始点 三つの手記
第一の手記
その事件に私が遭遇したのは、北の大地に桜が花開く頃――黄金の日々が終わりを迎え、学業が本格化してすぐの頃だった。二年生になり初の事件にして、あらゆる要素が複雑に絡み合った大きな事件に、探偵としての心が踊ったものである。
始まりは一つの失踪事件。それがまさか、私の人生においても大きな意味を持つ事件になるとは、遭遇した日には推理できなかったのも、仕方のないことであろう。
事件そのものの本質もさることながら、その解決の際に出会った二人の少女こそが、私にとっての大きな事件であった。この事件をきっかけに、彼女たちとは生涯のパートナーとも呼ぶべき深い関係が築かれることになる。
今回の事件の要素を整理するに、私の観察力と推理力、知識だけでは完全な解決は叶わなかったのは疑う余地がない。
土井法一の手記 『三つの失踪』冒頭より
第二の手記
今日、全てが終わった。だからちゃんと、記しておこうと思う。
私の目的は果たされた。といっても、私が動けなくなるまでこの目的は終わらない。そのうちの一つ、たった一つが終わっただけなんだけれど。
でも、今回だけは今までと質が違った。こんなことがあるなんて、考えてもいなかったことだった。それでも実際に起こった以上は、受け入れるしかない。
もしも、今後もこういうことがあったら、そしてそれに私の大事な人が関わっていたら、私はどうするべきだろうか。それはまだわからないし、きっと大丈夫だと思う。お父さんとお母さんのいた組織は、ずっと間違ってはいないはずだから。
それに、直接戦うのは私一人でも、大事な二人の仲間にも出会えたんだから。
法一くんに、凪ちゃん。
きっと、二人とはこれからも仲良くすることになる。何となくだけど、そう思うから。
佐々木星乃の日記 五月某日の記載より
第三の手記
記 五月某日
題 二人の協力者
真の呪いを探して求めるにあたって、重要な協力者との出会いがあった。協力者の立場は私とは違う。目的も違う。しかし、確信する。二人との繋がりは、今回限りではないと。
一人は探偵。名を土井法一。私と同じ、鉈鉱市立神丘学園の二年生。同学年の男性。髪の毛はミディアムストレートで、男性にしては長い。変装に役立つから、だそうだ。彼の情報収集能力は頼りになるし、深淵を目指す過程で男というのが役立つかもしれない。色々と関係は大事にしていきたい相手である。
一人はヒーロー少女。名を佐々木星乃。所属は探偵と同じ。女性。髪の長さは私より少し短いか長いか、微妙なところだけど長いことに変わりはない。髪型はツインテール。その他、なだらかな胸を身体的特徴とする。カードという不思議な力を扱い、世界の裏側にも通じる彼女とは、情報の幅を広げるという観点から、やはり関係は大事にしていきたい。
唯一無二の真の呪いを見つけるために。
また、貴重な理解ある友人としても……一応、付記しておくことにする。
神丘凪の記録 五月某日の記載より
三つの失踪
一 学園生の失踪
かの有名な探偵小説に憧れて、探偵活動を開始し、手記を執筆して一年。それ以前にも興味深い事件は数多くあったが、ここまで謎と驚嘆に満ちた事件はなかった。
冒頭でも触れた通り、事件の始まりは長い休みを終えた頃。五月の初め、月曜日。といっても、私が事件を知ったのがその日であるだけで、事件そのものは黄金の日々に多くの学園生が休日を謳歌している中、静かに発生していたのである。
「何か、事件はなかったか?」
休み明けには必ずこの質問をすることにしている。日頃から事件を探すこと。それが探偵としての日常である。
「事件? ふ、よく聞いてくれたな! もちろんあるぜ!」
質問する相手は決まって、同じ二年B組の生徒。まずは隣の席の林中清吉に聞くことにしている。彼とは小学生の頃からの付き合いで、私の趣味にも理解が深い。
「聞かせてくれ」
「ああ、澄とのデートで事件があったんだ。それはもう、俺たちカップルにとってとてもとても大きな事件でな、いやー、参ったぜ」
