絵さんに誘われてここに来ました」

 整理する手を止めずに、てきぱきと作業をこなしながら真北が答える。

「私が中学生の頃、スポーツをやってたのは二人には話したよね?」

 一通りの整理が終わり、真北が浴衣とオルハに視線を向ける。二人が頷いて、それを魔衣と茜が確認したのを見て、真北は続ける。

「最高成績は全中二位で、高校になって本に目覚めたんだけど……そのきっかげが先輩の穂野絵さん。昔は大会記録を持っていて、地元で同じスポーツをやってる人なら有名でした。私も会ったときは驚いちゃって……と」

 途中で真北は言葉を止めて、今にも口を開こうとしていた茜、浴衣、オルハを素早く順番に視線で捉える。その動きはまさに、元スポーツ少女の反応力である。

「ちなみに当時の穂野絵さんの年齢については、秘密にするよう言われてます」

「スポーツは何をしていたのかの?」

「ソフトテニスですね」

 種目がわかれば、過去の記録を調べて穂野絵の年齢も推定できるのではないか。浴衣たちはそう思ったが、真北があっさり答えたことでそう簡単にはいかないのだろうと、魔衣の微笑みに合わせて話を戻す。

「真北さんも、誘われて?」

「そうそう。楓さんは茶道をしているときに、穂野絵さんに会ったって言ってましたね」

 質問を終えて浴衣たちは広場に戻り、先程も話題に出てきた残る一人の司書学芸員を探そうとする。しかし探すまでもなく、倉穂野絵は彫像の前で五人を待っていた。

「ほう。待っているよの」

 これも穂野絵さんの凄さの一つか、と浴衣たち四人は思っていたが、答えはラフィェリータの口からすぐに明かされた。

「あ、穂野絵さんには私から連絡しておきました。五葉カフェについたあたりで」

(どうやって)

 自分の記憶が正しければ、ラフィェリータはずっと自分たちと一緒にいた。浴衣は軽く疑問に思ったが、女神なので手段はいくらでもあるのだろうとすぐに疑問は消える。

「こんにちは。名前、教えてもらえたみたいですね」

 笑顔を見せた穂野絵に、茜がすかさず質問を切り出す。

「穂野絵さんはいつからどうやって、ここで働くように?」

「ふふ、私もフレッシュに含んでくれるのですか?」

「見た目年齢で! 実年齢は?」

「秘密です。質問の答えですが、前館長に誘われて……ですね。新井館長になったのは十年前。前の館長は本土の女性と結婚して、農家の婿として円満にお引っ越しされて、その際に総合司書学芸員として魂流図書美術博物館を私に任せたい、とおっしゃられて」

「本当にいくつなんですか?」

「ひ・み・つ。というわけで、私はここで総合司書学芸員として働き始めたんですけど、その頃から司書学芸員が定着しないという話はありまして。なんでも、幽霊を見たとか、そういう噂が広まっていたそうなのです」

「その前に」

「秘密ですよ。何年経っても見た目の変わらない女の子がいるとか、お姉さんも妹もずっと同じ見た目の姉妹がいるとか、そんな噂です。その、みなさんが今調べている七不思議の、前の七不思議でもありました」

「いくつですか?」

 茜からの三度にわたる同じ問いを受け流していた穂野絵が、無言で微笑む。それは茜の問いに答えるという意味ではなく、茜以外の三人の視線が一人の小さな女の子――ラフィェリータに向けられていることに気付いたからであった。

 茜には黙って微笑みを見せ続ける。その笑顔の圧力に、茜も押し負けて後方を確認することにした。

「それが直接の原因かは、私もさすがにわからないですよ。ただ、その噂がきっかけで穂野絵さんは色々調べて、私を問い詰めた……それだけは事実です」

「採用方法については、どういうことかの?」

 彼らの視線は再び穂野絵に戻り、魔衣が次の質問をする。

「それは、新井館長の方針ですね。おかげで館長にとってはそれなりの負担があるようですけれど、それもまた楽しんでいるみたいですよ」

「うむ。では、これも判明したよの」

 魔衣の言葉に茜がすぐに頷き、浴衣とオルハもそれに続いた。

「みなさん、ついでに秘密基地もご案内しましょうか?」

「いいのか?」

 近くにいた浴衣が尋ねる。同じく近くにいたオルハも、視線で驚きを示していた。

「はい。みなさんなら問題はないと判断しました。よろしければ、今すぐに」

 当然、浴衣たちは頷く。ラフィェリータも頷き返すと、彫像に優しく手を触れた。彫像から穂野絵が少し離れたところで、彫像から七色の輝きが一瞬だけ散らばるように放たれ、思わず浴衣は目をつむった。

