世界の果てのその向こう

―終章―

第一話 神寄人と神


 何事もなく朝を迎えた。俺が目を覚ました頃には、隣にリリィロットさんの姿はなく、起きてみると朝食の準備をしている彼女の姿があった。ソファにはヒナタとヒヨリが並んで座っている。

「おはよう、カゲユキくん! そっちにいたんだね」

「リリィロットさんもそちらから出てきましたが……まさか」

「何もないって」

 疑うヒヨリのいつもの姿に安心する。昨日のことを引きずっていないか心配だったけれど、無理をしているようには見えないから大丈夫だろう。

「ヒナタさん、ヒヨリさん、それとカゲユキ。朝食の準備、できました」

 台所からリリィロットさんの声がした。

「今、カゲユキって」

「……呼び捨てでしたね」

「冗談はやめてくれませんかー」

「わかりました。カゲユキさんがそう望むなら」

「私、カゲユキくんのこと信じてるからね!」

「カゲユキのことですから、わかりませんよ」

 両手を握って、じっと見つめて来るヒナタ。ヒヨリは冷たい目で俺を見ている。けれど、それよりも気になることがあった。

「なあ、ヒヨリ」

「なんです?」

「今、名前で」

「気のせいです。私があなたのことを名前で呼ぶなど、ありえません」

 即答された。俺から顔を背けて、朝食の並んだテーブルへ向かう姉を追いかけるヒヨリ。俺は肩をすくめて、二人のあとを追いかける。

 食事を開始してすぐ、隣のリリィロットさんが俺の耳元で囁いた。ヒナタやヒヨリに気付かれないよう、机の中央にある塩を取る動作に合わせてこっそりと。

「良かったですね」

 何の、とは聞き返さない。聞き返す必要なんてなかった。

「リリィロットさん、両親のことで尋ねたいことがあります」

 食事を終えて少し。ソファで休みながら、ヒナタが手を挙げてそう切り出した。

「なんでしょうか」

「形見だとかお墓だとか、そういうのはありますか?」

 不安そうな声で尋ねる。この家の周囲にはそのようなものは見当たらなかった。

「ほぼ身一つで落ちていらしたので、形見はありません。ですが亡骸なら。神の墓として、特別な場所に安置されています。これから案内しようかと思っていたところです」

「お願いします」

 ヒナタが立ち上がった。ヒヨリも姉に続く。

「ヒヨリさんも、よろしいのですか?」

 こくりと頷くヒヨリ。無理をしているようには見えない。

「では、案内します。カゲユキさんはどうしますか?」

「ヒナタ、俺も行っていいかな?」

 彼女たちが心配だからというわけでも、ここに一人でいるのが寂しいわけでもない。特別な場所ということに興味があっただけで、やや後ろめたい気持ちはある。

「もちろんだよ。興味、あるんでしょ?」

「私も構いませんよ。別に、そこに両親がいるわけでもないのですから」

 二人の承諾を得て、俺も同行することになった。

 家を出て、森の中を北へ抜けていく。十分ほど歩いただろうか。木々の間から、洞窟が見えてきた。入り口は小さめで、人が二、三人立って入れるくらいの大きさだけど、中の広さまではわからない。

 入り口の前で、リリィロットさんは立ち止まる。ヒナタとヒヨリは不思議そうにしていたけれど、俺にはその理由がよくわかっていた。

「結界、ですか?」

「ええ。見えるのですか?」

 俺たちの会話に、ヒナタは首を傾げ、ヒヨリは俺を訝しげに見つめていた。

「……ああ、そういうこと」

「つまらないです」

 使い方から結界と呼んではみたけれど、なんてことはない。ただの空間凝結だ。世界の果てにあったものと同じような性質だけど、強度は比べものにならない。俺一人でも簡単に壊せると思う。

 リリィロットさんは結界に手を当てて、軽く力を込めたかと思うと、凝結された空間は一瞬で消え去った。余計な手順を踏むことで、長く維持できるようにしているのだろう。

 尋ねたいことはあったけれど、彼女はすたすたと歩いていってしまったので、その機会はなかった。洞窟の中、細い通路を抜けると、広い空間に辿り着いた。

「こちらです」

 丸い部屋には、小さな盛り土が何十と並んでいる。人のものと思しき白骨が奥に見えるものもある。名前などを示すものはない。名前はわからない場合がほとんどだろうから、目印さえあれば彼女にとっては十分なのだろう。

