しましまくだものしろふりる

第一章 大陸北部精霊記


 リシャを乗せた早馬は、パロニス国内を北西へ向かって駆けていく。南側に魔物がいる状況を考えると、西へ抜けるには北側から抜けるのが安全だ。目的地はカルネ橋。ピスシィア山脈から、ピスリカル森林を抜け、北の海へ流れる広い川に架かる古く大きな橋だ。

 初めて訪れる場所だが、大陸北部で他に大きな橋があるのは、ピスリカル森林内だけ。別の橋と間違えることはないだろう。

 カルネ橋までの道はパロニス国内ということもあって、魔物と出くわすこともなく安全だった。パロニス王国の西門を抜け、そのまま西へ進みカルネ橋を目指す。

 カルネ橋は木材と石材を組み合わせて作られた精巧な橋だ。何百年も昔から存在するが、腐食することなく、架け直された事もない。材料が良く、架けた者の腕が良いのは当然として、ぱんつの力――当時のしろぱんつの力を完全に引き出せる者が協力したと伝わっている――を分け与えたのがその理由である。

 そのカルネ橋が見えてきたところで、リシャは馬の速度を緩めた。橋の上に動くものが見えたのだ。昔は周辺に村があったが、今は誰も住んでいない。旅人や商人であればいいと期待してみたが、その期待は裏切られる。

 数体の小型魔物。普通の旅人でも女の子なら倒せるくらい弱い魔物だが、ぱんつの力を引き出せなくなっているリシャにとっては危険な相手だ。カルネ橋を抜けるには、どうにか切り抜けるしかない。

 早馬の速度なら、隙を見ていけば抜けられるかもしれないと、リシャは遠くから魔物の様子を見る。見張っているわけではないようだが、なかなか隙はできない。カルネ橋を通る者はほとんどいないため、他の旅人が来て倒してくれる可能性も期待できない。

 そうしていると、ピスリカル森林から数体の魔物がカルネ橋へ向かって飛んできた。飛行型の魔物で、大きさは中型。あれを切り抜けるのは難しい。リシャはなおも様子を見る。

 森林から現れた魔物は空から橋の上にいる魔物を襲う。魔物同士の争いは珍しいが、ないわけではない。小型の魔物は全て倒され、倒した魔物の一体がリシャへ向かって飛んできた。

 リシャは身構えるが、すぐにその魔物に戦意がないことに気付く。魔物は鳴いてリシャを促した。そこでリシャは思い至る。

「もしかして、チェミュナリアの?」

 魔物の鳴き声は頷いているように感じられた。リシャは早馬を走らせ、カルネ橋を抜けていく。それを見届けると、魔物たちはピスリカル森林へと戻っていった。

 カルネ橋を無事に通り抜けたリシャは、ラーグリアの北へ差しかかる。このまま西へ向かって、ふりるぱんつの力を完全に引き出せるものを探すのだが、ひとつ問題があった。西の村や町がどこにあるのかがわからないのである。

 太陽は沈みかけ、そろそろ月が見える時間だ。ラーグリアで情報収集するにしても、今からではあまり成果は得られないかもしれない。そう考えたリシャは、ラーグリアを尻目に馬を走らす。

 行き先は西の果て。大陸北部の西で、リシャがラーグリアの他に唯一知っている場所であり、頼めば協力を得られそうな友人のいる場所、フィーレット村だ。

 リシャがフィーレット村についた頃には、太陽は完全に沈み空には星が輝いていた。月はまだ低く、夜になったばかりだが、朝早く漁に出る人が多く、家々から漏れる灯りの少ないフィーレット村は既にかなり暗かった。

 少ない光のひとつは、レーファの宿から漏れていた。二階からは漏れず、一階だけであることから、どうやら宿には誰も泊まっていないようだ。

 リシャが早馬から降りたと同時に、宿から誰かが出てきた。馬の駆ける音が近くで止まったのに気付き、様子を見に来たスィーハだった。スィーハは訪問者を訝るように見ていたが、リシャだと気付くと慌てて駆け寄った。

「リシャ、だよね? 何があったの?」

 リシャの衣服は乱れ、身体は傷だらけでボロボロだった。かすった程度で済んだため、肩の血は自然と止まっていたが、流れた血は衣服に染み込んでいた。

「とにかく、中へ入って。傷の手当てと、食事を用意するよ」

「ありがとう、スィーハ」

 リシャはふらふらとスィーハの後についていく。傷はそれほどでもなかったが、食事という言葉を聞いて、急に空腹感に襲われたのだ。着いたらすぐに事情を説明するつもりだったが、気付いてしまったからにはまずはそれをどうにかしておきたかった。

 スィーハは一階の自分の部屋にリシャを案内し、ベッドに座らせて傷の手当てをする。食事は温めるだけの簡単なものだったが、空腹のリシャにはそれもごちそうに見えた。食事を終えたリシャは、事情を説明する前にひとつ気になったことを聞く。

「今日もスィーハだけ?」

「ううん。明日は朝早くにラーグリアへ向かうから、早く寝てるだけだよ」

「馬の音、うるさかったかな?」

「あれくらいなら大丈夫。うちの両親は寝たらちょっとやそっとじゃ起きないから」

「そっか。それじゃあ、普通に話せるね」

 そう言ってから、リシャはここを出てから起きたことを、一つ一つスィーハに話していく。ピスリカル森林でのチェミュナリアとの出会い、暴走した精霊ピスキィ、パロニス王国での戦いでしまぱんの力が引き出せなくなったこと……リシャたちの目的は既に伝えているため、省いた。

 途中まで黙ってリシャの話を聞いていたスィーハは、リシャがしまぱんの力を引き出せなくなった、という部分で小さな反応を示した。そして、リシャを見つめてすっと立ち上がった。

「リシャ。来て」

「スィーハ? どうしたの?」

「君に見せたいものがあるんだ。多分、見せなくちゃいけないもの、だと思う」

 はっきりとした声でスィーハはそう言った。最後の部分はやや自信がなく、語気がほんの少し弱まったが、よく注意していないと気付かないくらいの微妙な差だ。

 スィーハはリシャを連れて、宿屋の二階にある一室へと入っていく。二つある一人部屋のひとつだ。真っ暗な部屋に月の明かりは差し込まない。東にある部屋にそれが差し込むのは、もっと遅い時間だ。

 机の上に置かれたランプをともすと、部屋の中にあるものが浮かび上がってくる。部屋にあるのは椅子や机に、ベッドなど。そのベッドの上に誰かが寝ているのにリシャは気付いた。

