桜の花に集まって

第五話 迷子の妖精さん


「お姉さんのあげた旧スク?」

 雪奈は頷く。プールにはまだまだ早い季節にスク水という謎は解明された。前回との関連もあり、今日も他に客の姿はなく暇だからか、お姉さんと姫も話に加わっている。

「どこに置いていたんだ?」

「女子更衣室。授業が終わったら制服の下に着て披露するつもりだった」

 そういえば体育の授業のあと、雪奈とすすきが戻ってくるのはいつもより遅かった。何をしているのかと思ったらそんなことをするつもりだったのか。

「でもなくなってたから、探してた」

 とはいえ、遅れることになった理由は別にあったようだけど。しかし重要なのはそこではない。

「鍵は私が肌見離さず、ちゃんと持ってたよ」

 すすきが言う。授業中の鍵の管理は、体育委員のすすきに任されていた。更衣室でスク水を着ておくなどという作戦が可能だったのも、それがあってこそだ。

「窓は男子更衣室と同じだよな」

「見たことなかったっけ?」

「あるわけないだろ」

 香久藻高校の更衣室の窓も、中学校の窓と同じく小さく高い位置にある。格子も当然ついていない。ひとつ違うのは更衣室のある場所だ。一階にある香久藻中学校の女子更衣室に対し、香久藻高校の女子更衣室は二階にある。

 無論、それは一般生徒が体育の授業中に使う更衣室の場所であって、部活動などの更衣室は他にもあるけれど、今回の現場とは関係ない。

「また密室ですね」

「以前にもあったのか?」

 三葉の呟きに、一人事情を知らない姫が聞く。俺たちは頷いて、お姉さんが簡単に前回の密室ブルマ盗難事件の詳細と、推理の内容を姫に説明した。

「姫は何か知らないか?」

「貴様、私を疑っているのではあるまいな?」

「可能性がゼロだとは思ってない」

 姫がそんなことをするとは思えないし、動機も見当たらない。けれど姫ならそれくらいのことは簡単にやってのけられるだろう。

 そしてもうひとつ、姫と俺が出会ったのは密室ブルマ盗難事件が起きた翌日。偶然だとは思うけれど、姫が何らかの目的のためにブルマを盗み、俺たちに接触してきたという可能性も否定はできない。

 俺はそのことをみんなに話す。念のため最後にあくまでも可能性の話だけどな、と付け加えておくのも忘れない。

「なるほど。貴様の考えはよくわかった」

 姫は真面目な顔をして頷いた。けれど、その直後に浮かべたのは微笑みだ。

「確かに私ならそれくらいのことは簡単だ。見せてやろう」

 空中に手を伸ばしたかと思うと、何かを掴むように勢いよく引っ張った。姫の手には一枚の布切れが握られている。スマートなシルエットのブリーフ。

「あ、兄さんのぱんつ」

「うむ。ちょっと空間を歪曲させて、貴様の部屋から取ってきてやったぞ。その気になれば、今はいているものを奪い取ることも可能だが」

「わざわざ密室になっているところを狙う理由がないってことか」

「わかってもらえたみたいだな」

 ブリーフを妹に手渡す姫。相手が違う。洗濯は妹の仕事だけど、取り込みは俺の仕事だ。

「自分で戻してくれないか」

「……面倒だな。まあいいだろう」

 名残惜しそうな妹からブリーフを受け取って、つまんだそれを落としたかと思うと、ブリーフはどこかへと消えていた。あれで元通りたたまれているのかちょっと気になる。

「姫の疑いも晴れたところで、ここでお姉さんから一つ伝えておくことがあります」

 全員の視線がお姉さんに向く。首を傾げているのを見ると、どうやら一緒に暮らしている姫も知らないらしい。

 ちょっと待っててね、とお姉さんは喫茶店の裏に入っていった。そこにあるのは従業員の更衣室や調理場、それと二階にあるお姉さんの自宅くらいだ。数分後に戻ってきたお姉さんの手には、一着の旧型スクール水着が握られていた。

 前面の胸のあたりには白地の刺繍が縫い付けてあり、上には黒い文字で「ゆきな」と大きく書かれていた。

「姫の着せ替えが終わってから、ふと振り返ってみたら落ちてたんだ」

 雪奈はスク水に書かれた文字をじっと見て、「本物だと思う」と小さく呟いた。あの字はお姉さんが書いたのではなくて、雪奈が自分で書いたものなのだろう。そうしないと価値が薄れるから、などとお姉さんが指示したのは容易に想像できる。

 前に盗まれたブルマが戻ってきたように、今回も盗まれたものが戻ってきた。そしてその場所が学校ではなく喫茶店であることから、無差別に盗んだとは考えにくい。

「三葉のブルマに、雪奈のスク水……」

 思わず声に出して考える。二つの事件の共通点があるとすれば、密室状況で盗まれたこと以外に関係しそうなのは盗まれた人、もしくは物になる。

「兄さん、妄想は後にしてください」

「着替えてくる?」

「さすがに店内でスク水はまずいんじゃない?」

「今は他にお客さんもいないから大丈夫だよ」

「だそうだ。喜べ葉一」

 この五人はどうやら俺を変態ということにしたいらしい。

「冗談はおいといて、すすきちゃんも気をつけてね」

「私ですか?」

 俺が何も反応しなくて飽きたのか、お姉さんは話を戻した。名指しにされた幼馴染みはよくわからないといったような顔をする。

「うん。だって次はすすきちゃんでしょ? 犯人は私たちを狙っているみたいだし」

「でもなんで私ってわかるんですか」

 喫茶店へ戻したということから、それは俺も気付いていた。けれど、次の行動までは予測できなかった。俺たちというなら、お姉さんや俺、姫が狙われる可能性もあるはずだ。

「体質」

 ぼそっと呟いたのは雪奈だ。たった一言だけど、それで俺は理解する。すすきや三葉も反応を見るに理解したと思われる。

「そ。だからお姉さんと葉一くんが狙われるわけはないし、姫は体質で片付くような存在じゃない」

「私は超越的存在だからな」

「もうひとつの問題はなんで密室のときに狙うのかだけど、多分犯人は侵入してもすぐに盗めない状況にあったんじゃないかな。何となくどの辺りにあるのかはわかっているけど、近づいてゆっくり調べてみないと正確な場所はわからない。だから周りに人のいない状況が必要だった。

