すいすずユズリ

十話 神と妹の乱舞


三神の邂逅

 予想通り翌日にはいつもの調子に戻って、理解はしても共感することはなく、それからの部活動は平穏だった。日付はもう少しで六月。五月下旬ともなれば、寒い北海道でもかなり暖かくなる季節であり、本土と違って長い梅雨もないから、しばらくは暮らしやすいぽかぽかした春の陽気が楽しめることだろう。

 そんなある日の放課後。『若き神と仲良くなる部』の活動は毎日ではないので、今日はお休みの日だ。鈴に翠、まもり、美々奈の四人が女の子だけでの買い物に行くというので、私は一人でゆっくりと帰り道を歩いていた。

 妹たちがまもりと美々奈を介して、仲良くしているのは兄として非常に嬉しいのだが、一緒に帰れないというのはとても寂しい。神社に戻ったらユズリの手伝いでもして、気を紛らわすことにしよう。

 そう思いながら神社を囲う木々を抜け、鳥居をくぐった私が見たのは、予想もしていなかった光景だった。

 和神神社の境内。普段ならこの時間には滅多に人がいないその場所に、今日はユズリの他に二人もいた。ほうきを持ったユズリと楽しげに会話する二人は、背の高い女性と、小学生のような小さな女の子。それがヒサヤとホカゼであることは、遠目にもはっきりとわかった。若き神としてのオーラみたいなものは全く出ていないが、何を思ったのか三人とも巫女装束を着ている。

 艶のある黒髪が、装束の白さでよく映えている。ユズリの白りぼんでポニーテールにまとめられたロングヘアーに、ホカゼの流れるようなセミロングの髪。そしてヒサヤの溌剌としたショートカット。三者三様の美しい巫女さんが神社に集結していた。

 それを着ているのが全て若き神だというのが、神々しくて近寄りがたい……ということは全くなく、私は早足でその神様たちのところに歩いていった。

「ユズリ、何があったんだ?」

「ヒサヤがホカゼを連れてきて、ホカゼが巫女装束を着てみたいと言ったので、着せてあげました。昔、鈴や翠が着ていたものです。ヒサヤのは私の予備を」

 ヒサヤの方がユズリより背が高いとはいえ、その差は五センチほど。巫女装束はゆったりとした造りなので、着ようと思えば問題なく着られるだろう。しかし、私が聞きたいのはそういうことではなかった。

「聞き方が悪かった。いつ知り合ったんだ?」

「ホカゼとは、今日が初めましてです」

「あたしは二回目だけどねー。いつものように外をぶらぶらしてたら……」

「同じくぶらぶらしていたボクと出会ったというわけさ」

 若き水の神と若き風の神は自由奔放である。誰に迷惑をかけるわけでもないので、文句は何もないのだが、高校通いの身としては少し羨ましい。

「何の話をしていたんだ?」

 しかしそれでも、彼女たちが若き神であることに変わりはない。深く詮索する気はないが、三神が揃ってする会話の内容には少しばかり興味があった。

「それはもちろん、世界の秘密に関わる重大な!」

「ヒサヤには聞いていない」

「あなたたちについて色々と。ふふ、聞きたいですか?」

 言って、悪戯っぽく笑うユズリ。その意味は気になるところだが、私はともかく妹たちにも関わることなら、兄として聞かなくてはならない。私は逡巡する素振りも見せずに、即座に頷いた。

若き神のお話

「といっても、他愛もない話ですが」

 ユズリはそう前置きしてから、言葉を続けた。

「私たちはあなたたちの関係が進展しないことを、憂慮しています。ヒサヤからも聞きましたよ、部活の話」

「五人揃っての仲良しクラブ。あたしの感じた印象はそんな感じだったかな」

 ヒサヤはいつもの調子で言ったが、声には若干の真剣さが込められていた。

「しかし、その関係は今のあなたたちにとっては、不自然ではないですか?」

「それは……」

 私もそれはわかっていた。単なる友人同士の集まりであるなら、何も問題はない。しかし美々奈は私に告白した。彼女は答えを求めず、私も答えを急がないから、とりあえずはこのままでいいと思って日常を過ごしてきた。

