カゲカケラ

第八話 二人


 緑を施設にある治療室に運んで、織乃は彼の状態を確認し、水樹は睡蓮に連絡していた。治療室には三台のベッドが並び、棚には簡単な治療薬、部屋の奥には治療台と、最新鋭の技術を利用した高度な治療機具まで用意されている。

「はい。思ったよりも傷は深くないみたいですけど……」

 織乃の目であれば怪我の状態を把握するのも難しくない。もっとも、治療するとなると別問題で、普通の病気や怪我ではない以上治療の知識もない。

 水樹が睡蓮と話しているのは治療室にあるモニター。睡蓮の見るモニターの奥には緑の寝ているベッドも映っていて、彼女の視線はモニター越しに彼に向いている。織乃も戦闘の疲れもあって別のベッドで休んでいた。睡蓮からは見えないが、交わされる会話はちゃんと聞こえている。

「目は覚ましてないんですね」

 睡蓮の言葉に頷く水樹。

「では、水樹ちゃんもそろそろ休んでください。緑くんの様子は私が見守っていますから」

「心配だけど、そうします」

「……それじゃ、私も部屋に戻るわ」

 織乃も起き上がり、二人は自室のベッドで休むことにした。緑のことは心配でも、寝ずに看病していたからといって状態はよくならない。それに、緑に傷を負わせた槍の影――彼の真の目的はわからなくとも、今の目的は簡単に推察できる。

 全員を排除できるだけの力を持ちながら、一人だけを狙い、致命傷は与えず、一時的な戦闘不能状態にする。次の狙いが戦闘可能な二人であることは、冷静になればすぐにわかる。

「訓練する暇、あるかしら?」

「さあ? でも、やらなきゃだよね」

 廊下を歩きながら、交わした言葉はそれだけで、二人は隣同士の部屋でゆっくりと休む。途中で戦いはあったが、夜はまだ長い。静かに休むだけの時間は十分に残っていた。

 翌朝、睡蓮から緑が目を覚ましたとの報告を受けて、水樹と織乃は朝食の準備をしてから治療室に向かった。二人の食事だけでなく、当然もう一人の食事も用意して。小さな食事用の台車に乗せて、焼き魚に卵焼きといった簡単な朝食である。「おかゆにする?」といった水樹の提案は、「風邪じゃないんだから」と織乃に却下された。

「緑ー、ごはん持ってきたよー」

「大丈夫?」

 緑はベッドの上で体を起こして、治療室に入ってきた二人を笑顔で迎える。

「一応ね。欠片の力は全然だけど」

 融合した肉体に及ぶ影の干渉は落ち着いたが、欠片に対する干渉は強く残っている。腕を軽く回してみせる緑だったが、その動きも普段に比べるとゆったりしている。本人としては普段通りに動かしたつもりだったが、これが今の彼の状態である。

「見ての通り、ね」

「食事も大変なら、手伝う?」

 織乃が聞いた。

「いや、大丈夫だと思うよ。けど、一緒がいいかな」

 緑は首を横に振ってから、微笑んで続ける。

「あ! あたし、大事なこと聞くの忘れてた!」

 その二人の会話を聞いて思い出したらしく、水樹は机にプレートや小鉢を並べる手を止めて緑の方を向いた。

「緑ー、ごはんにする、お風呂にする? それとも……お・り・の?」

「それ、今じゃないと思う」

「勝手に人を選択肢に入れないで」

「……食事、並べたよー。緑、肩貸そうか?」

 二人の指摘には朗らかな笑顔を返して、水樹は何事もなかったかのように振る舞った。緑としても織乃としても、特に話を広げる理由はなかったので、彼らはそのまま朝食をとる。

