緋色の茜と金のオルハ

十八 緋色の茜と金のオルハ


 全ての七不思議は解明された。だが、湯木原浴衣にはもっと大事なことが残っている。観察している間もぼんやり考えていた、自分と恋人と幼馴染みのこれからの関係。

「私たちの母君と違い、二人の少女は家に関しては自由よの。愛する弟はどんな関係を望むのかや?」

 姉はそう言った。話すまでもなく様子から察しての、先制アドバイス。

「なんですか? いちまんねん独身みたいな私へのあてつけですか?」

 女神はそう言った。笑顔で冗談混じりに前置きしてから、真面目アドバイス。

「私の役目は見守ること。願いを叶えることではありませんが、神様ですから願いを知ることはできます。浴衣さんの望みと、茜さんの望み、オルハさんの望み――三人の望みはどれか一つしか選べないような、ぶつかり合うものではないですね。こと恋愛に関しては」

「孫ができるのか先か、浴衣に妹ができるのが先か、勝負する?」

 母はそう言った。迷わず聞き流した。

(長引かせるわけにはいかないよな)

 そして浴衣は考えた。これからの関係を、自分がどうしたいのか。

(俺は茜とも、織羽ともずっと一緒にいたい)

 それだけはわかっている。考え始めたその瞬間から、わかっていた。

 でも。

 どういう関係で。

 恋人として?

 幼馴染みとして?

 その答えはすぐには出なかった。だからこそ考える時間が必要だった。

 そして浴衣は考えた。自分がどんな関係を、二人がどんな関係を望むのか。

「茜、織羽」

 浴衣は二人の名前を呼ぶ。

「なーに?」

「ゆかたん、するの?」

 魂流図書美術博物館。五葉カフェの裏。いつもの場所の、いつもはあまり行かない場所。緋色茜と金藤織羽を――恋人と幼馴染みを集めて、湯木原浴衣は声を発した。

 気楽に変化を楽しむ茜に、関係の変化を恐れるオルハ。今の浴衣には、二人の感情も何となくわかる。もちろん茜もオルハのことを、オルハも茜のことを理解していて、おそらくは自分の気持ちも何となく理解されているのだろう。

「恋人でもなく、幼馴染みでもなく、俺は君たちとずっと一緒にいたいと思っている」

 素直に、単刀直入に。今度は先には言わせない。読ませない。

「俺たち三人だけの、言葉にできない恋愛関係――俺が望むのはそれだけだ」

 そしてまっすぐに。茜とオルハの顔を、二人まとめて視界の中心に入れて浴衣は言った。

「私たち三人だけの、口では言えないえっちなことばかりする関係――私が望むのは」

「それだけなら、さっきの言葉は撤回する」

「む。浴衣くんもやるようになったね!」

 茜は笑みを浮かべる。浴衣も笑みを返して、言葉も返した。

「君を驚かせてみせるって、言ったからな」

 もうこの程度では、雰囲気は壊れない。壊させない。

「私も一緒の、恋愛関係?」

「もちろん」

 今度はオルハから。浴衣はすぐに大きく頷いた。

「ゆかたんは、私のことを好きになれる? ゆかたんが望む劇的な出会いは、私にはない。遠い銀河からやってきた、その事実を明かしたのも随分あとのこと」

「織羽」

 目を逸らしそうになりながらも、何とか視線を留めている幼馴染みの両肩に触れる。このまま抱き寄せる勇気も、今なら出せる。

「俺は同情でこんなことが言えるほど、緩い恋愛は求めてないから」

 幼馴染みを抱き寄せて、しかし抱き締める勇気はなかった微妙な体勢で、浴衣は言った。

「幼い頃に出会った可愛い女の子が、こんなに綺麗に成長して、ずっと一緒にいてくれる。俺たちにとっては当たり前でも、それだけで十分劇的な展開じゃないか」

「ゆか、たん……」

 微笑む浴衣の顔を、オルハは見上げて目と目を合わせる。

「茜とはまた違う感覚だけど、好きだよ、織羽」

「うん」

 はっきりと口にされた言葉。オルハはゆっくり目をつむって、ほんのちょっとだけ背伸びをして、大好きな言葉にできない恋愛関係の顔に自分の顔を近づけて……、

「ちょっと待ったー!」

(横から!)

