飛都国

ウガモコモ篇


   チカヒミとの戦い その二

 チカヒミが動いたのは、シララスとクゥラが偵察で得た情報を伝えてから、二日と経たない頃だった。クゥラが温泉の素晴らしさを知った、翌日の出来事である。

「ふむ……」

「師匠、もう勝ったんですか?」

「いや、少しカザミと情報交換をしてきただけだ」

 ヒミリクとシララスはいつものように川澄で修行をしていた。始めて少ししてヒミリクが動きを察知し、修行を中断して出ていったのだが……戻ってきたのは十五分と経たない頃だった。

「敵将は?」

「こちらには二人、カカミには一人。ごく少数だ」

 だったら勝敗は見えている。ならばなぜ情報交換だけで終わったのか、シララスは不思議に思う。

「それから、カカミとマコミズの間に五人。どうやら今回のチカヒミの狙いは、ココカゼやカカミではないらしい」

 そこまで聞いてシララスも理解する。こちら側に来ているチカヒミの一般将は、足止めや監視が目的。つまり狙いは――マコミズである。

「救援は? 二人くらいなら、俺でも何とかできると思います」

「頼もしいことだな」

 シララスの言葉にヒミリクは微笑む。だが、首は横に振られた。

「シララス。自分の実力は理解しているな?」

「はい」

「もし、チカヒミに伏兵がいたとしたら、一人で凌げるか?」

「時間を稼ぐくらいなら」

 シララスの自信に満ちた答えに、ヒミリクは頷く。

「稼いだ時間で、私たちの勝利を願うか? それもいい。だが、忘れてはいけないぞ。その稼いだ時間は、相手にも時間を与えるということを」

「……あ」

 師匠の言葉でシララスは理解する。戦う相手も同じ人間。頭を使い、こちらの動きに合わせて動きを変えられる。マコミズに戦力が集中していると聞いて、現状の解決だけに頭を使っていた自分の浅はかさに、シララスは深呼吸して頭を冷やす。

「戦いには熱さが必要なときもある。だが、それは力ある者の特権だ。もしも君が、チカヒミの伏兵を全て倒せると言えたなら――私は安心して救援に行けただろう」

「はい。すみません」

「なに、気にすることはない。マコミズなら大丈夫だ。シァリの力はチカヒミの強き将にも劣らない。そう……チカヒミがいつものように戦うなら、負けはしないさ」

 そう言ったヒミリクの笑みは、ほんの少しだけ弱々しかった。「チカヒミがいつものように戦うなら」――その言葉はつまり、いつもと違うなら負けるかもしれないということ。

「ふふ。しかし、いい機会かもしれないぞ。シララス、修行を再開しよう。君が疲労で倒れようとも、ココカゼは私が守る。自らを鍛えることに専念するといいい」

 だが、ヒミリクの声に、言葉に、表情に、悲観する色は微塵も感じられなかった。どこかわくわくしているような、何かに期待しているかのような、そんな声。

「はい、師匠!」

 それが誰に向けられてのものなのか、理解できないシララスではなかった。だから、はっきりした声で答える。少しでも早く、安心して師匠が背中を任せられるように。そして、空の向こうで機会を得るかもしれない彼女に、置いていかれないように。

 マコミズの周囲には、十人のチカヒミの将が控えていた。全て一般将であり、半円を包囲される形になっているが、真域での戦いなら人数も包囲も関係ない。

「クゥリット、ここは任せる」

「はい。万が一の際には、私が城を――国を守ります」

 問題があるとすれば、この状況なら必ず現れるであろう、強き将がどこに現れるか。シァリは常にそれを警戒していなければならないため、力に任せて一気に一般将を蹴散らすような動きはできない。警戒しつつの、各個撃破。力に差があっても、時間はかかるだろう。

 銀の飾りヘアピンをつけた兄を、金の紐リボンでツインテールにした妹が見送る。マコミズとチカヒミの全力の戦いが、もうすぐ始まろうとしていた。

 シァリは真域を広げ、マコミズの東側から包囲する一般将のシンイキに繋げる。南側にいる残りの一般将は、シァリが動いてもその場に待機したままだ。だが、これからの動きによっては西側から回り込まれ、マコミズを三方から襲われてしまう。

