異世界からの誘拐犯は裁けない

第九話 王の無事を祝って


 三日後。城下町で王の無事を祝うお祭りが始まった。朝から夕方まで、ずっと行われる盛大なお祭り。夜まで騒ぐことはないが、百合の国は日が長い。今の季節だと、時間にすると午後七時半くらいまで祭りは終わらない。

 この世界にも四季は存在し、暦も存在する。月や曜日の呼び名や月の日数など、多少の違いはあったものの、基本的には元の世界と同じ。春の陽気で暖かい季節である。

 こちらの方が季節はやや進んでいて、日本のように残雪は残っていない。フィーリーによると、半月から一か月くらいの差ではないかとのことだが、現在、暦上の月は三月の始まり。暦に関しては、元の世界より半月から一か月くらい遅れているようで、明日花は今でも戸惑うことが多い。

「王様ー!」

「アスカ王ー!」

 いつものバルコニーで、明日花は歓声に手を振り返す。まだ三回目ではあるが、もう三回目でもある。異世界トゥーグリッサに誘拐されてから、一月程度しか経っていないというのに、慣れたものだと明日花は思う。

「この通り、俺は無事だ! みんな、今日は楽しもう!」

 再び沸き起こる歓声。演説というには短すぎるが、こういうことを口にするのにも、少しは慣れてきていた。

 明日花たちは揃って城下町に向かう。王城に暮らす者が全員祭りに参加して、警備は大丈夫なのかと明日花は尋ねたが、ハイリエッタによると、祭りのときは一応魔法人形を数体、警備として配備しているらしい。が、祭りの間に悪事を働く者はこの国には一人もいないし、隣国からのスパイも見た目で気付かれるのでいない。

「だから、自律思考の実験も兼ねてる」

 ハイリエッタはその言葉で、質問に対する答えを締めくくった。

「さあ、たくさん遊ぼうじゃないか、ローゼ!」

 明日花たちの前を歩く一人の近衛兵が、もう一人の近衛兵に元気よく声をかける。

「なんで、私だけ……ですか?」

「それをボクに言わせるのかい? 仕方ないね、恥ずかしいけど、君が望むなら」

「恥ずかしい? 嘘……ですね? 淫らな発言は……裁きますよ?」

「はは、厳しいね。ということでアスカ、二人きりにしてもらえるかな?」

「ローゼがいいなら構わないけど……自由な近衛兵だな」

 城下町に危険がないことは、明日花もよくわかっている。そうなれば、あとはローゼの意思次第だ。

「嫌……です」

「あれ? ひょっとしてボク、警戒されてる?」

「今日は……お祭りです。監視対象から、離れたくない……です」

「ハーレムを維持できて良かったですね、アスカ王」

「そうだな、監視対象」

 一歩後ろから聞こえてきたメイドリーダーに、王は振り向かずに答える。

「本日は私も、アスカ王のことを監視していますので。久々のお祭りに浮かれて、うっかり羽目を外してみてはいかがですか?」

「何の教唆だそれ」

「……おや。遠回しでは伝わりませんか。具体的にはその辺りの美少女を……」

「アスカー!」

 面倒なのでフィーリーのことは無視していたら、代わりにメイシアが明日花の名前を呼んできた。明日花は振り向いて、二歩くらい後ろを歩くメイドを見る。

「食らえ! ココットの誘惑!」

「……メイシア、またそれを私にやりますか」

 ココットの後ろに回り込んで、メイシアはメイド服の上から彼女の胸に触れ、優しい手つきで揉んでいた。とても小さな胸なので形はほとんど変わらない。しかし、メイシアはずっとそれを続けているので、明日花はなんとなくそれを見続けていた。

「あの、アスカさん……そうじっと見られると、恥ずかしいです」

「ふ、メイドの誘惑に王はたじたじ……」

「いや、別にそういうわけじゃ」

「アスカお兄ちゃん、貧乳好きだっけ?」

 聞き慣れた声で、聞き慣れない言葉が聞こえてきたので、明日花は咄嗟に声の主――ハイリエッタの方を見た。彼女がいるのはココットとメイシアのさらに一歩後ろ、表情はいつもと同じ無表情でぼーっとしていた。

