緋色の茜と金のオルハ

八 秘密基地の女神様


 たっぷり休んだ翌日。今日も浴衣たちは七不思議の調査を進めていた。といっても図書美術博物館の普段の集まりに、馬狩魔衣という一人の魔女少女が加わっているだけである。

「問題は秘密基地の見つけ方よの」

「存在は確認してるんですけどね」

 広場のベンチから彫像を眺めつつ、会話をする魔衣と茜。今日も朝から三度目の調査を改めて行ったが、やはり手掛かりは見つからなかった。

「他の七不思議は、多少は手がかりが見つかっておるよの」

「けど、これだけは手がかりが何もない。不思議ですよね」

 浴衣とオルハは図書館で本を読みながら、たまに広場に出て様子を確認。別々だったり一緒だったり、確認の仕方は様々だがずっと二人は彫像の七不思議に集中していた。

 まるで、何かが起こるのを見張っているような……いや、実際に見張っているのかもしれない。何度目かの確認を終えて図書館に戻ってきた浴衣は、オルハに様子を報告しながらそんなことを思っていた。

「熱心なことですね」

 椅子に座って読書を再開しようとした浴衣の後ろに、少女の声が届いた。自分たちに向けられた言葉だと気付くまで一秒強。振り向いた浴衣とオルハの視線が少女を見つめる。

 ロングツインテールの小さな女の子。せいぜい百二十センチかそこらの、可愛い女の子。

「この間はありがとう、お兄ちゃん。私が大きくなったらお婿さんにもらってあげるね」

(お嫁さんじゃないのか)

 笑顔を見せた女の子を、浴衣とオルハは黙って見つめ続ける。見覚えは、確かにある。この間がどの間なのかも、ちゃんとわかっている。しかし、最初の一言がよくわからなかった。

「どうしました? 覚えていませんか?」

「いや、覚えているよ」

「この間だけじゃなくて、もっと何度も」

 浴衣とオルハが答えると、小さな女の子は微笑みを見せた。

「覚えていますか。覚えていらっしゃるんですね」

 何度か大きく頷いてから、女の子は図書館の入口――広場の方を見て言った。

「外の二人のことです。七不思議を熱心に調べていますよね」

「ああ」浴衣は理解を示す。

「あちらにも挨拶してきますね」

 女の子は笑顔でそう言うと、ゆったりとした足取りで広場の方に向かっていった。女の子と入れ替わるようにやってきた総合司書学芸員に、浴衣は声をかける。

「穂野絵さん、あの女の子は?」

「あの?」穂野絵は浴衣の視線の先を確認する。「はい。覚えていますよ。私と同じで、まるでこの図書美術博物館に住んでいるような女の子で、よく見かけるんです」

「名前は?」

「聞いたことはありますけど、秘密です。直接聞いてみてはいかがでしょう。浴衣くんと織羽ちゃんが覚えているなら、きっと教えてもらえますよ」

 図書美術博物館広場。彫像を眺める茜と魔衣がいるところに、小さな女の子がやってきた。

「こんにちは」

 ゆっくり近付いてきて挨拶した女の子に、茜と魔衣が少し視線を動かす。

「あ、浴衣くんが狙ってた」

「見覚えはあるが、小さいよの」

 女の子は笑顔で二人の顔を見て、浴衣とオルハに見せたものとは少し違う反応を返す。

「やはりお二人も覚えて……いいですか?」

「何かな?」

「その彫像のことが気になるのでしたら、三日後の夜にまたここへ来てください」

「うん」

「三日後よの」

 最後にもう一度微笑みを見せて女の子が去ったのにほんの少し遅れて、浴衣たちが広場にやってきた。女の子の姿がないことに、そこにいた二人に尋ねる。

「今、小さな女の子が」

「三日後だって」

「夜よの」

 簡潔に答えた二人に、浴衣とオルハは顔を見合わせて小さく首を傾げたが、ともかく二人の言葉通り続きは三日後の夜なのだろうと、深く尋ねはしなかった。

 約束された三日後の夜。浴衣、茜、オルハ、魔衣の四人は広場に集まる。彫像の前には、先日約束した小さな女の子――が二十センチくらい成長したような女の子が立っていた。

「あれ、成長してる」

「お姉さんじゃないのか?」

「いえ、こうして見ると」

「本質は同じよの」

「本質……」

 言われて浴衣も改めて女の子の姿を確認する。雰囲気は同じで、髪型も同じで、顔もほぼ同じで、違うのは身長だけ。背以外の微妙な違いは、身長の変化からくるものだろう。

「こんばんは。みなさん、わかりますか?」

「やだな、私そんなに忘れっぽくないよ」

「当然」

「約束は、まあ」

「私も覚えているよの」

 はっきり答えた三人と違って、浴衣だけはやや自信なさげに答える。案の定、女の子の視線は浴衣を捉えて、彼に尋ねた。

「まだ慣れませんか? 浴衣さんは、未来からやってきた茜さんと出会って、幼馴染みのオルハさんが遠い銀河からやってきたと知って、魔衣さんとの出会いで魔女についても知った。受け入れてはいても、どこか信じられない気持ちが……いえ、信じていても少し麻痺しているといったところでしょうか」

「なんでそこまで」

 浴衣はほんの少し驚いた顔で、女の子に聞く。彼女ならそれくらいは知っていてもおかしくないと、直感のようなもので浴衣は理解していた。

「三日の間に調べました。どうやって調べたのかはまだ秘密です」

「そうよの。弟や、ここは姉に任せるがよいよの」

「そうだよね。私も、教えられるだけっていうのは嫌いかな。大体わかってるのにさ」

「私はどっちでもいい。ゆかたん、わからないことがあったら聞いて。多分答えられる」

「よくわからないが……わかった」

 とりあえずこの場は彼女たちに任せることにしよう。浴衣にも目の前の小さな女の子が、未来人や異銀河人、魔女みたいに何か変わった人間なのだろうと、それくらいは予想できる。

