四話

図書世界のお姉様

フニメフアの狙いは奏水!


   探偵の視点

 僕たちは先程も歩いた道を、空に浮かぶ不思議な精神体少女を一人増やして逆方向に歩いていく。こういったことは木立と二人だけのときから時偶あることで、木立も僕もその程度で不満を言うような関係ではない。

 何事もなく僕の家まで戻る道のり――そこに、何事かを知らせる人影があった。

「待っていたね。……一人、増えてるね」

 そいつは仁王立ちで僕たちの道を塞いでいた。木立の家から出てすぐ、僕の家に向かう道の真ん中にその男はいた。

「ふん、まあいいね。この前はやられたが、リベンジに来たね!」

 異世界からの侵略者であり、旅人の男は、前と変わらない姿のままそう宣言する。

「そうか。それは楽しみだ。死なないのだから、何度も殺せるな。ああ、楽しみだ!」

 シルフィムは宣言を最後まで聞くと、すぐさま剣を抜いて、強く地面を蹴って一気に男への距離を詰めた。

 振り抜かれた剣は男の体を斬り、伏せるかと思われたが、男の体はぐにゃりと軟体のように揺れて、斬られて二つになった体は一つに戻りながら、男の姿を大きく変えていた。

「……少し待ったらどうね。もう少し遅れていたら、一度死んでいたね」

 姿を変えた男の体は大きさこそ変わらないが、細い尻尾と、細長くなった顔、鋭い前歯に小さな手――まるでネズミが人型になり服を着ているかのような姿をしていた。

「お返しね!」

 男は素早い動きでシルフィムに飛びかかる。放たれた拳はシルフィムの剣にいなされたが、そのまま勢いを落とさず、別の方向から再びシルフィムに蹴りを放つ。

 ネズミっぽさは全然ないし、前歯も使う様子はないが、僕の目には追うのがやっとの素早い動きで男はシルフィムと戦っていた。

「まだまだね!」

 連続パンチがシルフィムに襲いかかる。彼女は剣を巧みに振り分けて受け止めていくが、そこに細い尻尾が横から襲いかかり、彼女の腹を叩こうとしていた。あの細さならさほど威力はないかも知れないが、見た目と能力が一致するとは限らない。

「おっと。……ほう」

 一歩引いてパンチをかわしつつ、尻尾を剣で受け止めたシルフィムだったが、その音は鋭く細い刃が金属に当たる音に似ていた。

「こっちの方が、よさそうね?」

 いつの間にか伸びていた尻尾が、シルフィムと剣戟を交わし合う。

「面白い。ならば私も――」

「その前に、これはどうです?」

 戦いに割り込んだのはリリの声だった。かざした手のひらの先から、小さな炎が生まれたかと思うと、一瞬の後には人型ネズミ男の周囲で大きな炎が燃え上がっていた。

「なっ! そこから放つんじゃないね!」

 予想外の方向から現れた炎に、男は高く跳躍して回避しようとする。

「あら? そこは……」

「ぐぅ、おおっ……」

 それを読んでいたかのように、激しい水が地面の炎ごと男を巻き込み叩き潰す。

「ぐっ……や、やるね」

 水浸しになった道に叩きつけられた男は、それでも体を損傷してはいなかった。

「今はこれくらいにしましょう。シルフィム」

「ああ。炎と水か、ならば……」

 シルフィムの持つ剣に赤い炎が宿っていく。燃えさかる剣を片手に、周囲の水を一瞬で蒸発させながら彼女は駆けていく。

「火聖剣!」

 濡れた男の体を焼き焦がすような剣が、男の体を真っ二つにしようとする。しかし、男も守りを固めていて、その剣は構えた両腕を焼き千切ることしかできなかった。

「……む! と、とんでもない一撃ね!」

「一撃? 二撃だよ」

 腕を引いて一度引かれたシルフィムの剣――聖剣には、今度は流れる水の力が宿っていた。「水聖剣」

 振り上げた剣は水流を纏い、直撃した男の体を天高くまで打ち上げる。男は尻尾で剣を防ごうとしていたが、斬るのではなく吹き飛ばすのが目的の一撃にはその守りも意味がない。

「おおぉっ! ま、まだね! まだ……」

 そして、空中の男が視線をさまよわせ、僕たちの方を見た。

「まずい!」

「奏水、安心して。ここで私が覚醒すれば!」

「ああ、やれるならやってくれ!」

 男は空中を蹴るという無茶苦茶な方法で、まっすぐに僕たちの方に向かってくる。さすがのシルフィムも空は飛べないのか、その動きに追いつくことはできない。

「リリは……」

「あら。人質ですか。それとも……ふふ、楽しくなりそうですね」

 こいつ、捕まえさせてから戦うつもりだ。頼みの綱が頼りにならないとわかった今、僕たちでどうにかするしかないが、あの姿になる前でも太刀打ちできなかった相手に、時間稼ぎさえできるかどうか。

「奏水! 変身アイテムちょうだい!」

「あいにくグッズは専門外だ!」

 男は再び空中を蹴って、さらに加速する。腕こそ復活してはいないが、尻尾だけでも今の僕たちには驚異だ。

「終わりね! まずはお前たちから、少しでも削ってやるね!」

「あら、捕らえるのではなくて……」

 男が向けているのは殺意だ。目的を考えると、一撃で殺しに来るとは考えにくいが、恐怖を与えるために大怪我をさせる一撃は放ってくるだろう。

「ちょっとー! 奏水、どうにかできないの? できないなら、私が……」

「いや、お前は下がって――二人がかりで止めるぞ!」

 それならどうにか、多少は、ほんの少しくらいは、ダメージを軽減できるはず。腕の一本や二本くらいなら、シルフィムが直してくれると信じるしかない。

「はあーっ!」

 威勢のよい声と共に、男の尻尾が振り回されて、僕たちに向けて伸びてくる。

 あの尻尾の性質からすると、腕で防げるものではない。しかし、あの速度、前進しながらの一撃から、後ろに下がったところで逃げ切れない。

 僕と木立はどうにか下がれるだけ下がって、腕で尻尾を受け止めようとする。そして、尻尾が腕に触れるかと思われた瞬間、尻尾は後ろから伸びたコードに弾かれた。

「今のは……」

「うん。あ」

 伸びた、のではない。最初から伸びていたいくつものコードが、驚愕の表情を浮かべる男と一緒に僕たちの目に映った。

「木立ちゃんを攻撃するなんて、私が許さないよ。その尻尾、危ないから、消しちゃうね」

 幼い少女の声――コードを伸ばした主、クロリアだった。彼女のコードは弾いた尻尾に何度も何度も鞭打つように襲いかかり、その一撃ごとに、尻尾の鋭さは削られていく。

「お前も、やるみたいね。けど、この程度で僕はやられないね!」

 続けてクロリアが放った長方形の半透明の物体を、男は後方に退避することで全てかわしていく。

「当たってないぞ」

「でも、木立ちゃんは安全だよ」

「わあ。ありがとう、クロリア」

 クロリアの攻撃は敵を倒すためではない、守りの攻撃。だが、依然として僕たちと男の距離は近く、シルフィムはまだ遠くにいる。

 遠くに……走ってさえ、いない?

「私が動くまでもないかと思ったけど、どうやら、斬っていいみたいだ」

 シルフィムは剣を構えていた。そして、その剣には激しい風が渦巻いている。

「風聖剣!」

 一陣の風が吹き抜けた。僕や木立の髪の毛が揺れて、そして、男の体は塵のように吹き飛ばされ――バラバラになりかけていた。

「うわ、バラバラ殺人」

「血が出なくてよかったな」

 だが、この世界の人間ではない男は、それでも動きを止めるわけではない。

「な、なんて一撃ね。これ以上は痛いから逃げ……」

「おや、私の大事な友人を傷付けようとして、無傷で逃げられると思ったのかい?」

 とんっ、と軽く地面を蹴ったシルフィムは、バラバラにされかけた体を修復して動けるようになろうとしていた男の頭上で、剣を振り上げる。

「それに、私の最後の聖剣、使ってあげないと妖精に悪いじゃないか!」

 そっちが本音だな、と思ったが言わないでおく。というか、言う暇もなく、土石の塊を剣の周囲に浮かばせた聖剣が、力強く振り下ろされる。

「地聖剣」

 地面に叩き落とされた土石と男の体は、大きな衝撃音を周囲に響かせる。そして、その土石の間を縫うように振り抜かれた剣が、男のネズミ頭を真っ二つにしていた。

「ぐ、ぁ……ね」

 さすがに、口ごと斬られてはまともな声も出せず、男はそのまま消滅していく。あれでも死なないと言うが、これほど圧倒されて、それも本気を出しての敗北なのだ。簡単にリベンジを挑んでくることはないだろう。

 僕たちから狙うとしても、木立にはクロリアがついている。……僕にはついていない気もするが、シルフィムとリリがいれば、大丈夫、だろうか。

「シルフィム、お前」

「ふふ。危なかったな」

「まあ、いいが」

 シルフィムも油断していたわけではないし、あの動きは予想外だった。クロリアが動く前にもう少し安全なうちに攻撃をすることもできたのかもしれないが、結果的に、僕も木立も無事だったからよしとしよう。

「ありがとう」

「助かったよ、シルフィムさん。リリさんに、クロリアも」

 ひとまずは感謝。

 そして、僕たちは再び道を歩き出す。邪魔が入ったが、目的は何も果たされていない。そう、我が母に尋ねることがあるのだ。

 そうして歩き出した矢先、僕たちの目の前に大きな暗闇が浮かび上がった。

「おや、新たな敵かな?」

 暢気なことを言うシルフィムだったが、どこかその表情には余裕がある。

「かもしれませんね。あれは、同じです」

「うん。だね」

 リリとクロリアも続いて、暗闇が消えた頃には、そこには一人の若い女性が立っていた。

   探偵の視点

 身長は目測で百七十七センチ。少女には見えない大人の体つきで、その背の高さから同じくらいの大きさの胸でも、木立より目立つことはない。

 綺麗な髪に、綺麗な顔、見るものが見れば芸術的と言えるほどの、整った顔立ちの女性だった。薄い黄色が所々にある服装も、まるで芸術のような美しい薄布だ。とてもこの世界の人間とは思えないし、僕も木立も同じものを一度見ている。

