しましまくだものしろふりる

第三章 大陸南部精霊記


 リース・シャネア国。大陸北部、フィーレット村の北に広がる、激しい海を越えた先にある島国。穏やかな時期はほとんどない。漁村として発展したフィーレット村の周辺こそ、比較的穏やかではあるが、遠くまでいくとその穏やかさはすっかり消え失せる。

 同じように、リース・シャネア国の島々の間も比較的穏やかで、まるでその海はリース・シャネア国を外から守るかのように荒れている。

 その荒れた海の空を、白金と透き通るような水の青を重ねたような不思議な色合いの髪をなびかせて、露出の極端に少ない白い布を何枚も重ねたような衣装に身を包んだ精霊、フィルマリィは飛んでいた。強い風に晒されながらも、腰まで伸びた緩やかなウェーブのかかった髪は崩れることなく、透き通るような水色の瞳は北の島々に向けられている。

 そして、その精霊が舞う空をぼんやりと眺める少女が一人。淡い青色の短い髪に、髪よりはやや濃いが淡いといえる青の瞳。少しばかり豪華な衣装に身を包んだ、気品の漂うリース・シャネア国の姫――リース・シャネア・フィオネスト。

 しまぱん勇者――リース・シャネア・レフィオーレの双子の姉、フィオネストは南から来る気配に気付いているのかいないのか、城のバルコニーからぼんやりと南の空を眺めていた。

 数十分後、フィルマリィが城からはっきりと見えるところに現れる。気付いた騎士たちの慌ただしい声が、フィオネストのいるバルコニーまで届く。高速で空を駆け抜ける精霊。突然のことで準備のできていない騎士たちが止められるようなものではない。

「フィオネスト様!」

 一人のメイドが、バルコニーにいる姫の名を呼ぶ。呼ばれた姫は、振り返って微笑むと、優しい声で言った。

「大丈夫ですよ。あなたは下がっていてください。彼女は国をどうこうしよう、とは考えていないでしょうから」

 フィオネストも精霊の力は知っている。リシャを宿していたときの記憶、そしてフィオネストとしての意識を取り戻してからの記憶。目前に迫る精霊は見たことのある精霊――ピスキィではなくても、空を飛んでいる姿から精霊と判断するには難くない。

 指示に従ってメイドが下がるのと同じ頃、フィルマリィは速度を緩め、フィオネストのいるバルコニーにふわりと降り立つ。

「こんにちは。あなたがリース・シャネア・フィオネスト。リース・シャネア国の姫で、間違いないですね?」

「ええ。あなたは、どちらの精霊ですか?」

「フィルマリィと申します。大陸南部から、用があってこちらまでやってきました」

 和やかな雰囲気で進む二人の会話。言葉の裏に敵意や疑惑、恐怖……それらの感情が滲み出ることもない、本当に穏やかな会話。

「南部……ですか?」

「山を二つ越えて」

「なるほど。レフィオーレもそこにいるのですか?」

「ええ、彼女たちとは一戦を交えました」

「四人と?」

「はい」

「そうですか。ルーフェは無事に合流できたようですね。それで、用件とは?」

 フィオネストは瞳に真剣の色を微かに宿らせる。フィルマリィも笑みを浮かべながらも、同様に僅かに真剣な顔を見せた。

「リシャ、についてです」

「……リシャ、ですか」

「はい。彼女を完全にするため、あなたのしましまぱんつを頂きたいのです」

「私のものだけでよろしいのですか?」

「あなたの妹、レフィオーレからは既に頂いています」

「そうですか。では、条件を一つ呑んでいただけたら、お渡ししますよ」

 フィオネストは逡巡する素振りも見せずに、あっさりと承諾する。

「なんでしょう? 私としても、なるべくなら穏便に済ませたいですから、面倒なことでなければ呑みますよ」

「あなたの服、脱がしてもよろしいですか?」

「……はい?」

 ぽかんとした表情で、聞き返すフィルマリィ。それに構うことなく、フィオネストは言葉を続ける。

「何枚もの布に包まれた、露出の少ない精霊。その布を一枚一枚、ゆっくり剥がしていくことで晒される白くて柔らかな肌。ああ、想像するだけで私は……」

 恍惚とした表情を見せるフィオネストに、フィルマリィはややたじろぐ。

「と、いいたいところですが、そこまでやると私の自制心も限界です。ということで、脱がしてくださるだけで結構ですよ。しましまぱんつでしたら、いつもはいていますから」

「……求められても、抵抗します」

「それくらいなら慣れています」

「脱がすだけで、いいのですね?」

「ええ。さあ、どうぞ」

 力を抜いて立つフィオネストに、フィルマリィは片脚を上げるように指示を出して、自身の手で彼女のはいている水色と白の横じましましまぱんつを脱がせていく。かつて、フィオネストが自らの意識を封じ、その身に不完全なレフィオーレの魂を宿し、リシャの意識が生まれたときにはいていたぱんつである。