 シァリの戦い方は、前線に出ての直接戦闘。包囲を突破し切り込むには向いているが、包囲の全てを殲滅するには効率が悪い。

 だから各個撃破は北から順番に。守りが薄いのは南東だったが、そこを攻めれば北と西、四方からマコミズが攻められてしまう。シァリの力なら十人の一般将を相手に蹴散らすことも可能だが、乱れた戦線を崩さんとする次の一手に対処するのが難しくなる。

 今日のチカヒミはいつもとは違う。戦線維持を目的とした動きではない。強き将だけでなく、更なる多数の一般将が控えていると考えるべきだろう。

 シァリが片手に生み出したのは小さな火の短剣。連戦に備え、懐に何本も同じものを生み出しておく。それから、数体の小さな真兵を偵察に向かわせる。水滴の混じる火の玉は、風に乗って地を這うように真域を駆けていく。

 なだらかな岩場に隠れ、チカヒミの一般将にそれは捕捉できない。マコミズの周囲で広げられた真域での戦い。今のところ、地の利はシァリにある。

 数分後。

「我が名はシァリィグラーゼ! チカヒミの将よ! 我が相手をしよう!」

 偵察と状況把握、真兵の配置が完了したところで、シァリが勇ましい声を響かせる。

 多数のシンペイを横長に構え、目深に被ったフードの奥から彼を見ているであろう、チカヒミの一般将は動かない。だが、シァリは知覚していた。南側の一般将がシンイキを広げ、動きを見せたことを。

 今はまだシンイキを広げ、待ち構えていたシァリの真域に繋がっただけ。ここからどう動くかはまだ読めないが、彼がやることは決まっている。

「時間を稼ぐか? 攻めに転じた我が力――受けてみよ!」

 瞬間的に距離を詰め、シァリは周囲の真兵を残し単身で走り出す。その動きに意表を突かれたのか、チカヒミの一般将が操るシンペイの動きが遅れた。そしてその動きは――一般将にとって、致命傷となる。

 僅かに見えた陣形の隙。シァリが投げつけた火の短剣はシンペイの守りをすり抜けて、長いコートに隠れた一般将の腹部に突き刺さる。小さくとも力の込められた彼の真兵。直撃を受けた一般将は膝から崩れ落ち、構えていたシンペイもろとも消え去った。

 東側に布陣する一般将は残り四人……いや、三人になった。南に近い一人の一般将が、マコミズから東――チカヒミ方面へと撤退を始めている。

 目的は控える他の将との連絡。シァリはそう予想したが、それを止める術は彼にはない。だが、目の前に並ぶ一般将を一人一人倒していけば、何も問題はないと判断する。

 シァリは距離の離れた真兵と速度を合わせて、次の一般将を目指して駆ける。百に近い真兵と、並のシンペイでは止められない真者シァリ。対するチカヒミの一般将も、二方向からの攻撃に備えて陣を構え直すが、二つに分ければ一方の守りは確実に薄くなる。

 数が多いのは、シァリ側に向けられたシンペイ。シァリは速度を緩め、彼らを引きつけつつ自身の真兵を指揮する。数は百対三十弱。一体の能力もシァリの真兵が上回る。

 シァリは風を操り、軽やかに七十強のシンペイが繰り出す攻撃を回避していく。その間に彼の真兵は一般将のシンペイを打ち破り、そのまま将に烈風の蹴りを放って倒していた。

「この程度で我が止められると思うな! ゆくぞ!」

 二人目の一般将を倒しても、シァリは足を休ませない。各個撃破は、まだ始まったばかり。撤退した将を除いても、まだ七人も将は残っているのだから。

 遠くマコミズの方角を見て、カザミは神域を広げたまま待機していた。カカミ周辺のチカヒミの一般将は動いていない。だがそのもっと向こうでは、激しい戦いが繰り広げられていることだろう。

「一応、準備はしておきましょう」

 精鋭の神兵を百体。ゆっくり着実にカザミは神兵を生み出しつつ、様子を見守る。チカヒミの狙いはマコミズ。しかし戦況によっては、チカヒミの動きが変わるかもしれない。

「あちらの将の――強き将の戦略、とくと見せてもらうとしましょう」

 おそらく戦略を立てているのは、チカヒミで最も強き将。出会った将がそれか、あるいはまた別にいるのかはわからないが、戦線維持だけではない行動に出たとき、将としての真価の一端が見える。

 圧倒的にこちらを上回る頭脳を持っているのか、それとも数と力に任せるだけの将か。今回だけでは全てを判断するには足りないが、今回が大事な見極める機会であるのは変わらない。

