緋色の茜と金のオルハ

十五 古文書


 部屋に戻ってオルハが誤解を認め、浴衣も胸を撫で下ろし、先程の件は決着する。それから五人は地上の広場に戻り、残る七不思議の調査を再開する。

 戻るときも彫像に触れるのかと思いきや、畳の部屋で靴をはいた直後に七色の光が壁一面に輝き、気がついたら地上に戻っていた。今回は浴衣も目を開けていたが、何が起こったのかは全く理解できず、記憶に残っていたのは美しく輝く壁面の色だけだった。

「この原理、気になるなあ」

「同じく」

「ふふ、女神の仕業よの。多分真似はできぬであろうよな」

 三人の言葉に、ラフィェリータは笑顔を返すだけで答えは口にしなかった。

 五葉カフェで軽い食事をとり、午後の調査は聖地アクセイについて。そのためにはまず、図書美術博物館に所蔵されている古文書を読もう、ということは事前に決めていた。

 連絡も昨日のうちに魔衣が穂野絵にしていて、約束の時間が午後である。その日のうちに魔衣だけでも確認することはできたが、どうせならみんなで見た方が手間もないと、浴衣たち五人で一緒に見ることにした。

「こちらです」

 穂野絵に案内された図書美術博物館の書庫。図書館とは別のところにある、貴重な書物を保管する特別な書庫で、浴衣たちはその隣の小さな閲覧室で穂野絵を待つ。

 中に入っていいのは原則的に、倉穂野絵ら司書学芸員だけ。鍵を開けて書庫に入った穂野絵は、一分と経たずに戻ってきた。他の書物と違い、聖地アクセイの古文書は比較的閲覧者が多い書物。取り出しに時間がかかるような場所には所蔵されていない。

 閲覧室のテーブルに広げられたのは、一本の巻物。

「こちらが聖地アクセイについて記された古文書です」

 古文書と言うに相応しい雰囲気の、古めいた巻物。黒い筆文字で記された文章は、巻物の長さにしてはとても短い。

「『悪と正義が袂を分かつ、聖地アクセイ。この地の名を、我はそう記そう』」

 代表して真ん中に座っていた浴衣が文章を読む。分析するのは他の四人に任せ、声に出すことで表記と読み方に間違いがないかを確認する。

 たったそれだけの短い文章で、その文章が意味するところはわからない。ただ、浴衣にもはっきりわかることが一つだけあった。

「これ、本当に古文書なんですか?」

 もちろん同じ疑問は他の四人も思っていたが、こちらも浴衣が代表して穂野絵に尋ねる。

「詳しい年代はわかりませんが、少なくとも魂流図書美術博物館が完成した頃には既に存在していたと聞いています」

 古文書に記された文章には、しっかりと句読点までつけられていた。使用されている漢字も現代と同じもの。古文書というには、とても現代的な文章だった。

「写本?」

 茜が聞いた。

「かもしれません」

 穂野絵が答える。誰かが古文書を保存するために、近年になって書き写した。写本というより現代訳と言った方が正確だが、こうして古文書として保存されているからには、実質的な写本と言っても差し支えはないだろう。

「少なくとも、印刷されたものでないのは確かよの。紙から書かれた年代を特定することはできぬかの?」

 魔衣の質問はここにいる全員に向けて。主に、茜とオルハが対象である。

「そういうのは私の専門じゃ……オルハちゃんは?」

「おそらく難しい。他の研究者も調べたんですよね?」

「ええ。何人か。持ち出しは遠慮してもらいましたが、時間をかけて調べていましたよ」

「それでも、全く?」オルハはさらに尋ねる。

「手掛かりはないですね」

「なら、やはり何らかの方法で保護されている。特定されないように」

「凄い古文書だな」

 浴衣は率直な感想を口にする。それに答えたのは、穂野絵だった。

「みなさんもそれで諦める方が多いですね。古文書のはずなのに、未来的な技術が使われているようだ、と仰られる方もいました」

「未来、か」

 ちらりと横を見る。浴衣の視線に気付くとすぐ、茜は首を横に振った。

「私は送ってないよ。技術的には可能だから、私とはまた別の誰かがもっと未来から、って可能性はあるかもしれないけど……こんなのだけ送ってどうするんだろうね」

「うむ。魔法の力も、やはり感じられぬよの」

(そういえば誰も隠してないな)

 この場には穂野絵もいる。茜が未来からやってきたことや、オルハが異銀河人であること、魔衣が魔女であることを彼女は知らない。が、ラフィェリータが女神であることは、浴衣たち四人の誰よりも早く知っていた。ならば堂々としていても問題はないと、茜、オルハ、魔衣が判断したのは浴衣もわかっているし、自分もそれでいいとは思っている。

