桜の花に集まって

第四話 密室盗難と異世界の姫


「ブルマが盗まれました」

 月曜日の放課後、喫茶店に集まった俺たちに妹がそんな話を始めた。

「女子更衣室に泥棒が入ったみたいなんです。体育の授業があって戻ってきたら、ロッカーに入れておいた私のブルマがなくなっていました。ロッカーに鍵はありませんでしたが、女子更衣室には授業中鍵がかかっていたのにです」

「密室だったんだ」

 幼馴染みが確かめるように言う。三葉によると、鍵は教科担当の星野先生が持っていて、授業中もジャージの上のポケットにずっと入っていた。授業中に脱ぐこともなかったから盗むのは不可能だという。

「警察は?」

 聞いたのは雪奈だ。盗難事件が発生したのだから、警察が呼ばれるのは普通の対応だ。

「どこかに失くしただけという可能性もあったので、放課後までは穂菜美だけに話して一緒に捜していたんです。そうしたら、私の鞄の中からブルマが出てきました」

 なんだただの勘違いか、と普通ならここで興味を失うところだ。けれど妹の表情は晴れやかなものではなく、どこか納得がいかないような表情をしていた。

「私はブルマを鞄に入れてはいませんでした。制服の中に入れていたんです。つまり、一度盗まれたブルマが、放課後には戻ってきた。そういうことになります」

「不思議な事件だね」

 すすきの言葉に雪奈も頷いて同意を示す。俺も同じ気持ちだったけれど、その前に一つ確かめておきたいことがあった。

「それ以前に、三葉はなんでブルマを持っていたんだ?」

 香久藻中学の生徒がジャージの下にはいているのは、男女問わずに指定の短パンだ。ブルマなんて誰もはいていない。ブルマをはいてはいけないという校則があるわけではないけど、体育の授業中に盗まれたのだから、三葉がはいて授業を受けたわけではないのは明らかだ。

「いざというときにあると便利かと」

 どんなときかは聞かなくてもわかるので聞かないでおく。

「葉一、重要なのはそこじゃないでしょ」

「盗難事件」

 怒られた。確かに二人の言うことはもっともで、この勘違いがきっかけで推理を誤ることはないと思うけど、兄として妹が変なものを持ち込んだ理由をはっきりさせておきたかった。

「現場検証はしたのか?」

「はい。変なところでブルマが見つかった以上、星野先生にも事情を説明して女子更衣室を調べました。ブルマを持ち込んだ件は『兄さんが』と言ったところですぐに納得してもらえました」

 星野先生なら俺と妹のことを良く知っているから、変な誤解はしていないだろう。妹のクラス担任があの人で本当によかった。

「女子更衣室へは生徒の出入りする扉が一つと、小さな窓が一つあるだけです。窓にも当然鍵がかかっていました。格子などはついていませんが、全開にしても大人が通れるような大きさではありません。高い位置にあるので、棒や手などを入れてもロッカーを開けて盗むようなこともできません」

「台もなかったよね」

「はい。子供が入って出るようなことは難しいと考えます」

 窓を通せる小さな台を重ねて使うという手はある。入るときは積んだ台に乗り、中に別の台を落とすだけでいいけど、帰りに回収するのは簡単ではない。釣竿や棒などで引き上げるにしても、短時間では難しい。それに大荷物になるので持ち運ぶのも大変だ。

 大人と子供の共犯なら入るときの時間短縮になって、比較的スムーズに事を運ぶことは可能だ。しかしもう一つの問題、鍵への対処を考えると窓からの侵入は無理がある。

 鍵を開けての侵入なら、生徒の出入りする扉をピッキングすれば簡単、かどうかはわからないけど鍵穴があるだけ窓よりは楽。だけど鍵を閉めることまではできないはずだ。

「スペアキー?」

 雪奈が言った。密室の解決方法としては一番簡単な解だ。

「問題はどうやって作ったかだけど、関係者や詳しい人ならできるよね」

 体育の授業中に侵入できたのも、犯人がそういう人であれば納得がいく。学校のセキュリティを潜り抜けるのは大変でも、他の手段よりはいくらかましだ。

「盗むだけならそれで解決かもしれないな」

 警察にでも調べてもらえばすぐにわかるだろう。けれど、盗まれたブルマが戻ってきたという謎を解決するには、これでは足りない。関係者であれば戻すことも可能だろうけど、戻す理由がわからない。