彼の恋人である河中澄も、同じ学園に通っている。学年は二年生。組はD。俗に言うバカップルという関係を、付き合い始めた小学生の頃から続けているという、なかなか興味深い関係である。
ここからしばらく、清吉と澄という二人の恋人の甘い話が続いたのだが、本当にしばらく終わらない長い話であったため、今回は省略させていただく。
「……そのときの澄は、本当に可愛かったんだぜ。あと、今朝スキー部の先輩から尋ねられたんだが、なんか三年生の女子が一人いなくなったらしいぞ。連絡がつかないって、容姿を伝えられて見てないかって聞かれたんだが……ええと、何だったかな?」
「失踪か」
「ああ、知りませんって答えたよ。ん、っと、詳しい事情は、思い出せない。けど、お前ならこれだけあれば十分だよな?」
「当然だ。その失踪した生徒は、スキー部の生徒ではない。そうなると、三年生の間ではそれなりに有名な生徒なのだろう。情報提供、感謝するよ」
清吉は笑顔を見せて、正面を向いた。今すぐ調べたいところだが……もう時間のようだ。情報収集は昼休みに行うことにしよう。
午前の授業を終えて昼休みとなった。
「先輩、お話よろしいですか?」
三階にある三年生の教室前。出てきた先輩方の中から、学食や購買を目指して走る者、何らかの理由で急ぎの用事がありそうな者を除いて、時間のありそうな適当な者に声をかける。
「ん? 僕に何か用かい? 後輩くん」
知的な風貌の先輩から、見た目通りの声が返ってくる。声に余裕があり、会話を迷惑そうに思っている様子はない。
「三年生の女子が一人、失踪したと聞きまして」
「失踪? ああ、はは、君があのたまに聞く探偵くんか。知ってるよ、家出したっていう彼女の話なら」
現状その程度の認知度であることは潔く認めよう。まだ大きな事件を、大々的に推理を披露して解決したという実績はないのだから。
「クラスと名前、教えてもらえますか?」
「C組の七園舞華って女の子だよ。漢字は……」
「大丈夫です。生徒の名前くらいは、全て覚えていますから」
顔と名前、と言えないのがまだまだ私の未熟なところだ。
「そうかい。さすがだねー、と言ってもいいのかな? 君も男の子だろう?」
「まあ、噂くらいなら」
七園舞華。三年生の先輩で、お嬢様の寮生だ。綺麗な先輩の話は、一年も学園で過ごせば誰の耳にも自然と入るものだろう。ましてや、私のように探偵として活動している者であれば、その情報を知らないなどありえないことだ。
「じゃ、僕は行っていいね?」
「ありがとうございました」
小さく礼をして、軽く手を振って去っていく先輩を見送る。今の先輩はA組。さらなる情報を得るためには、やはりC組の生徒に聞くのがセオリーだ。
そしてすぐにわかったのは、彼女が失踪したのは黄金の日々――ゴールデンウィークの最中であるということ。そうなれば、次に探すべき相手は同じ寮生である。春先の長期連休、夏や冬のそれと違って帰省する生徒は少ないだろう。
昼休み中の捜査の結果、七園舞華が失踪したと思われる大体の日付は判明した。五月三日から五日の間。彼女の姿をはっきり見たという寮生の証言は、五月二日までだった。寮は二人部屋なので同室の生徒に聞ければよかったのだが、話によると進級時の部屋替えで彼女は部屋を一人で使うようになっていた。
鉈鉱市立神丘学園に通うのは鉈鉱市の市民が多く、二人ずつで振り分けると寮の部屋が余ることも少なくない。その場合、くじ引きで選ばれた数人の生徒が一人で部屋を使う権利を与えられる。寮生にとっては、幸運の一人部屋と有名な話だ。
だが、この点に関しては予想通りであり、意外性はない。確固たる情報があるなら、こうしてちょっとした騒ぎになるはずなどないのだから。
しかし昼休みは時間が限られる。昼食の時間をほとんど削ったとはいえ、まだ話を聞いていない生徒から貴重な情報が得られる可能性はあるだろう。そちらに関しては放課後に続けて調査をすることにして、私は一度自らの教室へと戻ることにした。
