解き放って!

六 連鎖環


 再びルーナがやってきたのは、翌日の早朝だった。玄関から礼儀正しく、出迎えた俺と妹に深くお辞儀をして、優しい表情で言葉を発した。

「昨日は失礼したわ。でも安心して、今日はゆっくりと話せるから。時間は大丈夫? リシアもいるわね?」

「いるにはいるが……まだ寝てるぞ」

 答えたらルーナに微かに睨まれたが、すぐに表情を緩めて謝罪の言葉が飛んできた。

「ごめんなさい。リシアはこの時間はいつも寝てたわね。てっきり、あなたが昨晩何かをしたのかと思って……これは誤解だったわ」

 言葉の中身は凄く気になったが、余計なことは言わないでおこう。やってきたルーナは居間に案内して、少ししてリシアが目を覚ました。用意していた朝食をリシアに出してあげて、食事を終えるのを待ってルーナが話を切り出す。

「さて。まずは私の装備をあなたに伝えておくわ。何をしても無駄ってことを、最初に理解してもらった方がスムーズでしょう?」

 言って、ルーナは右手の中指にはめた指輪にそっと触れる。すると、半透明の環が一つ。二つ、三つと連なるように浮かび上がって、鎖のように広がっていた。

「それは?」

「ふふふ……その名も、連鎖環。あなたのために準備したのよ」

 ルーナは浮かんだ環を眺めて、笑顔を見せた。よく見るとそれぞれの環には文字や記号といったものが並んでいて、その一部がほんのりと光っている。

「ま、平たく言えば装備変更ね。視覚で把握して、思念で伝えて瞬時に変更できるのよ」

「ふむ……」

 リシアの『ばっくぐらうんどみゅーじっく!』や『せんたくし!』と似たようなものだから驚きは少ないが、どこか原始的なリシアと違って、ルーナのそれは近未来的だ。

「そして今の装備は、『貫通防御』『接触反射』『血流沈静』……その他、あらゆる装備で守りは完璧よ!」

「君は俺をなんだと思ってるんだ?」

 何のための装備かは全てを聞かなくても何となく分かる。でも、何のためにそんな装備にしたのかは分からない。そこまで警戒される何かを、ルーナにした覚えはないし、もちろん他の女の子にだってしていない。

 ルーナはもう一度そっと指輪に触れて、連鎖環を消滅させる。真っ直ぐにこちらを見る彼女の瞳は真剣そのもので、そこに警戒の色は見えない。

「そうね……結論から言うと、男は警戒すべき生き物だってことよ。別にあなたに限った話ではないわ。もっとも、封印解放に関わるあなたが一番の敵であるのもまた事実よ」

「ルーナ、優日は敵なんかじゃないよ。……って、言っても無駄なんでしょ?」

 一応フォローしてくれたリシアは、苦笑してすぐに諦めの表情を見せていた。ソファに隣り合って座る二人。互いのことは誰よりもよく理解しているのだろう。それでなくても、ゲームでのルーナを何度も見てきた俺にも、彼女が諦めた理由はよく分かっていた。

 ゲームにおいて、ルーナがリシアに何かを仕掛ける理由の大半は、ルーナの思い込みに始まっている。だからきっと、今の彼女の態度も理由は同じはずだ。

「リシアが解き放たれて、封印そのものが少し弱まったわ。だから私は、リシアよりもゲームを通して現実世界のことをよく知っているの。そう、世の男どもがどれだけ卑猥なゲームを楽しんでいるのか、その卑猥なゲームの変態性もね!」

 どうやら原因は成人向けゲームらしい。十八歳未満の自分にはプレイできないゲームであるから、苦手なジャンルである。

「ルーナさん。残念ながら、お兄様はその上をいきますよ」

「え? 本当に?」

「はい。それはもう。お兄ちゃんのえっち」

 隣の和火葉がこっちを見た。無言で返す。

「そう。じゃあええと、『即死無効』と『毒物無効』あたりも必要かしら……」

 連鎖環を生み出して、新たな装備を追加するルーナ。何を想定しているのかは聞かないでおこう。マニアックな世界の存在は知っているが、詳しくない分野での勝負は危険だ。

「いえ、百合とかそっちの方面なので、むしろ……」

「相変わらず詳しいな」

 小さな口から飛び出す言葉は、俺も詳しくないことばかりだ。女の子同士の百合がどういうものかは知っていても、成人向けのそれは存在することくらいしか知らない。

 その知識をなぜ、俺よりも年下の妹が知っているのか。情報源については何度か聞いたことはあるが、「それを聞いてどうするの?」という無言の圧力に負けて、深いところまでは聞けないでいる。

