街の宿に泊まって数日。俺たちは今、街の近くの街道から少し外れた平原にいた。道を歩くまばらな人影が見える。数日の滞在で、怪物がほとんど出ることない安全な場所、ということでここを修行場所に選んだ。
街の観光はそこそこに、俺たちがまずやるべきことは修行だった。見たこともない怪物。街を外れるほど、強い怪物に出くわす可能性が高いという。
どこへ向かうかというのはまだ定めていないけれど、世界を見て回る旅に出る、ということだけは漠然と決まっていた。そのための準備のひとつにして、最も重要な準備が修行である。第二に重要なのは、地理や気候などの情報収集だ。
「でも、本当にいいの?」
「ああ。俺には多分、これ以上は無理だと思う」
「妥当ですね。私が見ていても、あまりに上達が遅すぎます」
この日は修行内容の転機を迎えていた。ヒナタに教えてもらっていた空間凝結。なんとか安定して空を飛び回れるようにはなったけれど、軽快に飛び回れるかというとそうではない。けれど、成果としては十分だ。
そこで俺は、この修行はここまでにして別の修行を提案した。ヒナタやヒヨリ、サクヤさんとは違う方面で、空間凝結を使いこなす。
「そう。それじゃ、まずは対抗手段だね。これは、私よりヒヨリの方が得意だから、ヒヨリに任せるね」
「任されました」
ちなみに、修行を受けているのは俺だけではない。空間凝結に関しては、俺がヒナタやヒヨリから教わる立場だけど、武器や体術による戦闘技術に関しては、俺が二人に教える立場になっている。
ヒナタやヒヨリは今でも強いけれど、修行を始める際に互いの実力を確認するため、空間凝結を封印して戦闘してみたところ、実力は二人に対して俺が圧倒していた。二人とも、空間凝結を前提とした戦いは得意だけど、それを使わない修行はあまりしていなかったのだそうだ。
無論、空間凝結を一切使用できない状況、というのはほとんどないと思うけど、閉所や建物内での戦いなど、制限される場面に出くわすことはあるだろうから、無駄にはならない。
「今日も白、か」
「それしか持ってなくて……って、カゲユキくん! 怒るよ!」
「でも、見えるものは仕方ないよね」
空間凝結を封じるということは、当然ミニスカートの中も見えることになる。最初こそ恥ずかしかったけど、何日も続けているうちにもう慣れた。もっとも、ヒナタの方はまだ完全に慣れていないようだけど。
怒るよ、とは言うけれど、言ったあとの動きは若干鈍る……というか、スカートの中が見えないように控えめな動きになってしまうのが、ヒナタの悪い癖だ。
「その癖、直さないとね」
「そんなこと言われても、好きな人に見られて恥ずかしいって思わない方がおかしいよ」
休憩時間。何度目になるかわからないやりとりが始まる。
修行を始めて十数日しか経っていないから、まだ二桁には達していないと思うけど、少なくとも五回は確実に越えていると思う。
「なら、試しにもっと恥ずかしいことをして慣れるっていうのは……」
「……それ以上口にしたら、刺します」
首元に、ヒヨリの剣が添えられる。凝結された超硬質の空間だ。
俺はそれに合わせるように、空間を凝結してその剣を防ごうとする。さすがに超硬質なだけはあり、打ち消すことはできないけれど、切れ味を鈍くするくらいはどうにかできるようになった。これで、もし刺されてもかろうじて致命傷にはならないだろう。
「少しは上達したみたいですね」
「まあね」
「ですが、いちいちこのようなことをする意味は?」
「ないけど、その方が楽しいかなって」
修行というのは始めたからといって、すぐに強くなれるわけではない。それに内容も似たようなものになるから、何日も続ければ退屈になるものだ。
「そうだよね。でもカゲユキくん、あんまり挑発すると、私もちょっと強引な行動起こしちゃうかもよ?」
「強引って、どんな?」
「ヒヨリの前では言えないなあ」
目を瞑ってほくそ笑む彼女に、俺はこれ以上からかうのをやめた。最初は冗談だろうと思って続けたけれど、その翌朝、目覚めたら布団の中にヒナタの姿があって、ヒヨリへの弁明に一時間かかった。
修行中や戦闘中のぱんつには慣れたけど、その他でのヒナタの積極性には慣れていない。俺に対しての気持ちがはっきりしている彼女と、彼女に対する気持ちがはっきりしていない俺との差は大きいものだ。
修行の前にはっきりさせてみてはどうか、と考えもしたけれど、そうするとヒナタはともかく、ヒヨリとの関係が悪化するのは疑うべくもない。
結果的に、修行よりも難しい問題だからと、先延ばしにしていることになるけど、急いで決めなくてはならないことでもないので、今しばらくはこのままでいたいと思う。俺たちの旅はまだ始まったばかり。関係が変わるきっかけなんて、放っておいても勝手にやってくるに違いない。それも、一度じゃなくて何度も。