「使用済みかと思ったら違ったので、返しにきたのでしょうか」

「そうするくらいなら葉一だったら捨てるよね?」

「リスクが大きいからな」

 盗んだものが目的のものと違ったとしても、戻すより処分した方が安全だ。見つからないように工夫して処分する必要はあるけれど、戻しに来たのを見つかるリスクを背負うよりは安全に行動できる。

 そこでふと、気になることがあった。もうひとつわからないことがある。

「三葉、ブルマのことなんだけど」

「兄さんがしたくなったらいつでもできるように持っていました」

 聞かなかったことを答えられた。俺は聞こえなかったかのようにスルーする。

「学校に持ってきていることを知っている人はいたのか?」

 三葉ははっとしたように表情を変え、額に指をあて少し目をつむってから答えた。

「穂菜美だけです。制服から落としたことは一度もありませんし、いつも制服の中に入れたままロッカーにしまっています。穂菜美に見せるのも二人きりのときだけです。誰かが偶然見るような機会はありませんでした」

「三葉や鋼さんがうっかり口を滑らせた可能性は?」

「ありえません。変態みたいに思われるじゃないですか」

 ブルマを持っていく時点でその素質は十二分にあると思う。

「なら、犯人も知らないはずだよな」

 俺がまとめると、三人は黙り込んでしまった。どんな方法でブルマを盗んだり戻したりしたとしても、三葉がブルマを持っていることを知らないとしたら、どうやって計画を立てたのかという謎が浮かび上がる。

「無差別?」

「ブルマフェチだったんでしょうか」

「それにしても器用だよね」

 盗まれたのは三葉のブルマだけ。元々は別の物を狙っていて、そこでブルマを見つけたからそれだけを盗んだにしても、他の場所に痕跡を残さず盗むのは簡単ではない。

「何も痕跡はなかったんだよな?」

「私たちが調べた範囲では見つかりませんでした」

 最初に開けたロッカーが三葉のものだった、という可能性もゼロではない。しかし、どこにも痕跡を残さないように注意を払うような犯人が、そんな偶然に頼るとは考えにくい。

「それに密室の問題もある、か」

「私なら簡単にできるんだけどね。葉一の部屋に入るみたいに、三葉への愛で鍵なんて簡単に開いちゃうよ」

「私も兄さんのためなら痕跡を残さず、的確に目的の物を入手してあげられます」

 密室の状況を簡単に作れてしまう者がここに二名いた。

「なんか面白そうな話してるねー。面白いミステリの本でもあったの?」

 珈琲カップを片付けに来たお姉さんが言った。話をしている間に気がついたら空っぽになっていたようだ。

「本の話ならよかったんですけどね」

 首を傾げるお姉さんに、三葉がかいつまんでブルマ盗難事件の情報を伝えた。話を理解したお姉さんの感想はこの一言だった。

「ふーん、じゃあその犯人さんも、すすきちゃんや三葉ちゃん、雪奈ちゃんみたいに便利な体質の人なんだろうね」

「真面目に考えてくださいよ」

 俺は呆れた声でそう言った。お姉さんらしいけれど、今は真面目にしていてほしい。

「あ、ひどいんだ。お姉さんは真面目だよ。痕跡を残さず密室に侵入してブルマを盗んで、誰にも見つからないように返す。それが無理なくできる存在を考えたら、こういう結論に達するのは自然なことだと思うけど。

 たとえばね、透明人間のような存在がいたとしたらどうかな。別に透明になれなくてもいいの、気配を消して周囲の人の意識から外れられるというのでも。ともかく、そういう人なら三葉ちゃんがブルマを持っていることを知ることもできたし、盗んだり戻したりするのも簡単にできたはずだよ」

 沈黙。お姉さんの説明は筋が通っている。前提に無理があるということもない。すすきや三葉、雪奈のような体質の者が他に存在しない、と考える方が無理があるだろう。

「ちなみにお姉さんは太らない体質です。見ての通り縦には伸びてるけど、ここは全然成長しないの」

 言いながら自分の胸をさすって見せるお姉さん。普通そこで示すのはもう少し下だ。もしくは胸の大きな女性が言って、周りに脂肪は全部ここにいってるんだもんね、などとからかわれるパターンが定番だと思う。

