五月の始め、大型連休の初日。俺たちは駅に集まっていた。駅で待ち合わせということで、いつもは一緒に行くすすきとは別行動。早めに出た俺と三葉が駅に着くと、お姉さんと姫が待っていた。
お姉さんの私服姿を見られるのは珍しい。といっても、大学の帰りに出会うこともたまにあるので、初めて見るわけではない。今日の衣服もいつもと同じパンツルックに、ちょっとしたアクセントというシンプルなファッションだ。
「あれ、すすきちゃんは一緒じゃないんだ?」
「別々に、と言われたんです」
「おかげで兄さんと二人きりになれました」
妹も普段着のままで、特におめかしをしているわけでもない。意識させたのかと心配になったけれど、意外とみんな寝たら忘れてしまったのかもしれない。
そう思っていたのが間違いだと気付いたのは、次に到着した幼馴染みの服を見たときだった。
「お待たせー。どうかな、これ?」
「珍しいな、スカートなんて」
すすきが穿いているのは長めのスカート。普段はパンツしか穿かず、ボーイッシュで活動的な衣服を好む彼女にしては、何かあったのかと思うくらい珍しいファッションだ。もちろん、その何かがあったから着てきたのは俺もちゃんと理解している。
「これ、変じゃない?」
「ああ。似合ってるよ」
「そっかー。葉一が気に入ってくれたなら嬉しいよ」
ここでの笑顔は反則だと思う。俺が照れて視線を逸らすと、膨れる妹の顔が見えた。
「兄さん、ずるいです。私だっていつもと違うんですよ、良く見てください」
「違うって、どこが……」
言いながら妹の服を改めて確かめる。ブラウスに短めのスカートという可愛らしい服。でも初めて見る服というわけでもなく、何度も見たことがあるものだ。特別なアクセサリーも見当たらない。
「下です、兄さん」
「下?」
靴だろうかと思って見てみたけれど、いつもの靴で変わりはない。じゃあどこかと視線を上げてみると、三葉のぱんつが見えた。なぜか妹はスカートを少しめくって待機している。
「どうですか。しましまぱんつです」
水色と白、絶妙な太さの二本の線が交互に横のしまを作る、しましまぱんつ。妹がはいているのを見るどころか、実物を見るのも初めてだ。だけど、恥ずかしげもなくめくられてもいまいち興奮しない。周りに人がいないとはいえ大胆な行動である。
俺が確認したのを見ると、妹はすぐにスカートを下ろした。よく見るとほんのりと頬を赤らめている。恥じらいを見せるのが遅い気がする。
「……兄さん、じろじろ見すぎです。人目を気にしてください」
「葉一の変態」
「あれ、俺そんなに見てたか」
「葉一くん、十秒は見てたよ」
妹の恥じらいの原因は俺にあったらしい。三葉とすすきの非難するような視線が痛い。お姉さんと姫は楽しそうだ。そもそもめくる時点で恥じらいがないのはどうなんだとも思ったけれど、三葉としてはちょっと見せるだけで、すぐに下ろすつもりだったのかもしれない。
それを俺がじっと見入っていたから、下ろすに下ろせなくて、ということだとすれば悪いのは俺だ。普段なら演技の可能性も疑うところだけど、今日はちょっと違う気がする。
「待たせた?」
黒いワンピース姿の雪奈が到着した。明らかに意識しているとわかる、まるでデートにでも行くかのような服装。長い髪には小さな銀製のアクセサリーがついている。
他の二人と違って、雪奈は俺への好意をいつも素直に表現しているから、その格好に驚くことはない。でも美しく落ち着いた雰囲気の中に混じった少しの可愛さは、雪奈の魅力を引き立てて思わず見とれてしまう。
「する?」
しない。
やや上目遣いにぼんやりとした無表情で見つめる雪奈。状況が状況なら折れていたかもしれないけど、この流れで突然そんなことを言われると逆に冷静になる。でもそのおかげで助かったのだから文句はない。
「ルクスは?」
「あ、私ならここにいます」
光の妖精さんは姫の胸元、服の中から顔を出した。姫が着ているのは胸元に余裕のある服なので今まで気が付かなかった。
「人目につくと面倒だからな。胸の谷間から女の子、というシチュエーションもいいだろう」
姫の胸に谷間はない。故にシチュエーションとしての効果は別のものになる。
ルクスは再び服の中に入っていった。知ってから見ても、中でどこにいるのかはよくわからない。今日まで気付かれないように動く練習でもしていたのだろうか。
「しかし貴様はいつもと変わらんのだな。いや、むしろいつもよりも無難な服装に見える」
「俺はそういうの苦手なんだよ。無理に背伸びしても失敗するのは確実だ」
だからこそいつもすすきに選んでもらっているのだ。もちろんそれは平日だけで、休日は自分で選んでいるけれど、そのときはわかる範囲の無難なコーディネートにしている。
今日は旅行だから少しは努力してみようかと思ったけれど、少し考えて自信がなかったのでいつものように無難な服装を選択した。
「そうか。楽しむ気がないというわけではないのだな」
姫は微笑んで言った。見た目は幼いけれど、こういうところを見るとやっぱり年上なんだなと感じてしまう。
「それじゃ、そろそろ行こうか」
お姉さんの言葉で俺たちは駅のホームに向かう。普通列車に揺られて向かうのは温泉宿。学校行事を除き、家族以外との旅行というのは初めてだから、期待もあるけれど不安もある。
車内の席に俺たちは向き合って座る。俺の隣に三葉、向かいにすすき、斜向かいに雪奈という喫茶店と同じ並び。窓側に座っているのは三葉と雪奈だ。
通路を挟んだ反対側には、お姉さんと姫が向かい合って座っている。俺からよく見えるのは姫の顔だけで、お姉さんは視界の端に見えるくらいだ。ちょっと心配だけど通路があるから大丈夫だろう。
「なあ、三葉」
「なんですか、兄さん」
窓の外の景色を眺めていた三葉に声をかける。妹は振り返ることなく、声だけで俺に返事をした。
「このこと、鋼さんには伝えてないのか?」