 密室に何らかのこだわりがあって、それに酔っていたり驚かせたりしたいというのも考えられなくはないけど、それなら戻すときにも何らかのこだわりがなくちゃおかしい。鞄に戻したり、本人に直接返さず喫茶店に置いたのは、単に返すことだけを重視した結果だと思うの」

 お姉さんの推理は今回も筋が通っている。けれど、肝心な犯人を特定することや、犯人の目的までははっきりとわからないようだった。

「ということでお姉さんは囮作戦を提案します」

「囮、ですか」

 犯人の行動を見ると危険はなさそうだけど、囮に使う物の具体的な案が思い浮かばない。すすきの物であることだけは確かだけれど。

「でも私、ブルマやスク水みたいに、葉一が喜ぶようなものは持ってないですよ」

 もし基準がそれだったら、俺は犯人を一発殴らないと気が済まない。

「それなら問題ありません。すすきさんは、兄さんが喜ぶものはいつも身につけています」

「そっか。ぱんつだね!」

 否定できない自分を悲しいとは思わない。だって男だし。興味があって何が悪い。

「葉一なら脱ぎたてがいいかな?」

「いえ、着用済みなら洗濯しても大丈夫かと。私のブルマもそうでしたし」

「私も一人のときに着たことはある」

 話の流れからすると、俺が着用済みが好きと思われかねない危険な流れだ。

 三葉のブルマと雪奈のスク水に見つかった共通点は、俺が好きだからではなく彼女たちが一度着用したことがあるということ。問題は着用してからの期間だけど、俺としてはなるべく聞きたくない。

 しかし、誰かが代わりに聞くのを待っていても、みんな黙り込んだまま何も言わない。どうやら俺が聞かないと話を進めてはくれないらしい。

「二人はいつ着たんだ?」

「盗まれる前日です」

「同じく」

「葉一、変態みたい」

 変態みたいにさせたのは誰だろうな。

「じゃあ、今はいているのを密室にした所に置いておけばいいんだよね。でも、明日は体育の授業ないし、どうしよっか?」

「それならここの更衣室を使えばいいよ。鍵もかかるし、私たちが店にいるから正面突破はできないはず」

「そこを俺たちが裏手で待ち伏せして、犯人を捕らえる……ことができればいいんですけど」

「無理はしないほうがいいでしょうね。相手は得体が知れませんし」

 犯人の特徴でわかっているのは、密室を無視できるということだけだ。その方法がはっきりとわからない以上、無闇に飛びかかって捕らえようとするのは、相手の対応次第では大きな危険が伴う。

 俺たちが直接動かず罠を仕掛けるという手もあるけれど、それに気付ける相手だとしたらそこで囮作戦は失敗してしまう。

 場合によっては俺たちのこの会話も盗み聞きされていて、という可能性もあるけどそのときはそのときだ。盗み聞きされないように対策を立ててから、また別の手を考えればいいし、盗み聞きできた相手という犯人の情報が得られることにもなる。

 俺たちは明日の行動について話し合ってから、ゆっくりとブレンド珈琲を味わって安らぎのひとときを楽しむことにした。

 囮作戦実行の木曜日。準備期間は一日と短くても、大掛かりな準備は必要ないからそれだけあれば十分だ。

 お姉さんと姫は喫茶店の中でいつも通りに――といっても姫はまだ二日目だけど――働いている。二人にはもし犯人が店内に逃げたら捕まえてもらう手はずになっているけれど、それ以外の協力はない。

 姫が積極的に協力してくれれば捕まえるのは簡単だろうけど、宇宙を調べるのに忙しく、あまり目立つ行動はとりたくないそうだから、無理に頼むことはしない。

 喫茶店の女子更衣室にはすすきのぱんつが置いてある。ロッカーの中にぱんつが一枚というのはいかにも怪しいけれど、普通なら外から確認することはできない。

 今日何も盗まれなかったら犯人は確認する術を持っているということになるけれど、それがわかるだけでも次の行動は立てられる。

 とはいえその可能性は低いと見ていて、俺たちは犯人が窓から侵入するのを見越して待ち伏せしている。さすがに喫茶店の裏に四人も集まっていたら警戒されるので、少し離れたところで俺が見張り、公園で待機する三葉たちに伝えることになっている。

 連絡手段は前に持たされたマイクロホンがある。双眼鏡はないけれど、離れていても窓からぱんつが出てくるのを見落とすはずがない。

 何らかの方法でぱんつを隠せるとしたら厄介だけど、それでも何らかの異変は見つかるだろう。自身が侵入する姿も逃げる姿も隠せるような相手なら、密室を狙う必要はない。

 問題はどうやって公園に誘き寄せて捕らえるかなのだけど、誘き寄せるところまでは妹が対処している。

 更衣室にぱんつを置いている間、三葉は喫茶店から公園へ向かう以外の道に、すすきのぱんつ除けという、物凄くピンポイントな結界を張った。念のため空や地中にも張ったらしいので誘き寄せるのは簡単だろう。

