五つの星の頂点 ほしぐも

第六話 二人の探求研究記憶


 高原に吹く風は砂丘に吹く風と似ている。違うのは感じる匂い。潮と草、その違いは新鮮だ。戦いを何とか無事に終えた翌日、自分の地域に戻った三人を見送って、俺はそらほし地域に残っていた。目的はもちろん……。

「姉上のこと、聞いてもいいかな?」

 これは俺の個人的な問題。あめとゆき、星頂たち全員に関係する敵の問題ではない。

「はい。答えられることはあると思いますが、あなたにも考えてもらいます」

「君も何か……幼馴染みの、浮貝浅海のことを調べてるんだよね?」

「調べる……、確かにその通りです。もっとも私の場合は、彼から手紙を受け取っているのであなたとは少し事情が違うと思いますよ」

「手紙?」

 消えたと言うからてっきり今も行方不明だと思っていた俺は、意外な単語に目を瞠る。

「はい。でも殆どは他愛もないものですよ。それも、私の状況を聞いたり、励ましたり、それなのに返事は送れない一方的な手紙。浅海がどこにいるのか、そもそも生きているのかどうかもわからないんです」

「行方不明で、生死不明……姉上と同じか」

 椿さんは大きく頷く。星内で消えた二人。消えた理由も、原因も不明。そこは確かに共通しているらしい。

「その手紙を読めば、何か手がかりが見つからないかな?」

「おそらくないと思いますが……読みたいならあとでお見せしましょう。その前に、いくつか尋ねさせてもらいますね」

「ああ。それが姉上の手がかりに繋がるなら」

 彼女は間違いなく、俺より色々なことを知っている。しかし、その全てが姉上の手がかりに繋がるというわけではない。これからの質問はきっと、椿さんが今の俺たちに必要な知識を見極めるためのもの。

 思い返せば、敵の情報を聞いたときからそれは始まっていたのかもしれない。

「あめとゆきについて、あなたはどう思います?」

 そして今日の質問も、そこから始まった。

「どう? 見た目は可愛いのに、容赦ない強敵だと思う」

「可愛さも強さですね。目的については?」

「目的か……」

 問われて考える。あめとゆきの狙いは俺たち星頂だ。雨蛇と雪蛇を使って、最初に仕掛けてきたその日から、狙われたのは星頂だけ。では、星頂を倒すのが目的なのか?

「なんだろう?」

 そうじゃない。俺たちを倒すのが目的なら、その機会は何度もあった。各個撃破でもよかったし、五人揃っていないといけないにしても、その機会はあった。まさに昨日、彼女たちが撤退しなければ、俺たちは勝てなかったのだ。

「少なくとも、私たちを殺す――あるいは再起不能にするのが目的ではない、ということは確かでしょうね」

「ああ。そうみたいだね。何かを確かめて……試されているのか?」

「試す……そう、ですね。その可能性はあります」

 何のために、何を確かめているのか。それは全くわからない。五人の星頂が揃うことで発揮される力があるのか、でもそんな話があるなら、ほしぐもが教えてくれるはずだ。

「単に余裕を見せて遊んでいるだけ、かもしれませんけれど」

「……それも否定できないのが辛いところだね」

 それだけの圧倒的な実力差があるから。気まぐれに、戦いを楽しんでいるだけ。快楽を満たすための戦いをただ長引かせたい……それだけかもしれない。

「そんなことをする敵は、物語では必ず敗北するものですけれど」

「物語か……そういう本もあるのか?」

「はい。広めるために、写本も行っています」

 元の本を別の紙に書き写し、新たな本とする。星ができるずっと昔から、様々な変遷を経て行き着いた、今の時代の主流の製本技術だ。特に星内で人々が暮らすようになったことが、一番大きな変化を与えたという。