放課後の調査の結果、特に有力な情報は得られなかった。だがその代わりに、三学年に連なる複数の人間との約定は取りつけることができた。私が得た情報を彼らに、彼らが得た情報を私に。情報交換を行うというものである。
七園舞華は一定の知名度を持つ生徒。特に一部男子にとっては綺麗な女子というのは注目度の高い存在であり、彼女が失踪したとなれば黙っているはずがない。
幸いにも同級生の中にその一人がいたため、彼らとの接触は非常に簡単だった。そしてさらに幸いなのは、彼らの全てが家出説より失踪説を支持していたこと。人数がいても決定的な情報が得られる可能性は低いが、失踪した正確な日付を割り出せるのは時間の問題だろう。
彼女の失踪が、私の頭脳を必要としない程度の失踪であれば、だが。
昼休みと放課後、私が尋ねた生徒の数は決して少なくはない。顔は覚えていなくとも、生徒の名前と寮生か自宅生か、学年や性別といった基本的な情報は全て頭の中にある。
彼女と同じ寮生、女子寮の生徒に聞いた人数は二桁に届く。それで得られた情報が、あの曖昧な日付。よって、七園舞華の失踪は突発的な家出とは考えにくい。
今回の失踪が彼女自身によるものなら、計画的な失踪であると考えた方がいいだろう。
無論他にも、誘拐や事故に巻き込まれるといった、突発的な失踪の可能性も残る。現段階では、排除できる可能性は一つもない。考えにくいものも含めて、明確な情報が得られるまでは全ての可能性を考慮すべきである。
第一話 思層空間の少女
「私の感情があなたの思層を壊してあげる! さ、楽しくカードで遊びましょう?」
学園の終わりの帰り道、私はちょっと寄り道して、小さな思層空間にいた。曲線や曲面で構成された、不思議な空間の中央に立って、いつものように前口上を響かせる。
始める前は、やっぱりこれがないとね! 本当に小さな空間。周囲を見渡せば敵はみんな見つかるし、しばらく放っておいても問題はないかもしれない。けど、こうして戦えるのは私一人しかいないんだから、見つけたらすぐに対処しなくちゃね!
「キャノン!」
一枚のカードを取り出して、力を解放! まずは一番遠くで固まってる、二体の敵に先制攻撃ね。光の砲撃が勢いよく飛んで、見事に爆発して命中!
「よしっ」
相手にとっては安全な距離のつもりだったのかもしれないけど、こんなに小さな思層空間なんだから、私の射程範囲内! 先手を打ったところで、もう一枚のカードから『ステッキ』を取り出して守りを固める。そろそろ、私の行動時間は終了だ。
攻守が入れ替わった瞬間、近距離から飛んでくるアローをステッキを振って弾き落としていく。中距離からのボウは、軽いステップで回避! 強力な牽制のキャノンを潰した今、位置を把握している敵の攻撃は当たらない!
再びの私の攻撃。取り出したステッキの――真の力を見せてあげる!
「まずは、っと!」
でもその前に、後方に散らばっているアローを放つ敵に、こちらもアローを撃って倒しておくよ。防御も甘いし、簡単ね。やっぱり、決めの一撃で終わらせたいもの!
これで、準備完了!
「遠く遠く軽やかに! おっもい一撃、ホシノ☆エモーション!」
残りの敵が固まる方向にステッキの先を向けて、力を溜めていく。そして放たれるは、至近距離からのキャノンの砲撃! 私専用の『キャノンステッキ』の必殺技!
可愛らしいキャノンステッキを、可愛くゆらりと振り下ろして、笑顔でおしまい!
きっちり確認した全部の敵を倒したところで、思層空間が崩れていく。視界が開けていたから索敵を簡略したけど、どこかにいたボスもちゃんと倒せたみたいね。
現実世界に戻って、一息。これでまたひとつ、いずれ発生しかねない事件を未然に防げた。思層空間に入るために移動した路地裏から、路地の表に戻る。念のために感覚を研ぎ澄ませてみたけど、他には思層空間の気配は感じられないね。
ただ、ちょっと気になる人がいないわけじゃない。視界に入ったのは、一人の青少年。コートに帽子にサングラス。歩き方や体格から辛うじて青少年と推測できるくらいの、見るからに怪しい姿だった。コートだけならまだしも、夜にあんな格好で何をする気なんだろう?