 とはいえすすきの行動も阻害されては困るので、公園の周囲にも張って相手を閉じ込めるような使い方はできない。すすきの昨日はいていたぱんつまで絞ると術式が長くて間に合わず、一時的に解いて再構成するというような柔軟性は妹の結界にはないらしい。

 ちなみにその結界は妹が独自に編み出したもので、ちょっと教えてもらった術式もかなり変というか、俺にとって物凄く恥ずかしい言葉の羅列で構成されていた。

 三割が事実、七割が妄想という比率が重要らしく、「兄さんがよく妄想を事実にしてしまうので大変なんですよ。それも兄さん一人で達成できる妄想ばかり事実にして、たまには他の妄想も事実にしたらどうですか」と文句を言われたが、そんなものは知らない。

 ともかく、三葉の役目は公園に誘き寄せるまでで終わりだ。大規模な結界のため、維持するだけで精一杯らしい。

 どれくらい大変なのかと聞いてみると、「兄さんだって中に入れたまま動かし続けて、何時間も出さないように我慢するのは大変でしょう」という、わかりやすそうでわかりにくい例えで返された。意味はわかるけど俺にそんな経験はない。

 さて、公園に誘き寄せたところで、犯人を捕らえるのはすすきと雪奈の役目だ。相手の正体がわからない以上、出たとこ勝負になるのは仕方ない。

 事前に決まっていることといえば、相手が強行突破を試みた場合は雪奈が対処し、逃げようとするならすすきが対処する、ということ。三葉は俺からの連絡を二人に伝えたら、公園から一旦離れて身の安全を確保する。

 一応、俺も連絡したら公園に向かって、途中で三葉と合流してサポートに入る予定だけど、犯人の姿が見えなくなってから行動開始するので、着いた頃には犯人が捕まっているか、逃げられているかのどちらかだろう。

 じっと窓の辺りを見て待っていると、一瞬何かが動いたような気がした。気のせいかと思ったけれど、相手が何かはわかっていないのでそのまま見続ける。すると数分後、窓からぱんつが出てきた。

「三葉、来たみたいだ」

 ふよふよと浮かぶすすきのぱんつ。犯人の姿は見えない。かろうじてわかるのは、少し膨らんでいるように見えることだけ。

 もっとよく見ようとしたら、相手がこっちに向かってきたので物陰に隠れて待つ。

 浮かぶぱんつは俺に気付くことなく、並木道を抜けて公園の方へと飛んでいく。後ろから見ても犯人の姿は見えず、そこにあるのはぱんつだけ。けれど、浮かぶ高さは出てきたときより低く、地面すれすれとまではいかないけれど、かなり低い位置を飛んでいた。

 速度もそれほど速くなく、ふらふらと飛ぶぱんつは走って追いかければ捕まえられそうだ。でも犯人が特定できていない今、独断で動くわけにはいかない。

 距離を取りながらぱんつを追いかけていく。公園に着く前に後ろから来た三葉と合流。そのまま俺たちは公園へと入る。ちょうどすすきと雪奈がぱんつの前に対峙するのが見えた。

「動きませんね」

「そうだな」

 ぱんつはふよふよと浮いたまま、その場でじっとしている。目の前に立ちはだかる二人に気付いてはいるのだろうけど、襲いかかる様子もなければ逃げる様子もない。

「まさか、自動操縦?」

「兄さん、何を言っているんですか」

 妹が呆れたような視線を送ってきた。俺だってそんなことをする意味があるとは思えないけれど、犯人の姿が見えない以上、俺たちの作戦に気付いて対処した可能性はある。

「じゃあ盗んだやつはどこにいるんだ?」

「膨らんでますし、中にいるんじゃないですか」

 三葉はさらりと言ってのけた。そんなことができる人間がいたとしても、ずっとそうしている理由がない。そこまで考えてやっと、俺は犯人の正体がどういうものか理解する。

「小さな妖精、みたいなやつってことか」

「でしょうね。どうします?」

 すすきと雪奈は動けないでいる。距離が少し離れた状態なら意外な行動をされても対処できるけど、先に動いてい近づいたときに、予想外の行動をされたら簡単に抜けられてしまう。

 そのうえ、相手が小さいとなれば二人のうち一人が動くと、体が邪魔をして相手がよく見えなくなってしまい、その隙を突かれたらおしまいだ。

 おそらくはぱんつの中の人――と言っていいのかわからないけれど――もそう考えて動けないでいるのだろう。それを受けての妹の提案。二対一なら動かない状況だけど、四人がかりでなら変えられる。

 問題は隠れて見ている俺たちに相手が気付いているかどうか。気付かれていなければ奇襲となって効果的だけど、そうでなければもう一つの問題が発生する。

 妹は結界を張り続けるので精一杯だし、それでなくとも二人とも運動神経が特別優れているわけでもない。飛びかかったところで確実に捕まえられるとは限らないし、下手すると怪我をする可能性もある。

「三葉は後方でサポートしてくれ。俺が行く」

「わかりました。無理はしないでください」

 ならばその危険な役目を背負うのは俺だけでいい。奇襲を仕掛けるというだけなら一人でも十分に役目はこなせる。

 俺はそっと物陰から身を出して、静かに相手に近づいていく。すすきと雪奈は相手の動きに集中していて気付いていないようだけど、合図はしない。元々出たとこ勝負。二人もすぐに対応できるはずだ。

 ある程度近づいたところで、俺はぱんつに向かって飛びかかる。ふよふよ浮かぶぱんつは俺に気付いていなかったらしく、俺はあっさりとぱんつを手に掴むことができた。しかし、そこにあるのはぱんつだけ。中の人はいない。

