第五節 時風〈ときかぜ〉(二)

三章 研究調査:ムイブキ


 洞窟に戻ったイセカとサーワは、遺跡の中で出会ったムイブキについて話していました。

「イセカ。あのムイブキはどこから遺跡に入ったと思う?」

「ずっと棲んでいるわけじゃないのかい?」

「アチも最初はそう考えた。だが、鉱石の減りを見ると、どうもそうではないらしい。遺跡内で見つかる鉱石だとしても、問題があるだろう?」

「ムイブキは外にも出ていた、とすると……確かに、大きな問題があるね」

 イセカはムイブキの大きさと、自らが入った通路と、サーワが入った通路の広さを思い出します。考えるまでもなく、ムイブキの大きさはどちらの通路よりも大きく、とても通れる広さではありません。

「だから、なるべく殺したくはなかったんだね」

「ああ。しかし、どちらも必要な調査だった。研究はまだ続いている」

 サーワは平然と、笑って答えます。研究することを楽しんでいる様子に、イセカも同じ研究者として共感を覚えます。しかし、同時に小さな疑問も浮かびました。

「サーワ。君、遺跡に興味あったのかい?」

「遺跡自体に興味はない。だが、遺跡を利用していた竜獣には興味がある。まずはもう一度、アチとルエの通った道の調査をしたいところだが、ルエはどう思う?」

「僕が通ってきた道には、他に仕掛けはないように感じたけれど……。調べてみるなら君と一緒の方が、僕も助かるね」

「ならば、すぐに向かうとしよう」

 再びイセカとサーワの二人は、ビーダの領域である遺跡に向かいます。道中、森林の中を歩いていると、二体のロクシチをまとめて相手にしていたコーネに呼びかけられました。

「久しぶりね、サーワ。噂で凄く強い竜獣と戦ったと聞いたのだけど、本当かしら?」

「ふむ。耳が早いな」

 足を止めてサーワが答えると、コーネはロクシチを処理しながら言葉を続けます。

「まあね。私の研究にも関わることだから。それに、遺跡ならここから近いでしょう? あなたたちがいいなら、私も手伝いたいのだけど、どう?」

「手伝っても構わないが、もし二体目を見つけても倒すなよ?」

「当然よ。戦闘技術は殺すためだけにあるのではないの。弱らせて行動不能にするのも、立派な戦闘技術よ」

 答えながらロクシチの処理を終えたコーネは、そのまま二体のロクシチを引きずって運びます。行き先はわかっているのでイセカとサーワもそれを手伝うことにしました。

 二体のロクシチを運んだ建物には、いつものようにドーギが待機していました。彼は予定よりも二人増えた来客に気付くと、その表情を見て彼らの次の行動を察します。

「此方ら、我が輩の護衛は必要か?」

「あまり大勢で行くものでもない。今回は不要だ。だが、代わりに頼みたいことがある」

「ふむ。此方らが皆いないのであれば、我が輩も自由に動けよう。して、頼みとは?」

「ヒーラを遺跡に呼んでほしい。彼女もいれば色々助かるかもしれない」

「了解した。すぐに向かおう」

「ああ。そこまで急ぐことはないが、今日のうちに頼みたい」

 会話を終えて、三人は遺跡への歩みを再開し、ドーギは西の山へと向かいました。引きずってきたロクシチは建物の中に置いていきます。

 そこから遺跡までの道のりは特に大きな出来事もなく、彼の領域に入った途端に柱の上から声が落ちてきました。

「また来たのか? あの肉ならもう回収したが、惜しくなったか?」

「いや、あれはルエへの土産だ。ところで、回収するときに気になるものはなかったか?」

「ああ……。あの肉の量から推察するに、どこから入ったのかは僕も不思議に思っていた。だが、随分と多くの土産が残っていたからな。運ぶだけで二度に分ける必要があったし、調べるのはやめておいた」