「それだよ。近づいて見て」

 促されるまま、リシャはそれに近づく。ベッドの上に寝ていたのは、一人の少女だった。

 腰ほどまでに伸びた淡い青色の髪。まぶたを閉じているので瞳の色はわからない。身長はスィーハよりも少し高い程度で、服装は質素というよりやや豪華といった程度。どこか気品を感じさせる美少女で、お姫様やお嬢様といっても差し支えない。年齢からか、まだ幼さも残っていて、美しさだけでなく可愛さも兼ね揃えていた。

「んー? なんだろう、なんか、変な感じがするんだけど……」

 いまいちはっきりとしない反応に、スィーハはふと気付いたように聞く。

「リシャ、鏡は知ってるよね?」

「知ってるよ。けど見た記憶はないかな」

「そう。ちょっと待ってて」

 スィーハの階下へ降り、手鏡を持って戻ってきた。手渡された手鏡で、リシャは自分の顔を確かめる。

「あ。なるほど、そういうことか」

 やっとリシャは理解する。ベッドに寝ている少女は、髪の長さや服装の細部こそ違うものの、容姿や雰囲気はリシャにとてもよく似ていた。リシャはその少女を再び見て、おもむろにスカートをめくってみる。

「しましまぱんつだ」

 その少女がはいていたぱんつは、水色と白の横じましましまぱんつだった。最もバランスの取れたしましまぱんつで、今リシャがはいているぱんつと同じものである。

 リシャは眠っている少女の手に、自分の手を重ね合わせる。手のサイズもぴったり同じだ。何となく握ってみると、リシャは突然バランスを崩した。

「大丈夫?」

 倒れそうになったリシャをスィーハが支える。握っていた手は離れていた。

「なんだろう、何か吸われるような、引っ張られるような……変な感じがした」

 ぼんやりと呟きながら、リシャは再び少女を見る。すると、ゆっくりとその少女はまぶたを開いた。髪よりもやや濃いが、まだ淡いといえる青い瞳がリシャを見つめる。リシャは吸い込まれるようにその瞳を見つめ返していた。

「レフィオーレ」

 スィーハは小さく、それでいてよく通る声でそう言った。

「その娘の名前だよ。多分、本名だと思う」

「多分?」

 リシャは再びその少女――レフィオーレの手を握ろうとしたが、スィーハが優しくそれを抑える。その代わりに、リシャはスィーハの言葉で気になった部分を繰り返す。

「そう。記憶喪失」

「記憶喪失……」

「うん。昔は元気だったんだけどね、あるときからどんどん弱っていって、少し前からはずっと眠ったままだった」

「眠ったまま……」

 リシャはぼんやりとしたまま、スィーハの言葉の一部を反芻する。スィーハは落ち着いた声で、さらに言葉を続けていく。

「ちょうど、リシャが来る少し前だったかな。レフィオーレが眠ってしまったのは」

「レフィオーレ……」

 スィーハはそこで、掴んでいたリシャの手を放した。少しして気付いたリシャは、再びレフィオーレの手を握る。今ならはっきりとわかった。何かが自分の身体から、レフィオーレに流れていく感覚。リシャにとって、それは恐怖を感じさせるものではなかった。むしろ、それが自然であるかのように、受け入れていた。

「待って、リシャ」

「……だめ」

 握った手を離させようとするスィーハに、リシャは抵抗する。思ったよりもその力は強く、スィーハは優しくしていては無理だと判断し、力を込める。

「だめだよ、リシャ」

 その力に負けて、リシャとレフィオーレの手は離れる。それでもまだリシャは手を握ろうとするが、スィーハがリシャの両腕をしっかりと掴んでいた。

 リシャは力を入れるが、いくらやっても振り解けない。それどころか、腕を動かすことさえできなかった。それほどにスィーハの力は強かったのだ。

「無理だよ。君はぱんつの力を引き出せない。けど、ボクは引き出せる。こういうの、ボクはあまり得意じゃないけど、それでもリシャには負けないよ」

「邪魔しないで。私は、大事な……」

 ふっとリシャの力が抜ける。腕だけでは支えきれないリシャの身体は前のめりに倒れる。そのリシャの身体を支えたのは、身体を起こしたレフィオーレだった。

 意識を失ったリシャを、レフィオーレは優しく抱きしめる。そして、今まで自分が寝ていたベッドに、リシャの身体を寝かせた。

「レフィオーレ、ボクがわかる?」

 レフィオーレは声を出さずに頷いた。いや、正確には、今のレフィオーレは声が出せなかった。表情も無表情のままで、その姿は人形のようだった。

「何が起きてるか、わかる?」

 レフィオーレは静かに首を横に振った。スィーハは「だよね」と微笑んで返す。自分にも、リシャにもわからないことを、レフィオーレだけがわかっているとは思っていなかったので、その答えは予想通りだ。

 スィーハは眠っているリシャを見つめながら、リシャの側にいた騎士の姿を思い浮かべる。

「ルーフェは知ってるよね?」

 疑問形で終わっていたが、スィーハは確信を持ってそう呟いた。

「ところで、スィーハとレフィオーレってどういう関係?」

 しばらくして目を覚ましたリシャは、いつも通りのリシャに戻っていた。部屋には月の光が幽かに差し込んでいる。スィーハは驚くと同時に、安心して床にへたり込んだ。そんなスィーハにかけた言葉が、今の一言である。

「それとごめんね。さっきはちょっと変になっちゃって。そうしなきゃいけないって気持ちを抑えきれなくなったというか、今でもそういう気持ちは強いんだけど、スィーハが止めるってことは何かあるんだよね?」

「うん。何となく、だけどね」

 スィーハにもはっきりと理由はわからなかった。だけど漠然と、あのままリシャを止めないでいたら、リシャともう会えなくなるような気がしていた。

「それで、最初の質問だけどいいかな?」

「そうだね。リシャには話しておいた方がいいと思う。でもその前に、ひとつ言っておきたいことがあるんだ」

 言って、スィーハはスカートをめくって、リシャにぱんつを見せる。スィーハがはいていたのは、白無地のふりるぱんつだった。このタイミングでそれを見せることの意味は、ひとつしかない。

「リシャの目的のひとつ、これで達成だよ」

「ひどいや、隠してたんだ」

 リシャは非難するような言葉を口にするが、その顔には笑顔が浮かんでいた。スィーハは苦笑いで返す。隠していた理由は、言わなくてもわかっていた。レフィオーレを放っておくことができず、またリシャたちをレフィオーレに会わせるという考えも、リシャがしまぱんの力を引き出せなくなったと聞くまで浮かばなかった。だからあのときは、黙っているしかなかったのだ。

 レフィオーレはリシャの隣に座り、窓の外をぼーっと眺めていた。目を覚ましたとはいえ、まだまだ完全に意識を取り戻したとはいえない状態にあり、声が出せないのは別として、会話に積極的に参加するほどの思考能力は戻っていなかった。