「問題は動機ですね」

 犯人や犯行方法は解決しても、これがわからないことには謎は残る。捕まえてから聞くにしても、そのような人を捕まえるのは容易ではない。すすきや三葉をどこかに閉じ込めて、出られないようにするのと同じくらいに難しいことだ。

 もっとも、二人の場合は俺が重要な存在となっているから、他の人ならともかく俺なら簡単に閉じ込めることができる。

 同じように犯人がどのような体質なのかがわかれば、捕まえることも可能だろう。しかし今回の事件だけでは、それを特定するには至らない。お姉さんがたとえばと言ったように、密室を無視できる存在は他にもある。

「ま、考えていても仕方ないし、今はあきらめようか」

「害はない」

「そうですね。盗んだものは返してくれましたし」

「ああ。次に何かあったらまた考えよう」

 何もなければいいと思うけれど、この謎を解決するために再び事件が起こってくれないかなと思う気持ちも少しあった。

 翌日、用事があって学校に残っていた俺は、一人で喫茶店への道を歩いていた。まっすぐ向かってもいいのだけど、今日は天気が良く風も気持ちいい。ちょっと遠回りになるけれど、俺は公園から並木道を通ってチェリーブロッサムへ向かうことにした。

 公園に入ったところで、俺はふとブランコの方を見た。よくわからないけれど、何かがあるような気がして視線が動いていた。

 ブランコには小さな女の子が座っていた。十歳にも満たないような女の子。こいでいるわけでもなく、ただ座っているだけ。何となく俺はその女の子の方に近寄っていく。

 髪は煌めくような銀色でウェーブのかかったロングヘアー。瞳は青にも緑にも赤にも見える不思議な色で、大人びた顔立ちは可愛くもあり綺麗でもある。どこか異国のお姫様が迷子になって困っているようにも感じられる。

 けれど近づいて、表情がよく見えるようになるとそれは間違いだったと気付く。女の子は目をつむってじっと座っている。眠っているのではなく、何か考え事をしているかのようだ。

「……む? 誰だ?」

 ふと女の子が目を開けて、俺の方を見た。見た目から予想もしていなかった口調に、俺はびっくりしてすぐに反応できない。

「何か用か?」

「ああ、いや、迷子かなと思って。見かけない顔だし」

 俺は最初に思ったことを口にする。今は違うとわかっているけれど、もしかすると俺の思い込みで本当は迷子なのかもしれない。

「迷子ではない。私は自らの意思でここへ来たのだ」

「家は近いのか?」

 女の子は首を横に振った。そして微笑みながら、堂々とした態度で言葉を続ける。

「私は異世界から来たからな。時間にすれば一瞬だが、物理的な距離にしては遠い」

 ロリ電波が現れた。不思議な発言をする幼女である。

 俺は電波に引き寄せられたのだろうかと思いつつも、真面目に対応する。相手は小さな女の子なんだから温かい目で見てあげたい。

「へえ、凄いんだな」

「私は超越的存在だからな。私の世界でも、他の者にはできないことだ」

 更なる設定を披露するロリ電波。幼い割に設定が深い。

「お姫様か何か?」

「ああ。私は異世界の姫だ。そんなことより、そろそろ名乗ったらどうだ?」

 よく見れば服装もどこか姫っぽく見えなくもない。普通の衣服やブランドものの衣服ともちょっと違うような気がする。俺はそういうのに詳しくないから、知らないだけという可能性も高いけれど。

「そうだな。俺は氷川葉一」

「私はフィルベァリクゥだ」

 ロリ電波言語は発音が難しかった。

「ふぃるべ……?」

 俺は何とか発音しようとしてみるが、一度聞いただけではうまく言えない。

「フィ、ルベァ、リクゥだ」

「フィルベァリクゥ?」

 ゆっくりと発音してくれたのでなんとか言えた。これだけの発音を考えるとは凄い電波な幼女もいたものである。

「言いにくいだろうから姫でいいぞ」

「わかった。姫はどうしてこの世界に?」

 フィルベァリクゥと名乗った異世界の姫に聞いてみる。ここまできたらどこまで深い設定があるのか確かめてみたくなるものだ。

「この世界には宇宙というものがあると知ってな。私の世界にはないものだから、調べてみたくなって来た。先程まで軽く調べてみたのだが、とても広くて調べがいがありそうだ」

