「……で、どうだったの? 『ン・ロゥズ』のピッツァは?」
「うん、美味しかったよ。コーヒーにもよく合う」
月曜日の通学路、話が変わって成ちゃんに尋ねられた私は、ピッツァカフェの感想を答える。
「じゃあ今度は私もマルゲリータを……。ううん、他の料理も確かめた方がいいかしら?」
「そうだね。帰り際におすすめも聞いたけど、『すすめられないものはお店に出していません』って答えられちゃった」
「ふーん……店長さんとなかよくなったの?」
「うん。花見櫓恋凜さんっていうんだけど、綺麗な人だよ」
そこでふと、私は成ちゃんに確認してみる。確認するまでもないことだけど、昔からのお約束みたいなものだ。
「でも、よく私の食べたのがマルゲリータだってわかったね?」
笑顔で尋ねると、成ちゃんは当然といった顔で答えてくれる。
「灯のことだもの、最初はそういうのを頼むって知ってるから。それで、その恋凜さんって人は、どこからきた人なの?」
「さあ? 聞いてないけど、珍しいよね」
大きな街も近くにあるとはいえ、ここ砂和里手村は北海道の西寄りにある小さな村だ。近いといっても汽車で三時間はかかる距離だし、そこは遠すぎたにしても、近くの街なら汽車で二十分の距離だ。遠くの大きな街とも繋がっているから運行本数も少なくはないし、待ち時間を含めても一時間とかからない。
「そうよね。あっちの街の方が人が多いし、どうしてこの村にしたのかしら?」
「水や食材がいいのかな? 砂和里手湖、綺麗だし」
「だったら、次はシーフードピッツァね。湖ならレイクフードかしら?」
砂和里手湖は村の中央にある東西に広がった楕円型の大きな湖で、村のシンボルであり区分けの目印にもなっている。私たちの家があるのは湖の南側で、学校があるのは西側だ。
そうして話しているうちに、その学校が見えてきた。村立・私立の砂和里手学校。小・中・高一貫の村に一つしかない学校で、立派な校舎がほんのちょっと離れたところにいくつも並んでいる。
まだ話しきれていないことはあるけれど、続きは帰り道にでも話そう。彼女については私もまだよくわかっていないし、成ちゃんや親しいともだち以外にはちょっと伝えにくいよね。
学校に到着。
高等部の校舎に入って、私たちの教室を目指す。といっても高等部は各学年一クラスしかないので、村の生まれなら初等部からずっと同じクラスだ。ときどき、外部からの新入学生が出ることもあるけれど、私たちの世代には一人も出ていない。
特に盛んな部活動があるわけでもないし、村の文化財に興味があるにしても在学中にやってくるのは稀で、ほとんどは大人になってから研究にくるものだ。
「おはよう」
「おはよー」
教室の扉を開けるなり、私と成ちゃんは同時に挨拶をする。中からも多くの挨拶の声が返ってきて、その中には親しい二人のともだちの声も入っている。
「おっはよー! 今日も二人、いっしょでなかよしだねー」
元気に挨拶の声を響かせたのは、健康的な体と笑顔が魅力的な地空千草〈ちそら ちぐさ〉ちゃん。
「ええ……私たちもいっしょの登校だけれど。おはよう、今日はいい朝ね」
静かに挨拶の声を届けるのは、いつも落ち着いた雰囲気が魅力の雲沼晴虎〈くもぬま せいこ〉ちゃん。
「いやいや、いっしょって、晴虎のタイムは私より三分十二秒も遅れてるから、正確には周回遅れだって」
「朝からランニングで登校する千草の問題。ずっと背中は見えていたから、いっしょよ」
「ふふん、晴虎の脚に合わせて調整してあげてるからね」
「……知ってる。私に合わせるなら、走らないでほしい」
