百合の国の隣国、縫いの国。夕衣に抱きすくめられて、明日花がこの国の城に連れ去られてから、一週間が経過していた。
メルヘンチックな城に、明日花も最初こそ珍しく思ったものの、一週間も部屋に軟禁されていれば新鮮さも薄れる。今日は隣国の勇者、ヴィクセンに呼ばれて、明日花は城の謁見室へと向かっていた。
「何かあったのか?」
「うん。そうみたい」
彼を呼びに来たのは、彼の想い人である夕衣。軟禁されている立場上、同じ城に住んでいても話をする機会はほとんどない。が、幼馴染みということもあってか、こういう役目は全て彼女に任されているようだった。
服装は魔法少女服ではなく、フレアブラウスにフリルスカートという可愛らしい服。明日花にとっては見覚えのある、彼女の普段着だ。
謁見室で待っていたのは、ヴィクセンとドックスの二人。この国には王はなく、政治はやりたい者がやるという非常に大雑把なもので、現在はこの二人が国を動かしているらしい。
「やあ、アスカ王。書状の返事が届いたよ」
「ああ、五日前に送ったっていう、あれか」
「ようやく、ね。交渉も進められるといいんだけど」
苦笑を浮かべるドックス。連れ去られたその日、ボロボロになっていた勇者と軍師はすっかり元通りになっていた。アスカが攫われたと気付いても、問答無用で攻撃を続けるハイリエッタから逃げるのには苦労したそうだが……腕一本で済んだのはさすがは勇者といったところだろうか。ちなみに軍師の方は両方の翼をもがれていた。
そして、応急処置をしたドックスは、アスカ王を人質にして交渉の手紙を送る。王を返す代わりに、こちらに有利な条件を呑んでもらう。明日花にはそれしか伝えられなかったが、それなら返答が遅れるのも仕方ないかも知れない。
「さて、と。それじゃあ、君にも読んで聞かせようか。内容次第では、わかってるね?」
「ああ。そのために呼んだんだろう?」
なったばかりとはいえ、明日花は百合の国の王。王としての判断が迫られるかもしれない状況に、明日花は唾を飲み込んで、ドックスの読み上げる内容に耳を傾けた。
「……ええと。これは……アスカくん、自分で読んでみるといいよ」
「待て、ドックス。それはさすがに……む、ああ、そうだな」
止めようとしたヴィクセンだったが、手紙を一瞬だけ見てすぐに軍師に同意した。明日花は何がなんだかよくわからないまま、彼から手渡される手紙に目を通す。
「あ、私にも見せて」
「ああ、うん」
肩を寄せて来る夕衣にどきどきしながら、明日花は文面を口に出して読もうとした。しかし、開いた口は、その短い文面に開いたまま動かなくなる。
交渉する気はありません。アスカ王、自力で脱出してください。
メイドリーダー リルカ・フィーリー
たったそれだけだった。要求を突っぱねるのはまだわかる。しかし、解決を軟禁されている王に任せるというのはどういうことだと、明日花は言葉を失くしていた。
「明日花、何かしたの?」
心配するように声をかけてくれた幼馴染みに、明日花は呆れた顔で答える。
「いや、あいつにとってはこれが普通だ」
「明日花も大変だね」
「まあな」
「はは、ちょっと予想外だったね。交渉のきっかけにはなるかと思ったんだけど」
「ドックス、どうする?」
「そうだねえ……じゃ、予定通り、第二の策を実行に移すとしよう」
予想外でも、次の予定はしっかり考えていたらしい。ドックスは明日花と夕衣を交互に見て、その第二の策を口にした。
「あっちがだめなら、こっちでやればいい。アスカくんを自由にしてみよう。ユイ、幼馴染みの君に監視を任せてもいいかな?」
「もちろん! ドックス、城下町に出てもいい?」