 遠くマコミズの方角を見据えて、カザミはさらに十体の神兵を生み出した。普段より少しだけ多めに、それでいて周囲の一般将を全て蹴散らすのに最低限の数。刺激はしないが、攻めてくるなら一掃する――その意志だけをしっかり伝えて。カザミは待機していた。

「終わりだ。我が前に倒れよ!」

 懐から取り出した火の短剣を突き刺し、接近してくるチカヒミの一般将の胸に突き刺す。シァリの実力を理解した上での、無謀とも言える攻撃。しかしそれは無駄な動きではなく、想定より少し速く動いたシァリの背後へ、他の一般将の操るシンペイが襲いかかる。

「ほう。紛れさせたか」

 多くのシンペイが消え去る中、残った数体のシンペイ。シァリの背後には、彼の真兵はいない。懐の短剣も、先程の七人目の一般将を倒した際に使い切っていた。

 だが、シァリも最初から二人を相手に戦っていた。一般将も最初から身を隠してはいない。後ろに残った彼の真兵を通して知覚する先、多くのシンペイに守られてチカヒミの一般将は構えている。

「我が水は鋭く細く、風に乗り遠くへ届く矢となる。放とう、我が背より」

 振り向く必要はなかった。知覚は真兵がいればいい。シァリの背中から放たれた細く鋭い水の塊は、吹いた風に乗せられて、遠くチカヒミの一般将目がけて上空を飛んでいく。

「八人目」

 その呟きは、命中とともに。シンペイの守りが薄い上方からの攻撃は、一般将には防げなかった。咄嗟に動かされた何体かのシンペイは、跳んだ姿勢のまま力を失い消えていく。

 余裕を持って振り返ったシァリの目の前に、一体のシンペイが地の拳を振り抜く。

「――ふっ」

 意表を突かれたかのような攻撃。しかし、シァリは半身になって半歩移動し、紙一重で回避してみせた。直後、自らの拳の先に小さな地の槍を生み出し、目の前のシンペイの中心――水を貫き燃え盛る火炎目がけて、拳を振り抜いた。

 中心に打撃を受けたからではなく、高い威力の攻撃を受けたことによって、シンペイはシァリの拳の前に倒れる。

「作戦は失敗のようだ。出てくるがいい、もう一人の将よ!」

 その言葉に答えるように、彼の側面にあった湖が波立つ。そして波は弾け、水中から多くのシンペイを率いた一人の将が姿を現した。

 慌てた様子も見せずに、ただ黙ってシァリを見ているチカヒミの一般将。普段と変わらぬ、冷静で無表情な――フードに隠れて表情は見えないが――印象のまま、将はそこにいた。

「地の利は我にある。残る将は一人。隠れるとしたら、これほど絶好の場所はない」

 真域であろうと水は水。通常は呼吸が続かないが、魔法を使えばどうということはない。

「再び水に戻るがいい。我が熱き水により、すぐに終わらせてやる」

 一般将がシンペイを動かした直後、湖の数箇所から熱き水が噴き上がり、螺旋を描いて水上を駆け抜けて、チカヒミの一般将へと向かっていく。螺旋に囲まれた一般将は逃げ場を失い、動き出したシンペイはシァリの真兵に攻撃されて戻れない。

「我も魔法が使えぬわけではない。落ちるがいい」

 激しい水の爆発とともに、一般将の体が再び湖に沈む。見た目ほどの威力はなく、一般将は倒れてはいない。シァリが水の中に忍ばせておいた真兵を、魔法によって派手に演出しただけなのだから。

 だが、真域でも湖は湖。呼吸は長く続かない。大きなダメージを受けた状態では、魔法で呼吸を確保しても、素早く水中を移動するのは不可能だろう。仮にできたとしても、そんな余裕をシァリが与えるはずもなく……。

「案ずるな。すぐに終わらせてやろう」

 シァリの掌の上に浮かんだ、泡に包まれた針のように細い火。彼がその泡を湖の中に投げ込むと、泡は沈んだ一般将を追いかけていき、傍に到着したところで弾け、火の針がその体を貫いた。小さくとも、これもまたシァリの真兵。弱った一般将が、水中でそれを防げるはずもなかった。

