しましまくだものしろふりる

第二章 大陸中部精霊記


 ローレステは大陸中部では有名な温泉宿で、特に泉質の良さは大陸中でも一、二を争うほどのものだ。それでいて、客はまばらで常に賑わっていはないのには、二つの理由がある。ひとつはコルトレドからローレステまでは徒歩で半日以上かかること。もうひとつはそこまでの道がやや険しいことだ。

 途中には馬車が通れないような細い道もあるので、そこへ楽に辿り着けるのはぱんつの力をそこそこ引き出せる女の子か、直接馬に乗って旅のできる者くらいだ。もちろんそうでない人も訪れているが、とても疲れるので良質な温泉に高い価値を見出す一部のマニアが大半だ。

 とはいえ、ピスシィア山脈を越えられるようなレフィオーレとスィーハにとって、この程度の道を進むことは道さえわかっていれば造作もない。

 その二人を先行して道案内をするミリィも、軽快な足取りで進んでいく。後続の二人と違って、なるべく平坦な道を選んで歩いているとはいえ、ローレステがあるのは山の麓。近づくにつれて傾斜も深くなり、平坦な道もなくなってくる。

 それでもミリィの足取りは変わらないまま、速度を落とすことなく歩んでいく。ワンピースも汚れることなく綺麗な青色のままだ。

 身体能力を高めるだけでなく、衣服まで汚れないとなると、かなりのぱんつの力を引き出すことが必要だ。そこそこ引き出せる程度では、体の傷はある程度防げても衣服は普通に汚れてしまう。

 幼いのにそれだけの力を引き出せるのは凄い、ということはない。ぱんつの力をどれだけ引き出せるのかは素質によるもので、自分で考え行動できるくらいの年齢になれば自然とその力を活かすことができる。もちろん、武器を持って戦うならそれなりの鍛錬を必要とするが、日常生活とその延長くらいなら普通に生活していれば自然と身に付く。

 それはぱんつの力を完全に引き出せるレフィオーレとスィーハにとっても同じで、しまぱん勇者とその仲間として戦えたのも小さい頃から鍛錬をしていたからに他ならない。

「そろそろです」

 ミリィが歩きながら言う。岩や木々に囲まれて建物は見えないが、ミリィの言葉通り数分後にはローレステの宿が見えてきた。落ち着いた色の木で造られた平屋建ての建物で、近づくまで見えないのも当然だ。

 宿に泊まる手配をして、案内された部屋には大きめのベッドが置かれていること以外、特別なものはなかった。宿の料金も普通の宿とさほど変わらない。

「温泉ひとつで結構な集客効果があるみたいだね」

 宿屋の娘であるスィーハは誰にともなく呟いて、部屋を見回している。その様子をミリィは不思議そうに見ていたが、レフィオーレに説明されると納得したように頷いた。

 見回すのは短時間で終わり、三人は食堂へ向かう。温泉に入ってみたい気持ちはあるが、ここまでくるのに半日以上もかかっているのだから、空腹になるのは当然だ。三人が温泉へ向かおうとしたのは食後、多少の休憩をとってからである。

「ここの温泉って露天風呂なんだよね」

「そうだね。危なくないかな?」

 レフィオーレの言葉に、スィーハが答える。暴走した精霊の影響を受けて魔物が活発化していた大陸北部と違い、山脈の南では魔物が暴走している様子は見られなかった。だからといって、安全とは言い切れない。ピスシィア山脈のすぐ側なのだから、北部の影響を受けている可能性もあるし、暴走していなくても条件次第では魔物が人を襲うこともある。

 普段ならぱんつの力を完全に引き出せる二人が心配することはないが、温泉に入っているときは裸になるから、ぱんつの力は使えない。

 もちろん、有名な温泉宿としてやっているのだから、そこまで心配する必要はないと二人も頭では理解している。けれども、旅をする以上、些細な危険でも排除するのが最善だ。

 心配しながら温泉の入り口に辿り着いたところで、そこの壁にかけられていた看板を見て二人の心配はなくなる。露天風呂を囲う柵には魔物避けにぱんつの力が使われています、とそこには書かれていた。

「大丈夫みたいだね。じゃあ行こうか、スィーハ、ミリィ」

「そうだね」

「私は後で入ります。二人きりの方が気兼ねなく入れるでしょうし」

「私たちは気にしないよ。一緒に入ろう」

「そうだよ、ボクたちに気を遣わないで」

 ミリィはちらりとスィーハに視線を向けて、少し考える素振りを見せてから答える。

「気にしないでください。私も一人で入るのが好きなんです。大きな露天風呂を一人で占有するのもいいものです」

「そっか。じゃあ、私たち先に入ってるね」

 レフィオーレに続いて、脱衣所に向かおうとするスィーハ。彼女が入る直前に振り返ったのに合わせて、ミリィは口だけを動かして、スィーハを応援する言葉を口にする。ついでに、小さな声で、一人で入りたいというのも本当ですよ、と付け加えた。

 脱衣所で服を脱いで、屋内の浴場を抜け、レフィオーレとスィーハは露天風呂に向かう。広い露天風呂で、柵もそれほど高くないので美しい景色がよく見渡せる。

 二人きりで露天風呂、という状況にどきどきしていたスィーハだったが、そのどきどきはすぐに失われてしまう。露天風呂へ向かう扉を開けてすぐに、先客の姿が見えたからだ。濃い赤色の長い髪にリボンはないが、身長や体型からそれが誰かを判断するのは難しくない。