「百合の世界に男は不要派? いてもいい派?」

「どっちですかお兄様」

「専門外だから答えられない。もう少し大人になるまで待ってくれ」

 気が合っているのはいいことだが、そろそろ誤解を解いておいた方がいいかもしれない。ルーナの状況を考えるとあまり意味はないかも知れないが、リシアが俺の顔をじっと見ているのが凄く気になる。

「ま、あなたの趣味はどうでもいいわ。性的嗜好は人それぞれだもの。それより、私としてはリシアがここにいることが心配なの」

「優日はそういうことはしないと思うけど……」

 ルーナに答えるリシアの視線は、こちらを向いたままだった。疑っているわけではなさそうだが、声の弱さには、そこまではまだ知らない、という意味も含まれているだろう。

「信頼を得てからの豹変。その手のゲームの王道展開よ。盗撮カメラの類は仕掛けてないみたいだけど……何かあったら容赦なく反撃するのよ。ポキッと」

「うん。覚えておくね」

 何か最後に凄く怖い言葉が出てきたが、ルーナの想像する何かはないので心配はしなくてもいいと思う。

「さ、忠告も終わったところで……二人にはこれから冬海さんの家に来てもらうわ。今回の封印が解放された経緯について、色々と聞きたいことがあるそうよ」

「ああ。それくらいなら」

 快く承諾して、再びレイクサイドハウスへ。今回も和火葉は家に残って、ついでにルーナも家に残っていた。てっきりついてくるものかと思っていたが、彼女曰く「その間に私も色々調べておくわ」とのことだった。

「ようこそ。早速だけど、二人にも話を聞かせてもらえるかな?」

 出迎えた冬海さんは、たった一言挨拶しただけですぐに本題を切り出した。「も」ということは、ルーナには昨日のうちい話を聞いたのだろう。

「話といっても、ほとんど攻略に関するものですけど……」

「構わないよ。封印が解き放たれる理由については、未解明な点が多いんだ。どんな情報でも有用な可能性は十分にあるからね」

「分かりました」

 頷いてから、場所を移して話を始める。ソファに座って語る俺とリシアの話を、冬海さんは何枚もの白紙の紙に素早く書き留めていた。

「封印研究に協力してくれてありがとう。しばらくはこちらで研究することになるけど、今後も君には協力してもらいたいね」

「そうですね。考えておきます」

 深く関わるのは迷うところだけど、夏休みが終わればリシアも彼女の家で暮らすことになるだろう。リシアに会うついでと考えれば、多少の協力は望むところだ。

「ところで、ゲーマーの君に一つ質問だ。夏休みの宿題は順調かな?」

「当然です。ゲームに集中するために、毎年宿題は先に終わらせるようにしていますから」

「ほう。計画的だね?」

「計画的じゃないと、いくつものゲームを順調に消化できませんからね」

「ふむ。そうか……君は研究者にも向いているかもしれないね」

 納得して頷いた冬海さんに、今度はこちらから尋ねてみる。

「冬海さんは、封印の研究をどれくらいしているんですか?」

「……ふ」

 微かに笑ってこちらを真っ直ぐに、冬海さんは鋭い視線を飛ばす。

「それを答えると、君には封印以外の研究にも深いところまで関わってもらう事になるが、覚悟は問わないよ。それでもいいかな?」

「優日、優日!」

 答えようと思ったら、隣のリシアが声をかけてきた。彼女の方を見ると、四本の棒刺し板を持ってにっこりとしている。会話を聞きながらいつかやろうと準備していたらしい。

『聞かせてください』

『やめておきます』

『それより、冬海さんの好みを聞きたいです』

『冬海さんって何歳ですか?』

 明らかに最後の選択肢だけが、一本だけ高く伸ばされて目立っている。冬海さんにも見えている状況で、それを選択する勇気はない。だがせっかく出してくれた選択肢、完全に無視するのも悪いような気がして、普通の選択肢は選ばないでおいた。

「それより、冬海さんの好みを……」

「好みと言われてもね。私は研究一筋で生きてきたから、男を知らないんだ。強いて言うならそうだね、私の研究に全面的に協力してくれる男、かな?」

「最後まで言わせてくださいよ」

「はは。見えていたのに、無茶を言わないでくれたまえ」

 冬海さんは朗らかに笑い、隣のリシアも嬉しそうだ。なんだか気になる答えもあったのだけど、深く突っ込むのはやめておこう。その他にも色々深いところまで引き込まれそうだ。


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