二十分後。百合の国の王城にて。
「無事の帰還何よりです、アスカ王よ」
恭しく一礼して、明日花を出迎えたフィーリー。すぐ後ろにはココットとメイシアもいて、リリは少し離れたところで壁にもたれかかり、小さく手を振っていた。
「そちらの方は?」
「アルマリノ・ローゼ。刀魔の国の、淫魔……です」
夕衣のときみたいにすぐに飛びかかるのではと心配していた明日花だったが、予想に反して彼女は冷静に名乗っていた。明日花は一瞬だけ不思議に思ったが、そういえばフィーリーの容姿については伝えていなかったことを思い出す。
「リーダーは……あなた、ですか?」
ローゼは三人のメイドをざっと見て、一人だけつけているメイドカチューシャに目を留めて、尋ねた。
「はい。メイドリーダーの、リルカ・フィーリーと申します」
「ハルナート・ココットです」
「サマリエル・メイシアだよ」
「ボクはソラソノ・リリさ。淫魔とは、面白い娘を連れてきたね、アスカ。それに、とっても可愛らしいじゃないか」
「王城には、これだけ……ですか?」
自己紹介を一通り聞き終えてから、ローゼは明日花に聞く。
「もう一人、リグラ・ハイリエッタって女の子がいる」
「把握……しました」
「では、ローゼさん。詳しい話は謁見室でいかがでしょう? 部屋に着くまで、アスカ王からどこまで聞いているか、教えていただけますか?」
ローゼは頷いて、明日花から聞いた内容を簡単に話した。メイドリーダーのフィーリーが彼を誘拐し、脅迫し、フェントゥーグを切り落とそうとしたという事実を。
謁見室へと続く廊下の途中、曲がり角でリリが一行から抜けた。
「ボクはハイリエッタを呼んでくるよ。この国の命運を決める、大事な話になるかもしれないからね」
「ああ、頼んだ」
リリは笑顔を見せてから、翼を広げて廊下を駆けていった。地を駆けていたのはほんの僅かな間で、床すれすれの空を駆けての高速移動。あれなら、戻ってくるまでに時間はかからないだろう。
謁見室に到着した明日花は、リリとハイリエッタを待つ間に玉座に腰を下ろす。右隣にフィーリーが控え、左隣、やや後ろにはココットとメイシアが並ぶ。低い階段の下、ローゼは王の正面ではなく、フィーリーの正面に立っていた。
程なくして、ハイリエッタを抱えたリリが謁見室へやってくる。お姫様抱っこで連れてきた少女を、天使はそっと優しく下ろす。
「着きましたよ、お姫様」
「うん、ありがとう。ええと……紹介は、済ませてるんだっけ?」
明日花が頷いたのを見て、ハイリエッタは黙って頷き返した。そのままリリとハイリエッタは扉の近く、壁際に控えて事の成り行きを見守る。
「問います。彼から聞いた話は、全て事実……ですね?」
「はい。間違いはありませんよ。私が彼を連れてきて、王になってもらいました」
「淫悪なる者……裁かなくては。けど、それよりも……」
「この場で世界を繋ぐ魔法を使えるのは、現在、私だけですからね。手を出さないのは説得するため、それとも、強制するためですか?」
「それは貴方次第……です」
ローゼとフィーリーの間で交わされる会話に、明日花たちは誰も口を挟まない。まっすぐ見つめ合う二人の間に流れる緊張感は、その場にいる全員に伝わっていた。
「でしたら、どちらも遠慮させていただきます」
「どういう、意味?」
「簡単なことです。アスカ王の意思に全てを委ねる、ということですよ。王が元の世界に戻りたいと仰るのなら、私はそれに従います。しかし、貴方が彼を帰還させろという命令には、従うつもりはありません」
「そう……ですか。では、アスカ」
「アスカ王、お答えを」
フィーリーとローゼの二人が明日花に視線を向ける。残りのこの場にいる者たち、ココット、メイシア、リリ、ハイリエッタも彼を見つめ、言葉を待っていた。
沈黙。
思案。
困惑。
「元の世界には帰りたい。けど、帰りたくない気持ちもある。正直、迷ってる」
明日花は自分の気持ちを素直に告白する。彼を迷わせているのはただ一つ、この世界にいる想い人――澄川夕衣の存在だ。
「さすがです、アスカ王。貴方も王としての責務に目覚めて……という冗談はこのくらいにしておいて、あちらで何かあったようですね?」
「まあな。告白はできなかったけど」
明日花はちらりとローゼを見る。
「もしや、彼女の……私のせい、ですか?」
ローゼは小首を傾げて、明日花に尋ねる。
「それは否定しない。けど、今の俺たちにとって、問題はそれだけじゃない」
「百合の国の王と、縫いの国の救世主。そして、彼女の意思ですね」
「そうだな」
フィーリーの言葉に、明日花ははっきりと同意を示す。
「そう、なんだよな。夕衣は、自分の意思でここに来たんだ。フィーリーに誘拐されて、脅迫されて王になった俺とは違う」
「なるほど。さて、淫魔さん? アスカ王の答えは聞いての通りです。彼の意思を無視して、貴方は自らの正義を貫きますか?」
「それは……ええ、もちろん……です」
ローゼは明日花の目をじっと見つめて、彼に尋ねた。
「この城に空き部屋はありますか?」
「あると思うけど……どうなんだ?」
「はい、部屋なら余っていますよ。十部屋ほど、大きさは違いますが」
答えたのは内政担当のメイド、ココットだ。
「では、アスカ。私はこの城に残り、あなたに仕えたい……です」
「俺に?」
「はい。財政に問題があるなら……」
