飛都国

ウガモコモ篇


   チカヒミとの戦い その四

 決戦当日。

 これが最後の――彼らの全てを決めるチカヒミとの戦い。

 シララスはココカゼに、カザミはカカミに、クゥラはマコミズに。それぞれの場所で、戦いの準備を整える。

 ルーンカとユーヒはチカヒミで、彼らが動くのを待っている。この戦いで彼らが勝利するには、チカヒミの強き将――メガミコのルーンカを倒す必要がある。多数の飛行都市に広がったシンイキの広さと、ルーンカの高い能力。二対三でも、決して力は劣っていない。

 川澄でコーヒーを飲み終えて、幼馴染みとマスターに軽く挨拶をしてから、シララスは戦いの場に赴く。同じ頃に動いたであろうクゥラの状況を考えながら、準備は急がない。

 この戦いで、最初に交戦するのはカザミ。次にシララスとクゥラが交戦することになるだろうが、作戦通りなら彼がまず交戦するのはルーンカのシンペイだけだ。

 カザミが神域を広げ、チカヒミの――おそらくはルーンカの広げた――シンイキに触れる。カカミからまっすぐに、挑発するようにゆっくりと、彼女は神域を歩いていく。

 しばらく歩いて、遠くに人影とシンペイの影が見えた。数は少なくとも数百、誰のシンペイかはわからないが、そこにある人影は一人。長いコートは着ているが、フードは被らずに、待っているのはユーヒだけだ。

 カザミが目前まで迫っても、彼は動かない。黙ってシンペイを盾にして、奥に隠れるだけ。

「動く気はないようですね。ですが、姿を見せているなら……手始めに」

 用意した五十の精鋭神兵を前に、敵のシンペイとの距離は神兵約十体分。当然、この状況でカザミが選ぶ行動は、唯一つ。

 頭上に雷雲が生み出されることもなく、澄んだ青空から極大の雷が落ちる。ユーヒの体を三つ並べてもまるごと包むような、刹那の雷撃。まさに青天の霹靂である。

 気付いたときにはもう遅い。ユーヒの防御は間に合わない。だが、数体のシンペイが雷を防ぐ壁となり、彼の頭上に飛び出した。

「この程度も防げないようでは、引きつける必要もないかもしれませんね」

「……私には防げなかった、それは認めましょう」

 風に乗って声が広がる。ユーヒを狙った魔法を防いだのは、ルーンカの操るシンペイ。どこか遠くで、正確に魔法の威力を判断し、最小限の消耗で防いでいた。

「あなたを倒すのは簡単です。ですが、そうなると困るのはこちら側。では、作戦通りに始めましょう」

 ユーヒを倒せば彼はシンイキから、元いた場所に戻される。元々彼がどこにいたのかはカザミたちにはわからない。ダメージを受け復帰に多少の時間は要するにしても、治療が完了すればまた彼は出撃する。

 それでもし、ルーンカと戦い始めたシララスとクゥラのところに向かわれては困る。そのために求められるのは、逃がさず倒さず引きつけること。

「ルーンカさんは、近くにはいないようですね」

「あなたの相手は私一人で十分です。その間に、ルーミャンピカ様が残りの二人を各個撃破なさいます。無謀にも、チカヒミとマコミズの二方向から攻めるなど……」

「無謀なだけなら、わたくしが許すと思いますか?」

「さあ、どうでしょう。ですが、引きつけるというのなら私も望むところです」

 互いにシンペイも動かさず、魔法も使わず、会話だけが続く。二人の目的は、互いに他の将のための時間稼ぎ。目的が一致している以上、戦わずとも目的は達成される。

「ああ、そうそう。ユーヒでしたね? わたくし、あなたには怒っているんです。ヒミリクを罠にかけて捕まえるなど、ふふ……」

 カザミの見せた笑みに、ユーヒは背筋が寒くなる。ほんの一瞬の、凍るような感覚。気のせいかとも思ったが、気のせいではないと本能が告げていた。

「倒さないように少しずつ、弱いけれども衝撃の大きな魔法をたくさん使ってあげますね。これだけの魔法が見られるなんて、ユーヒは幸せ者ですね。ああ、それと、ルーンカさん。余計なシンペイは最初に、全部薙ぎ払わせてもらいますね」