 地上のシンペイが全て消えたのを確認して、シァリは偵察用の真兵で状況を確認する。もしもの可能性に備えていたが、撤退した一般将が戻ってはいないようだ。

 そして知覚してすぐ、シァリは険しい表情を見せる。

「……やられたな」

 この戦いに、伏兵に注意を払い過ぎていた。シァリは一瞬でも偵察用の真兵から、届けられる知覚を絞ってしまったことを悔やむ。敵は、それを待っていたのだ。

 ほんの僅かでもいい、シァリが偵察用の真兵から注意を逸らし、死角ができる瞬間を。その死角から飛んできた何者かの攻撃によって、彼が偵察に放った真兵は半数以上が倒されていた。残った真兵は戦いの中でも知覚をさほど絞らなかった真兵であるが、それらももうすぐ倒されるであろうことは、そちらに集中したことですぐに理解した。

 撤退したと思われた一人の一般将。彼の操るシンペイが、偵察用の真兵を狙っていた。偵察に見つからないようにかなり遠くにいたようで、到着までに時間はかかるが、到着したら偵察用の真兵では勝負にならない。

 すぐにでも次の真兵は放てる。だが、一時的に大きな隙ができてしまった。それを取り戻そうと素早く行動するシァリの目に、新たに現れたチカヒミの将の姿が映った。

 湖の向こう。数は三人。彼から遠ざかるように、多くのシンペイを連れて駆けている。あの方向にはマコミズはないが、左に曲がればマコミズは目の前だ。

「――させん!」

 シァリは真兵の背に乗り、湖面を駆けて一直線に彼らを追いかける。相手の速度も速いが、こちらの速度をもっと速くすれば十分に間に合う。偵察用の真兵を狙う一般将は、シンペイを分散しているから脅威ではない。今追うべきは、シァリを避けてマコミズを目指す三人の一般将だ。

 数は三。多少消耗したとしても、追いつける。他に伏兵がいたとしても、蹴散らせる。

「我から逃げられると思うな――チカヒミの将よ!」

 だが、シァリは気付いていなかった。ほんの少しの失策と、ほんの僅かな焦り。それが彼の判断を誤らせたことを。遠く遠ざかるようなチカヒミの一般将が目指す先は、マコミズではないかもしれない……その可能性を、無意識に排除していたことに。

 結果、シァリはマコミズから大きく離され、チカヒミの一般将は一直線に逃げ続ける。彼が判断の誤りに気付いたのは、三人の一般将と戦いを始めた瞬間――マコミズ方面に現れた伏兵が、彼の足止めをするように待機しているのを察知したときだった。

 マコミズの城を中心に真域を広げ、クゥラはチカヒミの襲撃に備えていた。いくら彼女の兄が強いとはいえ、チカヒミが有する将は多い。何人かの一般将がここまでやってきても倒せるように、真域に作られた城の前でクゥラは待ち構えていた。

 城の周囲には数百の真兵。マコミズの君主、姫とも呼ばれるシァリ、クゥラの暮らす城にして、彼らの守るべきマコミズの城。民が暮らす町とは少々離れているが、戦いの様子を見ている民も多いだろう。

 もしマコミズが負けるようなことがあれば、チカヒミの目的は書状で知らされた通り。民の暮らしぶりは変わらないかもしれないが、マコミズという国は変わる。

 しかし、彼らが胸に抱いているのは、決して不安でないこともクゥラは知っている。マコミズの真者は他国の将には負けない。それはクゥラではなく、主にシァリに向けられた期待ではあるが……それもまた、守るべき民の心であることに変わりはない。

「シァラーゼお兄様。ご安心下さい。ここは私が、絶対に守ります」

 決して兄には聞こえない声。自分を奮い立たせるための言葉。クゥラがそれを口にしたのは、彼女が知覚してしまったからだ。

「私の名はクゥラェリーリット。チカヒミの将よ、私がお相手します」

 百五十のシンペイを引き連れて、フードを目深に被り、長いコートを身に羽織り、チカヒミの将は歩いて現れた。あの余裕、どうやったのかは知らないが、兄の到着は期待できない。

 チカヒミの将はクゥラの方を見て、小さく頷いた。

「……答え、た? まさか、いえ、だとしても!」

 前線に配置していたクゥラの真兵と、先陣を切ったチカヒミの将のシンペイが衝突する。数はほぼ同じ。ほんの少しクゥラの方が多いくらいだが、戦いを有利に進めているのはチカヒミの将だった。その差は単純に、真兵を指揮する能力の差。

 聞いていたチカヒミの一般将の実力ではない。それをクゥラが理解するには、時間は要らなかった。今、自分が相手をしているのは……チカヒミの――強き将。

 城の周囲に他のシンペイはいない。クゥラは側面に配置していた真兵を集め、より多い数で目前のシンペイに勝負をかけようとする。しかし、それを察知したチカヒミの強き将は、その進路に魔法を仕掛けてクゥラの真兵の到着を遅らせた。