「じゃあ、そろそろいいかな?」

 そう前置きしてから、スィーハは話し始める。リシャは小さく頷いて、じっとスィーハの話に耳を傾けた。

「ボクとレフィオーレが出会ったのは、十年前になるかな。ボクが五歳、レフィオーレはわからないけど、多分同じくらいだと思う。ボクが浜辺に遊びに行ったら、そこに流れ着いているレフィオーレを見つけたんだ。意識は失っていたけど、服装から海を流れてきたことはわかった。でも、体に傷はないし、服も汚れていないどころか濡れてさえもいなかったんだ。

 宿に運んでベッドに寝かせてから、不思議に思ってスカートをめくってみたら、しましまぱんつをはいていたことに気付いたんだよ。何日かして目を覚ましたんだけど、レフィオーレは名前以外のことは何も覚えてなかった。

 でも、レフィオーレは元気で、ボクたちはすぐに仲良くなった。それから少しして、魔物と出くわしたんだ。それがきっかけで、レフィオーレがしましまぱんつ、ボクがふりるぱんつの力を完全に引き出せることを知って、ボクたちは約束した。大きくなったら、一緒に世界を救おうねって。小さかったから具体的な事はよくわかってなかったけど、それでも本気だった。

 魔物と出くわす前から、ボクはふりるぱんつの力を引き出せることは知っていたけど、完全に引き出せることは知らなかった。直撃を受けて無事だったから気付いたんだけど、わかっても戦い方を知らないから、どうしたらいいのかわからなかった。そのとき、レフィオーレが魔物に蹴りを入れて、助けてくれたんだ。

 思えば、あのときだったのかな。ボクがレフィオーレの――と、それはともかく、それからはしばらく平和な日々が続いた。来るべき日のためにちょっと鍛錬したり、遊んだり、いつからそうなったかはわからないけど、いつの間にかボクたちは親友と呼べる間柄になっていたんだ。

 でもね、三年くらい前だったかな。突然レフィオーレの調子が悪くなったんだ。最初はたまにふらつく程度で、疲れてるだけかと思っていた。でも、日を追うごとに、ということはなかったけど、調子が悪いのは続いていて、一年後には大きく調子を崩した。ふらつくだけじゃなくて、突然倒れたんだ。

 それから一年後、今から一年前になるけど、今度は倒れたまま三日も起きなかった。そしてさらに一年経った頃――リシャが来る少し前に、また倒れて、そのままずっと眠っていたんだよ」

 そこまで言って、スィーハは大きく息を吸った。他にも細かい説明はあるが、大まかな事情は全て話し終えていた。あとはリシャが気になることに答えればいい。

「服は手作り?」

「うん。ボクとレフィオーレで一緒に。元々着ていた服を元に、毎年作っていたんだ。素材の調達には骨が折れたけど、ボク、裁縫は得意だから。レフィオーレは、それほどでもなかったけど」

「寝てる間のお世話は、スィーハがしてたんだよね?」

「そうだね。しましまぱんつの力が働いているとはいえ、女の子だから。身体を拭いてあげたり、着替えさせたり、ね。生理現象は弱まっていたから、大変なことはなかったかな」

「親友ってことはさ、お風呂とかベッドとかも一緒?」

「幼い頃からそうだったから、今でもずっとそうしてるよ。レフィオーレの身体は柔らかくてすべすべで、スキンシップも楽しかったな」

「そっか。うん、よくわかったよ」

「でも、なんでこんなことを? それに、これだけでいいの?」

 納得して頷くリシャに、スィーハは答えながら感じていた疑問を口にする。もっと他に、長い間に他の記憶は戻らなかったのかとか、リシャとの関係についてどう考えているのかとか、予期していた質問は何もなかった。

「いいのいいの。よくわかったから。それにさ、他のことを聞いたって、スィーハにはよくわからないでしょ?」

 確かにそうだった。答えることはできても、事実はほんの少しで、内容のほとんどは推測になってしまうだろう。それをわかっていたリシャは、別の気になることを聞いておくことにした。

「ところで、わかったって何が?」

「言ってもいいけど、言わない方がいいと思う。思い出してみて、スィーハ。私がどんな質問をして、スィーハがなんて答えたのか。とっても嬉しそうな表情で答えてたよ。それに、途中でひとつ言わなかったこと、あったでしょ」

 スィーハは反射的に、すんなりと答えていた内容を思い出す。そして質問の内容、嬉しそうな表情、なんでそんな表情をしたのか。その答えは、意識しただけですぐに出た。

「リシャ、君は何か勘違いしてるんじゃないかな?」

 答えをわかっていながら、スィーハは冷静に振舞いはぐらかそうとする。しかし、リシャには通用しなかった。リシャがそういう質問をしたのは、ちゃんと根拠あってのことだ。その根拠は、二人が初めて会ったときに言った、スィーハの言葉にある。

「大事な人……女の子だっけ?」

「な、なんの話? ボク、そんなこと言った?」

 そんなことを言ったわけが――あったかもしれないと、スィーハは思い出す。リシャにスカートをめくられそうになったとき、何となくそんなことを口走ったような気がする。

「リシャ。今は何も言わないで。その、やっぱりほら、レフィオーレはまだ調子が悪いみたいだし、わかるよね?」

「うん。でも私、スィーハの口からちゃんと聞きたいな。心配は要らないよ。今のレフィオーレには、多分よくわからないと思うから」

 リシャは好奇心に溢れた目で、スィーハを見つめる。答えるまで解放する気はない、そんな態度を見せるリシャに、スィーハは観念して息を吐く。そしてリシャを手招きして、彼女の耳元で囁いた。

「レフィオーレのこと、だよ。だ、だめだからね。絶対に口にしちゃ!」

 スィーハは顔を真っ赤にしていた。リシャはその言葉に、優しい笑みで答える。その笑みにはどこか、ほんの少しだけ真剣なものをスィーハは感じた。

「わかってる。スィーハにとって、レフィオーレは大事な親友。私なんかよりも、ずっとずっと大切なんだよね」

「リシャ?」

 リシャはレフィオーレの右手を、両手で包み込むようにそっと握る。言葉の意味を計りかねていたスィーハは、リシャがそんな行動をとったことにすぐは気付かない。遅れて気付いたスィーハは慌ててリシャの手を離そうとするが、その必要はなかった。

「大丈夫。私がしっかりしていれば、大丈夫だよ」

 その言葉通り、リシャはいつも通りに立っていて、レフィオーレにも変化はなかった。それでもスィーハは気が気でなかった。リシャがしっかりしていれば大丈夫ということは、リシャの意思でそうならないようにしている、ということだ。

 それはつまり、リシャが不安定な状態になったら危ないということであり、また、リシャが自分の意思で何か――よくわからないが、前と同じようなことを起こせる、ということでもあった。