 ちなみに、先客がいるということは脱衣所に衣服があったことから、レフィオーレは入る前から気づいていた。姿を見つけて驚いたのはスィーハだけである。

「やっぱり、シェーグティーナだ。久しぶり、シェーグティーナ!」

 声をかけられて振り返ったシェーグティーナは、無言で二人の姿を見つめると、無言のまま再び背を向けた。

「あれ?」

「レフィオーレ、ここはボクに任せて」

 意図してではなく結果的にではあるが、せっかくの二人きりを邪魔されたスィーハは、姿を見ても興味なさそうにしたシェーグティーナの態度にかちんときていた。

 礼儀として軽く体を洗ってから、露天風呂に入り、そろそろとシェーグティーナの後ろに近づいていく。もちろん、動くことでお湯も揺れるので気付かれているのは承知の上だ。そしてある程度近づいたところで、勢いよくシェーグティーナに抱きつく。

「捕まえた!」

「私は仲良くする気はない、って言わなかった?」

 直接その言葉を聞いたわけではないが、そういうニュアンスの言葉を言ったのはスィーハもちゃんと覚えている。しかし、スィーハの行為は仲良くなるのを目当てにしたものではない。

「わかってるよ。ボクはただ、ボクたちの身体を見て、勝ち誇ったように振り返った君にちょっとおしおきをしたいだけだよ」

「なんのこと?」

 当然の疑問を口にするシェーグティーナ。それに対して、スィーハはお腹のあたりに抱きついていた手を、大きく上に動かすことで答える。

「っ! さ、させない!」

 乳房の下に軽く手が触れたところで目的を理解したシェーグティーナは、素早い身のこなしでスィーハから逃れ、即座に振り返って胸を両腕でガードする。ぱんつをはいていないスィーハにはそれに対応することができなかった。

「レフィオーレ。シェーグティーナは自分より胸が小さい人には興味がないんだよ」

「ちょっと、なに勝手なこと――」

「スィーハ、いくらなんでもそんなことは……ないと、思うけど……」

 服の上から見たときよりもやや大きいシェーグティーナの胸を見て、レフィオーレの語気が弱まる。年齢的にレフィオーレとスィーハにはまだ成長の余地があるとしても、現状で倍くらいの大きさだと、もしかすると本当にそうかもしれないという考えが一瞬頭をよぎる。

「わかったでしょ、レフィオーレ」

「また勝手なことを。私が仲良くしない理由は……」

 そこまで言って、シェーグティーナは口ごもる。その真意はわからないが、言いかけて口ごもるという行動をとったのは彼女にとって失敗だった。

「言わなければショックを受けないと思ってるみたいだよ」

「そう、だね。うん、わかった。そういうことにする」

 レフィオーレも誘導されているのはわかっているが、シェーグティーナが少し動く度に揺れるものを見ていると、何となくスィーハに乗ってもいいかなと思えてくる。

「仲良くなるには裸のスキンシップだよね。覚悟して、シェーグティーナ」

「行こう、レフィオーレ。二人がかりならいけるよ!」

 そんな二人の姿を見て、これ以上何を言っても無駄だと理解したのか、シェーグティーナは胸を守っていた両腕を下ろして、軽く構えをとる。

「わかった。気が済むまでやればいい。でも、二人が私に追いつくのは無理」

「……スィーハ、今の発言どう思う?」

「……無理、だってさ。ボクたちの成長の余地まで否定するんだね」

「ま、いいか」

 シェーグティーナの思わぬ失言で、レフィオーレとスィーハのやる気が大きく増す。シェーグティーナは諦めたように呟くだけで誤解を解こうとはしない。

 幕を開けた露天風呂を舞台にした二対一の戦い。結果はシェーグティーナの完全勝利で終わる。レフィオーレとスィーハの息の合ったコンビネーションも彼女には通じず、胸に触れるどころか身体に触れることさえできなかった。

 基礎的な身体能力の差もあるが、シェーグティーナはそれに頼ったわけではない。彼女は必要最低限の動きで、二人の動きを読んで回避しただけだ。それでも時間が経ち、冷静さを取り戻した二人の攻撃は回避するだけでは間に合わない。

 その代わりに行ったのはお湯をかけたり、波を起こすことによるちょっとした目くらまし。些細なことではあるが、二人に囲まれないようにして一対一に持ち込めれば充分だ。

「気が済んだ?」

 すっかり疲れ果てた二人に対して、シェーグティーナが言葉を放つ。最低限の動きだったとはいえ、彼女はほとんど疲労していないように見えた。

 レフィオーレとスィーハは小さく頷くだけで、言葉を口にする余裕はない。その後、先に入っていたシェーグティーナが出てから、二人はゆっくりと温泉に入って疲れを癒した。

 湯上がり、身体を拭いて髪を乾かしたレフィオーレは一人シェーグティーナを捜していた。スィーハは部屋に戻ってミリィを呼びにいっている。レフィオーレが提案して、スィーハも同意した目的はひとつだ。

「見つけた!」

「連れてきたよー」

 レフィオーレがシェーグティーナを見つけたのと、スィーハがミリィを連れてきたのはほぼ同時だった。

「まだ何か用?」

「うん。シェーグティーナに頼みがあるんだ」

「ミリィの同意も必要だけど、一緒でいいよね?」

 こくりと頷くミリィ。シェーグティーナも立ち止まっていることから、話を聞く気はあると判断したレフィオーレは大きな声で一言。

「私たちの師匠になって!」

「師匠?」

「シェーグティーナはまだローレステに泊まる?」

「特にやることもないから、そのつもりだけど」

「その間だけでもいいから、私たちを指導してくれないかなって。私、もっと強くなりたい」

「精霊にも勝てたのに?」

 シェーグティーナの言葉に、レフィオーレは答える。なんでそこまで知っているのかも気になるけれど、それを聞くのは彼女と仲良くなってからでも遅くない。

「あのときは頼りになる二人――ルーフェやチェミュナリアもいたし、ピスキィも暴走していたから奇襲が成功しただけ。それに、シェーグティーナにだって二度も負けたよ。私とスィーハがしてきた鍛錬はぱんつの力を使いこなすこと、それだけだから。引き出した力に頼るだけじゃ限界がある」