 その間に、自らのシンペイを前に向かわせ、数を増やす。指揮能力の差と、数の差。クゥラの真兵はあっという間に数を減らし、彼女自身も狙って攻撃が放たれた。

 放たれた火炎の小鳥は残った真兵で食い止め、クゥラは城の中に撤退する。城壁に守られた城の中なら、城門を破られたとしても一度に相手にするシンペイの数は減らせる。その間にこちらも真兵を集中させ、少しずつ、そう少しずつ減らしていけばいい。

 彼女の生み出した真兵は数百体。倒された分を引いても、まだ三百、四百はいる。数の差、指揮能力の差、その全てを計算しても、守り切れるはずだ。

「……え?」

 そう思っていたクゥラの表情は、驚愕の色に染まる。浮かびかけた絶望の色は、心を落ち着けて何とか食い止めた。

 残した真兵で知覚した城の外、チカヒミの強き将は攻めてこない。代わりに強き将は、ゆっくりと新たなシンペイを生み出していた。その数は、百五十。

「そんなの、ありえません。隠していた、しかし……」

 ゆっくりと、しかしその速度はクゥラの理解を超える速さで、あれだけのシンペイをこんな短時間で生み出すなど、通常では考えられないこと。兄でも、ヒミリクやカザミでも、不可能と思われる脅威の速度。

 三百のシンペイは城門を破り、城内に流れ込んでくる。クゥラの真兵も集まっていて、一度に相手にする数は少ないが……彼女の真兵が十体倒される間に、倒れる強き将のシンペイは七体程度。このまま戦いを続ければ、結果がどうなるのかは瞬時に判断できた。

 強き将は黙って戦いを見つめている。距離はある。だが、狙ってみるしかない。

「私にも……お兄様みたいに……シァラーゼお兄様――」

 掌に水の球。風に乗せて、強き将目がけて。少し時間はかかるし、倒せない可能性の方が高い。でも、少しでも時間を稼げれば、次の手が狙える。そう、退却する時間は稼げる。

 でも、退却したとして? その間にまた、シンペイを増やされたら?

 その状況になって、どうしたら勝てるか。負けない方法さえも、クゥラの頭には浮かばなかった。そしてふと、思い出す。兄に以前、言われた言葉を。

 「真似をする必要はない」――そう、真似をしていてはだめなのだ。

 クゥラは用意していた水の球を、途中で投げて一体のシンペイを撃破する武器とする。乱戦の中回避されることもなく、直撃したシンペイは城の前に倒れた。

 「クゥリットにはクゥリットの戦い方がある」――シァラーゼお兄様の言葉なら、きっとそうなのだ。「我が妹にしかできない、得意な戦い方が」――その得意が何かはわからない。けれど、自分にはよくわかっている。私の兄は、気休めでそんな励ましをするような人間ではない。

 見つけよう。

 見つけるしかない。

 自分にしかできない、自分だけの戦い方を。この戦いの中で。私の――シァラーゼお兄様とは違う――クゥリットの戦い方を。

「諦めるなど、ありえないですね」

 そう心に決めたクゥラに、もう迷いはなかった。なおも城内を目指して攻めてくるシンペイを見て、クゥラは百五十の真兵を城門の前から退ける。

「シララスさん。先に、行かせてもらいます」

 そうだ。考えてみれば、とても単純なこと。この城は、私の暮らす城なのだ。

 全ての部屋を、周辺の地形を、自分は知り尽くしている。城門を抜けられるその瞬間、別の出口から城外に向かわせた真兵を、強き将のいる場所に到達させる道も知っている。

 十七秒。

 それだけの時間を守り切れるだけの真兵は残した。

「私は逃げません。隠れもしません。ただ、私はこの城を守る。そして、この城は私を守ってくれる。貴方に――マコミズは落とせません」

 決意を込めた、言葉。おそらくシンペイを通して、強き将の耳にも届いているはずだ。

 十七秒が経過した。

 城内になだれ込む百を越えるシンペイ。正確には、百二十一。思ったよりも多いが、むしろ好都合だ。城外に残った強き将のシンペイは五十九体。こちらが送り込み、回り込ませた真兵は百五十体。気付いて何体かのシンペイを戻したとしても、間に合う。