 ただ、それにしても穂野絵が平然としているのを、浴衣は改めて凄いと思っていた。まさに天才的な司書学芸員。魂流図書美術博物館にこの人あり。

「神の記したものであればある程度は特定できますが、これは人の書き写したものでしょうから私もお手上げですね。神に見られることを想定していたのでしょうか」

「そんなこと……なくはないな」

 浴衣は閲覧室にいる人々を見回して、それが突飛な考えでないことを理解する。

「ところで、穂野絵さんは何かわかりましたか?」

 今度聞いたのは、ラフィェリータだった。しかし、質問の内容はこれまでとだいぶ違う。

「そうですね……あ、ちなみにみなさんのことは、ラフィェリータさんから詳しく聞いていますので、改めての説明は不要ですよ」

(聞いていたのか)

 だがラフィェリータと倉穂野絵の関係を考えると、彼女が聞いていてもおかしくない。他の三人も動じていないようだし、浴衣も動じないように我慢した。

「茜ちゃん、文章の中で気になることはありますか?」

 穂野絵が質問する。その意図はわからないが、茜は率直な感想を口にした。

「そもそも、『悪と正義が袂を分かつ』というのが不思議ですね。袂を分かつってことは、その前は悪と正義が仲良くしていたってことで……そんなの、普通はありえないよ。ね、オルハちゃん?」

 茜に振られたオルハは、少しの間を空けて答えた。

「普通なら、確かにありえない。一時的な共闘だったら、袂を分かつなんて書かない」

「でもオルハちゃんと私は、少し仲良くなれたよ」

「ゆかたんがいなければ、ありえないことだけど」

 二人は互いの顔を見てそう言った。いつの間に仲良くなったのかは、わざわざ尋ねるまでもなく推測できるので、浴衣たちは尋ねない。浴衣個人でいえば、二人きりで自分に関係することを話していたのなら、とてもじゃないが相当の勇気がないと聞けない。

「弟ハーレムよの。さて、浴衣の筆跡と比べてみるのはどうかの?」

「いくらなんでも、俺の筆跡だったら俺がわかると思う。それに筆なんて、習字の授業で触ったくらいで、こんなに達筆な文字は書けないよ」

「将来的に筆を学び、茜が送ったとは考えられぬかの? 幸い、この部屋には原書を記す女神も一人、悪の組織の一人娘も一人、正義の味方の先祖も一人、それから古文書を保護できる魔女もおる。全てできるやもしれぬ、万全な布陣よの」

「未来であれば、今の私たちが解読できないのも自然ですね」

 魔衣の推理にラフィェリータが微笑して同意する。

「だとしたら、どんな意味が? 過去の俺たちに伝えるんだとしたら、そんな回りくどいことをする必要はない……だよな、茜?」

「私がやるとしたら、そんなの気にしないよ。時間軸をそのままに、今を変えるなんて私にはできない。それこそ、オルハちゃんと協力でもしない限り」

「したらできるのか?」

「わかんないけど、できるかも。ただ……」

「こんな文章を送る意味が、全くもって不明」

 オルハの言葉に、茜も大きく頷いて同意を示す。一時は手を取り合いその技術を確立させたものの、何かがあって袂を分かち、その事実だけを過去に届ける。果たしてそれにどんな意味があるというのか。

「茜ちゃんや織羽ちゃんになくても、浴衣くんや魔衣さん、ラフィェリータちゃんにならあるのではないでしょうか」

 声を発したのは穂野絵だった。五人の視線が彼女に集中する。

「お二人の喧嘩が原因で、大変なことが起これば理由は生まれます。世界が破滅するとか、地球が壊れるとか、二人が命を失うとか……そのようなことが」

(規模がとんでもないな!)

 いくらなんでも世界の破滅やら、地球が壊れるやら、そんなことはないだろう。そう思って浴衣が二人の顔を見ると、二人とも真剣な顔で穂野絵の言葉を受け止めていた。

「……なあ、ひょっとして」

 浴衣が最後まで言い切る前に、茜とオルハが答えた。

「やらないけどやれるよ」

「不可能ではない」

「できるのか」

 念のための再確認に、茜とオルハは小さく頷く。

「うむ。では、これも解決よの」

「いや、解決でいいのか?」

 笑顔で満足した表情の魔衣に、浴衣が咄嗟に聞いた。

「これも運命にありて、現状は抗うにあらず。修行で無理はせぬよの」

 念のために茜の方も見ると、彼女も同じく頷いていた。

 古文書を書庫に戻してから、戻ってきた穂野絵が浴衣に耳打ちする。

「ちなみに他の可能性も複数ありますが、全てお聞きになりますか?」

「全て、証拠はないんですね?」

 浴衣が聞くと、穂野絵はゆっくりと頷いた。それを見て浴衣も首を振る。縦ではなく横に。

「では、またお暇なときに」

 どれだけ有力な可能性でも、証拠がなければ全て可能性。真実とは証明されない。魂流市握清町の七不思議には、易々と解明できない不思議も一つはあるらしい。


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