八月一日 午前八時三十五分


 今日は二度寝をしないことにする。ちょっと眠いけど、目的のためには仕方ない。二回連続で夢だったというのはおかしい気もするけど、少なくとも今日は八月一日で、未希はまだ生きているというのは事実だ。

 前は最後にちょっと変えただけだったから、今回は大きく変えてみることにする。そうすれば未希を救えるかもしれない。失敗してもまた戻れる可能性はあるけど、戻らない可能性だってある以上、油断はできない。

「今日は朝から元気だな」

「うん。あ、そうだ」

 私はテーブルの上にあるカードケースを見て、お兄ちゃんに忠告する。細かい変化の積み重ねが大きな変化に繋がるのだから、やれるだけのことはやっておいたほうがいい。

「あれ、お兄ちゃんのだよね? 今日は忘れないようにね」

 なんだか不思議な言い方になっちゃったけど、既に言ってしまったものは取り消せない。すぐに気をつけるよ、などと返ってくるかと思ったら、お兄ちゃんはカードケースを見て首を傾げていた。

「あれは聡美のじゃないのか?」

「どういうこと?」

「昨日はなかったし、今朝起きたらあったから、寝ぼけた聡美が置き忘れたのかと思ってたんだけど」

 私も、と答えようとしたけど前に忘れていったなんて言ってもわけがわからない。

「早く起きたお兄ちゃんが置いておいたんじゃないの?」

 少し考えて言った言葉に、お兄ちゃんは首を横に振った。私は改めてそのカードケースを手にとってみる。何の変哲もないカードケース。お兄ちゃんの物じゃないとわかったから、今度は中を確かめてみる。

 入っていたカードは七枚。全面に色が描かれたカードが三枚と、白い背景の中心に可愛らしい絵柄のぬいぐるみや杖なんかが描かれたカードが四枚だ。

 側に来たお兄ちゃんにも、カードケースの中身を見せてあげる。

「三色は赤、青、黄色……にしてはちょっと違うな。この場合はシアン、マゼンタ、イエローの三色かな。こっちは、と。くまのぬいぐるみに、魔法のステッキみたいな杖、手帳に、楽器――ハープか。見たことのないカードの組み合わせだな」

 お兄ちゃんも知らないものを、当然私が知っているわけもない。このカードがなんなのか気になるけど、お兄ちゃんが調べてみると言ったので、私は一旦忘れることにしよう。どこで調べるにしても大人のお兄ちゃんの方が色々調べやすいに違いない。

 私は私の目的を達成するために、時間いっぱいまで方法を考えていた。事故に遭う時間は同じだったから、周りに危険が何もない場所にいるのがベストだろうけど、すべての可能性を排除するのは不可能に近い。宇宙から隕石が、なんて展開があったらそれでおしまいだ。

 じゃあどうすればいいのか、という点だけど、最初も二回目も、未希が私をかばっていた。最初に危険な目に遭うのは未希ではなく私。なら、自分で危険を察知して回避することができれば、未希が私をかばう必要もなくなるはずだ。

 思いつく限りのあらゆる危険を想定して、察知したらすぐに対処する。言葉にするだけなら簡単だけど、実際に実行するのは簡単じゃない。でもやらなきゃいけないことでもある。

「おはよう、聡美ちゃん。……どうしたの、難しい顔して?」

「あ、ごめんね。ちょっと色々あって。未希は気にしなくていいから」

「そう? それならいいけど、何かあったら相談してね」

 そんなことをずっと考えていたから、待ち合わせ場所で未希に不思議がられてしまった。別に未希にばれたら終わりってわけじゃないんだけど、過去の内容が内容だけに、なるべくなら未希には伝えずに済ませたい。それに、いくら未希と私は仲がいいといっても、今までの出来事をそのまま話してもにわかには信じ難いはずだ。

 そもそも、私自身がどんな状況にあるのか完全に把握しているわけではない。もしかすると今さえもずっと夢を見ているだけ、という可能性だって否定はできないのだ。

「それじゃ、行こっか」

 だから私は普段と変わらない態度で未希に接する。もちろん未希だけじゃなくて、他の人に対しても同じように。

 買い物のルートは効率悪くなっても困るので、大きく変えるわけにはいかない。つまらない一日を過ごして無事だったとしても、そのつまらかったという事実はずっと残ってしまう。そうすれば必ず大丈夫、という確信があるならまだしも、そうでないなら避けたほうがいい。

 そしてまた前回、前々回と同じ場所で梨絵に出会う。ここの会話も途中まではそのままだけど、途中、お兄ちゃんの居場所を聞かれたところで別の答えをしてみる。

「お兄ちゃんは多分この近くにいると思う。百パーセントという保証はできないけどね」

 午後にお兄ちゃんは喫茶店で読書をしていたから、その前もこの辺りにいると考えるのは自然だ。ただ、朝の出来事があったからその影響で変化が起きているかもしれないし、断言はしない。

