駆け抜けせくすてっと

本編


第四話 柔らかな枕と一緒

  ――鯉が空を泳ぎはじめる季節に(執筆者 宮内沙由)

 今日は一人で昼寝の時間を満喫しよう。そうして机に突っ伏して寝ようと思った矢先、それを阻む声が届いた。透き通るような美しい声なので子守唄にも良さそうだ。

「……何してんの?」

「昼寝。邪魔しないで」

 聞き覚えのある声だ。誰だろう、と考えるまでもない相手。だから私は確認する手間を省き、短い言葉で質問に答える。

「そう。じゃあ自分の席でお願い」

「やだ。眠い」

 答えに帰ってきたのは呆れたため息。無理やりどけさせられることはないだろうけど、ちゃんとした対応をしないとまた質問されるだろう。だから私は簡単な解決方法を提案する。

「寝たら運んで。じゃあおやすみ」

「……理由、お願い」

 提案は無言で却下された。同年代の女の子一人に運んで、というのは確かに無理があったかもしれない。どうせこうなるならさっさと理由を答えた方が楽だった。今度からはすぐに説明することにしよう。

「階段からはこの教室の方が近かった。そこの男子に聞いたらここが胡桃の席だってわかった。だからここで寝ることにした。我ながら完璧な三段論法」

 私が説明すると、先ほどから私の安眠をことごとく阻んできた少女――夕坂胡桃は無言で私ごと椅子を引っ張った。引きずられて落ちそうになったので仕方なく私は起きることにする。

「……それができるなら運んでほしかった」

「なんで私がそこまでしなきゃいけないの?」

「……友達?」

「否定はしないけど、そこまでする理由にはならない」

 受け答えしながらバランスをとり、胡桃の方に向き直す。長い髪にスレンダーな体型。これだけだと私と大差ないが、胸やらお尻やら出るところは私よりもちゃんと出ている。嫉妬はしないが、あれを枕にしたらよく眠れることはわかっている。

「机がだめならそこで寝ていい?」

「制服の上からでいいなら。硬いよ?」

「脱げばいい」

「あのね、ここには男子もいるんだけど」

 教室を見回すと、先ほど聞いた男子一人の他に、もう二人。男子と女子が一人ずついる。胡桃を含めて計四人。私たちの隣の教室、二年二組の昼休みはいつもこんな光景だ。

 その原因は間違いなく彼女、夕坂胡桃にあることは去年同じクラスだった私には考えるまでもなくわかることだ。去年は私、文月、胡桃と三人だけの昼休みがいつもの光景だったのだから、今回も似たようなことになっているのだろう。

「今年は一人多いね」

「そうね」

「うん、それじゃ脱がすね」

 私はさりげなく胡桃の制服に手をかけ、ボタンを外そうとする。しかし、第一ボタンを外したところで作業は止められた。

「やめなさい」

「恥ずかしい?」

「何を当たり前……あー、そうね、沙由と違って私は恥ずかしいの」

「去年は寝させてくれたのに……あの胡桃が男を知っていたなんて」

「誤解を招くような発言はやめてくれる? 確かにやったことはあったけど、私の家とか沙由の家とか他に人がいない所だけ。学校ではやってない」

「わかった。それじゃ、教室に戻る代わりに、今日は胡桃の家で使わせて」

 胡桃は小さくため息をついたあと、それだけでいいんだったらと了承してくれた。それから、一つの疑問を口にする。

「でも、いいの? えっと、土岐くんだっけ? 他にも同じクラスの友達がいるでしょ? あと、後輩の子といる姿も見かけるし……その人たちとは一緒にいないの?」

「いたら昼寝するためにここまで来ない。朱通は珍しく風邪、優弥は吹奏楽部、文月は面白そうだからその見学、後輩二人――瑠美奈と一羽はスーパー特売があるから早く帰るって。ついでに、両親も結婚記念日で旅行中。だからついでに夕飯とお風呂と布団と着替えも用意してくれると楽でいいんだけど」