「こちらです!」

 クゥラは挑発するように微笑み、襲いかかるシンペイを誘導する。城の中の、なるべく細い道。数の利を活かすことのできない城内戦なら、クゥラ一人でも戦える。

 撤退しながら両手に生み出すのは、細く長い水の槍。威力も低く、耐久性もない。それでも生み出したのは魔法ではなく、二体の独特な真兵。

「そこ!」

 廊下を曲がる際に、回転しながら二本の槍を投げつける。足元を狙って放たれた攻撃に、追いかけるシンペイの足が少しだけ止まる。時間稼ぎには十分だ。

 兄の真似はしない。兄と同じような戦い方はしない。でも、兄のようになろうと真似して、ついた力も無駄にはしない。今使える全ての力、余すところなく使わないと、この戦いには勝てない。外での戦いも、すぐには終わらないのだ。

 城外。

 チカヒミの強き将は多くの真兵に襲われながらも、自らのシンペイを的確に指示して守りを固めていた。攻撃を捨て、守りにだけ特化した動き。自分が倒されるより、クゥラが倒れる方が早い。そう強き将が読んでいるのは、疑いようもなかった。

 しかし、その強き将の読みも、今回ばかりは外れていた。城内を逃げ回るクゥラを、彼、あるいは彼女のシンペイは捕まえられない。複数に分けて追いかけようにも、クゥラは常に挟まれないように動いている。城内の地図を持たない強き将には、シンペイの知覚で把握するしかない。脳内で全ての地図を完成させるには、マコミズの城は広すぎた。

 そしてまた、クゥラも短時間で地図を完成させられないように、的確に動いていた。同じ道を何度も通り、新しい道は逃げ場がなくなるまで使わない。そしてまた、その道を何度も使い、時には部屋に逃げ込み隠し通路を利用する。

 そのクゥラの動きに、チカヒミの強き将は苛立ちを募らせていた……かどうかはわからない。目深に被ったフードの下、魔法も使っているのか至近距離でも表情は見えない。

 接近した真兵を軽やかに回避して、強き将は遠く東の先を見る。

「……ん」

 それは小さな、とてもとても小さな呟き。

 直後。

 彼、あるいは彼女を守ったシンペイの腕を抱きつくように掴み、強き将はその場から撤退を始めた。城内に送り込んだシンペイも全て外に戻し、クゥラの真兵を牽制しつつ自身に引き寄せる。指揮能力の差から、撤退する様子を見せればクゥラは無理に攻めてこない……今度の読みは、完璧に当たっていた。

 そしてそのまま、全てのシンペイを集めた強き将は、城外に出てきたクゥラの姿を見つけて顔を向ける。城内に残ったシンペイは一体もいない。それを瞬時に確認して、今度は城壁を利用した守りを固めようとしている彼女に。

「逃げるのですか? この状況なら、確かに勝つのは私ですが……」

 クゥラの問いに、強き将は答えない。それは過信ではなく、事実。

「少し前の状況なら、その、良くて引き分けが限界でした」

 そしてこれも、真実。クゥラの真兵はチカヒミの強き将を倒せず、クゥラの逃げる場所は少しずつだが確実に減っていた。強き将の守りを破るより、逃げ場を失う方が早い。そう計算した上で、捨て身の攻撃を仕掛ければ引き分けには持ち込める……かもしれない。

 かもしれない、である。クゥラは戦いの中で、理解していた。強き将は本当の実力を隠している。クゥラの真兵がチカヒミの強き将を倒せなかったのは、その指揮能力が城門で見せた能力より高かったから。

 強き将は答えない。ただ、シンペイの腕に掴まったまま片腕を放し、コートに隠れた腕を伸ばしただけ。マコミズの東、遠く東を示すように。

 疑問の表情を浮かべるクゥラを無視して、チカヒミの強き将は撤退した。

 クゥラは追わない。追っても勝てる相手ではないし、城を守るのが今の自分の役目だ。彼女の兄に任せられた、大事な……。

「あ」

 クゥラが気付いたのと、その姿を視界に捉えたのはほぼ同時だった。強き将が示した遠い東の空、数体の真兵が高速で空を飛んでいる。自分の真兵ではない。ならば、誰の真兵なのか――答えは決まっている。

「シァラーゼお兄様!」

 その姿が見えるのは、もう少しあとのこと。だが、シァリは間違いなくマコミズの城に向かって移動していた。道を阻むチカヒミの一般将を全て蹴散らし、妹を――国を守るために。


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