「行こう、スィーハ。といっても、どうしようか? 早馬に三人は乗れないよね」

「そうだね、二人でも……って、三人?」

「うん。私と、スィーハと、レフィオーレ」

 スィーハの疑問に、リシャはあっさりと答える。スィーハは少し考えてから、こう言った。

「そうだね。そうしないと、だめ、だとボクも思う」

 いまいち確信を持てないでいたスィーハだが、リシャにとってもそれは同じだった。ただ、本能的にそうするべきであると思ったから、そう口にしたのだ。

 そうして、リシャとスィーハは当面の問題を考える。リシャが出る前のパロニス王国周辺の状況と、暴走した精霊ピスキィ。事態は緊迫している。なるべく早く戻りたいが、早馬には乗れない。かといって、馬車も使えない。月が東に傾きはじめている今、御者は眠っていることだろう。

 誰かが馬車を操れればいいが、馬に乗れるリシャも何となくそれは無理だと感じていたし、スィーハもできない。当然、レフィオーレにも操れるはずがなかった。そうなると、使える移動手段はひとつしか残らない。

「歩いて行く、しかないかな」

「間に合うといいけど、それしかないよね」

 小さく呟いたスィーハに、リシャもか細い声で答える。到着は遅れるがそれ以外の手段は使えないのだから仕方ない。ラーグリアまで徒歩で行き、そこから馬車に乗る。早馬は落ち着いてから返せばいい。

 二手に分かれる、という方法もあるにはあるが、リシャとレフィオーレの状態がはっきりとわからない以上、どう分けても危険が伴う。

 問題は、ラーグリアからパロニス王国への馬車が出るかどうかだ。魔物が襲ってくる危険はないと説明したとしても、納得して走らせてくれるかどうかはわからない。また、パロニス王国の状況も関係してくるだろう。

 とはいえ、それはラーグリアへ行かないとわからないことだ。行ってみてだめなら、それから考えればいい。といっても、とれる手段は説得をするか、徒歩で行くかの二つしかないが、どちらも考えるだけでは答えが出るものではない。

 リシャたちは一旦結論を保留にして、とりあえずラーグリアまで歩いて行くことにした。月が出ているとはいえ、夜道は暗く、魔物の接近にも気づきにくい。三人は警戒しながら東へ歩んでいった。

「大丈夫かな?」

 歩きながら、リシャが不安を口にする。何に対しての不安かは言うまでもない。

「パロニス王国なら、大丈夫だよ」

 スィーハは確信を持って答える。リシャが理由を聞きたそうな素振りを見せるより早く、そう考えた根拠を説明する。

「仮に、魔物たちの目的がパロニス王国の王城を落とすこと、だとすれば難しいけど、そうじゃない。魔物は精霊の影響で暴走して、手当たり次第に人を襲っているだけ。なら、誘導することも不可能じゃない。リシャなら、ここまで言えばわかるよね?」

「あ、そっか。砦がいっぱいあるから、それを利用すれば……」

 南門周辺で篭城戦を行い、住んでいる人たちを城下町周辺へ逃がす。同時に、近くの砦や門周辺に住む人々に連絡をしておき、早めに逃がしておく。準備ができたら、門を放棄して別の砦へ向かい、そこに駐屯する騎士と合流して、再び篭城。それの繰り返しだ。

 仮に魔物の増援が増えたとしても、攻勢に出ず守勢に立ち続ければ、数日は耐えられるだろう。もちろん、移動距離が長くなればそれだけ消耗もするし、全ての魔物を退きつけるのは簡単ではない。

 それでも、あの門を守っているのは騎士だけではない。くだものぱんつとしろぱんつの力を完全に引き出せる二人、ルーフェとチェミュナリアもいるのだ。二人の力も無限ではないが、耐えることに専念して消耗を抑えれば問題はないだろう。

「だとすると、私たちはどこへ向かえばいいのかな?」

 南門でないのは明らかだし、その周辺も除外できる。残りは西門や南西門、その間の砦となるが、パロニス王国の国土は広く、砦もたくさんある。どこへ向かえば最も早く到達できるのかを定めるのは難しかった。

 逸る気持ちで急ぎ足になるリシャを、スィーハは落ち着かせる。ここで急いでラーグリアへ着いたとしても、馬車が出るまでは時間がある。ならば、今はなるべく体力の消耗を抑えておいたほうがいい。

「ラーグリアでわかるといいんだけどね」

 ピスリカル森林を抜ける商人や旅人がいれば、情報が入ってくる可能性も高い。噂程度のものでもある程度の方向を定められるだろう。

 三人がラーグリアに着いた頃には、月は完全に沈み、太陽が昇り始めていた。早朝というにはやや遅い、朝になったばかりの時間。商人の街であるラーグリアは、既に活発な商人たちで賑わっていた。

 通りがかった商人にリシャが尋ねると、少ないが馬車が出ていることがわかった。パロニス王国の状況は、南門あたりで戦っているらしい、という情報だけで、リシャが知っている情報と同じだった。

 聞き込みを続ければもう少し情報が得られるかも知れないと、馬車を探すついでに聞いていく。しかし、馬車は無事に見つかったものの、情報の成果は得られなかった。

 リシャたちは馬車に乗り、パロニス王国西門を目指す。どこへ向かうか決められない以上、一番近い所へ向かうしかない。馬車は順調にピスリカル森林を抜け、西門に着いたのは昼頃だった。

「ここは平和、みたいだね」

「そうだね。食事をとる余裕はありそうだよ」

 リシャたちは食事を取り、宿を借りてしばしの休息をとった。救援に向かうのは遅れるが、ルーフェやチェミュナリア、騎士たちの疲弊を考えると、二人だけでも万全に近い状態でおいたほうがいい。

 休息中、眠るスィーハの姿をリシャは優しく眺めていた。眠らなくても大丈夫だよ、と本人は言っていたが、昨日から一睡もしていないことを指摘されて、その上レフィオーレの膝枕まで用意されては抗うことはできなかった。

 スィーハが目を覚ましたときには、辺りはすっかり暗くなっていた。まだ低いものの、空には月が浮かんでいる。

「……随分寝ちゃったみたいだね」

 疲れていて起こす声にも気付かなかったのかと反省しかけたスィーハは、目の前にリシャの姿がないことに気付く。部屋を探すと、ベッドで膝枕をしていたレフィオーレ、その後ろにリシャはいた。すやすやと寝息を立てて眠っている。

「緊張感ないなあ。ほら、起きて、リシャ」

 身体を起こして、リシャの身体を揺する。そうしながらふとレフィオーレの様子を見ると、彼女は前のめりになって床に倒れそうになっていた。

 慌ててレフィオーレを抱きかかえ、スィーハは様子を確かめる。レフィオーレは目を瞑り、眠っているようだった。ちょっと心配になるスィーハだったが、目を覚ましたのはすぐだった。