彼女も俺に好意を持っていた。女の子に囲まれての旅行という状況で、一人呼ばないのは彼女を仲間外れにしていることになる。でも妹が親友に何も言わずに来たとは考えにくいし、鋼さんはどうしているのか気になっていた。
「穂菜美は知っていますよ。誘いもしました。でも連休は剣道の修行に集中したいから、と断られたんです。私ではなく兄さんが頼めば来たとは思いますが、兄さんはまだそこまでの気持ちを穂菜美に抱いてはいないでしょう?」
三葉は外の景色を眺めたまま淡々と答える。図星だから俺は何も言えない。
「ですから私は穂菜美のためにもがんばらないといけないんです。兄さんと私の仲がもっと深まれば、私を介して兄さんと穂菜美の距離も近づきます」
ここからでは三葉の顔は見えないから、妹がどんな気持ちで、どんな表情でそう言ったのかは窺い知れない。
「そっか。ありがとう」
じゃあ三葉自身の気持ちはどうなんだ、なんて聞けるはずはない。兄と妹という関係に抵抗があるわけではない。けれど、俺にとっての三葉は可愛い妹でしかなく、それ以外の気持ちはない。曖昧なまま軽々しく聞くのは三葉にも失礼だと思う。
それにここにいるのは俺と三葉の二人だけではないから、そこまで深いことを聞ける状況でもない。こういうのは二人きりのときに聞くべきだ。
俺たちの様子は気にも留めず、楽しそうに会話をしている幼馴染みと同級生の姿を見る。明らかに好意を示している雪奈はともかく、すすきの気持ちもよくわからない。幼馴染みへの愛だといつも言っているけれど、今もそれだけで動いているのだろうか。
でもそんなことよりも、わからないのは俺の気持ちだ。もしみんなが俺に対して、恋愛感情を抱いているとしたなら、俺はどうすればいいんだろう。
小さくため息をつく。はっきりしてから考えればいいとは思っても、一度考えてしまったらすぐに忘れることなんてできない。だからといっていま考えても、まともな結論なんて出せないこともわかっている。
「や、葉一くん。なんか退屈そうだね」
いつの間にか通路に立っていたお姉さんに肩を叩かれた。いつもと変わらない笑顔のお姉さんを見ると何となく安心する。
「話し相手がいなくて寂しいなら、ちょっとこっち来ない? お姉さんたちが付き合うよ」
「そうですね。そうします」
お姉さんが俺の様子に気付いて誘ってきたのに、気付かないほど鈍くない。俺はお姉さんの言葉に甘えることにした。
俺は窓際の席について、隣にお姉さんが座る。向かいでは二人分の席を占拠して、真ん中に堂々と腰掛ける姫の姿があった。でも短い足をぶらぶらさせているので、遠くから見たら小さな女の子がうきうきしているようにしか見えないだろう。
「さて。葉一くんがハーレムで悩んでいるみたいだけど」
「うむ。そうみたいだな」
なんでわかるんですか、と聞くまでもない。この状況での悩みといえば、それくらいしか思いつかないだろう。
「青春だよね」
「青春だな」
見た目幼女に言われたくない。油断すると変な気持ちが芽生えてしまう。
「でも今更だよね。これからエッチシーン突入だっていうのに」
それは一体どこの世界の話だ。
「純愛か鬼畜かで悩むべきところだな」
思った通りエロゲ世界の話だった。というかなんで姫が知っている。
「ちなみに葉一くん次第ではお姉さんも攻略可能だよ」
「私も利里ルート攻略後などと言わず、初回から攻略可能だぞ。何といっても合法ロリだからな」
この二人は何の話をしているんだろう。俺はとんでもないバグで別ルートに迷いこんでしまったのだろうか。多分、お姉さんについていくという選択をしたせいだ。至急ユーザーサポートに連絡して、バグを修正してもらわないと。
「ちなみに裏ルートとして、女体化ルートも用意してあります」
「その気になれば私はそれくらいできるぞ。百合ファンも納得だな」
「俺、帰っていいですか?」
ため息をつく。今度のため息はさっきとは全く意味の違うものだ。
「葉一くんはさ、深く考えすぎなんだよ」
立ち上がろうとした俺に、お姉さんが優しい声でそう言った。
「そうだな。気楽に考えろ。貴様は一途な恋愛しか認めない、ハーレムなんて興味がない、そんなつまらない男ではあるまい」
姫が言葉を引き継ぐ。彼女の言う通り、俺はそんなことは微塵も思っていない。一途な恋愛もいいとは思うけど、それ以外は不潔なものだと嫌悪するようなことはない。
「それはすきちゃんや三葉ちゃん、雪奈ちゃんも同じでしょ? もちろん、お姉さんたちだってそう。だからね、葉一くんが失敗しちゃっても、私たちは許すよ。いつも笑って許せるとは限らないけど」
「ときには喧嘩をすることもあるだろう。嫉妬しないとも言わない。だが、あいつらはそれで貴様を奪い合い、蹴落とし合ったり殺し合ったりするような者たちか? むしろ協力し合って貴様を快楽堕ちさせるような者たちだろう」
そこまでの修羅場は考えてない。協力したあとの展開も素直に受け入れたくない。
だけど二人の言わんとすることは伝わった。どうやら俺は悩むまでもないことで悩んでいたようだ。俺たちの関係を考えれば、すぐにわかること。変に考えすぎていた俺が悪い。
「二人とも、ありがとうございます」
俺は笑って感謝の言葉を告げる。お姉さんと姫も、笑みを返してくれた。
「というわけで、お姉さんのハーレムインもお願いね!」
「私は気が向いたらでいいぞ。ただ、あまりにも遅いようなら、退屈しのぎに夜這いをかけることになるかもしれんが」
「それって、冗談じゃないんですよね?」
この二人はよくわからない。まずはお姉さんに確かめてみる。
「もちろん。でもお姉さんは大人だから、急がないよ。卒業するくらいまでにゆっくりやっていくつもりです」
こちらは予想通りの回答。父親であるマスターも承諾していたのだから、冗談でないことはわかっていた。
「姫もそうなのか?」
問題はこちらである。さっきのは励ますための冗談かと思っていたけれど、そうではないのだろうか。そもそも姫の気持ちを聞くのは初めてだから少し緊張する。
