しましまくだものしろふりる

第三章 大陸南部精霊記


 フィルマリィから届いた手紙の内容は、とても簡単なものだった。しまぱん勇者とその仲間たちと会います、という一文だけ。手紙に添えられた、高原にある精霊神殿への地図や、その周辺図、向かうときの注意点として書かれた文面の方が長いくらいだ。

「アルコットさん。フィルマリィって、どんな精霊なんですか?」

 レフィオーレが質問する。返事が届いたのは、昼と夕方の中間。今から精霊神殿へと向かうのは、夜を越すため迷う可能性もある。そのため、精霊神殿へと旅立つのは明日ということになった。

 質問されたアルコットは、首を横に振ってから口を開いた。

「会ったことはない。カランネル家は、フィルマリィに情報を伝えてるだけ。手紙も、いつもこんな感じ」

「会ってみるまでわからない、か」

「今までもそんな感じだったけどね」

 苦笑するスィーハに、そうだねとレフィオーレも同意を示す。今までの旅で、精霊がどんな性格なのか、どんな容姿なのか、全員が事前にわかっていたことは一度もない。チェミュナリアがピスキィのことを知っていたのが、唯一だ。

 まだ見ぬ精霊、フィルマリィ。少なくとも、暴走はしていないから、突然戦いになる危険はない。とはいえ、ミリィエリと似た状況であるという可能性は残る。

 世界の危機について何かを知っているのか、何も知らないのか。今はまだわからないが、どちらの情報でも有益であることに変わりはない。エラントル・リクリヤ、カランネル・アルコット、精霊フィルマリィ。その誰もが手がかりを持たない、という情報の価値はそれなりに高いものである。

 ゆっくりと休んだ翌日、レフィオーレたちはアルコットに別れを告げて、精霊神殿へと出立した。

 精霊神殿があるのは、カランネル海岸の東。高原へと向かうには、平原を東に抜け、小さな山を越えなければならないが、大陸北部と中部、中部と南部とを隔てる長い山脈に比べれば、どうということはない、標高の低い山だ。

 フィルマリィからもらった詳しい地図のおかげで、迷わず神殿まで辿り着くのは簡単だ。なかったとしても、精霊神殿は広いため、国で一般的に手に入る地図だけでも、少し時間をかければ辿り着くのは難しくない。

 空は快晴というわけではなく、やや雲が多いように感じられる。曇りではなく晴れに近い程度のものなので、少なくとも平原を歩いている間は天候が崩れる心配はないだろう。

 平原を抜けて、小さな山に辿り着いたときも空の雲に変わりはなかった。しかし、山を上り始めてしばらくしたあたりで、雲がやや増えてきて、天気は晴れから曇りへと変わりつつあった。

「どうしますか?」

 先頭を歩くルーフェが、軽く振り返って尋ねる。ここからなら、一度山を降りて、天候が回復するのを待つこともできる。回復しないようなら、カランネル海岸に戻って日を改めればいい。いかにしまぱん勇者たちの身体能力が優れていても、雨の山を抜けるのは危険が伴う。豪雨ともなれば、迷うのは確実だ。

「問題ありません。この山の高さ、地図にある距離……仮に雨となったとしても、高原へ抜けてからになるでしょう。もっとも、大陸南部特有の気候に巻き込まれる可能性はありますが、よもや、突然の吹雪で視界を失うようなことはないでしょう」

 大陸北部の山岳地帯、そのすぐ側にある精霊国ピスキィの姫、チェミュナリアの言葉にしまぱん勇者たちは、戻らずにそのまま進むことを決める。

 そして、無事に山を抜け、高原に辿り着いた頃には空は完全に雲に覆われていた。今すぐに雨が降るような気配はないが、急ぐに越したことはない。

 地図を元に歩いて、精霊神殿に辿り着いた頃には、灰色の雲が空を覆っていた。しかし、ここまで来れば雨が降ろうとおそらく問題はない。何らかの事情があって、フィルマリィの神殿に泊まれなかったとしても、他の神殿を借りることに文句は言われないはずだ。

 精霊神殿。その名が示す通り、精霊を祀る神殿である。祀られる精霊はフィルマリィだけではない。ピスキィ、アルシィア、ミリィエリ、フィルマリィ。四人の精霊を祀る神殿が、四つ並ぶ場所。それが精霊神殿である。

 十字型に並んだ神殿。北にピスキィ、東にアルシィア、西にミリィエリ、そして南にはフィルマリィの神殿がある。精霊の力により、主の離れた三つの神殿も朽ちることなく、綺麗な姿のまま残っている。一般的に広まっている地図には、精霊神殿の詳細は書かれていないため、情報を得ずにここに来ていたら、すぐにフィルマリィの元には行けなかったことだろう。