「そう」

 その声から感情は読み取れない。シェーグティーナはスィーハを見る。

「ボクはレフィオーレほど強くなりたいとは思わないけど、せめて自分と、自分の大切な人の平和を維持できるくらいの強さは欲しい」

「二人の気持ちはわかった。でも、私が教えるメリットは何もない。言っておくけど、仲良くなれる、なんてのは却下だから」

 ちょうど言おうと思っていたことを言われたレフィオーレは黙ってしまう。もちろんそれで通じないことはわかっていたので、次の手は用意してある。

「お願いします、師匠!」

「ボクからもお願いするよ、師匠」

 シェーグティーナが見返りとしてお金や物を求めないだろうことは、聞かなくてもわかる。だから残る手段はただひたすらに頼むこと。それでだめなら諦めるしかない。

「おだてたところで……」

 そこまで言って、シェーグティーナは一瞬困ったような表情を浮かべ、大きく息をついた。

「わかった。私がここに留まっている間、一週間だけなら教えてもいい。でも手加減はしないから、覚悟はしておいて」

「ありがとう、シェーグティーナ!」

 笑顔を浮かべて喜ぶレフィオーレだが、スィーハに肩を叩かれて心を落ち着ける。シェーグティーナの了解はとっても、もう一人の了解もとらないと訓練することはできない。

「私は構いません。急ぎではないですし」

「なら決まりだね。よろしく、シェーグティーナ」

「違う」

「そうだよスィーハ。師匠って呼ばなきゃ!」

「燃えてるね、レフィオーレ」

 スィーハは苦笑しながらも、優しい声で言った。苦笑したのはレフィオーレに呆れているわけではなく、ただこれからのことを考えると大変だと改めて実感したからに他ならない。

「だって、師匠と弟子って響き、なんかかっこいいじゃない!」

「二人は同類ですね」

 ミリィがレフィオーレとシェーグティーナを交互に見て言う。シェーグティーナは口を開きかけたが、何も言葉にすることはなく、諦めたような表情で小さく肩をすくめてみせた。

 翌朝、訓練初日。四人はローレステのすぐ近くに集まっていた。建物を建てられるだけあって、この周辺は比較的足場が安定していて、障害物も少ないから訓練にはちょうどいい。

「昨日言った通り、準備はしてきた?」

「はい、師匠! スィーハから借りました!」

「ボクもレフィオーレのを借りたよ」

 いま二人がはいているのは、いつものしましまぱんつとふりるぱんつではない。レフィオーレは白地に水色水玉模様のふりるぱんつ、スィーハは黄色と青の横じまのしましまぱんつ。ぱんつの力に頼らない訓練をするため、シェーグティーナの出した指示に従った結果だ。

 指示は力を引き出せない状態で来て、というものだったが、二人ともしましまぱんつとふりるぱんつしか持っていなかったため、それぞれのぱんつを借りることにした。もちろん、条件を満たすにははかないという選択肢もあるが、周囲に人がいない場所とはいえ、恥ずかしいことに変わりはない。

 いつものぱんつはいつでも使えるように、ミリィが持ってきている。力を引き出せないぱんつだと、普通に汗などで汚れてしまう。今日は使わないが、いずれ普段のぱんつをはいての訓練もあるので、そのときのためだ。

 力を完全に引き出せる二人なら、はくだけでも少しの汚れなら浄化はできる。だが、激しい訓練での汗は少しの範囲には収まらない。汚れていても引き出せる力は弱まらないが、洗えるなら洗わない理由はない。

「そう。それじゃ、早速始めるけど、まだ武器は使わないから」

「了解です!」

 すぐに答えて、レフィオーレは持っていたソードレイピアをミリィに預ける。ぱんつの力は引き出せなくても、武器を持って振るえるくらいの力はある。しかし、シェーグティーナがそれを心配して言ったわけではないのは明らかだ。

 シェーグティーナの足元には小さな石ころの山がある。彼女はそこから二個の石を拾って、それぞれの手に持つ。

「これを今から二人に投げる。受け取ったら私に投げ返して。けど、投げ方は一定じゃない」

「反応速度を確かめるってこと?」

「スィーハ、こういうときは黙って従うものだよ」

 疑問を口にしたスィーハに、レフィオーレは小声でたしなめる。そのあとに、私も気になるけど、という一言があったので、スィーハは曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

「それもあるけど、もうひとつ。あなたたちは私が受け取れないように工夫して返して。私にちゃんと届きさえすれば、投げ方は問わない。どちらかの石を私が取れなかったら、それでこの訓練は終わり。注意もあるけど、言わなくてもわかるでしょ?」

 レフィオーレとスィーハは同時に頷く。それを確認して、シェーグティーナは二人に小石を投げた。下手で投げられた石は、放物線を描いてゆっくりと二人の手に届く。

 最初のうちは緩急をつけて投げて来る小石を受け取ることに専念する。シェーグティーナの投げ方は様々だが、投げ返すのに力を入れなければ受けるのは難しくない。

 慣れてきたところで、レフィオーレとスィーハも緩急をつけて投げ返す。けれどその程度ではシェーグティーナが受け取れなくなることはない。持っている間に移動して、二人とも前後から挟んで投げてもみたが、待っている間にシェーグティーナも動けるので死角はない。

