カゲカケラ

第一部 特別を目に、特別を翼に

第一話 影の欠片


 影は世界を呑み込み、世界を影に染めた。それは前触れなく世界に現れ、一瞬で大地を、生命を、建物を――全てを影へと染めていった。最初に現れた影はいくつだったのか、大きかったのか小さかったのか、全てが影に呑み込まれた中、それを知る者は誰もいない。確かなことは一つだけ。世界を侵略する影が、どこかに現れたということ。

 その日、影は世界各地に散らばるように現れ、世界を呑み込んでいった。未知の力、圧倒的な力を持つ侵略者は、人の姿をとっていた。後に影の兵士と呼ばれる、人類が最初に戦った侵略者である。

 未知の侵略者に対し、人類は総力をあげて挑んだ。戦車に戦闘機、ミサイルといった最新鋭の現代兵器を、影の兵士たちは軽くあしらっていく。しかし、一つの地域に現れた影の兵士は一体だけ。圧倒的な物量の前には、侵略者も耐え切れなかった。倒れる影の兵士を見て、武器が通じると人々が喜んだのも束の間――影の兵士は自爆した。

 爆発とともに広がった影は、前線に配備されていた戦車や戦闘機、後方に配備されていたミサイル……それらを巻き込み、人類の持つ武器の大半を消し去ってしまった。

 世界を染める影は未だ消えてはいない。影に侵食されていく世界。

 そこに一人の英雄が現れて、影の兵士を追い払った――。

 それから十年。救世主となった英雄は姿を消し、緩やかに影は広がっていく。残されたのは英雄の知識、人類が影に対抗する唯一の武器。

 全てが影に呑まれた街や村で、影に染まらず生き残った少年少女たち。彼らは影に襲われる瞬間、影の欠片と融合して侵略を耐えることができた。未知の力の小さな欠片。かつての英雄はその力を使いこなし、影の兵士を打ち破ったという。

 彼らは訓練施設で英雄の残した知識を学び、影に立ち向かう力を得ようとしていた。十年という月日を費やしても、その力は未だ英雄には及ばない。しかし、何人かは高い力を持つまでに成長していた。

 そしてこの第二訓練施設に、三人の少年少女が集められた。訓練の最終段階。日本の各地に存在する第一訓練施設。そこで力を認められた、優れた三人である。

「みなさん、初めまして。私が第二訓練施設でみなさんのサポートをする、連崎睡蓮〈れんざきすいれん〉です。本部からの連絡及び、訓練内容の伝達、恋の相談に至るまで……なんでもお任せくださいね」

 高解像度のモニター越しに映る女性の声を、モニターの前に集まった三人が聞く。施設に入ってすぐ、エントランス正面の壁に備えられた大きなモニター。左右には廊下が続いて、第二訓練施設の各部屋へと繋がっている。

 世界の半分以上が影に呑み込まれた現在、従来の通信設備は機能しない。だが、逆に言えばそれだけ世界に影があるということ。影の欠片を持つ者が協力すれば、影を利用して新たな通信技術を生み出すことも難しくはなかった。

「ちなみにこのモニターは、今年できたばかりの最新鋭の機器なんですよ。その他にも、第二訓練施設では最新鋭の設備を取り揃えています。それだけの期待が、みなさんにかけられているのです。これからの最終訓練、がんばってくださいね」

 睡蓮は笑顔を見せて、軽く動き回りながら施設の説明をする。モニターに映るのは、彼女の全身と、彼女の私室と思しき小さな部屋。等身大の彼女の姿と、床から天井まで映された部屋を見ると、まるで二つが繋がっているかのような錯覚さえ覚えてしまう。

 左のロングサイドテールと、右のショートヘアーという髪型が印象的な、連崎睡蓮。可愛らしくも大人のお姉さんといった印象を与える顔立ちに、落ち着いた雰囲気の服装で、身長は一メートル七十センチ。その全身を、モニターは余すところなく映している。同様に集められた三人の姿も、モニターの周囲に複数備えられたカメラが映し撮る。