 再び浴衣が目を開けると、そこは今までいた広場ではなかった。

「ここが?」

「はい」

 彼らの目の前には彫像があり、ベンチや植物の配置は先程までいた広場とほぼ同じ。しかしここは間違いなく屋内であり、天井には美しい星が連なる模様が、床には様々な動物の躍動的な姿が彫られた石模様が、壁は無機質でいてどこか暖かみのある不思議な素材、そして地上では図書館、美術館、博物館、五葉カフェに繋がる道には扉があり、他にもいくつか廊下が伸びていた。

 まさに秘密基地といった姿だが、浴衣が驚いたのはその広さだった。あの扉や廊下が全て見せかけではないだろうし、もしそうだとしても、この広場だけでもかなりの広さである。

「見えなかった」

「解析不能」

 移動するときに目を開けていた茜とオルハは、別のところに驚きを示す。

「部屋は色々ありますが、とりあえず畳のある部屋に案内しますね」

 そう言ってラフィェリータが歩いていったのは、地上では五葉カフェのある方向だった。

 案内されたのは三十二枚の畳が敷かれた広い部屋。とはいえ広場から短いながらも高い天井の廊下を抜けてきたので、それに比べると天井も低く若干狭くも感じる。

 靴を脱いで畳の上に乗った浴衣たち。ラフィェリータはそのまま畳の上に乗っていたが、乗った瞬間には靴から裸足に変化していた。

(早脱ぎどころじゃないな)

 そう思って浴衣がラフィェリータの素足を見つめていると、後ろから声がかかった。

「ゆかたん、彼女がいるのに素足に興奮して……いけないと思う」

「え? そうなの? じゃあ私もー」

 オルハの言葉に茜は靴下も脱ぎ始める。それを見たオルハも靴下を脱いでいたので、浴衣も二人とラフィェリータに合わせるように靴下を脱ぐことにした。

「興奮はしてないから」

「本当に?」

「ふーん」

 脱ぎながら誤解を解こうとする浴衣に返ってきたのは、疑うような幼馴染みの声と、からかうような恋人の声だった。ちなみに魔衣はレースの靴下を脱がずに、ラフィェリータと一緒に楽しげな笑みを浮かべてその様子を見守っている。

「秘密基地かあ……懐かしいなあ」

 周囲を見回しながら茜が呟く。部屋の壁には掛け軸がかけられているだけで、壁は無機質でいてどこか暖かみのある不思議な素材。廊下や秘密基地の広場と同じ素材に見えるが、微かに和を感じるのは掛け軸と畳の効果だけとは思えなかった。

「悪の秘密組織にも、同じような秘密基地が?」

「うん」

「そうか」

 そこでふと、浴衣は茜に尋ねてみる。

「茜が悪いことをしていたって、いまいち信じられないな」

「あー、証拠見せてってこと?」

 茜にとってもその疑問はいつか聞かれると思っていたもので、鋭い視線を送ってくるオルハを気にしながらスカートの中に手を入れる。

「いや、それは信じてるけど、見てみたい気持ちは確かにある」

 これまでの彼女との会話から、悪の秘密組織の一人娘であることは疑っていない。それをまず浴衣は告げてから、彼女の発明を見たい気持ちがあることは素直に認める。

「じゃあ、はい」

 茜がスカートの中から取り出したのは、小さな皮袋だった。質素ながらも可愛らしいワンポイントのついた、悪の秘密組織の悪いことするための道具。

「これが私のいた悪の秘密組織のマークだよ」

 可愛らしいワンポイントを指差して、茜が言った。言われてみても悪そうな感じはしないが、浴衣やオルハの表情からそれを察して、簡単に説明を加える。

「悪の秘密組織だからね。最初はそうと見えないようにして、広めてたんだ」

 茜は微笑みながら、袋の紐を緩めつつ言葉を続ける。

「この中に入ってるのはね、人を巨大化させる『アトモスフィアパウダー』だよ。浴衣くんも特撮は見たことあるでしょ? 悪の秘密組織の定番だよね」

「ああ、未来でも続いてるんだな」

「いつの時代もヒーローは人気だよ。ということで、えいっ」

 茜はおもむろに袋を持ち上げると、浴衣に口を向けて中身を振りかけた。

「うわっ! ちょ、室内でかけるな!」

 外ならいいのかという問題は今は置いといて、浴衣は粉の一部を手で振り払う。しかし大部分は不意討ちでかけられており、口の中にも入っていた。気持ちのいいパウダーで、ほんのりと甘い味のするものだったが、そんなことはどうでもいい。