 ルーフェを先頭に、しまぱん勇者一行は南の神殿、フィルマリィを祀る神殿へと早足で向かう。ぱんつの力で濡れることはないのだし、雨粒の当たる感触を嫌ったわけでもない。重要な情報が得られるであろう、精霊フィルマリィ。もう少しで彼女に会えるという気持ちが、無意識に彼女たちの足を速めていた。

 円形の石の柱が数本並んだ、小さめの広場の先にある大きな神殿。そのほとんどは白い石で造られているが、僅かに木造の部分もある。遠めに見た限りではあるが、他の神殿にそういうものはなかったので、おそらくフィルマリィの趣味であろう。

 同じく石でできた大きな門扉を押し開き、レフィオーレたちは中に入る。手紙の注意書きには、門扉を開けてからの道筋も書かれていたので、挨拶はしなかった。

 神殿の大きさから、その意味を推測するのは難しくない。ここで声を出したところで、よほどの大声でないとフィルマリィのところまで声は届かないだろう。

 門扉の先にあったのは大きな広間。十角形の柱が整然と並ぶその奥に、門扉に比べると小さいが、レフィオーレたちの背丈の二倍はある石の扉がある。その扉を抜けた先の廊下を真っ直ぐ行って、その先にある木で装飾の施された石の扉――今度は普通の家にもあるような小さめの扉だ――の先に、フィルマリィがいる。

 こつん、こつんという石と靴が触れる音が、広い空間に響くのを聞きながら、奥へと進んでいく。広間の扉を開けた先の廊下には、石の色に合わせたような白いカーペットが敷かれていた。銀糸で縁取りされたカーペットの上を静かに歩くと、当然ながら響く音は消える。

 廊下の左右にはいくつかの扉と、数本の石の柱で遮られた窓がある。先に見えるのは綺麗に整えられた低木と、噴水から石の上を流れる川。直線的なものではなく、蛇行する川はちょうどフィルマリィのいるであろう部屋に向かって流れている。その先には石の壁があり、神殿内に作られた中庭であることが知れる。

 それらを眺めているうちに、レフィオーレたちは白木で装飾の施された、石の扉の前に辿り着いた。先頭のルーフェが促して、しまぱん勇者のレフィオーレが扉を開ける。

 挨拶は不要。扉を開けて、勝手に入ってきて下さい。ただし、先頭はしまぱん勇者にすること。フィルマリィの手紙に書かれていた、注意書き通りの行動だ。

 部屋の壁には高い本棚がいくつもあり、奥には一人の女性が座っていた。読書に集中しているのか、手に持った小さな本を時折めくっている。ただ、扉が開いた瞬間に頭が少し動いたので、レフィオーレたちが来たことには気付いているだろう。

 複雑かつ綺麗に結ばれた数枚の白い布で上半身を包み、下半身は同じ布で仕立てられたと思われるロングスカート。結び目には隙間は少なく、その下にもまた別の布があるため肌の露出はない。本を読む手にも薄い手袋をしていて、露出しているのは頭や顔、首元だけ。その肌は透き通るような白さで、白一色の服の中でもよく映える。

 腰まで伸びた長い髪は緩やかなウェーブを描き、白金の輝きと透き通るような水の青色を重ね合わせたような不思議な色合い。部屋に窓はあるが彼女に光は当たっていない。

 本にしおりを挟み、近くにあった小さな机の上に静かに置く。穏やかな印象を与える、整った顔立ち。しかし目はやや鋭く細められ、透き通るような水色の瞳がレフィオーレたちをじっと見つめる。

 椅子からすっと立ち上がり、扉を開けたままの姿勢で声をかけられずにいた、レフィオーレたちの方に近づいていく。

 気付いたレフィオーレたちも、扉を閉めて歩き出す。部屋の中央よりやや扉側、そこでしまぱん勇者とその仲間は、精霊フィルマリィと近くで顔を合わせた。

「あなたが精霊フィルマリィで、間違いないですか?」

 その雰囲気からほぼ間違いないと判断しつつも、念のためにとレフィオーレは確認する。

「ええ。その通りですよ。そういうあなたは、しまぱん勇者のリース・シャネア・レフィオーレ、で間違いありませんね?」

 透き通った声でありながら、どこか力強さも感じられる声で、フィルマリィは答えた。

「はい。アルコットさんから?」

 フィルマリィは静かに、ゆっくりと頷いて肯定の意を示す。

「容姿、名前、旅の目的といった、最低限のことでしかありませんけれどね。彼女が女性を見る目は確かですから、確認は念のためですが……目的については、世界の危機についてとしか伝えられていないので、もう少し詳しいお話をお聞かせ願います」