 朝食を終えた頃、三人は少し休んでから治療室のモニターを起動する。緑はベッドに戻り、少し離れたところからモニターを見ている。

「みなさん、お揃いですね」

「状況は?」

 モニターの前で織乃が早速尋ねる。

「今のところ影の兵士の姿は確認されていません。しかし、支援部隊の動きは相手も把握している可能性が高いですから、突然現れる可能性もありますね」

「人手不足なんだっけ?」

 水樹が聞いた。

「はい。彼女も今は別の場所で活動していますので、監視の精度も高くはないです」

「じゃあ、早く治さないと……」

 緑がベッドの上で拳を握る。それを制したのは二人の少女たち。

「緑、無理しちゃ駄目だよ」

「ええ。おそらく、どんなに急いでも無駄よ。敵は私たちの名前を知っていた。ということはつまり……」

「あちらもあちらで、こちらの支援部隊に相当する部隊がいるのでしょうね。それもおそらく、こちらよりも優秀な部隊なのでしょう」

「それに、兵士を指揮しているのは緑に傷を与えた槍の影。あなたが動けるようになってから攻めてくるような愚策は立てないと思うわ」

「それは、そうだけど……なにか手伝えることはないかな?」

 緑の質問に、睡蓮が少し考える仕草を見せてから答えた。

「島には影を察知する設備もありますし、一般的な影の兵士であればすぐに察知できます。施設を直接狙ってくる可能性も否定はできませんが、それでしたら……」

 睡蓮の視線がはっきりと緑を捉えて、それから残りの二人を順番に見る。

「あはは、だよね」

「ええ。敵がその気なら、もう襲ってるでしょうね。最新鋭の設備といっても、影の侵略を防げるものではないのでしょう?」

 織乃の問いに、睡蓮は微笑みで肯定の答えを返す。

「ということで、あたしたちを信じて緑はゆっくり休んでなさい! そうしたらさっきの三択で、最後のを選んでもきっと……」

「いいけど、最後の部分は水樹でお願いね」

「……ふむ。みなさんも若いです、そういう気持ちもわかりますが、万が一があってはいけません。本気でしたら、しっかり私に報告してくださいね? 本部には秘密にしておきます」

「それだけ?」

 織乃の質問に、今度ははっきりと言葉で返事をする。

「安心してください。こちらからの音声は切って、静かに見学します」

「え? 見学されちゃうの? 緑と織乃の」

「水樹、しつこい」

「はは、ま、とにかく俺は休んでるよ。だから話はここまでにしてくれ」

 緑は苦笑しながら、やや命令口調で言った。

「そうですね。お二人も訓練をするなら施設内でお願いします。外でも連絡は可能ですけど、万が一という可能性もありますから」

 睡蓮の言葉に、二人の少女が頷いた。敵の狙いは戦力を一時的に削いだ状態で、二人を倒すこと。その可能性が非常に高いが、そうと思い込ませて別の狙いを隠している可能性も、低いがゼロではない。

 二人が敵に備えて施設内の訓練部屋に向かって、一人残された緑はまだ消えていなかったモニター越しの女性に声をかける。

「……ふう。睡蓮さん、その」

「わかっていますよ。敵が動いたら、状況は緑くんにも伝えます。戦いが始まったら私にできることはないですから、余裕もたっぷりです」

「ありがとうございます」

 睡蓮が笑みを見せて、すぐにモニターは消えた。治療室ということもあり、ベッドの近くに簡易操作を行うパネルもあるが、消したのは緑ではなく睡蓮である。

 緑はベッドに寝たまま、天井を見上げて目をつむる。頭の中で色々なことを考えながら。

「ねえ、織乃」

「なに?」

 訓練部屋へ向かう廊下。歩きながら水樹が声をかけた。

「敵、どう来ると思う?」

「そうね。少なくとも、三体以上は用意してくるでしょう。数の利を活かすなら、倍の四体ってところかしら」

「それ以上の可能性は?」

「ないとはいえないけど、低いんじゃないかしら。前に二体、昨日は三体。簡単に集められるなら、もっと多くてもいいはずよ。ただ……」

「考えておいて、でしょ?」

「わかってるじゃない。ま、さすがに二桁はないでしょうけれど」

 少なくとも敵の目的が、ただ三人を倒すだけでないことはわかっている。数の利を活かして攻めてくることはあっても、圧倒的な数で一気に倒しにくることはないはずだ。それでなくとも、槍の影が全力で倒しにくれば、兵士など不要だ。