 それなら、とレフィオーレとスィーハは互いに頷き合い、次の作戦を実行する。位置取りはシェーグティーナの前方。先に投げたのはスィーハだ。石を空高く投げ、受け取ろうとするシェーグティーナの視線は必然的に上を向く。その隙を狙って、レフィオーレが素早く低空で石を投げる。

 二つの石が届くのはほぼ同時。シェーグティーナは両手で落ちてきた石をしっかりキャッチすると、もう一方の石は足で蹴り上げ、落ちてきたところを手に収めた。

 シェーグティーナは小さく微笑んで、二人に向かって石を投げつける。それは今まで以上に速く、慣れていた二人も受け取ってすぐに投げ返すことはできなかった。

 それからもシェーグティーナは時折今のような速い石を投げてきて、二人はそれに慣れるので精一杯だった。ある程度慣れてきたと思ったら急に遅い石が飛んでくることもあり、反撃する策も思いつかないまま体力が削られていく。

 このままではいけない。そう思ったレフィオーレは、新たな工夫をする。投げられた小石を手で受け取るのではなく、足で受けてそのまま蹴り返す。慣れていないので速度こそ遅いものの、意外な行動にシェーグティーナの反応がやや遅れる。

 次も、その次もレフィオーレはそれを繰り返す。体力の消耗は激しいが、蹴り返すのにも慣れてくれば速度も上がり、投げた石が投げ返されるまでの時間も短くなる。

 一対一なら、こんなことをする意味はない。けれど、シェーグティーナの相手は二人。レフィオーレが素早く返す中で、スィーハは緩急つけて石を投げ返し、シェーグティーナを翻弄する。

 しかし、シェーグティーナの顔色は変わらず、これを繰り返すだけでは訓練が終わらないことはスィーハもわかっている。用意していた次の一手は、小石を空高く投げて上空から落とすこと。

 落ちてくる石を確認しつつ、すぐに帰ってくるレフィオーレの小石にも注意を払う。今度は足を使わず、片手でレフィオーレの、もう片方の手でスィーハの石を同時に受け取り、高速で投げ返す。

 対する二人は、蹴り返しと高く投げる、その二つの動作を何度も繰り返す。そのままスィーハは位置をずらしていき、シェーグティーナを挟み込む形になる。

 それでも、シェーグティーナは二つの石を平然と受け取る。石の飛んでくる方向、落ちてくる場所がわかっているのだから、最初は驚いても慣れるのは時間の問題だ。だが、その慣れこそがレフィオーレとスィーハの狙いでもあった。

 緩急をつけて投げてくるシェーグティーナ。それが二人とも最速になったとき、二人は動いた。自分に向けて飛んでくる小石を、レフィオーレは手で受け取り、空高く投げる。スィーハは手を使わず、足で受けて蹴り返す。

 ゆっくり空から飛んでくる石と、高速で直線的に飛んでくる石。それ自体は先ほどまでと同じだが、方向が違う。突然の変化に、シェーグティーナはスィーハの石を蹴り上げたものの、それを受け取ると同時に落ちてきたレフィオーレの石は取り落としてしまう。

「合格」

 そして、訓練の終わりを告げる一言を口にする。レフィオーレとスィーハは互いに手を取り合って、全身で喜びを表現する。

「一か八かの作戦じゃなく、二人の特性を活かした見事な作戦。……よくやった」

 途中まではすらすらと言っていたシェーグティーナだが、最後の一言はややぎこちない。だが、無事に訓練を終了した喜びに浮かれるレフィオーレとスィーハは特に気にしなかった。

 今回の作戦が成功したのは、シェーグティーナの言う通り二人の特性を活かしたからだ。この作戦で重要なのは、スィーハが確実に小石を高速で蹴り返すこと。レフィオーレが慣れる時間を要したことを、初めてで成功させるというのは難しいようでいて、そうでもない。

 ソードレイピアを武器とし、足捌きは得意でも足技を使う機会のなかったレフィオーレと違い、スィーハの専門は回避を中心とした体術。その中には当然足を使った技も含まれており、小石を蹴るのは初めてでも、蹴るという動作そのものは御手の物だ。あとはシェーグティーナの様々な投げ方を把握さえすれば、失敗することはない。

 もう一つ重要なのは、レフィオーレが考えた作戦を、行動を見るだけでスィーハがすぐに理解すること。息が合っていないと難しいが、二人の関係からすると造作もないことだ。

「少し休憩したら、次の訓練をするから」

「はい! 師匠!」

「了解です、師匠」

 足元にある石ころの山から使った小石は、たったの二つ。石ころの山がなくなるまで今日の訓練が続くことは、言われなくても二人は理解している。

 そして日が暮れる頃、あれだけあった石ころの山はすっかりなくなり、残りは片手で数えられるほど。その小石も、もうすぐなくなる。シェーグティーナが勢いよく投げた複数の石を、レフィオーレは上半身の動きだけで全て回避する。スィーハは先ほど投げられた石を回避したのを最後に、一足先に休憩している。

「今日はここまで」

 その言葉で、半日近くかけて行われた訓練は終わる。あとは温泉でゆっくり疲れた身体を休めて、明日以降の訓練に備えるだけだ。

 二日、三日と基礎的な訓練が終わり、四日目。今日も二人ともいつものぱんつははいていないが、レフィオーレの手にはソードレイピアが握られている。この日からは二人それぞれの戦闘方法に合わせた訓練が始まる。