ちょっと気になるけど、彼がいるのは車道の先の反対側。格好以外に怪しい動きはないみたいだし、彼なりのファッションセンスか、夜にこっそりおとなむけのお店を目指しているか。
私は深く考えずに、役目を果たした余韻に浸りながら、家に帰ることにした。
第一章 遠き真の呪い
空が高熱の球体に照らされ、日が始まる。真の呪いを探して求めるため、あらゆる知識はあった方がいい。しかし、本日は体を激しく動かす科目が時間の始まりに存在する。
「……体育、面倒くさい」
「凪は本当に、体育嫌いだよね」
私の聞かせる呟きに、律義に応えてくれる同級の女性。だが決して、面倒だからといって放棄はしない。儀式に必要な最低限の体力を維持するには、これはこれで役に立つのだ。
「凪ー! いったよー!」
「こなくていい」
転がってきた茶色い球体を、全力で蹴り飛ばす。飛んでいったボールはもちろんかごになど入るはずもなく、コートの外に転がって二つの性を分離する網に引っかかって静止する。
一度走り出した肉体は、同じようにすぐには静止できない。転がってきた球体の速度、私の身体能力、ついでにやる気。それらを全て計算すると、取り逃した球体の確保に失敗するというのは当然の帰結。
「あはは、やっぱ無理かー」
「ったく、ほら女子ー、もうちょい真剣にやれよー」
みんなが気楽に遊んでいるようなこの状況で、一人だけ試合に全身全霊を込めるつもりはさらさらない。ちなみに網の向こうの異性たちは、私たちより何割も真剣みたいだが、今わざわざ声をかけて、ゆっくりとした動作でボールを投げてくる男子の真剣さは別のものだ。
「自然な素振りで私たちを視姦しないでください」
「……べ、別にそんなんじゃねーよ! つーかそこまではしないって!」
驚く男子が半分、笑って冷やかす男子が半分。今年からの者たちと、去年からの者たちの差だ。ちなみに女子の方は、わざとらしくしなを作ってみたり、苦笑したり、網の向こうよりも反応の種類が多い。
ほんの少し騒がしくなった体育の館。教師の笛ですぐに静かに、そしてまた別の熱気で主に網の向こうが包まれていく。とりあえず、授業が終わったらあの男子のことはきちんと記録しておこう。……視姦の意味が瞬間的に解る程度の性知識を有する、と。
三つの失踪
二 佐々木星乃
捜査を開始して二日。有力な手掛かりは未だ得られていないが、昼休みまでに得た情報で昨日の調査内容は補強された。正確な日付は不明だが、失踪した時期に間違いはない。七園舞華本人については、今はここまでで十分だ。
次は、別の方向から情報を探ってみるとしよう。不審な人物や物体を見なかったか、見知った人物の不審な行動がなかったか、幅広く尋ねていく。今回の失踪が本人以外の他人によるものなら、何らかの情報が得られる可能性は高い。
まずは知り合いも多い二年生から。そしてその中には、それらの情報に詳しい者もいる。
「清吉。澄に聞きたいことがある」
放課後、隣に座っている友人に声をかける。用があるのは彼の恋人である以上、彼に声をかけるのが手っ取り早い。いつもであれば、これからの行動は決まっている。
「いいぜ。じゃ、行くか」
鞄を片手に立ち上がって、教室を出てD組を目指す清吉についていく。
「澄ー!」
「あ、清吉……と、法一くんも一緒? んー、何かお話かな?」
こちらを見ながら、迷わず手を繋いで並ぶ恋人たち。頭一つ分の身長差、体育系の爽やかな男子と文化系の知的な少女。昔から並んでいるとよく映えるカップルだ。
D組の入口から少し。廊下の端に移動して、私は早速彼女に尋ねた。
「何か、情報はないか? 不思議な人物や物体、その他の目撃例があるなら教えてほしい」
「ふーん、清吉からは、失踪事件の捜査をしてるって聞いたけど?」
「本人については十分に調べた。他の情報を探している」
「ふむ」
少し考える仕草を見せながら、隣の清吉の腕を引き寄せて軽く抱きつく。いつもながら、遠慮のない仲の良さである。
抱きついた腕を優しく離してから、答えが返ってきた。
「うちには特に情報はないし、私個人の情報もあまりないかな」
河中澄はオカルト研究部のエースとして、一部では有名だ。情報収集力という点では、分野は違えど私にも劣らない能力を持っている。
「どんな情報だ?」