「お好きにどうぞ。全て君に任せるよ。僕たちの救世主だからね」
「頼むぞ、救世主よ」
「それじゃ、明日花。町に散策に出かけよう」
「外か。久しぶりだな」
軟禁されている部屋にも窓はあったし、気分転換にと夕衣に連れられて、城の屋上に出たこともあったが、それだけだ。隣国の城下町。連れ去られたときにはほとんど見えなかったが、城と同じくメルヘンな家が多かったのは覚えている。
夕衣に連れられて、城の外へ。ぬいぐるみのようなワタヌノ族が町を歩き、立ち並ぶ家は小さめなものばかり。いくつかある大きな建物は旅人用の施設のようだ。
「魔法少女にぴったりだよね!」
「マスコット、か」
「そ。でも、あれで二人とも私たちより年上なんだけどね」
「いくつなんだ?」
「二十歳だってさ」
町をゆっくり歩きながら、楽しく会話する幼馴染みの二人。百合の国と同じく、和やかな雰囲気の城下町。住民は夕衣を見かけると、救世主様と崇める者が大半だった。
隣の明日花には無関心な者が多く、たまに夕衣に尋ねる者がいるくらい。戦争しているとはいえ、その戦争はごっこである。特に敵対心は抱いていないから、安心していいよとは、誘拐されたその日に夕衣から伝えられた言葉だ。
「男が多いのか?」
ワタヌノ族の喋り方から感じた疑問を、明日花は夕衣に尋ねる。
「性別はないみたいだよ。でも、男らしいのが多いかな?」
「なるほどな」
何気ない会話をしながら、明日花はこれはいい機会ではないかと考える。誘拐されて告白できなかった少女に、誘拐されて告白の機会が訪れるというのも変な話だが、この機会を逃すのはもったいない。
とはいえ、いきなり告白しても驚かれるだけ。明日花は会話をしながら、告白するタイミングを探ることにした。
「夕衣はどうやってこの世界に来たんだ?」
「あ、それ、私も聞いていい?」
「ああ」
「ありがと。私はね、ヴィクセンに頼まれて。可愛いマスコットに救世主を探しに来たと言われたときは困惑したけど、私はそこで聞いたの。『なんで私に?』と」
「で?」
「『君には魔法の才能がある。その力こそ、我らが救世主に相応しい』」
夕衣はヴィクセンの話し方と声を少しだけ真似して、彼の台詞を繰り返した。
「ということで、私はこの世界に来たんだよ。魔法少女になれる! その上、生活の心配もない! 断る理由がないでしょ?」
「昔から好きだったよな、そういうの」
「ふふん。明日花に見られるとは思ってなかったけどね!」
「俺も、夕衣に会って驚いたよ。それに、嬉しかった」
「嬉しい? 明日花はどうして王になってたの?」
明日花は先に二つ目の疑問に答えた。
「フィーリーに誘拐されて、脅迫された。王になるかここで死ぬか、ってな」
「そうだったんだ。帰れなくなって、だから、嬉しかったの?」
「そうだな。夕衣にずっと会いたかった」
この流れなら、いけるのではないか。明日花は心臓の鼓動が速まるのを意識しながら、隣を歩く幼馴染みの顔を見つめる。会話している間に、石畳は土へ。今、二人は草木溢れる大きな公園を歩いていた。
雰囲気も悪くない。明日花は意を決して、夕衣に想いを伝えようとした。
「夕衣。突然で驚くかもしれないけど、話があるんだ」
「話? 私はいいけど、前」
「前?」
明日花は彼女に言われた方向に視線を向ける。そこにはワタヌノ族ではない、一人の少女の姿があった。ベンチに腰を下ろし、木漏れ日を浴びて目を閉じている。
「あの人にも聞かれていい話?」
「構わない……って言いたかったんだけどな」
少女の視線が二人を捉えていた。小さく礼をして挨拶をする彼女に、明日花と夕衣も同じく礼を返す。明日花もさすがに、ここから告白へ繋げることはできなかった。