「それもしているから、ずっと星頂部屋にいる?」

「加えて、陽射しに弱いものですから。写本仲間もいるんですよ」

「俺の知っている人か?」

 椿さんの表情から察する。この微笑は多分、そういう意味だ。

「私も名前くらいしか知らないのですが、ほしぐもの側近でノギという方も写本をしていらっしゃるそうです」

「ノギさんか……」

 確かに彼はそういうこともしていそうだ。雰囲気にはよく合っている。

「どういう人でしたか?」

「綺麗な男の人だったよ」

「そうですか」

 それ以上は俺も話さないし、彼女も聞かない。会うときの楽しみにするつもりなのは、質問する声のトーンで何となく伝わってきた。

「物語みたいに、俺は勝てる気がしないけどね」

「私も同感です。鍛えても鍛えても、星頂の力は変わるものではありませんし、強くなるわけでもないですからね」

「ああ……そうだよね」

 秋奈さんに真冬さん、小夏さんと一緒なら話は変わるけれど、俺一人ではあめとゆき、どちらか一人を倒すこともできないし、傷一つ付けることだって苦労すると思う。

「あなたのお姉様ならどうですか?」

「二人まとめて相手にしても、勝てるよきっと」

 姉上の星頂としての力は、傍で見ていた俺が誰よりも――姉上の次くらいにはよく知っている。あいつと一緒にいなくなる前の姉上でも、あめとゆきには負けるはずがない。それくらい、姉上は優れた星頂だったのだ。もちろん星頂としてだけではなく、姉としても。

 そんな姉上が悪い男に騙されるなんて考えられないし、信じたくない。でも信じないのだとしたら、戻ってこない理由は他に一つくらいしかなくなってしまう。

「凄いお姉様なのですね。今も、生きていると?」

「……生きているさ。君だって、大事な幼馴染みのこと、信じてるんだろ?」

 ほんの少しだけ躊躇して、でもはっきりと答える。姉上は生きている。根拠はないけど、姉上が死ぬはずはない。俺は俺の直感を、感覚を信じるだけだ。

「そうですね……確かに私にとって浅海は、恋人以上幼馴染み以下の大切な存在です」

「恋人より幼馴染みが上なのか」

「当然でしょう? だからこそ、彼からの手紙を読み解けば……生死だって推察できます」

 椿さんは一瞬の躊躇も見せずに、はっきりと言い放った。

「手紙が送れるから生きている……だなんて、私が信じるような女の子だと、浅海が思うはずがありませんから。生きているにせよ、かなり特殊な状況にあると考えられます。あなたのお姉様と同じように」

「特殊な状況……なんで俺は、思い出せないんだろうな」

 姉上が消えたときのことをもうちょっとだけでも思い出せれば、手がかりがあるかもしれない。なのにいくら記憶を手繰っても、詳しい状況は思い出せない。あいつの顔も、ぼんやりとしたままだ。

「まるで記憶が雲に覆われているかのような……そんな感じですか?」

「……ああ。なんでわかるんだ?」

 椿さんの言葉に問い返す。すると彼女は小さく笑って、俺をさらに驚かせる言葉を告げた。

「私も経験がありますから。正確には、今もその状態です」

「どういうことだ?」

「私の記憶にないことが、浅海の手紙には記されているのです。私が浅海のことで記憶違いなんて、ましてや忘れることなんてあるはずがないのに、そこに書かれた事実を私は思い出せない。そしてその記憶を思い出そうとすると、雲が邪魔をするのです。いつも、いつも」

「記憶の雲……なあ、もしかして」

「もしかして? つまり、の間違いでは?」

「そこまで断言する自信はないよ。でも、だとしたら……」

 思い出せないのではない。思い出すことを、誰かが邪魔をしている。思い出してはいけないと、何かが記憶を封じている。そういうこと、なのだろうか。

「あめとゆきの目的も、それに関係あるのかな?」

「さあ……そこまでは私にも。可能性はあると思いますけれど」

 一人では決して辿り着けなかった考え。おそらく椿さんも、一人では確信を持てなかった答え。俺の姉上と、彼女の幼馴染み。二人が消えたこと。それが繋がって、答えに届いた。