 もっとも、基本的な戦い方は教えるまでもないので、シェーグティーナが教えるのは二人の戦い方の弱点を克服する方法だ。二人ともほぼ我流で鍛錬を積んでいたため、普通なら気付く弱点に気付いていないこともある。一方、我流故に普通なら弱点となる部分に自然と対応できている面もあり、それを潰さないようにするのも大事だ。

「それじゃ、まずは二人で私を攻撃してみて。反撃もするけど、手加減するから」

 そのためにはレフィオーレとスィーハ、それぞれの戦い方を把握しなければならない。二人は言われた通りにシェーグティーナを攻撃するが、ぱんつの力を引き出せないのは前と同じ。武器を持ったところで結果は変わらない。

「そこまで。二人の力はよくわかった。少し休憩してて」

 二人が動き回って疲れた身体を休めている間、シェーグティーナはぼんやりと空を眺める。そのまま数分空を見続け、静かに顔を正面に向けて小さく口を開く。

「休憩終了」

 続くシェーグティーナの言葉に、二人は耳を傾ける。今日の訓練内容は前日に聞いているので、これから言われることは今までよりも重要なことだ。

「レフィオーレ、あなたは突くことは慣れてるけど、斬ることは補助の域を超えていない。武器の特性を考えると間違ってはいないけど、特化した突きに斬りが追いついていない。スィーハは回避するばかりで積極性がなさすぎる。積極的な攻撃が向いていないとしても、相手の攻撃を誘う技術を高めるくらいはできるでしょ?」

 シェーグティーナは淡々と告げる。彼女の指摘は普通なら気付きそうなものだが、レフィオーレとスィーハには強いぱんつの力がある。それが弱点を補っていたため、二人はその弱点に気付くことはできなかった。

「ここまで言えば、今日の私の役目はほぼ終わり。あとは二人で勝手にやって。私が必要だと思ったら助言もするけど、あまり期待しないで」

 レフィオーレとスィーハは同時に頷く。今回の弱点を克服するのに必要なのは、一人で戦うこと。シェーグティーナを相手に二対一より、レフィオーレとスィーハで一対一の方が適している。

 もちろんそれだけでは、二人が今までやってきた鍛錬と大きく変わらず、短期間での上達は難しい。それに対応するのがシェーグティーナの助言だ。ただ、今後のことを考えると、弱点に自分で気付く力を養うのも重要となる。

 シェーグティーナがわかりやすく言ったわけではないが、二人はちゃんとそのことを理解していた。だからこそ迷うことなく、すぐに頷いたのである。

「行くよ、スィーハ!」

「いつでもどうぞ」

 レフィオーレがソードレイピアを構え、スィーハは脱力して攻撃を待つ。いつもの鍛錬と同じ調子で、四日目の訓練は本格的に始まった。

 時折響くシェーグティーナの助言を受けながら、二人は弱点を克服するために努力する。二人にとって、ぱんつの力を引き出せない状態でこうして対峙するのは初めてだが、動きは遅くとも不慣れな感じは全くない。前日までの訓練がなければこうはならなかっただろう。

 そして日が暮れる頃には、二人とも疲れ果てて歩くだけで精一杯になっていた。武器はシェーグティーナが持ち帰り、四人は今日もローレステの温泉で身体を癒す。

 翌日の訓練も昨日の続きだ。いくら助言があるといえ、一日で簡単に克服できるような弱点ではない。二人の弱点は無意識のもので、昨日はそれを意識するだけで時間が過ぎた。弱点を克服するにはその意識をなくし、無意識でも対応できるレベルに達しないといけない。そうしないと意識した弱点に囚われて動きが鈍くなる危険性もある。

「二日でここまでいければ上出来」

 五日目の終わりは、シェーグティーナのその言葉で締めくくられた。二人が熱心に取り組んだのに加え、彼女の的確な助言もあり、弱点はほぼ克服された。

 訓練六日目。今日からはいつものぱんつをはいての訓練になる。レフィオーレは水色と白の横じましましまぱんつ、スィーハは白無地のふりるぱんつをはいている。

 その日の訓練内容は特別なものではなく、今日までに行ってきた訓練と同じようなことを繰り返すだけ。復習だからと楽なわけではない。五日目までの訓練のほとんどを、一日でこなす必要があるからだ。

 そのためには、引き出したぱんつの力を使いこなすのと、昨日までの経験を活かすのを同時に行わなければならない。それができてこそ、訓練の意味があったというものだ。

 そして訓練が終わったのは日が暮れるほんの少し前。昨日までと同じく日が暮れるまでという、シェーグティーナの想定していた時間より早いが、物凄く早いというわけでもない。

「無事に合格、といったところね。もっと早ければ褒めてもよかったんだけど」

 シェーグティーナは笑顔も見せずに、淡々と口にする。今日の訓練は昨日までの訓練が身についているか確かめるためのもの。これくらいはできて当然だ。

「今日はゆっくり休んで。明日はもっと大変だから」

「はい、師匠!」

「了解です」

 元気に答えるレフィオーレと、落ち着いて答えるスィーハ。二人の表情には達成感が見てとれた。再び同じ訓練をすることで、強くなったのを実感できたのだからそうなるのも当然。だが、訓練は明日もある。浮かれていいのはそれが終わってからだ。

「今日は模擬戦をやる」

 翌日の訓練が始まってすぐに、シェーグティーナはそう言った。

「といっても、私を相手に二対一じゃない。あなたたちは今までの訓練で強くなった。一対一ならわからないけど、二対一なら油断さえしなければ私にも必ず勝てる。もちろん、模擬戦とはいえ戦闘は初めてだから簡単にとは言わないけど」