「私も別に、急げと言っているわけではないのです」

「ボクが見るに、美々奈も今はこのままでもいいって思ってるみたいだからね」

「ただ、このまま長引かせては、きっかけも掴めなくなります。礼人なら、よくわかっているでしょう?」

 私は無言で頷いた。鈴と翠の姉妹喧嘩が長引いているのは、私にも問題がある。気付くのが遅れたのも一つだが、もう一つ。仲直りのきっかけを積極的に作ろうとせずに、やってくるのを待つだけだったのも大きい。

 もちろん、自発的にきっかけを作るのは簡単ではない。しかし、気付いてから今までの時間、妹たちとの関係を考えると、作る余地は十分にあった。だが、私は動かなかった。妹たちとの関係はこれからもずっと続く。ならば急がなくともいいだろうと。時間が解決してくれるかもしれないと思って。

 けれど私は知っている。何もせずに平穏に暮らしていれば、そのまま日常が続くわけではないことを。私たちの両親の死も然り、まもりの引っ越しも然り。それを強く意識することなく暮らせているのは、目の前の若き神のおかげだ。

「ありがとう、ユズリ」

「どういたしまして、と言いたいところですが……」

「ま、あたしたちと違って、ユズリは自分にも原因があるからねー。若き神に降臨する場所を選べないとはいえ」

「ユズリ、そのことならもう解決済みだ。とっくの昔にな」

 時間が解決してくれないこともある。しかしまた、時間が解決してくれることも確かに存在する。ユズリが私たちのために尽くしてくれた時間は、私たちの両親の死という問題をちゃんと解決してくれている。

「ふふ、いい話でまとまったところ悪いけど、美々奈のことはそんなに重い話かな?」

 ホカゼが微笑みながら、私の顔をじっと見つめて言った。

「単純に、君は初めての告白に戸惑っている……それだけじゃないのかい?」

「う……。それは、その」

「まあ、確かにその通りですね。礼人は昔から、鈴と翠に関すること以外には積極的ではありませんでしたから」

 溜め息混じりに言うユズリの言葉を否定できないのが悔しい。しかし、確かにその通りではある。妹のことを大事にしすぎて、そのために必要なこと以外には力を入れていなかったのは認めざるを得ない。

「礼人、女の子の体のことなら、ヒサヤお姉さんが教えてあげてもいいよ?」

「ああ、それならボクも協力してもいいね」

「ではユズリ、私はそろそろ家に戻るな」

「あ、礼人が突っ込まないで逃げた!」

「突っ込むといっても、そういう意味じゃないからね、礼人くん!」

 何やらごちゃごちゃと言っている、若き水の神と風の神は無視して、私はさっさと家に戻ることにした。まあ、暗くなった雰囲気を明るくしようとしているのかもしれないが、彼女たちの場合はほぼ間違いなく、素でからかっているだけだろうから、真面目に対応するだけ時間の無駄だ。

 それに、どうしてもというときは、妹たちに頼むから二人を頼る必要は全くない。もちろん、妹たちに頼まれたら私も断りはしない。ただし、不純な動機も混じっていそうなまもりは別である。

若き火の神の報告

「お兄様、ユズリから聞きました」

 夕食後しばらく。ソファで三人並んでくつろいでいるときに、左に座る翠が言った。

「女の子の体に興味があるときは、わたくしたちを頼るつもりだと」

 ふと見ると、右隣の鈴も優しい目で私を見上げていた。私はテレビの前でアニメのBDをじっと見ているユズリに声をかけた。

「ユズリ、聞いていいか?」

「神の力で心を読むまでもなく、予想したことを伝えました。万が一、間違っていたなら謝りますが?」

「いや、必要ない」

 なぜか妹たちに伝えたことを謝る気はないようだ。まあ、伝えられたところで困ることはないし、伝えた理由もわかっているから仕方ないとは思う。

「だがユズリ、嘘はいけないな。心を読んでいないわけじゃないだろう」

「嘘はついていませんよ。心を読むまでもなく予想して、そのあとに答え合わせのために心を読んだだけですから」

「そうか。失礼した。それはともかく、私はユズリのことも頼りにしている。ただ、そういうことを頼む対象としてはすぐに思い浮かばなかっただけだ」

「本当ですか?」

「ああ、嘘はつかない」

「……わかりました。勝手に伝えたことは謝ります。すみません」

「いや、フォローしなかった私も悪かった。こちらこそすまない」

 何のことはない。ユズリはちょっといじけていただけだ。口調はいつも通りなのでわかりにくいが、長年一緒に暮らしてきた私たちなら見分けるのは難しくない。

「それでお兄様、話を戻しますが」

「戻すのか」

「はい」

 私としては別にその話は進めなくてもいいと思うのだが、妹たちが進めたいというのなら仕方がない。翠は私の手を強く握って、逃がさないようにしっかり掴んでいる。力の差はともかく、妹にそんなことをされて逃げられる私ではない。