 リース・シャネア国の国宝であるしましまぱんつは、二枚一組の双子のぱんつ。どちらも創世時代から存在するもので、一枚は姫がはくもの、もう一枚は大切に保管するものとして、長い間、城の中で守られていた。それを両方ともはくことになったのは、双子の姫としまぱん勇者、レフィオーレとフィオネストが生まれてからである。

「これで、よろしいのですね?」

「ええ。ああ、精霊が私の脱ぎたてのしまぱんを、その手に大事そうに乗せて……」

「あの、私を変態みたいな目で見るのはやめてもらえませんか?」

「あら、違うのですか? だって、リシャはレフィオーレのぱんつを頂いたのでしょう?」

「二枚とも、必要なだけです」

「しましまぱんつの重ねばきですか。レフィオーレのものと、わたしのものが密着して……それはそれで、たまらないものがありますね」

 再び恍惚の表情を見せるフィオネストに、フィルマリィは何も言わずにさっさと飛び立とうとする。呆れたような様子はなく、単に急ぐための動きであろう。

「ああ、そうでした。最後に一つ、言っておきますね」

「なんでしょう?」

「あなたが何をしようとしているのか、尋ねることはしません。尋ねる必要など、ないですからね。世界の危機に関わるものであれば、私の自慢の妹が――仲間たちとともに、必ずあなたを止めるでしょうから。そのあとにでも、ゆっくりお茶でもしませんか?」

 和やかな雰囲気のまま、優しい声で、フィオネストは言った。自身の妹に対する、絶大なる信頼。フィルマリィは動きを止めて、じっとフィオネストの顔を見つめる。

「……なるほど。さすが、リース・シャネア国の姫、ですね」

 目を瞑って、何かを思い出したかのように微笑んでから、フィルマリィは続けた。

「そのお誘いはお断りします。私は負ける気はありませんから」

「そうですか。しかし、もしあなたが勝ったとしても、レフィオーレたちの命を奪うようなことはないのでしょう?」

「それは、そうですが……そんな状況でも、お茶をしたいと言うのですか?」

「ええ。まあ、あなたが望むのでしたら、ベッドの上での語り合いでもよろしいですよ。むしろ、私としてはそちらの方が幸せです」

「そちらもお断りします」

「残念です」

 肩をすくめるフィオネストを一瞥すると、フィルマリィは空に飛び上がり、南の空へ――大陸南部へと向かって空を抜けていった。

 精霊の後ろ姿を眺めながら、フィオネストは小さな声で言った。

「レフィオーレが帰ってきたら、多大なお礼をしなくてはなりませんね」

 フィオネストは振り返って、城の中に入る。少し離れたところで待機していたメイドや騎士たちに対して、彼女は大きな声で指示を出した。

「みなさん、パーティーの準備を。盛大な、国で一番のパーティーを行うのです。レフィオーレが戻るまで、時間をかけてしっかり準備しますよ」

 大陸南部、クラングレッソの街。そこを出た、かつての精霊都市アルシィアの巫女、アーリアスト・シェーグティーナはフィルマリィ川の上流に向かって歩いていた。

 街から少し離れたところにいた魔物に案内されるままに、その場所へと進んでいく。その顔に不安の色は一切見えず、何があるのか、誰がいるのか、はっきりとわかっているかのようにも見える。

「アルシィア、覚悟はいい?」

 人影が見えてきたところで、シェーグティーナは問いかける。足を止めずに、そのまま歩いている様子から、彼女の受け入れた精霊の回答は容易に想像できる。

 さらに近づくと、人影がシェーグティーナの方を見て、大きく手を振ってきた。シェーグティーナの見たことのない人物。けれど、顔や服は彼女のよく知る人物と同じ。髪の長さだけがちょっと違う、一人の少女がそこで待っていた。