 レフィオーレとスィーハはシェーグティーナの声に耳を傾けながら、顔を見合わせる。

「もしやりにくいなら別の方法も考えるけど、時間が惜しいからすぐに決めて」

「私は大丈夫です、師匠!」

「ボクはちょっと抵抗あるけど、レフィオーレがやる気なら仕方ないね」

 二人は昔から鍛錬していたのだから、模擬戦をするのは初めてではない。しかし、スィーハがなるべく避けようとしたのもあり、年に数回しかしていない。その上、内容も数分程度の軽いもので、本格的な模擬戦を経験したことはなかった。

「そう。ならルールの説明をする。ミリィを見て」

 言われたままに視線をミリィに向ける。彼女の手には、一本の木の枝が握られていた。

「ルールと言ってもそう難しいものじゃない。ミリィの持っている枝を奪い合って、一定時間持ち続けた方の勝ち。もし枝を折ったら、その時点で負けになるから注意して。

 持っている枝を武器にしたり盾にするのは禁止。でも邪魔なときに空中に投げたり地面に置いたりするのは自由。それまで持っていた人が取れば、手から離れている間も時間に加算される。だからといって、遠くに投げて時間を稼ぐのはなし。

 これを休憩を挟みつつ、ひたすら繰り返すだけ。持ち続ける時間は途中で何度か変更するけど、それ以外のルールについては基本的に変えない。

 あと、最初に木の枝をどう渡すかはミリィに一任してるから、そこは彼女の指示に従って。最初の一定時間は五分。ミリィ、始めて」

「わかりました。二人とも、最初のうちは枝を高く投げますから、受け取ってください」

 レフィオーレとスィーハは小さく頷く。シェーグティーナが戦闘の邪魔にならないよう、ミリィの側に近づいたところで、ミリィは大きく振りかぶって木の枝を投げた。くるくると回転しながら空を舞う枝を最初に手にしたのは、高くジャンプしたレフィオーレだ。

 スィーハは地に足をつけたまま、着地点でレフィオーレを待ち構える。彼女がソードレイピアで攻撃してくれば、その隙に回り込んで枝を奪える。レフィオーレはそれをわかっていながら、あえてレイピアの突きを放つ。

 普段よりも隙の大きな突き。スィーハが木の枝を奪うには充分すぎる隙だ。もう片方の手に握られた木の枝を奪うと、スィーハは一旦距離をとる。

 ここからが本番だ。隙があるとはいえ、握る者が力を緩めていなければこうも簡単に奪うことはできない。

「スィーハ、戦いにくいでしょ?」

「まあね。でも、五分なら守りきれるよ」

 片手に武器を持ちもう片方の手は空いているレフィオーレと違い、スィーハは全身を使った体術が武器。木の枝を持つことで片手が封じられれば、それだけ戦略の幅も狭まる。一時的に手から離すにしても、何度もやればそれが隙になる。

 故に、スィーハは足捌きを駆使してレフィオーレから枝を守る。スィーハの戦い方は攻撃を受け流し、それを力として威力を高めるもの。だが、それはふりるぱんつの力を活かすための応用でしかない。

 ふりるぱんつは回避のぱんつ。回避に撤するだけでもその力は最大に発揮できる。

 もちろんレフィオーレもそれはわかっている。万能の力を持つしましまぱんつといえど、普通に攻撃しても当てることは不可能。だが、今のレフィオーレはぱんつの力だけに頼っているわけではない。

 足捌きとソードレイピアを組み合わせたフェイントを仕掛け、レフィオーレは執拗にスィーハの木の枝を持つ腕を狙う。その攻撃をスィーハは余裕で回避していく。

 そろそろ五分が経過する頃、レフィオーレは狙いを変える。攻撃目標はスィーハの持っている木の枝。腕を狙った突きを回避したところで、軽く剣を振り直接木の枝を弾き飛ばす。

 強すぎても木の枝が折れ、弱すぎてもスィーハの握る力が勝る微妙な力加減。これが成功するには、スィーハが木の枝を狙ってくることはないと油断していなくてはならない。ぎりぎりまで行動に移さなかったのは、その油断が生まれるのを待っていたからだ。

 弾き飛ばされた木の枝は空中に浮かぶ。それを狙ってレフィオーレは再びソードレイピアを振り、手元に引き寄せようとする。

 その動きを見て、スィーハは待ってましたとばかりに身体を前に動かす。跳んで手を伸ばせば木の枝に届きそうな距離にありながら、狙うのはレフィオーレの身体。

 ソードレイピアが木の枝を弾いたのと同時に、スィーハはレフィオーレに体当たりをする。強い攻撃の力を持たないふりるぱんつの力では、しましまぱんつの力にダメージを与えることはできない。けれども、バランスを崩してよろめかせるだけなら難しくはない。

 レフィオーレは倒れはしないものの、木の枝からは離れてしまう。落ちてきた木の枝を手に取ったのはスィーハだ。

 前進した勢いは衝突したことで弱まっている。スィーハは枝を手にした直後に踏み込み、そのままレフィオーレの後ろに回り込む。レフィオーレをよろめかせられたらこうすると、最初から決めていたことだ。

 もし行動を読まれてバランスを崩せなかったとしても、片手がふさがっている以上レフィオーレにスィーハを拘束することはできない。すぐに行動すれば、落ちてくる木の枝を拾える可能性は五分五分になる。

 もちろん、完全に読まれていたらそのどちらも成功しない。弾く方向を工夫すれば、どこに飛ばされたか確認できないスィーハが枝を取るのは難しい。だがそのときはそのとき、残りの五分で他の策を弄すればいい。