「ならば、一緒に調べるか?」

 サーワの問いに、ビーダは少し考えてから答えました。

「お前たちに任せよう。ここに住むのに問題が発生するようなら、あとで教えてくれ」

「約束しよう。ああ、そのうちドーギがヒーラを連れてくると思う。そのときは、彼女をエルカのところに案内してくれ」

「わかった」

 柱の上で視線を上に戻したビーダを背に、一行はムイブキがいた遺跡の地下へと歩みを進めます。サーワが見つけた滝の下の入口から、ゆっくりスロープを下りていきます。

「広いわね。ロクシチくらいなら通れそうだけど、中にいたのは大型の竜獣なのよね?」

「うん。身を縮めたとしても、通れる大きさじゃなかったよ」

 先頭を歩くサーワは、二人の会話を耳にしながらどんどん先に進みます。後ろの二人は慌てて追いかけることもなく、サーワが視界に入る距離を保って歩きました。天井も高く、横にも広い部屋に到着しても、サーワは足を止めることなくある方向に向かいます。

「ここじゃないの?」

「ここだよ。サーワは多分、あっちを確かめに行ったんじゃないかな?」

 イセカが指さした方向は、彼がこの部屋に到達した通路がある方向です。事実、サーワはその通路を目指して歩いていましたが、目の前の壁に一瞬足を止めました。

 コーネが不思議にその光景を見守る中、サーワは壁に手を触れます。静かに壁は大きく横に動いて、開かれた通路をサーワは視線で確認します。ややそうしたあと、通路の中のスロープを上ってさらに先まで進んでいきました。

「あっちは僕が見つけた通路なんだ。もちろん、あっちも通れないはずだけど……」

「確認に行ったのね。あなたもついてきなさい」

「そうだね。待っていても仕方ないし、僕たちも調べよう」

 サーワはきっと、遺跡の階段くらいまでは歩いて戻ってくるでしょう。その間、ただ待っているだけでは退屈だと、イセカとコーネも開いた壁の周辺を調査することにしました。

「ここの扉は、あなたの術気でも開くのよね?」

「うん。ドーギから聞いたのかい?」

「ええ。彼が忘れていないなら、前に調べた内容は私の頭の中にも入っているわ」

「だったら話が早いね。君から見て、どうかな?」

 コーネと一緒に、イセカもぺたぺたと壁を触っていますが、変化は何もなく、怪しい箇所もありません。コーネは壁に触れながら開いた空間を眺めると、首を横に振って答えました。

「何も感じないわね。――どうやら、あちらも同じみたいよ」

 通路の先からサーワが戻ってきます。浮かない表情ではありませんが、収穫があったような様子もありませんでした。

「この通路には何もないようだ。とすると、怪しいのはこの部屋そのものだが……」

 広い部屋をサーワは眺めます。同じようにイセカとコーネも眺めますが、認識できたのはとても広い部屋であるということだけでした。

「ヒーラを待とう。エルカだけでは調査に限りがある」

 サーワの言葉に、二人は頷いて従います。しばらく待っていると、サーワが戻ってきた通路の側からヒーラがやってきました。

「キミが呼んだんだよね? ボクに何をしてほしいの?」

 ヒーラは笑顔でサーワに尋ねます。興味深そうに遺跡の部屋を見回しながら、何を頼まれても準備は万端です。

「アチと一緒に、少しこの部屋を調べてほしい。ルエの方が術気の力は上だからな」

「キミみたいに調査用に鍛えているわけじゃないけど、それでもいいなら」

 サーワとヒーラが部屋全体の調査を始めます。術気を使えないイセカとネン〈燃〉の術気に特化しているコーネは、二人が調べている様子を黙って眺めています。

 スイ〈水〉と、ヨウ〈葉〉と、ネン〈燃〉の、三つの術気の全てを高い力で使えるサーワとヒーラは、広い部屋の調査を短時間で終えました。今回は何かがあるかを調べる調査ですから、それが何であっても動かす必要はありません。

「……ふむ。ヒーラ、気付いたか?」

「キミも気付いたなら、ボクの気のせいじゃないんだね。よくわからない仕掛けがあるみたいだけど、キミなら動かせるのかな?」

「不可能とは言わないが、あまりにも複雑だ。ルエの情報と照合して、図面に残したい。ルルナも手伝ってくれ」

 サーワに声をかけられて、イセカとコーネは快く承諾します。それから、サーワとヒーラが照合した情報を、イセカが図面で記していき、時々サーワが直接訂正します。コーネはその様子を眺めつつ、時折サーワから指示される小さな図面をいくつか完成させます。