「……なに? ひょっとして、私にも欲情するの? アスカお兄ちゃん」

「ええと、聞き慣れない呼び方が聞こえたんだが」

「一人っ子だった?」

「うん」

「アスカお兄ちゃん」

「ええ、と」

 明日花は三人のメイドに視線を送る。ココットとメイシアの二人は小首を傾げて、フィーリーは微笑むだけで何も説明する気はないようだった。

「反応が薄いね。アスカお兄様の方が良かった?」

「その、お兄ちゃんってなんなんだ?」

「なにって……アスカお兄様、お祭りなのに私だけ羽目を外してはいけないの?」

「お祭りのときのハイリエッタは、いつもこんな感じですよ、アスカさん」

「あれ、アスカ、知らなかったっけ?」

「どうでもいいので兄妹プレイに興奮して襲うのはまだですか?」

 ココットに説明されて,明日花はハイリエッタの行動の意味を理解する。メイシアはともかく、フィーリーの言葉はもちろん聞き流した。

「ハイリエッタ、ボクのこともお姉ちゃんって呼んでみないかい?」

「リリおねえちゃん、はいりえった、こんどのせんめつせんについて、いっぱいおはなししたいなあ」

 普段より幾分か幼く、甘えるような声でハイリエッタが言う。しかし話す内容はいつものハイリエッタである。

「ふ、やるじゃないか、ハリイエッタ。でも甘いね、ボクの守備範囲は君が思っているよりも広いのさ」

「一つ聞いていいか、リリ?」

「ん? なんだい、アスカ?」

 普段より何割か増しで楽しそうなリリに、明日花は尋ねる。

「リリが百合の国によく来てたのって……」

「ああ、女の子が好きだからだよ? 運命の人を探しにね。そしてボクは三日前、彼女に出会ったのさ!」

「みたい……ですね」

 視線を向けられたローゼは、平然とした様子で答えた。

「百合の国に来た時点で、可能性は考えて……いました。天使……は、予想外でした……けど」

「ローゼ、好きだよ」

「お断り……します」

「即答されちゃったよ、アスカ」

「俺に言われてもな」

「でも、君も恋する少年だろう?」

「それは……否定しないけど」

 一目惚れと、ずっと想い続けていたという違いはあるが、確かにそこは同じだ。

「夕衣……」

 足を止めて、西の空を眺める明日花。想い人は同じ世界にいる。平原の先に、同じ空の下にいる。しかし、今のリリのように簡単に告白できる状態ではない。

「アスカ王、何を悩んでいるのですか?」

 彼に声をかけたのは、メイドリーダーのフィーリーだった。リリはローゼと二人きりは諦めたのか、ココット、メイシア、ハイリエッタの三人も巻き込んで、五人でお祭りを楽しもうとしているようだった。

「フィーリーはいいのか?」

「いいも何も、悩み深い王を放っておくことはできませんよ」

「誰のせいだよ」

「難しい質問ですね。私のせいかもしれませんが、私のおかげかもしれません」

 真面目な顔で答えるフィーリーの言葉を、明日花は黙って聞く。彼女の言いたいことは何となくわかっていた。

「フィーリーに誘拐されなければ、俺はこの世界に来ることはなかった」

「でも、私が誘拐しなければ、夕衣さんは貴方の世界から消えていましたね」

「そう、なんだよな。本当なら、誘拐犯に感謝なんてしたくないんだが」

「されても困ります。私は伝統に従ったまでですから」

 異世界トゥーグリッサ。この世界に来ても来なくても、卒業式の日に明日花が夕衣に告白することはできなかった。しかし、もし夕衣がすぐにはこの世界に来ていなくて、知り合いに何かを伝えていたら、幼馴染みである明日花にも連絡はあったはずだ。