「さて、早速ですが自己紹介をお願いします。仲良くなるための第一歩、私もここで見守っていますね。あ、覗き見じゃないですよ。一応、これも役目ですから」

 にっこりとした睡蓮に促されて、三人の少年少女――一人の少年と、二人の少女――はモニターから視線を外し、互いの姿を改めて確認する。船に飛行機、それぞれの手段で彼らは第二訓練施設のある孤島に到着した。事前に渡された孤島の地図に従い、施設に着いたときに互いの姿は見ているが、すぐに施設に入るようにとの指示だったので軽く見合っただけだ。

「それじゃ、俺から始めてもいいかな?」

「うん」

「お好きにどうぞ」

 少年の声に、二人の少女が応える。二人の承諾に少年は一度頷いてから、言葉を続ける。

「俺は伏木緑〈ふしきみどり〉。影の欠片は〈特別〉だ。町が襲われたのは、かの英雄が現れたのと同じ頃だから、今年で十八になる」

 緑は名乗り、簡単な自己紹介をする。自信に満ちた表情で言葉を口にした彼は、冷静で優しそうな顔を微かに緩ませる。身長一メートル七十五センチ。髪はセミショートで、右胸についた小さい特別な装飾が目立つ服装に身を包んでいる。

「あ、ちなみにこれは自分で刺繍をしたんだ。やっぱり、新たな英雄を目指すなら目立つところがないとね。それに、第一訓練施設は退屈だからさ」

「あはは、訓練のためだから仕方ないけど、他の人たちとは会わせてもらえないもんね」

「ああ。たまに本部とやらから連絡はあったけど……あの声って、やっぱり」

「はい、緑くんの疑問はおいといて、次、お願いしますねー」

「ん。おっけー。じゃあ次はあたしがやるよ」

 睡蓮に促されて、少女が声をあげる。声からも元気の溢れる強気そうな顔をした、ショートツインテールの少女。ひらひらした羽のような服装は可愛らしいだけでなく、彼女の欠片を象徴するような服装でもある。背は三人の中では一番低い、一メートル六十六センチ。

「あたしは桜野水樹〈さくらのみずき〉。外で見えたと思うけど、影の欠片は〈翼〉だよ。村が呑み込まれちゃったのは九年前、十歳のときだから……今は十九歳になるね。これからよろしくね、二人とも!」

 笑顔を見せる水樹に、緑も笑顔を返す。残る一人の少女は表情を変えずに、小さく頷いてから口を開いた。

「剣峰織乃〈けんみねおりの〉。影の欠片は〈目〉よ。七年前に街が消されて、影を倒すためにここにいるわ。歳は十七。これでいい?」

 涼しく軽やかな服装に身を包んだ、鋭く輝くような端正な顔立ちの少女。一メートル七十一センチの身長に、セミロングストレートの艶やかな髪。織乃は最低限の自己紹介を済ませると、それ以上は口を開かなかった。

「影を倒す……英雄を目指すライバルか?」

「勘違いしないで。私は英雄なんてどうでもいい。私はただ、私の街を、大切なみんなを、全てを奪った影へ復讐したいだけ」

「そっか。方や英雄に、方や復讐……うーん、あたしだけ軽い気持ちだけど、大丈夫かな?」

 二人の会話を聞いて、水樹が呟く。緑と織乃の視線が自分に向くより早く、彼女は言葉を続けた。

「あたしはただ、力があるから使ってるだけ。影に呑み込まれたのに生き残って、そのまま一人は寂しかったから」

「でも、第一訓練施設を出られたのは、まぐれじゃないはずだよ。な、睡蓮さん?」

「もちろんです。現在、みなさんは日本における最も優れた三人。他国の状況は別として、その実力は私が保証します。一応、初めましてですけど、長い付き合いですから」

「じゃあ、やっぱり」

「はい。第一でみなさんに連絡をしたのも私ですよ。設備も整っていなかったので、わからないかと思ったんですが……鋭いですね」

「そんなことより、ここでの訓練内容を教えてくれる? 仕事して」

「緊張したみなさんを和ませるのも私の仕事ですよ」

「で?」

 織乃に鋭い目で睨まれて、睡蓮は抵抗するのを諦めたようだった。

「うう……わかりました。みなさんは第一訓練施設で、影の欠片の扱いを学びました。影の欠片の力を使い、影に干渉することで力を弱め、影を倒すことができる……ここまでは、理解していますね? しかしながら、みなさんが持つのは所詮欠片。たくさんの影の兵士を相手にするには非常に不利です。ですから、みなさんにはここで、影の融和を学んでもらいます」