「雪奈、行くよ!」

「うん」

 中から出てきたのは女の子の姿をした妖精のように見えた。手のひらに収まるくらい小さくて、ふよふよと浮かぶ姿に羽はない。裸で服は見当たらないけれど、どういうわけか肝心な部分は見えない。長いプラチナブロンドの髪で隠れているわけでもないのに不思議だ。あとちょっと残念。

 妖精さんは右手にぱんつを握ってしゃがむ俺の顔を見たかと思うと、可愛らしく頬を膨らませた。笑ったらもっと可愛いんだろうなと思いつつ立ち上がり、ふさがっていない左手を前に構えると、彼女は声もなく勢いよく俺に体当たりを仕掛けてきた。

 すすきや雪奈も動いているけれど、間に合わない。妖精さんの動きはとても素早く、動いたとわかる光が見えるだけで、目で追うこともできなかった。

 直後の衝撃。急所への体当たりに、痛すぎて悲鳴も出ない。

 声の代わりに視線で俺のことは気にするなと幼馴染みたちに伝える。けれど二人は首を振るだけで相手を追いかけることはしなかった。

「大丈夫?」

「立てられる?」

 心配する二人だけど、何か心配するところが間違っている気がする。いやもちろん、あの一撃で不能になっていたら困るけれど、今そういう心配をされても困る。

「確かめてみましょう」

 後ろからやってきた妹が俺の股間に手を這わせてきた。普段なら抵抗するところだけど、今は痛くてそんなことをする余裕がない。

「……あれは?」

 かろうじて絞り出した声で、俺は相手がどうなったのかを確かめる。妹が触れてきたけど、痛い今は何をされても興奮しないと思うので気にしない。

「逃げられちゃった。空高くへ飛んでって、そこから喫茶店と反対側に」

「そうか」

 痛みが引いてきたので、俺は握って動かそうとする妹の手を掴む。

「教えてもらわなくてもできます。あ、兄さんはそういうのがお好みですか?」

 違う。いやでも好みかどうかと聞かれると、好きな方だから完全に違ってはいない。

 不満顔のあとに微笑んでみせた妹の手を無言で引き剥がすと、俺は周囲を軽く見渡す。逃げたと見せかけてまた襲ってくる可能性を考慮してのことだが、その心配はなかったようだ。

「帰ろうか」

「うん。いいけど……」

「どうした?」

 歩き出す俺にすすきがためらうように答えた。不思議に思って振り返ると、三人の視線は俺の右手に集中していた。みんな真剣な顔でじっと見つめている。

「……返すな」

 俺の手にはすすきのぱんつが握られたままだった。

「いいの?」

 すすきにぱんつを返すと、幼馴染みは不思議そうにしていた。咎められたから返したのに、変な反応をする。

「遂に変態の道を進む決心がついたのかと思ったんだけど」

「期待させておいて、がっかりです」

「待って」

 明らかに落胆した感じの幼馴染みと妹に対し、雪奈は違う反応を示した。

「このぱんつは返すから、代わりに脱ぎたてのぱんつを渡せってことだと思う」

 まあどうせそんなことだろうとは思ったさ。この流れなら予想できる。

「なるほど。さすが兄さんです」

「でもちょっと恥ずかしいな。喫茶店に着いてからでいい?」

「きっとここで脱ぐ羞恥を求めてる」

「先に帰ってるからなー」

 付き合いきれないというか、付き合ったら面倒なことになるのは想像に難くないので、俺はそう言ってさっさとチェリーブロッサムに戻ることにした。

「兄さんはやはり妹に囲まれるシチュエーションが……」

「違うよ。学校で他の生徒のいる中で幼馴染みと……」

「突然現れた転校生みたいな女の子に、いきなりという……」

 遅れて来た三人は何か別の話題で盛り上がっていた。俺は一人で珈琲を飲みながら三人を眺める。何の話かはわからないけれど、とりあえず他に客がいなくてよかった。

「何の話してるの?」

 お姉さんも会話に参加しようとした。隣には姫もいる。

「お姉さんたちはどう思いますか?」

「葉一が自慰するときに何を使っているかって話なんだけど」

「二人の話だと、そういう本の類はないから、想像力を働かせているのは確実」

「両親の部屋に忍び込んでいる可能性もありますけど、プレイすることはできませんし、せいぜい妄想力を高める材料にするくらいでしょう」

「なるほどねー。喫茶店の頼りになるお姉さんと、みたいなシチュならいいけど、近くの公園で出会った小さな女の子を騙してというのもありそう」

 珈琲を飲む。何やら後ろの方で盛り上がっているけれど、俺には関係ない。五人は入り口の辺りで楽しそうに会話を膨らませている。本当に他の客がいなくてよかった。

「葉一くん、答え合わせー」

「お断りします」

 お姉さんがこっちへ来て聞いてきたので、俺は即答する。

「酷いです」

「だめなの?」

「お願い」

「お姉さんも知りたいなー」

「嫌だ」

 四人がかりで来ても答えは変わらない。そんな恥ずかしいことを答えられるわけがない。

 俺が断固として拒否し続けると、みんなも飽きたのか諦めたのか、いつもの席に座ってブレンド珈琲を注文した。ややあって、それを運んできた姫がじっと俺を見つめる。

「……ふむ。なるほどな」

 にやりと微笑む姫。俺が怪訝な視線を向けると、姫は俺の後ろに回って耳打ちした。

「私だけ仲間外れか?」

 俺は吹き出しそうになる。話の間に珈琲を飲み終わってなかったら危なかった。

 俺が何かを言おうとすると、姫は俺の唇に指を当てて制止する。俺も冷静さを取り戻す。ここで反応したら、他の四人がまた騒ぎ出す可能性が高い。姫は小声で言葉を続けた。

「面白そうだったので、記憶をちょっとな」

 さすが異世界のお姫さまは格が違う。俺がすすきや三葉、雪奈やお姉さんで抜いたことがあるのもお見通しというわけか。鎌を掛けたわけでないのは、姫では一度も抜いていないを言い当てたことからすぐにわかる。