「本当に些細な情報だけど、最近ちょっと怪しい人を見たって話を聞くね。ちょうどゴールデンウィークが終わる頃から、謎の青少年が鉈鉱市や学園を調査してるって。宇宙人ってわけでもなさそうだから、私としては本部に報告するならもう少し情報がほしいところね。
それともう一人。ええと同じ頃だったと――うん、同じ頃ね。鳥のイヤリングの女性の話も聞くかしら。こっちは気配の薄い長身の女性、ってことしかわかってないけど」
途中で手帳を確認しながら、澄が伝えてくれた情報を記憶する。
「では、謎の青少年の方は?」
「それがね、同じクラスの星乃がゆうべ見たって言うから、昼休みに質問責めにしようとしたところ。見た目くらいしかなかったから、すぐに終わっちゃったんだけどね。あ、清吉。そろそろ部活の時間じゃない?」
「おっと。悪いな法一、ちょっと待っててくれ」
目を開いて顔を横に向けた澄に、清吉が腰を落としてキスをする。
「じゃ、行ってくるぜ!」
「うん、またねー。それじゃ、続きね?」
お決まりの部活前のキス。スキー部にとって冬以外の季節は、体力や筋力の維持に大事な季節だと聞く。ちなみにオカルト研究部は、基本部室に集まるのは月金の二日だけなので、火曜日である今日は通常なら時間に余裕があるはずだ。
「佐々木星乃はまだ教室に?」
「いたよ。さっきまでは」
「鳥のイヤリングの情報源は?」
「情報源って言うほど詳しい人はいないわね。ただ、法一くんより先に興味を持った女の子なら知ってるわよ」澄は笑ってみせた。
「独自に調べている可能性はあると」
「可能性どころじゃないわね。私の幼馴染みなら、必ず調べてるわよ」
「というと、彼女か」その顔と名前を思い出して、尋ねる。
「ええ」澄が頷く。「凪よ。ご存知、神丘神社の一人娘」
「了解した。情報提供、感謝するよ」
「ん。またねー」
私は踵を返して、佐々木星乃のクラス――二年D組を目指す。まだ教室に残っていれば、探す時間は省ける。もう一人、神丘凪は顔も家も知っているから、急ぐ必要はない。
「佐々木星乃はいるか? 話をしたいのだが」
扉を開けて、やや大きめの声で教室内を見渡しながら呼びかける。
「はい。何か用かな?」
少しして、その声が聞こえてきたのは後ろからだった。人の気配は感じなかったわけではないが、授業終了から少ししか経っていない放課後の廊下。それぞれの気配にまで注意を払うことはしないが、それにしても探偵として最低限の注意は払っている。
尾行をする上で、また尾行に気付くためにも、探偵は気配に敏感であらねばならない。声は普通の女の子という感じだが、佐々木星乃という少女は何者だ?
「ゆうべ見たという、青少年について話をしたい」
抱いた疑問は一切表情には込めず、振り返って詳しい内容を告げる。ロングツインテールの綺麗な少女は、少しだけ顔を上げて私に笑顔を向けていた。背は特別に高くはないが、低くもない。かなり成長不足に感じられる部分もあるが、他に目立つ特徴はない。
「あ、澄から聞いた?」
「うむ」
さっきまで教室にいたなら、私の姿を見ているのは当然だ。
「だったら、話せることはあんまりないってことも知ってるよね?」
「ああ。だが、詳しい場所くらいはわかるだろう?」
「うん。それくらいでいいなら」
廊下を歩き出した彼女に並んで、話をするのに適当な場所を目指す。鉈鉱市の地図を開く場所もほしいので、距離を考えると中庭が適切だろう。
「で、誰だっけ? 探偵してる人の話は聞いたことあるけど」
「土井法一だ」
「法一くんね。それにしても、さすがね。振り返った一瞬で私のこと観察してたでしょ?」
「ああ」私は素直に認める。「探偵として当然のことだ。しかし……」
「うんうん。こっちも観察はさせてもらったから、おあいこね」
「君こそ、さすがと言えるのではないか?」
「いやいや、私にとっても当然のことです。ほら、ね?」
星乃はポケットから一枚のカードを取り出して、くるくると回しながら私に見せる。定期券の類ではなく、素っ気ない絵柄のトレーディングカードに見える。トランプのような情報を必要としないカードゲームのカードという可能性もあるだろうか。
「あ、やっぱり知らない? それじゃ、この話はここまでね。――ついたよ」
私から言うまでもなく、中庭に到着した。今のカードについては、事件には関係ないようだから、とりあえずは置いておこう。明るい木の椅子に二人腰を下ろして、会話を続ける。