「ちなみに、ネーミングは語感と響きだけで決めました。ふっふっふ……大きくなったね浴衣くん」

「くっ! ……って、どこが?」

 肩や腕、胴体と触って確かめてみるが何も変化は感じない。他の四人を見ると、彼女たちの視線は下半身に向けられていた。茜はまっすぐに、オルハはまじまじと、魔衣は興味深そうに、ラフィェリータはぼんやりと見つめている。

 その視線の先を見て、浴衣は確かに大きくなっている自分に気付く。

「おい」

「やあん、浴衣くんが興奮してるー。えっちー」

「……ゆかたん」

「ほう。……ほう」

「面白いですね」

 浴衣の股間に生えた男性器が、服の上からでもはっきりわかるほどに大きくなっていた。

「浴衣くん、気付かないでしょ?」

「不思議なことにな」

 そのはずなのに、浴衣には大きくなっているという感覚がなかった。視覚では確かに大きくなっているとわかるのだけど、他の感覚ではなぜか捉えられない。下着が伸びる触覚でさえも気付かないというのは、本当に不思議だった。

「浴衣くんにはいっぱいかけたけど、もっと少なくても効果は発揮されるよ。これを電車の中でかけて、痴漢冤罪をいっぱい生み出そうとしたんだけど、結果的に警察や裁判の精度が上昇して、完璧な証明で冤罪がゼロになるという結果に」

「未来でも痴漢はいるのか」

「未来でも男と女の性的欲求は変わらないよ。子作りの仕方も同じだよ。する?」

「しない」

「ふふーん、そんなにして説得力ないよ?」

「ゆかたん、早く小さくして」

「ほほう。……ほうほう」

「小さくなるまで観察してみましょうか」

 視線で他の三人の様子を確かめる。ラフィェリータは全く誤解をしていないようだが、オルハはそう言いながらも視線は逸らさず、魔衣の考えは言葉や表情から読み取れなかった。

「茜」

「効果は一時間だよ。でも、浴衣くんにはいっぱいかけちゃったから……」

「もっと長いのか?」

「ううん」茜はゆっくりと首を横に振る。「いっぱいで一時間。さすがに、何もないのにそんなに大きくしてたら不自然でしょ? 状況を見て、五分や十分、一番怪しく見える量をかける。完全犯罪!」

 どうやらそれをかけた悪の秘密組織の人員は、誰も捕まらなかったらしい。

「一人にしてくれないか?」

「いいよー」

「汚しても綺麗に掃除するので、好きにしても構わないですよ」

「お断りよの。普段どうやっているのか、見せてもらおうぞ弟や」

「ゆか、たん……えっち。ゆかたんのえっち!」

(繰り返した!)

 わかった上でやっているラフィェリータや魔衣と違い、本気が混じっていそうなオルハに弁解しようと浴衣は体を動かす。すると、僅かながらも大きくなったものが服の下で揺れて、まっすぐにオルハの方に向いてしまう。

「私に……手伝え、と?」

「織羽も茜の説明、聞いてたよな?」

「……せつめい?」

 答えるまでの間で、オルハが説明をちゃんと聞いていなかったことを理解する。彼女にしては珍しいことだと思いつつ、浴衣は立ち上がって靴下をはいた。一点に集中する四人の視線は凄く気になるが、気にしないことにして畳の上を歩き、身を屈めて靴をはく。

「茜、織羽にもう一度、パウダーの説明を頼む」

「ぱうだー?」

「アトモスフィアパウダー、だったか?」

「覚えてくれたんだ。さっすが彼氏!」

「それくらいはね」

 悪の秘密組織の悪いことするための道具。それを発明した茜にとって、未来から持ち込んできた彼女にとって、それがどれだけ大事なものかは浴衣も理解している。恋人として、名前と効果くらいは一度で覚えておくべきだろう。うっかり悪いことに使わせないために。

「さて、弟も一人は寂しかろう」

「魔衣さんは、聞いてますよね? というか、最初から理解していましたよね?」

「……むう。聞いておるから、敬語はやめてほしいよの」

 悲しい顔で浴衣を見つめながらも、手早く靴をはき始める魔衣。気がつくと、ラフィェリータも靴をはいた状態で隣に立っていた。

「ついていかぬとは言っておらぬよの」

「私もご一緒します」

「ゆかたんが、さんぴー」

 左右から二人の声。止めても無駄だと浴衣は悟る。問題は、被さるように聞こえてきた幼馴染みの一言。それが三人ですることを意味するのは、浴衣も知識として覚えている。

「……茜、頼むぞ」

「ん。任せといて!」

 少しばかり不安ではあるが、茜とオルハを二人きりで部屋に残し、浴衣は勝手についてくる二人のために扉を開けておきつつ、中の二人を最後まで見ながら廊下に出るのだった。


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