「貴様を気に入っていることは事実だ。だが、恋愛感情かと聞かれると今は否と答えよう。これから先のことはわからんがな」
姫の気持ちは俺がみんなに抱いている気持ちに近いのかもしれない。俺もすすきや三葉、雪奈、それにお姉さんや姫のことを気に入っているけど、その気持ちは恋愛のそれではないと思う。
気付いていないだけで、そういう感情が芽生えている可能性は否定できないけれど、はっきりとした感情にまで育っていないことくらいは俺にもわかる。
「それじゃ、私は指輪を探しにいきますね。みなさんはゆっくりしていてください。早くても夜までかかると思いますから」
温泉宿の大部屋に案内されてすぐに、ルクスがそう言って窓から外へ飛んでいった。一人で行くのは怖いと言っていたけれど、ここまで来れば安心らしい。
部屋は広くて俺たち六人が並んで寝るにも十分な広さだった。窓の外に見える自然の景色も美しく、お姉さんによると料理や温泉も最高らしい。ただ、駅から結構離れていることもあってか、大型連休でも満室になるほどではないという。
事実、俺たちがここに到着したのは昼頃。駅に到着してから一時間は歩くことになった。三泊四日の荷物を持っての移動は大変だったけれど、宿で出された昼食は簡単なものでも味は良く、それだけの価値があると思わせるものだった。
お姉さんの親戚だからと安くなっているわけでもないのに、宿泊料は食事込みでもさほど高くなく、話を聞いた親も少し驚いていた。すすきや雪奈の親も同じような反応だったらしい。
そのことがお姉さんの口から宿の女将に伝えられると、彼女は君たちも気に入ったらまた来てね、と親ではなく俺たちを誘ってきた。お姉さんが「任せといてよ叔母さん」と答えると、「利里ちゃんのおかげで助かるよ」と笑って返す女将さん。
その強引さというか、抜け目がないところはさすがお姉さんの母親の妹だ。もしかするとルクスの件がなくても、お姉さんは俺たちをここへ誘うつもりだったのかもしれない。
「さてと、それじゃそろそろ温泉に入ろうか」
昼食を食べてから一時間ほど、大部屋でくつろいでいる俺たちに、お姉さんが提案した。
「内湯はそんなに広くないけど、大きな露天風呂があるんだよ。みんなで行こうよ」
「いいですね。疲れも癒されそうです」
「大きな露天風呂かー。楽しみだね、葉一」
「露天風呂、ねえ」
すすきに聞かれて、俺は気のない返事をした。このタイミングでのお姉さんの提案、何か嫌な予感がする。
「露天風呂は嫌い?」
「そうじゃない」
雪奈の質問にはっきりと答える。大きな露天風呂はとても興味深いものだ。
「よもや、荷物の心配をしているわけではあるまいな?」
「あ、ひどーい。ここは見かけによらず、セキュリティはしっかりしてるんだよ」
俺は首を横に振る。もちろんそんなことを気にしているわけではない。
「お姉さん、その露天風呂って男女別ですか?」
「何言ってるの? 混浴に決まってるじゃない」
「やっぱりそうですか」
予想通りの答えに俺は小さくため息をつく。一縷の望みにかけてみたけれど、その望みは一言で断たれてしまった。
「みんなで露天風呂だよ。あ、ちなみに内湯と露天風呂の場所は別だからね。なんか、源泉の関係でそうなっちゃったんだって」
内湯にこもって露天風呂は諦めるという手段は使えないようだ。でも俺にはまだ手段が残されている。
「俺は後でいいです。もう少し休みたいんで」
「では兄さんが行くまで私たちも待ちます」
だめだった。こうなったら覚悟を決めるしかないだろう。せっかくの露天風呂だけど、入らないという覚悟を。
「葉一くん、まさか恥ずかしいの?」
「当たり前です」
お姉さんの質問に俺は即答する。男として普通の反応だと思う。
「不思議な話だな。混浴とはそういう気持ちで入るものではないのだろう」
「そうだよ葉一。えっちな目で見る人がいるから、混浴が廃れちゃうんだよ」
「兄さんは私と一緒にお風呂に入るときも、平然としていますよね。人が増えるだけです」
「私たちもそんなことは考えてない」
四人に続けて責められた。本気で混浴文化の将来について考えているのかどうかは知らないけれど、実際に混浴とはそういうものだし俺に反論する言葉はない。
「わかりました。一緒に入るだけですしね」
「そうそう。それじゃ露天風呂にれっつごー!」
俺は抵抗を諦めて混浴の露天風呂に入ることにした。この宿に泊まっている客は俺たちだけではない。露天風呂には他の客もいるかもしれないし、その状況ならわざとらしく俺に意識させるような行動もしないはずだ。
俺たちは詳しいお姉さんに案内を任せて露天風呂に向かう。部屋を出て廊下を歩き、宿の裏へと向かう。そこにある扉を開けた先、外を少し歩いたところにそれはある。
宿と露天風呂をつなぐ道は短くて一分とかからない。冬場だと寒そうだけど、我慢できない距離ではない。大きな柵に囲まれた露天風呂の前には男女に分かれた脱衣所がある。簡素な造りの小屋といった感じだけど、暖房などの設備も整っているから、こちらも冬でも問題なさそうだ。今の季節なら当然、湯冷めの心配はない。
俺は素早く服を脱いで脱衣所の扉を開ける。目の前に広がるのは広めの洗い場と、大きな露天風呂。囲いも高すぎることなく、景色もよく見える。急いだ甲斐もあって、今ここにいるのは俺だけだ。
「……俺だけか」
ぼそりと呟く。脱衣所の中を見回したときから気付いてはいたけれど、他の宿泊客の姿はない。貸し切り状態は状況によっては嬉しいものだけど、今は全く嬉しくない。
女性もおそらく同じだろう。ここに来るまでに他の人の姿は見なかったし、よほどゆっくり脱いでいない限り先客がいるとは思えない。
まあ、俺たちが入っている間に他の客が来る可能性もある。実際に来るかどうかはともかくとして、可能性が存在するということに意味がある。もし途中で他の人が来たら、というのは大きな抑止力となる。