「おはよう、スィーハ」

 ほんの少し遅れて、リシャの声がした。それからリシャは部屋が暗いことに気付き、はっとする。

「急がないと!」

「うん。ちょっと予定外だったけど、そのぶん体調は万全になれた。行こう、リシャ、レフィオーレ」

 リシャはレフィオーレの手をとって立ち上がり、スィーハを先頭にして三人は宿を出た。西門周辺は静かだった。月明かりに、雲一つない空に輝く星。南から吹く優しいそよ風。

 その風に、リシャは身構えた。それを見てスィーハも警戒を強める。周辺集落の外れに出て周りを確かめると、南西門との間にある林の側、パロニス国内である東側に魔物の集団が見えた。数は三十体ほど。多くはないが、全てが大型の魔物だった。

 リシャたちの何倍もある大きな身体で、鋭い爪を持つ二足歩行の魔物たち。

 彼らは西門へ向かっているようだった。西門には二十人以上の騎士がいるものの、相手は大型の魔物。一、二体ならどうにかなっても、この数は相手にしきれない。

 そうなると、戦えるのはリシャたちだけになる。しかし、今の状態では、確実な戦力として期待できるのはスィーハ一人だった。

「二人は下がって。ボクが何とかするから」

 スィーハは二人の前に出て、魔物を遠くから見据える。リシャはそれを止めることができないとわかっていても、不安そうな表情は隠せなかった。それを見たスィーハは、駆け出す前に一言残していく。

「大丈夫。敵は強いけど、ボクにとってはそれが好都合だから」

 駆け出すスィーハの姿を、魔物の一体が捉える。そして、合図とともに数体の魔物がスィーハへ向かっていった。リシャたちは離れたところで黙って見ているしかない。

 繰り出される大振りながらも強力な一撃を、スィーハは全て紙一重でかわしていく。危なげもなく、華麗な動きで。残る魔物はスィーハを囲み、じっと構える。

「どうしたの? 当たらないから怖くなったのかな?」

 不敵な笑みを浮かべるスィーハ。その挑発に乗ったのかどうかは定かではないが、囲んでいた魔物の一体がスィーハに突撃して来た。続くように、残りの魔物も襲いかかる。

 大振りの一撃をまたも紙一重でかわすスィーハ。だが、今度はかわすだけではない。空を切った腕を掴み、その勢いを利用して投げ飛ばす。投げ飛ばされた巨体は他の魔物に直撃し、倒れて地面を揺らす。

 それでも魔物はひるむことなくスィーハに襲いかかる。スィーハにとってはその方がありがたかった。再び繰り出される攻撃をかわし、今度は足払いで巨体を崩す。勢いのついた魔物は転倒を防ぐことはできなかった。

 これがスィーハの戦い方であり、ふりるぱんつの持つ力。ふりるぱんつは力を削ぎ受け流す回避のぱんつ。攻撃性能はしろぱんつに次いで低いが、相手の力が強ければそれを利用することで補える。

 大型の魔物はスィーハに一度も攻撃を当てることができず、一体、また一体と倒されていく。それでもひるむことはないが、一部の魔物はスィーハから離れ、別の方向へと駆けていた。

「リシャ、レフィオーレ!」

 二人を狙うのは、三体の大型魔物。スィーハは追いかけて倒しに行こうとするが、リシャが首を横に振ったのを見て思い止まる。そして、自分の周りの魔物を倒すことに集中する。

 リシャは向かってくる魔物を見ながら考えていた。今の自分は戦えない。だけど、戦えるようにならないとピスキィを止めることはできない。きっと何か方法があるはずだ、と。

 しましまぱんつの力を引き出す方法。引き出せなくなったしましまぱんつの力。そこで思い出す。しましまぱんつをはいているのはリシャではないこと、昔、レフィオーレはしましまぱんつの力を完全に引き出せていたことを。

「そっか。そうなんだ」

 リシャは納得して、ソードレイピアを抜く。抜いたレイピアは構えることなく、レフィオーレに手渡された。左手に握ったソードレイピア。もう片方の手は、リシャの手とつながっている。

「できるよね。レフィオーレ。私なら」

 つながれた手が離れると、リシャはバランスを崩して倒れる。レフィオーレは優しくリシャを支え、向かってくる魔物を睨むように見つめていた。

 リシャをその場に寝かせ、レフィオーレは魔物と対峙する。まぶたをゆっくりと閉じ、静かにまた開く。直後、踏み切ったレフィオーレはソードレイピアを魔物の一体に突き刺した。その一撃で、魔物は崩れ落ちる。

 その隙を逃さず、抜いた武器で連撃を加え、倒れた魔物は消滅した。残りの二体のうち、一体はレフィオーレを、もう一体はリシャを狙って襲いかかる。

 リシャへ向かう魔物は無視して、レフィオーレは自らに襲いかかる魔物を素早く撃破する。その間に、もう一体の魔物は無防備なリシャへ向かって攻撃を振り下ろすが、それは地面を叩くだけ。リシャは目の前を叩く攻撃を楽しそうに見ていた。

「眠ってる、と思った?」

 力を引き出せなくとも、どんな攻撃でどこを狙うのかが予めわかっていれば、よけるのは造作もない。咆哮をあげ、魔物はリシャへ追撃を狙う。さすがに、今のリシャにこれを防ぐことはできない。

 しかし、魔物が追撃するよりも早く、レフィオーレのソードレイピアがその身体を貫いていた。崩れ落ちるのを待たず、素早く剣を抜き、再び突き刺して魔物を倒す。

 レフィオーレはソードレイピアを降ろして、その場に立ち尽くしていた。リシャは腰に下げた鞘を外し、レフィオーレの身につけさせる。ぴったりだった。

「これで、終わり――っと」

 少し遅れて、残りの魔物を全て倒したスィーハは消えていく魔物を尻目に、リシャとレフィオーレの無事を確かめる。傷ひとつない二人の姿を見て、スィーハは安心する。

「ねえ、リシャ。どういうこと?」

 当然の疑問に、リシャは一言で答えた。

「さあ?」

 事実、リシャにもなんでこんなことができたのかはよくわからなかった。ただ、何となくできると思ったことをやってみたら、本当にできたというだけのことだ。

 スィーハは追求することなく、別のことを確認する。

「今の、またできるんだよね?」

「うん。できるよ、絶対に」

 きっとだとか、多分だとか、曖昧な表現ではなく、リシャは絶対と言い切った。どうしてできたのかわからない以上、根拠も一切ないのだが、リシャにはなぜかそういう確信があった。