 すんなりと、しかしそれなりの時間がかかって作業が終わると、コーネが口を開きました。

「まさか、あなたと共同作業することになるとはね」

「ボクは嬉しいよ。けど、本当に何が何だかわからないね。別の扉が隠されているわけではないみたいだし……」

「そうね。サーワ、解決したら私たちにも教えてもらえる?」

「もちろんだ。今日は助かったぞ、二人とも」

 サーワが微笑んでみせると、他の三人も微笑みをみせます。それぞれの目的や興味の度合いは違えど、誰にとっても今まで出会ったことのないような大きな不思議が目の前にあるのです。結末が気にならない者は、この場に誰一人としていませんでした。

 一度洞窟に戻り、日が変わるまで図面をじっと見ていたサーワは、そっと図面を畳んで彼女の部屋で就寝します。

 リアが昇る頃に目覚めたサーワは、彼の部屋で寝ていたイセカを起こします。彼女と同じように日が変わる前には眠りについていたイセカは、機嫌よく彼女の声に答えます。

「今日は彼女たちのところに行くのかい?」

「ああ。今日は山越えになる。ムイブキの肉を食べて力をつけて行こう」

 簡単に処理したムイブキの肉を、今日はちゃんと調理して簡単な料理にします。肉に火を通して部位ごとに焼き加減を調整して、切る厚さを変えただけですが、豊富なムイブキの肉は複雑に味を変えて味覚を楽しませます。

 体力も気力も充実させて、二人は高い山を越えた先の、湖のほとりに暮らすターユとフーニの家を目指します。

 竜獣に警戒しつつ、高い山は最短のルートで登り、湖からは少し離れますが最短で下山できるルートを選びます。海側から回り込むことになりますが、足場の不安定な山地よりも、平地を歩く距離が増えることで、体への負担は軽減されます。

 彼らの今日の目的は、彼女たちを訪問する他にもあります。それを見据えての行動方針です。

 大きな家の前に到着して、サーワが扉をノックします。

「ほう。話は聞いていないが、面白い来客だ。あたしに何をしてほしい?」

 扉を開けて顔を見せたターユは、話は聞いていなくとも目的は察しているとばかりに、すぐさま用件を尋ねます。

「この図面を見てほしい。ルエなら、アチにもわからぬことに気付くかもしれぬと思ってな」

 サーワは遺跡の広い部屋で調べた構造を記した、何枚かの図面を差し出します。天井に壁に床、地下に建つ建物としての基本的な構造から、術気が関わる内部の構造まで、調べられた限りの情報が記録されています。

「ほほう。これはあの遺跡の一部屋かな?」

「ああ、その通りだ。アチもこれほどの仕掛けは見たことがない。ルエの作る、発明芸術作品を除いてはな」

「確かに、あたしならこのくらいの仕掛けは作れるけど、こういうものには時代による癖が出るものだ。特にあの遺跡ほど古いものなら、それも顕著でね。あたし一人では時間がかかりすぎるから、協力は断りたいな」

 笑顔と一緒に返ってきたターユの言葉に、サーワは家の中を見回してから答えます。

「今日はフーニがいないのだな」

「うん。あたしの妹は用事で出かけていてね、よかったら君も一緒に会いに行くかい? 彼女たちも協力するというなら、あたしも協力を引き受けよう」

「協力してもらうさ。エルカも次に訪れる予定だったからな。別々に頼む予定ではあったが、一緒の方が都合がいいならルルナに合わせよう」

 目的の一致したサーワとターユは、合わせて目的の場所へと向かいます。もちろんイセカも彼女たちのあとに続きます。今の状況で彼ができることは帯同するだけですが、異世界を研究する彼にとっては帯同するだけでも研究は進みます。

 湖を北に抜けて、草原を海沿いに進んで、三人が目指すは桟橋です。タラップを上って船に乗り込むと、彼らは目的の人物たちがいる場所を探します。

「サーワ。君は妹たちはどこにいると思う?」

「外か中か、どちらかだろうな。吹き抜けを目指すのはどうだ?」

 サーワが示したのはイセカが前に案内された場所です。ターユも頷いて、彼らは吹き抜けの下に椅子と机が並ぶ広場へ向かいました。

 海と空が見える見晴らしのいい広場に到着してすぐに、イセカが呟きます。

「……声が聞こえるね」

「ルエも気付いたか。上だな」

 その声は空から聞こえてきました。女の子の声です。探している人々の居場所がわかったので、彼らは近くの階段から吹き抜けの上の甲板へ上ります。

 そこはかつてイセカがムークから聞いた通りの、下の甲板よりもさらに見晴らしのいい場所でした。遮るもののない空に、広大な海と草原が甲板の上から見渡せます。そしてその全てを見渡せる甲板の中心には、一人の女の子と一人の少女と一人の女性が立っていました。