「神の亡骸はこの洞窟にて、祀られています。人として見るなら、風葬ですね。この洞窟は自然の神々の影響を受け、風葬に最も適した場所である……と、伝えられました」

 話しながら案内するリリィロットさん。立ち止まると、目の前には二つの盛り土が。奥には白骨が二人分。ヒナタとヒヨリの両親のもので間違いないだろう。

「この骨格は……ヒヨリ、わかる?」

「私の知識はそこまで深くありません」

「あっさりとしてるね」

 昨日の様子との違いに驚いて、思わずそんな言葉が口から出てしまう。

「覚悟はできていた、と言いました。あれは、その、突然すぎただけです」

「生きているかどうかは半々、そう思っていたからね。でもさすがに、こんなにすぐにわかるなんて予想はできなかったよ」

「確認が済んだのなら、そろそろ戻ってもよろしいでしょうか。ここは長い間、生きた人がいるべき場所ではないとされているのです」

「はーい。ヒヨリもいいよね?」

「はい。構わないです」

 リリィロットさんに促されて、俺たちは洞窟を出た。入り口付近で再び彼女は立ち止まり、結界のあった場所に手をかざし、力を込めて結界を張る。

「では、戻りましょう」

 歩き出す彼女に、後ろから尋ねる。

「今のって、空間凝結ですよね?」

 リリィロットさんは振り返らず、淡々と答える。

「ええ。あなた方と違い、私にはあの程度が限界ですけれどね。これでも、先代や先々代よりは上手なのですけどね。歴代の神寄人の中でも、トップクラスなんですよ」

 小さく肩をすくめるリリィロットさん。それきり会話はなく、俺たちは無言で家まで歩いていった。

 戻ってすぐ、リリィロットさんが話を切り出す。

「あなた方はこれからどうするのですか? 神寄人の役目には、神を迎えて帰還までの寝所を用意する、というものもありますので、一応、ここで暮らすことも可能ですよ」

「それはカゲユキくんが決めます。私とヒヨリは目的も達成しちゃったし、いやじゃなければどこにでもついていくよ」

「旅に出たい、と言いたいところだけど……まずは、近くの街に行ってみて、この世界のことを知るところからかな。怪物とやらの話も聞いておきたい」

 言って、リリィロットさんを見る。昨日は途中で話が中断されたから、怪物について尋ねる時間はなかった。

「そうですね。では、街へ案内しましょう。怪物ならおそらく、街へ向かう途中に出くわすと思います。あなた方も弱くはないと思いますが、怪物は危険な存在です。戦うのはなるべく避けて、逃げることを優先して下さい。どれだけ凶暴な怪物でも、戦意を見せなければ、しつこく追いかけてくることはありませんから」

 真剣な表情で忠告するリリィロットさんに、俺たちは頷いた。

 リリィロットさんの後に続き、森の中を南へ進む。街へと続く道だけど、ここには彼女しか住んでいないからか、特別に整備されているわけではない。それでも、他の場所へ向かう道よりは開けていて歩きやすい。

 少し歩いたところで、茂みから何かが飛び出してきた。狐、だろうか。

 やや薄い毛色の狐は、俺たちの目の前に立ちはだかるようにして動かず、じっと睨みつけている。

「気をつけてください。あれが、怪物です」

「あれが?」

 狐そのもののその姿に、怪物と言われてもピンと来ない。

「狐で怪物、ですか」

 ヒヨリが呟く。その言葉を聞いて、何となく思い出すものがあった。昔読んだ本の中に、そのような怪物が描かれていた気がする。

 狐は俺たちを見つめたまま動かない。威嚇はなくとも戦意は隠さない。俺たちが動くのを待って待機しているのだろう。

「ファルフォルです。一体ならさほど強くはありませんが、仲間を呼ぶ可能性もあります。ここは迂回したいところですが……」

 リリィロットさんも気付いているのか、困っているようだ。

「倒して駆け抜けた方が楽、かもしれません。できますか?」

「じゃあ、俺が行くよ。ヒナタとヒヨリはリリィロットさんを」

「ん。がんばってね、カゲユキくん」

「守りなら、お姉ちゃん一人で十分です。私はサポートに入ります」

「そうか。わかったよ」

 文句はないのですぐに認める。周囲に他の敵の気配はないし、守りを固める必要はないだろう。あの狐――ファルフォルとやらが二人でないと倒せないかどうかはともかく、一人で戦うよりも安全なのは間違いない。