「言うなよ?」

「言われなくとも。具体的な内容までは調べきれていないからな」

 大きな安心を与える言葉を残し、姫は手を上げて帰っていった。すすきたちが変に思っていないかと心配になり、さりげなく様子を確かめてみる。三人とも珈琲に手を伸ばしていて、俺の様子はさほど気にしてないようだった。珈琲を一口飲んでから、すすきが言う。

「それじゃ、そろそろ盗難事件について考えようか」

「そうですね。兄さんのはまた今度」

「姫にも聞く」

 三人ともさりげなく確かめていたみたいです。俺は姫を信じている。

 話題は変わったけれど、すぐに話は進まない。みんなどこから話せばよいのか迷っているようだった。

「とりあえず、順を追って考えようか」

「じゃあ最初は密室の謎からだね」

 俺が切り出すと他の三人も同意を示してくれた。

「といっても、見ていたのは兄さんだけですから、まずは詳しい話をお願いします」

「ああ、わかった」

 俺は盗難事件の犯人が密室を出入りしたときの様子を詳しく報告する。それから、公園での出来事も含めて辿り着いた考えを口にした。

「窓を出入りした方法と、あの速度。光が通れるところなら自由に通り抜けられる、といったところじゃないかと思うんだ」

「光の妖精さん」

 雪奈が呟く。他の二人も表情から察するに、異論はなさそうだ。

「葉一は光速の体当たりに耐えたんだね」

「手加減してたか、制限があるのか、そこまでの速度は出せなかったんだろう」

 手のひらサイズの妖精さんでも、光速の体当たりを食らったら痛いどころでは済まない。潰されたり切り落とされたり、おそらくそれくらいの威力にはなるはずだ。

「兄さんは何か心当たりはありませんか?」

「何か、と言われてもな」

 三葉の言いたいことはわかる。頬を膨らませたのを見ていなくても、彼女が俺を見て攻撃したのは誰の目にも明らかだ。あれだけの速度が出せるのなら、ぱんつを取り返された時点ですぐに脱出することもできただろう。

 なのに体当たりされたとなると、俺が彼女に恨まれていたということが考えられるけど、心当たりはなかった。さすがにぱんつを奪われたからではないだろう。

 俺が気付いていないだけで見落としがあるのかもしれないと思い、盗難事件が発生してからの行動を思い起こしてみる。何か不自然なこと、不思議なことはなかったかと記憶を辿ってみるけれど、何も思いつかない。

 事件が起きる直前まで溯ってみても、そのようなことはなかった。ならばと思い、もっと前まで溯ってみたところ、ひとつだけ心当たりがあった。

「もしかして、あれか?」

 夕食の準備をしようと喫茶店を出て買い物に向かったとき、何かに躓いたような感じがしたけれど、何に躓いたのかはわからなかった。あのときに妖精さんを蹴飛ばしていたのだとすれば、恨まれるのも納得がいく。

 俺がそのことを話すと、三人とも少し考えるような素振りを見せてから答えた。

「その可能性が高そうですね」

「わざとじゃなくても、痛かっただろうし」

「そして今日は背後から襲われた。反撃しようと思うのも当然」

 妖精さんが俺を攻撃した理由は判明した。けれどまだわからないのは、ブルマ、スク水、ぱんつを盗んだ理由だ。

「三人が狙われたのはなんでだろうな」

「兄さんを楽しませないため、にしてはすぐに返してくれましたしね」

「私たちが狙われた理由は別にあるってことだよね」

 二人の言葉に同意を示すように雪奈も頷く。この動機もわかればいいのだけど、いくら考えても答えは出なさそうだった。

「や、どれくらい進んでる?」

「暇だから私も聞きに来たぞ」

 そうしているうちに、お姉さんと姫も会話に加わってきた。俺たちは今までの推理の内容をかいつまんで二人に説明する。二人とも特に異論はないらしく、自然と話は次の問題に移っていった。

「じゃあ問題は、どうやってその子を捕まえるかだね」

 光そのものではないとはいえ、光のように移動できる相手を捕まえる方法。それが大きな問題だった。

「三葉の結界でどうにかできないか?」

「理論上は可能ですけど、今は情報が足りません。私の結界はあくまでも意識に作用して、そこから人を遠ざけるものです。本来なら大雑把に使うもので、ピンポイントで使うにはそれなりの情報が必要です。今回はぱんつという物でしたから簡単に済みましたが、生物となると名前や性格、その他諸々の情報がないとできません」

「私も障害をどうにかするのは得意だけど、障害を作るのは苦手だからねー」

「正面突破してくれば捕まえることはできると思う」

 雪奈の言葉にみんなの視線が集中する。

「でも、怪我はしなくても吹っ飛ばされるんじゃないか? 俺に体当たりしてきたときの衝撃はかなりのものだったぞ」

「傷つかないなら痛みや衝撃も、傷つかない程度にまで軽減される。それくらいの衝撃、葉一に精液をかけられたのと同じくらい簡単に受け止められる」

 とんでもない例えを混ぜてきた。俺はそんなことを実際にやったことはない。

 今度は俺に集中する視線に俺は首を横に振って答える。それでもみんなは視線を外さない。雪奈が続けて、まだかけられたことはないけど、という一言を付け加えなかったら疑いは晴れなかっただろう。

