「優日ー、いるー? 和火葉ちゃんと二人で寂しい幼馴染みのため、遊びに来てあげたよ」
そんな声が外から響いたのは、夏休みも三分の二を終えた頃だった。
「どうしたんだ、紗夜?」
和火葉が余計なことを言う前に、素早く玄関へ行って幼馴染みの小夏紗夜を出迎える。夏休みになって初めての訪問。朝早くに予告もなく、急ぎの用事だろうか。
「鈍感ですねお兄様。お兄様に会いに来たんですよ」
待ち構えていたように現れた妹が、俺の前に回り込んで背中を預ける。ふわりとセミロングの髪が揺れて、ちょっとした衝撃に耐えつつ和火葉の体を支えてやる。
「そうそう。失恋したから慰めてもらいにきたの。嬉しい?」
「ああ……またか」
「またって何よー」
「何連敗だっけ?」
不満の声を返してきた幼馴染みに、いつもの問いをする。大体の回数は覚えているが、本人に確認した方がはっきりする。
「十八連敗。残念ながら、告白はまた失敗です」
セミショートの髪をいじりながら、何てこともないように答える。
「容姿端麗学業優秀スポーツ万能恋人なし。記録更新です」
「そうか」
紗夜の言葉は誇張ではなく、誰に聞いても近い評価が返ってくると思う。教師や入学したての新入生に告白したこともあり、告白する相手に問題があるのではないかと思うこともあったが、何にせよ幼馴染みに恋人がいないことは動かない現実である。
そして、紗夜が家にやって来るのは半分が失恋したときである。分類すると急ぎの用事ではない方だが、幼馴染みとして慰めるくらいのことはしてあげたい。
だが今はこちらにも事情がある。突然の訪問に、リシアのことをどうやって説明するか考えなくてはいけない。夏休みの間は気にしなくてもいいだろうと思っていたが、来てしまったなら相応の手段を事態は急を要する。
「ま、いざとなったら優日と一緒になるから。優日も彼女できないでしょ?」
「そんな時間があるなら、ゲームをしたいからな」
同じくらいにゲームのできる女の子ならまた話は変わるが、そうそう出会えるものではないだろう。リシアやルーナのことは、とても特殊な例だ。
ともかく、紗夜はどういうわけか俺を命綱のように考えているらしい。恋心は全くないとも言っていたので、本当にいざとなったらである。そんな彼女が、ここで――俺の家でリシアと遭遇したらどうなるのか。面倒なことになるのは間違いない。
今日はまだ、ルーナは来ていない。幸い――というわけでもなんでもなく、むしろ困った状況である。数日に一回の来ない日であればいいが、来る日であれば予測不能なタイミングでやってくる……それがルーナという人物だ。リシアには部屋で待っていてくれと言っておいたとはいえ、外からやって来るルーナには伝える時間も方法もない。
「リシアいるー? ……って、誰?」
考えている間に、無造作に扉を開けてルーナが入ってきた。
「ん?」
振り返る紗夜と、ルーナの目が合う。そのまま数秒、見つめ合う二人。
――修羅場。正確には、修羅場のような緊迫したBGMが家の奥から流れてきた。緊迫感を演出するためか、音色はギターのものである。
ルーナの視線がこちらを向いた。そして、真っ直ぐに歩いて正面に立つ。
「ついに正体を現したわね。見知らぬ女の子を家に連れこんで、それはもう凄くいやらしいことをする現場――見たわよ」
「紗夜はただの幼馴染みだ」
「うん。今のところはねー」
幼馴染みからいいタイミングでフォローが入る。
「誰だか知らないけど、誤解だよ?」
再びルーナと紗夜の視線がぶつかり、また数秒。どうやら納得したのかルーナは落ち着いたように見えるが、問題はまだ終わりではなかった。
「さて。誤解を解いてあげたところで、ただの幼馴染みにも事情を説明してね? 夏休みの間に、こんな可愛い女の子一人と……ううん、二人なのかな?」
廊下の奥、ほんの少し曲調の変わったBGMが流れてくる方向を見て、紗夜が言った。こうなっては隠すわけにもいかない。俺は和火葉にリシアを呼んできてもらって、目の前の幼馴染みに事情を包み隠さず明かすことにした。
「……ふーん。信じられないけど、リシアちゃんとルーナちゃんは本物の女の子だし、とてもじゃないけど優日が夏休みの間に、積極的に恋人を探すとは思えないし……したの?」
「何を?」