 そしてきっと、そこを通ってきた他の三人も、知っているのだろう。あれは、異世界とこの世界を繋ぐもの。現れたのは、異世界の人間だ。

「ここは、ふむ、噂に聞く異世界というものか……おや」

 ゆっくりと周りを見ていた若い女性は、僕たちの方に――正確には、僕に目を留めて、笑顔を見せた。

「やあ、私はフニット・ワードリクス・リーロィ・フニメフア。君はこの世界の人、男の子だね。どうだい、私と二人きりで、二人にしか見えない特別な世界を見てみないかい?」

「僕は弦楽奏水だ。フニメフア、でいいな」

 そのあとにも色々続いていたが、まずは名前の確認と、名乗ることだ。できれば木立たちにも名乗る時間を与えたかったが、フニメフアの興味は僕にだけ向いていた。

 敵意はないが、初対面で向けられる露骨な好意には警戒せざるを得ない。よもや異世界から現れた少女が、いきなりナンパをしてきたわけではないだろうが、そう考えるのが最も自然な状況であるのだから、それが真実だと考えるべきか。

「奏水。覚えたよ。周りの女の子たちは、……ふふ、興味深いね。話し相手がこんなにたくさん、私も嬉しいよ。それで、返事はどうなのかな?」

 即答しなければ流してくれる、わけではないらしい。

 正直、困ってしまう。確かに彼女は美人だし、そういう関係になれるというなら、僕も望みがないわけはないが、僕にはやるべきことがある。色恋にかまけている間に、野放しにした声優が道を踏み外し、どんな事件が起こるかわかったものではないのだ。

 それに、見たところ彼女は年上のようだし、高校一年生の僕にとって、大学生くらいの女の子は大人すぎる。身近な先輩よりも、さらに上の大人の女性だ。

「おや、私の魅力に困っているのかな? かわいいね、奏水」

 フニメフアはすっと僕の頬をなでて、微笑みながら僕の顔をまっすぐに見つめる。照れもあるがそれよりも、気付く間もなく一瞬で距離を詰めて、僕に触れた動きに驚愕する。

「もしお前が敵なら、死んでいたな」

「安心するんだ、私は君の味方だよ。いや、もしかすると敵かもしれないね。君の時間を奪ってしまっては、君の人生も変わってしまうだろう。けれど、その変化は私にとっても君にとっても喜ばしい変化になると約束するよ。互いに初めてを捧げあって、未来をたくさん作るとしようじゃないか」

 手は僕の頬から離れたが、目はずっと僕を見つめたまま。甘い囁きだが、その言葉に含まれる意味は、甘いというより、エロい。

「すまないが、今は断らせてもらう。僕には今聞かないといけない大事なこともあるし、それに……」

「構わないよ。私もこの世界のことをもっと知りたい。それに、他の世界のことも。だから、君と一緒にそれを知ることは許してくれるかな? 信用できない、というのなら、君の口に唇の契約を交わさせてもらうよ」

「契約は無用だ。僕もお前の世界のことは知りたい。ついてくるといい、フニメフア」

 内心どきどきするような単語が飛び出すが、僕たちの前には既に敵が現れている。あれで終わりならいいが、終わらないとすれば、ゆっくりしすぎるわけにはいかない。

「奏水がモテてる。ふーん」

 素っ気なく言った木立の言葉で、僕たちは一人加えて再び歩み出す。二度も邪魔――二度目は邪魔とは違う何かに感じるが――が入ったが、我が母に尋ねるという当初の目的はまだ果たされていないのだ。

 道すがら、フニメフアとの他の者たちも名乗り合って、僕の家に着く頃にはそれぞれの名前くらいは全員が把握していた。

 そして、僕が先頭に立ち玄関を開けた先、リビングでのんびりしている我が母が、僕たちの様子を見て最初に口にした言葉がこれだ。

「二人も増えて、珍しいこともあるものね。あの人との出会いを思い出すわ」

 懐かしむような我が母の言葉に、僕は即座に質問をする。

「母さんに聞きたいことがある。話してくれるな?」

 僕がそう言うと、我が母は大きく頷いて口を開いた。

「私、リクエルドと結婚して奏水を産んだけど、実は女の子の方が好きなの。でも安心して、奏水の好きな女の子には手は出さないわ。眺めるだけでも幸せよ」

 リクエルドとは我が父の名前だ。

 それより、今、我が母の告白は初耳で予想外のものであったが、聞きたいことはそれじゃない。僕が続きを促すように視線を送ると、我が母は得心したように頷いて答えた。

「ああ、そっち? 奏水、隠してたわけじゃないけど、あなたのお父さん、リクエルドは他の世界の王子様なの。それでね、マジシャンとして瞬間移動や自然発火、箱の中のものを動かしたりしていたけど、あれはリクエルドの魔術だったのよ。

 ふふ、このことは、私とあの人しか知らない秘密だから、奏水にもなかなか話せなくて、まだ幼かったから違いも理解できないでしょうし。その間に、ね」

 我が父は亡くなった、というわけだ。

「……母さん」

 それよりも、我が母が言葉にした真実に、僕は戸惑うこともなく、ただどういうことかの理解に努めていた。そして数秒後、僕は再び口を開く。

「だから、母さんはシルフィムを見て、異世界の者だと気付けたのか」

「ええ、異世界の者と関わった人は、気付けるようになるらしいの。リクエルドがそう言っていたわ。彼の世界では、この世界を王子や姫の修行の地としていて、ある程度の知識は蓄えられているそうよ。それで、奏水も半分は異世界人の血が混じっているから……」

「当たり前としてではなく、違和感に気付いた、と」

 我が母は大きく頷いた。

「あ、じゃあ、クロリアが言っていたことってさ」

「うん。だから言ったでしょ? 私は木立に興味があるの」

 そしてそれがわかれば、木立に対してクロリアが言った言葉の意味もわかる。僕はともかく、木立がシルフィムたちに違和感を覚えたのは、その前に僕と出会っていたから。それで多少なりとも、慣れたのだろう。異世界というものに。

「一つ聞きたいんだが、話さなかったということは」

「ご明察。奏水には何の力もないわ。リクエルドが色々試したけど、魔術の類いは一つも使えない、その血縁以外は、ただの人間と変わりはないのよ。残念だけど、女の子の服を透視もできないし、心を読むこともできない」

「そんな使い方をする気は……」

 ないと断言はできない。僕も女の子に興味があるから。

「奏水。透視はできなくても、私の肌ならいつでも君に見せてあげるよ。だから、私にも君の肌を見せてほしい」

「お前はややこしくなるから、少し黙っててくれ」

 にっこりと微笑んで、肩に手をかけていた手をそのままに、フニメフアは黙った。そもそもあの服、肩から簡単に脱げるような服ではないと思うが、今は気にしないことにしよう。

「他には何かないか? 祖父とか祖母とか、祖先の話でもいい」

「さあ、私が知っているのはリクエルドだけよ。ずっと昔のことはわからないけど」

 とぼける様子もなく、我が母はそう答えた。衝撃的な事実を聞かされはしたが、それ以上の複雑な事実はない。

「それじゃ、私は夕飯の準備をするわね。お話は奏水の部屋でごゆっくり。あ、新しい子たちは……」

「だそうだ。行くぞ」

 クロリアはともかく、ややこしくなりそうなフニメフアには口を挟む機会を与えず、僕たちは場所を移す。フニメフアは大して不満を見せることもなく、「君の部屋は奥にあるんだね。よく覚えたよ」との一言だけで、あとは黙ってついてきてくれた。

 僕の部屋に集まった六人は、それぞれの好きな場所に座ったり浮いたりしていた。

 慣れた様子で僕のベッドの上に座る木立に、その頭上付近に浮かんでいたクロリアは、木立に気になると言われて木立の右隣に移動した。そこには僕の枕があって、フニメフアが興味深そうに眺めていたが、何をする様子もなかったので放っておく。

 僕はいつも座っている奥の椅子に座り、シルフィムとリリはベッドと反対側にあるソファに並んで腰を下ろす。ベッドから見た方向を正面とすると、シルフィムが左でリリが右だ。ソファの右横――今回はシルフィム側のことだ――のサイドテーブルには、我が母の用意した水が置いてある。

「はい、奏水」

「ああ、ありがとう」

 僕の座る椅子は学習机の椅子だ。サイドテーブルまでは遠く、近いとしても低くてとりにくいから、それを察したフニメフアがコップを手に二つ、僕の傍までやってきた。今すぐに飲むわけではないので目で促して、二つのコップは学習机の上に置かれる。

 持ってきたフニメフアは当然のように、僕の背後に立って動かなくなった。

「お前もどこかに座るといい。テレビはつけないし、どこでも問題ないだろう」

 ちなみにテレビは部屋の入口側に置いてある。ソファやベッドの上からだと真横になってよく見えない位置にあるが、普段座るこの場所からならちょうどいい位置だ。

 ソファに座るときはテレビを見ずに、読書などを楽しむときと決めている。視界に入らない位置がちょうどいいのだ。

「ベッドの上くらいしかないが、寝そべってもいいのかな?」

「僕は座れと言ったんだ。座布団ならあるから、正座でもいいぞ」

「正座? 書物では見たことはあるけど、修行をさせる気かい?」

 どうやらフニメフアの知識にも偏りがあるようだ。それも当然か、彼女も異世界から来たばかりなのだ。シルフィムやリリより多少は詳しいようだが、彼女にも色々と教えないといけないだろう。