「……いつまでいる気よ。まあ、お父さんやお母さんも沙由なら慣れてるだろうし、泊まること自体は大丈夫だと思うけど、着替えくらいは自分で用意しなさい」

「下着だけでいいよね?」

 胸やお尻のサイズは違うものの、身長差は去年と変わってないから、パジャマは胡桃のを借りられるはずだ。面倒だから制服はそのまま着ていけばいいだろう。

「ええ。どうせ他のを頼んでも答えはわかりきってるし、それだけでいいよ」

「ありがと。それじゃ、放課後」

「ん、じゃーね」

 長話をしていたわけではないが、昼食を食べた後の昼休みはそんなに長くはない。私が憎みの教室を出て、一組の教室に戻ってすぐに昼休みの終了を知らせるチャイムが流れた。

 ともかく、そんなこんなで今日は胡桃の家に泊まることになった。二年生になってからこういうことをするのは初めてだから、久しぶりにあの最高の寝心地を楽しめるとなると今から楽しみだ。

 もっとも、当初は泊まることまで考えてはいなくて、今夜の献立も考えてはいたのだけど、教室の様子を見て聞きたいことができたから予定を変更することにした。

 話をしながらこっそり様子を確かめてみたけど、誤解を生みそうな会話に対しても平然としていたあの三人。一人は昼寝していただけかもしれないけど、それでも胡桃とどんな関係なのか気になる。面倒だからじっくり聞くつもりはないけれど、少しくらいは聞いておくことにしよう。

 授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

 いつもならこの後、朱通や文月、優弥と合流するのだけど、今日は三人ともいないのですぐに仕度を整えて廊下へ出る。隣の二組へ移動する前、ふと反対側に目をやると階段を駆け下りる後輩二人の姿が見えた。

 廊下を走るなとはよく聞くけれど、階段を駆け下りるなとは一度も聞いたことがない。教師や風紀委員はそのあたりどう考えているのだろう。階段も廊下の一部に含まれるのだろうか。

 そんなどうでもいいことを考えていると、二組の教室から胡桃が出てきた。しかし、出てきたのは胡桃一人ではなく、昼休みに見かけた三人と一緒だった。なので、私は少し離れて様子を見ることにした。

 帰宅時ということもあって、他の生徒も多くいるため会話はよく聞こえないが、口が動いているから何か話をしているのは間違いない。背の低い女子が何かを話して少しして、彼女と背の高い男子が手を振って帰っていった。残りは胡桃ともう一人の男子。昼休みに胡桃の席がどこか聞いた男子だ。

 今度口を動かしたのは胡桃。男子は頷いて帰っていく。それから胡桃はさっとあたりを見渡して、すぐに私の方へ向かってきた。

「お待たせ。じゃあ行こうか……と言いたいところだけど、ちょっと待ってくれる?」

「さっきの彼、罠仕掛け中?」

「罠、じゃないけど、栗本とは帰る方向が同じだから」

「それに?」

 名前ではなく名字で呼ぶ間柄ということから、答えは何となく予想できるけど、念のため聞いてみることにする。可能性は低くても、別の理由で先に帰ってもらったというなら、ちょっと問い詰めることにしよう。

 胡桃は言わなきゃだめ? と目で合図をする。私が小さく頷いてそれに答えると、胡桃は仕方なさそうに軽く息をついてから言葉を続けた。

「それに、沙由と一緒になるのも久しぶりだしね。二人きりの方が話しやすいでしょ?」

「私は別に……んー、でも確かに、二人の方が楽かな」

 栗本という彼のことも含めて何か聞くことを考えると、二人の方が都合は良さそうだ。私としては直接本人に問い質してもいいんだけど、そうすると胡桃と話す時間がなくなってしまう。私としても胡桃と二人になるのは久しぶりだから、嬉しいし。

「……そろそろいいかな。じゃ、帰ろっか」

「ん」

 会話をしていた時間はたぶん数分程度。バスや電車通学ならもっと待つ必要があるけど、胡桃の家のある方向に通う生徒は徒歩か自転車通学だから、それだけ待てば充分だろう。寄り道でもしていれば話は別だけど、胡桃も注意したはずだから心配は無用。