 スィーハもそれ以上何も言わず、問題はこれからどうするか、ということに移る。目の前の魔物を倒すことができ、リシャとレフィオーレが戦えるという事実もわかった。しかし、ルーフェやチェミュナリアがどこにいるのか、という問題は全く解決していない。

 ただひとつわかるのは、今倒した魔物の数から、増援は一切来ないで戦闘が終了している、という可能性は限り無くゼロに近い、ということだけだ。

 リシャたちは西門に戻ることにした。休息が目的ではない。西門の上から遠くを見ることで何らかの手がかりを得られないか、と考えたのだ。直接見つけることはできなくとも、今のような魔物の集団が見つかればいい。

 その魔物が向かう方向を追いかければ、二人や騎士たちが今どこにいるのかわかるかもしれない。もしわからなくても、その魔物たちを倒せば、周辺の集落は守れるし、それらが増援としてルーフェたちのところへ向かうこともなくなる。

 それが今のリシャとスィーハ、レフィオーレの三人にとれる最善の行動だった。

 他の門よりも高く造られている、西門からは国内が広く見渡せる。門の上へは、先ほどの戦いが目撃されていたため、すんなりと通してもらえた。魔物の集団のひとつでも見つかればすぐにそちらへ向かうつもりであったが、魔物の姿は見当たらなかった。

 南門から遠いから魔物の姿が見えない。そうも考えられたが、それ以上に不自然なことがあった。魔物が一切いないのは戦いが続いているためだとしても、旅人や商人の姿さえも一切見えなかったのだ。

 スィーハは門の上で見張りをしている騎士に話を聞いてみたが、彼女もわからないようだった。そこで、見張りはリシャとレフィオーレに任せて、スィーハは門の外で情報を集めることにする。

 探すのは他の集落から来た旅人や商人だ。時間が時間なだけに、宿をいくつか探すとすぐに見つかった。そして、城下町周辺から来た一人の旅人から不自然な理由が判明する。

 話によると、騎士たちが魔物と戦っているという情報は国内全土に伝わっており、戦える人たちにはなるべく砦に留まり、集落のものたちを守って欲しい、という女王からの要請が出たという。

 もちろん強制力はなく、話してくれた旅人も急ぎの用があってここまで来ていたが、よほど急ぐ者たち以外は砦に残ることにしているそうだ。国に属するものではなくとも、パロニス王国はこの大陸最大の国であり、戦力が最も集中している場所。危険を冒して移動するより、騎士と協力した方が安全である、と考えるのは至極当然なことだ。

 スィーハはその情報で、自分たちの推測が間違っていたこ徒に気付く。魔物を引きつけている、というのは確かかも知れないが、移動を繰り返しているわけではなかった。

 そう、仮に一か所に引きつけたとしても、門を放棄してしまっては国内に魔物が入り込むのを見張るものもいなくなり、先ほどのようなことが起こりやすくなる。門や砦を放棄しつつ移動する戦法は、魔物の数がある程度わかっているときにしか通用しないのだ。

「急ごう、リシャ」

「うん。騎士さん、馬車ありますか?」

 三人は馬車に乗って走りだす。目的地は南西門。南から来る魔物が辿り着くのは、南門と南西門の二つだ。ルーフェとチェミュナリアがいるのはおそらく南門。しかし、そちらへは向かわなかった。

 南西門と南門の距離がそれほど離れていないことは、以前そちらから増援が現れたことからわかっていた。増援が現れるということは当然、そちらでも戦いが起きていることになる。南門ほどの激しさではないにしても、騎士隊長に女王、近衛騎士などの強い者は南門にいる。

 そうなれば、南西門の騎士たちが取れるのは、守りに徹した篭城戦のみになるだろう。負けることはなくても、倒すのにも時間がかかり、戦闘は長引く。当然、逃げる魔物を追う余裕もなくなる。

 まずはそちらの魔物を殲滅し、南門へ増援が向かう可能性を排除する。それから南門での戦いを制すれば、ひとまず戦いは集結するだろう。

 再び魔物が襲ってくる可能性もあるが、重要なのはルーフェやチェミュナリアに休息をとらせて、ピスキィとの戦いに備えることだ。そして、魔物の防衛は騎士や旅人に任せ、その間にピスキィの暴走を止める。単純だが、それが最も効率的な方法だった。

 南西門に近づくと、馬車の中にいても戦いの音がはっきりと聞こえてきた。魔物の鳴き声と矢が放たれる音。剣や槍などの近接武器の音はほとんどしない。

 三人は門の裏で馬車を降り、篭城している騎士たちの救援に向かう。南門に近いため、リシャの情報は伝わっており、三人が前線に出る頃には矢の掃射は収まっていた。門の騎士たちは小型の敵を倒すことに専念し、リシャとレフィオーレは中型の魔物、スィーハは大型の魔物を相手にする。

 数は中型の魔物が五十体前後、大型の魔物が百体以上。小型の魔物は一番少なく、三十体程度しか残っていない。篭城の効果か、弱い魔物はほとんど倒されていた。少ない小型の魔物はすべて亜種である。

 飛行型魔物と陸上型魔物の両方がいて、その姿も多種多様。配置も分散している。一気に全て倒すのは難しいが、矢によっていくらか傷を負っていることから、苦戦を強いられる相手ではない。

 最初に動いたのはスィーハだった。中型、大型と混在する魔物の群れに単身で突撃する。拳や牙、くちばしに爪、振り下ろされ、放たれ、向けられる攻撃は全て空を切る。

 敵陣の中央を突破し、そのまま突き抜けていくスィーハに、魔物たちの注目が集まる。その隙を狙って、レフィオーレがスィーハから離れた魔物にソードレイピアを突き刺す。

 一部の魔物の注意がレフィオーレに移る。狙った魔物と、その周囲にいた数体の中型魔物。

 それを合図に、回避に徹していたスィーハが反撃に出る。前方の巨体から繰り出される爪を姿勢を低くして避け、そのまま足払い。宙に浮いた大型魔物に、爪を回避した所を狙って放たれていた別の魔物のくちばしが突き刺さる。

 崩れ落ちる魔物の影に隠れ、スィーハは姿を消す。標的を失った魔物は、スィーハを探したり、レフィオーレに狙いを変えたり、いくつかの行動をとった。スィーハはその中から、大型の魔物だけを狙い流れるように打撃を与えていく。

 目的はダメージを与えることではなく、注意を引くこと。そのようなことを何度も繰り返していると、スィーハの周りには大型の魔物しか残らなくなった。

 両者にとって戦いやすい魔物が集まったところで、二人の動きは加速する。一体ずつ倒すのではなく、複数体の魔物を一気に倒し、戦闘の早期終結を目指す。

 数はレフィオーレの方が少ないものの、強い相手にこそ本領を発揮するスィーハにとって大型魔物は格好の相手。二人が周囲の魔物を全て倒したのはほぼ同時だった。

「二人とも、乗って!」

 門の側で待機して戦いを見守っていたリシャが、遅く走る馬車の中から声をかける。南西門の魔物を数十分で殲滅したスィーハとレフィオーレは、馬車に飛び乗った。直後、馬車の速度がゆっくりと上昇していく。