「この場合は時間、引き継ぐんだよね?」

 距離を取りつつスィーハは聞く。シェーグティーナが頷いたのと、レフィオーレが振り向いてスィーハを追撃しようとしたのはほぼ同時だった。

 しかし、既に時間は残り少ない。その短時間で、レフィオーレがスィーハから木の枝を奪うのは不可能だった。

「終了。スィーハの勝ち」

 シェーグティーナの言葉とともに、二人は脱力する。模擬戦はまだ続くが、このまますぐに始まるわけではない。

「スィーハ、次は負けないからね」

「悪いけど、ボクだって同じ気持ちだよ」

 言いながら二人はミリィの近くまで歩いていく。ある程度まで近づいたところで、スィーハは木の枝を放り投げて、ミリィに渡す。渡すだけなら近づかなくても可能だが、先ほどと同じくミリィが投げるなら近くにいかないと彼女が大変だ。

「次、いきますね」

 言うが早いか、ミリィは受け取ってすぐに木の枝を高く投げる。今度はレフィオーレだけでなく、スィーハも跳んで木の枝を取ろうとする。

 先ほどは二人とも、作戦を考える時間が少なかったからこそ、レフィオーレがスィーハに木の枝を持たせることになった。だからこそ、スィーハも苦労せず木の枝を奪えた。

 しかし今度はそうはいかない。レフィオーレがスィーハに対して苦労したように、回避に徹する相手から木の枝を奪うのは容易ではない。さっきのように攻撃を誘い隙を作るにしても、レフィオーレの油断がなくてはあんなに簡単に決着はつかない。

 二度目の勝負は三十分近くかかる長い勝負となった。最初に手にしたレフィオーレからスィーハが奪い、それをまたスィーハが奪う。その激しい戦いを制したのはレフィオーレだった。

 三度目、四度目と模擬戦は続き、勝敗は二勝二敗の引き分け。

「今回から木の枝の渡し方を変えます」

 そんなときだった、ミリィがそう口にしたのは。渡し方を一任されているとはいえ、単なる気まぐれではない。ここまでにかかった時間は一時間以上。シェーグティーナが指示を出すまでもなく、そろそろ変わる頃かなと誰もが思う時間だ。

「私が逃げ回るので、私から木の枝を奪ってください。それと、シェーグティーナさん」

「了解。持っている時間は三分にする」

 レフィオーレとスィーハはやや困惑していた。奪うということは、場合によってはミリィに攻撃をすることにもなる。小さな女の子に攻撃をするのはやや抵抗があった。

「ミリィから奪うのは二人が思っているほど簡単じゃない。ルール、もう一度説明する?」

「ルール……あ、そっか」

「なるほどね。確かに、楽じゃなさそうだよ」

 シェーグティーナの言葉で二人は理解する。木の枝に関するルールが適用されるのは、奪い合うレフィオーレとスィーハの二人だけ。ミリィにはそれが適用されない。

「では始めます。いつでもどうぞ」

 脱力して待つミリィ。レフィオーレとスィーハはすぐには動かず、少し考える。身体能力で勝っていたとしても、それに任せれば簡単に奪えるわけではない。ミリィから木の枝を折ることなく奪うには、それなりの工夫が必要だ。

 最初に動いたのはレフィオーレだった。スィーハはまだ動かない。二人がかりでいけば木の枝を奪える確率は高まるが、それはどちらかが木の枝を奪える確率だ。レフィオーレが先に動いた以上、成功しようと失敗しようと、このタイミングで動くのは得策ではない。

 ミリィは木の枝をしっかり握って、駆けてくるレフィオーレをじっと見つめて待つ。走るレフィオーレは、近づく途中でソードレイピアを鞘に収めた。

 安全に木の枝を奪うのに武器は必要ない。ミリィの身体を拘束してから、ゆっくりと奪えばそれでいい。

 レフィオーレはミリィに抱きつくように飛びかかる。遠くから見ると遊んでいるようにも見えるが、二人の表情は真剣だ。

 何度も繰り返すうち、レフィオーレはミリィの動きに慣れてくる。しかし、あと一歩のところまでは近づけても、そこで素早く木の枝を向けられては足を止めるしかない。身長差があるため、手で掴んで奪うことも難しい。

 一旦距離が離れたところで、レフィオーレは動きを止めて振り返る。

「スィーハに交代」

「了解。ボクもだめなら、今度は二人でいこうね」

 レフィオーレも奪うのは無理だと諦めたわけではない。もう少し時間をかければ木の枝も奪えるだろう。だが、それで奪えたとしても、疲労するのはレフィオーレだけ。枝を手に入れた後に不利になるのは明白だ。

 レフィオーレに代わり、ミリィから木の枝を奪おうとするスィーハは急ぐことなく、歩いて彼女に近づいていく。ミリィが動かないのを確認して、ある程度近づいてから速度を上げる。

 距離を取ろうとするミリィに足払い。ミリィは軽くジャンプしてそれを避ける。同時に、木の枝は地面に。着地したところで彼女がそれを蹴り飛ばすのと、スィーハが手を伸ばすのはほぼ同時だった。

 スィーハの手に握られた木の枝はミリィに蹴られ、軽くしなる。けれど、着地直後で溜めのない蹴りではそれが精一杯で、折れることはなかった。

 ほとんど疲れることなく奪ったスィーハだが、油断はしない。後ろのレフィオーレは、彼女が木の枝を手にすると同時に鞘から武器を抜いて駆け出していた。距離はまだあるが、前にミリィがいるので駆け出すことはできない。