そうしていると脱衣所の扉が開く音がした。当然開いたのは男性の方ではなく、女性の方。お姉さんを先頭に、姫、雪奈、すすき、三葉と並んで入ってくる。
「どう、凄いでしょ」
「ほう。これが露天風呂というやつか」
「広い」
最初に入ってきた三人がそれぞれの感想を口にする。続く二人は、露天風呂を見るよりも先に俺の姿を見つけたようで、声をかけてきた。
「あ、葉一がもういる」
「早いですね」
早速露天風呂に向かうお姉さんと姫。かけ湯はこうするんだよ、というお姉さんの声が聞こえてくる。姫がお姉さんの真似をしていると、みんなもちゃんとやってねー、と呼びかける声が聞こえてきた。
すすきと三葉、雪奈の三人は俺の方に早足で近づいてくる。
「兄さんに言っておくことがあります」
「奇遇だな。俺も聞きたいことがあったんだ」
「兄さんのために人払いの結界を張っておきました。私たちの裸を他の人に見られるのは、兄さんも気分が良くないと思って」
聞くまでもなく三葉は答えを言ってくれた。ここまで他の客がいないのは偶然にしても珍しいと思ったけれど、やはり三葉の仕業か。
「けど、迷惑じゃないか? それにいつの間に張ったんだ?」
そこが不思議な点である。俺たちはここに到着してから別行動はとっていない。三葉がトイレのために抜け出したことはあるけれど、数分ではここまで来ることはできないだろう。
「結界を張ったのはついさっきです。私たちが出るまで入れないようにしました」
「許可もとってるから気にしなくていいよ。お姉さんが叔母さんに、少しの間貸し切りにしてもらえるように頼んだんだって。私たちの到着まで露天風呂への扉を開けないようして、今も入れないようにしてるはずだよ」
「結界は万が一に備えて。気付かない人もいるかもしれない」
俺たちが来るまで開けないのは、扉に鍵をかけておけば問題ないけれど、入ってからは俺たちが戻れなくなるから鍵は使えない。
露天風呂までの道をお姉さんが先頭に立って案内したのも、扉の鍵を開けるためだったのかもしれない。脱衣所を改めれば鍵も見つかるだろう。聞けばあっさり白状してくれそうだし、脱いだ衣類に興味があると思われるだけなので、そこまでする気はないけれど。
脱衣所に鍵がかかっていなかったのは、あらかじめ開けておいたとすれば説明はつく。それにより発生する色々な問題も、どうせ対処しているのだろうから考えるまでもない。
お姉さんと姫は露天風呂に入って、そのまま奥へと消えていく。姫についていくお姉さん。お姉さんが促したのか、姫が自分で見にいこうとしたのかはわからない。
さて、そんなことよりもだ。今の俺にはもっと優先することがある。
「三人ともなんで何も身につけてないんだ」
「兄さん、何を当たり前のことを」
「お風呂は服を着て入るものじゃないよ」
「もうのぼせた?」
「そうじゃなくてだな」
不思議そうな反応をする三人。伝わらなかったようなので、俺はもっとわかりやすい言葉で言う。
「タオルを巻くとか、タオルや手で隠すとかしないのかってことだ」
三人とも――遠くのお姉さんや姫も同じく――一糸纏わぬ姿で堂々としている。胸や性器を隠そうという様子は全く見られない。
「葉一こそ、なんで隠してるの?」
「……まさか、もう見せられない状態に」
「えい」
雪奈が俺の股間を隠していたタオルを剥ぎ取った。妹が言うような状態ではないから見られて困るようなことはないけれど、急に取られると驚く。
「皮?」
タオルの下を確認してそんなことを口にする雪奈。
「仮性包茎は多数派。綺麗に剥いて洗えば機能的に何も問題はない」
「詳しいな」
冷静な解説に反射的に言葉を返してしまう。もっと先に言わないといけないことがあるんだけど、こういう会話なら反応することもないのでまあいいかと思う。
「お母さん、看護師だったから。性教育はばっちり」
職業と性教育に関連はないような気もするけれど、雪奈にその知識を与えたのが母親であることは間違いないだろう。たまに一足も二足も飛んだことを言うのも、その影響なのかもしれない。
「ちなみにお父さんはお医者さん。精神科医」
言いながら雪奈がさっき奪ったタオルを差し出したので、俺は手を伸ばして受け取った。隠すのに使うと怒られそうなので、とりあえず右手で握っておく。
そこですすきが口に手を当てて、驚いたような声をあげる。
「まさか葉一、洗ってないから隠してたんじゃ」
「兄さんは昨日もちゃんと洗っていました」
妹が証明してくれたので俺から言うことは何もない。三葉とは何らかの事情がない限り、いつも一緒にお風呂に入っているから、それくらい知っていて当たり前だ。
「じゃあなんで? 葉一は今でも私と一緒にお風呂に入ってくれるよね?」
「今日はすすきと三葉だけじゃないだろ」
「ああ、そっか」
「理解しました」
幼馴染みと妹はやっと理解したようだった。医者の娘も言葉こそ口にしないものの、表情から理解したというのは伝わってくる。
「それで隠さない私たちを見て、恥ずかしくないのかって言いたいわけだ」
両手をぽんと叩いて、すすきは笑顔で言った。脱線しながらもちゃんと伝わってよかった。
「葉一がその方がいいって言うなら、隠してもいいけど」
「兄さんは本当にそれでいいんですか?」
「後悔する」
三人の言葉には妙な圧迫感がある。けれど俺はそんなものには負けずに、はっきりと頷いてみせた。何を企んでいるのかは知らないけれど、ここで折れるわけにはいかない。
俺の覚悟が伝わったのか、すすき、三葉、雪奈の三人は、堂々と見せていた裸をタオルや手で隠そうとした。
「これでいいかな?」
長いタオルはないので全身に巻くことはできない。すすきは右腕で大きめな胸をぎゅっと押さえるようにして隠す。柔らかそうな胸が潰れてほんの少し形を変える。下半身は左手に持ったタオルで見えないように。
「……さすがCカップ。Aではとても再現できません」