「融和?」

「そうですね……みなさん、欠片で武器を作ることはできますね? 確か、織乃ちゃんは得意だったと思いますけど」

「ええ。作ればいいの?」

 影の欠片と融合した少年少女。彼らはそれぞれ固有の力を持つが、元々の影は一つ。ある程度なら共通して行えることも存在する。

「お願いします」

「はい」

 睡蓮に指示された瞬間に、織乃は右手に長い剣を生み出す。影の欠片から生み出される、影の武器、漆黒に輝く影の剣。

「では、緑くんはボールみたいなものを作って投げてください。水樹ちゃんは翼を」

「了解」

「うん」

 緑は手のひらに丸い影の球をゆっくり生み出して、織乃の方へ投げる。水樹は背中から大きく白い、煌めくような翼を生み出してみせる。孤島に降り立ったときに他の二人が見たものと同じ、大きな翼。彼女はこの影の翼で空を飛び、ここにやってきていた。

 三つとも、全て影の欠片から生み出されたもの。漆黒の剣に、ぼやけた影のようなボール、そして白い翼。生み出しているのは影ではなく、影の欠片の持つ力であるから、色や形などは欠片と融合した彼らの意思によって決まる。それ自体は特別に難しいことではなく、第一訓練施設での最初の訓練も似たようなものであった。

 難しいのは、その色や形に力を持たせて維持すること。形を模すだけでなく、影を倒す武器として扱うために。第一訓練施設で幾度となくこなした、基礎的な訓練。彼らの習熟度は相当なものである。

 放り投げられたボールを織乃の剣が斬ろうとする。その瞬間、三人の生み出した三つの力、影の欠片より生み出された力は、互いに干渉し合い消滅してしまった。

「……これは」

「……うそ」

「……なるほどね」

 それぞれ年数は違うが、彼らも十分な訓練を積んだ身。影の兵士と戦うため、他の影に干渉されても維持できるように力を高めたつもりだった。

「と、干渉するとこうなるので、融和が必要なんですね」

「ちょっと待ってくれ、今のが干渉なのか?」

「あたしたち、力を認められて呼ばれたんだよね? それなのに……」

「認められたからこそ、でしょ?」

 当惑する二人に対し、織乃だけが冷静に受け答えする。一人だけ理解を示した彼女に、睡蓮は微笑むだけで彼女に説明を任せる。

「私たちの力は同じくらいに強い。それらが干渉し合えば、こうなるのは当然。そしておそらく、このままでは影の兵士を相手にしても今と同じことが起こる……そういうことでいい?」

 織乃に視線を向けられて、睡蓮はゆっくりと頷いてみせた。

「その通りです。影の兵士を前に同じことが起これば、戦いになりませんね。みなさんは強いです。けれど、敵も常に一対一で戦ってくれはしないでしょう。影の兵士は影そのもの。彼らの力が干渉し合い、弱まることはありません」

「つまり、敵と同じことを俺たちも?」

「いいえ。みなさんが目指す融和は、それ以上のものです。みなさんがそれぞれ異なる力を使えるように、影の欠片と融合した人は影そのものとは異なる存在。それゆえに厳しい訓練を必要とするという欠点もありますが、利点もあります。複数の欠片を融和することで、飛躍的に力を高められるという大きな利点が。そうなれば、敵の干渉にも容易に耐えることができるんですよ。もっとも、確認されているのは二つの融和で、三つの融和は未確認ですが……理論的には同じはずです」