沐浴の兄妹

 そして今、私は妹たちと一緒のお風呂に入っている。先程の会話の影響というわけではなく、いつものことであるのだが、ここで会話の続きがなされるのは確実だろう。

 優しく鈴の髪を洗ってやっていると、湯船の中から翠が話しかけてきた。

「お兄様は女心というものを考えるべきです」

 私はシャンプーを泡立てながら話を聞く。

「いいですか、深い行為はしないとはいえ、お兄様が私たちで勉強したと知ったら、恋人になる方はどう思います?」

「仲良し?」

「……お兄様」

 素直に答えたら、鈴からやや呆れたような声が出た。

「確かに、仲が良すぎると思われるのは間違いないでしょうが、それ以上に嫉妬するでしょうね。それもとてつもなく。理解のない人でしたら、関係が壊れてもおかしくはないですよ。ただ、私の聞き方もいけなかったかもしれません」

 私はシャワーでシャンプーを洗い流す。コンディショナーの液を出したところで、翠が話を再開する。

「逆の立場で考えたらどうです? お兄様の恋人が、弟などで練習したと知ったら」

「あまり気分がいいものではないな」

「そうです。妹でも弟でも、異性は異性。生身の体です。本や映像で勉強するのとは違うのです」

「なるほど」

 泡立てたコンディショナーを流して、鈴の髪を洗い終える。すると、鈴は私の体にもたれかかってきた。

「あ、ずるいですよ翠! わたくしが話している間に!」

「……あれ、終わってた?」

「終わってます。ちょうど泡を流しているときに」

 鈴はおもむろに私の体から離れていった。名残惜しいが、ここで甘えられたら二人とも体が冷えてしまう。それに、翠のことを考えると、鈴だけというのも不公平だ。

「あ、でもお兄様。もし美々奈さんとそういう関係になって、初めての行為に及ぶことになったら、私たちも混ぜてもらいますから。お兄様の初めて、妹として見学させてもらいます。必要とあればお手伝いもしますが、お二人の背中を押すくらいです。だから、お兄様もしっかりしてくださいね」

「ああ、好きにするといい。もっとも、相手次第ではあるが」

「はい。ではそのときはご報告を」

 言いながら翠は湯船から上がり、代わりに鈴が湯船に入る。一旦シャワーで軽く体を温めたら、今度は翠の頭を洗ってやる番だ。

湯上がりの兄妹

 パジャマを着た私たちは、三人並んでソファでくつろいでいた。鈴のツインテールも下ろされていて、翠の髪からもお姫様のようなウェーブが消えている。ショートとセミロングの二つのストレート。普段の髪型も可愛いが、湯上がりから寝るまでの時間限定のこの髪型もとても可愛らしい。兄としての特権、と言いたいところだが、まもりも見たことがあるので仲良しの特権と言っておこう。

 お風呂場からはシャワーの音が聞こえている。ユズリが入っているのだから当然だ。小さい頃は一緒に入っていたこともあるが、私たちの体も大きくなったため、今は別々になっている。

 湯船はそこそこ広いとはいえ、鈴と翠も高校生。三人で入るとやや窮屈なので、本来なら私と妹たちも別々に入りたいところだが、そうすると色々と問題が起きるので三人一緒という選択しかできない。

 鈴と翠の二人は喧嘩の真っ最中だから当然として、一人一人だと時間もかかるし、また別の問題もある。私が一人で入っていると、高確率で鈴や翠が後から入ってきて、場合によってはそこで喧嘩が発生することもあるのだ。ちなみに、ユズリと私が二人で入り、鈴と翠が別々に入るというのはどうか、と彼女から提案もあったが、私も思春期の男子として、それはさすがに刺激が強すぎると断った。

 ユズリは私たちの親代わりである。私たちも親のように慕っているが、全てを本当の親と同じようにできるわけではない。神火とともに降臨してからは十年だが、外見上は二十代前半の若い女性。親代わりだからといって、裸で二人きりになって意識するなというのは無理がある。