 僕や木立の反応で理解したのか、フニメフアは小さく肩をすくめると、一瞬僕の膝を見てから、木立の左隣に腰を下ろした。

「じゃあ、お話だね。まずは奏水から!」

「それは無理があるな木立。だが、それぞれの世界について一旦整理するとしよう。父さんのいた世界は魔術世界と仮に呼ぶことにする」

「ここは、そうだね、地球があるから地球世界で」

 この世界の住人である僕と木立が話を進める。シルフィムやリリから聞いた話だと、彼女たちが住んでいるのは地球ではないらしいから、ひとまずはそれでいいだろう。

 細かい世界についての情報は今はいらない。そこで、僕たちはまずそれぞれの世界の大雑把な特徴を尋ねて、簡単に彼女たちの世界に呼称をつけることにした。まずは何かしらの区別ができるようにするのが先決だろう。

 そして、決まった世界の呼び名はこうだ。

 剣と妖精世界――シルフィムの世界は、妖精の力が強いらしい。

 魔法世界――リリの世界だ。超能力のような魔術ではなく、派手で広範囲に影響を与えられる力は魔法と呼ぶのが相応しい。

 心霊世界――無論、クロリアの世界である。これは彼女の存在からすんなり決まった。

 図書世界――これはフニメフアの世界のことだ。彼女の住んでいた場所には大量の書物があり、そこから名付けられた。

「それで、最後の敵の世界だが……」

 こちらについてはまだ情報が足りない。決めかねていると、クロリアが口を開いた。

「もう一つあるよ。そうだね、男狩り世界?」

「男狩り?」

 何のことだろう。その疑問を口にするより先に、クロリアが解説を始めた。

「この世界では殺人はいけないこと。けど、奏水くんと木立ちゃんは、何も疑問に思ってない。これっておかしいことだよね? それから、シルフィムちゃん。あなたの世界にも男狩りはいる、きっとリリちゃん、フニメフアちゃんの世界にも。もちろん私の世界にもいるよ」

「ああ、どの世界にもいるものだなと思ったよ」

「私にとっては無害ですが、駆除することはありましたわ」

「私は見たことがないけど、いるのかもしれないね」

 一人だけクロリアの予想からは外れていたが、概ね彼女の予想は当たっていた。

「そういうことか。男狩りはずっと昔から、色んな世界に存在している。だから、どの世界の住人にも、異世界の者として認識されていない」

「その通り。ま、私の世界はちょっと特殊だから、ヒントはあったけど、気付いたのはこの世界に来てからだよ」

「おお。新たな世界の登場だよ、奏水!」

「まあ、どうでもいいな」

 男狩り世界――男狩りたちの生まれた世界。が、敵対しているわけでもないし、他の世界を侵略している様子もない。仮に敵対したとしても、シルフィムが簡単に倒せる相手だ。それどころか、この国の警察でもその気になれば拳銃で一発の相手である。

「じゃ、元に戻して、っと」

「ネズミか。そこから類推できるのは、いくつかあるが」

 木立の明るい声で話を戻すが、結論は出ない。もう少し、敵の世界については情報が必要だろう。たった一つで見立て殺人の見立てを見抜くような探偵は、もはや探偵ではない、エスパーか何かだ。

 それから、クロリアは木立の家に住むことになり、フニメフアは僕の家で暮らすことになった。なるようになった形で、そこに波乱も異論を口にする者もなかった。

   一段落

   ヒロインの目

 シルフィムは剣士である。妖精の加護を受けた剣を持ち、悪を斬り殺す、されど彼女は勇者ではない。正義によって剣を振るうのではなく、剣士だから剣を振る。そういう少女なのである。

 それゆえに、彼女は困っていた。彼女のいた世界では、蘇生魔法があった。人は死んでも蘇生魔法があれば生き返る。殺されなくても、生き返るのだ。それは悪人にとっては便利なものでもあり、死を覚悟した無茶な逃走ルートでも、魔法使いが仲間にいれば利用できてしまう。

 だからこそ、シルフィムが剣を振るい、殺すことに意味があった。死を覚悟するといっても、死の危険があるというだけで、死を前提として動くのは悪党ではない別の何かだ。

 そこに訪れる、不意の死。それも圧倒的な力による、斬殺。並の悪人は恐怖をその身に植え付けられ、再度悪事を働こうとは思わないし、起こす気があったとしてもシルフィムがいる限り何度も斬り伏せられる。

 もちろん、シルフィム以外にもそういうことをする者はいて、彼女以外にも裁く者はいる。だが、殺す側にも覚悟が必要であり、問答無用、快刀乱麻、躊躇も慈悲もなく『それ』を選ぶのはシルフィムくらいだった。

「男狩りは斬っても楽しくない。弱いし、血も何か違うし、そもそもあれは悪ではあるがただの変態だ。どうすればいい、奏水?」

 何度目かの質問が同居人に飛ぶ。ちなみに、部屋には木立とクロリアもいて、フニメフアは別の部屋にいる。リリはゲームセンターに外出中だ。お小遣いは奏水の母、叶絵から出ている。予算は百円だが、彼女にとってはそれでも十分だ。

「どうしろと言われてもな。僕の関係者に警察はいないし、いたら便利だと思うが」

「小説ほど警察は無能じゃないよ」

「情報くらいは得られる。それとなく動きを見張っていればな」

「お、横流しさせないあたり、配慮してる」

 笑い合う奏水と木立を見て、クロリアはふわふわ浮かびながら微笑んでいる。彼女はただ木立の傍にいるだけで、話に興味はないらしい。

「フニメフアさんは何してるの? クロリアみたいに奏水にべったりしてそうだけど」

「お前のそれは幽霊みたいなものだろう。こっちは変態だ。べったりされたら困る」

「……あっ」

 気になったのか、フニメフアの様子を探っていたクロリアが呟いた。

「気持ちよさそう。ま、いっか」

 そして続いたその言葉だけで、再びクロリアは口を閉ざす。

「奏水、奏水」

「何をしているかは知らないが、僕に触れない分は問題ない」

「私も気持ちいいことがしたい。奏水、一度試しに、私を襲ってはくれないか? 私でも体の一部くらいなら治癒魔法で復活させられる」

「いやだ。お前はどこを斬る気だ」

 既に剣を構えて臨戦態勢のシルフィムに――話を始めた時点で、斬りたい欲が出すぎて握っていた――奏水が鋭い視線を向ける。

「ん? ちん」

「木立、お前が協力してやれ。僕は僕で調べたいことがある。殺しても構わない悪人も探せばいるだろう。正当防衛だ」

 照れずに何かを言おうとしたシルフィムの言葉を遮って、奏水は少女の名を呼んだ。

「そうだねえ、私も正義のヒロインには興味あるし、お手伝いするよ! でてこーい、何かカタカナの名前の変な敵ー!」

 そんなものは出てこないと思えたのは、少し前までの話だ。異世界からの剣士や魔法使いや幽霊や変態やらと出会った今、その可能性を木立が期待するのは不思議もなく、自然な予測である。

 ただ、彼女たちの前に現れた敵が、そういう何かを呼び出すようには見えなかったが、他の新たな敵が突然現れる可能性もあるのである。

 木立とシルフィムとクロリアは、並んで街を歩いていた。といっても普通の人に見えるのは木立とシルフィムの二人だけで、クロリアは木立の背後で透明化された姿でうっすらと浮かんでいる。

 彼女自身の固有能力ではなく、心霊デバイスによる認識改変である。彼女の存在を不思議に思う存在――異世界の存在に警戒されないようにしているのだ。

 なお、シルフィムが剣を持っていることは気にしないことにした。剣がなければシルフィムも全力で戦えないし、剣がなければ斬ることはできないから、どの道目的は果たせない。

「戦いといえば、赤宮町には古戦場があるけど……」

 H道地方都市である都宮市は、宮丘町、青宮町、緑宮町、赤宮町の四つの町で構成されている。赤宮町は宮丘町の西へ向かい、都宮小学校の傍にあるロープウェーを下った先に広がっている。

「今から日帰りで行くには遠いから、森林公園に行ってみよう」

 都宮高校を少し北に行けば、丘の下の緑宮町へ下りられるロープウェーがある。緑宮町はその大半が森林公園で占められており、奥まで行くのは遠いが近くを歩き回るくらいなら、放課後の行動範囲でも十分だ。

 緑宮町北西の都宮大学を抜ければ、都宮駅のある青宮町に到達する。もちろん、そこまでの距離は赤宮町へ向かうのと同じくらい遠いため、今日の選択肢には入らない。

「そこまで行くのは初めてだが、話には聞いている。剣の練習もしやすそうな場所だと喜んでいたら、奏水に止められた」

 シルフィムは軽く剣に触れて、笑ってそう言った。

「その前に、村ではよく木々を斬って剣の練習をしたという話をしたからな。森林ではなく森林公園だから、無闇に木を斬ってはいけないらしい」

 森林でも許可が必要なことはあるだろうが、シルフィムなら異世界パワーでどうにかなりそうだ。だが、森林公園の木々が斬られて減っていくと、剣を振るうのは見逃されても、景観破壊は見逃されないだろう。

「それで行くのはやめたんだ。広い場所ではあるらしいが、木を斬れないのでは庭で振るうのとそう差はないしな。人は斬りたいが、他の動物を狩る趣味はない」

「狩りぐらいはしてると思ったけど、してないの?」

「頼まれればしないことはないが、それは魔法使いの方が得意分野だ。私の剣で、罠を仕掛けることはできないからな」

 都宮高校の西側を抜けて、北へしばらく歩くと一基の大きなロープウェーが見えてくる。観光用ではなく生活用だからデザインは質素だが、綺麗に手入れされたそれはどこか品格も感じさせる。

「ほう、あれが……」

 地面から浮いた四角い箱――といっても乗り降りするため、乗り場にあるロープウェーは目線とそう変わらない高さにある――がはっきり見えてきて、シルフィムが声を上げる。

「あれに乗るのか? 木立が跳ぶには高いな」

「んー、シルフィムさん、跳べるなら崖から降りれるんじゃ……」

「はは、私も崖を降りるのは簡単ではないさ。クロリアならすぐにできそうだけどね」

「私は浮いてるし、すり抜けられるからね。がんばれば木立ちゃんも運べるよ」

 シルフィムの冗談を軽く受け止めて、木立はロープウェーの乗降口に向かう。クロリアはああ言っているが、心霊デバイスを出さないところを見ると、がんばるにしても相当がんばる必要があるのだろう。