「問題はどうやって誘き寄せて、正面突破をさせるかだな」

「今回も囮を使えばいいんじゃない?」

 お姉さんが言った。

「今度はどんな囮を使うんですか? 密室を使うのは相手も怪しむでしょうし」

「葉一くん。恨んでいる相手を襲わせるの」

「俺、そこまでの恨みは買っていませんよ」

「だったらこれから作ればいいんだよ。三葉ちゃんのブルマ、雪奈ちゃんのスクール水着、すすきちゃんのぱんつ。三つを手にして待ち構えれば、相手はきっと襲いかかるはず。動機はわからないけど、狙っているみたいだしね」

「妙案ですね」

「妖精さんが葉一を攻撃し続けているところに……」

「私がかばうように飛び出て捕まえる」

 思いもかけない提案をしてきた。身の危険がどうこうという以前に、ブルマとスク水とぱんつを持って待ち構えることが相当恥ずかしい。けれど、そうしていれば相手が襲って来る可能性が高いのも納得できるから、そこに反論はできない。

「下手すると怪我どころじゃ済まないですよ」

「そこなんだよねー」

 お姉さんは小さく笑って答えた。この解決法は思いついていなかったらしい。

「なかなか面白そうじゃないか。それくらいなら私も手を貸してやってもいいぞ。貴様が死なない程度には守ってやる」

 姫が胸を張ってそう言った。確かに姫が守ってくれれば安全だ。

「解決だね!」

「とはいえ相手に気付かれないように守るには準備も必要だ。作戦は今すぐにやるのか? それとも明日か?」

「鉄は熱いうちに打て」

「明日になれば冷静になって落ち着くかもしれないしね」

「早速準備をお願いします」

 とんとん拍子に話は進んでいく。どうやら俺に拒否権はないらしい。

「いいだろう。葉一、こっちに来い」

「何をするんだ?」

 姫は俺を手招きしながら下がっていく。その先にあるのはカウンター。どうやら喫茶店の裏へと連れていきたいらしい。

「貴様の肌に直接、衝撃を緩和する鎧のようなものを塗りこむ。別の空間に作った仮想物質に衝撃を転移して軽減するものだが、強力なものだと塗りこむのに何日もかかってしまうし、貴様の肉体が耐えられるかどうかもわからん。だから簡易的なものになる」

「要はプチ雪奈状態にするってことか」

 やたら難しい説明があったけれど、つまりはそういうことだろう。

「そうなるな」

 姫は小さく頷いて答えた。

「ペアルック」

「似たようなものだ」

 雪奈の嬉しそうな呟きには、姫は微笑みながら答えた。

「で、なんで移動するんだ」

「言っただろう。貴様の肌に直接塗りこむと。上から下まで全身に塗るには脱いでもらわないと困る。まあ、私が脱ぐわけでもないし、貴様が気にしないと言うのならここでやってもいいが」

「服じゃだめなのか?」

「時間もかかるし、効果も薄れる。今は適さないな。私も自分以外の存在に対してまで万能ではないのだ」

 そういうことらしいので、俺は姫についていくことにした。後ろから複数のため息が聞こえてきたけど、気にしないことにする。

 鎧のようなものを肌に塗りこんでもらったのは、なぜか女子更衣室だった。マスターは普段から家で着替えて降りてくることが多いらしく、男子更衣室の鍵は閉めっぱなしで取りにいくのが面倒だから、というのがその理由だ。

 ちょっと抵抗があったけれど、女子更衣室に入れる機会を逃すも惜しい。姫は脱いだ俺の体にぺたぺたと両手で触れて、鎧のようなものを塗りこんでいった。

 姫は最後まで淡々と手を動かすだけだったので、特に危険なことはない。体が小さいので俺も動かなくてはならなかったけれど、姫は真剣な顔をしていて、からかってくるようなことは一度もなかった。

「完了だ」

 塗り終わったことを告げる一言。

「ありがとう」

 俺は姫に感謝の言葉を述べて、一緒に幼馴染みたちの待つところへ戻っていった。

 それから少しして、再び俺たちは公園に集まっていた。夕ご飯の準備もしなくてはならないし、あの程度の塗りこみでは効果も長くは続かないらしいから急ぐ必要がある。

 幸いなことに三葉はブルマを、雪奈はスク水を今日も持ってきていたので、準備はすぐにできた。俺の右手には三葉のブルマとすすきのぱんつ、左手には雪奈のスク水がしっかりと握られている。妹が簡単な人払いの結界を張ってくれたので、他人に見られる心配はない。

 握るだけでは弱いのではないかと、雪奈のスク水を着てその上からぱんつ、ブルマを装備するというのはどうかとお姉さんが提案したけれど、そんなことをする必要は絶対にないと思ったので全力で拒否しておいた。

 そのお姉さんは喫茶店で今も働いている。気にはなっていても、さすがにバイトの最中に抜け出すわけにはいかないようだ。

 公園の真ん中、他に障害物のないところで立ちつくす俺。数歩後ろに離れたところで雪奈が待機し、すすき、三葉、姫の三人は遠くのベンチに座り、楽しそうに何かを話しながら俺たちを見ている。姫は正式なバイトではないので抜け出すのは自由だ。

 見張りはいない。どうせ誰かが見つけたとしても、あの速度では報告するより到達するのが早くて意味がない。

 俺はじっと妖精さんの登場を待つ。事情を知る親しい人にしか見られていないとはいえ、こんな姿で長い間ぼーっと立ち尽くしているのは恥ずかしい。

 そして公園に到着してから十分ほど経った頃だろうか、俺の目の前で光が瞬いた。光の筋は頭上から伸びていて、上空から降りてきたのだとわかる。そう認識したのとほぼ同時に、俺の股間に鋭い衝撃が走った。