「未来に銀河に魔女、これほどの知識を持っても捉えきれぬ存在。それは一つと決まっているよの。のう、茜?」

「うん。私たちのような人間とは違う存在、より凄い存在。つまり女神様」

「で、よいかの?」

「おお、さすがです。私のことを見抜いたのはあなたたちが二人目……ええと、三、四人でしたね。浴衣さんは気付いてないみたいなので、私の勝ちです」

(今、女神って言ったか)

 耳を疑う言葉に、予想以上の言葉に、浴衣は無表情で理解を急ぐ。幸い、似たようなことは三度続いている。女神らしい女の子に質問できるまで回復するまでは、三秒で足りた。

「君の名前は?」

「私はラフィェリータと申します。ずっと昔から、このあたりに暮らしている女神です」

「ラフィ……」

「ラフィェリータちゃんだね」

「ラフィェリータよの」

「ラフィェリータ」

(発音上手いな)

 しかし三度も、本人も含めれば四度も聞けば、浴衣も覚えられる。

「ラフィェリータ、でいいか?」

「お上手です。私が今よくいるのはこの彫像の下。女神様の秘密基地です」

 七不思議の一つはあっさり解明された。しかし……、

「どうやって入るの?」

「秘密基地ですから、まだ秘密です。あなたたちが信頼に足る人物であると判断したら、お招きしてもよろしいのですが……」

「うむ。その気持ちはわかるよの」

「そうだよね。見つかっちゃいけない場所もあるよ」

 北の森に住む魔女の一家と、悪の秘密組織出身の二人が同意する。

「他にもそなたが原因の七不思議があるのなら、教えてほしいよの。コンサートホールは濃厚よな」

「はい。あの場所は広いので、夜にこっそり歌の練習をしていました。噂になってからは場所を定めて、過度に広まらないように」

「二つも一気に解明! あとは四つだね」

「他は、私が原因ではないですね」

 微笑した女神ラフィェリータの答え方に、四人はすぐに疑問を覚えて、目配せしてから茜が代表して質問する。

「知らないってわけじゃないんだね?」

「女神ですから。オルハさんたちがやってきたことも知っていますし、茜さんがどんな状況でこの時代にやってきたのかも知っています。ただ……」

「それを聞いては修行にならないよの」

「調べるのも楽しみだよ。あ、でも、一つだけ聞いていい?」

 ラフィェリータが頷いたのを確認して、茜が一つ質問する。

「一人目は?」

「みなさんもよく知っている、倉穂野絵さんですよ。私も驚きました」

「あの人が?」

「ふむ」

 声にして驚きを表現する二人と違って、浴衣とオルハは驚きながらも、彼女ならそれくらいはしていてもおかしくないと、表現は控えめだった。

「私は女神ですから、普通の人間には記憶が残らないんです。時間をかけて薄れていく、体質のようなものなのですが……図書美術博物館という同じ場所にいて、出会う機会も多かったとはいえ、結構気をつけていたんですよ。まさか見抜かれるとは思いませんでした」

「俺は……魔女の血が?」

「そうでしょうね。神秘に近しい者には効果が薄いんです」

「神秘かあ……照れちゃうね」

「その神秘を悪いことに使わなければいいのに」

 いつものような茜とオルハのやりとりを、ラフィェリータは微笑んで見つめる。女神として悪いことはどうなのかと少し考えた浴衣だったが、正義も悪も定義しているのは人間だ。女神にとっての尺度はまた違うのだろうと何となく理解する。

「あ、少し待ってください」

 長く話していても秘密基地に入ることはできず、一通りの話が終わって帰宅しようとした四人を、ラフィェリータが呼び止める。

「浴衣さんに二人きりでお話があります。少し気になることがありまして。穂野絵さんも、ちょっと心配していることです」

 何のことだろうと思いながらも、穂野絵さんも心配しているのならと浴衣は承諾する。

「浴衣さん、慣れました?」

「慣れたって?」

「この状況にです」

 二人きりになって始めた会話。それはそんなやりとりから始まった。

「この状況……ああ」

「『浴衣くんの恋愛感覚が麻痺しているみたいです。お姉さんとして助言した方がいいでしょうか?』と、穂野絵さんに相談されました」

「それなら、俺も自覚していた」

「ちなみに『恋愛経験豊富でしたっけ?』と聞いたら、沈黙が返ってきました」

「その情報はいらない。興味深いけれど」

「今はどうですか?」

「可愛い女神様に出会って、もう麻痺はしていないと思う。今はちょっとはっきりとは言えないけど、多分心配はいらないよ」

 浴衣がそう言うと、ラフィェリータはほんの少し真顔で間をとってから、ほんのりと優しい笑みを浮かべた。少女の姿でありながら、神々しい雰囲気に浴衣は女神を感じる。

「ところで、私は少女と幼女の姿でいることが多いのですが、浴衣さんはどちらがお好みですか? 今後はお好みの姿を優先しますよ」

「どちらと答えてもあとで面倒なことになりそうだから、答えは控えたい」

「賢明ですね。この状況でその判断ができるなら、本当に心配は無用ですね」

 ラフィェリータは小首を傾げて、再び優しく神々しい笑みを浮かべたのだった。


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