「いや、その点なら問題はない……よな、ココット?」
「ええ、近衛兵は元々、何人か探してもらう予定でした」
「ふふ、ボク一人じゃ彼とずっと一緒に、ってわけにもいかないしね。それに、ボクとしても彼女は歓迎したいところだね」
「問題はない……ですね?」
「ああ、問題はない、けど。どうして?」
改めて確認してきたローゼに、明日花は尋ね返す。
「淫悪なる彼女が……再び悪事を働かないように、貴方を守る。それだけ……ですよ」
「わかった。なら、仕えてもらえるか?」
返ってきた答えに、明日花は迷うことなく承諾した。
「私は王に手を出すつもりはないのですが……うっかり、フェントゥーグを切り落とすことはあるかもしれませんが」
「うっかりやられてたまるか!」
「ふふ……うふふ……ふふふふふ! 冗談ですよ。いくら私でも、理由もなくそんなことはしません。理由を作れないか、日々考えてはいますけれど」
「何の三段笑いだ!」
明日花とフィーリーが、久々にいつもどおりの会話をする中、近衛兵の先輩であるリリがローゼに声をかけていた。
「ふ、歓迎するよ。ローゼ。同じ近衛兵同士、仲良くしよう」
「そう……ですね。あなたが淫らな者でなければ、よろしくお願い……します」
「もちろんだよ。無理やりなんて、悪いことをする気はないさ。やはりそういうのは徐々に親密になっていく過程にこそ、醍醐味があると思うんだよ」
「はあ……何の話……ですか?」
「聞いた話と、想像の話さ」
壁際に残されたハイリエッタは、そんな二人の会話を見ながら頬を緩ませていた。
(淫魔といえば、刀魔の国の実力者のみに与えられる称号。その上、今はリリもいる。あちらには魔法少女もいるけど、次の戦では今まで以上に派手な戦いができそう)
「ふふ……くくく……あはははは!」
謁見室に響いたハイリエッタの笑い声に、明日花とメイドたちの視線が集中する。
「三段笑い、流行ってるのか?」
「ううん。あれは素だと思うよ? 血が騒ぐー、ってやつ!」
「さすがハイリエッタですね。私とは大違いです。まあ、私も素でしたけど」
「アスカさん、とりあえず二人もいれば最低限の役割はこなせると思いますが……」
「ああ、他にもいい人を見つけたら考えておく」
「よろしくお願いします。念のために言っておきますが、女性でお願いしますね」
「そうだな。女の子ばっかり集めるのも、ちょっと悪い気がするけど」
「でも、賑やかで楽しくなりそうだよね? アスカにとっても、私にとっても」
「まあ、な」
悪戯っぽい笑みを浮かべるメイシアに、また何か悪戯を考えているんだろうなと思いつつ、明日花は答える。幸いにも、二人とも一人でやるのが好きなのか、フィーリーとメイシアが協力することは一度もなかった。が、気をつけるに越したことはない。
件の二人を見ると、リリが翼を広げて、後ろからローゼの体を包み込もうとしていた。目的はわからないが、ローゼに何度も軽く抵抗されて実現は未だにしていない。
「何の遊びだ、あれ?」
「スキンシップでは?」
「ココット、私たちもスキンシップする?」
「あとにしてください。アスカさんが無事に帰還したことは、おそらく城下町でも話題が広まっていることでしょう。ということで、アスカ王には……」
「お祭りの準備と、参加、か?」
「お察しの通りです」
「祭り、やるの? だったら、今回は私も参加する」
一度大きく笑ったあと、壁際で頬を緩ませたままじっとしていたハイリエッタが、会話を聞きつけて言った。
「あれ、珍しいね? ハイリエッタが祭りに出るなんて」
「当然。王のおかげで、今後が楽しみになった。この熱、祭りで少し冷まさないと、きっと無茶な作戦を考えてしまう。アスカ王と彼女たちに、怪我はさせたくない」
「百合の国のお祭りは久しぶりだね」
「お祭り……ですか。近衛兵としては、王の側にいるべき……ですね」
「では、多少の準備もあると思うので、実行は三日後に。アスカさん、二人と一緒に城下町に知らせに行ってもらえますか? 疲れているかもしれませんが、王の帰還をはっきりと伝えるには、貴方の存在は必要不可欠です」
「わかった。俺は疲れてないけど、ローゼは大丈夫か?」
短いとはいえ魔法少女ユイと戦い、平原を一気に駆けてきた、正義感溢れる少女。彼女を心配して、明日花は聞く。
「心配無用……ですよ。あの程度で疲れるようでは、淫魔は……名乗れません」
「そうか。頼りになりそうだな」
「もちろん……です」
明日花の言葉に、ローゼは微笑みを返した。二人の様子を少しのあいだ眺めてから、リリが言った。
「それじゃ、行くとしようか、アスカ。ローゼ、手を」
「了解……しました」
ローゼは明日花の手を引いて、歩き出す。
「あれ、そういう意味じゃないんだけど……ま、いいかな」
彼女に倣って、リリも明日花の手を引く。右手に淫魔、左手に天使。二人の少女と手を繋いで、アスカ王は謁見室の外へと連れられていった。
「両手に花ですね、アスカ王」
後ろからのメイドリーダーの声には、明日花は何も答えない。想い人がいても、二人の可愛い女の子と手を繋いで歩くという状況には、少々照れてしまう。明日花もこの国、王城の環境に慣れてきたとはいえ、直接的な接触は多くはないのだ。
もっとも、それも王城を出るまでの間。城下町に出たときには、明日花はいつもの自分を取り戻していた。