 鋭い氷が淡雪の覆う地を走り、数十体のシンペイの足元へ到達する。刹那、氷はシンペイの下方から突き刺さり、一撃の下に葬り去った。

「……こんな短時間で、見分けたというのですか?」

 ユーヒの反応が遅れる。顔には驚きの色が色濃く見え、彼の操るシンペイにも動揺は見えないが、動きが止まっている。その中で数体、様子の違ったシンペイを見てカザミは言った。

「どちらがどちらに合わせているか、それを見れば簡単なことです。とはいえ、これだけの数です。全てを見分けることはできませんでしたが……ふう、この程度の策に動揺するようでは、あなたの力は彼らより下かもしれませんね」

「私はルーミャンピカ様を守るカミモリ。私個人の実力など、関係ありません」

「それもそうですね」

 彼の答えに、カザミは微笑んで納得する。個人の力は低くとも、ルーンカのシンペイとの共同作戦を行う能力が高ければいい。それがどれだけ高いのかは、強き将が二人いることを易々と見抜けなかった事実が証明している。

 カザミは掌の上に、小さな水の玉、火の玉、風の渦、地の欠片を生み出す。胸元から目の前に広げた手をくるりと返し、閉じるとともにその小さな四つの魔法はふわふわと舞う。

 様子の違ったシンペイを的確に狙い、追尾していく魔法。守ろうと動くユーヒのシンペイは紙一重でかわし、頭上を抜け、股の下をくぐり、狙ったシンペイに接触して、激しい光と音で包み込みながら爆発する。

 これで、この場に残るのはユーヒのシンペイと、カザミの神兵だけ。少し離れた場所にはルーンカが偵察用のシンペイを配置しているかもしれないが、盾にもならないシンペイなら無視してもいい。

「さあ、これで一対一です。彼らの決着が付くまで、ゆっくり楽しみましょう」

「私に楽しむつもりはありませんが……あなたをルーミャンピカ様の許に向かわせるわけにはいきません。勝利の知らせが届くまで、お相手致しましょう」

 ココカゼ・カカミ・マコミズと、チカヒミのこれからを決める戦い。その最初の戦いは、ここに始まった。

 マコミズから広げた真域を進んでいくクゥラは、そろそろ始まった頃かとカカミに近いチカヒミの飛行都市を流し目に見やる。見えはしないし、気配も感じないほど遠い距離。だが作戦通りなら、もう戦いは始まっているはずだ。

 合図はない。全ては最初に決めた作戦通りに、綿密に立てた作戦を信じて動く。

 合図がないからこそ、その作戦をルーンカが読むことはできない。絶対に。どんなシンペイで偵察しようと、自分たちの心や頭の中までは見られない。

 ここまでしなくてもとは思ったが、念のためである。真域での真兵の知覚は基本であり、非常に便利なものだが、それゆえに偵察されやすいという欠点も持つ。小さな偵察用のシンペイを全て処理しながら、シンイキを進軍していたのでは時間がいくらあっても足りない。

 相手の――ルーンカの生み出せるシンペイの数は、自分たちより遥かに多い。広げているシンイキも、クゥラの広げる真域や、シララスが広げる心域、カザミが広げる神域よりも遥かに広い。その広い空間、積もる雪の中に埋もれた小さな氷を、しらみつぶしに探しながら進軍するようなものだ。

 フードを目深に被り、長いコートに身を包んだ一般将はもういない。だが、配置されているシンペイの集団は変わらない。指揮官を装う者のいない、百体前後のシンペイがチカヒミのシンイキには散らばっている。

 クゥラはそれを避けるように、少しずつ着実に進軍していく。率いる真兵の数は三百五十。余力もあり、ある程度なら正面突破も可能だが、なるべく消耗せずに進みたい。

 今頃は、シララスが少しでも数の少ない集団を相手に、交戦を始めているはず。

 そしてルーンカは、それを知覚して彼を逃がさないようにシンペイを動かし、自身は残った一人のこちら側の将――つまり自分、クゥラとの戦いに備えるだろう。

 とはいえ、彼女から攻めてくる可能性は低い。実際に今も、一度戦えば囲まれること必至の、シンペイの集団をやや動かして、避け続ける自分を誘導するだけだ。しかし、それもクゥラにとっては予定通りの行動。彼女はただ、ルーンカと接触さえすればいい――それだけでいい。