そんなことを言いながらも、きっと今日も晴虎ちゃんは千草ちゃんといっしょに走ってきたのだろう。今日も二人はなかよしだ。
荷物を置いていつものように談笑していると、少し離れたところから二人の男子の声が聞こえてきた。
「ところで、梅。『ン・ロゥズ』はどうだった?」
「お、ようやく尋ねてきたか。やっぱり秋平も気になってるよな」
梅と呼ばれた彼は、春川梅乃助〈はるかわ うめのすけ〉くん。
「自分もいきたかったが、日曜日は先輩との貴重な練習試合が急遽決まってしまった。……それで?」
真面目に返事をした彼は、夏山秋平〈なつやま しゅうへい〉くん。軽やかでいつも調子がいい春川くんと、堅くて力強い夏山くんは、昔から二人でいっしょにいる姿をよく見かける。
気になったのはもちろん、話題があの『ン・ロゥズ』の話になったからだ。噂のピッツァカフェ――新しいお店の話だから、気になったのは私だけじゃなくて、成ちゃんたちも少し気にする様子を見せている。
「聞いて驚くなよ、あの店には美人店長がいる! 名前も聞けていないし、声もかけられていないが、店員さんとの会話で聞こえてきた声も美しかった」
「美人とは、どれくらいだ?」
「我がクラスの美少女四天王を束ねても敵うかどうか、それぐらいだ」
「――ほう。それはとても興味深いな」
話は完全に予想外の方向ではなかったけれど、途中で春川くんの視線がこっちに向いた。私たちがその話を始めるまでもない、この流れはきっと、あっちから加わってくる流れだ。
「というわけで、ちょうど揃っている美少女四天王も油断するなよ! 並の男ならきっと、同じ感想を抱くに違いないからな」
春川くんの声がこちらに響いて、即座に返したのは準備万端の千草ちゃんだ。
「うっさい、梅乃助。四天王なんて、あんたたちが勝手に言ってるだけだから、話を振るな」
「梅乃助って言うな! 俺は梅だ!」
「そうね……私たちは一度も、自称したこともないし認めたこともない。梅乃助」
「だから梅乃助じゃなくて、梅だって……」
追撃を加えた晴虎ちゃんは、もちろん聞く耳を持たない。
「春川、名前聞いてないんだ?」
「みたいだね。私は聞いたけど」
成ちゃんと私がほのぼのと会話を続けていると、春川くんがすぐに反応した。
「お、灯もいったのか? さすが美少女四天王の一角、名前を聞けてしまうとは……やるじゃないか。で、親友も知っているんだな。教えてくれ」
「お断りよ」
「うん。自分で聞いた方がいいよ」
成ちゃんと私はすぐに切り返す。さらに、成ちゃんはもう一言付け加えた。
「それに春川、美少女四天王って言うなら、もう一人話す相手がいるはずだけど?」
成ちゃんは視線を男子二人からずらして、席を一つ挟んで離れた別の席の女の子に視線を向ける。そこには長くてきらきらした黒髪が神秘的な女の子、守月鞠帆〈もりつき まりほ〉ちゃんが我関せずといった様子でじっと座っている。
彼らが言う美少女四天王は、私、千草ちゃん、晴虎ちゃん……そして最後の一人は、あそこにいる鞠帆ちゃんだ。
私としては、成ちゃんが美少女四天王に入っていないのが不思議でならないけれど、彼らに聞いても『四天王の選定基準は秘密だ』の一点張りではぐらかされる。成ちゃんはかわいいから、私なら絶対、私を抜いて成ちゃんを入れるのに。
「え? いや、守月さんは……なあ、秋平?」
「ああ、お前たちみたいに気楽に話せる相手じゃない。守月神社の巫女さんだからな。神がついている」
秋平くんの表現は大げさだけど、気楽に話せる相手じゃないのは私たちも同じだ。話をしないわけではないけれど、私たち四人の誰も彼女とはなかよくしていない。