 馬車が向かうのは南門。ルーフェとチェミュナリア、それに女王や騎士隊長、パロニス王国の騎士たちが魔物の大群と戦っている場所だ。

「まだ、いけますね?」

「当然です」

 言葉とともに、ルーフェは双剣を同時に振り、大型の魔物を一撃で葬る。

 南門ではルーフェとチェミュナリアを中心に、魔物との戦いが続いていた。魔物の増援は何度かあったものの、数が極端に多いわけではなかった。それこそ、ここにいる者たちが戦い続けていたら、既に殲滅できる程度である。

 未だ戦いが続いている理由はひとつ。今戦っているのはルーフェとチェミュナリアの二人に、女王と騎士隊長の二人を加えた四人だけだからに他ならない。

 騎士たちは門の中や、周辺でその戦いを見守っている。大きな傷を負ってはいないが、その騎士たちはもう戦えなかった。ぱんつの力を完全に引き出せないということは、戦闘力が劣るだけでなく、枯渇するまでの時間も短いということ。

 もちろん、女王と騎士隊長にとってもそれは例外ではなく、戦い続けていたらとうの昔に尽きていてもおかしくない。そうならないのは、前線をルーフェとチェミュナリアに任せ、二人は別の場所に逃げようとする魔物の追撃と、門を抜けようとする魔物の防衛だけに徹していたからである。

 それでも、二人のぱんつの力は枯渇寸前だった。そしてまた、逃がさないために常に全開で戦っているルーフェとチェミュナリアのぱんつの力も残り少ない。まだ余裕はあるが、もし二人だけで戦うことになったらぱんつの力の減る速度はさらに加速する。

 力自体はぱんつが持っているものなので、体力や気力は無理でも、力だけならはきかえれば回復するが、後方の女王や騎士隊長ならともかく、戦闘の要となる二人にそんな余裕はない。また、別種のぱんつに変えると戦略が崩れるという問題もある。

 ルーフェは武器を変えることである程度の変更は可能だが、防御に徹しているチェミュナリアは他のぱんつに変えたら守りが弱くなる。同種のぱんつの予備もあるが、ここでそれを使うのは避けたかった。

 この後には、ピスキィとの戦いが控えている。一晩休んで回復を待つ余裕があればいいが、なかった場合は戦力の大幅低下は避けられない。

 ふと、追撃に向かっていた騎士隊長の剣が鈍る。女王のサポートで危機は回避できたものの、それは騎士隊長のぱんつの力が枯渇した、ということを示していた。

 替えのぱんつはない。後方で戦っていた二人は、何度か別のぱんつにはきかえていたが、もうその予備がなくなっていた。

「ルマ、下がれ。後は私が引き継ぐ」

「了解しました。……と言いたいところですが、フィー、あなたにその余裕がおありですか?」

「……やはり、お見通しか」

 女王の力も先ほどの戦闘でほぼ枯渇していた。一応、完全に枯渇はしていないので、一撃、二撃くらいならまだ戦えるが、それだけでは小型の魔物一体を倒すのがせいぜいだ。

「ルーフェ、私は下がります」

 その様子に気付いたチェミュナリアは、戦略の変更を余儀なくされる。剣を振るっていたルーフェはやや遅れて、その言葉の意味を理解する。

「魔物たち! 姫の騎士、エラントル・ルーフェがまとめて相手をする!」

 了解の返事をする代わりに、ルーフェは声を張り上げてできるだけ魔物の注意を集める。しかし、一部の魔物の注意は別の方向へ向けられていた。

 ルーフェは尻目に、チェミュナリアは横目に、その方向を確認する。そこにあったのは、一台の馬車。中から降りてきたのは、三人の少女だった。

「どうやら間に合った、みたいだね」

「うん。ルーフェ、チェミュナリア! 連れてきたよー!」

 リシャ、スィーハ、レフィオーレ。三人の姿を見て、チェミュナリアは表情を緩めずに、ひとつだけ聞いた。

「リシャ、戦えますか? あなた自身か、そちらのよく似た方か、はわかりませんが」

 リシャはレフィオーレの手を握り、大きく頷いた。チェミュナリアは「ならいいです」と、僅かに安堵の表情を浮かべ、またすぐに引き締めた。

 一通り近くの魔物を倒したルーフェは、遅れて三人の姿を明確に視認する。リシャの姿を見て、スィーハを確かめ、レフィオーレを見た、そのときだった。

 ルーフェは遠目にもわかるほど、驚きの表情でレフィオーレを見る。声には出さなかったものの、その驚きが与えた影響は大きかった。

「っぐ、あ――」

 レフィオーレに気を取られていたルーフェに、なぎ払うように振られた大型魔物の腕が直撃する。投げ出されたルーフェの身体は地面に強く叩きつけられ、口からは血が出ていた。

「ルーフェ!」

 リシャが叫ぶ。そのまま救援に行こうとしたが、自らが戦えないことを思い出して思い止まる。代わりに、スィーハが駆け出していった。

「だい、じょうぶです」

 立ち上がったルーフェは、気丈にふるまう。吹き飛ばされて落とした双剣を握った手は震えてはおらず、足もしっかりと地についている。防御性能の低いくだものぱんつで直撃を受けたダメージは大きい。が、骨が折れたわけでも、内臓が潰されたわけでもない。吐いた血は口を切っただけだ。

 いくら大型の魔物の協力な一撃であっても、一撃ごときでぱんつの力を完全に引き出せる者を倒すことはできない。もちろん、魔物たちもそれを理解している。ルーフェの立ち上がる瞬間を狙い、複数の魔物が攻撃を仕掛けてきた。

「……甘いですね」

 しかし、それはルーフェを倒すには至らない。ルーフェは双剣を一方向に振り、直近に迫る攻撃を力尽くで押し返す。残りの魔物の攻撃は、押し返した魔物がいた位置に素早く移動して回避する。

「ですが、おかげで助かりました」

 魔物たちの追撃が遅れたのは理由があった。スィーハが素早くルーフェの近くまで到達し、魔物に攻撃を加えて注意を引いていたからだ。

 それでも、魔物たちにはルーフェを狙う余裕がないわけではなかった。だが、小型の魔物を三体、一瞬のうちに撃破したスィーハの攻撃を警戒して、そちらの対応を優先した。

 スィーハは無事なルーフェを見て安堵する。統率の取れていない魔物相手なら、おそらく成功すると踏んではいたが、失敗して魔物が迷うことなくルーフェを狙っていれば、攻撃力の低いスィーハには防ぎきれない。