 妹たちがいれば、二人の可愛さでそんな煩悩は打ち砕けるので問題はないのだが、やはり四人は窮屈だ。

 特に会話もなく、私たちはぼんやりと時間を過ごす。火照った体では少々熱いので、鈴も翠も寄りかかってくることはなく、僅かな距離をとっている。

 そのまましばらく過ごしていると、ユズリが脱衣所から出てきた。

 下ろしたポニーテールの濡れた長い髪に、真っ白な肌襦袢一枚という姿の火の神。家は洋風に建て直したのに、寝巻きは和服である。まあ、ユズリは若き火の神であって、古来から存在する神が何百年の時を経て再臨したというわけでもないのだから、別に不思議ではない。

 鈴と翠がほぼ同時に、私の手を握って寄り添ってきた。直後よりは冷えたけれど、まだ熱い体。とはいえ北海道の春の夜は涼しいので、暑苦しくはなかった。

学校の外へ

 今日も今日とて部活動。しかし、本日の活動内容はいつもとはちょっと違っていた。それを発案したのは他でもない、私である。

「今日は外へ出ようと思う」

 いくら部員全員が若き神と関係があるとはいえ、毎日のように部室で話をするだけというのはどうかと思う。外に出るといっても、運動部ではないので外を歩いて若き神を探すというだけだ。

「若き神と仲良くなるには、新たな出会いも必要だからな」

「そうですね」

 翠に続いて、鈴も笑顔で頷いた。

「だね。私もホカゼに会ってみたい」

「ホカゼなら呼んだら来ると思うけど……でも、あの」

 ただ一人、美々奈だけは答えを渋っていた。

「美々奈にもユズリを紹介しようと思うんだが、今日は都合が悪いか?」

「そうじゃないけど。でも、ユズリって一応、礼人たちのお母さんでしょ?」

「では、美々奈さんの両親にもご挨拶しておきますか?」

「あ、それなら大丈夫。礼人のことなら既に親も公認済みだから。私だって、告白するまでの間、ただじっと悩んでいただけじゃないもの」

「そうですか。その割には、返事はまだ求めないのですね?」

 翠の指摘に、美々奈はやや気まずそうな顔をする。しかし、妹も別に非難するつもりで言ったわけでないのは、穏やかな声や表情から一目瞭然だ。

「まあ、お兄様はまだ私のものでいてもらいたいので、構わないのですが」

 言って、翠は私の腕に抱きついてくる。

「お兄ちゃんは私の。翠のものじゃない」

 翠の抱きつく腕とは反対側、右腕に鈴が抱きついてきた。

「私は鈴だけのものでも、翠だけのものでもないのだがな。二人には、仲良く共有してもらいたいものだ」

「……それは」

 翠は小声でそこまで言って、黙ってしまう。鈴も僅かに腕に抱きつく力を緩めて、私が視線を向けると露骨に目を逸らした。やはりこちらの問題も、簡単に解決とはいかないようだ。

「礼人、がんばって。美々奈と付き合って忙しくなったら、鈴と翠は私が面倒見てあげるから」

「忙しくなってもまもりには任せないから安心していいぞ」

「手強い」

「当たり前だ」

 私はまもりと軽く睨みあう。数秒そうしてから、まもりは肩をすくめてみせ、私は笑顔で返した。何だかんだで、この場にまもりがいるのはとてもありがたい。

「で、美々奈? ユズリとはどうする?」

 まもりが明るい声で美々奈に振る。

「会う。これくらいで悩んでたら、きっと届かないと思うから」

 美々奈は私の瞳をじっと見つめて言った。私は目を逸らさず、彼女の真剣な瞳をしっかり受け止める。その目には、ぼんやりとではあるが決意の色が見えたような気がした。ここからどう転ぶかはわからないが、私もそろそろ心の準備をしないといけないだろう。

若き風の神、ホカゼ

 私たちは、私や美々奈が初めてホカゼと出会った場所――小さな公園を訪れていた。高校からは十分ほど。別に他の場所でも問題はないが、人の少ない場所の方が色々と都合がよく、ホカゼにとっても慣れた場所ということで、美々奈がここを提案した。