 二人は頷き合って、到着した部屋で融和の訓練を開始する。いつ敵が動き出すかわからない以上、軽い訓練しかできないが、二人での戦い方を確認するだけなら十分。高い融和を目指すのは実戦で。ぶっつけになるとしても、それが今の最善である。彼女たちがゆっくり休んで万全の状態のときに襲ってくるほど、敵は悠長ではないのだから。

 訓練を続ける二人に、睡蓮からの連絡があったのは正午になる少し前だった。

「支援部隊より報告です。島に向かう影の兵士の姿が確認されました」

「数は?」

 訓練を中断して、すぐに織乃が聞く。

「五体です」

「水樹」

「多いけど、多すぎるってほどじゃないね。睡蓮さん、彼らの実力は?」

「ええと、彼女がいないのではっきりとはわかりませんが……剣の見た目から察するに、前よりは弱いと思いますよ」

 ぼろぼろの刃こぼれした剣を持つ影の兵士。剣の見た目がそのまま実力を示すわけではないが、ある程度の目安にはなる。ぼろぼろの剣を扱う兵士であれば、並の実力から精鋭未満の範囲である。

「ま、一番強い方で考えるべきでしょうね」

「うん。みんな同じなんですか?」

「はい。精鋭と思しき影の兵士は一体も。到着予想時間は……」

 伝えられた到着予想時間は、正午を過ぎて午後一時ごろ。軽く休んで食事をとっておくだけの時間はありそうだった。

「じゃ、準備しておきましょうか」

「だね」

「では、接近したら再び連絡します」

 モニターが消えて、二人は戦いの準備を始める。時間はあるのでゆっくりと、確認することは全て確認を終えている。成功させるための心の準備と精神集中は直前でいい。

 そして到着予想時間の少し前、睡蓮から連絡を受けた二人は施設の外へ向かった。五体の影の兵士が降り立とうとしているのは、島の中央付近、施設から少し離れたところにある広い草原地帯。翼を使えば数分なので、先に到着すれば敵を待ち受けることができる。

 視界の開けた草原。待ち伏せによる奇襲も、空からの急襲も難しい。これから二人の挑む戦いは、二人の実力だけで挑む真っ向勝負。

「敵は五体。いくわよ、水樹」

「おっけー。あたしたちで、全部倒すよ!」

 数の利はあちらにある。地の利はない。しかし、二人の戦意は全く衰えていなかった。

 水樹が白い翼を広げ、慣れた様子で織乃をお姫様抱っこする。欠片の力を融和し、最速かつ最小の消耗で目的地へ飛行する。

 水樹と織乃が草原に到着してさらに数分。まず三体の影の兵士が降り立ち、続いて二体の影の兵士が二人の後方に降り立った。ぼろぼろの剣を手に、空からの挟撃。そして前方の三体の影の兵士の後ろに、青い影が差した。

 騎士のような容姿の、長い槍の影がそこに現れ、曖昧でもはっきりと表情のわかる顔で二人を見ていた。

「少女たちよ、逃げずに向かってきたか」

「当然。あなたも戦うなら、全力で撤退させてもらうけれど」

「……ほう。安心するがいい、我はここで指揮をするのみだ。兵士たちに任せてもいいが、連係の差で突破されては困るのでな」

「うわ、容赦ないよ織乃」

「そうね。ま、関係ないわ」

 水樹の言葉に応じて、織乃は漆黒の剣を生み出す。それに合わせるように、水樹も翼を――黒の〈翼〉を広げた。

 槍の影が小さく槍を動かし、合図に従って五体の影の兵士が同時に動き出す。

 数歩のところまで影の兵士が近づいたところで、黒い翼から広がるは暗き闇。一瞬で広がった闇は二人と五体の影の兵士を包み込み、闇の外に残ったのは槍の影のみ。

「……なるほど」

 影は呟いて、黙って目の前に広がる闇を見つめていた。闇に包まれようと声は届き、音も響く。この状態でも指揮をすることは可能だが、槍の影は何かをする様子を見せなかった。