「わかりました」

 答えて、レフィオーレは大陸南部に来てから、何度かこなした事情説明を繰り返す。フィルマリィは一切質問を挟むことなく、黙って言葉に耳を傾けていた。

 そして最後の質問、世界の危機について何か知らないかという問いに、フィルマリィは首を横に振って答えた。

「見ての通り、私は暴走もしていません。そしてまた、何らかの危機と思えるような事件もこの地では起きていません」

「では、あの魔物についてはどう説明なさるのですか?」

 チェミュナリアが鋭い声で問いかける。精霊とともにある精霊国の姫としては珍しい、訝りの視線を向けて。

「あなた方の実力を確かめるためです」

「それはわかっています。はぐらかさないでいただけますか?」

 いつになく強い態度のチェミュナリアに、レフィオーレとスィーハは口を挟めずに見守ることしかできない。ルーフェが挟まないのはチェミュナリアと同じ理由によるものだが、念のためといったもので、彼女ほど強い疑いを持っているわけではない。

「何のために実力を確かめる必要があったのか。あなたは本当に、世界の危機について何も知らないのですか?」

 チェミュナリアの指摘に、フィルマリィは穏やかな表情のまま、納得したように頷いて答える。

「なるほど、知力も申し分ないようですね。では、答えましょう。現時点では何も起こっていないのは事実です。ですが、これからのあなた方の選択次第では、世界の危機が引き起こされる可能性はあるでしょう」

「ボクたちの、選択?」

「どういうことですか?」

 黙っていたスィーハが呟いたのに続いて、ルーフェが質問を引き継ぐ。

 フィルマリィは穏やかな顔に微笑みを浮かべて、一言だけ。透き通るような声で、力強い声ではっきりと言った。

「私なら、リシャの問題を解決できます」

 その一言に、レフィオーレたちは驚きの表情を浮かべ、言葉を失う。その反応を予想していたかのように、精霊は笑みを消して言葉を続ける。

「ですが、それには大きな危険が伴います。魔物を生み出すように、簡単にできることではないですから。それが世界の危機に繋がる可能性は、決して低いものではないと断言します」

「方法は?」

 他の三人よりも早く立ち直ったレフィオーレが、フィルマリィに聞く。

「ぱんつに宿ったリシャの記憶を元に、精霊の力で新たな生命を生み出します。魔物でもなく人でもない、新たな生命を」

「……しかし、ぱんつの力と精霊の力は相反するものでしょう」

 やや遅れて、チェミュナリアも言葉を取り戻す。スィーハやルーフェも、驚きはまだ残っているが、会話ができる状態にまで回復していた。

「その通りです。それについては、これを見てください」

 言って、フィルマリィは長いスカートをめくって見せる。ぱんつの力に精霊の力を抑えられるため、ぱんつをはかない精霊。でありながら、彼女は水色のぱんつをはいていた。

「このぱんつ自体に力はほとんどありません。ぱんつをはいているだけで、精霊の力はある程度抑えられるもの。精霊国の姫として、ピスキィと一緒にいたあなたなら、それはよくおわかりですね」

 チェミュナリアは頷く。創世時代から存在した、しましまぱんつ、くだものぱんつ、しろぱんつ、ふりるぱんつに比べれば抑える力は劣るが、他のぱんつもそれらから発展したものであることに変わりはない。状態こそ違うが、抑えられている力の量という点では、シェーグティーナとアルシィアと似たようなものである。

 シェーグティーナがアルシィアを受け入れている。それだけで、精霊の力はある程度抑えられる。ぱんつをはいているかどうかは関係ない。ぱんつから生まれ、ぱんつの力を引き出せる人と精霊がともにあるというだけで、精霊の力は抑えられる。完全に消えていないのは、シェーグティーナがぱんつから力を引き出す力が弱いため。

「他の方も、おわかりのようですね」

 レフィオーレとスィーハは大陸中部で、シェーグティーナから聞いた話を思い出していた。ルーフェも彼女と出会って情報交換した際に、そのことは聞いていた。

「では、これを」

 フィルマリィは手をかざし、かざした手の先に光を集める。精霊の力の塊。ぱんつの力で抑えられているにも拘らず、彼女は精霊の力を発揮してみせた。

「私は長年、精霊の力とぱんつの力の融合について研究していました。ですから、この程度のぱんつであれば、はいていても精霊の力に影響はありません。それどころか、僅かではありますが精霊の力が高められています。他のぱんつであればより高めることも可能ですが、さすがに常時はいていると負担も大きいので、研究の際にしかはくことはありません」