「確認されている……睡蓮さん、それってもしかして」

「はい。かの英雄は、二つの影の欠片と融合していました。だからこそ、たった一人で多くの影の兵士を追い払うことができたのです」

「英雄と同じか。なら、やらないわけにはいかないね。二つなら、できれば妹とやりたかったところだけど」

 優しい笑みを浮かべながら、緑は言った。

「緑、妹がいたの?」

 兄の表情を見せた彼に、水樹が聞く。

「ああ。でも、その言い方は違うよ」

「あ、そっか。ごめんね。あたし、一人っ子だから兄妹のことはよくわからないけど、妹はずっと心の中にってやつ?」

「私も一人だから、その気持ちは理解できないわ。でも、理解する必要ないんでしょ?」

 織乃の言葉に、水樹は小首を傾げる。彼女の疑問に答えるように、緑が口を開く。

「妹も俺と同じさ。影の欠片と融合して、別の施設で訓練してる。今日はもしかしたら再会できるかもと期待していたんだけど、そう上手くはいかないよね」

「ふふ、でも茜ちゃんも筋はいいですよ? 今は無理でも、きっといつか再会できますよ」

「睡蓮さん、よく知ってますね」

「ふふ、こちらも人材豊富というわけではありませんから。なにせ、大都市の多くは真っ先に影が呑み込んでしまいましたからね」

「なるほど。緑の妹かあ……兄がこれなら、妹もさぞかし可愛いんだろうね」

「自慢の妹だよ。と言いたいけど、十年会ってないからね」

「で、融和するにはどうすればいいの?」

 妹の話で盛り上がる二人を余所に、織乃が睡蓮に尋ねる。

「仲良くなりましょう!」

 返ってきた答えは、その一言だけだった。

「睡蓮さん、真面目にお願い」

「真面目ですよ。影の欠片を融和するには、欠片と融合した人が仲良くなるのが一番……だと推測されています」

「推測……ああ、そうね。そういうこと」

「英雄は一人で二つ持っていましたからね。特に考えることなく、特性を理解するだけで融和に成功していたようですが……みなさんの場合は、それだけでは難しいでしょうね。まさか、あそこまで綺麗に干渉し合うなんて、私も予想できませんでしたから」

「つまり、訓練内容は特に決まってないってことでいいのね?」

「はい。でも、融和も干渉も二つの力がぶつかることに変わりありません。ですから、互いに力をぶつけ合い、干渉し合えば融和に近づけるとは思いますよ。特性の理解という意味もありますし」

「だそうよ。緑、水樹、荷物を置いたらここに集合して。それから、外で思いっきり力をぶつけ合うことにしましょう。いいですか、睡蓮さん?」

「私に確認は不要ですよ。いちいち本部に確認するわけでもないですし」

「そう。二人は?」

「ああ、それでいこう」

「あたしも異論はないよ」

「それでは、解散する前に色々お伝えしておきますね。荷物を置く部屋、わからないと困りますよね?」

 それから、睡蓮は施設についての説明を一通り始めた。彼らの部屋に、食堂、その他の部屋の位置を、モニター越しに手描きの地図で簡単に紹介。施設のある孤島についても、各地にある設備を同じく簡単に紹介する。もちろん手描きの地図を片手に。最後に説明したのは、彼らと彼女を繋ぐモニターの操作方法だった。

「モニターの操作は隣のパネルで行えます。施設や孤島の地図も表示できますし、料理のレシピだって表示できますよ。そして何より、私を呼ぶことができます!」

 彼らの食事は、施設に備えられた調理設備を使い、自分たちの手で作るもの。最新鋭の設備で、半自動調理と呼べるくらいのサポートも受けられるので、彼らへの負担は少ない。その他の家事も同様で、施設での暮らしは優雅で気楽。訓練に集中するには最適の環境だ。

「それ、重要なの?」

「みなさんは若いです。趣味の自由は認められていたとはいえ、長い訓練の間はずっと一人。そんなみなさんが、絶海の孤島に建てられた施設で、歳の近い異性と一緒に暮らすのです。色々と戸惑うこともあるでしょう。大人である私を、いつでも頼りにしてくださいね。状況によってはすぐに出られないこともありますけど」

「そう。私は相談しないから、緑と水樹が頼ってあげて」

「ちなみに、部屋の小型モニターからも呼べるので、恥ずかしがり屋な織乃ちゃんも安心ですよ。防音もばっちりです!」

 胸を叩いてポーズを決めた睡蓮を二秒ほどじっと見つめてから、織乃は荷物を持ってさっさと自分の部屋へと向かっていった。落ち込んだ表情を見せる睡蓮に苦笑を浮かべながら、緑と水樹も同じように部屋へと向かう。こうして、影の欠片と融合した三人の少年少女は出会い、互いの力の融和を目指して新たな訓練を始めることになった。


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