 そうして私と胡桃は帰路についた。帰り道ではちょっと雑談してから彼らのことを聞こうと思っていたけど、久しぶりということもあって思ったより話が弾んでその暇はなかった。

 とはいえ、雑談の内容は主に、二年生になってどんなことがあったか、というものだったので聞かなくても少しの情報は得られたけれど。とりあえず、今わかったのは彼らの名前。さっきの彼は栗本松弥。小さな女子は橋羽雪野。長身の男子は雨宮静海というらしい。

 仲良くなった、というにはまだ早いみたいだけど、色々あって一緒にいる事が多くなったそうだ。ちなみに、栗本松弥は一度だけ胡桃の胸に顔を埋めた事があるのだとか。故意ではなく事故みたいだけど、私の他にもそんなことをする人がいるなんて思わなかった。

 彼が寝心地の良さを理解したらライバルになるかもしれない。でも、胡桃が男子にそんなことを許すとは到底思えないから、彼と胡桃が恋愛関係にでも発展しない限りは心配する必要もないだろう。

「ただいま」

「お邪魔します」

 胡桃の家は前と変わりなかった。胡桃のお母さんも髪形がほんの少し変わった程度。数か月ぶりだから当たり前だけど、それでも何となく安心感がある。胡桃の部屋も少し物が増えただけで、それ以外に変化はないようだ。

 部屋をざっと眺めたあと、胡桃をじっと見つめる。彼らのことも少しはわかったことだし、あとは胡桃の柔らかい胸に顔を埋めてすやすやと眠るだけだ。

「……見つめられると困るんだけど」

「見ない方が早い?」

 胡桃は無言で頷いた。二年生になっても着替えを見られるのは恥ずかしいらしい。もっとも、今なら大丈夫と思っていたわけではないので、私は胡桃に背を向けて衣擦れの音を聞くことにした。

 男の子だったり、そういう趣味のある女の子ならこれだけでも興奮するのかな、面倒だから着替え中に寝ようとしたら怒られるかな、などとどうでもいいことを考えていると、胡桃が合図を送ってくれたので振り返る。

 胡桃の私服は部屋着ということもあってか、ラフで薄めの生地の服だった。夏にはまだ早いので露出は控えめだが、もともと胡桃は胸の露出は好まないので特に問題はない。

「ねえ、胡桃」

 私は胡桃の服装と柔らかさから寝心地を想定しつつ、定番の頼みごとをする。今まで一度も許可されたことはないけれど、二年生になったんだし心境の変化もあるかもしれない。頼んでみて損はないだろう。

「直接寝ちゃだめ?」

「だめ」

「そっか。ならいいや」

 ブラや服の上からでもあれだけ柔らかくて寝心地がいいのだから、一度は試したいものだけど今回もだめだった。けれど機会はまだまだあるから、急ぐことはない。

「……で、すぐ寝る?」

「うん」

「そう、わかった」

 いつもなら何か話さないのとか、何もしないのとか、ちょっとした文句を言われるけれど、今回は泊まりで時間があるためか、胡桃はあっさり許して手招きしてくれた。私はそれに誘われるように胡桃の胸に優しく飛び込む。

 久しぶりの柔らかい胸に包まれる感触はとても心地よかった。力が抜けてもずり落ちないように、胡桃が私の背中に手を回したのを確認して、私は目を瞑る。心地よさから眠気はすぐに訪れて、一分と経たずに私は眠りに落ちていった。

 しばらくして、かすかに光を感じて目を覚ます。明かりをつけていない部屋には、夕日の陽射しが差し込んでいた。身体はいつの間にかずり落ちていて、胸枕が膝枕になっていた。身体を起こすのは面倒なので転がって上を見ると、静かに寝息を立てる胡桃の顔があった。

 こういう状況はいつものこと、ではなくかなり珍しいことだ。以前、似たような状況になったのは、体育祭で疲れていたときだけ。体育の授業で疲れたときも、うとうとしている姿を見かけることはたまにあったけど、眠っていたのはただの一度きりだ。