 闇に視界を奪われ、影の兵士は二人の姿を見失う。しかし視界がなくとも、彼女たちは影の欠片と融合している。その影を慎重に察知すれば狙うことは可能だった。

 そして一体が二人の傍に到着し、素早い動きで前方にいた織乃に剣を振り下ろす。が、その一撃は彼女に寸前で回避される。

 直後に、反撃。力を込めた剣は影の兵士の胴体を斬り、大きく影を薄れさせる。

「甘い!」

 追撃を影の兵士は回避しようとするが、織乃の正確な攻撃は影の兵士を逃がさない。彼女は影も察知しているが、同時に兵士の動きを目で捉えている。どれほど暗い闇であろうと、織乃の〈目〉があれば見通せぬ闇はない。融和により水樹も少しは見えているが、闇の制御に集中するため攻撃には参加しない。

 完全に影を薄れさせたのを確認してから、織乃は最も他の兵士との距離が離れた影の兵士を狙って突撃し、一対一でなるべく早く決着をつける。合流しそうな気配を察知したら、急いで倒すことは狙わずに一時退却。闇の援助もあって、彼女を追撃する者はいない。

 残りの二体から一体を狙い、織乃は再び駆ける。彼女の動きも当然察知されていて、影の兵士も合流を急いでいるのは二人にも見えている。だが、前方と後方から挟撃した形は、闇の中では孤立を生むだけ。織乃は危なげなく一体の影の兵士を撃破して、水樹と合流した。残る三体の影の兵士も、彼女たちと同じように合流していた。

 水樹は闇を解き、互いの姿が太陽の下に現れる。無傷の水樹と織乃に、影の兵士は一体が影を薄れさせながらも、二体は無傷で合流していた。

「二体……ま、上出来かしら」

「うん。残りは三体。問題ないね」

 水樹は黄色い翼を背に、三体の影の兵士の中心を狙って雷を落とす。息を合わせて織乃も接近し、影の兵士から少し離れたところで剣を振る。剣先から放たれた雷が的確に、影が薄れていた兵士を貫いて、織乃はさらに接近。

 水樹の小さな雷による援護を受けながら、無傷の二体は無視してもう一体に斬りかかり、完全に沈黙させる。

「三体目」

「残り二体。さ、確実に倒そうね!」

 ここまで来れば急ぐ必要はない。数だけなら二対二の五分。だが、影の兵士は並以上で精鋭未満の実力。その程度の実力では、今の水樹と織乃とは釣り合わない。槍の影の指揮の下、影の兵士も凄まじい連係を見せはしたものの、個々の実力差は大きく、勝利を収めたのは水樹と織乃だった。

 そして水樹は翼を広げたまま、織乃は漆黒の剣を構えたまま、残った青い影――槍の影を見る。

「……ふむ」

「さ、兵士は全部倒したわよ。次はあなた……と言いたいところだけど、正直今は遠慮したいところね」

「同感。逃げるだけでも大変そう」

 槍の影は二人の顔を交互に見て、しばらく黙っていた。二人の声にも言葉を返さず、しかし手に持った槍はいつでも振るえるような構えで、彼女たちを牽制する。

「少年を封じれば容易と思ったが、我が読みは外れたようだ。――よかろう、少女たちよ。少年にも伝えておけ。我が与えた傷が治りし明日。それより十日後……我が力、我が槍は貴様たちを貫くであろう。それまでに、我と戦うだけの力をつけるがいい」

 表情を変えずに、威圧感を示して影は言う。それから槍を収めて、一瞬のうちに青い影となってその場から消えてしまった。

「……水樹」

「うん。戻ろっか?」

 二人での勝利の余韻に浸る暇はなく、告げられた次の戦い。影の兵士を束ねる影からの、突然の宣戦布告であった。


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