だけどまだ俺たちには大きな問題がある。答えは見えても、解決策は見えていない。

「この雲はどうすれば払えると思う?」

「もちろん、犯人を捜すしかないでしょうね」

 必死に思い出そうとしても思い出せない。ならやっぱり辿り着くのはその結論。けれど、犯人について心当たりもなければ、手がかりも殆どない。

「では、少しお出かけしましょうか?」

 椿さんは開け放たれた窓の外、高原の空に広がる雲を眺めてそう言った。

「手がかりを捜しに?」

「はい。あの雲が払われる前に」

 雲に隠れて大太陽は見えない。陽射しもなければ、彼女も気楽に行動できるのだろう。

「雨、降らないか?」

「あめなら歓迎ですよ」

 確かに全くその通りである。あめとゆき、彼女たち二人は数少ない手がかりを持っているかもしれない者。ほしぐもも何か知っていそうだけど、ここから中央五角星には気軽にはいけない。ならば、やってくる手がかりに接触した方が早い。

 問題はある。あめだけならまだしも、あめとゆきの二人が一緒だったら、同じ二人とはいえ俺たちには絶対に勝てない。それどころか、退けることも難しいだろう。

「ゆきが降らないことを祈ろうか」

「そうですね。雪の季節ではありませんから」

 だからといって、ゆっくりしてはいられない。敵がいつ本気で俺たちを倒しにくるか、あるいは別の目的を果たすため本格的な行動を始めるか、俺たちに知る手段はないのだ。だから直接、本人たちに聞いてみるしかない。

 危険を承知で。しかし、無理はせず。

 難しいことだが、微笑み小さく頷き合った俺たちの意志は等しい。姿を消した姉上と幼馴染みの居場所を――生死を確かめるため。俺たちの目的は一致している。

 俺たちは並んで星頂部屋の外に向かい、星寮を出て手がかりを待ち求めることにした。

 曇り空でも、高原の風は変わらない。ただ少しだけ、雲に覆われて遠景が遮られてはいるけれど、気持ちのいい風が今日も吹いていた。外に出ても感じるのは草の匂いだけで、雨の匂いは感じない。多分、雨は降らないと思う。

 星寮を出るとき、出会った学生たちの椿さんへの態度は普通だった。調べものをしていて普段は星頂部屋を出ないとはいえ、今回のように外出する機会は何度もあったのだろう。

 とはいえ少し街に近い場所、星寮や五星学園から離れると反応も変わる。珍しい姿を見かけて声をかける住民と、小さく笑って丁寧に挨拶を返す椿さん。声をかけられた人数は多かったが、誰一人として浮貝浅海の名前を出してくることはなかった。あの日以来という言葉を何度か聞いた程度で、他にそれを匂わすような言葉もない。

「浮貝浅海って……」

「私の幼馴染みなだけですから、あなたの姉上のように有名ではなかったのですよ」

「そうか。だから手がかりも少ない」

「外には、ね」

 ならば調べものは星頂部屋でやればいい。俺が姉上の行方を捜すときにしたように、住民たちから聞き込みをする必要は殆どない。

「失踪場所の手がかりも……」

「ないですね」

 記憶の限りでは、という言葉は言うまでもない。俺も、椿さんも、既に理解している。

 街の方向には向かわずに、道なりに高原を歩いていく。大人たちが星外へ向かう道からも逸れて、もちろん中央五角星へと向かう道でもない。道の先に広がるのは、ただ広いだけの高原地帯。

 ここで俺たちは手がかりを待つ。大太陽の光はまだ優しく暖かく、高原に吹く風が程よい涼しさを与えてくれる。気持ちのいい中で日向ぼっこをして昼寝でもしたいくらいだ。

「お弁当はないですが、ゆっくり待つとしましょう」

「ああ、敵の目的が俺たちにあるなら……きっと見逃すはずはない」

 周囲に人影もなく、障害物もなく、遠くに見えるそらほし湖のような隠れる場所もない。戦うには絶好の場所でありつつ、普通の人間が相手なら奇襲の心配の少ない安全な場所。

 ただし敵は普通の人間ではない。どこから現れるか、俺たちの知らない手段で攻撃してくるか、警戒する理由はいくらでも思いつく。けれど俺たちは、一切奇襲への警戒を解いて彼女がやってくるのを――あめが降るのを待った。