 俺が前に進むと、狐は地面を蹴って空へ飛びあがった。空中からの突進かと思ったけれど、そいつは斜め上ではなく、真上に跳んでいた。

 そのまま、空中を飛び回りながら俺たちを翻弄し、固めた毛を飛ばしてくる。

 俺とヒヨリは近くに固まり、余裕を持って空間を凝結させて、攻撃を防ぐ。ヒヨリに比べれば、速度も遅いし威力も低い。

「あれは……」

「あなたも、読んだことがありましたか」

「まるでヒギツネ――いや、そのもの?」

 飛狐。空を飛び回り、固めた毛で地上の旅人に襲いかかる怪物。古くからある、絵本や小説説の中にたまに登場する怪物に、そいつ――ファルフォルはそっくりだった。

「試してみる、かな。ヒヨリ、とどめは頼むよ」

「わかりました。ですが、無理はしないでくださいね」

 俺は頷いて、目の前の空間を凝結させる。反発力を高めた空間。まだ修行途中だけど、あの速度ならどうにかなる、と思う。

 俺は空に飛び上がり、攻撃を防ぎつつ近づいて、ファルフォルの後ろを取る。反発力の制御はまだ難しくて、思ったより時間はかかったけどどうにかなって良かった。

「ここだ!」

 狙うはしっぽ。そこに全力の拳を叩きこむ。まだ空中で刀を振り回せるほど慣れてはいないから、今の俺の精一杯だ。

 たったの一撃。けれど、その一撃でファルフォルは地面に落下していった。

「ヒヨリ!」

「言われなくても」

 超硬質の剣を手に、間合いを詰めて、ヒヨリはファルフォルを斬る。

 小さな悲鳴とともに、ファルフォルの体は砂のようにさらさらと溶けて、消えていった。

「ここまで同じ、とはね」

 ちょっと手間取りながら着地した俺は、言った。しっぽを攻撃すると空を飛び回る力を失うという弱点、そしてさらさらと砂のように消滅する消え方。どちらも、本に書かれていたのと同じだ。

 それでも、ただひとつだけ、本に書かれていないこともあった。

「カゲユキくん、今のはやっぱり?」

「うん。空間凝結、だね。多分、俺たちと同じだと思う」

 本にはいかにして空を飛び回るのか、その原理は書かれていなかった。けれど、俺にははっきりと、ファルフォルが凝結された空間を蹴って、飛び回っているのが見えていた。

 だからこそ、修行途中の俺でも容易に背後をとることができたのだ。もしあいつが、謎の力で縦横無尽に飛び回っていたら、簡単にはいかなかっただろう。

「話はそれくらいに。悲鳴に気付いて、仲間が来たら厄介です」

 リリィロットさんの言葉に、俺たちはその場を後にした。そのまま森林を抜ける直前まで何事もなく、無事に進んでいたのだけど、最後には敵が待ち構えていた。

「待ち伏せ、か」

「さっきの悲鳴はちゃんと聞こえてたみたいだね」

 出口まであと少し、というところで数体のファルフォルが待ち構えていた。見える範囲だけでも五体。気配を含めると、十体近くはいるかもしれない。

「ファルフォルの悲鳴は、私たちには小さいですが、彼らにとっては遠くまで聞こえるものです。普通なら、気付いたらすぐに襲いかかってくるのですが、ここまで群れるとは……」

 すぐに襲いかからなかったのは、俺たちの人数と実力から、二、三体では勝てないと悟ったからだろう。だから群れて襲いかかってきた。リリィロットさんの言葉にはまだ続きがありそうだったけれど、それを聞く時間はなかった。