複数の意味が込められていそうな言葉に、尋ね返す。
「してないよね、やっぱり」
紗夜は苦笑して、それから大きく頷いてみせた。
「本当に優日はゲーマーだね。うんうん、私としても一安心。この子には嫌われてるみたいだけど……」
視線を向けられたルーナは、紗夜以上に大きく頷いてみせた。
「ルーナちゃん、試してみない?」
「何を?」
「装備を解除して、一日過ごすの」
「そんな! 孕まされてしまうようなこと……」
いつも通り失礼な発言である。文句の一つも言いたいところだが、言っても効果がないのはもう分かっている。ここはとりあえず、幼馴染みに任せるとしよう。
「逆に言えば、何もされなければある程度は安心できる、ってことでしょ?」
紗夜の問いに、ルーナは少しの沈黙のあと答えた。
「それは、そうだけど……この年頃の男が、一日も耐えられるなんて奇跡みたいなこと……」
「お兄様って、性欲の塊だったんですね。どきどき」
「何のどきどきだ?」
「性行為の実技鑑賞への期待以外に何か?」
薄く笑って小首を傾げる和火葉。本気かどうか分からないが、ここまででいいだろう。
「わかったわ。でもすぐにじゃないわよ。リシア」
「どうしたの、ルーナ?」
説明するために移動した居間から、ルーナはリシアをつれて廊下に出ていく。残された俺たちは少し待つが、少しでは戻ってこなかったのでこちらも会話をして待つことにした。
「紗夜」
「あ、もちろん私も見学するけど、何があっても邪魔はしないし助けもしないからね?」
「同じく。お兄様には期待しています。ルーナさんに警戒されたままでは、今後の楽しみが奪われてしまいますから。……あ、な、なんでもないよ、お兄ちゃんっ」
今、絶対に最後まで言い切ったよな? そうは思ったが、いつものことなので黙っていることにする。ともかく、今日一日、ルーナにいやらしいことをしなければいい。する気がないのだから非常に簡単なことなのだが、彼女の判定は厳しいかもしれないので迂闊な行動は控えた方がいいだろう。例えば、偶然の触れ合いが発生しそうな、体感型コントローラーを使用するゲームは危険大である。
やがて帰ってきたのは、ルーナ一人だった。だがリシアの気配というか、扉の前までははっきりとリシアの姿も見えていた。何をするつもりなのかは分からない。
「じゃ、がんばってねー」
「ビデオカメラ探してますね」
そんな言葉を残して紗夜と和火葉が去って、部屋に残されたのは俺とルーナの二人。二人きりという条件は特になかったと思うのだが、そう思っている間にすぐ変化が起きた。
どこかから――ほぼ間違いなく廊下の方向から、甘いムードのBGMが流れてきた。恋愛ADVではよく流れる、恋人同士のシーンで流れるような音楽だ。ルーナとリシアの会話の内容も何となく推測できたが、問題はもう一つあった。
「こっち向いて」
そんなムードのまま、ルーナがこちらを見つめてくる。ここで目を瞑って、肩に手を伸ばされでもしたらさすがに危ないかもしれないが、彼女にもそこまでする度胸はなかった。
ゲーマーとして、この程度の雰囲気に流されるようでは、恋愛ADVなんてやってはいられない。数多くやっているわけではないとはいえ、恋愛ADVの基本は目当てのヒロインに一途であること。廊下の向こうにリシアがいるのに、ルーナに浮気なんてしていられない。
ルーナが時計を見た。そして再びこちらを見つめてきた。
「……ふふ」
笑った。まさかとは思うが、いや、彼女なら十分にあり得る。
その予想は残念ながら当たってしまい、そのまま三十分もの時間が経過していた。途中でリシアのBGMが何度か変わっていたが、その程度で心が動かされることはない。
そんな二人きりの時間が終わったのは昼前。仲良く昼食を準備して、昼食後には俺の部屋に五人が集まってゲームで遊ぶことになった。
体感型を避けつつ様々なゲームで遊ぶ中、和火葉がすっと立ち上がった。
「お兄様、私、トイレに行ってきますね」
「ああ」
「じゃあ私は部屋の隅に隠れるよ」
「扉の隙間から見守るね!」
そんな妹に続いて、リシアと紗夜が動き出す。二人きり……を作るつもりにしては近い気もするが、同じ部屋での『ばっくぐらうんどみゅーじっく!』はやはり臨場感が違う。どうやっているのか、環境音やドラムの音まで混じっている、本格的なBGMだ。隅を見ても見つからないように上手に隠れていて、確認できないのが惜しい。