「まずは、格好について確認をしたい」
「コートに帽子にサングラス。暗かったからよくわからないけど、派手なコートじゃなかったね。こそこそ隠れるのに困らない感じの、そんな雰囲気。で、場所なんだけど……」
言って、星乃はポケットから鉈鉱市の地図を取り出す。何十箇所に印のつけられた、私が携帯しているのと同じ地図だ。私も同様に地図を懐から取り出して、小さな貼り付け型のメモ用紙を準備する。
「私がいたのはここ。で、路地裏から出たところで、その青少年はここにいたのね。歩く方向は、確かこっちね」
「駅とは反対方向か。いかがわしい店も、特になかったはずだ」
「うーん、だよねー。私も帰ってから、ちょっと気になったんだけど。新しくできたのかなって。ほら、学園生が使えるようなところだと、色々規制もありそうじゃない?」
「そうだな」私は聞いた情報を書き留めて、示された場所に貼り付ける。「他に気になることは、本当に何もなかったか?」
「何もないね。残念ながら」
「そうか。情報提供、感謝するよ」
私が地図を折り畳むと、星乃も地図を折り畳んで立ち上がった。
「ん、それじゃ、私は用事あるから行くね」
「また、街にか?」
「今日は学園内が近いかなあ」
「何をしているのかは知らないが、気をつけるといい」
「ありがと。そっちこそ、危ない誘拐犯が相手かもしれないんだし、気をつけてね?」
「承知した」
校舎内に戻っていく彼女を見送って、私は席に座ったまま今後の捜査を考える。時間を考えると、帰宅部の神丘凪はもう帰宅している可能性も高い。とりあえずは、残っている一年生にでも情報を尋ねてみるとしよう。
「君、少しいいかな?」
「はい。なんでしょう?」
冷静そうな下級性に声をかける。そこで私は、また新たな情報を耳にすることになった。
「三年生の失踪した女子について調べているんだ」
「あ、知ってます。うちのクラスの男子にも聞かれました」
「そうか。では、何か不審な人物や物体を見てはいないか? 見知った人物に不審な行動はなかったか?」
「ええと……」困った顔と声が返ってくる。「不審かどうかはわからないですけど」
「聞かせてもらえるか?」
「私のクラスの女の子が、連絡なしに無断欠席してました」
「名前は?」
「竹水千花ちゃんです」
「一年D組の、竹水千花か」
「ええ。知っているのですか?」
「私は探偵だからな。それに、友人の部活の後輩でもある」
一年D組の竹水千花。彼女も清吉と同じ、スキー部に所属する生徒だ。
「そうですか」
「ああ。情報ありがとう。感謝するよ」
私が話を終わらせると、尋ねた下級生の女子は小さく頷いて去っていった。一年D組の無断欠席した少女。このとき私は、彼女のことを記憶に留めてはいたが、それだけだった。
その無断欠席が今日だけのことではなく、明日、明後日と続くと知るのは、もちろん後日のことである。
第二話 学園の思層空間
昨日に続いて、今日も思層空間の発生を察知した。場所は学園内のどこか。詳しい場所はわからないけど、学園内なら向かう場所は決まっている。東の第二校舎屋上の北の手すりから三歩ほど離れた場所。思層空間に入るには、そこが一番近くて早い。
連日の発生に珍しさと若干の違和感を覚えながら、思層空間に入った私を襲ったのは驚きだった。昨日のものとは規模が違う。学園付近でこれほどの規模、今日になって気付いたってことは、急成長したタイプだと思う。明日にでも暴走して、現実で大きな事件を起こすかもしれない、対処に緊急を要する思層空間だ。
でも、ざっと見た感じ……緊急だけど急いで攻略しなくてもよさそうね。
「私の感情があなたの思層を壊してあげる! さ、楽しくカードで遊びましょう?」
ポーズをとって侵入を告げる前口上! 敵意を見せれば返ってくる敵意。戦いの始まりだ。
「ボウ!」
早速、中距離用のボウをカードから生み出して、前方に見えるフラワーに射撃! 今回のコースは大きくて、構成する曲線や曲面の数も多いから見えない敵もたくさんだ。でも、目に見えてわかるのはフラワーが大量に設置されていること。
前方近くのフラワーを倒してから、私もフラワーを設置する。自らの周囲を守る、防御の効果を持つフラワーだ。くるくる回る、光の花びら。まずはこれで様子見ね。