「へえ、凄いんだな」

 この歳で宇宙という発想に辿り着いて、設定をふくらませるとは。この女の子はただのロリ電波ではないのかもしれない。

「ところで貴様、さっきから随分と失礼なことを考えているな。ロリ電波というのがそんなに気に入ったのか。それに異世界の姫だということも信じていないようだし」

「お前、心が読めるのか」

 そんなはずはない、と思いたいところだけど、すすきや三葉、雪奈のことを考えると、そういうことができる人がいても不思議ではない。ただ、ここまで電波な設定を披露した女の子なら、ロリコン対策を練っていただけとも考えられる。

「ふむ。驚かないのか。まだ信じてはいないようだがな。ロリコン対策などではないぞ」

「本当に読めるのか?」

 幼女のおっぱい。ろりおっぱい。幼女のおっぱい。幼女のおまん……じゅう!

 まだ信じられない俺は試してみた。でもさすがに心の中とはいえ、幼女につなげて性器の名前を口にする勇気はない。

「貴様。今、変なこと考えただろう」

「心を読んだな」

「読まなくてもわかる。私もずっと貴様の心を読むほど暇ではない」

 なるほど、さすがにこれ以上はボロが出る、ということか。けれどもし本当に読んでいたとしたら、心の中でも幼女のおっぱいと口にしたことを知られるのは恥ずかしいから、助かったと言うべきかもしれない。

「……幼女のおっぱい、か」

 心を読まれた。こうなっては信じるしかない。

 よしわかった。異世界から来た姫だということも信じよう。宇宙を調べに来たというのも信じてもいい。だから幼女のおっぱいなどと考えていたことは誰にも言わないでくれ。

「それは構わんが、心で会話をするな。いちいち面倒だ」

「わかった。ところで、姫は異世界から来たにしては、流暢に日本語を話してるよな」

 もう疑いはしないけれど、気になることがないわけではない。といっても、全て聞いたらキリがないし、迷惑だろうから一番気になることだけを確かめる。

「ああ。あちらからこの世界の声を聞いて覚えた。どうだ、発音も完璧だろう」

「口調は気になるけどな」

「ふむ。私はこれが楽なのだが、意志の疎通に問題が生じるというのなら問題だな」

 姫はブランコを少し揺らしながら、あごに手を当てて目をつぶった。

「見た目に合わないからな。もう少し幼い感じにした方がいいんじゃないか?」

「そうか……」

 姫は呟きながら、揺らしていたブランコから降りる。そのままブランコを囲う柵を颯爽と潜り抜け、近くの俺を見上げて言った。

「お兄ちゃん。私ね、異世界から来たお姫様なの! うちゅーを調べたいんだけど、お手伝いしてくれる?」

 きらきらと輝く笑顔が眩しい。両手を組んでお願いする仕草に、やや上目遣いに見上げる視線は凄まじい破壊力だ。

「あのね、お手伝いしてくれたら、その……お兄ちゃんにご褒美あげちゃうよ。お兄ちゃんの大好きな幼女のおっぱいも触らせてあげる!」

 頬をほんのりと染めてもじもじとするお姫様。最初からこんな態度で接せられていたら俺の精神が危なかったと思う。

「やっぱり楽なやつでいい。というかお前、わざとやってるだろ」

「なに、私は超越的存在だからな。この程度の演技など簡単だ」

「で、お手伝いってのは?」

 俺は姫に聞く。宇宙を調べるお手伝いと言われても、俺にできることがあるとは思えない。

「貴様の家にしばらく泊めてほしい。調べ尽くすのに数年はかかりそうだからな。拠点が必要だ。もちろん代価もちゃんと用意する」

「それは俺一人じゃ決められないな」

 俺の家には両親もいるし妹もいる。それに、中身はともかく見た目は明らかに幼女な姫を何年も泊めるというのは、色々と問題がありそうな気がする。

 もっとも、親は家を開けていることが多いし、こういうことにも寛容というか、むしろ面白そうだと大歓迎すると思う。せいぜい、幼女は愛でるものだから襲ってはいけないぞ、などと注意されるくらいだろう。