 それを同じく言葉にできない恋愛関係である、茜が引き離した。両腕伸ばして浴衣を全力で突き飛ばすという、なかなかに豪快な手段で。浴衣は咄嗟に腕を離して、オルハを巻き込まないようにするのが精一杯だった。

「オルハちゃん、今キスしようとしてたでしょ!」

「今の私とゆかたんは、キスしていけない関係じゃない。茜もしたければ、すればいい」

「そうだけど、浴衣くんに先に告白されたのは私なんだよ! だから、キスもその、私が先にしたいなー」

 転んではいないもののそこそこ吹き飛ばされた浴衣に、視線を送る茜。

「引き離すにも程度ってものが」

「でも茜より、私の方がゆかたんのことを好き。気付くのがちょっと遅かっただけ。ちょっと前まで恋する気持ちもわからなかった茜に、時間も深さも負けてない」

 浴衣の言葉はオルハの言葉にあっさり掻き消された。

「そりゃ、確かにそれでは勝てないけど……今は恋する気持ちもわかるし、そうじゃなかったらこんなことしないし」

 掻き消されたと思った言葉は届いていたのか、茜はゆっくりと浴衣の方に歩いていく。転んではいないが手を伸ばして、同じく伸ばされた浴衣の腕をぐいと引いて顔を寄せる。

「えい」

「ふむっ」

「あ!」

 不意の口づけ。ほんの一瞬のキスだったが、はっきりと伝わる唇の感触。

「ふふ、油断したね! これでファーストキスは私のものだよ!」

 勝ち誇った笑みを浮かべる茜を、オルハは悔しさを込めた瞳でじっと見ていたが、ふと表情が和らいだ。そして次に浮かんだのは、こちらも勝ち誇った微笑み。

「残念。ファーストキスなら、私がずっと昔にもらってる。ゆかたんも覚えてる」

「あ、ずるい! 前は覚えてないって言ったのに!」

「覚えてないけど、思い出した。それだけ」

「むー。でも、それはこういう関係になる前のキスだよね。こういう関係ってどういう関係か言葉にはできないけど、そういう意味では私の勝ちだよ」

「……この」

(織羽が怒るの珍しいな)

 それもこれだけ感情を剥き出しにして。もちろん、異銀河人と判明する前にはよく見られた光景だが、判明してからは初めて見る姿だ。恋する幼馴染みが演技じゃなかったのなら、これもきっと彼女の素なのだろう。

 浴衣からの優しい視線に気付いたオルハは、笑顔を見せて彼に駆け寄る。

「ん」

「ふむっ」

 そのまま背伸びしての、不意の口づけ。二度目のキスは、さっきより少し長かった。

「ふーん。積極的だねオルハちゃん」

「私もこの、三人だけの関係は好き。でも茜に勝ち誇られるのは、好きじゃない」

「私も好きだよ、この関係。でも悪の組織の一人娘として、正義の味方の先祖にまで負けられないの。ついでに一人の女の子としても、負けないよ」

「砕き潰されたい?」

「あはは、遠慮しとく。そっちはまだ動かないよ」

 どうやらそっちの争いはしばらく心配無用らしい。問題はこっちの争いである。今日は穏やかに終われるかと思ったが、やはり劇的な恋はいつも簡単には終わらない。

「はい、証拠だよ。ちゅっ!」

「ひゃむっ」

 唐突に接近した茜。身構えるオルハ。その一瞬の硬直で、茜はオルハの唇を奪っていた。

「な、何を」オルハが動揺した声を響かせる。

「ん? 私たちの関係は三人だから、こういうのもしていいんだよね?」

 茜に視線を飛ばされて、浴衣は呆れた顔で答える。

「茜がしたいなら。でも、子作りはしないからな」

「私まだ何も言ってないのに。本当はしたいんでしょー、浴衣くん?」

「……ゆかたんがしたい、なら」

「繰り返されると我慢できなくなるから、それくらいにしてもらえると助かる」

 浴衣の真剣な言葉に、茜とオルハは顔を見合わせる。二人の少女は微笑み、頷き、とりあえずこの場は穏やかに落ち着くのだった。


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