 ふりるぱんつの力は回避に長けているため、たった一人であっても複数の攻撃を守りながら防ぐのは難しいのだ。

「ここはボクに任せて。ルーフェは東を、レフィオーレは門を守って!」

 最も敵の少ない東には、疲労しているルーフェを向かわせ、スィーハは多くの魔物を相手に相対する。大型の魔物はルーフェがほとんど倒しているので、周囲にいるのは中型と小型の魔物が大半。スィーハにとっては戦いにくい相手だが、戦えない相手ではない。

「チェミュナリア、増援はまだ来そう?」

「いえ。ここ一日はほとんど現れていません。ですから、ここの魔物を全て倒せば一旦戦闘は終結するでしょう」

 リシャ、レフィオーレ、チェミュナリアの三人は門の周辺で大局を見守る。魔物の数は大小様々、三百体ほど。数だけを見れば、しましまぱんつ、くだものぱんつ、しろぱんつ、ふりるぱんつ――四つのぱんつの力を完全に引き出せる四人にとっては、倒すのは造作もないことだろう。

 厄介なのは、その魔物が分散していることだ。各個撃破しつつ、魔物を門やパロニス国内へは通さないようにするのは、四人という少人数では簡単ではない。正確には五人だが、リシャとレフィオーレは戦力的には二人で一人。戦えないリシャは数には入れられない。

「……んと、はきかえたほうが良さそうだね」

 戦況の確認を終えて、リシャは荷物入れから黄色と青の横じましまぱんを取り出す。早速はきかえようと、はいている水色と白の横じましまぱんを脱ごうとしたところで、ふと動きを止める。

「どうしました?」

「これ、私がはいても意味ないかも」

 疑問の表情を浮かべるチェミュナリアに、リシャはレフィオーレのことを簡単に説明する。チェミュナリアは納得したようで、リシャの考えに同意した。

「……来ましたね。私は行きます、リシャとレフィオーレはいつでも動けるよう、準備を急いで下さい」

 リシャが頷くのを待たず、チェミュナリアは門の近くに来た数体の小型魔物を倒しに向かう。防御に特化した無地のしろぱんつでも、小型の魔物相手なら攻撃も問題なく通せる。

 リシャはレフィオーレを呼び、黄色と青の横じましまぱんを手渡す。レフィオーレはそれを手に持ったまま、リシャの顔をぼーっと見つめていた。

「えーと、はける?」

 ふるふると首を横に振るレフィオーレ。今のレフィオーレは単純な行動と、戦闘くらいしか満足にはできない状態だった。リシャはその返事に驚きはしなかったが、困惑する。

「ちょっと恥ずかしいけど、レフィオーレ、座って」

 リシャはほんのりと頬を赤らめながら、レフィオーレを足を伸ばして座らせる。レフィオーレが自分ではきかえられないなら、リシャがはきかえさせるしかない。

 女の子のぱんつを見るのはともかく、ぱんつをはきかえさせるというのはさすがに恥ずかしい。それも、自分と同じような容姿の女の子、というのが恥ずかしさを倍増させる。しかし、今は一刻を争う状況だ。リシャは慌てずゆっくりと、レフィオーレのぱんつを脱がしていく。

「へえ、女の子のここって、こんな風になってるんだ……」

 レフィオーレは恥ずかしがる様子もなく、ただはきかえさせられるのを待つ。リシャは偶然目に入ってしまったぱんつの中身を見つめて、そんなことを呟いた。

 といっても、興味本意なだけで特別な意味はなく、見とれていたわけではない。他人のぱんつをはきかえさせるのは、自分のぱんつをはきかえるよりも時間がかかる。それに手間取っている間に目の前にあったから見てしまったにすぎない。

「よし。完了! レフィオーレ、いける?」

 レフィオーレは小さく頷いた。リシャは再び戦況を確認し、近づく魔物がいないかを確かめる。スィーハやルーフェ、チェミュナリアが戦っているおかげで、門の周囲に魔物の姿はない。だが、門から遠く離れた場所、中型の魔物と大型の魔物が一体ずつ、北へ向かおうとしているのをリシャは見落とさなかった。

 速度を高めた黄色と青の横じましまぱんにはきかえたレフィオーレが、その魔物たちを倒しに向かう。攻撃力を犠牲としているため、大型の魔物を倒すのにはやや時間がかかるが、数が少ないなら問題はない。

 レフィオーレは中型の魔物を一突きに弱らせ、素早く大型の魔物に近づきソードレイピアを深く突き刺す。抜いた勢いで中型の魔物を斬り撃破し、大型の魔物には蹴りを入れて一旦距離をとる。

 鋭い爪のついた腕を振りかぶる大型の魔物に、レフィオーレはひるむことなく突撃し、懐に入り込む。そして再び、ソードレイピアを突く。突かれた武器は先ほど突いた場所の隣に深く突き刺さっていた。

 今度は距離をとることをせず、素早く抜いたソードレイピアをまた深く突き刺す。狙う場所は二撃の中間。その一撃で別々だった傷が繋がり、大きな傷となる。

 その威力は絶大で、動かないレフィオーレを狙った腕は彼女に到達する前に、力を失って垂れる。ぐらりとゆれる巨体から武器を抜き、巻き込まれないように少し離れてから、倒れたところにとどめの一撃。

 大型の魔物は声もあげずに、霧散して消えていった。その姿を背に、レフィオーレは門へと素早く戻る。途中、その隙を狙っていたのか、たまたまか、どちらにせよ北へ抜けようとしていた小型の魔物の群れと出くわしたが、レフィオーレの敵ではなかった。

 前線ではスィーハとルーフェが一体、また一体と確実に魔物を仕留め、門の守りは鉄壁のチェミュナリアと、機動性の高いレフィオーレの二人が十二分に役目を果たしていた。

 そして、一時間も経った頃には、たくさんいた魔物は残り数体となり、その魔物もルーフェの双剣と、スィーハの蹴り、チェミュナリアの杖と、レフィオーレのソードレイピアで一瞬のうちに消えていった。

 これにより、二日間と約半日にわたって続いた長い戦いは、しまぱん勇者とその仲間、それにパロニス王国の騎士たちの勝利で終結を迎え、ひとまず危機は去ったのである。

 それでも、それは束の間の平和。魔物の大群が襲ってきた原因である、暴走したピスキィを止めなくては、再び戦いになる可能性も高いだろう。

 それを示すかのように、南から優しくも力強い風が、安堵するリシャたちの身体に吹きつけた。


5へ
3へ

しましまくだものしろふりる目次へ
夕暮れの冷風トップへ