三葉はすすきの胸を横目で見つめながら呟く。その声は羨望や嫉妬を感じさせるものではなく、冷静に分析しているように感じられる。三葉はゆっくりとした動作で、右手に持ったタオルを薄い胸にあてて隠す。左腕は下半身に伸ばして性器を隠す。手首を太ももで挟んでいるのでやや内股で前屈みになっている。
「Bは中途半端だから難しい」
予想通りのカップだった雪奈はタオルを左腕の前腕にかけて、タオルと腕の二つを使って程よい大きさの胸を完全防御。下ろした右腕は下半身を守り、手首から先を両脚で挟みこんで抜けないように。自然と内股気味になり、ほんの少し前屈みになるのは仕方ない。
俺はタオルを素早く広げて、三人と同じように股間を隠す。ぴったり隠すのではなく、ほんの少し隙間を開けておくのが重要だ。
「反応したね」
「大きく育ちました」
「健康体」
三人とも表情はいつも通りで、恥ずかしそうにしていたわけではない。でも胸や性器を隠そうとする姿は、それだけでも恥じらっているような雰囲気を醸し出す。
「何のことだ?」
俺は平静を装ってにっこり笑ってみせた。前屈みになる必要はない。タオルは少し離れているから、真横から見られない限りは問題ない。
すると三人は微笑んだかと思うと、表情と仕草を変化させた。
すすきは胸を押さえる力を強めて、股をぎゅっと閉じては俺をやや上目遣いに睨む。三葉はほんの少し前に屈んだ内股姿勢はそのままに、顔を俯けてふるふると震えてみせる。雪奈は二人の変化を見てから、少し考えるような仕草をしてみせた。
「や、見ないで」
そう言ってぺたんと床に座りこみ、両腕で体を抱え込むようにして裸身を隠そうとする。明らかにやりすぎな動作だけど、効果は絶大だった。
「ごめんなさい。隠さなくていいから、もうやめてください」
俺は土下座をしてごまかしたことを謝り、三人に頼む。ここまでするのは必死に頼むためではなく、小さなタオル一枚では隠しきれない状態になったからだ。
「ほら、だから言ったのに」
「こういうときは堂々としている方が意識しないものです」
「処理、してあげようか?」
土下座をしたまま、小さく首を横に振って答える。少し頭を上げてみると、三人とも隠すのをやめて堂々とした姿勢に戻っていた。けれど、裸で立っている女の子が三人も並ぶ姿を、ローアングルから眺めた破壊力は、恥じらいがなくとも絶大な威力を誇る。
一度は落ち着いたものが復活してしまったため、俺は頭を下げて表情を見られないようにしてから、手だけを振って離れてという気持ちを示す。
「……葉一、今どこ見てたの?」
「……これが狙いでしたか」
「処理する」
三人は遠ざかることなく俺に近づいてきた。明らかに囲まれている。二人の圧力と一人の積極的な発言に、身の危険を感じ立ち上がれなくなった俺が、土下座の体勢から解放されたのは数分後。戻ってきたお姉さんと姫が、俺たちの様子に気付いてからだった。
ちゃんとかけ湯をしてから、俺たちはみんなで露天風呂に浸かっていた。五月の初め、昼過ぎの暖かい時間とはいえ、裸で日向ぼっこできるような暖かさではない。
みんなさっきのことなど忘れたかのように、全身を弛緩させて温泉に浸かる。お姉さんによると源泉の温度は四十度。ゆっくり浸かるにはちょうどいい温度だ。
俺の右隣には三葉、すすきが並んで浸かり、左隣には雪奈がいる。正面、少し離れたところにお姉さんがいて、彼女にもたれかかって姫が浸かっている。大きなお姉さんが、小さな姫を優しく抱きかかえる姿は歳の離れた姉妹のよう。
しばしの間、誰も言葉を口にしないまま時間が過ぎていく。
「利里」
「なに?」
お姉さんを見上げて姫が口を開いた。微笑みながら聞くお姉さんに、姫は視線を動かすことで返事をする。姫は俺たちの方をじっと見ていた。
「葉一くん、姫が抱いてほしいって」
「わかりました」
俺は答えて姫を手招きする。お姉さんの所から出てきた姫は、足を広げて待つ俺に背中から飛び込んできた。お姉さんがしていたように腰のあたりに手を回して、もたれかかってくる姫を抱きかかえる。
姫の柔らかい肌の手触りと、胸のあたりに触れる髪のくすぐったさを楽しむ。姫の長い髪は温泉に浸かってゆらゆらと揺れている。
髪をタオルで束ねているのはお姉さんだけで、他のみんなは自然のまま。すすきからはショートポニーテールが消えて、下ろした髪は耳を完全に覆い隠している。三葉のセミロングの髪は先っぽが湯に浸かり、それよりも長い雪奈の髪は姫ほどではないけれど、湯の中でゆらゆらと揺れている。
お姉さんとすすきはいいとして、残りの三人は髪が傷まないのだろうかと思ったけれど、彼女たちなら心配は無用だとすぐに気付く。三葉なら俺のために傷を修復するのも容易いだろうし、温泉では雪奈に傷はつけられない。姫は髪の毛から温泉の成分を吸収していそうだ。
「貴様、今失礼なことを考えただろう」
姫は正面を見つめたまま、鋭い声で言った。俺は姫を見下ろして答える。
「どうしてわかった」
「抱きかかえる力加減の変化、貴様の体の動きの変化によるお湯の揺れ、そこから考えを読みとることなど造作ない」
「姫は凄いな」
「私は超越的存在だからな。が、今のは勘だ。わざわざそんなことをするまでもない」
どうやら姫は俺をそのように認識しているらしい。だけど間違っているわけではないから否定はしない。
「ところで、そろそろ抜いてくれないか」
何をとは聞かず、俺は黙って姫を抱きかかえていた腕を抜く。姫はするりと俺から抜け出したかと思うと、今度は三葉の所に行った。
両手を広げて三葉は姫を迎え入れる。姫はしばらく三葉に抱かれてから、今度は雪奈の所へ行き、それからすすきの所へ行った。そのまますすきのところで落ち着くかと思ったら、姫が最後に選んだのは雪奈だった。
「勝った?」
「うむ。雪奈が一番優しくて気持ちがいい」
姫は雪奈の胸にもたれかかって言った。てっきり胸を比較しているのかと思ったけれど、姫が比較していたのはそれだけではなかったらしい。
「利里や葉一も悪くはなかったがな」
「胸ないもんね、私たち」