「ホカゼ」

 公園に着いてすぐ、彼女は若き風の神の名を呼ぶ。直後、無風に近かった公園に一際強い風が吹き、私は思わず目をつむっていた。

「やあ、来たよ」

 私が目を開けてホカゼの姿を確認したのと、その声が聞こえたのはほぼ同時。初めて彼女と出会ったときと同じように、風とともに彼女は現れた。

「こうしてボクを呼んでくれるのは久しぶりだね。何かあったのかい……と、今日はたくさんいるね」

 ホカゼは私たちの姿をざっと眺めてから、ひとつ大きく頷く。

「彼女がホカゼ。私からの紹介は……」

「必要ないさ。礼人とは二度目だけど、他のみんなとは初めましてだね。まあ、礼人と一緒にいる君たちのことは、ボクとしては色々知っているわけだけど……どこまで話していいのかな、美々奈?」

「全部だめ」

「なんだ、そういう紹介じゃなかったのかい?」

「気付いてなかったとは言わせないから」

 美々奈の言葉に、ホカゼは大げさに肩をすくめてみせる。

「ヒサヤとはまた違う、面倒そうな方ですね」

 翠が呆れ顔で率直な感想を述べる。鈴はじっとホカゼの姿を見つめて、小さく頷いてから微笑んでいた。何か彼女に共感できるものでも見つかったのだろうか。

「若き神って大きい人ばかりかと思ったけど、、小さいのもいるんだね」

「そうかい? 美々奈から見ればみんな小さいと思うけれど」

「ちょっと、ホカゼ!」

「身長の話だよー。礼人の前で胸の話をするなんて、そんな恥ずかしいことしないって」

 なんだか入りにくい会話を聞きながら、先ほどの鈴の反応の意味を理解する。服の上からでもホカゼの胸が小さいのはわかる。はっきりとした大きさはわからないが、鈴が微笑んだということはたぶん同じくらいなのだろう。

 ちなみに美々奈の胸はここにいる全員に加え、ヒサヤを加えても一番大きい。といっても特別大きいわけではないのだが、詳しい大きさは私が知るはずもない。

「礼人くん、美々奈の胸が気になるなら情報を提供しよう」

「黙りなさいホカゼ」

「C以上D未満。ボクから言えるのはここまでさ」

 鋭い声で止めようとした美々奈の声を無視して、ホカゼはあっさり情報を提供してくれた。はっきりとは言っていないものの、範囲の狭さから特定は容易である。

「ボクの知る若き神の中で、二番目に小さい胸を持つボクとしては羨ましい限りだよ。まあ、一番のパートナーに比べると美々奈も負けるんだけどね」

 鈴と同じホカゼはAAで、ユズリは翠と同じでAだから、ホカゼより胸の小さい若き神というのは私の知らない誰かのようだ。和神町もそれなりに広い。同時期に生まれた若き神同士が互いを知らないのは珍しいことではないが、ユズリもヒサヤも知らない若き神をホカゼが知っているというのは驚きだ。パートナーと表現するからには、若き神と出会った者との関係性についても知っているのだろう。

 それは妹たちやまもりどころか、美々奈にとっても初耳だったようで、私たちみんなの視線はホカゼに集中していた。

「二人とも、君たちが全く知らない人ではないよ。大きい方はDカップ。今のボクから出せるヒントはこれだけさ」

 小さい方はホカゼの発言からAAAであることは判明しているので、私の知り合いの中からその二つの胸を持つ女性を探せばいい。まずDカップの女性といえば……そもそも、私がカップ数を知っている女性など、ここにいない者ではユズリとヒサヤだけだ。何となくそれくらいだろうと推定できる女性はいるが、推定では役に立たない。

 女性同士で情報を知っていそうな妹たちやまもり、美々奈も考えるような仕草を見せたが、ほんの少しだけでやめてしまった。

 推定Dカップの知り合いというだけでも、数は少なくない。さすがにAAAとなると少ないが、知り合いというのが何度か見ただけというのも含めるとしたら、ホカゼのヒントだけで特定するのは困難だ。私たちは神を認識することはできても、見分けることはできないのだから。

 私たちは追求は諦めて、次の若き神に会うためにホカゼと別れることにした。

巫女装束

 公園から十分。私たちはユズリのいる和神神社を訪れた。部室の鍵は出るときに閉めてきたので、紹介が終わればそのまま帰宅することもできる。が、今は部活中なので私服に着替えるわけにはいかない……のだが、生徒として問題なのは私服。仕事着なら問題ないはずと、鈴と翠は着いて早々に家に戻り、巫女装束に着替えて出てきた。