 目の前に現れた集団は、三つ。どうやっても避けることはできず、後退すれば挟み撃ちにされる状況。平らな雪道でも、数がいれば逃げられない。

 ルーンカの気配は……ない。戦う前に、これくらいは突破して。そんな意図が透けて見える、今のクゥラの力を確かめるようなシンペイたち。

「突破します。シァラーゼお兄様、私でも――これくらいなら」

 右手に握るは流水の剣。兄のようにはいかないが、自分にも瞬時に生み出せる最大の独特な真兵。これ一本で前線に立つわけにはいかないが、大軍を突破する補助にはなる。

 地の足が雪を蹴り、水の体が雪と太陽を反射し、風に乗り高く、内なる火を燃やして真兵が跳び上がる。その背にはクゥラが乗り、同じく跳んだ数体の真兵を率いて、ルーンカのシンペイたちの中心に跳び下りた。

 自身も含めて八方へ、囲むシンペイを剣先から放った水の刃で蹴散らしながら、残りの真兵が正面からまっすぐに向かっていく。

 三百のシンペイと、三百五十の真兵。数の利はあるが、まともにぶつかればあまり活きない微妙な差。だが、その戦力を一箇所に、それも特殊な形で集中させれば、一気に崩すことができる。

 そうして五十近いシンペイをまとめて倒したクゥラは、合流させたシンペイを左右で構える一方の集団に向けて進軍させる。挟み撃ちにされる形だが、挟むシンペイは前後に百二十と百三十。対するこちらの真兵は、未だ数を減らしていない。後ろのシンペイが追いつくより先に、前方のシンペイを蹴散らしながら突き抜ける。

 突き抜けたところで振り返り、合流したシンペイの集団と正面から対峙する。数は減らして百七十。こちらの半分以下のシンペイに対して、クゥラは一転守りを固めて戦った。

 数の利を活かせば、攻め続けても勝てる数。だが、少しでも消耗を抑えるために、やや時間はかかるがクゥラは守り勝つ戦いを選んだ。

 その間にやってくるのは、新たなシンペイか――あるいは。

 ほぼ無傷で集団を壊滅させたクゥラの前に、現れたのは「あるいは」の方だった。

「私だって、守るだけではないのです。ただ……これは少々、守るのも大変かもしれませんね」

 クゥラが視線を向けた先。長いコートに身を包み、フードは被らず後ろに倒した姿の、チカヒミの強き将、ルーンカの姿があった。そして、彼女が率いるシンペイの数は――ざっと千。

 前のときより、自分も成長している。指揮能力の差は、あのときのルーンカであれば上回っているだろうし、本気のルーンカが相手でも通じるのは、今の戦いでわかった。一般将を装わないシンペイの動きはとても鋭く、一瞬の気も抜けない相手だったから。

 しかし、である。三百三十程度の真兵で、その三倍のシンペイを相手にする。それも雪がところどころに積もっているとはいえ、殆ど平地のこの場所で。

 ルーンカは小さく笑って、シンペイを動かした。千のシンペイ、そのうち九百五十を。

 クゥラも真兵を動かして、防戦の構えをとる。大軍の一点突破で肉薄することはできても、残る五十のシンペイがルーンカを守る。それに、魔法を使われる可能性も警戒しなければならない。双方とも、カザミほどの力はないとはいえ……直撃すれば一時行動不能にされるくらいの威力はあると考えていい。

「ルーンカさん。少し、ほんの少しだけ、時間を稼がせてもらいます」

 クゥラは呟き、遠くココカゼの方角へ向けて真橋を架けようとする。しかしそれは最後まで架かることはなく、妨害するか迷いを見せたルーンカが行動を起こすより前に、すぐに消滅していた。

 不可思議な行動に、ルーンカは首を傾げる。しかし動かしたシンペイは止めることなく、戦いが始まったところでその気配に気付いた。

「……ん」

 クゥラの真橋が架かりかけた方角から、心橋が架けられていた。そしてその先で何が起こっているのかは、あちらで交戦中のシンペイの知覚を通して理解する。

「――クゥ……おお!」

 心橋を駆け抜けてきたシララスは、目の前で構えていた五百のシンペイに驚く。それでも咄嗟に二百の心兵を出して、続けて同じ数の心兵を追加する。これだけの数を瞬時に生み出すことはできないが、心橋を渡る前に生み出していたものを、もう一度出すのは簡単だ。心橋も形は違うとはいえ、心域と同質の空間なのだから。