 思わずうずくまる。軽減するだけなので痛いけれど、その気になれば耐えられないほどではない。けれど平気な顔をしていると怪しまれるので、多少の演技は必要だ。

 後ろから雪奈の足音が聞こえる。俺の目の前には妖精さんの顔があった。膨らんだ頬はさっきよりも少し大きく見える。ちらちらと俺の両手に視線をやっているのを見ると、どうやら作戦は成功したようだ。

 再び股間への一撃。ひたすら急所を攻めてくる妖精さんに、俺は今度は演技ではなく本当にうずくまる。さすがに二発も食らうとそれくらいの痛みにはなる。

 次また食らうと握っているものを手放してしまいそうだ。けれど、その一撃は俺に届くことがなく、かばうように飛び出た雪奈が妖精さんの体をしっかりと受け止めていた。

「捕まえた」

「や、いや!」

 雪奈の手の中でばたばたと暴れる妖精さん。可愛い声でなんだか俺たちが悪いような気分になるけれど、俺への恨みはともかく彼女が物を盗んだのは事実だ。

「連れていこうか」

「え? う、うそ、離して、離してー!」

 どうやら掴まれている状態だと逃げられないらしい。暴れる妖精さんを離さずに、俺たちは一旦チェリーブロッサムに戻ることにした。

 席に座って、雪奈が捕まえたままの妖精さんと対峙する。妖精さんは恐怖に引きつった顔で俺をじっと見つめていた。真剣な顔をしているだけで、怖い顔はしていないはずなんだけど、この状況なら仕方ない。

「や、ご、ごめんなさい。やりすぎたのは謝ります。蹴飛ばしたのもわざとじゃないこともわかってます。だから、お願い、犯さないで……ひどいことしないでください」

「いや、俺たちは話を聞きたいだけだ」

 泣きそうな顔をする妖精さんに、俺はまずそのことを伝える。彼女は疑うような視線を向けていたけれど、雪奈が掴んでいる手を緩めたのを感じて、その気持ちは少し薄れたようだ。だけど逃げられる状態にはなっていないので、完全に消えたわけではないだろう。

「じゃあ、離してください」

「逃げないと約束できるなら」

 俺の言葉に、妖精さんはやや考えるような素振りを見せたあと、小さく頷いた。それを合図に雪奈が妖精さんを解放する。

 妖精さんはテーブルの上をふよふよと移動しながら、俺たちの顔を確認する。そのままゆっくりと飛行して喫茶店にいる残りの三人、お姉さん、姫、マスターの顔も確かめにいく。

「……本当に、ひどいことはしませんか?」

 戻ってきた妖精さんは、少し離れたところ――手を伸ばしても届かないくらいの距離がある――から俺に聞いた。

「今のところはな。ブルマやスク水、ぱんつを盗んだ理由によってはわからないけど、話してくれるか?」

「は、はい。その件はご迷惑をおかけしました」

 やや俯きながら、申し訳なさそうな顔をする妖精さん。距離は保ったままで完全に警戒を解いてはいないようだけど、冷静に話をできるくらいには落ち着いたみたいだ。

 話を始める前に、簡単に自己紹介を済ます。彼女は光の妖精で名はルクスというらしい。

「実は私……迷子なんです。ここと私たちの暮らす世界をつなぐ扉が故障したみたいで、巻き込まれてれてしまって。それで、帰るための手段を探していたら、扉に近い感じのするものがあったので、拝借しました」

 しかし彼女がここにいるということは、結局戻ることはできなかったのだろう。盗んだ物を戻したのは、違うとわかったから返しただけのこと。

「妖精の暮らす世界か……姫、何か知らないか?」

「ん? なぜ私に聞く?」

「異世界じゃないのか?」

 俺が首を傾げると、姫は呆れたような顔をしてため息をついた。お姉さんは微笑んでいて、残りの三人は少し考えるような仕草を見せてから、それぞれ納得したような顔に変わった。

「ああ、扉か」

「そうだ。私の世界とここをつなぐ扉など存在しない。そもそも、そんなものがあったら私でなくとも簡単にこちらに来られるではないか」

 ようやく理解した俺に、姫は優しく説明をしてくれる。ルクスの世界と姫の世界は別。よくよく考えてみれば、名前を聞いただけでもその差異は明らかだった。フィルベァリクゥという発音も難しい姫の名と違い、ルクスという名はこの世界でも普通に通じる言葉だ。