 都宮市のロープウェーは崖の上下を行き来する橋のようなものであるため、ロープウェーに乗るのに料金は不要だ。深夜はメンテナンスで動いていない時間帯もあるが、ほぼ二十四時間自由に使える綱で渡された歩道である。

 ロープウェーができる以前から使われていた歩いて下りられる道もあるが、場所も遠いし時間がかかる。ちなみに、車道はさらに遠くにあり、市内で生活するには車よりも徒歩の方が速いことも多い。

 木立を先頭に、シルフィム、クロリアが続いてロープウェーに乗り込む。クロリアは乗らなくてもいいのでは、と木立は視線をクロリアに向けたが、ロープウェーは斜めに崖上と崖下を繋いでいるので、ほぼ最短距離を走っている。中でも外でも変わらないと気付くと、木立は微笑んで視線をクロリアから外した。

 ロープウェーの中から見える景色を、シルフィムは興味深そうに眺めていた。正面からは眼下に広がる森林公園が目に入り、その広さが視界の多くを埋め尽くすのだ。都宮市に生まれた子供の大半が同じ経験をしていて、木立や奏水も最初はその光景に驚きを示していた。

 浮かんでいるクロリアは特に驚いた様子もない。元々浮いている彼女にとって、頭上から見る景色は見慣れたものである。鳥が地上の景色を見ても驚かないように、クロリアも地上の景色を見て驚くことは少ないのだ。

 窓の外、彼女たちの見つめる視線の先――。

 緑の木々は地上を埋め尽くすように生えて広がって、木々の間には小さな草原が散らばるように緑の草地が点々としている。

 花も咲いているが、木々に隠れているのかロープウェーの中からはよく見えない。しかし、ゆっくりと下りていくにつれてその花も色を大きくしていき、それが二種類の花であることが目に入ってくる。

 森林公園には他にも花は咲いているが、公園としてこの季節に多く咲いているのは三種類の花だ。最後の一つはこの角度からは見えにくい位置にあり、大きさも他の花より小さく目立たない。

 眼下にあった木々が段々と近づいていき、木の幹が見えるようになり、見上げる先に木のてっぺんが見えてくる。

 ロープウェーの終着点だ。

 木立を先頭にロープウェーから降りた三人は、そのまま道なりに森林公園へと歩いていく。ロープウェーの乗降口から続く道は森林公園に直結しており、都宮大学へ向かうにも、その他の場所へ向かうにも、森林公園の端か中を必ず通ることになる。

「いい場所だな。私の村の近くにあった森林も、こことは木の種類が違うが、空気はよく似ている。静謐な森林は、やはり心が落ち着くな。ああ、この落ち着いた心で、血飛沫舞わせて悪人を斬りたいものだ」

 落ち着いて物騒なことを口にするシルフィムだが、木立もすっかり慣れたもので、そこに反応を示すことはない。むしろ、らしい反応に微笑んでさえいる。

 木立たちは森林公園の中へ歩いていく。奥深くまで入るつもりはないが、少し歩くだけでも最初の広場には辿り着く。

 人の姿もまばらで、数人が離れたベンチに座っているだけの広場。静かな公園だが、そこでシルフィムは何かに気付いたように視線を遠くに向けた。

「……おや?」

「どうしたの、シルフィムさん?」

「ふむ。あちらが少し騒がしいようだ。木立、あっちは?」

「あっち……んーと、小さな広場、があったかな? 道は続いてるよ」

 シルフィムが指を指した先は木々の中だったが、その先にある空間へと続く道はある。視線をずらすと木々の横には広い道が続いており、そこをまっすぐに行って、途中の細い道のどれかを抜ければ騒がしいという場所に着く。

「そうか。突っ切るのは、時間がかかりそうだな」

「うん、こっちの道から行こう。クロリアならすり抜けていけそうだけど」

「私は木立ちゃんと一緒だよ。それに、戦いは趣味じゃないの」

 木立に横目を向けられて、クロリアは朗らかに笑ってそう答えた。彼女も気付いているのかいないのか、それは木立には判別できなかったが、シルフィムが反応したのだ。ということは、その可能性が高いのだろう。

 今度はシルフィムを先頭に、木立、クロリアと続いて、三人は森林公園の道を進んでいくのだった。

   敵の蠢き

「うっし! 今日はここの調査でも、っと」

 報道部の水内人次は、森林公園の小さな広場でカメラを握っていた。

「調査はいいが、揉め事は起こさないでくれよ。君の調査は時々乱暴なことがある」

 彼の後ろには都宮高校の教師、龍炎三葉〈りゅうえんみつば〉が控えていた。歴史を担当する教師であり、報道部の顧問として学外の調査には同行するのが日常になっている。

 もちろん、報道部の普段の活動は学内の取材だから、こうして学外に出て取材・調査を行うことは多くはない。だからこそ、一教師である彼も毎回同行できるのである。

「わかってるって先生。けど、ありゃどうしようもないぜ」

 人次が首を振って促した先には、二人の男狩りがベンチに座って公園を見張る姿があった。今回の調査の目的は、森林公園に現れるという不審者の取材だったが、どうやらあれがそうらしい、というのは誰が見ても明らかだった。

「うひょー! いい男が二人!」

「うっひょー! 目立たず潜伏していてよかったぜぇ!」

 そしてあちらも彼らの姿に気付き、ベンチに座ったまま喜びの声を上げていた。

「目撃情報は女子だったな。あいつら、黙ってりゃ人間と見た目は同じだしな」

「そうみたいだね。人次、周囲に人はいない」

「ああ」

 三葉の声を聞いて、人次はベンチを立ち上がり、じりじりとこちらに詰めてくると見せかけて、五歩歩いたところで全速力を出した男狩りに向けて構えた。

 瞬間的な加速は人間離れしていて、並の人間なら驚く行動ではあるが、我慢ができないのか男狩りが全速力になったのは彼らから随分離れたところで、並の人間でも驚きから冷静に切り替えるだけの時間はあるだろう。

「もっとも、黙ってりゃ人間と見た目は同じなのは――」

 構えた拳は人の手だが、その拳に宿る力は人の力ではなかった。

「うひょひょ! 二人とも浚ってやるぜー!」

「おおー! さら――うっぎゃー!」

 構えた人次に向かっていた男狩りの一人が、振り抜かれた左拳で消し飛んだ。

「お、おおーっ! あいぼうぎゃー!」

 そしてそれにもう一人の男狩りが気付く頃には、右拳が彼の横っ面に襲いかかり、今度は大きく吹き飛ばされてから倒れて消えてしまった。

「――俺も同じなんだけどな」

 男狩りを瞬殺した人次は構えを解いて、大きく息をはいた。

「さぁて、これじゃ取材にならねえな。どうしたもん、か」

 人はいない。ここにいたのは男狩りだけだ。不審者の正体が男狩りだったなんて記事は、誰も喜ばないニュースにもならない事実だ。

「人次。もう一度言っておくが、揉め事は起こさないでくれよ」

「あん? わかってるって……」

 三葉からの再度の忠告に面倒くさそうに答えた人次だったが、顎で促された先を見て、大きく笑って見せた。彼も、理解したのだ。

   ヒロインの目

 騒がしい場所を特定したシルフィムは、何者かに吹き飛ばされた男狩りが倒れて、消えていく姿を目撃していた。木々に邪魔されて何者かの姿は見えないが、それなりの手練れであることは明らかである。

「うわ、男狩りとはいえ……」

「木立、あれはこの世界の人間にもできるか?」

「プロの格闘家や、達人ならできるんじゃないかな?」

「そうか。悪人とは限らない、むしろ正義の可能性もある、か」

 期待は程々に、シルフィムたちはさらに足を進める。その何者かがまだその場にいれば、少し歩けば姿が見えてくるはずだ。

 剣を握る手に少しだけ力を込めて、木々に隠れていた二人の男の姿を、三人の少女が目にする。細身ではないが筋骨隆々という程でもない制服を着た長身の男と、それよりさらに背の高い教師然とした男がそこに立っていた。

「よお、驚かせたか?」

 人次は笑顔で現れた少女たちに声をかけた。声をかけるまでに僅かな間があったのは、それが少女であると視認するための時間だ。そして、声をかけている間に、目の前に現れた者が何者かを判断する。

「なんてな、この程度じゃ驚かないか。その剣で、ネズミをやったんだろ?」

「ふむ。君は彼の知り合いかな? 敵討ちなら受けて立とう」

「お、いいね。けど敵討ちをする気はないぜ」

 微笑んで剣を構えるシルフィムに、人次は拳も構えずに、小さく肩をすくめた。

「これはただ、俺がやりたいだけだ」

 人次が拳を構えたところで、彼の後ろで静かに佇んでいた三葉が口を開いた。

「すまないが、人次。僕は喉が渇いた。ここからは少し距離があるが、水飲み場へ向かう。ここの公園の水はおいしいんだ。だからその間、揉め事は起こさないでくれ。教師が目を離していて、気付かないからといってな」

 言うが早いか、人次が返事を返す頃には、三葉は四人に背を向けて歩き出していた。その姿は十数秒もした頃には木々の間に消えていて、シルフィムやクロリアが注意深く探ってもわからないほど気配も遠くに消えていた。