 そしてそれを見たまもりと美々奈が羨ましがり、ユズリに頼んで二人も巫女装束に着替えることになった。家の近いまもりは自宅から私服を一時的に着てきて、美々奈もホカゼを呼んで制服と私服を交換するという話をしていた。

 二人とも、巫女装束から制服に戻る気はないらしい。ちなみに二人は、部活動の一環で着替えるということで、制服でなくても問題はないそうだ。

「礼人も着替えたらどうですか?」

「部活中だからな。部長として、そうはいかない」

 私はユズリと二人で玄関の前で、着換えが終わるのを待っていた。鈴と翠は美々奈に巫女装束の着方を教えている。うろ覚えなまもりの手伝いも目的のひとつだ。

「それに、あの中に入るのは勇気がいる」

「でも、覗く気はないのでしょう?」

「それはそうだが、わからないか?」

「さあ、わからないですね」

「本当か?」

「ええ、私の着替えは意識しない礼人が、そんなことで緊張するとはとても思えなくて」

「また答えにくいことを……」

 私はユズリと会話をしながら、時間を潰して着替えの終わりを待った。そして数分後、家から四人が出てくる。

 鈴と翠の見慣れた巫女装束姿に、まもりの巫女装束もたまに見られる。ただ、美々奈の巫女装束だけは初めてだから、見慣れた巫女装束も新鮮に見えた。鈴のような短いものではない、ロングツインテールの巫女。同じ髪型でも、長さが違うだけでここまで巫女装束の印象が変わるとは思いもしなかった。

「美々奈、正月は暇か?」

「お正月? 家族と一緒に過ごすだけで、特に予定は何もないけど」

「そうか」

「まだまだ先だけど、どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 彼女がいれば初詣の人も増えるかもしれないと思ったが、それを口にするのはやめておいた。ここでそのことを告げては、大きな勘違いを生みかねないのは私にもわかる。

 首を傾げる美々奈。その隣では、妹たちやまもりが安心したような笑みを見せていた。

若き火の神、ユズリ

「私はユズリ。若き火の神です。初めまして、渡美々奈さん」

 神社の境内。家の近くで、神木を背にユズリが挨拶をする。全員、同じ巫女装束を着ているのに、ユズリだけが神々しい空気を纏っているように感じられる。樹齢五百年は越えるという神木の効果だろう。

「初めまして。ユズリさん」

 恭しく礼をする美々奈。こうも神らしいユズリを見るのは、神火とともに降臨し、出会ったとき以来だろうか。

「あなたのことは礼人たちから聞いています。妹が好きすぎて周りが見えていない礼人の心を動かすのは大変かとは思いますが、がんばってくださいね」

「覚悟の上です。ただ……その」

「近くで見ると想像以上のシスコンぶりに引きましたか?」

 微笑むユズリに何か一言言いたい気分だが、ここで介入するべきではないと思う。

「引くなんてとんでもない!」

 美々奈が慌てたように、大きな声で否定した。

「想像以上だったのは事実ですけど」

「でしょうね」

「でも、そんな礼人だからこそ私は好きになったんです。むしろ、近くで見てもっと好きになりました」

 優しい声で彼女は言った。どんな表情をしているのかは、恥ずかしくて見られない。

「へえ……」

「ふむ」

「ふふ」

 まもりや翠の感心する声に続いて、ユズリの小さな笑い声が聞こえた。鈴は私の手をそっと握って、懇願するような目で私をじっと見ていた。

「あなたの気持ちはよくわかりました。ですが、わかっていますね?」

「……はい」

 少しばかり真剣な声で、そう言ったユズリに美々奈は頷く。彼女の気持ちは本物だ。けれど、返事を求めていないのでは私から動くこともできない。私に今すぐ動けるかどうかというのは別問題としても、少なくとも彼女よりは覚悟が決まっていると思う。

 何しろ、現時点での返事は決まっているのだから。ただ、その伝え方、伝える時期や言葉を、どうすればいいのかと悩んでいるだけで。

「ふふ、私の見立てでは機会はすぐに訪れると思いますけれど」

 私たちを見回してユズリは言った。その言葉に私たちの誰もが、首を傾げたり、きょとんとしたりしていた。しかし、何となくだけど、ユズリの言葉は信じられた。私たちの間に流れる空気を無意識に感じ取ったのか、若き神であるユズリの言葉だからなのかはわからない。