 驚きから回復したところで、シララスは言いかけた言葉の続きを口にする。

「クゥラ。間に合ったみたいだな」

「はい。でも、ここからですよ?」

 二人はルーンカを挟んで微笑み合う。作戦は成功。状況は二人の有利にも見えるが、クゥラの三百三十の真兵と対峙するのは、四百五十のルーンカのシンペイ。シララスの四百の心兵と対峙するのは、五百のルーンカのシンペイ。さらに、彼女を守るのは五十のシンペイ。

 数で勝るのはルーンカ。挟み撃ちという状況で、ようやく互角といった状況である。もしもこれでルーンカが動揺でもしてくれれば、状況は大きく違っていたが、彼女は冷静にこの状況を分析していた。

「……同盟?」

「ああ。ルーンカも予想できなかっただろ?」

 少しの間を置いて、見抜かれた作戦。シララスもルーンカも、もちろんクゥラも心兵を動かさずに、言葉を交わす。どちらも有利ではないこの状況、すぐに戦い始める必要はない。

 ルーンカはこくりと頷いた。

「心生みや神代り、真者……それから、メガミコのルーンカさんや、おそらくカミモリのユーヒという彼も。私たちにとっての同盟は、国同士における単なる約定ではありません」

 話しながら、クゥラはルーンカの陣形の隙を探す。急に数が減ったなら、必ずどこかに綻びが生じるはずだ……そう思っての観察だったが、彼女の陣形に隙は一切なかった。

「心生み、神代り、真者、メガミコ――それぞれの個人間で、各々のいる地を結ぶ真橋を架けられるようにする。それこそが、私たちの同盟。それを利用すれば、こうして貴女のシンイキで合流することも可能というわけです」

 ルーンカは黙って耳を傾けていた。同盟やシンキョウ、それぞれの意味は彼女もよく知っていた。だが、彼女自身は誰とも同盟を結んでいないし、シンキョウを架けるのはチカヒミの飛行都市を渡り歩くときだけだ。

 だから単純に、同盟は国同士を結ぶもの、双方の飛行都市にしか架けられないものと、思い込んでいたのも仕方ない。

 そして、それ以上に。

「二人とも、いつの間にそんなに仲良しに……キス、した?」

 こっちの方が、彼女にとっては予想外であった。人知れず同盟を結んで、シンキョウを使ってくるとは思わなかったのは、二人の関係を考えてのことが大きい。互いに互いを信頼し合わないと、同盟を結ぶことはできない。それは国同士でも、個人間でも同じこと。

「え? いや、してないけど」

「ルーンカさん、同盟は別に、恋人というわけでは、ないんですよ?」

 平然と答えるシララスに、ほんの少しだけ動揺して答えるクゥラ。

「同盟にはそれくらいの信頼が必要。……あ、まさか」

 ルーンカはシララスの方を見て、少しだけ視線を下げて、続けた。

「一気に、した?」

「するわけないだろ。というか、なんでルーンカはそんなことを知ってるんだ?」

「そ、そうです。まだ小さいのに、誰に教わったんですか!」

 まだ小さいとは言うが、身長はクゥラも同じくらいである。それに……。

「私、二人より年上」

 ルーンカは十八歳である。十五のシララスと、十四のクゥラ。二人よりも様々な知識を持っているし、二人よりは経験も豊富だ。恋愛経験は、相手がいないので大差ないが。

「シララスさん、会話はそこまでです。そろそろ始めましょう」

「ああ、カザミさんを待たせるわけにもいかないな」

 やや不自然なクゥラの催促に、シララスは不自然さに気付かずに答えを返す。ルーンカもこれ以上聞くことはなかったので、普段通りに黙ってシンペイを動かすのだった。

「それにしても……」

「……なん、ですか? っと!」

 僅かなシンペイを残して、激しいカザミの攻撃を回避しながらユーヒは答える。彼女は魔法を使ってはいない。ただ、精鋭の神兵五十体で、ひたすらユーヒを追いかけているだけだ。倒さないように細心の注意を払いながら。