「みなさんが暮らす世界を表だとすると、私たち妖精の暮らす世界は裏のようなものです」

 ルクスが補足してくれる。そんなものがあったのかと世界の広さに感心する。既に異世界から来た姫と出会っているのだから、驚くことはない。

「扉を直す方法はないの?」

 すすきが聞く。ルクスは首を横に振った。

「あちらで職人が直しているかと思いますけれど、表と裏では流れる時間が違います。何年も待たないといけません」

「こちらに扉はないのですか?」

 今度は三葉が聞く。ルクスは首を縦に振った。

「あります。けれど、場所はわかりません。表に出るつもりはなかったので覚えていなかったんです」

「調べられない?」

 次は雪奈が聞く。ルクスは曖昧に首を振った。

「近ければ感知できます。でも、この近くにはないみたいです。あなたたちのもの以外に、近いものは感じられませんでした」

「ふむ。すすきや三葉、雪奈に近いものを探せばいいのだな?」

 どうしようかと困る俺たちに、姫が呟くように言った。全員の視線が姫に向けられる。

「それくらいなら私に任せておけ。細かい位置までは調べられんが、大体の位置くらいならわかるだろう」

「いいんですか?」

「ああ。このまま貴様たちに任せていては時間もかかるだろうし、私も退屈だしな。地球の近くを調べているものをちょっと動かせば、ついでに調べることなど容易い」

「ありがとうございます!」

 裏の世界とやらに暮らしているだけあって、妖精さんの順応性の高さは素晴らしい。

 姫は集中するから話しかけるなよ、と忠告してから目をつむった。一分ほど経って目を開けた姫は、ルクスに尋ねた。

「近くの山にそれらしいものはあったが、私の目には指輪に見える。扉とはそういうものなのか?」

「あ、はい。こちらではそういう形のものが多いと聞いています。大きくて目立つものだと色色と問題がありますから。私たち妖精が指にはめれば、扉を開けるんです」

「了解した。利里、地図はあるか?」

「こんなこともあろうかと、既に持ってきているよ!」

 珍しく会話に参加してこないと思ったら、お姉さんは地図を取りにいっていたらしい。持ってきたのは香久藻町とその近隣を詳しく描いた地図だった。

「さすが利里だな。感知したのはここだ」

 姫は地図上の一点を指差す。香久藻町の駅から数駅ほど離れたところにある一つの山。その山自体は有名ではないけれど、その周辺は俺たちもよく知っている場所だった。

「ここから半径千ヤードの範囲にある」

 誰が教えたのか姫の単位はヤードだった。一ホール四〇〇ヤードと考えて、ゴルフコースを五ホール回るのと同じくらいか。実際に見たことないからよくわからないけれど、広いことは何となくわかる。

「葉一くん。お姉さんは六フィート、姫は四フィートだよ。そして一ヤードは三フィート」

 お姉さんが回りくどいヒントを教えてくれた。確かお姉さんの身長は一八三センチメートルだから、その半分の千倍で、半径約九一五メートルってところか。多少の誤差はあるかもしれないけど、大して重要なことではないから気にしない。

 それはともかく、姫が指差した場所は温泉宿の集まる、香久藻町周辺では有名な宿泊地。そこを拠点にすれば探索も楽になるだろう。

「みなさん、協力してくれませんか?」

「探すのを、じゃないよな」

 手のひらサイズの妖精さんがはめる、小さな指輪を探すのは俺たちには難しすぎる。役に立つどころか、足手まといになるだけだろう。

「あの辺りの地理はわかりませんし、一人で行くのは怖いんです。それに、しばらく放置されていたのなら、すぐに使える状態ではない可能性もあります。でもすぐに行ける距離ではありませんから、無理にとは言いません」

 ここまで手伝ったのだから、最後まで見届けたい気持ちはあるけれど、確かに彼女の言う通りここからは遠く離れている。土日を使うにしても一泊二日では移動に時間もかかるし、十分な時間はとれない。

「すぐじゃなくてもいいんだよね?」

 お姉さんが言った。ルクスはこくりと頷く。

「じゃあ、ちょうどいいじゃない。もう少ししたら長い休みがあるし、ついでにみんなで旅行しちゃおうよ」

 五月の大型連休、いわゆるゴールデンウィークはもうすぐだ。確かにその時期を利用すれば日数は確保できる。

「でも、今から宿をとれるんですか?」

「予約ならしてあるよ。元々は一人旅の予定だったけど、もしかすると増えるかもしれないからと伝えてあるから大丈夫。叔母さんがやってるところだから柔軟に対応してもらえるんだ」

 お姉さんによると、昔はよく家族で泊まっていて、気に入ったお姉さんは高校生の頃からたまに一人で泊まりに行くことがあったらしい。

「君たちだけで行くと親が心配するかもしれないけど、お姉さんが保護者としてついていけば安心でしょ?」

 俺たちの親ならお姉さんがいなくても普通に許してくれそうだけど、姫も一緒に行くとしたら確かに安心だ。中身はともかく、姫の見た目は幼い女の子だから、俺たちだけでは色々と聞かれるかもしれない。

「みんなって、ここにいるみんなですよね?」

「私に葉一、三葉、雪奈、お姉さん、姫、それにルクスの七人だね」

「あ、私は宿には泊まらなくてもいいです。妖精ですから」

「泊まるのは六人ですね。大部屋なら問題ないでしょう」

「私の親のことなら、心配しなくてもいい。葉一のことはずっと前から話してる」

「何か問題でもあるのか?」

 みんなの視線が俺に向けられる。お姉さんはにやにやと俺の反応を窺っている。一人だけ気付いていて楽しんでいるのは間違いない。

 俺は言うかどうか迷ったけれど、どうやら他の人たちは本当に気付いていないようなので、ここは言うしかないと覚悟する。

「だってほら、男は俺だけだろ。それにこう、こういう旅行って恋人同士みたいだし」

 恥ずかしいけれど何とか言い切った。お姉さんはにこにこと楽しそうに微笑んでいる。すぐに何か返ってくるかと思ったけれど、みんなの声が響いたのは数秒の沈黙の後だった。

「幼馴染みの親睦を深めるだけだよ」

「兄妹だから何も問題ありません」

「好きな人と一緒なら望むところ」

 返ってきたのはいつも通りの反応。けれど三人の心の中までいつも通りではないのは、答えるまでの間が証明している。

「どうやら貴様は墓穴を掘ったみたいだな」

 状況を理解した姫が的確な一言を告げた。お姉さんを見ると、少し驚いたような顔をしている。けれどすぐにそれは笑顔に変わり、みんなに混ざってきた。

「お姉さん、保護者だからちゃんと言うね。葉一くん、してもいいけど避妊はするんだよ。もし方法がわからないなら、お姉さんが実践で教えてあげるからね」

 随分と寛容な保護者がついてきたものだ。俺たちの親といい勝負である。

「わかってます。そんなことをしない、という完璧な避妊をすればいいんですよね」

 俺は投げやりにそう返してみた。この程度で意識させてしまった失敗を取り返せるわけではないけれど、意思を伝えておくことで少しは効果があると期待したい。


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