そしてそのきっかけは、俺たちが街について、修行を始めてから一月ほど――秋後の季節が終わり、冬前の季節が訪れた最初の日にやってきた。
冬の始まりではあるけれど、俺たちのいた世界と同じく、このあたりの気候も年中温暖だそうだから、涼しいくらいで肌寒さはない。街にやってきた旅人の話だと、雪とやらが降り積もる寒い土地もあるそうで、旅の準備が整ったら行ってみたいと思う。
事件が起きたのは、その日の夜のことだった。
三人揃って宿の部屋にいて、今後の修行内容について話していたところ、扉を叩く音が聞こえた。宿屋の主人だろうかと、軽く返事をして扉を開ける。
「こんばんは、みなさん」
果たして、そこに立っていたのはリリィロットさんだった。
「どうしたんですか?」
彼女が街を訪れるときに、修行の様子を見に来ることは何度かあった。けれど、基本的に日帰りで街に来るため、夜に訪れたことは一度もない。
「いえ。あなた方の修行の様子を見ると、そろそろ旅に出る日も近いかと思いまして。その前に、話さないといけないことがあるのです」
彼女の言う通り、俺たちはそろそろ旅に出る予定を立てていた。基礎的な修行はほぼ終わって、応用もある程度進んだので、残るは仕上げの修行のみ。順調に行けば、十日後には旅に出るつもりだった。
「わかりました。それじゃ中に……」
リリィロットさんを部屋に招こうとしたところで、階段を駆け上る音が聞こえてきた。俺たちの泊まっているのは宿の二階。足音が聞こえてから、その人物がここへやって来るまで時間はかからなかった。
「お待ちなさい!」
微かに息を切らしつつ叫んだのは、サクヤさんだった。
「どうしました? サクヤ」
突然の登場に驚く俺たちをよそに、冷静に聞くリリィロットさん。
「どうしたもこうしたもありません。珍しく夜にあなたの姿を見かけたと思ったら、彼らの泊まる宿へ入っていくではありませんか。男の部屋に夜に向かうなど……理由を説明してもらわないと困ります」
俺だけが泊まってるわけじゃなくて、ヒナタとヒヨリもいるんだけど、ここで俺が何を言っても話がややこしくなるだけだと思ったので、黙っていることにした。
「怪物についての話をしようと思ってきたのです。昼間は修行中で忙しいと思いましたので、夜に。ちょうどいいですから、サクヤも話に加わってもらえますか?」
「怪物? そ、そうですか。全く人騒がせな……わかりました。それでしたら、私も近いうちに話そうかと思っていたところです。旅立つ前に、ね」
一悶着ありながらも、二人を部屋に迎えた俺たちは、ベッドに腰掛けて話を聞く。俺の右隣にヒナタ、ヒヨリが座り、向かい側にはリリィロットさんとサクヤさんが並んで座る。最初は俺の正面にリリィロットさんが座ろうとしたけれど、サクヤさんが抵抗して俺の前に割り込んできた。
「そんなに警戒しなくても、何もしないですよ」
「別に警戒などしていません。これは私の事情です」
どんな事情なのか気になったけど、今は置いておこう。まず話を聞くのが先決だ。
「それで、話ってなんですか?」
ヒナタが言った。
「先程も言ったように、怪物についてです。修行の最中、何度か出くわしましたね?」
「ええ、ファルフォルの群れに何度か」
「プニマやフェンレークスにも会いましたね」
ヒナタとヒヨリが答える。プニマはまるまるとした怪物で、二つ目に耳のついた可愛らしい怪物だ。膝くらいまでしか届かない大きさで、弱いので倒すのは簡単だ。フェンレークスはちょっと大きな雀的な何か、というか雀だ。
フェンレークスとは修行を始めてすぐに出会った怪物だ。ひたすら歩き回ってつつくだけなのだけど、歩く速度はなかなかに速いし、空間凝結を駆使して空も歩いてくる。神経毒を持っていてつつかれると動きが鈍ったり、鳴き声で他の怪物を呼ぶこともあるので厄介だけど、声の届く範囲は小さい。
修行に使っていた開けた場所では、見える範囲にいなければ集まってくることもないので、脅威にはならなかった。そしてそいつは直進が大好きなため、目の前に壁を作れば勝手にぶつかって簡単に気絶してしまう。
大して強くはない怪物。戦闘になったのも二、三度で、ファルフォルやプニマに比べると少ない。けれどそいつは、俺の修行の指針を定める上で大いに役立った怪物だから、よく覚えている。
俺たちの知る絵本や小説の中に、そっくりな怪物が存在していたのはファルフォルと同じ。本の中ではプニマは流丸(ルマル)、フェンレークスは歩雀(フスズメ)と呼ばれていた。
「やはり、そうですか」
リリィロットさんは納得したように頷いて、言葉を続ける。
「あなた方は知らないと思いますが、本来ならそれほど多くの怪物が、あの場所に現れるはずがないのです。せいぜい、一月に数回プニマの姿を見かける程度で、襲いかかってくるのは一度あるかないか。ファルフォルやフェンレークスなどは、年に一、二回しか現れません」