「神って……まあ、いいけど」
「話は終わったから、もう戻っていいよ、梅乃助」
成ちゃんが興味を失うと、それに乗っかるように千草ちゃんが言葉を続けた。
「だから、梅だって……ったく」
春川くんは文句を言いながらも、夏山くんといっしょに元の場所に戻っていった。
それから、私が『ン・ロゥズ』にいった感想を千草ちゃんと晴虎ちゃんにも話して、他にも色んな他愛もない話をしていると、始業を告げるチャイムの音が鳴り響く。
まだ話していないこと、話せないこともあるけれど、続きはまた今度だ。
その日の放課後。
私と成ちゃんは今日もいっしょに帰路を歩いていた。
「成ちゃん。今日も私の家に寄る?」
「そのつもりだけど、都合が悪いの?」
「ううん、そうじゃないけど……」
そこまで言って、どう言葉を続ければいいのか迷う。彼女のことは言葉だけだと伝えるのが難しいけど、何も言わないで見せたら驚かれると思う。
成ちゃんの顔を見ると、疑問の表情で私をじっと見つめていた。けれどそれも長くは続かずに、私の目に映るのは横顔になった。成ちゃんは話してくれるのを待ってくれている。
「なんて言えばいいのかな、ペット――じゃないし、とにかく、生き物なんだけどね」
「……拾ったの?」
「もらったの。というのも正確じゃないんだけど、恋凜さんに頼まれて」
「ふーん……。ま、詳しいことは家でいいわ。中にいるの?」
「うん。私の部屋にいるよ」
「へえ……」
成ちゃんは何かを考えている風だったけれど、きっと予想しているだけだろうから私は何も言わないでおく。成ちゃんの言葉通り、詳しいことは家で話せばいいのだ。
家に到着した私は、成ちゃんを玄関の中で待たせて先に部屋にいく。突然だと驚くかもしれないから、ンレィスに成ちゃんがくるということを教えるためだ。大きな一階建ての廊下の先に私の部屋はあるから、ンレィスに伝えたらすぐに成ちゃんに合図ができる。
扉を開けて、部屋の中で触手をうねうねさせていたンレィスに声をかける。
「帰ったんですのね。一人ではないようですが、おともだちですの?」
「うん。ンレィスのこと、紹介しようと思って」
私がそう言うと、ンレィスは少し考えるような仕草を見せた。
「……まあ、いいですわ。扉からは離れていますわね」
けれど笑顔――に感じる形の触手の動き――を見せて、扉に近くて二歩進むとぶつかりそうな場所から、部屋の奥に移動する。
それを見て、私は部屋から顔を出して成ちゃんに合図を送る。すると成ちゃんは小さく頷いて、廊下を歩いてきた。私は部屋から顔を出したまま、成ちゃんがやってくるのを待つ。
「中にいるのね?」
「うん」
部屋の前で尋ねる成ちゃんに、私は答えて扉を広く開ける。そのまま部屋の中に入ると、私のあとに続いて成ちゃんも部屋に入ってくる。
振り向くと、成ちゃんの視線はンレィスをじっと見つめている。私はンレィスに近寄って、部屋の入り口付近で立ち尽くしている成ちゃんに彼女を紹介する。
「成ちゃん。彼女はンレ――」
「なに……これ? この生き物、なに?」
驚いた表情だけど、私も初めて見たときは驚いた。やっぱり成ちゃんも初めてだから、声にも驚きがはっきりと混じっている。
「うん、ンレィ――」
「灯がそんな変な生き物飼ってるなんて、知らなかったわー!」
ダッ!
足音がはっきりと聞こえるくらいの勢いで、成ちゃんは私たちに背を向けて部屋から走り去っていった。
「あ、成ちゃん!」
私が手を伸ばして捕まえようとしたけれど、もちろんその手は届かない。私は手を伸ばしたままの姿勢で、成ちゃんが廊下を走る音を黙って聞いていた。