 放出された精霊の力を徐々に消失させて、フィルマリィが言葉を続ける。

「ここまで説明すれば、私が何を求めているかおわかりですね」

「私の――ううん、フィオネストのしましまぱんつが必要、なんだね」

 レフィオーレの答えに、フィルマリィは微笑むだけで首は振らない。

「必要なのは両方です。リシャの記憶の多くは、フィオネストのしましまぱんつに宿っているとしても、あなたのぱんつにも全く宿っていないわけではないでしょう」

「しかし、ここからリース・シャネア国は遠く離れています。その点については?」

「世界の危機に繋がる可能性についても、詳しく教えて欲しいな」

 ルーフェとスィーハから同時に質問を浴びせられたフィルマリィは、慌てる様子も見せずに順番に答えを返す。

「私であれば、距離など問題ではありません。険しい山脈も、荒れた海も、空を飛べば障害にはならないでしょう。世界の危機に繋がる可能性については、万が一、融合に失敗した場合に予測不能な事態が発生する可能性がある、ということです。創世時代のぱんつは私も初めてですからね」

「わかりました。それじゃあ、早速お願いできますか」

「……よろしいのですか?」

 あっさりと承諾したレフィオーレに対し、フィルマリィは言葉を返すのが遅れる。

「スィーハ、チェミュナリア、ルーフェ。みんなも、そうしたいよね?」

「うん。可能性があるなら、やっておきたい」

「そうですね。それが世界の危機に繋がったとしても、私たちが止めればよいのです」

「この場で起こることであれば、危険が広まることもありません」

「ということで、お願いします」

 フィルマリィは穏やかな表情の中に僅かな驚きの色を浮かべながらも、はっきりと頷いてみせた。

「わかりました。では、今日は神殿でお休みください。部屋は用意します。万が一に備えて、準備を整えてもらわないと。特に、しまぱん勇者のあなたには」

「もちろんです」

 他のぱんつの力は万全で、枯渇しているものはない。しかし、ここまでの旅で今はいている水色と白の横じましましまぱんつ――リシャの記憶の宿るぱんつの力は僅かに減っている。それの回復はしておかないといけないだろう。

 フィルマリィに案内された部屋は、廊下の途中にあったいくつかの扉の先にあった。個々に用意された四つの部屋。レフィオーレたちは雨音を聞きながら、ゆっくり体を休めて明日に備えることにした。

 翌朝、昨日の夜まで降っていた雨はすっかり止み、真っ青な空に太陽が輝いている。

 レフィオーレたちとフィルマリィは、神殿の大きな広間に集まっていた。不測の事態に備える上では、広い部屋の方が何かと対処がしやすいとの判断である。広さでいえば外の方が広いが、不測の事態が戦闘で解決するものとは限らない。逃げられる可能性を考えると、室内の方が安全だ。

 レフィオーレはフィルマリィに水色と白の横じましましまぱんつを渡す。代わりにはいているのは、黄色と青の横じましましまぱんつ。速度は高まるが攻撃力に劣るぱんつ。逃げられる可能性を考慮してのものだ。

 ルーフェは攻撃速度に特化した、真ん中一個のいちごぱんつ。一撃離脱で、戦闘になった場合も逃げられた場合も対応しやすい。

 チェミュナリアとスィーハは、白無地のしろぱんつとふりるぱんつをはいている。防御と回避に特化したもので、積極的な攻撃をする気がないならこれ以上ない装備である。

「開始します」

 フィルマリィは水色のぱんつを脱いで、受け取った水色と白の横じましまぱんをはく。僅かに浮いた体で、裸足であるからロングスカートであってもはきかえはスムーズだ。

 そしてはいた瞬間、フィルマリィはくずおれそうになる。どうにか完全に倒れるのは避けて持ち直したものの、地に立つのがやっとで再び体を浮かせることはできなさそうだった。

「さすがに、創世時代のぱんつは違いますね。ですが、この程度で倒れるわけには……いかないのです!」

 強い意志を込めた声とともに、フィルマリィは両手を伸ばし、前方に光を集中させていく。精霊の力である淡く輝く光に、しましまぱんつの力であろうか、水色と白が揺らめくような光が混ざり合い、不思議な色合いの光が生まれる。

「融合は完了しました。新たな命を、ここに」

 透き通るような声。静かでありながら、とても綺麗な声で、フィルマリィは歌を歌う。大陸南部で聞こえる精霊の歌とはまた違った歌。

「……ピスキィとは違いますね」

 チェミュナリアが呟く。ピスキィが魔物を生み出すときのように、集中しているのは同じだがそのやり方は違う。それが単なる好みの違いなのか、生み出すのが魔物ではないことによるのかは、チェミュナリアにはわからない。

 歌とともに、光が何かを形作っていく。最初はぼんやりと、次第にはっきりと見えてきたその姿は、一人の少女――リース・シャネア国で生まれ、北の海で目覚め、精霊都市で消えた少女――リシャの姿だった。