 その両親の影響を色濃く受けている妹も許してしまいそうだけど、聞いてみたらどうなるかはわからない。

「妹たちと相談したいから、ついてきてくれないか?」

「ああ。了解した」

 俺は姫を連れて、桜の咲く並木道を抜けチェリーブロッサムに向かう。妹の他にすすきや雪奈、お姉さんもいるから姫のことを相談するにはちょうどいい。

「いらっしゃいませ。あれ、その子は?」

 俺は簡単に事情を説明して、喫茶店の中に姫を案内する。それぞれが自己紹介を終えると、話は姫をどうするかという話題になった。

「泊めてあげたいところですが、兄さんとの二人きりの時間を削られるのは困りますね」

 意外にも妹はそんな理由で泊めるのを渋った。

「私も葉一との時間がもったいないし……」

「同じく。余計なハンデはいや」

「貴様、愛されているのだな」

 俺を見下ろす姫が微笑みながら言った。座っている俺よりも背の低い彼女が見下ろせているのは、お姉さんに抱っこされているからだ。お姉さんは異世界の姫って凄いね、と俺たちの中では唯一感嘆の声をあげた人で、お姫さまならやっぱりこれだよねと、いきなり彼女をお姫さま抱っこした。

「じゃあ、私のところに泊めてあげよっか。マスター、いいよねー!」

 呼びかけられた喫茶店のマスターは大きく頷いて快諾した。

「ありがとう。助かる」

「いいのいいの。お姫様と一緒に暮らせるんだよ、私の方が感謝したいくらい!」

「そういう貴様も綺麗ではないか。私の世界の他の姫と比べても遜色はないぞ」

「そっかなー。本物のお姫さまに言われると照れちゃうな」

 二人は気が合ったようだ。こうして姫はお姉さんの家――喫茶店チェリーブロッサムの二階に一緒に暮らすことに決まった。

 翌日の喫茶店。珍しく四人で一緒にチェリーブロッサムを訪れた俺たちを迎えたのは、いつものお姉さんではなかった。

「いらっしゃいませ! こっちだよお兄ちゃん……ああ、なんだ貴様か」

 制服にエプロン姿の姫が現れた。お姉さんと同じチェリーブロッサムの制服で、丈はぴったり姫に合わせてある。

「どうかな。私が一晩かけて仕立てたんだけど。可愛いでしょ?」

 お姉さんが姫の後ろからやってきた。確かに可愛いとは思うけど、それ以上に気になることがある。

「お姉さん、何やらせてるんですか」

「利里に文句を言うのは筋違いだ。これは私からやりたいと言ったのだ。長い間泊めてもらうのだからな、暇な時間は店のお手伝いをしようと思った」

「でも、大丈夫なんですか?」

 よく知らないけど法律的に問題があるんじゃないかと思う。すすきや三葉、雪奈も声には出さないものの、表情を見ると同じように思っているように見えた。

「大丈夫だよ。姫は生まれて二十年だから、こう見えても私と同い年なんだよ。証明するものは持ってないけど、どうにかなるでしょ?」

「私は超越的存在だからな。法律ごときどうとでもなる」

 そう言われては納得せざるを得なかった。しかし、姫が俺たちよりも年上だったことには驚くと同時に、納得もする。見た目に合わない口調なのも当然だ。

「利里によると、この世界で私のような者は合法ロリと呼ぶと聞いた」

「変なこと教えないでください」

「間違ってはいないと思うけど」

 確かに間違ってはいないのだけど、一般的な言葉として教えるものではないと思う。

「世界初のロリ喫茶ですね」

「でも、姫一人だけじゃだめなんじゃない?」

 三葉とすすきは変なところに興味を持った。それに対して、お姉さんは胸を張り、よく通る声で言った。

「でも胸のサイズは私の方がロリだよ! 昨日衣装合わせで測ってみたらね、姫はAAカップで私よりAが一つ少なかったんだ。ほんの数ミリメートル、されど数ミリメートルだよ」

「ロリと貧乳は別です」

「……深い」

 雪奈が感心したように呟いた。そう言われるとちょっと戸惑うけれど、軽蔑されるよりはましだと思う。

「わかってるよ。でもこれでどうかな。準備はいい?」

「ああ、いつでも」

 お姉さんと姫は視線を交わすと、互いに頷き合う。そして二人の口からは言葉が続けて発せられた。

「いらっしゃいませ、お兄ちゃん! こっちだよ!」

「……わ、私が案内してあげるんだから、感謝してよね兄貴!」

 設定はよくわからないけれど、姫に続いたお姉さんの声は見事なまでのロリボイスだった。普段の声からは全然想像もつかないような、甘く可愛らしい幼い声。録音ではないかと疑ったけれど、この距離で肉声と録音の区別がつかないほど耳は悪くない。