 そこで気付いて、引き止めることができていたら、こうして迷うことはなかったのではないかと、明日花は考えてしまう。

「アスカ、悩むことはないですよ。気楽にハーレムを楽しめばいいのです」

「気楽にって……」

「彼女のことも、簡単なことです。隣国と和平でも結べば、解決ですよ」

「和平、か」

 ごっことはいえ、戦争をしている百合の国と縫いの国。その関係が問題なら、関係を改善すればいい。フィーリーの言いたいことはわかるが、この国の現状を考えると、とても簡単なことには思えなかった。

「仕方ないのです、この国は腐っていますから」

 その言葉を初めて聞いたのは、ココットからだった。

「それに、腐っているのは百合の国の上層部――私たちです」

「国が潰れるほど腐ってはいけませんから。そうですね、納豆やチーズのように発酵した国でなくては」

 彼女はそんなことも言っていた。そのあとに『発酵国!』などと言ったのはメイシアだったなと、明日花は思い出す。

「この国に、できるのか?」

「国が腐っているなら浄化する。それが王の役目ではないですか」

「一番腐ってるやつの台詞とは思えないな」

「言うだけなら簡単ですから。私はやりませんし、やるのはアスカ王、貴方です」

 無責任な発言を連発するフィーリーに、明日花は苦笑する。でも、彼女の言葉は間違ってはいない。発酵といういい状態でも、この国が腐っていて、和平を結ぶのが難しいならば――自分がそれを変えてしまえばいい。王である、自分が。

 それに、和平を結ぶという点に関してだけなら、全てを変える必要はない。問題は外交にある。メイシアは話せばすぐにわかってくれるとして、問題は魔法使いの隊長、戦闘狂のハイリエッタ。彼女が簡単に受け入れるとは思えない。

「アスカ王、考えるのも結構ですが……あとにしませんか? 今日はお祭りなのですから」

「そう、だな。今は楽しむとするか」

「はい。そして私にフェントゥーグを切り落とさせてください」

「させてたまるか!」

 ちょっと考えただけで結論が出ることではない。一旦そのことは忘れて、今はこのお祭りを楽しむことにしよう。一週間の軟禁に、三日間の王城での準備。そして始まった盛大なお祭りに、参加しないでいられるほど明日花は落ち着いていない。王という立場になったとはいえ、彼も十八の少年なのだから。

「フィーリー、行くぞ!」

「はい。私も楽しませてもらいましょう」

 人の多い城下町。明日花はフィーリーの手を引いて、結構先にまで進んでいるココットたち五人の姿を追いかけていった。

 程なくして、明日花たちが合流したのは、城下町の中央広場だった。噴水の前には大きなステージが設置され、その上で何人かの女の子が楽しそうに踊っている。露出は程々だが、おへそを出した可愛らしい衣装である。

「どきどき」

「残念だが、君の期待には添えないと思う」

「そわそわ」

 わざわざ声に出して、きらきらした目で自分を見つめるフィーリーは放っておいて、明日花は少女たちの踊りを横目に、他の五人の様子を見ることにした。

 ココットとメイシアの二人は、仲良く並んで踊りを眺めていた。リリは一人で何かを飲みながら、広場のベンチに座って休んでいる。ローゼとハイリエッタは近くの屋台で射的のような遊びを楽しんでいた。銃は見当たらず、魔法でやっているようだが、遠目にはどういうルールなのかはよくわからない。

「……メイド二人を背後から襲う。一人で休んでいる天使を連れて抜け出す。遊び疲れた年下少女たちとお兄ちゃんプレイ。さて、これからどうしようか?」

「変な選択肢やめろ」

「アスカ王、これはゲームではなく現実です。ですから当然、選択肢は時限式。選ばなかった場合は、強制的に行動が決定されますよ?」

「じゃあ、残ったフィーリーと会話か?」

「え?」

「違うのか」

「私は食べたいものを見かけたので、それを買いに行こうと思っていたのですが……アスカがそうしたいなら、私としてもフェントゥーグを切り落とせますし……」

「会話って言ったよな、会話って」

「無謀にも私を口説き落とそうとする会話では?」

「で、なんなんだ?」

 話している間にも、何かを飲んでいたリリは立ち上がり、遊び終わったローゼのところに向かっていた。ココットとメイシアはステージに上がって、メイド服のまま二人で流れるような踊りを披露している。