「魔物でもなく、人でもない。魔物でもあり、人でもある。精霊の力と、ぱんつの力。私、精霊フィルマリィが創造せし新たな命よ、ここに!」

 歌の終わりとともに、伸ばした手を重ねて組み合わせる。眩い光が一瞬、消えたときには光でしかなかった少女が、実体を持ってその場に現れていた。

 質素よりはやや豪華な服装に、ソードレイピアを携え、スィーハよりやや長い、淡い青色の髪は耳を完全に覆い隠す。瞳も同じ淡い青。幼さを残しながらも気品の漂う顔に、可愛さと美しさを兼ね揃えた少女。

「……終わりました」

 フィルマリィは笑顔を見せる。しかし、それを確認したのはレフィオーレだけで、他の三人はリシャの姿に釘付けになっている。

 視線を向けられたリシャは無言で、表情も変わらず、ぼんやりとどこかを見ている。大陸北部で目覚めかけたレフィオーレのような彼女の様子に、スィーハたちは迷い、声をかけられずにいる。

 それを見たレフィオーレが、一歩踏み出して声をかける。

「あなたがリシャ?」

「うん。リシャ」

 声をかけられて、リシャは静かに答える。澄んだ声には淀みはなく、その声ははっきりとこの場にいる全員に届いた。

「私のことは、覚えてる?」

「レフィオーレ、だよね? リース・シャネア・レフィオーレ」

 ぼんやりと彼女を見ながら、リシャは答える。レフィオーレは小さく頷いて、また別の質問をした。

「そっか。じゃあ、他のみんなは?」

 言われて、リシャはレフィオーレの後ろにいる三人。スィーハ、チェミュナリア、ルーフェの顔をゆっくりと見回す。それからレフィオーレに視線を戻して、首を横に振った。

「わからないや。私はリシャで、あなたはレフィオーレ。記憶喪失、なのかな?」

「多分、そうだと思う。フィルマリィ」

「ええ。予想通りの結果です。やはり、レフィオーレのしましまぱんつだけでは、彼女に宿る記憶はこの程度のものでしょう」

 フィルマリィは呼吸を整えながら、ゆっくりと答える。ミリィエリが今の状態では魔物を生み出せないように、魔物を生み出すには大きな力を使い、疲労もする。そして今回生み出したのは、魔物でもなく人でもない、それでいて魔物でもあり人でもある、新たな生命。負担が大きいのは当然だ。

「リシャ、これを」

 フィルマリィははいていたしまぱんを脱いで、リシャに手渡す。

「フィルマリィ?」

 レフィオーレは疑問を口にする、それに答えるように、フィルマリィは少しだけリシャのスカートをめくってみせる。彼女はスカートの下にぱんつをはいていなかった。

「はいていないまま、というのは彼女も恥ずかしいでしょう。そしてこれを渡すことで、完了します」

 そう言われて、レフィオーレは黙って頷いた。リシャは受け取った水色と白の横じましましまぱんつを、慣れた手つきではいていく。

「ん。はいたよ」

 リシャはしまぱんをはいて、フィルマリィに微笑みかける。

「ありがとうございます。これで、全ての準備は整いました」

「どういうこと?」

 レフィオーレとリシャの言葉が重なる。スィーハたちも、言葉こそ口にしないが不思議そうな表情を顔に浮かべていた。

「こういうことです。リシャ、あなたの敵は目の前のレフィオーレです。倒しなさい」

「え? ……うん、わかったよ」

 迷いを見せたのは一瞬。リシャはソードレイピアを抜いて、レフィオーレに斬りかかった。その一瞬の間に準備を整えていたレフィオーレは、同じく抜いたソードレイピアで攻撃を受け止める。

「後ろにいる三人も敵です。いいですね、リシャ?」

「そうなの? でも……」

 今度の迷いは、別のもの。敵と言われたことに対してではない。

「倒せとはいいませんよ」

「うん。それなら、任せてよ」

 リシャはソードレイピアを構えて、後ろの三人――スィーハ、チェミュナリア、ルーフェの三人に敵意を込めた視線を向ける。そして、素早い動きで彼女たちに飛びかかった。

 しかし、立ちはだかるようにして武器を構えたレフィオーレが、それを制する。そこに飛んできたのは、精霊の力。フィルマリィから放たれた精霊の力だった。

 直撃を避けるために、レフィオーレは避けるしかない。その隙を見て、リシャが後方に駆け出す。ルーフェは槍を、チェミュナリアは杖を構え、スィーハも回避の態勢をとってはいるものの、三人の連携はなく、ただその場に立っているだけだ。

 真っ先に目指すのは中央のルーフェ。記憶はなくとも、構えから他の二人が攻撃に特化していないことを認識するには十分だった。

 ルーフェは向かってくるリシャの剣を、槍で捌いて受け流す。単調な突進に対して、危なげない動きであるが、彼女がはいているのは攻撃速度に特化した、真ん中一個のいちごぱんつ。先手を打って、一撃とともに距離をとるのが最も有効な戦法である。