ここで同意を求められた。悲しげな瞳で俺を見つめる貧乳お姉さん。
でもこれは巧妙な罠。安易に同意しようものなら、お姉さんはすかさず追撃をかけてくる。しかし咄嗟にその罠を回避する方法は思いつかず、無難な答えで返すのが精一杯だった。
「重要なのは大きさだけじゃないですよ」
「具体的にどうぞ」
この貧乳はそこまで言わせる気らしい。
「形とか感度とか柔らかさとか、そういうのも大事だと思います」
「一般論ですね」
もう一人の貧乳がつまらなそうに言った。なぜか相手が増えている。
「左右の距離、乳輪の大きさ、舐めたときの味」
俺は思いつく限りの一般論を逸脱した、コアな要素を考えて自信満々に言ってやった。
「変態だな」
最後の貧乳に断定された。がんばって捻り出したのにこの扱い。
でも一般論ではないことを考えたのだから、変態的な発言であるのは理解している。ならばここはその流れに乗って進めるとしよう。そうすれば罠もうやむやにできる。
「実際にどんなものかはわからないけどな」
「そうだよね。葉一にはそういう相手いないし」
普乳が乗ってきた。
「でも私たちなら受け入れられる」
普乳と貧乳の中間、表現に迷う大きさだ。そもそもどこまでが貧乳で、どこまでが普乳なのかの境界線も曖昧であり、意見の分かれるところだろう。
「じゃあ葉一くん、今から試してみようか」
「それがいいでしょう」
「私のようにやるわけだな」
「舐められちゃうんだね、私たち」
「いつでもどうぞ」
お姉さんの罠はみんなの力を借りた強力な罠だった。喫茶店や脱衣所で事前の相談があったのかどうかはわからない。けれど、俺がどう対応するかまで読み切っていないと成立しない、高度な罠であることに変わりはない。
ここまでの負けは認めよう。だけどここで諦めるようなことはしない。まだこちらには手が残されている。
「俺が試す必要はありませんよね」
俺ははっきりとそう言ってやった。五人がどれだけ誘ってこようとも、俺にやる気がなければそれまでた。非常に魅力的な提案ではあるけれど、ここで流されていきなり変態的な行為をするわけにはいかない。
俺に好意を持っている相手が許可したのだから、それ自体は何も問題はない。けれどそんなことをして理性を保っていられる自信はなく、以降のことを考えると危険すぎる。
「そっか。じゃあお姉さんたちだけで勝手にやってるね」
「好きにして……いやちょっと待て」
うっかり認めてしまいそうになって、慌てて否定する。
「そんなこと言われてもねえ」
「ええ。兄さんに私たちの行動を束縛する権利はありません」
「そうだよ葉一。私たちにも意思があるんだからね」
三葉とすすきの言葉は筋が通っている。俺に反論する余地はなくて、止めることは不可能と判断する。だけどまだ他にもできることは残されている。
「わかった。じゃあ俺は離れてるな」
そう。五人が何をしようと、距離をとってしまえば問題ない。幸いにもこの露天風呂は広いから、声が聞こえないくらい離れることもできるだろう。
返事を待たずに、俺は露天風呂の奥へと一人で向かっていった。途中で振り向いて見た五人は、何事かを相談しているように見えたけれど、ここからではその内容はわからない。だけど勝手にやり出さないところを見ると、別の手を考えているのは明らかだ。
あまり長く入っているとのぼせてしまう。しばらくして戻ってくると、五人は楽しそうに会話をしていて、俺の姿を見ると手を振って声をかけてきた。
もしかすると俺が見たのは相談している姿ではなくて、単に諦めて失敗したね、などと言っている姿だったのかもしれない。
俺は軽く手を振り返して、そのまま露天風呂から出る。すると五人も俺の真似をするかのようにぞろぞろとついてきた。偶然なのか何らかの意図があるのか知らないけれど、俺がのぼせそうになったのだから、五人も同じような状態になっていてもおかしくはない。
「さて、ここで葉一くんのお待ちかね。洗いっこの時間だよ!」
「洗いっこ、ですか」
幼馴染みや妹とはしたことのある行為だ。待っていたわけではないけれど、それくらいなら別にしてもいいかもしれない。
「いいですけど、誰が誰を洗うんですか?」
二人なら互いに洗いっこするだけでいいけれど、六人ともなるとそうはいかない。俺がそう聞くと、お姉さん以外の四人は俺に背を向けて洗い場に並んだ。右から姫、すすき、三葉、雪奈の順だ。
「葉一くん、好きな女の子から選んでいいよ。もちろん、どの順番でも全員選べるからね」
俺の隣でお姉さんは言った。右手は四人を紹介するように示している。
「みんなのアピールを聞いて選んでね。もちろんお姉さんも選べるよ」
なんだろうこのシチュエーション。ただの洗いっこではない気がする。
お姉さんが姫の隣に腰掛けたところで、そのアピールとやらが始まった。
「……葉一。私、早くあなたに洗ってほしいな。体の隅々まで葉一の手で優しく洗ってくれると嬉しい」
すすきがいつになくしおらしい口調で言った。
「兄さんになら私、どこを触ってもらっても構いません。背中だけでなく、胸や足、他のところまで綺麗にしてもいいんですよ?」
三葉はちょっと挑発的に俺を誘ってきた。
「お願い。早く葉一の白いので私を包んで」
雪奈は今回も言葉が足りない。石鹸の泡は確かに白い。
「葉一くん、お姉さんの前も後ろも、君の好きにしていいんだよ?」
お姉さんは定番の台詞を口にした。別のシチュエーションの定番だけど。
「さっさと選べ葉一。待っているのも退屈だ」
姫はいつも通りだった。あまり乗り気ではないらしい。
俺は右からみんなの背中をざっと眺めてみた。五人とも綺麗な背中で、俺がその気になれば背中だけでなく、体を隅々まで洗えるという状況はとても魅力的だ。でも俺は誰から洗おうかと迷っているわけではない。視線が一番左の雪奈に到達したところで、俺は大きく息を吸ってから言い放った。
「疲れるから自分で洗え」