「さて、そういうことで……いっちょ始めるか」

 シルフィムの方に駆け出しながら、人次は右腕を太い牛の腕のような形に変えていく。

「うっしゃあ! いくぜ!」

 速度を上げつつ向かってくる相手に、シルフィムは冷静に剣を構えて、相手の出方を窺うように剣を下段に構えた。

 動かないシルフィムに向けて、接近した人次の右腕が振り抜かれる。が、それが彼女の額に届くより前に、振り上げられた彼女の剣で肘の下から彼の右腕は切り落とされていた。

「おお、いってぇなあ! けど、まだまだだ!」

 続けて繰り出された左腕は、殴る瞬間に腕の形を変えてリーチが僅かに伸びる。シルフィムは一瞬驚いた顔を見せたが、剣を振り下ろしながら後退してその攻撃を受け止めた。

「ほう。まとめて斬るつもりだったが、慣れてるのかな?」

「さあな。ま、あいつよりは、俺の方が殴り合いには向いてるかも、なっ!」

 いつの間にか右腕は再生し、それが大きく振り上げられる。しかし人次の本命は、同時に太い牛の脚の姿に変えた両脚の蹴り出しによる突進で、拳が当たるか当たらないかは重要ではない。全力の体当たりである。

「地聖剣!」

 それを見切ったかのようにシルフィムは叫ぶが、対応は土石を纏った剣で体当たりを受け止めて斬りかかるというもの。防御するのでもなく、真っ向勝負である。

「シルフィムさん!」

「……ん」

 遠巻きに戦いを見ていた木立とクロリアが息を呑む。

 そして一瞬の後に、二つの力はぶつかった。

「ぐ……やるじゃねえか」

「そちらこそ、一振りにとはいかないみたいだな」

 人次の胴体は剣で確かに斬られていたが、いつか男狩りを斬ったときのように胴体が切断されはしていない。見た目こそ人間の姿のままだが、腕や脚と同じように、その胴体も強化されていたのである。

 それでも、シルフィムの剣は人次の体当たりを完全に止めて、シルフィム自身も一歩も引くことはなかった。

「だが、そこからどうする!」

 人次の脚は健在だ。受け止められたまま、その強靱な肉体を利用して、体を押し込んでいく。剣が食い込むのも構わず、彼はひたすら前進していた。

「痛いのだろう? 無理はしない方がいい」

 シルフィムは微笑んで、剣の向きを僅かに変えて刃のない側面で押し込みを受け止める。土俵があればこのまま外に押し出されるのは間違いないが、この戦いは相撲ではない。

「へえ、気付いたか」

「ああ。君は、気付くのが少し遅かったね」

 言葉もなく、シルフィムの握っていた剣に宿る精霊の力は変わっていた。地の力を纏った地聖剣ではなく、風の力を纏った風聖剣に。

 ひゅん、と風を切る音が聞こえたと同時に、シルフィムの剣は人次の胴体から上部へ小さな旋風を起こしながら振り上げられ、押し込む体勢で前に出ていた彼の頭部を切り飛ばした。

「ひゃっ」

「わー」

 飛び散る血飛沫こそないものの、ぽーんと飛んだ人間の頭に、木立は驚いた声をあげる。クロリアも驚いてはいるようだったが、本人が肉体を持たない身であるからか、興味深さの方が勝っている様子だ。

「く、やられたぜ! しゃあねえな、今日はここまでだ」

 その声が吹き飛んだ頭から聞こえてきて、胴体より下は容赦なく追撃を仕掛けようとしたシルフィムの剣から逃れて後方に走っていく。さながらホラーの世界の光景に、木立もぽかんとしたままだった。

「木立。残った頭は」

「斬らないでね、シルフィムさん」

「ああ、本体はここにない。だから、脳がなくてもいいというわけか。この様子なら心臓を貫いても動きは止まらないだろうし、存外に手強いのかもしれないな」

 斬らないでと言われたので、シルフィムは構えを変えて、落ちてくる人次の頭部をフルーレのように鋭く刺突する。逃げたからといって意識が完全に消えたわけでなく……。

「ぐあっ!」

 刺された瞬間に痛みによる悲鳴が聞こえてきたが、それ以上の反応はなく、突き刺されて数秒後には人次の頭部は細かく砕けるように消えていった。

「木立、大丈夫?」

「んー。スプラッターは得意だから。ホラーも苦手じゃない」

 ふわりと木立の前に下りてきて、心配するクロリアに、木立は笑顔で答えた。やたら事件を求める探偵とも長くはないが短くもない付き合いである。そういったことに耐性がなければ、彼との付き合いは続かなかった。

「で、シルフィムさん。まさか追撃はしないよね?」

「ああ、今日は私も満足だ。帰るとしよう」

 逃げた方向から、そして逃げる速度から、追いかけようとすれば追いかけられない相手ではないかもしれない。しかし、本体はこの世界にないのだから、再生して戦闘を続けようとしていない相手を、追いかけて倒す意味はないのである。

「血は、やはり出ないのだな」

 最後に残念そうなシルフィムの表情と声を残して、彼女たちは森林公園から帰るのだった。

   探偵の視点

 木立とクロリアも彼女の家に帰宅し、一人になった僕はシルフィムが戦ったという相手のことを考えていた。

「ネズミ、ウシ、次がトラならほぼ間違いないが、二つでも干支と考えるには十分か」

 これがもし見立て殺人であるとすれば、一つ目で推定できるのは超能力者で、二つ目で推定できるのが名探偵だ。三つ揃うまで推定できないのは並の探偵である。

 もっとも、あくまでも推定であり、確定となるとまた少し話は変わるが、見立てというものは見立てとわかってこそ意味があるものだ。二つで推定できないのなら、犯人側の見立てが甘いか、見立てに見せかけた別の狙いがあるか、のどちらかだ。

「ネズミもウシも焼いて食べたらおいしい。食べ物仲間ではありませんの?」

「私はまだどちらも食べたことがないな。ネズミが食べたい」

 扉を開けて入ってきたリリとシルフィムが声をかけてくる。独り言を口にした瞬間にはまだ開いていなかったはずだが、リリもシルフィムから話を聞いている。最初から聞いていなくても何となく理解はしたのだろう。

「奏水。私は君のことを食べてみたいな。君がよければ、私の体液で君の喉も潤してあげたい。どうかな?」

「カニバルは遠慮しておく」

 こっちは理解していてもいなくても変わらないだろう、二人が部屋の定位置に移動し始めてから、しなやかに部屋に入ってきたフニメフアに答える。

「そうかい? かわいいね、奏水」

 そのまま一直線に僕の傍に来て、そっと僕の頬を右手で撫でて、左手を彼女の胸に添えるフニメフア。今日は直接触れて積極的だが、動じることはない。

「君の唇を奪いたいところだけど、私は奪うのは好きじゃない。君がくれると言うまで、待っているとするよ。私は自分の魅力をよく知っているんだ」

「それは結構なことだな」

 これが自惚れなら話は簡単だが、自惚れでないのも悩ましいところだ。しかし、彼女は自分で言った通り、奪うようなことはしてこない。僕がこうしている限りは、僕たちの関係が進展することはないのである。

 わくわくした顔で眺めている剣士と魔法使いには、一瞬だけ鋭い視線を送っておいた。

   一段落

   ヒロインの目

 都宮中学校の授業も終わり、放課後のこと。最後の授業が体育だったためジャージ姿の木立は、同じくジャージ姿の親友と話をしていた。

「奏水の話だと、敵は干支らしいんだ」

 今日の体育は走り高跳びである。木立はなかなかの高さのバーを越えて、奈北はそれよりもちょっと低い高さのバーを跳んでいた。

「お、うまいね! さすが木立!」

「まあね。奈北も、足は速いんだから、練習すれば私より跳べるんじゃない?」

「あはは。それ、短距離走の選手が高跳びも得意ってことになっちゃうよ?」

「うーん……そういうもの?」

「そういうものだよ。多分」

 どっちも高跳びには詳しくないため、その話はそこまでだった。奈北は陸上部の部員なので高跳びの選手も仲間にいるが、短距離や長距離、ハードル走といった走る系を中心にしている奈北との接点は少ない。

「干支? ねーうしとらうーたつみー……たつみー?」

「うまひつじさる、とりいぬいー。私もアニメで覚えたんだけど」

 日曜朝は二時間の特撮アニメタイム、だった時代もあったのである。プリキュアに詳しければ、そのちょっと前のアニメを木立が知っているのは当然だった。

「それがどうしたの? まさか、私が七人目のプリキュアに!」

「いやいや、七人いたのなんてないから。ちょっとね、気になることがあって」

 そもそも六人目でさえ滅多にないのである。木立の言葉に小首を傾げる奈北に、木立は彼女の顔をじっと見てから、続きを口にした。

「その二人とも、ネズミとかウシとか、それっぽい口癖や語尾をつけてたの」

「ほうほう。それが私と何の関係が?」

「私、奈北のことってまだ言ってないけど?」

「あはは、うまいね。これが誘導尋問ってやつ?」

「そんなつもりはないよー」

 楽しそうに話す二人の少女。ちなみに今日は奏水が中学に来る予定はなく、校門まで話を続けても二人の会話に口を挟む者はいない。教室で帰宅の準備を進めてから、廊下を歩き、玄関から校舎の外に出て、校門に向かうまで、二人の会話は続いていく。

「もしかしたらって思ってね。奈北の口癖が、それだから」

「ふーん。けど、馬なんてまだ先でしょ? だとしても私の出番はまだまだ先だよ。それに、私は木立に怪我をさせるようなことはしない。ふふ、安心して」

 笑顔でそう言った奈北に、木立は微笑みを返す。

「あ、でも、木立なら心配ないと思うけど、私、木立よりうーちゃんの方が大事なんだ」

 笑顔のまま、奈北はそうも言った。

「うーちゃん? それって、生徒会長のこと?」

「ん。ま、そういうことだから。木立がうーちゃんを寝取ろうとしたら、取り返すよ」

「そっか。私男の子が好きだから、心配ないよ」

 木立は何となく察しはしたが、はっきりと理解したわけではない。生徒会長は無口な少女で話したこともないし、何度か奈北と一緒にいる姿を見かけて、そのときに奈北の言葉に「う!」とか「うー?」とか返していたことからの推測だ。