「一般将のコートとフード、あれはルーンカさんの策ですよね?」

「はい……って、聞きたいなら、少しくらい! 攻撃をやめて――」

「お断りします。逃げながら答えなさい」

 容赦のない攻撃に、ユーヒは足を止めて首を差し出そうかと思う。しかし差し出した首をカザミが刎ねることは考えられず、また別の方法で苦しめられるだけ。どんな方法かはわからないが、彼女の言葉や態度から今よりも苦しめられるのは明らかだ。

「一般将と強き将が同じ姿をして、さらに言葉を口にしないことで将の見分けがつかないようにする……さすがの策ですね」

「はあ……いえ、言葉を口にしないのは、ただ――ごふっ!」

 カザミの精鋭神兵の放った地の拳が、ユーヒの腹部を襲った。見た目ほどに衝撃はなく、痛みも殆どないが、喋っている途中だったのでユーヒは大げさに反応する。

「あ、手加減はしてますので、その程度じゃやめませんよ? ふふ、あちらの決着が付くまでどれくらい……あ、続き、どうぞ」

 にっこりと。前の戦いで自分がしたことを後悔はしない。後悔しても意味はないし、あのときはあの作戦が最善だった。しかし、こうなることがわかっていれば、今日の戦いに備えてもう少しルーミャンピカ様に鍛えてもらうべきだったかと、ユーヒは思う。

 自分が強くならなくても、今回の作戦には影響はない。それは事実で、実際に大きな影響はないのだが、ここまで苦しめられることになるとわかっていたら――と。

 ほんの少しだけカザミの攻撃が緩む。さすがにまた途中で止められては話が進まないと思ったのか、それとも大きな攻撃の予兆なのか、どちらにせよユーヒは余裕を持って答えられた。

「言葉を口にしないのは、ルーミャンピカ様がただ無口なだけです。別に策などではありませんよ。そもそも戦いの場で、長々と言葉を交わす必要は基本的に――あの」

 カザミの頭上で大きくなっていく氷の塊。淡い雪の粒を風で舞わせて、それがどこに向けられるものなのかは想像に難くない。

「ふふ、あちらの戦いが始まれば、そこまで長引くことはないでしょう? そろそろ、倒してみてもいいかと思いまして。……あなたの出撃場所は、特定できましたし」

「はい? この戦いの中で――いえ、余裕はありましたね」

 自分がどれだけ一方的に苦しめられていたか。それを思い出して、ユーヒは理解する。出撃場所が割れたということは、ここで倒れて、再出撃しても意味がないということ。

「ああ、ちなみに偵察ではありませんよ? あなたに直接攻撃を加えて、体に確かめさせてもらいました。非効率的ですし、なかなか難しいものでしたが……幸い、時間もやる気もありましたので、生身で練習して覚えようかと思いまして」

「……そうですか」

 意味もなく苦しめられたわけではない。怒りだけで苦しめられたわけではないとわかったところで、ユーヒにできることは何もない。ただ、落ちてくる巨大な氷の塊を、いつの間にか三つに増えていた塊を、黙って見ていることしか――彼にはできなかった。

 大きな衝撃音。激しく舞い上がり、舞い散る雪の粉。

「勝利はより磐石に。お二人には伝えていませんが、勝手に動くとしましょう」

 一個目、二個目をあえて外し、一段と硬い三個目がユーヒに直撃するのを見て、カザミはシンイキを華麗に歩いていくのだった。

 シララスの心兵が水を撒き散らして、砕けるように散っていく。その裏から放たれた燃え盛る火の槍が、ルーンカのシンペイを貫いて、背中から燃え広がった炎が焼き尽くす。

 心兵が倒されて消える前に、別の心兵がそれを利用して反撃する。単純で基本的な戦法だが、シララスはそれをルーンカ相手に、読ませることもなく瞬時の連係で行ってみせた。

 シララスの心兵が四体倒される間に、ルーンカのシンペイは五体倒れる。戦況は互角以上のやや有利。彼の力が高まったのもあるが、ルーンカがシンペイを後退させられない状況にあるのも大きい。