「あなたがシェーグティーナ?」

「ええ。あなたが、リシャ?」

「うん。それは間違いないと思う。あんまり、覚えてないけどね」

 リシャは苦笑する。記憶喪失。リシャの記憶は、レフィオーレとフィオネスト、二人のしましまぱんつに宿っている。レフィオーレのものに宿った記憶しかないリシャは、記憶喪失であると言っても過言ではない。

「用件は?」

「アーリアスト・シェーグティーナ。そして精霊アルシィア。私たちと一緒に、戦ってもらいたいんだ。あなたがいれば、私たちの勝ちは揺るがない」

「誰と、は聞くまでもないか」

 精霊フィルマリィと、しまぱん勇者とその仲間、レフィオーレたちが戦ったことはシェーグティーナも知っている。疑問の余地はなかった。

「で、利点は? 私は既に彼女たちに協力したけど、私にとって有益なら、彼女たちと剣を交えることに抵抗はない。でも、それがないなら戦う気はない。当然、それだけの利点は用意してるんでしょう?」

 シェーグティーナの問いに、リシャは大きく頷いた。

「フィルマリィは精霊の力とぱんつの力を融合して、新たな生命、私を生み出した。それだけのことができるなら、他にもできることがある」

 リシャは大きく息を吸ってから、はっきりと言う。

「シェーグティーナはシェーグティーナとして、アルシィアはアルシィアとして。あなたたちを、元の形に。精霊と人として、分離させられる。それが、協力に対する報酬だよ」

「なるほど。確かに、それは大きな利点」

 リシャの示した報酬に、シェーグティーナは微笑んでみせる。

「でも、お断りさせてもらう」

 しかし、彼女は首を横に振って、きっぱりと断った。一瞬たりとも迷う様子を見せず、すっぱりと。

「二百年。ううん、あなたたちの提案が半年でも早かったら、私は協力していたと思う。アルシィアと長く、二人だけで生きてきた。その彼女と、再びこの手で触れ合えるのなら、私は喜んで協力する。この体に慣れたとはいえ、やっぱり、嬉しいものだから」

「じゃあ……」

「でもね、残念だけど、レフィオーレと戦うのに、その報酬じゃ足りない。あなたも、レフィオーレのことは知っているんでしょう? もし彼女が、フィルマリィが私とアルシィアを分離させられると知ったら、どうすると思う? 彼女のおかげで、無事に再び生まれることのできたあなたになら、よくわかっていると思うけど」

「それは、多分……フィルマリィを説得して、協力する、と思う」

「正解。だから、私があなたたちに協力する必要はない」

「でも、フィルマリィとレフィオーレたちがこのまま戦ったら、きっとフィルマリィは激しく消耗する。あなたを分離する力は、すぐには戻らない。レフィオーレと一緒に、時を重ねることはできないと思う」

「そんなの、問題にならない。私は今のままで、レフィオーレとの関係を作った。だから、別に構わない」

「本当に?」

 リシャはじっとシェーグティーナの目を見つめる。見つめられた巫女は少しの間、その目を見つめ返していたが、ふと目を逸らして、呟いた。

「世界の危機より、優先すべきことではない、でしょ」

「そう、だけど……」

 リシャは俯いて、胸に片手をあてる。数秒後、顔を上げたリシャは宣言した。

「わかった。戦いが終わったら、私が説得する。だから、その、今はこれ以上、レフィオーレたちに協力しないと約束して? それくらいの妥協なら、許してもらえると思う」

「あなたは……」

「場合によっては、私の力を使うことも考えるけど……何となく、それはやっちゃだめな気がするんだ。許してね?」

 リシャに宿る微かな記憶。はっきりとは覚えていない、暴走した精霊ピスキィと戦ったときのこと。その記憶が、リシャの口からそんな言葉を出させた。誰のものかはわからないけれどぼんやりと思い出されるのは、誰かの悲しい顔と、声。

「好きにすればいい。私は別に、このままでも構わないから。……あのときから、覚悟は決まってる」

 シェーグティーナは微笑んで、言った。嘘も偽りもない素直な言葉。

 リシャは彼女に微笑みを返すと、大きく頷いてみせた。

 フィルマリィの帰りを待って、精霊神殿に戻るというリシャと別れ、シェーグティーナは下流へと戻る。無言で。しかし、表情がたまに変化する様子から、彼女とともにあるアルシィアと何事かを話しているのは間違いないだろう。

 どんな会話をしているのかは、外からではわからない。だが、彼女の顔に浮かぶ感情には、呆れこそあれ、悲しみはなかった。笑顔、喜び、そしてまた呆れ。その繰り返しである。


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