 高原の風が弱まり、また強くなり……しばらくの時間が過ぎた頃だった。

「雨は降らない。でも、あめは見ている」

 どこからともなく現れた姿と、聞こえた声。レインコート一枚と、下に水着を着た細身の少女――あめが俺たちの正面、意外と近いがそれでも遠い場所に登場した。

「二人の初めては、いつ始まる?」

 そしていきなり、とんでもないことを聞いてきた。微笑むあめのレインコートの下を少し考えて、大丈夫と確認する。彼女に色仕掛けの意図はなくとも、俺が動揺したら意味はない。戦う前に戦う準備は整えている。

「いつまでたっても始まらないですよ」

「今日の目的は、君だからね」

 俺たちも微笑んで答える。あめは俺たちを侮っているのか、そもそも戦う気がないのか、小首を傾げて無言。雨蛇も生み出されないし、彼女の考えを読むのは難しい。

「聞きたいことがあってね。記憶の雲――君に覚えはないかな?」

「……つまらない」

 今度は答えが返ってきた。明らかに俺に対する冷たい視線と一緒に。

「私の肌を見て、敵とわかっていても惚れてしまった少年。話がある。それは告白の言葉。だけど戦いは避けられない……それでも、私は全力で戦う。弱き者に引導を渡すため」

 視線はそのままに饒舌に語るあめ。本気で落胆しているのか、からかおうとしているのか、俺にはわからないけれど……話はできる。今はそれでいいとしよう。

「君の名前はあめ。雲といえば、雨雲もあるよね。雪雲もあるけどさ」

「あなたが求めるのは、姉の手がかり。そしてあなたが求めるのは、幼馴染の手がかり」

 話は通じている。不思議な少女だが、会話が通じるなら聞き出せる。言葉から完全に読まれていたようだけど、関係ないことだ。関係があるのは、これからどうやって聞き出すか。

「知っているのですか?」

 椿さんの質問に、あめは小さく笑った。

「私はあめ。――雨は世界の時を映す」

 ゆっくりと上げられた手、直後に降り出した雨は俺たちに降りかかる。不思議と冷たくもなければ、濡れることもない雨。しかしその雨には、何かが映っていた。

 その姿を見て俺は驚く。一瞬だがはっきりと、映ったその姿に。

「――姉上!」

 背の高い少女。セミロングの少女。自ら鍛えた刀を手に、勇ましい表情を浮かべる少女。その姿は間違いなく姉上で、しかしそれはよく見覚えのある姿だった。

「浅海……でも、これは」

 椿さんも呟く。彼女の視線の先には、少年の姿が映っていた。俺たちより幼い、子供の姿。

「世界の時……これは、記憶なのか? それとも……」

「私の力は雨時の力――あめの、あまとき。雪が持つのは雪溶けの力……ゆきの、ゆきどけ」

 答えるようにあめが語る。そして、尋ねてないけれど求めていたもう一つの答えも、教えてくれた。

「存外に優しいのですね。それともこれは、冥途の土産というやつですか?」

 椿さんが言った。優しい声で、瞳にも優しさを込めて。

「私は人を殺さない。星頂も殺さない。でも、そろそろ……弱い星頂には、退場してもらう時間。それがあめの考え」

 あめは答えつつ、十体の雨蛇を生み出す。長い毛むくじゃらの角が一本生えた、透色の蛇。さらに生み出した十体の雨蛇には、角としっぽが一本ずつ生えていた。さらに生み出された十体には、腕が二本。毛むくじゃらの剛腕である。

「……ちょっと待て」

「安心する。さっきの力を使えば、あなたたちに待つのは敗北だけ。でもそれは、あめのしたいことではない」

「その宣言、嘘はないね?」

 帯を外して鞘刀を抜きつつ、俺は問う。

「雨時の力でしたね。あれ以上のこともできるのでしょう」

 椿さんが続く。あめは小さく頷いて、笑顔。それを承諾と受け取って、俺は向かってくる雨蛇に鞘刀を構えた。最初の十体、角だけの雨蛇なら、数が多くても斬れる。

「お願いします。多少の怪我は、私がすぐに癒しましょう」

「ああ。頼むよ!」

 駆け出した瞬間、後ろにいた二十体の雨蛇も動き出していた。休む暇はなさそうだ。だけどあめが動かないのなら、俺たちだけでも戦える!