 何かあったのは間違いないと思う。でも、せっかく熟睡――かどうかはわからないけど、心地よさそうに眠っている胡桃を起こしてまで聞くのは気が引ける。それに、胡桃は眠ったらなかなか起きないので、熟睡しているとしたら起こすこと自体が面倒だ。

 もっとも、その気になれば簡単に起こす手段はいくらでもあるけど、その場合は胡桃からの反撃がある。同じことを倍返しにされるのだから、私がやられても困らない手段を使っているけれど、今はそこまでして起こす必要はないのでやめておこう。

 そんなことを一通り考えてから、私は再び目を瞑る。眠気は覚めてしまったのでまた寝るつもりはないけど、このまま起きるのも面倒だし、膝枕もそれなりに心地がいい。それに、そろそろ夕食の時間だから、胡桃のお母さんが起こしに来るだろう。

 とはいえ、こんな心地いい場所でずっと目を瞑っていたら、眠気が再び訪れるかもしれないので、たまに目を開けて胡桃の寝顔を眺めながら時間が過ぎるのを待つ。

 そうして三十分くらい経った頃、階段を登る音が聞こえた。その音に気付いたのか、胡桃もゆっくりと目を覚ます。そしてふと下を見て、じっと見つめていた私と目が合った。

「……沙由、起きてたんだ」

 普段よりも弱々しい声。原因はわかっているから、私はあえてそれを口にする。

「うん。何度みても可愛い寝顔」

「はいはい、お世辞はいいからご飯だよ。起きて」

「ん」

 言われて私は身体を起こす。そう言った胡桃は平静を装っているようで、頬をほんのり朱に染めて私に目を合わせないようにしている。こういう姿が見られるのは明日の朝だと思っていたので、これだけ早く見られたのは幸運だ。

「ねえ、明日の朝も眺めていい?」

「だめ」

 胡桃がそう言うときは毎回私より早く起きるので、多分見られないだろう。それでもまた一頼めば承諾してくれる事もあるので、口を開こうとしたときノックの音が響いた。

 夕食の時間を知らせに来たお母さんに、胡桃はすぐに行くと答える。言葉通りにすぐさま立ち上がり、私が動くのを促す。どうやらこれ以上私に何かを言わせる気はないらしい。私はあきらめて、胡桃と一緒に階段を降りていった。

 夕食を終え、お風呂に入ったり、遊んだり、話をしたりしていたら、あっという間に時間は過ぎて就寝時間になった。一つしかないベッドには枕が二つ並んでいる。

「一個でいいのに」

「だめ」

 即答された。最初のうちは、私は胡桃を抱き枕にして寝るから、とまで言わせてくれたけど、気がついたら最初の一言で断られるようになっていた。まあ、原因は私がたまにフェイントをかけて聞いたからなんだけど。

 ベッドのサイズは大きくはないものの、胡桃も私も横幅は大きくないし、寝増も良いので差し支えはない。密着するというのは何か問題が起きるかもしれないけど、女同士だからその心配はない。

 まあ、私としては女同士で、というのに興味がないわけではないけれど、そういうのがしてみたいというのではなく、そういうことをしても別に気にしない、というだけだから私から何かをする気はない。

「おやすみ」

「ん、おやすみ」

 それを合図に、私たちは並んだ枕で一緒に眠る。フリルつきの枕はそれなりにいい枕でなかなか寝心地はいい。けれど、やっぱり胡桃の枕の方が格段に寝心地が良かった。それくらいじゃないと、一分も経たずに眠ることはできない。とはいえ、私は寝つきが早い方なので、それでも二、三分もあれば眠れるだろう。

 それまでの間、暗くて見えにくいけれど、ちょっとだけでも胡桃の寝顔を眺めることにする。胡桃は起きるのは遅いけれど、眠るのは物凄く早いので、それが可能なのだ。

「やっぱり可愛い」

 そう呟いたところで、眠気が訪れたので仰向けになり目を瞑る。そして、数秒と経たずに私も眠りに落ちていった。

      ***

 ――もう一つの関係。それはもう一つの物語への最初の布石。


第三話 吹奏楽合唱へ
第五話 放課後延長戦へ

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