「先輩にも妹の勘があったんですね。わかりました、今回は事務所に行かないでそうしてみることにします」

「うん、がんばって探してね」

 梨絵とお兄ちゃんが出会えばまた何か変化が起きるかも知れない。踵を返して人ごみに消えていく梨絵の後ろ姿を眺めていると、未希がぽつりと呟いた。

「聡美ちゃんに妹の勘かあ……」

「昔はよく当ててたでしょ?」

「そうだけど、結構ブランクあるよ。朝のうちにでも聞いたの?」

「んー、そうじゃないけど、それに近いかな。これ以上は兄妹の秘密」

 あまり追求されてボロが出るといけないので、私はそこで強引に話を打ち切った。未希もどうしても聞きたいわけじゃないだろうから、これで問題はない。

 次に行った電気店では、先に家電コーナーを見に行くことにした。途中で勇輝に会って他愛もない会話をしたあと、前は行けなかったゲームコーナーへ向かう。そこでは勇輝に出会うことはなく、私たちは無事にコーナーを見て回ることができた。

 前回の最後のように、重要なのは場所ではなくて時間だというのは確定してもいいかもしれない。もっとも、家電量販店という大きなくくりで見ると、同じ場所になるから安易に決め付けることはしない。

 家電量販店を出た私たちは喫茶店に行く。そこにはお兄ちゃんの姿があった。カードの件があっても大きく行動パターンが変わるわけではないようだ。

 加えて、梨絵に会っていないというのも同じだったのは気になったけど、今後の展開が予測しやすくなったともとれる。今回もケーキを頼んで、食べながらカードの件について聞いてみたけど、お兄ちゃんは首を振って一言二言口にしただけだった。

 結局カードがなんなのかは謎のまま。気になりはするけど、今はそれよりも重要なことがある。それについては未希を助けてからゆっくり調べればいい。

 喫茶店の次は雑貨店だ。私は歩きながら、上空に注意を向ける。ここで看板が落ちてくるのはわかっている。ショックでどんな看板だったかはっきり覚えていないけど、落ちてきた大きさは覚えているから対象は絞られる。

 そうして見ていると、ひとつの看板が揺れているのがわかった。私はその落下地点を予測して、当たらない位置にまで移動しておく。数秒後、看板は誰もいない地面に落下した。私も未希も、ついでに他の人たちも無事だ。

 私は安堵の息をつく。その直後、聞こえたのは周りのざわめきと、未希の声。

「危ない、聡美ちゃん!」

 ふと上を見ると、別の看板が落ちてくるのがわかった。このままじゃ、また同じになる。私は咄嗟に身体を動かして、私をかばおうとする未希を押し返した。よけるのは難しいけど、これならなんとかなる。

 落ちてきた看板は先程よりもだいぶ小さいものだった。肩に強い衝撃が走る。大怪我には違いないけど、頭に当たったわけじゃないし、命は助かっている。

 慌てた様子の未希が私に駆け寄ってくる。大丈夫だよ、と答えたいけど思ったよりも痛みが強くて、ちゃんとした声が出せない。未希を安心させてあげられないのは辛いけど、二人とも無事だったんだ。私はなんとか頬を動かして微笑んでみせる。

 それを見て僅かだけど安堵の表情を見せる未希。だけど、その顔はすぐに驚きの色に染まっていた。

 同時に私の目に飛び込んできたのは、鮮血。未希の首から飛び出すそれは、私の顔に飛び散っていく。ぼんやりと見ていると、同じく赤に染まった銀色のものが見えた。ナイフか包丁かそれとも別のものか。わからないけど、とにかくそれが、未希の首を切ったのだ。

 通り魔、なんだろうなと思う。でも、おかしすぎる。看板が落ちてきて、騒ぎがあって、その渦中にいて目立つ人をわざわざ狙う、そんな通り魔がいるだろうか。周りを取り囲んでいる人を無差別に狙うのなら逃げやすくて効果的だと思うけど、そうじゃない。

 事実、あまりにも目立つ行動をとった通り魔は、誰かに捕まっているようだった。勇敢な民間人か、騒ぎに気付いた警官かはわからないけど、彼は地面に組み伏せられていた。

 未希の体が倒れてくる。救急車を呼んで助かるような浅い傷じゃない。もう、助からない。

「先輩! 大丈夫ですか!」

 駆けてきたのは梨絵だ。ずっとお兄ちゃんを探していたから、まだ街にいたのだろう。そのうちお兄ちゃんもここに来るかもしれない。

「……こんなことが、そんなの、私……ごめんなさい、先輩!」

 なんで梨絵が謝るんだろう。わけがわからない。でも、もうどうでもいい。私の意識はすでに少しずつ薄れていっている。このまま意識がなくなれば、また目が覚めたときには、今日の朝になってやり直せるんだから。


次へ
前へ
夕暮れの冷風トップへ