ほとんど足を動かさずにじっとしていた私から、敵に行動時間が移る。ゆるやかな曲線で坂のようになっている奥の方や、細かい曲面で守られた左斜め前。キャノン、あるいはボウで仕掛けてくるなら、あの辺が怪しいけど……。
「……ん。やっぱりね」
行動時間が終了するまで、敵は一切の攻撃を仕掛けてこなかった。大量のフラワーから予測した通り、相手は徹底的に守って反撃を狙うつもりみたいだ。
包囲できる状態からのキャノンの一斉砲撃。あるいはボウやアローを囮にした、フラワーによる罠。思層空間のコースは思層空間を生み出した者の力の強さに依存するから、きっと簡単には突破できないようにできているんだろうね。
ま、私みたいに特殊なカードを持っていれば、根底から崩すことも可能なんだけど、こういうタイプは私の『キャノンステッキ』で一気に蹴散らすのは難しいね。
「とりあえず、そっちが来ないならこっちから!」
守りのフラワーはそのままに、私はもう一つのフラワーを設置するよ。それを踏みつけて、高く跳躍! それからさらにフラワーで、パラシュートのような淡い光を広げて、ふわふわ浮かんで滞空時間を延長!
「えいっ!」
空から見えない敵を把握したところで、左右のボウを狙ってキャノンを連発! 反動は大きいけど、キャノンにしては狙いが良くて威力の劣る砲撃!
その反動で滞空時間がさらに伸びたところで、私の行動時間は終了だ。
相手の行動時間になった瞬間、地上からキャノンの砲撃が何発も飛来! 周囲のフラワーは威力と精度を上昇させる、補助の役割みたいね。
狙いやすい位置にいた私を狙った砲撃。守りのフラワーは数発で壊されて、一発が私の頬を掠めて、一発が直撃! なかなかの威力だけど、十分耐えられるね。キャノン一発で倒されるほど、私は弱くないもの。
「さて、それじゃ今度はこっちから!」
攻守が入れ替わって、私の行動時間ね。さっきの砲撃された方向を目がけて、こっちからもさっきのキャノンで砲撃! 的確に敵のキャノンを狙って、一斉に撃破するよ!
威力不足で残ったキャノンが一つだけあったけど、私も地上に降りたから射程範囲外。回復するためのフラワーも近くに設置されてるんだろうね。でも、さっきのうちにコースは全部把握したから、ボスらしいフラワーの場所は把握済み!
見た目は他のフラワーと全く同じで、ほんのり赤く輝く花の形。でも、コースの地形とキャノンの位置を見れば、予想は簡単ね。
残ったキャノンの射程を意識しながら、取り出したキャノンステッキ! ステッキのまま振り払って蹴散らして、到達する私の射程範囲内!
これで、準備完了!
「遠く遠く軽やかに! おっもい一撃、ホシノ☆エモーション!」
推定ボスのいる場所目がけて、私専用『キャノンステッキ』から放たれる最大の光の束と波の奔流!
可愛いステッキを可愛らしく振り下ろして、念のために様子を見ながら待機。私の行動時間が終了しても相手の攻撃はなく、思層空間が崩れていく。うん! 別に誰も見てないけど、恥ずかしいことにはならなくて良かった!
余裕の相手に決め台詞と必殺技を決めて、倒せないなんてヒーローとして未熟!
曲線や曲面の柔らかい思層空間から、直線や平面だらけの屋上――現実空間に戻る。今回も無事に勝つことができた。けれど、二日連続の発生は偶然なのかな?
今日は法一くんに話を聞かれた。失踪事件が発生していることと、思層空間の発生に繋がりがあるのかもしれない。でも、私にできるのは思層空間で戦って、その人の感情を暴走させないことだけ。あっちは彼に任せて、私はいつものように過ごすしかないね。
もしも、明日か近い日に再び発生したら、師匠にでも連絡をとってみよう。組織が動いている様子は感じないけど、どれだけ関わりがあっても私は組織の外の人間。
「んー。ふうっ」
指先で組んだ両手を伸ばして、簡単に体をほぐす。組織がこっそり動いているなら、それらの事件は組織に任せておけばいい。問題は、組織とは無関係で何かが起こっている場合だ。だったら、組織の人である師匠の協力はさほど得られない。私一人で対処できるものならいいけど……そうじゃなかったら、誰かに明かして協力を頼むことも考えないといけないね。
とりあえず、秘密を守ってくれそうな探偵くんは、有力な候補の一人かな?