五人の体を綺麗に洗うというのは大変な作業だ。自由に触れるというご褒美はある。でも普通に洗うだけでも疲れるのに、それ以上のことをするとくたくたになってしまう。
「そっかー。残念だね」
お姉さんは左を向いて四人に同意を求めた。返事は軽く、とても残念がっているようには見えない。
「仕方ない、私たちはそうするとしよう。だが、疲れるからと言うのなら、私たちが貴様を洗うのは問題ないな。全身を使って貴様の体を隅々まで洗ってやろう」
姫が立ち上がって振り向いた。残りの四人は普通に体を洗っているように見えるけど、泡をつけているのは手と胸のあたりが中心だ。
身の危険を感じて逃げようとした俺に、姫は一瞬で間合いを詰めてくる。
足払いを食らって後方に倒れそうになった俺を、いつの間にか後ろに回りこんでいた姫が脇の下に腕を差し込んで抱きとめる。
けれどそれは助けるための行為ではない。姫は俺の体を静かに地面に下ろすと、自然と俺はしりもちをついたような格好になる。脇に差し込まれた腕はそのまま、羽交い絞めにされてしまっては身動きがとれない。
「なあ、これ、本気なのか?」
姫に聞く。遠くにいる四人に聞くより、近い彼女に聞いた方が楽だ。
「ああ。だが安心しろ、私たちは普通に全身を隅々まで洗うだけだ。どこで洗うかは選ばせてやる。それに変なことも貴様が望まない限りはしない」
「うっかり手が滑った、なんてのはなしだからな」
俺が念を押すと、姫はくすりと笑ってから答えた。
「さあな。私はそのつもりだが、他の者はどうかな。洗っているうちについ興奮して、ということはあるかもしれんな」
主に上半身を泡まみれにした四人がこっちへ歩いてくる。楽しそうな笑顔がちょっと怖い。
俺は目をしっかり開けて待ち受ける。目を閉じたらかえって想像力をかきたてられてしまうだけだ。俺が普通でいいからなと言うと、みんなは少しだけ残念そうな顔をしながらも、一切変なことはせず、普通に体を洗ってくれた。
「背中はどうしましょうか」
「私が洗ってやろう。逃げるなよ?」
「手でいいからな」
お姉さんが持ってきた石鹸を受け取って、姫が俺の背中を手で洗ってくれる。拘束は解かれたわけだけど、ここで逃げるのも難しいだろう。
「次は下半身だね。葉一、興奮して大きくしちゃうかな?」
「触るだけでも大きくなるもの。興奮しているとは限らない」
「普通に洗うだけならそんなに触る必要ないからな」
しっかり忠告するのを忘れない。意図的に刺激を与え続けれは性的興奮がなくても、自然と大きく硬くなるものだけど、洗うだけならそこまでする必要はない。
「でもお姉さんたち、初めてだから。慣れてなくて時間かかるかも」
「じゃあ自分でやります。痛くされたら嫌なので」
俺の意見など通るはずはないけれど、言うだけ言ってみることにする。
「じゃあそうしようか」
そして返ってきたのはこの一言。お姉さんは石鹸を俺に渡してくれた。残りのみんなもお姉さんに同意を示す。
「兄さんも恥ずかしいでしょうしね」
「そうだよね。私たちは他の所を洗うから」
「お尻の穴まで綺麗にする」
気になる発言だったので俺は雪奈に訝るような視線を向ける。
「大丈夫。前立腺は刺激しない」
微笑んで答える雪奈。とりあえずこちらは一安心だ。
「さあ、好きに洗うといい」
姫は再び俺の拘束を解いて、手を自由に動かせるようにしてくれた。これで俺は自分の手で痛くされる心配もなく、性器を綺麗に洗うことができる。
「ああ、そうさせてもらうよ」
明るく返事をして、俺は羞恥プレイを受け入れた。
みんなは他のところを洗いながら、ちらちらと俺が洗っているのを見ている。じっと見つめられてはいないけれど、みんなが同じタイミングで見ているわけではないから、誰の視線にも晒されない時間はほぼないと言っていい。
けれど俺が意識しなければいいだけの話。直接女の子の手で触って洗われるのに比べれば、自分の手でいつものように洗うだけなのだから感触は変わらない。
姫に洗い場まで運ばれて、全身の泡を流され俺の体は綺麗になった。なんとか我慢して無事に切り抜けることができた。けれど安心するのはまだ早かったと、すぐに気付かされることになる。
洗いっこはまだ終わりではなかった。気を抜いている俺の目の前で、五人は互いの体を洗い出したのだ。背中を流すだけでなく、前にも手を伸ばして洗う。タオルを探したけれど、どうやら姫に捕まったときに落としたらしく手元にはない。
しかし幸いなことに、ここは洗い場。近くには桶があったので、反応したモノを無事に覆い隠すことができた。けれどそれを見つけて手に取るまでに、十秒近くかかってしまった。
「……葉一のえっち」
「変態です」
「かけないの?」
「油断したね、葉一くん」
「詰めが甘いぞ」
そんな声を聞きながら、俺は目をつむって時間が過ぎるのを待った。意図してなのか偶然なのか、ときどきくすぐったそうにする声や、感じてしまったかのような声が聞こえてくる。でも桶でガードしているから我慢することはない。
でもさすがに目を開けてまじまじと見ることはしない。最後の抵抗というやつだ。我慢するのは諦めても、負けを認めたくはなかった。
「葉一はきっと凄い想像をしてるんだろうね」
「この状況であえて目をつむり、妄想力を高めるとは……兄さんがここまでの変態だったとは想像以上です」
「桶の中で射精してる?」
「高校一年生にして触れずに射精する境地に達しているなんて、さすが葉一くんだね」
俺は目を開けてじっくり見させてもらうことにした。みんなは俺が目を開けたのを見て、再び洗いっこを開始する。同じ変態でもこっちの方がましである。
「桶は取らないのだな。つまり、認めたということか」
違う。でも声を出してもごまかしていると思われるだけだ。だからといって、桶を取るなんてことは絶対にしない。そんなことをしたら、見せることで興奮する変態にされてしまう。落ち着いてから桶の中を見せれば、潔白は証明できる。ここは冷静になるんだ。