 その中で、最初に彼らの接近を察知したのはもちろんムークです。彼女が笑顔で三人を手招きする仕草を見せると、残りの二人――スーイとフーニも彼らの来訪に気付きました。

「姉様、どうしたのですか? わたくしが戻るまで、ゆっくり待っているのではなかったのですか?」

「あたしもそのつもりだったが、来客があってね。サーワ」

 ターユに促されて、サーワは一歩前に歩み出ます。それから、その場にいる三人のうち、目的としていた人物に声をかけます。

「ムークとスーイ。ルルナに話があるのだが、いいだろうか?」

「自分は構いませんが、スーイにも?」

「スーイにたのみごと?」

「ああ、まずはこれを見てほしい」

 サーワは彼女たちに歩み寄って、図面を開きます。近くにいたフーニもそれを横目にして、サーワの目的を悟ります。

「遺跡のようですね」

「……おー。おー……?」

 開かれた図面をムークとスーイがまじまじと見つめます。

「姉様やわたくしにも協力を、ということですね。しかし……」

「おっと、言い忘れていたな。フーニにも頼めるか?」

「頼まれる内容によりますね。これを再現しろ、などとは言いませんよね?」

「うむ。構造がわかればそれでいい。建物と術気については、二人も詳しいだろう?」

 ムークとスーイにサーワの視線が向けられます。じっくり図面を見ているスーイは無言のままですが、ムークは視線を返して答えます。

「確かに、自分は元騎士ですから、城砦の知識はあります。もちろん、このような遺跡も構造を把握するのは可能ですが……」

「んー……。ムーク、これ、スーイじゃうごかせない。こことここ、ここもとどかないし、それに……」

 スーイは図面のいくつかの場所を指さして、指摘していきます。彗隕精の子であり、ムークの娘であるスーイの術気の力は、この中にいる誰よりも強力です。遺跡の構造の全ては理解できなくとも、術気が関わる部分はよく見れば大体理解できるのです。

「スーイって凄いんだね」

「君は知らなかったのかい? あたしも、実際に見るのは初めてだけれど」

「姉様はいつもわたくしに任せていますから。見る力にかけては、彼女の右に出るものはいないと、時々相談に行かせられるのです」

 イセカたちが話している間に、スーイの指摘が全て終わります。

「ということらしい。ターユ、フーニ、残りは頼めるな?」

「ああ、あたしたちに任せておくといい。フーニ、あれはこうすればいけるな?」

「わたくしの手間が三割増えるので、姉様の発明芸術作品の完成は五割遅れます。それでもいいのなら」

「二割は休憩かな?」

「はい。問題はないですね」

 フーニの言葉にターユは頷きます。それから、彼女たちの間で交わされる言葉の内容は、イセカには理解できないものもありました。聞いたところ、サーワにも完全に理解できるものではないらしく、二人は船の上で開かれた図面の解析が終わるのをじっと待ちます。