 鞘刀を振り、透色の体を一体、また一体と順番に払っていく。毛むくじゃらの角は回避して、直後に振り回されるしっぽには降下しながら鞘刀の突きを。そのしっぽが毛むくじゃらでも迷わず鞘刀を振り下ろし、その反動でさらに跳躍する。

 それを待ち構えて叩き込まれた剛腕は、ちょっとだけ角度を調整して体で受ける。

「……っ!」

 激痛ではないが、強い衝撃と痛みを感じて俺の体は吹き飛ばされる。でもその先には、椿さんが待っていた。

「無茶はしないでくださいね」

「ああ。回避できるものは回避するよ」

 暗く優しい、宵闇の光で癒された俺はすかさず立ち上がって、向かってくる敵に対峙する。とても全ては回避できる数ではないが、回復を前提に戦って勝てる数でもない。敵の能力と今の俺の実力、二十五体なら倒せる数だ。

 残りの五体は倒せないが、戦っているのは俺だけではない。

「椿さん!」

「……一体ですね。お任せください」

 俺が五体の雨蛇を相手にしている間に、一体の雨蛇が椿さんに向かっていった。毛むくじゃらの角としっぽを振り回して襲いかかる雨蛇に、椿さんはひるまず前進して回避しつつ接近する。透色の体に叩き込むのは、彼女の右腕と左腕から繰り出される連続の拳。

 避けるだけと思っていた俺はやや驚くが、驚いてばかりもいられない。鞘刀を振り回し、集まった三体の雨蛇をまとめて撃破してから、残りの二体を迅速に撃破する。まだ後ろには二十体近い敵が残っているのだ。

 戦いが続き、今度は二体の雨蛇が抜けて剛腕を振るっていたが、椿さんは華麗なステップで回避していた。隙を見ては拳や蹴りを放っているが、一撃で倒すほどの隙は敵も作らない。

「大丈夫か! 助けは――」

「大丈夫です! 私、息抜きに体を鍛えているので……これくらいは!」

「了解!」

 心配は無用。そして勝機も見えた。彼女があれだけ戦えれば、五体分の不足は補える。

「残り五体――ぐあっ!」

 振り上げられた尻尾で軽く打ち上げられ、そこに角が突き刺さるように襲いかかり吹き飛ばされる。さらにその先には、椿さんと戦っていた雨蛇がいて、振り下ろされた毛むくじゃらの剛腕が俺の体を地面に叩きつける。

「無事ですね?」

「……君がいるからね」

 しかしそれを予期していたように、落下地点には宵闇の光が輝いていた。彼女の髪は普段は左のサイドテールだけだが、こうして癒すときには右のサイドテールが煌き伸びてアシンメトリーテールになる。常にその状態でいれば雨蛇も一撃で倒せそうだが、この戦いで彼女はその力の多くを俺を癒すために使っていた。

 いくら肉体が強いとはいえ、それは息抜きで鍛えた体。星頂の力も戦い向きでないことを考えると、敵を倒す力は俺の方が高い。

 それは俺もわかっていて、彼女もわかっている。相談がなくとも、戦い方を見ればいい。

「少し、髪が短くなっている気がしますけれど」

「そう? でも残りは……四体だ!」

 自分では気付かないが、俺の長くなった髪も完全ではなくなっているらしい。星頂の力を全力で発揮して、戦い続けてきた。そろそろ限界が近いようだが、まだ刀は振るえる。

 残った雨蛇との距離が離れたことで、少しの時間的猶予ができる。

「椿さん、ちょっと持っててくれるかな? 迎撃に使っても構わないから」

「少し重いですが、この重さはいい武器になりますね」

 留め具を外した鞘を椿さんにしっかり握らせて、俺は刀を抜いた。

「じゃあ、片付けてくるよ!」

「はい!」

 抜き身の刀で突き刺して、襲ってきた雨蛇の体に固定する。そのまま力強く押し込んで、振り下ろされる角が襲いかかるより早く、その体は雨が乾くように消えていく。

 二体の雨蛇が振るう剛腕と、角尻尾。四つの毛むくじゃらを相手にしながら振り返ると、椿さんは鞘を振り回して楽しそうに毛むくじゃらの角を叩いていた。あの雨蛇に毛むくじゃらの尻尾はない。あの様子なら、彼女も心配は無用だろう。