しかし洗いっこが終わり、落ち着いてからも桶の中を見せる機会は訪れなかった。俺が射精なんかしてないぞと桶を見せようとしたら、すすきと三葉がこう返してきたからだ。
「桶は見せなくてもいいよー。さっきのは冗談だから」
「さすがの兄さんでも、まだそこまではいってないでしょう」
そこで俺の将来性に期待されても困る。
残りの三人も本気でそう思っていたわけではないらしく、雪奈はすまなそうな顔をして、お姉さんと姫は楽しそうに微笑んでいた。
体に続き髪も洗った俺たちは、再び露天風呂に浸かる。せっかくの広い露天風呂。一度入るだけではもったいないし、色々あったせいで体も少し冷えてしまった。
みんなもこれ以上何かをする気はないらしく、俺は落ち着いて体を休めることができた。
露天風呂を堪能した俺たちは、浴衣に着替えて宿へと戻る。宿と繋がる道は少し肌寒いけれど、脱衣所で髪はしっかり乾かしたから湯冷めすることはないと思う。
「王手」
「……お前、本当に今日が初めてなのか」
俺たちはルクスを待つ間、部屋でゆったりとくつろいでいた。お姉さんと雪奈は並んで持ってきた文庫本を読んでおり、三葉はすすきの膝枕で気持ち良さそうに眠っていた。残った俺と姫は将棋盤を挟んで向かい合っている。
将棋はそこそこ強い俺と、将棋をするのは初めての姫。駒の動かし方や禁則など、基本的なルールを教えたところでの一局目。先に王手をかけられたのは姫ではなく俺だった。
もちろん簡単に受けられる王手ではなく、受けが難しい詰みを見据えた王手。正直、先手の姫がいきなり9八香という手を指し、次に1八香と指したときは勝てると思ったけれど、今攻められているのは俺だ。
姫の指し回しは定跡も何もない独特な手。プロ相手にも通じるのかどうかはわからないけれど、初心者の慣れない指し方でないのははっきりとわかる。
「私は嘘はつかん。そんなことより、貴様の手番だぞ」
それはわかっている。玉を逃がすにしても上部は塞がれている。金銀二枚を打てば受けることはできそうだけど、受け切ったとしても攻め駒が足りなくなる。姫が大駒を切らずに駒を補充するなり、と金攻めをするなりしたら、すぐに詰まされることはなくても、じわじわと差を広げられるだけだ。
姫が悪手を指す可能性もあるけれど、今の時点でも結構な差がついている。俺が常に最善手を指し、姫が連続で悪手を指すようなことでもないと差は縮まらないだろう。
「参りました」
俺は頭を下げて潔く負けを認める。ここからの逆転はどう考えても不可能だ。
「うむ。将棋とは面白いな。もう一度やらないか?」
「望むところだ。姫が言わなくても、俺から頼もうと思っていた」
そして三戦全敗を喫した俺が、再戦を挑もうとしたところで外からルクスがやってきた。
「みなさん。時間、よろしいですか?」
俺たちの楽しんでいる姿を見て、妖精さんは遠慮がちに言った。でも今回の旅行の目的はルクスを助けること。俺たちがすぐに頷いたのは当然の反応だった。
ルクスは俺たちに右手を差し出す。一見すると何もないように見える。だけどよく見ると、人差し指に小さな指輪がはめられていた。銀のリングに小さな宝石がついている綺麗な指輪。
ただ、その指輪にはどこが違和感があった。少し考えてみて、その正体に気付く。この指輪には輝きが欠けている。日は沈みかけているとはいえ、まだ夕方には早い。ルクスの右手には太陽の光が当たっている。ならば指輪もその光を反射して輝かなくてはおかしい。
「見ての通りです。指輪は見つけましたが、長い間に力が漏れ出してしまったのか、力を発揮することはできなくなっています」
「直せるのか?」
「私だけでは……」
ルクスは俯いて答えた。ややあって顔をあげた妖精さんは、俺たちの顔を眺めてから次の言葉を口にする。
「ですが、みなさんの協力があればなんとかなるかもしれません。そこでまずは、フィルベァリクゥさんにお手伝いをお願いしたいのですが」
「ふむ。少し触らせてくれるか?」
こくりと頷いたルクスの右手、そこにはめられた指輪に姫がそっと触れる。数秒ほど触っていた姫は、触れたときと同じように優しく指を離した。
「そこまで難しい仕組みではないようだな。これくらいなら一晩あれば問題ない」
と言った姫の表情は笑顔ではない。
「直せるわけではないんだな」
みんなを代表して、俺は確認するように尋ねる。姫は頷いてから答えた。
「ああ。だが、ルクスの頼みは達成できるぞ。二人で協力すれば直すための方法を考えるのは簡単だ」
ルクスがほっとしたような顔をする。とりあえず第一の問題は解決したようだ。その方法がどんなものになるかはわからないと姫は言ったけど、顔には微笑みが浮かんでいた。ルクスもみなさんの協力があればと言っていたし、心配することはなさそうだ。
このことは姫とルクスの二人に任せることにして、俺たちは明日までゆっくりすることにした。夕ご飯を終えて、並んだ布団で眠りにつく。
「……葉一ぃ、だめだよ、そこは……やぁん」
「兄さん……もっとしても……あ、そこは、ひゃんっ」
「……ん。おっきい……や、だめ、激しい……」
布団に入って数分後、寝言のような声が聞こえてきた
「葉一くんの変態……お姉さんにこんな格好……させる、にゃんて……ふにゃん!」
「ふやぁっ、お兄ちゃん、くすぐったいよぅ。……なーに、これ? ふわぁ……これ、どうするの、お兄ちゃん?」
「お前ら、全員起きてるだろ」
返ってくる声はなかった。しかし、俺がそう言った直後に寝言がエスカレートしたので、起きているのは間違いない。エロゲ声優の母親譲りなのか、やたらクオリティの高いお姉さんの喘ぎ声と、姫のかなり危険な内容が気になったので、俺はもう一度注意する。
「さっさと寝ろ。俺は何もしないからな」
ここで俺の布団に潜り込まれたらお手上げだけど、どうやらみんなもそこまでする気はないらしく、静かな時間が訪れる。しばらくして再び寝言が聞こえてくるようなことはなく、そのまま俺もゆっくりと深い眠りに落ちていった。