隙間からの視線は少し気になるが、確かに今回の雰囲気はなかなかのものだ。ここでもし、ルーナに「実は私、あなたのことが……」に始まる何かを言われたら、どうなるだろう。
「優日」
声をかけられた。もちろん、相手はルーナである。
「実は私、あなたのことが……」
そして俺の目を真っ直ぐに見て、ルーナは口を開いた。まさか、ここで積極性を見せてくるというのだろうか。だが、時間を考えるとこれほどの雰囲気を作れるのは、おそらくこれが最後。ならば、その攻めはしっかり受け切るのが、今後のために最良となるはずだ。
「汚らわしくて変態で、毎日どうせ夜にはリシアのことを考えて白い何かを出してるくせに、普段はそんなこともなさそうに平然としているなんて、きっと頭の中はえっちなことばかりで埋まっていて――いいえ、頭どころか、体の全てが性欲の、いえ性そのもの。男なんてみんなそんな生き物だとはわかっているけど、あなたは男の中の男。そう思っていたの」
申し訳なさそうな顔で告げるルーナに、言葉が出なかった。実はでもなんでもなく、そうなんだろうなと思っていたことだが、どうやら想像以上に自分は特別視されていたらしい。
「いいのよ。わかっていたことだから。さあ、もう我慢しなくていいの。さっさとその本性を現しなさい。そのためなら、私……リ、リシアのためだもの。耐えてみせるわ」
泣きそうな顔で、強がってみせるルーナ。演技なのかとも思ったが、どうやら演技ではないらしい。だったら、こちらからも何かを言わなければいけないだろう。
「いや、ルーナには何もしないから。興味ない」
そちらがストレートに来るなら、こちらもストレートに本音をぶつけよう。少しでも曖昧なことを言うと、確実にその隙を突いて致命傷を狙われる。
BGMは悲しそうな音楽から、再び甘いムードの音楽になっていた。俺がデバッカーならBGMの指定間違ってませんか? と報告するところだ。
そのまま何事もなく、一日は無事に終わった。
「ほ、本当に、何も、しなかった……うそ、そんな、まさか、あなた」
信じられないといった感情を隠そうともしない、声と表情である。
「そういう機能は正常だ」
ルーナは連なる環を浮かび上がらせ――連鎖環を使って何かを装備し直してから、真面目な表情で再び口を開いた。
「事実、みたいね。わかったわ、あなたはその、標準男性より性欲が少ない、比較的無害な男性……認めるしかないわね」
「……ああ」
どうやらまだ大きな誤解が残っているようだが、そちらの誤解は解かなくてもいいだろう。
「がっかりです、お兄様」
「ま、予想通りだね」
扉を開けて、笑顔の和火葉と紗夜が入ってきた。どう考えても妹の台詞は笑顔で言うものではないと思うが、何をがっかりなのか尋ねたらややこしくなるのは分かっている。
「優日」
いつの間にか背後に回り込んでいた、リシアの声が聞こえた。すぐに振り返る。
「それはそうと、私の質問にも答えてもらえない?」
背中には棒刺し板が四本。最後にBGMが止んだと思っていたら、このための準備をしていたらしい。
「女の子が四人います。優日が一番好きな人を答えてね」
そして出されるリシアの『せんたくし!』が四本。棒刺し板に書かれていたのは、ここにいる四人の名前……と思いきや、何か違った。
『リシアに決まってるだろ?』
『一人なんて選べないよ』
『みんな一緒に、はだめかな?』
『実は冬海さんのことが気になるんだ』
まあ何にせよ、俺の答えは最初から決まっている。選択肢を出されるまでもなく。
「リシアに決まってるだろ? そうじゃなきゃ、何年も少女リシアのファンは続けてない」
「うん、ありがとう。ヒロインとして、とても嬉しいよ」
にっこりと。分かっていたとばかりの反応も、こちらの想像通り。リシアはゲームの中でも理想のヒロインで、封印から解き放たれた今も変わらず理想のヒロインだった。嫉妬や心配なんかはほとんどなく、自らの気持ちを、相手の気持ちを信じる少女――それがリシアだ。
夏休みはもう少しで終わる。だが、俺とリシアの――和火葉やルーナ、冬海さんに紗夜も含めた俺たちの――日常は終わらない。まだ、続きは始まってもいないのだから。
続