「私が街の近くの怪物退治をしていることは前に話したかと思いますが、その回数もここ一月ほどは以前より明らかに増えています」
その話は街で情報を集めているとき、彼女に出会って聞いたことがある。街の人が彼女に感謝していたので、何のことかと尋ねたら返ってきた答えがそれだ。
「怪物が活発化している?」
「それも、私たちが落ちてきた頃と同じに……」
「はい。この周辺に限ってではありますが。原因はおそらく、あなた方が世界の果てを破ったこと」
「偶然ではないのですか?」
ヒヨリの質問に、答えたのはサクヤさんだった。
「私たち一家が事故で落ちてきたときも、怪物の活発化はありました。……それがなければ、私の両親もまだ生きていたことでしょう。そして、リリィロット」
「ええ。歴代の神寄人が記録した文献をみると、神が落ちてきた直後に怪物が活発化するという現象は毎回起こっていたようです」
「珍しいことじゃないみたいだけど、なんで今になって俺たちに?」
街に被害が出たというのならわかる。けれど、それなら出会って間もないうちに話してもいい内容だと思う。一月経ってから話そうと思った理由は、すぐに見当がつかない。
「それが、怪物たちの活発化が記録にあるよりも激しいのです」
「私たち一家が落ちてきたときも、これほどではありませんでした」
「事故じゃなくて、私たちが力尽くで破ったから?」
「おそらくは」
リリィロットさんは静かに言った。だとすると、俺たちがやることは決まっている。
「だったら、放っておいて旅に出るなんてことはできないね」
「うん。私たちが原因なら、私たちで解決しないと」
「そうですね。修行の成果を試すのにもちょうどいいでしょう」
俺たちが言うと、リリィロットさんは微笑んで言った。
「あなた方なら、そう言ってくれると思っていました。では早速対策を考えましょう」
「それなら、考えるまでもありません。街に滞在し、周囲の怪物から守る者たちと、リリィロットの家を拠点に、怪物の多い森林周辺の怪物を、街から遠ざける者たちに分かれて対応すればいいのです。当然、街の拠点のリーダーは私、森林のリーダーはリリィロット。異論はありませんね?」
怪物に詳しくないことを考えると、それが適切だと思う。俺たちは素直に頷いた。
「では、クサナギカゲユキ。あなたは私と。ムラクモ姉妹はリリィロットを守りなさい」
「ヒナタさんとヒヨリさんには戦闘だけでなく、文献を調べるお手伝いもお願いしたいと思っています」
異論はなかった。というか、異論を口にしてもよほどの理由がないと、サクヤさんが認めてくれなさそうだからやめておいた。ただ、疑問はあったのでちゃんと尋ねておく。
「街に集まるなら、街に三人の方がいいんじゃないかな?」
「そうですね。森林には怪物が多いにしても、街まで出てくることはあるのですか?」
ヒヨリも同調する。リリィロットさんは首を横に振って、それに答えた。
「サクヤ。私のところにはヒヨリさん一人でも構わないですよ。幼い頃からずっと暮らしているのです。周辺の怪物から身を守る術は知っています」
「わかっています。これは私のわがままです。カゲユキ。私はあなたと二人で、街を守りたいのです」
言葉とともに、サクヤさんは俺の手を両手でそっと握ってきた。俺の目をじっと見つめて、まるで愛しい相手に頼むかのように。
「その方が動きやすいなら、俺は構わないですけど」
俺は冷静に答える。俺がサクヤさんに好かれる理由は思いつかない。ヒナタのように、知らないところでずっと前から見ていた、ということもないはず。彼女の目的はきっと別にあるのだと思う。
「……カゲユキくん」
「あなたの意思は否定しませんが、お姉ちゃんを悲しませるのは許しませんよ」
「カゲユキさん。サクヤのこと、お願いしますね」
彼女の思惑に気付いているのかいないのか、三者三様の反応が返ってくる。ヒナタの悲しそうな視線がちょっと痛いけど、彼女なら多分大丈夫だと思う。
その後、これからの予定を軽く話す。早速明日から、俺たちは二手に分かれて怪物に対処することになった。帰り際、俺はサクヤさんに小声で言った。
「あとで理由、話してもらえますか?」
「何のことです?」
微笑んで、サクヤさんははぐらかすような返事をした。俺はそうですか、と軽く答えて彼女を見送った。話してもらえないならそれでいい。こちらから理由を推測して、指摘すればいいだけのことだ。一緒にいればその機会はいくらでもあるだろう。
「……ふむ。これはどうするべきでしょうか」
「今夜のうちに何かした方がいいのかなあ」
部屋に戻ると、ヒヨリとヒナタがぶつぶつとひとり言を口にしていた。こっちもこっちで何か問題が起きそうだけど、まずは目先の問題の解決に集中することにしよう。