 だからスィーハは振り返ってレフィオーレを待つ。ここからが本番。後ろにミリィがいて動きが制限される中、木の枝を守りきるのは簡単ではない。

「ミリィ、動かないの?」

「怪我しない程度には動きます」

「そっか」

 ミリィが自分から離れてくれれば楽になるが、彼女がそうしない以上はこのまま戦うしかない。スィーハはレフィオーレの攻撃を必要最小限の動きで回避するが、後ろに下がれないだけあって次第に動きが大きくなっていく。

 どうにかしてミリィから離れられれば、最初より短い三分間木の枝を守り切ることは簡単だが、レフィオーレがそれを許すわけがない。ソードレイピアのリーチを活かして、スィーハの左右への移動を牽制する。

 とはいえ、レフィオーレも後ろにミリィがいるため、本気で攻撃はできない。怪我しない程度に動くという言葉は彼女にも聞こえていたが、どうしても躊躇してしまう。

 結果的に、この状況はレフィオーレにとっても大きな有利にはならず、ただ時間だけが過ぎていく。それでも少しは有利になっているのは間違いなく、レフィオーレのソードレイピアがスィーハの手を叩いたのは二分が経過した頃だった。

 落ちる木の枝をレイピアで弾き、奪取したレフィオーレは大きく退る。ミリィから距離を取れば、スィーハより有利な状況で枝を守ることができる。

 近づくスィーハを牽制して、時には強力な一撃を放ち防戦一方にならないようにする。そうしているうちに、規定の三分が経過した。

 木の枝をミリィに渡し、次の模擬戦が開始される。今度は二人がかりでミリィに向かう。入手するのは簡単になったが、その代わりにどのタイミングで木の枝を手に入れるかという駆け引きが生まれる。

 その後、木の枝の渡し方、持ち続ける時間を何度か変えつつ、昼食休憩を挟んで模擬戦は続く。終盤には二人とも模擬戦に慣れ、勝敗が決まるまで一時間以上かかることもあった。

「そこまで」

 そして日が暮れ、シェーグティーナの一言で訓練の終わりが告げられる。

「これで訓練は終わり。師匠って呼んでいいのも今日までだから」

「てっきり今すぐかと思ったけど、今日は許してくれるんだ」

「……まあね。そうしないと面倒だし」

 シェーグティーナは小さくため息をつく。スィーハはきらきらと目を輝かせているレフィオーレを横目に微笑みを浮かべる。

「ありがとうございました、師匠! 今日はお背中お流ししますね!」

「わかった。今日だけは許す」

「やった!」

 レフィオーレは喜びを身体で表現する。師匠と弟子、ということで毎日同じことを言っていたが、訓練が終わったあとまで馴れ合うつもりはないと、毎回断られ続けていた。

「本当に珍しい」

「最後だしね。あなたには悪いけど」

 舞い上がる気持ちを抑えようと一人で素振りをしているレフィオーレをよそに、スィーハは小声で言う。返す言葉には僅かに動揺したが、それは突然言われたからに他ならない。レフィオーレに対する気持ちを隠してはいない彼女と、一週間も一緒にいたのだ。普通なら気付かれてもおかしくはない。

「ボ、ボクは別に羨ましいなんて思ってないよ。そりゃ、昨日までは二人で背中を流し合ってたけど、一日くらいどうってことないんだから」

「そう。今日は私もお返しをすると思うけど、気にしないなら好きにさせてもらう」

「シェーグティーナも洗うの?」

 スィーハは驚いて聞き返す。今までの彼女の態度から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。

「最後だからね」

「レフィオーレに変なことしないでね」

「するわけない」

「二人は仲良しですね」

 そんな二人をじっと眺めていたミリィが一言。レフィオーレはまだ剣を振り続けている。激しい訓練をした後でも、まだ元気は残っているようだ。

「私は仲良くする気なんてない」

 シェーグティーナはそっぽを向いて足早にその場を去ろうとする。呼び止めようとするスィーハに対し、彼女は振り返ることなく言い残していった。

「……大丈夫。機嫌は悪くないから」

 スィーハは何か言おうとしたが、今はそれだけでも充分だと口を閉じた。シェーグティーナが馴れ合いを避ける理由は気になるけれど、彼女にとってはレフィオーレを悲しませないことが最重要だ。

「行きましょうか」

「うん。そうだね」

 ふと見ると、レフィオーレの剣の振りが遅くなっていた。舞い上がった勢いで動けていただけで、どうやら元気はそれほど残っていなかったらしい。

 師匠と弟子の最後の一日を堪能したレフィオーレを見ながら、寂しい気持ちになっていたスィーハが元気になった翌日。シェーグティーナは一言だけ挨拶をして、朝早くに旅立っていった。

 レフィオーレたちもそれに続くように、午前中にローレステを発つ。ミリィの双子の姉探しの再開だ。

 向かう先はコルトラディ。大陸中部の東、ルトラデ湖周辺に作られた街。もちろん、当初の予定通り北回りに、山脈沿いの小さな村や集落を訪れながら向かうので日数はかかる。

 一つ、二つと訪れる村でミリィと似たような女の子を見なかったか、と質問したが手がかりさえもない。四番目に訪れた村、コルトレドよりコルトラディが近くなるその村では、コルトラディで見たような気がする、という情報はあったが手がかりと呼ぶには曖昧すぎた。

 しかし、そのような情報もコルトラディに近づくにつれ具体的になっていき、中にははっきりと見たと証言する人もいた。

 そうして旅を続けるうちに、ルトラデ湖が見えてくる。ローレステを旅立ってから一週間。レフィオーレ、スィーハ、ミリィの三人は大陸中部最大にして最古、湖とともに暮らす街、コルトラディに辿り着いた。


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