 代わりに距離を取ったのはリシャ。ルーフェは追撃もかけず、再び槍を構える。襲われているとはいえ、相手がリシャであることに変わりはない。暴走した精霊を鎮めるのであれば、迷わず戦える。しかし、彼女は違う。本気でぶつかり、倒したとしたら……人や魔物がそうであるように、訪れるのは死か消滅。

 一度、大陸北部で消えたリシャが復活したのだから、完全に消滅することはないのかもしれない。しかし、それが可能だったのは精霊フィルマリィの力があってこそ。

 最悪の場合、何度もリシャを倒すことになる可能性もある。それを考えると、本気で戦うなどできるはずもなかった。

「リシャ! ボクたちがわからないの!」

 そう考えているのはルーフェだけではない。スィーハは声を張り上げて、記憶を呼び覚まそうとする。一歩踏み出したスィーハに、リシャは問答無用でソードレイピアを突き出す。

 連続して放たれる突きに、スィーハは回避に徹する。その気になれば反撃もできる状態でありながら、彼女はそうしなかった。

「……リシャ!」

「無駄なことはやめなさい!」

 迷いから押され気味になるスィーハに、鋭い声を飛ばしたのはチェミュナリアだった。

「彼女の記憶は声をかけたところで戻るものではありません。今は戦いに集中なさい!」

 駆けてくるチェミュナリアに、リシャはソードレイピアを振るう。前方に突き出た杖に、攻撃を弾かれたリシャは一旦距離をとって、彼女たちを見回す。

「そんなこと、わかってるよ! でも、君だって……」

「否定はしません。ですが、やらないといけないのです。ピスキィのためにも、私はここで倒れることはできないのですから」

 スィーハとチェミュナリアは反撃の構えをとる。そして、視線はルーフェに。

「……そう、ですね。やるしか、ないのなら」

 ルーフェが槍を構えて、リシャに突撃する。リシャは身を翻して攻撃を回避し、再び距離をとる。ルーフェだけを孤立させて、一対一に持ち込もうとする動き。チェミュナリアがそれを追い、スィーハは臨機応変に動けるように戦況を把握する。

「やっぱり、三対一はきついなあ。でも、倒さなくていいなら……簡単だよ」

 微笑みながら、リシャは回避に徹する。三人の中で、積極的な攻撃に特化しているのはルーフェだけ。こちらから攻撃を仕掛けなければ、対応は難しくない。

「私の攻撃を甘く見ないでもらいたいものですね」

 素早い動きで、槍の一撃を多方向から放つルーフェ。激しい攻撃ではあるが、リシャには当たらない。紙一重ではなく、余裕のある動きで回避し続けるリシャを見て、ルーフェは理解する。彼女がしましまぱんつの力を完全に引き出していることに。

 しかし、ルーフェの攻撃がかすりもしないのは、それによるものではない。

「甘くも見るよ。三人とも、迷いながら戦ってるあなたたちに、私は倒せない」

 戦いに集中する。言葉ではそう言っても、実際に行うとなるとそう簡単には切り替えられない。それを見抜かれ、指摘されたルーフェ、スィーハ、チェミュナリアの三人は攻撃の手を緩めてしまう。

 落ち着いたリシャは攻撃を仕掛けることなく、ソードレイピアを構えて彼女たちの動きを待っていた。

「……予想通りの展開になっていますね」

 彼女たちの戦いから離れたところで、フィルマリィが呟いた。穏やかな表情のまま、楽しそうに彼女たちの戦う様子を眺めている。

「やっぱり、本気では戦えないんだね」

 続きを口にしたのはレフィオーレだった。彼女はソードレイピアをフィルマリィに向けて構えたまま、攻撃を仕掛けることもなくスィーハたちの戦いを見ている。

「現時点でも、彼女の力はしまぱん勇者であるあなたと同等。最強にして万能たるしましまぱんつの力は、とても強いものです。しかし、くだものぱんつ、ふりるぱんつ、しろぱんつ……三つのぱんつの力を完全に引き出せる者を相手にすれば、一人では勝てるはずもない。それは、あなたならよくおわかりですね」

「うん。本気を出されたら、勝てないね」

「しかし、彼女たちは本気を出せない。大陸北部にて、旅をした仲間であり、友人でもあるリシャに対しては迷い、手加減してしまう。少なくとも、この場では、ね」

 フィルマリィは視線をレフィオーレに向けて、小首を傾げて微笑んでみせる。

「リシャと直接会話を交わしたことのない、あなたであれば別でしょうけれどね」

「そうだね。私なら、戦えるよ。でも」

 レフィオーレは小さく息をついて、諦めたような笑みを浮かべて言葉を続ける。

「精霊フィルマリィ。あなたに足止めされたら、どうしようもない」

「そうですか? あなたなら、一人で私を相手にするのも可能ではありませんか。自分でいうのもなんですが、私は長く研究に没頭してきました。決して弱いとは言いませんが、精霊の中では最も戦闘を苦手にしているといっても、過言ではないのですよ」