 そのときはもちろん、ただの返事の一つだと思っていたのだが、別の情報を得た今だと別の可能性もわかってしまう。

 どういうことかはわからないし、これ以上は奈北も答える気がないのは木立にはよくわかっていた。

 そうしているうちに、二人は校門の前に辿り着く。

「待っていましたわ。木立、付き合ってください」

「ふえ?」

 校門の前で待っていたのは、異世界からの魔法使いの少女、リリだった。話していた内容が内容だけに、木立は素っ頓狂な声をあげてしまう。

「今日はいつものゲームセンターの隣にある、ゲームショップに行きますの。私、まだコンシューマーは詳しくないのですわ。付き合ってもらえますか?」

「うん、いいよ」

 しかしそれもリリが話している間に落ち着く程度のもので、木立は自然にそう答えた。

「じゃ、またね木立。あ、ちゃんと着替えなきゃダメだよー」

「わかってるよー!」

 元々家の方向が違うから、木立と奈北はここで別れる予定であった。奈北の代わりに別の女の子を連れて、木立はまた歩き出すのである。

 自宅での着替えを終えて、木立とリリはゲームセンター隣にあるゲームショップへ向かう。もちろんクロリアもついてきているが、今日はだいぶ上空に浮かんで遠目に木立たちを眺めていた。

 どうやら、そういう気分――というわけではなく、理由があってそうしているらしい。その理由は詳しく話してくれなかったが、干支の話を聞いてからのことなので、敵を警戒しての行動であるのは伝えられていた。

「リリさん、ゲームが好きだよね?」

「ええ。遊びでも争いでも、戦うのは好きですわ。本当はこの魔法を使って盛大に戦いたいところですけれど、まだこの世界の魔力には慣れていなくて、限界がありますから」

「ふーん。じゃあそういうのを探せばいいの?」

 そういったものはアーケードにも多いが、大規模で長期的なものは家庭用のゲームでしかできない。一人が一時間も二時間も、続けて一つの戦いを続けるタイプのゲームはアーケードとは相性が悪いのだ。

「それもいいですが、こう、地形をドーンと変えるようなゲームがやりたいですわ」

「地形をドーン、かあ。ドシンと変えるゲームなら知ってるけど、奏水の家にあったよね」

 木立はやったことがないゲームだが、何となくの概要は知っている。奏水もあまりやったことがない昔のゲームで、新作は出ていないが当時それなりの話題になった作品だ。

「あれのもっと大きなやつがいいですわ。地球一つをドーンと!」

「そんなのあったかなあ……スペックが足りてない気がするけど、探してみよっか」

 木立もそこまでゲームに詳しいわけではない。二人はゲームショップに着くと、手分けしてそういった感じのゲームを探してみることにした。

 ゲームセンター隣のゲームショップは最新のゲームだけでなく、レトロゲームの取り扱いもそれなりにある店だ。特定のハードではなく、ハードを跨いで探すとなると時間はかかるが、リリの話したようなゲームにはある程度のスペックが必要であり、そこまで古いゲームは探す対象から外される。

「ないですわね」

「うん。時間をかけて変えていくゲームなら何個かあるけど」

 ブロック状の地形をちょこちょこ置いて地形を作ったり削ったりするゲームは、ブームを起こした人気の作品もあり、似たようなクラフト系のゲームがちらほら出ている。

「地味ですわ。魔法の一発で、連なる山が一瞬で平地になるような、それくらいのものがやりたいんですの」

「そんなのは聞いたこともないよ。というかリリさん、できるの?」

「当然ですわ」

 若くはない店主にも一応聞いてはみたが、調べるまでもなく知らないという答えが返ってきた。木立や奏水よりもゲーム経験が豊富なベテランゲーマーで、知識も豊富な店主でも知らないのである。

 話を終えた店主から少し離れたところで、リリと木立は椅子に座って休憩をとる。

「クロリアに調べてもらえばわかるかな?」

「そうかもしれませんが、そこまで手間をかけることはありませんわ」

 もしも見つかれば僥倖、見つからなければ深追いはしない。それくらいの気持ちでリリもゲームショップを訪れたため、木立の問いには優しく微笑みゆっくりと首を横に振った。

「ふむ。君たちも来ていたんだね。少し手伝ってくれないか?」

 そんな彼女たちに、両手にゲームソフトを持ったフニメフアが声をかけた。そこまで広いゲームショップではないが、調べているジャンルが違ったため、少し遅れてやって来た彼女は先に店にいた二人に気付かなかったのである。

「目ぼしいものを持ってきたのだけれど、私も詳しくなくてね」

「あら、これは……」

 フニメフアは持っていたゲームを椅子の近くの小さな机に置く。そのジャンルはほぼ全てが恋愛アドベンチャーで、その中でも多彩なジャンルが混ざっていた。

「奏水を落とすなら、こういうのは頼りにならないと思うけど」

 言いながらも、木立は一本一本のゲームに目を通していく。リリも同じようにしていて、元々ゲームを探すテンションでいたものだから、ジャンルが変わっても自然と探しやすい精神状態にはなっていた。

 オーソドックスな恋愛ものから、複数のヒロインを同時攻略するハーレムもの、さらには一人の恋人とイチャイチャするようなゲームもあり、男の子と恋愛をするゲームも何本か混じっている。

 奏水を攻略するにしては女の子を相手にするゲームが多いが、そういったゲームの方が数が多くジャンルも豊富だから仕方がない。

「けど、どれも何かが足りないんだ。そう。私の溢れるこの情熱を吐き出す何かが、どれにもない!」

「昔のゲームは?」

 割と新しめのゲームが多いため、今はない昔のメーカーやブランドのゲームはそこに含まれていなかった。今の恋愛ゲームにも優れたものがないわけではないが、恋愛を含むアドベンチャー全体が活況だった時代の名作の数は、今より遥かに多い。

 もっとも、木立もそう多くをプレイしたことがあるわけではないのだが、その時代のゲームの一部はリメイクされて現行機でもプレイしやすいようになっている。

「ああ、気になるのはあったのだけど、奏水の家にはハードがないみたいでね。そこに記されている年齢はクリアしているんだ」

「ふーん。年齢制限があって、昔のハード……」

 そこで木立はピンときたが、彼女には力になれないことも同時に悟る。

「パソコンがあればできるよ。フニメフアさんっていくつ?」

 関わりの多い奏水は聞いていると思うが、木立はまだ知らなかった。木立が知っているのはクロリアが十四歳であることと、リリが十八歳であることだけだ。

「二十二歳になるね」

「じゃあ、リリさんもできると思うから、あとは二人でどうにかして。私には無理なの」

 普段のフニメフアの態度から想像できたことではあったかもしれない。彼女が何かが足りないと感じているものが何か、それが充実しているものは何か。答えは一つで、十八歳未満お断りなゲームに含まれる十八歳以上の何かだ。

 当然、木立はできる年齢ではないし、奏水もまだ早い。エロゲーという単語は耳にすることはあっても、存在こそ知っていても、プレイしたことはないのだ。

「私はそういうのに興味はないですが、お手伝いならしてもいいですわ。奏水を説得しましょう」

「頼むとしよう。奏水がだめでも、次の手も用意してある」

 結果として、奏水にはあっさりと断られてしまうのだが、それはもう少し先の話である。頼んだ言葉に返ってきたのは、『僕のパソコンにそんなものをインストールはできない。僕も誘惑に負けないとは言えないからな』というもので、木立も予想していた結果であった。

 その後、フニメフアは奏水の母である叶絵に頼んだのだが、こちらもこちらで別の理由で断られることになる。

『そんなものより、直接攻撃が有効よ。それができるのに、もったいないわ』

 という叶絵の一言は、なぜか奏水のいる前で口にされたのだが、普段のフニメフアの攻撃を回避し続けている奏水にとって、今更動じるものでもなかった。

   一段落

   ヒロインの目

 クロリアは今日も空から世界を眺めていた。木立の家を中心としているから市外まで見渡すことはないが、市内を見渡すだけでも範囲は広い。

 空から見渡すだけでは木々の陰や建物の中までは見通せないが、それは普通に空から眺めた場合だ。衛星や航空写真でも見れないものも、クロリアのO‐PDAなら解析することができる。

「うーん。やっぱ、そう簡単にはいかないかあ」

 最近調べているのは、木立に危害を加えるかもしれない存在のこと。しかし、相手も手強いというか、別の世界と繋がっているからか、あらゆる心霊デバイスを駆使しても彼らを調べ尽くすことはできない。追跡をしても、気付かれているのかいないのか、突然消えてしまうこともあるのだ。

 彼女がいた心霊世界では、異世界の存在は認識されていなかった。あくまでも彼女の世界で機能するものであり、別の世界でもその世界においては機能することが判明したが、機能は変わらない。彼女が元いた世界を含め、他の世界に影響を与えることはできないのだ。

「木立ちゃんを守るだけなら、彼女の傍にいればいいけど……」

 敵の目的が木立であれば、それでいい。だがそうではないのはもうわかっている。

 ということで、考えたクロリアは、この世界の頭脳を頼ることにした。

「奏水くんの大事な木立ちゃんを守るために、あなたの頭脳を貸して!」

「見返りは、その心霊デバイスの力でいいな?」

「うん。二人で木立ちゃんを守るの」

 声をかけたのは弦楽奏水――あらゆる事件の犯人を声優とする名探偵である。

「僕は木立を守りたいわけではないが、敵の目的がこの世界となれば、放っておくつもりはない」

「奏水くんも何かしてるよね。わかってるよ」

 ちなみに奏水は一人で入浴中である。頭を洗い終えたところで、クロリアが唐突に声をかけてきたのだ。

「わかっているなら、なぜ今……と言いたいところだが。まあいい。森林公園での出来事から、戦った相手は僕の知人の可能性が高い。しかし、僕一人で踏み込むのは危険だから、核心に触れることはできないでいる」