「だめです。兄さんは私が連れていきます」

 兄という言葉に反応したのか、なぜか妹が張り合った。がんばって幼くしようとしているみたいだけど、普段の声とあまり変わることはなく、姫やお姉さんには遠く及ばない。

「どう? お姉さんもなかなかやるでしょ」

 そう言うお姉さんの声は普段のものに戻っていた。

「一体どこで覚えたんですか?」

「お母さんに教えてもらったの。プロの声優の技だから本物だよ。パターンは少ないけどね」

 少なくてもプロ並の演技をするのは簡単なことじゃないはずだ。その前にいとも簡単に完璧な演技を披露した姫がいたから、いまいち凄さは感じられないけど。

「有名なんですか?」

「んー、人気はあるけど、君たちは知らないんじゃないかな。桜餅よもぎって言うんだけど」

「ああ」

「あの人ですか」

「歌も上手いですよね」

 俺と三葉、すすきの三人は納得したように頷いた。桜餅よもぎといえば、その世界では有名なベテランの声優さんだ。

「誰?」

「おいしそうな名前だな」

 雪奈と姫はわからないらしく、それぞれの反応を返す。至って普通の反応である。

「葉一くん、なんで知ってるの? いけないんだ」

 なぜか俺だけを名指しされた。三葉やすすきも知っていたのに不公平だ。

「親からよく聞くんです。凄い人がいるって。両親の仕事は話しましたよね?」

「私もお仕事の話を聞いたときに。あと、葉一の家で見たから」

「やっぱりいけないんだ」

 俺の家であって俺の部屋ではない。というかいつの間にそんなことをしてたのかとすすきを横目に見ると、気付いた三葉が代わりに、二人で兄さんの部屋を調べるついでに、両親の部屋も調べたんです、と白状した。

「確か葉一くんと三葉ちゃんの親は二人ともゲーム作ってるんだっけ。お父さんがプログラマーで、お母さんがイラストレーター。すすきちゃんの両親は夫婦で音楽製作。ゲームミュージックのBGMを中心にやってるんだっけ」

「ボーカル曲もたまに作ってます」

 俺が言うまでもなく自分で話を戻してくれたお姉さんに、すすきが補足する。お姉さんは少し考える仕草を見せたあと、ぽんと手のひらを叩いて小さな笑みを浮かべた。

「『テンタクル・シスターズ ~お兄ちゃんの触手でハートブレイク♪~』のとこ?」

 お姉さんはピンポイントでタイトルを言い当てた。鋭い指摘に驚いてしまう。

「氷川からの推測ですか」

 三葉の問いにお姉さんは頷く。そういえば、父さんも母さんも直接ではないけれど、氷川という名前をもじった名で仕事をしていると言っていた。

「ちなみにお姉さん、店舗予約特典の『テンタクルズ・スパ ~お湯に溶けちゃえ☆ しすこんスライム大増殖♪~』も持ってるよ」

 桜餅よもぎはテンタクル・シスターズのメインヒロインの一人を担当している。もちろん両親との縁は他にもあるけれど、このタイトルがブランドの最新作だ。

「……よくわからない」

「懐かしいな。小さな頃に触手とはよく戯れたものだ」

 小さな女の子と触手という危険な組み合わせはスルーして、理解していない二人にわかりやすく説明する。テンタクル・シスターズは十八歳未満お断りなPCゲームのタイトルである。具体的な内容は俺も知らないけれど、お姉さんによると斬新なゲームだったという。

 一応節度はわきまえているのか、具体的な内容は君たちには刺激が強すぎるから、とそれ以上のことは言わなかった。余計に興味が沸いたけれど、今は忘れておこう。

 長い立ち話が終わって、俺たちはやっといつもの席に落ち着くことができた。頼むのはいつもと同じブレンド珈琲四つ。

 お姉さんではなく姫が運んできた珈琲にゆっくりと口をつける。しばらくして、全員が珈琲を飲み終わった頃、雪奈がみんなに話があったと前置きしてから話し始めた。

「私のスク水が盗まれてた」

 それはブルマ盗難事件に続く、二つ目の盗難事件の知らせだった。


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