「あなただけなら、そうしてたんだけどね。あなたを倒して、疲れた体でリシャと戦ったら、さすがの私でも勝ち目がない。かといって、あなたの隙を突いて、抜け出すようなこともできないし、させる気もないでしょ?」

「ええ。もちろんです。足止めや牽制であれば、精霊の力がとても役に立ちますからね」

 遠距離まで光を放出し、攻撃が可能な精霊の力。飛び道具や強固な盾を持たないレフィオーレの足を止めるには、これほど有効な攻撃手段は他にない。

「フィルマリィ。一つ、聞いてもいい?」

「よろしいですよ。私からも、聞きたいことがあるのですが、答えていただけますね?」

「うん。時間なら、まだあるしね」

 レフィオーレとフィルマリィが会話をしている間にも、リシャとルーフェ、スィーハ、チェミュナリアらの戦い、睨み合いは続いている。倒すことはせず、無力化を狙う三人に対し、回避に徹するリシャ。難しいとわかっていても、彼女たちがすぐに諦めるようなことはないだろう。

「あなたの目的はなに?」

 単刀直入に、レフィオーレは聞く。精霊の力とぱんつの力を融合し、リシャを生み出して、何をするつもりなのか。

「創造主である神に近づくこと……いえ、越えること、ですね。創世神話にある、世界が生まれたときに存在した、精霊とぱんつという二つの大きな力。なぜ、一つではなく二つだったのか。元々は一つのものではなかったのか、と考えたのが発端です。しかし、研究を進めていくうちに、その可能性はなくなりました。

 それならば、それらを融合することができれば、私たちはとてつもない力を、創世さえも可能にする力を手に入れられるのではないか、そう考えたのです」

「そして、あなたはそれを成功させようとしている」

「はい。あなた方……いえ、あなたの協力のおかげで、ね」

 満面の笑みを浮かべるフィルマリィに、レフィオーレは苦笑を浮かべる。彼女の言葉が事実であるからこそ、ここで彼女を責めることはできない。

「あなたはそれだけの力を手に入れて、どうするの?」

「どうもしません。私はただ、研究が好きなだけ。その力で何かをしようなどと考えてはいませんよ。少なくとも、今のところは」

「今のところは、か」

 フィルマリィの言葉に、嘘はないとレフィオーレは判断する。今回のことにしても、彼女は情報を隠してはいたけれど、嘘はついていない。真実だけを口にして、自分たちを誘導しようとしていた彼女が、こんなところで嘘をつくとは思えなかった。

「次は私の番ですね。あなたはなぜ、私がリシャを利用しようとしているのを止めなかったのですか? 気付いていたのでしょう?」

 フィルマリィの質問に、レフィオーレは驚くこともなく答える。聞きたいことがあると言った時点で、予想していた問いかけだ。

「うん。精霊が魔物を使役できるように、あなたが創造したリシャが、あなたの命令に従うことは予想していた。もっとも、完璧ではないと思うのだけど、これは間違ってない?」

「ええ。彼女に記憶があれば、こうはならなかったでしょうね。ですが、記憶の欠けた状態であれば、見知らぬ誰かの言葉より、創造主である私の言葉を信用する可能性は非常に高い」

 レフィオーレは小さく頷いてから、回答を続ける。

「でも、それによってリシャがこの世界に、再び生まれることができるのは事実。私はリシャのことをよく知らない。けれど、スィーハたちにとってはそうじゃない。彼女たちのことを考えると、リシャの復活を止めたくはなかった」

「それが、世界の危機に繋がるかもしれないとわかっていても、ですか?」

「それなら、私たちで救えばいい。世界の危機を救うのは、しまぱん勇者とその仲間。四つのぱんつの力を完全に引き出す者。そのために鍛錬もしてきたんだから、やれるはず」

 はっきりと言い切るレフィオーレに、フィルマリィは呆気にとられた様子を見せつつも、すぐに穏やかな表情に戻り、微笑みとともに問いかける。

「では、私がリシャにしましまぱんつを渡すのを許したのは? 渡さなければ、彼女がこれほどの力を持つことはなく、無力化も簡単にできたはずです」

「リシャだけなら、ね。でも、それであなたが納得するとは思えなかった。目的はわからなくても、あなたが目的のために、強い意志を持って行動しているのはわかったから。だから、少なくともこの場では、互いの実力を拮抗させて、時間を稼ぐ必要があった」

 リシャとルーフェたちの戦いはまだ続いている。だが、リシャと戦う三人の動きからは諦めの様子が伝わってきた。無力化はできない、かといって、本気で戦うこともできない。そんな状況で、これ以上は戦えないと、三人ともそう思い始めていた。