 あのあと、木立、シルフィム、もちろんクロリアからも奏水は情報を聞き出していた。三人の情報を統合して推理を進めて、ほぼ間違いないところまで特定はできたのだ。

「木立ちゃんはしてたよ? 私も見てたけど」

「それはウマかもしれない候補だろう? 僕が相手にするのは、ウシとトラだ。ネ、ウシ、トラ、順番からするとウシとトラが同時に襲ってきてもおかしくはない」

「そっか。だとしたら、私一人じゃ危ないね」

 奏水がそう考えたのは、木立が奈北に問いかける前である。そして、奈北に問いかけた話を木立から聞いて、その推理は間違っていなかったと確信を得たのだ。

 もちろん、問答無用で戦いを受けた立つのも考えた。だが、相手は得体の知れない干支の力を持つ存在だ。十二支が全ているのだとしたら、いくらシルフィムやリリが戦いに躊躇はなくとも、勝てるとは限らない。

「干支――干支世界と言った方がいいか」

「彼らの本体がいる世界。だね」

 木立の話から、ウマまでは既にこの世界にいて、もしかするとそれより先まで揃っているかもしれない。別の考えをすれば、揃ったからこそ、行動に移したとも考えられる。

「それで、誰と一緒に行くの? シルフィムちゃんとリリちゃん――もしかして二人とも?」

「僕は戦いにいくわけではない。二人を連れたらすぐに戦いたがるだろう。だから、気乗りはしないが、フニメフアとデートをしよう」

 危険を承知でついてきてくれるかどうかなど考えるまでもない。奏水がついてこいと言えば、フニメフアは必ずついてくる。もはや外れることのない、確実な予測だ。

 そこで、奏水は早速フニメフアに声をかけることにしたのだが、彼女から返ってきた答えには予想外のものが混じっていた。

「フニメフア」

「いいよ、奏水の頼みならついていこう。話は聞いていたからね。ただ、私としてはリリにもサポートを頼むのをおすすめするよ。あいにく、私は戦いがあまり得意ではなくてね。奏水以外の人質でもとられようものなら、お手上げさ。

 君は、他を見捨ててもいいとは言わないだろう。私一人では迅速な連絡ができないが、クロリアがいればそれも可能じゃないかい?」

「そうか。わかった。そうしよう」

 フニメフアの戦闘能力までは、奏水も詳しく把握しているわけではない。だが本人がそう言うのであれば、それに従うのが正しいことはわかっている。彼女が愛する者を――奏水を守るために最善の方法を提示するのは、当然のことなのだ。

 クロリアが木立を優先して守るように、フニメフアも奏水を優先して守る。二人の目的こそ違えど、守るための思考という点では変わりがないのである。

   探偵の視点

 土曜日の都宮高校に、僕たち一行は向かっていた。クロリアに声をかけられてから数日、学校に目的の人物がいて、他の生徒の数が少ない日に、僕たちは行動を起こす。

 グラウンドには野球部の声が響くだけで、他の生徒の姿は自主練する運動部の生徒がまばらに見られるのみで、数は少ない。多くの一般市立高校と同じように、都宮高校も設備が充実した高校ではないため、多くの部活が同時にグラウンドを利用できるほどの広さはないのだ。

 今日の目的地は校舎の中にあるから、グラウンドは軽く眺めるだけで、僕たちはまっすぐに校舎の中へと入っていく。玄関や廊下には生徒の数も少ないから、リリとフニメフアが一緒にいても、興味を持って見られることはない。校舎内にいるほとんどの生徒は部室にいて、教師も顧問は部室に、それ以外は職員室にいることだろう。

「おや、君たちは……ふむ」

 だが、廊下を歩き始めたところで、たまたま一人の教師に出くわしてしまった。

「君はこの学校の生徒だから構わないが、女の子を三人も連れて何をする気だい? 揉め事を起こさないなら、僕は関与しないが、風紀委員には気を付けることだ」

 歴史教師の龍炎三葉先生は、それだけ言うとさっさと廊下を歩いていってしまった。僕たちの挨拶を聞く時間もない――聞いたら見逃したことにならないと判断してか、軽く手を振るだけで、僕も同じように手を振り返すことしかしなかった。

 先生にも聞いておくべきことがあったが、もう一人から直接聞けばいい。証拠のない先生にははぐらかされる可能性もあるが、彼には証拠が揃っているのだ。

「あれが学校の先生というものですか。意外と隙がないものですわね」

 目的地までの廊下を歩く途中、リリがそう言った。

「それは勘か?」

「直感ですわ。この世界の一般の方と比べたら、ですけれど。テレビで見たスポーツ選手と同じくらいに隙がありませんわ。ですから、少し様子を見て話しましたの」

 廊下は声が響きやすいわけではないが、リリは声以外の何かも気にしていたようだ。龍炎先生と出会ったのは三十秒は前のこと、僕たちも先生も別方向に歩いているのだから、風のない校舎内では通常声が届かない距離だ。

「そうか。フニメフアはどうだ?」

 もう一人にも尋ねてみる。僕たちの頭上に浮いているクロリアは姿を隠しているので、意識はせずに話を進める。別に透明になっているわけではないが、心霊デバイスを使い普通の人間には認識しにくいような状態になっているらしい。

「気になるかい? 安心するといい、私が好きなのは奏水だけさ。この世界で初めて出会った君との運命は誰であろうと切れやしないよ。もしそれでも不安なら、そうだね、ここで少し確かめさせてあげようか?」

「風紀委員に見つかったら面倒だ。遠慮しておこう」

「それは残念だね。ああ、もしものときは私が奏水を守るから、そちらも心配しないでいるといいよ。確かに彼は手練れかもしれないけれど、リリもいるからね。君を守りながら撃退する準備はしているさ」

「それならいい。僕も探偵として、自力でどうにかしたいところだが……」

 それが難しい相手であることは、先達ての戦いで重々理解している。探偵としての役割は頭脳だけにして、戦いは彼女たちに任せる。それが犯人の捕縛を確実にする方法だ。

 無論、その前に説得できればいいが、それも一筋縄ではいかないだろう。何しろ、これまでも敵は僕たちに迷わず攻撃を仕掛けてきたのだ。侵略者に対して対話でどうにかしようとするのは、あまりにも危険すぎる。対話での解決を望むにしても、まず相手の力を挫き、対等な相手であることを証明する必要があるのだ。

 歩き続けて、僕たちは目的の部室の前に到着する。

 報道部と書かれたプレートを横目に、僕は扉をノックして、中からの返事を待って扉を開けて、部室に足を踏み入れる。

「どうした? 今日は休みだろう?」

「ああ、その方が人次も都合がいいかと思ってな」

「ふむ……」

 いつもの調子で声をかけてくる人次に、僕もいつもの調子で返す。彼も僕が来た理由を察しているだろうが、ひとまず、正体を調べに尋ねて来たら問答無用で襲って始末する、といった野蛮な行動はとらないらしい。

「うっし。まあ入れよ。俺はただの高校生。何もないさ」

「みたいだな。で、素直に話してくれるのか?」

「ははっ! それとこれとは話が別だろ? ま、そうだな、俺から言えることは一つだ。俺たちの間でも順番ってものがあってな。負けたら次に譲るって、俺たちの間では取り決めがあるんだ」

 人次は大きな声で笑って、僕の後ろにいるリリたちを見ながらそう言った。

「俺たち、か。十二人での話か?」

「さあな。俺たちは俺たちだよ」

 そこにどれだけの人数が含まれるのか、答える気はないようだ。

「ああ、あとそうだな。伝言も預かってるぜ。今日は校庭にトラが現れる。一般の生徒は襲わないと思うが、襲う相手もいる。気を付けてこい、だとさ」

「近くに動物園はないぞ?」

「野生じゃないか? ま、ここでやろうってんだ、俺やネズミみたいに、そのままの姿で揉め事は起こせないんだろうさ」

「面倒なものだな」

「けど、気を付けろってのは本当だぜ。――その方が、俺たちは強い」

 最後の一言だけ、いつもの人次とは違った様子で。彼はそれだけ言うと、もうこれ以上は言うことがないと言うかのように手元の資料に視線を落とした。

「わかった。まあ、何とかなる……か?」

 視線を送ってみるが、リリは優しく微笑むだけで、フニメフアはウィンクを返してきた。クロリアのいるあたりにも視線を向けてみると、ぼんやり姿を現して、小首を傾げる彼女の姿が見えた。

 シルフィムがいたら、自信満々に笑顔を見せてくれたのだろうが……まあ、問題はないはずだ。リリの実力はシルフィムも認めていたし、フニメフアが自ら提案してきたサポートなのだから。

 僕は依然資料に目を通している人次に声はかけずに、そっと部室の扉を閉めて外に出た。ああして集中しているときには、静かに出てくれると助かる――かつて、人次に言われたことをそのままに、彼からの文句もなく、やはり人次は変わらず人次なのだと理解する。

 廊下を抜けて、僕たちは一旦校庭から少し離れた校舎の横に集まって、話をしておくことにした。窓から眺めてもトラが待ち構えている様子はなかったから、おそらく僕たちが校庭に現れることで、どこからともなくトラが迷い込んでくるのだろう。

「リリ、作戦は?」

 今回の戦いの中心戦力はリリだ。フニメフアは僕がいなければ別だが、僕がいる限り僕を守ることを最優先にする。同じく木立を守るのを最優先するクロリアは、木立がいないから守りに集中することはないが、心霊デバイスによる物質への干渉は正面からの戦いには向かない。

「全力で真っ向勝負、と言いたいところですが、どうしましょうか。この学校を全壊させる程度ならまだしも、奏水の家まで壊れては困りますし……」

「学校も壊さない方向で頼む」

「……校庭には被害は出ますわ」

 少し考えてから、リリは小さく笑って答えた。

「それは相手が指定してきた場所だ。責任は彼にとってもらおう」

 そこまで壊すなと言うなら、別の場所を指定するはずだ。そもそも、相手が壊すかもしれない。野球のフェンスやサッカーゴールが巻き添えに遭うくらいは問題ないだろう。

「それで?」

「本来作戦を立てるのは私の役目ではありませんが、苦手というわけではありません。相手はトラ、俊敏で強靱な獣――と推定するなら、簡単ですわ。けれど、他の可能性も考えておきましょう」