 挟んで戦うクゥラは、守りを固めてルーンカの戦線を同じ位置に留める。ルーンカは無理に攻めることはなく、双方とも真兵の消耗は少ないが、シララスを含めた戦場全体でいえば互角といってもいいだろう。

 シララス側のシンペイが全て倒されれば、ルーンカとシララスの間を阻むものはない。彼と彼女の直接戦闘の決着が付くまで、クゥラは攻めに転じて残ったシンペイを引きつけていれば、ルーンカは新たにシンペイを生み出す余裕も作れない。

 ルーンカのシンペイを生み出す力が並外れて高くとも、一切の準備もなしに、倒れたシンペイを倒れた数だけ即時に生み出すことはできない。

 それができるなら、今回も多くのシンペイを最初から配置しておく必要はない。全てをシララスやクゥラ、カザミとの戦いに備えて準備しておけばいいだけだ。

 とはいえ、その準備時間がどれほどなのかは、あくまでも推測に過ぎない。だからこそシララスとクゥラは、一瞬の隙も与えずに戦い続ける。もしかすると、この戦いの間にも準備ができるのかもしれないし、既に準備は完了しているかもしれない。

 だとしても、シララスが接近さえすれば、ルーンカもシンペイを盾に指揮を続けることはできなくなる。戦況が変われば、クゥラもまた違う戦い方ができるのだ。

 二対一ゆえの互角。

 ルーンカも冷静に、今の戦況を分析しながらシンペイを動かす。彼女にもとれる手段はいくつかあるが、しばらくはシララスとクゥラに合わせて戦うつもりでいた。

 強引に脱出しても、追ってこられて戦う地形が少し変わるだけ。近辺には小さな雪山がいくつかあるだけで、自分に有利な地形戦を行える場所はない。

 シララス側のシンペイは、もう殆どいなくなっている。同じくシララスの心兵も、殆どいなくなった。互いの姿がよく見える。ここで魔法を使って奇襲をすることもできるが、自分はそれほど魔法が得意なわけではない。

 どちらにしても、悪くはないが良くもない。なら、相手に合わせても変わらない。ルーンカのその判断は正しく、迷いもなく、彼女が強き将であることを如実に表していた。

 シララスとクゥラが時間をかけて考えた作戦。一度はルーンカの予想を上回った作戦。それにルーンカは、瞬時に、完璧に対応する。

「シララスさん!」

「ああ、ここまで来たら!」

 シララスは残った心兵をまとめてぶつけるように動かして、自身もそれに続く。守りを突破しつつ最短での接近。クゥラもそれに合わせて、操る真兵の動きを変える。

 拳を握って駆けてくるシララスに、ルーンカは笑顔で構えた。

「……っと」

 一気に突進して先手を打とうとしたシララスは、その構えを見て速度を緩める。相手の勢いを利用しての、反撃の構え。勢いに任せて突撃していたら、そこで勝負は決していた。

「やっぱ、こういうことにも備えてるよな」

 当然といった表情で、ルーンカは頷く。

「けど、俺にはいい幼馴染みがいるんだ。ルーンカ――君の構えは、甘い!」

 シララスは言葉で威圧するように、大きな声で告げた。

 ルーンカはその言葉に警戒して身構えたが、一歩踏み出せば腕が届く距離、シララスが動くことはなかった。

「……はったり?」

「いや、真実だ。ただ、俺もそれを破れるほど、強くないってだけで」

 シララスは素直に告白する。確かに彼女の構えは、シズスクより遥かに甘い。どうやっても勝てないと思うほどの力は感じない。だが、シララスはシララスであって、シズスクではないのだ。

 それでも、最初の反撃を見切れたのはシズスクのおかげ。そして、これからの戦いでも、その経験は活きていた。

 先に動いたルーンカの拳――重くはないが速い拳を、シララスは紙一重で回避する。

 シズスクだったら、拳はもっと速く、当たっていた。

 続いたルーンカの蹴りを――速度はないが重い蹴りを、シララスは左脚で受け止める。

 シズスクだったら、蹴りはもっと重く、倒されていた。

 左の拳をかわされ、右の蹴りを受け止められ、ほんの少しの隙ができたのをシララスは見逃さない。身を低くしてルーンカの懐に潜り込み、彼は全力で体当たりをする。

 そのまま腰を掴み、一気に押し倒して……しまえるほどの力は、彼にはなかった。

「ちょっとずるい気もするけど……これで!」

 だが、ここはシンイキ。現実空間ではない。

 シララスは腰を掴んだ体勢のまま、二体の心兵を生み出す。ルーンカの真後ろに、雪の上に寝かせて。ルーンカも咄嗟にシンペイを生み出してはいたが、攻撃を仕掛けてくるものとばかり思っていたため、生み出されたシンペイは彼女を守れない。