 フィーリーの言葉を借りるなら、明日花の行動は既に強制的に決定された、と言ってもいいだろう。

「想い人のことを考えて、明日花は溜めておくことにした……ですよ?」

「食べたいものあるなら行ってきていいぞ」

「ああ、ちなみに」

「行ってこい」

「承知しました、アスカ王」

 小さく礼をして、フィーリーは広場から繋がる、一つの通りに抜けていった。

 明日花は一人、彼女の帰りを待ちながら、ステージで踊る二人のメイドをぼんやり眺めていた。気付いたココットが明日花に微笑み、メイシアは軽くウィンクしてみせる。明日花も二人に手を振り返して、他の三人の様子を見ることにした。

「あ、アスカお兄ちゃん。こっちだよー!」

「凄いテンションだな、ハイリエッタ」

 大きく手を振って、自分の名を呼んだ隊長に返事をする。表情はわかりにくいが、無表情ではなく、微かに笑みを浮かべているのはわかる。

「そう? 戦いのときはもっとテンション上がるけど?」

「そうみたいだね。前のときも、とても楽しそうに見えたよ」

「そうなの……ですか?」

「あ、リリ、見てたんだ? ローゼお姉ちゃんにもそのうち見せてあげる」

「ちょっとした隙にね。それより、何でボクだけいつもどおりなのかな?」

「羽目は外しても、自衛はしないと」

「ですね」

「ローゼにも納得された! アスカ、助けて!」

「すまない、俺には無理だ」

 なんだかんだ三人も仲良くしているようで、明日花も安心する。

「おや、戻ってきてみれば……いきなり三人、いえ、最後だからこその三人……」

「不穏な発言やめろ」

「あ、これどうぞ。皆さんの分も買ってきましたよ」

 言って、フィーリーが明日花たちに手渡したのは、カラフルなチョコチップが振りかけられた、大きなチョコバナナだった。

「いいのか?」

「はい。基本的に財政は有り余ってますから」

「財源、どこから来てるんだ?」

「実はフェントゥーグ一本がこの国では高価なものでして……という冗談は置いといて、普通に税金とか観光収入だと思いますよ? ココットに聞いてきましょうか?」

「いや、いいよ」

「そうですか」

 明日花はもらったチョコバナナを口にくわえる。ハイリエッタ、リリ、ローゼも口に運ぶ中、フィーリーはチョコバナナを片手にじっと明日花を見ていた。ちなみに持っているのは三本。二本は二人のメイドに渡す分なのは、聞かなくてもわかる。

「フィーリーは食べないのか?」

「……食べますよ。えい」

 明日花がフィーリーを見た瞬間、メイドリーダーは自分の分のチョコバナナを、先端から少しのところで、音もなく切断してみせた。魔法で切断したものを、軽い魔法で浮かせて自分の口に運ぶ。

「では、ココットとメイシアにも渡してきます」

 明日花は何も言わずに、フィーリーを見送った。あれが彼女の、フェントゥーグを切り落とすという魔法か。それを見せつけるための、チョコバナナ。

 あれがこの世界での普通の食べ方でないのは、明日花と同じように食べている他の三人を見ればわかる。フィーリーと一緒にやってきた、ココットとメイシアも同じだった。フィーリーのチョコバナナは一切減っておらず、明日花の視線を確認してから、今度は根本の部分を魔法で切り落とすようにして口に運ぶ。

「どうしました、アスカ王?」

「いや、なんでもない」

 フィーリーは残ったチョコバナナを、そのまま口に運ぶ。綺麗に両端の切り落とされたチョコバナナ。元の世界では見たことのない、不思議なチョコバナナだった。


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