 レフィオーレの答えを聞いたフィルマリィは、くすくすと声を出して笑い、大きく肩をすくめてみせた。

「しまぱん勇者というものを、少々侮っていたようですね。しかし、時間を稼ぐというのはこちらにとってもありがたいことです。ですが、よろしいのですか?」

「なんのこと?」

 わかっていながらも、自信満々にとぼけて見せるレフィオーレ。はったりではあっても、諦めかけた彼女たちがこちらを見ないとも限らない。見た目だけでも、自分は諦めていないことを伝える必要があった。

 自分たちは諦めても、彼女――しまぱん勇者は諦めていない。それがわかれば、彼女たちもこの場を一旦退いて、出直すことを考えてくれるはずだ。

「私は時間があれば、確実に事を成すことができます。リース・シャネア国に、精霊を止めるほどの力のある者はいないでしょうからね。ですが、あなた方は違います。今よりも強くなるリシャと、他より弱いとはいえ精霊である私を倒す。それでいて、リシャを失わない方法を、その間に見つけなければならないのですよ? もし間に合わなければ、どうするのです?」

「そのときは、私が責任を持ってリシャを倒すよ。でもね、そんなことはないと信じてる。しまぱん勇者の仲間は、ここにいる三人だけじゃないから」

 たとえはったりであっても、自信を失わないレフィオーレに、フィルマリィは苦笑を浮かべてみせた。初めて見せた表情に、レフィオーレは構えを緩めそうになる。

「いいでしょう。一つ言っておきますが、私を説得するのは無理と考えておいてくださいね。何百年もの研究の成果が実ろうとしているのです。諦める気はありませんから」

「わかってるよ。別の方法で、私たちはリシャを、世界を救ってみせる」

 その言葉と同時に、レフィオーレは構えを解いた。フィルマリィも視線をレフィオーレから外し、形式的な戦いが続いている四人の方に向ける。

「リシャ! これ以上の戦いは無用です。次の目的のために、移動します」

「了解!」

 あっさりと武器を収めたリシャに、ルーフェは追撃をかけようとする。しかし、それを制したのはレフィオーレだった。

「ルーフェ、追わないで! スィーハ! チェミュナリアも! ここは一旦退いて、作戦を練ろう。今の私たちじゃ、これ以上戦っても結果は変わらないよ」

「了解しました」

「うん、そうだね。レフィオーレに従うよ」

「相手も退いてくれて好都合、と言えますしね」

 三人とも異論はなく、レフィオーレの言葉に従った。回復速度でいえば、ぱんつの力よりも精霊の力の方が早い。リシャはわからないが、精霊の力も与えられているだけあって、自分たちより早いと考えるべきだろう。

 であれば、ここで両者が疲弊して、再戦となった場合に不利になるのはこちらだ。その前に退却するのが的確な判断であることに、異論があるはずもなかった。

 レフィオーレたちは広間から外へ出ようとする精霊フィルマリィと、彼女に従うリシャを追いかけずに、黙って見送る。リシャが外に出てすぐ、ルーフェとチェミュナリアが警戒しながら神殿の外に出たが、目的は偵察である。

 フィルマリィが向かうのは北だというのはわかっているが、リシャはわからない。精霊の力を借りたとしても、一緒にリース・シャネア国まで向かうことは不可能ではないが、フィルマリィにも相当の負担がかかるだろう。

 山脈を越え、海を越える強靭な飛行型魔物が近くにいるとしたら、神殿に着いた時点で気配に気付かないはずはない。

 ルーフェたちは、神殿を出たフィルマリィとリシャが神殿から離れて、北へ向かうのを確認してから、中で待機していたレフィオーレとスィーハを呼んだ。フィルマリィの態度から、中庭などに回って奇襲を仕掛けてくる可能性は低いとはいえ、用心に越したことはない。

「それじゃ、私たちも行こうか」

 レフィオーレの言葉で、しまぱん勇者とその仲間も移動を開始する。今後のことを考え、やるべきことは多い。やれる時間も限られている。フィルマリィは余裕があるのか、急いで移動してはいないので今日、明日のうちにどうこうなることはないにしても、神殿で休んで明日から行動開始、というわけにはいかない。

 精霊神殿のある高原から、レフィオーレたちは南に向かって歩き出した。小さな山を越え、エラントル家の領地を抜け、目指すはエラントル岬のリクリヤの家。

 単純な距離でいえば、フィルマリィ王国の方が近いし、道も険しくない。けれど、今後の相談をするなら、リクリヤの力や知識が必要だ。

 特にそのことをレフィオーレは口にしなかったが、他の三人は黙って彼女についてくる。同じように考えたからというだけでなく、リシャのことを考えているのだろうと理解したレフィオーレは、エラントル岬に着くまで彼女たちに声をかけずに、安全で歩きやすい道を探すのに専念することにした。


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