 そして空にはイクが浮かび始め、空の光だけでは図面が見えなくなる頃に、ターユ、フーニ、ムーク、スーイの四人の図面の解析は終わりました。

 その情報は、即座にイセカとサーワの二人にも伝えられます。決して短くはない説明でしたが、理解するのに難しい内容ではありませんでした。

「大仕掛けだな。アチは今から遺跡に向かうが、ルルナはどうする?」

 サーワの言葉はその場にいる他の全員に向けられます。

「僕はもちろんついていくよ」

「あたしは結果さえ聞ければそれでいい。動かし方は判明したけれど、どう動くのかは未知の領域もあるからね」

「姉様が行かないのなら、わたくしも行きません。……結果は、一緒に聞かせてもらいます」

「スーイ、おてつだいする!」

「ならば自分もともに見守りましょう。貴方にならスーイも任せられますが、自分もどう動くのか興味がありますから」

 イセカたちが答えを返すと、サーワは大きく頷きました。

「そうなると、一晩ここで休んでからの方がいいかもしれぬな。ムーク、船室は空いているな?」

「ええ。案内します。――お二人は?」

「だったら、あたしも一晩休んでいこう。急いで宵越しに戻ることもない」

「わたくしは二晩目になりますが、姉様が戻らないならご一緒しましょう」

 そうして彼らは一晩船で休んでから、次のそれぞれの目的のために動くことにしました。天からイクが沈んで、リアが浮かぶ明朝、彼らの行動は再び始まるでしょう。

 沈んだイクに代わって、リアが浮かび始めてからしばらく経ちました。遺跡に流れる小さな川は滝となって、輝くリアの光を反射してともに輝きます。

 その滝の上から、筋骨隆々な一人の男――バージは朝から釣り竿を両手に、滝下へ釣り糸を垂らしていました。ビーダからは魚なんて釣れるはずがないと言われましたが、この滝は遺跡の下に流れる川から生まれたものです。

「それに、今日は何かが釣れる気がするんだ。釣り人の直感、ってやつだな!」

 釣り竿を振り上げて、大きな笑顔で答えたバージに、ビーダは肩をすくめてこう答えるしかありませんでした。

「好きにするといいさ。竜獣に手を出さないなら、僕も釣りの邪魔はしない」

「おう! じっくり釣らせてもらうぜ!」

 そんな会話がなされたのは、リアが空に浮かび始める早朝のことでした。それからこの時間まで、バージはずっと釣り糸を垂らし続けています。

「ほう、飽きないものだな。ワタシには退屈な時間にしか見えないが、キサマには別の何かが見えているのか?」

 彼の背後から、すっと姿を現したのは果御神のリーラーンです。気配もなく現れた彼あるいは彼女に、バージは平静と答えます。二人が会うのは今日が初めてではありません。

「いつ現れるかわからないものを、じっと待ち続ける――新しい釣り場を探すってのはそういうもんだ」

「そうか。ワタシは用事があってここに来た。彼らが面白いことをやってくれそうなのでな」

「彼ら? ああ、そういえば、ビーダもそんなことを言ってたな」

 バージが釣りを始めて少しして、サーワ、イセカ、ムーク、スーイの一行が遺跡にやってきました。ビーダからも聞きましたが、滝の下のずっと先から遺跡内に入ったのを、彼もその目で見ています。

「釣り人の直感というのも、なかなか面白いものだな」

「あいつら、何をしてるんだ?」

「見ていればわかるのではないか?」

 リーラーンも全てを知っているわけではありません。バージも妹から話は聞いていますが、ヒーラが知っているのは遺跡の部屋を調べて図面に記したというところまでです。

 何も起こらないままバージが釣りを続けていると、遺跡の中からイセカとスーイが出てきました。他の二人はまだ中にいるようです。

 イセカは片手に図面を持っていて、それを見ながらスーイに指示を出していきます。土と草に覆われた地面を歩き回って、何箇所か遺跡の岩が見えている部分に手を触れています。それから、土と花しかない地面にもスーイは手を触れさせました。

 遺跡の天井から術気が流されて、二人は遺跡の仕掛けを動かそうとしています。しかし、バージとリーラーンが見る景色には、まだ何も変化はありませんでした。

「じゃあ、スーイ。僕の肩に乗って」

「うん!」

 イセカはスーイを肩車して、近くの樹木に近づきます。そこにまた彼女は手を触れて、次は遠くの柱の前で同じことをします。その行動が三度繰り返されたとき、大きな変化が起こりました。

 バージはまず、滝の流れが変化したことに気付きます。滝を作る水脈が動いて、その影響で滝が僅かに揺れたのです。

 その直後に、滝下の地面が盛り上がりました。滝下すぐの小さい範囲ではなく、滝の流れる崖の下の大きな範囲が音もなくせり上がったのです。数秒と経たずに、大きな遺跡の一部屋が地上に姿を現しました。

 思わずバージは釣り竿を振り上げて、釣り糸と針を回収します。眼下では、せり上がった遺跡の屋根の上にイセカとスーイが立っています。

「まだ終わりではないぞ。――もう、わかっているだろうが」

「ああ。これだけの術気の流れ、止まっちゃいないぜ」

 イセカとスーイの立っている屋根の一部が緩やかに下降し、端から中央への大きなスロープが形作られます。無音で生まれたスロープの先は広い遺跡の一室で、バージやリーラーンのいる場所からも中にいる二人の姿が見えます。