 ファルフォルたちの群れが地面を――地面に凝結させた空間を蹴って、空に飛びあがったからだ。俺たちも素早く交戦する態勢を整える。

 なるべく戦いを避けてとは言われたけれど、周囲の気配の数から、無傷で逃げるのは難しいだろう。

「リリィロットさんは……」

 柄に手をかけながら、振り向いて聞く。

「すみません」

 その一言で彼女が戦えないだけでなく、攻撃から身を守ることさえ困難なことを理解する。

「カゲユキくんはリリィロットさんをお願い。ヒヨリは隠れているのを倒してきて。あそこにいるのと、出てくるのは私がまとめて相手をするよ」

「了解」

「わかりました」

 空中を飛び回る相手。一体ならともかく、多数ともなれば俺には荷が重い。勝てないことはないけれど、時間をかければかけるほど危険が増す。

 ヒヨリが木々の間に消え、ヒナタが空を見上げる。俺は彼女の前に空間を凝結させて、ファルフォルの群れが飛ばしてくる攻撃を防ぐ盾とする。

「ありがと。それじゃ、さっさと片付けてくるけど……あんまり見ないでね」

「そうもいかないんだけどね」

 リリィロットさんを守るためにも、敵の動きを見ないわけにはいかない。当然、ヒナタも目に入るだろう。俺が答えると、ヒナタは表情を崩して言った。

「だよね」

 攻撃が緩んだところで、ヒナタは空へ向かう。スカートをはためかせ、翻しながら飛びあがっていく。短いスカートの中には、白いものがはっきりと見えた。

「気持ちはわかりますが、その」

「すみません」

 リリィロットさんに言われて、俺は守りに集中する。遠くで聞こえる悲鳴は、おそらくヒヨリが倒したファルフォルのもの。

 ヒナタは空を飛び回るファルフォルの群れに、一人で立ち向かう。最初は五体だったそいつらは、今では七体に増えていた。俺たちが逃げないのを見て、伏兵は最低限で十分と判断したのだろう。

 緩急をつけながら空を飛び、攻撃をひらり、ひらりととすり抜けていく。盾を作るまでもなく、相手の動きを見て、飛び回るだけで回避できるように足場を作っている。

 ファルフォルの群れに近づいたヒナタは、華麗な動きでしっぽを蹴る。綺麗なだけでなく、反発力も利用しつつの重い蹴り。

 そのまま落下する相手を追わず、残る敵に近づいては蹴り、別の敵に近づいては蹴りを繰り返す。凝結する空間の位置、反発力、敵の動き、それらを全て計算して、最短の距離で空を飛び回り、駆逐していく。

 最初に落下したファルフォルが、意識を取り戻し立ち直ろうとするのとほぼ同時。

 ヒナタは地上に舞い降りた。

 柔らかく凝結された空間を利用しての着地には、その表現がふさわしい。地上を駆けて、空へ逃げようとするファルフォルを蹴り飛ばす。その体は消えるより早く、他のファルフォルに当たり、巻き込んでいく。

 ヒナタの蹴り技に翻弄され、倒れていくファルフォルたち。空へ逃げるのをやめた、一体のファルフォルフォルがこちらへ突進して来た。

 と同時に、他のやつらより回復力に優れているのか、一体のファルフォルが空へと飛ぼうとする。

「甘い!」

「逃がさないよ!」

 俺たちは同時に叫んだ。

 俺は向かってくるファルフォルを見据えて、抜刀。力を込めた一撃で切り伏せる。

 ヒナタは凝結させた空間を蹴り、一飛びで逃げるファルフォルに追いつき、身体をひねって鋭い蹴りを放つ。しっぽではなく、背中を狙った一撃。落下することなく、そいつの体は砂のように消えていった。

「そちらも無事に終わったようですね」

 ヒナタが着地した頃、後ろの茂みの中から顔を出して、ヒヨリが言った。

「そっちも無事みたいだね」

 周囲に敵の気配はない。他のファルフォルや、別の敵の気配も感じられない。

「二人とも、大丈夫だったー?」

 駆け寄ってくるヒナタに、俺たちは頷いて無事を示す。

「あなた方は強いのですね」

 リリィロットさんは声にいくらかの驚きを含んで、そう言った。微笑みながらの一言だったけど、すぐにその笑みは消え、真剣な表情に変わる。

「ですが、過信はしないでください。この世界にはもっと強い怪物もいます」

「……リリィロットさん?」

 彼女の忠告はもっともだ。けれど、その忠告は俺たちだけに向けられているものとしては、力強すぎるような気がした。

「なんですか?」

「ああ、いや、なんでもないよ」

「そうですか。では、街へ向かいましょう。話したいこともあります」

 ヒナタとヒヨリも怪訝そうな顔をしていたけれど、俺たちは深く突っ込まなかった。


序章へ
第二話へ

世界の果てのその向こう目次へ
夕暮れの冷風トップへ