 だが、そろそろ私たちの関係が大きく動く出来事が起こるかもしれない。そんな予感が彼女の言葉で強まったのは、変わらない事実だ。

「さて、話はこれくらいにして、少し神社を見ていきませんか?」

「神社を?」

「美々奈さん、一度も来たことはないでしょう」

 そうなのか、と聞いてしまいそうになったが、彼女が小学生の頃から私を好きだと言っていたことを思い出して、理解する。ホカゼに告白する勇気を求めた彼女だ。私の住む神社に、私と出会う可能性の高い場所に、気軽に訪れることはできなかったのだろう。

 初詣の人に紛れてというのも、どこぞの有名神社ならまだしも、ここ和神神社では通用しない。人口五万の和神町。普段より多いといっても、その気になれば全ての人の顔を確認することもできるくらいだ。ユズリが毎年やっていることで、もし美々奈がこっそり訪れていていも見落とすことはないだろう。神の力を使わずとも、ユズリはそのあたりとてもしっかりしているから。

 頷いた美々奈を見てから、ユズリは私に目を向けた。

「私が案内しよう」

 その意図を汲み取って、私は言った。

和神神社

 最初に目指したのは参道の先にある拝殿。どこにでもあるような一般的な拝殿だが、神社を案内するなら最初はここだろう。歩きながら、参道の左手にある社務所や、右手にある手水舎や神木にも軽く触れる。神木の樹齢くらいしか語ることはなかったので、ほとんど足を止めることなく紹介は済んだ。

 拝殿に到着した私たちは、今度はじっくり紹介……することも特にないので、裏手の湖の上に神殿があることを伝えるだけだった。

「神殿……ここの神様って、やっぱり?」

「間違いではないけれど、正確ではないな」

「和神神社の祭神はこの地に降臨する若き神。そこにはユズリも含まれていますが、それだけではありません」

「ヒサヤやホカゼも、一応」

 我が家のことならと、私たちは即座に答える。

「美々奈、ついてきてくれ」

 私は言うと、ゆっくりと歩き出した。目指す場所は当然、あの場所である。

「……綺麗」

 和神湖の前についた美々奈が最初に口にしたのは、その一言だった。

 夕焼けを反射し、赤く煌めく和神湖。参道などの紹介で時間を調整して、一番綺麗に見える時間に案内したかいがあったというものだ。

「私たちには見慣れた光景だが、どうかな」

 早朝の朝日を反射する和神湖も美しいが、この時間の輝きも同じくらいに美しい。和神湖は神聖な場所でもあるため、こうして気軽に見られるのはここに住む私たちの特権だ。他人を案内することも滅多にない場所である。私たちの他に見慣れているのは、まもりくらいなものだろう。

「そっか。うん、そうなんだ……」

 美々奈はぼんやりと湖を見つめながら、何事かを呟いていた。何を思っているのかはわからないが、彼女にもここを気に入ってもらえたのなら幸いだ。

「お兄様」

 翠が私の名を呼ぶ。鈴も私の側に寄ってきて、右腕に抱きついていた。

「どうしたんだ、二人とも?」

「いえ、何となく、お兄様の傍にいたくなって……」

「お兄ちゃん、傍にいて」

 曖昧ではっきりしない翠に続いて、鈴がはっきりと言葉を口にする。何かを感じ取ったのはわかるが、何を感じたのかはわからない。ただ、美々奈が関係するのだろうなとは何となく予測ができた。それは彼女の姿を見たからというより、ユズリの先程の言葉の影響が大きいのだが、妹たちはどうなのかはわからない。

 ふと見ると、美々奈が小さな声で何かを呟いているのがわかった。今度は口が動いているのが見えただけで、何を言っているのかは全く聞き取れない。

「礼人、がんばってね!」

「何をだ?」

「何かな?」

 唐突に応援をしてきたまもりに聞き返すと、彼女は首を傾げて質問で返してきた。とぼけているわけではなく、本人もよくわかっていない様子だったので、私もそれ以上は追求しない。

 ユズリの言った、「機会はすぐに訪れる」という言葉。何がどうなって、どういう機会が訪れるのかはわからないが、私も覚悟をしておいた方がいいのかもしれない。


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