「はあっ!」

 力を入れて前進するシララス。ルーンカも力を入れて耐えるが、突然出てきた障害物に躓いて、転びそうになる。それだけで転ぶことはなかったものの、シララスは力を抜いていない。

「……う」

 そしてそのまま、ルーンカは雪の上に押し倒された。

「ふう……っと!」

 安心しかけたシララスだったが、慌てて寝かせていた心兵を起こすと、背中を守らせる。背後からシララスを狙っていたルーンカのシンペイは、彼の心兵に遮られて攻撃が届かない。

「ここから、どうすればいいんだろうな」

 押し倒した時点で、こちらが圧倒的に優位。だが、ルーンカは倒れただけ。

「降伏は……」

 ルーンカは押し倒されたまま、首を横に振る。

 彼女はまだ諦めていない。圧倒的に不利な状況でも、なぜそこまで戦おうとするのか。シララスは尋ねようかと思ったが、押し倒したルーンカは強い抵抗をしていない。

「シララスさん! 変なことをしてはいけませんよ!」

 そうしているうちに、クゥラに誤解をされた。そういえばそういうこともできるのか、とシララスはクゥラの言葉で意識したのだが、もちろんそんなことはしない。

 ルーンカがこちらに集中している間に、クゥラの戦いも優勢だった。このままシララスが彼女を抑えていれば、もう彼女に抵抗はできないだろう。むしろ、下手に倒すと回復の時間が作られてしまう。万全のルーンカともう一度戦うことになれば、負けるのは自分たちだ。

 それがわかっているからシララスは動けない。クゥラもわかっているはずだが、なぜ誤解をされたのか。シララスは疑問を覚えたが、問うている暇はない。

 そんな膠着状態を破ったのは、遠くから聞こえてきた声だった。

「シララス、クゥラ、そろそろ決着は付いていますね?」

 風に乗って聞こえてきたのは、カザミの声。心兵の知覚でも誰もが認識できないのだから、相当遠くから風を操っているのだろう。

「とはいえ、ルーンカさんが降伏しなくて困っている……かもしれませんね。それでも勝ってはいるのでしょうが、どうせなら完勝にしておこうかと思いまして」

 その声の、言葉の意味がわからず、シララスとクゥラは不思議な顔をする。しかし、シララスの下で倒されているルーンカだけは、その意味を理解したようだった。

「ユーヒは?」

「倒しましたよ」

 ルーンカの小さな声に、カザミがすぐに答えた。どうやら偵察用の神兵も近くによこしているらしいと、シララスとクゥラはそこでやっと気付く。

「ですから……」

 楽しげなカザミの声。それに続いたのは、シララスとクゥラにとって予想外の声だった。

「よくやった、シララス。私たちもこれからそちらに向かってもいいが、必要ないな?」

「クゥリット。我は無事だ。我が妹の戦い、できれば最初から見たかったものだがな」

 聞こえてきたのは、ヒミリクとシァリ――二人の師匠と兄の声。

「……と、二人は救出しておきました。当然ですね。ルーンカさんはそこにいて、ユーヒは倒しました。そしてわたくしは自由。さあ、これで降伏の条件は整いましたね?」

 シララスは押し倒すルーンカの顔を見る。

 ルーンカはこくりと頷いた。微笑みながら、ゆっくりと。

 クゥラは戦っているシンペイが動きを止めたのを、それよりほんの少し早く認識する。ルーンカが頷く頃には、そのシンペイたちはすっと姿を消していた。

 降伏。

 チカヒミとの最後の戦いは――前の戦いの結果をそのまま反転させたかのように――ココカゼ、カカミ、マコミズの大勝で終わった。


次へ
前へ

飛都国目次へ
夕暮れの冷風トップへ