 遺跡の中にいたサーワは笑顔で空を見上げて、隣のムークも驚いた顔でスロープを下りてくる二人を見つめています。

「これだけの広さ、ムイブキが通るにも十分だな」

「それに下りた先は、鉱石が置いてある場所にも近いよ」

「ああ、アチも驚いたが、間違いない」

 遺跡の仕掛けは、複雑な術気によって構成されていました。それを動かせたということは、ムイブキも複雑な術気を扱えたということです。

「ビーダの目を盗んで、こっそりこの仕掛けを動かしていたようだな。この部屋の用途は、やはり倉庫か?」

「僕もそう見るよ。スーイ一人では少し時間がかかったけど、数人でここに物を運んで、仕掛けを起動したとすれば、小さなスロープを使うよりも早く運べると思う」

「ムークはどう思う?」

「自分も同じ考えです。特に罠や鍵は見当たりませんでしたし、出入口も直線的でとても歩きやすく作られています。敵を意識したものには見えません」

 二人の答えにサーワは頷いて、それからじっと見つめているスーイにも聞きます。

「念のために尋ねるが、スーイはどうだ?」

 聞かれたスーイは、にっこり笑って答えました。

「わからないけど、もどしてもいい?」

「ふむ。いいだろう。そちらも確認するとしよう」

 サーワの承諾を得て、スーイは一人で部屋の中へ駆け出します。遺跡内の壁や床、いくつかの場所に触れては術気を流して、再び遺跡の仕掛けを起動させます。

 スロープになったものは天井に戻り、地上にせり出した遺跡の一部屋は地下へと戻っていきます。今回も音もなく、崖の上の二人が見ている中で遺跡は形を変えていきます。

 少しして、中から出てきたのはサーワ一人でした。彼女が遺跡の天井にあたる部分に到着したところで、サーワは術気で中の三人に合図を送ります。ややあって、再び遺跡は仕掛けを作動させて地上に倉庫を現しました。

「さて、図面によると、ここと、ここだな」

 図面を片手に天井の上を歩くサーワは、いくつかの場所で足を止めて、遺跡の天井岩に術気を流していきます。

 すると、遺跡はまた音を響かせることなく、静かに地下に沈んでいきました。

「せり上げるのに手間はかかるが、地下に戻すのは簡単にできるようだな。つまり、地下にある形が平常というわけだ」

「全く、釣りどころじゃないな。……が、魚は、いる!」

 ひゅん、と小さな音が響いて、滝の下に釣り糸が垂らされました。それはすぐに引き上げられて、針の先にはとても小さな魚がくっついていました。

「動きに驚いて外に出てきた魚、か。見たことのない魚だが、食用じゃないな」

 バージは釣り糸の先に魚をつけたまま、もう一度釣り竿を振って滝の下に垂らします。さらに少し動かすと、釣り針から解放された魚は小川を泳いでいきました。

「釣り人か。面白いものが、余計にもう一つ見られるとはな」

 様子を眺めていたリーラーンは呟くと、現れたときと同じようにすっと姿を消しました。果御神である彼あるいは彼女が次にどこへ向かったのか、ただの釣り人であるバージにはわかりません。

 リーラーンは崖下に飛び降りてサーワやイセカたちに会いに行ったのだと、彼が知ることになるのは少ししてからでした。

完了 研究調査:ムイブキ

 洞窟に戻って、サーワは調査した竜獣――ムイブキの情報を余すことなく記していきます。

 隣でイセカもその作業を手伝いつつ、彼も彼自身の研究を紙に記していきました。

「ところでルエのその紙、持ち帰れるのか?」

「わからないね。戻れるかもわからないし、サーワこそ届けられるのかい?」

「届けるさ。残るは4600日、竜獣の研究はまだまだ始まったばかりだ」

「だったら、僕も死ぬわけにはいかないね。島の外の世界も調べないと」

 二人は聞いて、答えて、微笑み合います。

 竜獣の研究者と、異世界の研究者――サーワとイセカの二人は、これからもこの島で研究を続けていきます。それぞれの、研究内容は違えど、頼りになる研究仲間と一緒に。


果て臨みし竜獣島より5000日


 彼女が島に研究滞留して450日が経ちました。

 彼が島に研究滞留して300日が経ちました。


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