 リリの魔法は強力だ。しかし、この世界においては――きっと彼女の世界においても――

強力すぎる、地形を変えてしまうほどの強力な魔法だ。それを全力で、被害を気にせずに使えるのなら、リリには苦もなく勝てる自信があるだろう。

「まず、奏水の守りはフニメフアに任せますわ。敵の攻撃だけでなく、私の魔法もありますから、影響範囲から彼を遠ざけてください」

「了解だ。ああ、確か校庭の傍には体育館があって、体育館裏といえば色々と楽しめる場所だと聞いたが、戦いの中でこっそりと愛を確かめ合うのも楽しそうだね」

「そんな余裕があるなら好きにしていいですわ。次にクロリアですが、私の魔法が周囲に被害を与えないように、防衛してください。敵も人払いはしているでしょうが、敵の想像より広範囲に私の魔法が届く可能性はありますわ」

「いいよ。でも、それじゃあ……」

 僕が口を挟む間もなく、リリは作戦を伝えていく。

「ええ。シルフィムも一人で倒したのでしょう? なら、私も一人でやりましょう。その方が、今の私の出せる力を確かめることもできますわ」

「作戦としてはひどく単純なものだな」

「相手の策もわかりませんもの。けれど、千変万化の私の魔法は負けませんわ。それが、魔法というものなのですから」

「ふむ……」

「相手が魔法使いなら、少々手強いかもしれませんけれど」

 そう言うと、リリは笑顔で肩をすくめてみせた。僕も彼女の魔法の全てを、ほんの一部さえも知らないかもしれない。彼女が全力を出せないこの世界で、彼女の全力を目にすることはできないし、全力ではない力もどこまで抑えているのかわからないのだ。

 僕たちは並んで校庭に出る。どこから敵が現れるのか、警戒しつつの移動だったが、僕らが階段を降りて校庭に出た頃には、それは遠くの野球フェンスの上に立っていた。

 遠目にもわかる、四足歩行の大きなトラ。遠目にも大きいとわかるほどの、この世界のトラとは思えないほどの巨大なトラである。

「やっと来たな。校庭に紛れ込んだ危険な猛獣――トラブルは大歓迎だ」

「揉め事は起こさないで、じゃなかったのか?」

 聞き覚えのある相手の声は聞こえるが、こちらの声は届かないだろう。そう思って呟いた言葉に、大きなトラは大きく吠えて――笑って?――応えた。

「さあ? 誰の言葉だ? 俺は知らないなあ」

 巨体の声はよく届くだけではなく、耳も相当いいらしい。あの様子だと、小声で作戦を伝えようものなら、筒抜けになってしまうだろう。

 大きなトラは野球フェンスの上に後ろ脚を乗せてはいるが、前脚は空中に浮いている。後ろも距離があるから乗っているように見えるだけで、実際は乗っていないのかもしれない。

「――さ、お話はここまでだ。食うか食われるか、トラブルタイムだ!」

 再び大きく吠えて、巨体が跳躍する。

 急降下。着地する先は、校庭の真ん中。

 前に少し跳んで、斜めに降下しただけであれだけの距離を移動する、あれだけの巨体にはこの校庭でさえも狭いフィールドらしい。

「ふふ。相手ももっと広い場所が得意かもしれませんわね。そういう相手なら、私も派手に魔法が使えますわ!」

 呼応するように。リリも楽しそうに声を広く響かせて、戦いが始まった。

 戦意を見せたリリ目がけて、トラは巨体を震わせて、真っ直ぐに突進する。一歩一歩が大きく、速く、魔法使いであるリリのことを知っていて、接近戦を仕掛ける動きだ。

 対するリリは動じることなく、目の前に大きな炎の竜巻を生み出して迎撃する。勢いからそのまま直進して突き抜けるかと思われたが、発生した直後にその威力を察知したのか、走路を斜めに変えて炎の竜巻をかわすように動いた。

 炎の竜巻は壁のようにトラとリリを分断しているが、両側面は隙だらけだ。しかしトラが避けた方向は左側、あのまま走り抜けて迂回すればリリの右側にしか出ることはできない。

「あら、慎重ですわね」

 校庭の端を回って駆け抜けるように、トラはリリへは向かわず背を向けて後退していく。あのまま中央に戻れば、左右のどちらからもリリに攻め込むことができる。炎の竜巻の持続時間はわからないが、先程見せた跳躍力なら、助走を計算して上から飛び込むことも可能かもしれない。

「面白いですわ。けれど……少し、見くびりすぎですわね」

 慎重ではなく、見くびると。リリは笑顔で小さく肩をすくめて、余裕の態度をとる。

「それは、どっちだろうな!」

 校庭の中央に戻ったトラは、咆哮を上げて衝撃波を飛ばす。巨体から繰り出される衝撃波は、リリとトラを分断していた炎の竜巻を一瞬でかき消してしまった。

 だが、それと同時に、別の魔法をリリは展開していた。

 鋭く大きな氷の槍――それは上から降ってきた。

 敵も次の攻撃には警戒して、左右に注意を払い、後方にも警戒はしているようだった。上空にも警戒はしていたはずだが、それは上空どころではない、高空から落ちてきたのだ。

 近くで見ていた僕が気付けたのは、僕を守るように隣に立っていたフニメフアが視線を空に向けたからだった。一言添えられたのは、「大きいよ」の言葉だけ。これ以上前に出ないようにと、僕の腰に軽く手を回しながら。

 どさくさ紛れに……と思ったが、落ちてくるそれの速度と質量を見て、確かに彼女は僕を守るために万全の対策をとっていたのだと知る。

「とんでもない魔法を――けどなあ!」

 トラは巨体を震わせて、落ちてくる氷の槍に硬く鋭い爪をぶつける。逸らすことも砕くこともできないが、その一瞬の隙を利用して、後ろ脚を地面に叩きつけて、上に跳躍する。

「あら。最初は、防げたみたいですわね」

 跳躍はできずとも、その勢いによって砕かれた氷の槍を見ながら、リリは優雅に微笑んでいた。それはまるで、勝利を確信したかのような表情で、同時に、少し心配そうな表情も混ざっていた。

「この魔法は少々ばらつきが大きいので、本来はもっと広い土地に降らせるものですが――五本くらいなら、狂いはないでしょう」

 高空から続けて落ちてくる、四本の氷の槍。大きく狙いも正確で、先程のように防ごうとしても、一本を砕く前に残りの三本がトラの巨体を押し込み、潰すだろう。

「は、ははっ――トラブルは、大歓迎だ!」

 今度は跳躍する時間がある。トラは巨体を震わせ、高く上に跳躍しながら牙を立てて氷の槍にぶつかっていく。二本、三本、四本と連なる槍の勢いにも簡単には負けないが、やはり本数が増えるごとにその巨体は地面に近づいていく。

 そしてもちろん、高空に魔法を生み出してから、リリが黙って見ているだけなはずはなかった。巨体が落ちる地面の上に、先程砕かれた氷の破片を含んだ、炎と氷の竜巻を起こしていたのだ。

 炎の中から、襲いかかる鋭い氷の破片。本来ならどちらかが弱まるか、相殺されるであろう二つの力も、リリの魔法は制御していた。

「ぐぅっ……ここまで、とは……うおおぉぉっ!」

 背後からの攻撃に力を削がれ、トラは巨体を地面に落とし、そこに氷の槍が突き刺さる。そのまま巨体は氷が砕けるように散っていき、あとに残されたのは意識を失って倒れ伏す一人の教師の体だけだった。

「消し飛ばさないのか?」

「ええ、私は勝てばいいのです。シルフィムとは違いますわ」

 それにしても、随分と派手な勝ち方だと思ったが、リリは自身の魔法の出来に満足そうだった。

 最後の一撃はもっと小さな魔法でも、力を削り勝つには十分だっただろう。あえて大規模な魔法でとどめを刺したのは、彼女がどれだけの魔法を使えるのかを試したに他ならない。

「ま、消し飛んだらそれはそれで、と思っていましたが……意外と、しぶといですわね」

 それは相手の能力が想像以上に高かったからなのか、リリがこの世界での魔法をまだ操りきれていないからなのか、その答えはリリの口から聞けることはなかった。

   一段落

   敵の蠢き

「あいつら、一体何者ね!」

 小柄なネズミが吠えた。

「手強い相手は楽しいが、一人じゃないのは厄介だな」

 大柄なウシが唸った。

「揉め事でもトラブルでもない、大きな障害は歓迎はしないな」

 痩身のトラが嘆息した。

「ふん。でも、ワタシたちもこれで終わりじゃないね」

「そうだな。ウサギを呼んでもいいが……」

「僕たちの順番は終わりじゃない。獲物は渡したくないな」

 三人はそれぞれ人型で、同じ場所に集っている。だがその空間はこの世界にあるものではなく、彼らの世界である干支世界と繋がった、二つの世界が重なる狭間のような空間であった。 彼らにはリーダーはいない。

 順番の取り決めも、曖昧なものだった。なぜなら、彼らの力を持ってすれば、最初のネズミだけでも大きく侵略が進み、十二支の全てが出て来るまでもなく、この世界は簡単に支配下に置けるはずだったから。

 もしもそういうことがあれば、犠牲を厭わない攻勢で破れるようなことがあれば、順番に出ることにしよう――その程度の、浅い取り決めだったのだ。

「主力はわかったね。あの二人をどうにかすれば、ワタシたちの勝ちね」

「俺たちもコンビネーションに自信はないが、ま、何とかなるだろ」

「ああ、やるとしよう。それでも無理なら……」

 ネズミとウシとトラは話し合った。作戦というには複雑でもない簡単なもの。けれど、個々の力が高い彼らにとっては、それでも十分なものであった。

 暗く明るい不思議な空間で、彼らは次の戦いに備えている。


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