「これで……」

 一体の雨蛇の角を姿勢を低くしてかわし、尻尾を跳び越えて抜き身の刀を振り抜く。

「――終わりだ!」

 左右から潰すように襲いかかってきた両腕は無視して、返す刀でもう一体の透色の体を斬り払う。見ると、椿さんは鞘を大きく振り回して、透色の体を全力で叩き潰していた。

 雨蛇の体を構成する雨――それらは全て渇き、干上がり、また砕け散り、消えていく。

「どうだ! 全部倒し――」

「枯葉さん!」

「……た?」

 三十体の雨蛇を、傷を負いながらも全て倒した。髪の毛もまた短くなって――それでも元の髪の毛よりはまだ長いが――それを自分でも実感するほどに、力を使い果たしかけながらも、椿さんの宵闇の光に癒されて全てを退けた。

 勝利の余韻と、大きな油断。

「……あなたは馬鹿。確かに、私は宣言した。雨時の力は、使わない」

 ああ、そうか。そうだった。目の前に現れたあめの姿に、無表情で楽しげな表情を浮かべるその姿に、俺は一つの大きな勘違いを理解する。

「でもあめは、戦うよ?」

「そうだよな……でもせめて、急所はやめ――」

 あめは容赦なかった。振り上げられた蹴りは迷わずに俺の股間――急所を狙って放たれた。

「えい」

 刀を落としてうずくまる俺の腹を軽く蹴り、倒れた背中をあめは踏みつける。軽い踏みつけで、俺にも力はまだ残っている。しかし、どれだけ力を込めても、彼女の体重と、彼女の力を込めた踏みつけを撥ね退けることはできなかった。

 そこからは油断なんてしていない。そこから見せられたのは、圧倒的な――俺とあめの実力の差。

「ころころ……ざーざー」

 踏みつけていた足を上げ、軽くつま先で転がされた俺の体。視界に映ったレインコートの下には水着があるだけ。ぴっちり止められたレインコートに隙間はないが、この状態なら彼女の姿がよく見える。

 笑顔と、短い言葉。

 彼女の頭上に生まれた、無数の水滴。雨時の力ではない、雨の力。その雨はもちろん、自然の雨などではなく。

 一粒一粒が当たるたびに、俺の体には強い衝撃が、激痛が走った。

「枯葉さん! 大丈夫――」

「……じゃないけど、負け、られるかっ!」

 気合でどうにかなる相手ではない。だけど気合を入れれば、反撃はできる。拾った抜き身の刀を振り上げて、俺はあめの体を裂くように立ち上がった。

 しかし、振り上げた刀はあめの体に傷一つ付けることも叶わず、ただレインコートを斬るだけだった。

「苦し紛れの、えっちな行為。でも、予想外」

 左右に破れたレインコートの中から、あめの素肌と水着が現れる。なかなか魅力的な光景ではあったが、もう少しで水着も斬れたのかななどと考えつつ、俺は理解していた。もう、俺は限界だ。

 雨はまだ、降っている。激痛で崩れ落ちる体、そして失われていく意識。これはきっと、椿さんの宵闇の光でも……すぐには癒せない。

「変態撃滅」

 最後に俺の意識を奪ったのは、俺の体を優しく転がし、強く急所を踏みつけてきたあめのすべすべしていそうな素足だった。ああ、少し不埒なことを考えたのを読まれたのか……なんてことを考えている間に、踏みつけられた足はもう一度振り上げられ、俺は目を瞑った。

「ていっ」

 凄く軽く楽しげな声。そして、予想外の横から襲ってきた急所への衝撃に、別の素足で蹴られたことだけを理解して、俺は完全に意識を失うのだった。


次へ
前へ

五つの星の頂点 ほしぐも目次へ
夕暮れの冷風トップへ