三つの失踪
三 二人目の失踪者
一年生の竹水千花が失踪した。……という話が学園生の一部で話題になったのは、週末の金曜日のことだった。無論、七園舞華の失踪との関連性を見ての反応である。
学園生連続失踪事件。学年も違う二人が、相次いで失踪した。家出が偶然重なっただけと考えている者もまだ多い……どころか、多数派ではあるのだが、その多数派には幸いなことに学園の偉い人は含まれていないらしい。
ということで、担任の教師を通じて呼ばれた学園長室。私に正式な依頼が与えられた。
「君なら知っていると思うが、学園生が二人失踪した。事件性は不明」
中性的な顔立ちと声で、男性か女性かもよくわからない学園長。それどころか、学園長室にいるのは代理で、本当の学園長はもっと謎に包まれているという説さえもある。
「当然、既に動いているのだろうが……去年の実績を考えて、頼めるかな?」
「もちろんです。正式な依頼として、お受けします」
学園で探偵として動いて一年。興味深い一つの事件を解決して、学園長からも探偵として一定の信頼を得られている。依頼を受ける前から捜査していたとはいえ、正式な依頼があるのとないのとでは捜査の方法も大きく変わる。
「先生方に話は通しておこう。それと……」
「はい。情報は守ります」私は頷いた。
これで教師を中心に、学園の情報を得られやすくなる。必要になるかどうかはまだわからないが、捜査を円滑に進められる状況を作っておいて損はない。さらに、解決に必要と証明できれば、通常なら学園生が知ることのできない情報を与えるという約束も、正式な依頼に含まれるのである。
その情報は私にだけ与えられるものだから、七園舞華について調べている彼らに情報源を伝えることはできない。だが、報告をする上で問題はないだろう。
正式な依頼を受けて学園長室を後にした私は、次の人物を探していた。竹水千花に関する情報は昼休みのうちに軽く調べておいたが、七園舞華以上に情報がなかった。ならば当初の予定通り、一昨日、昨日と接触できなかった人物と話をするのを優先したい。
二年C組の神丘凪。この二日は彼女の行動が読めずに、学園内での接触に失敗したのだが、今日は違う。他の予定は全て終わらせた。新たな予定もない。
「……ねえ」
鉈鉱市の北に広がる神丘。その丘の上に建つ神丘神社で待ち構えれば、自宅であるそこに彼女は必ず戻ってくる。そのためには、今すぐに行動して先に到着せねばならない。
「聞いてる?」
「すまないが、急ぎの用事が……」
玄関で声をかけてきた少女の声に、振り向いて答える。声の主は、身長低めのロングストレートの少女。河中澄の幼馴染みとして、何度か隣にいるのを見かけたその姿。
「私にでしょう? 探偵さん」
「ああ。澄から聞いたのか?」
頷きが返ってくる。続けて言葉がすらすらと。
「鳥のイヤリングの女性については、私も調べているけど情報はない。以上。それじゃ、さようなら」
「ふむ、そうか」
仕草や表情、声色からも嘘をついている様子はない。そのままさっさと帰ろうとする彼女に、こちらから質問する。
「それだけのために、待っていてくれたのか?」
「くと」
「うん?」
呟きの意味がわからず、何かの暗号かと考える。探偵としての私を試しているのかもしれない。しかし二文字の暗号で、手掛かりもないというのは相当高難度だ。
「呪いっぽいものをかけた。これであなたの居場所は大体把握できる」
「呪い?」
「っぽいもの。聞かれたことに対する答え。私の用件はすみました」
今度は止める間もなく、凪は去っていった。つまり今の行為の意味は、聞かれなかったら答えなかったということになる。呪いっぽいものとやらが真実かどうかは別にして、少なくとも彼女は今後も私に接触するつもりがあるということらしい。
ならば、鳥のイヤリングの女性に関しては、私から積極的に動く必要はないだろう。失踪事件を調べる際に、情報を得たら記録しておけば交換材料としては十分だ。
これが、私と神丘凪との初めての会話であった。
第二章 鳥のイヤリング
土曜日の朝。光が薄い時間から、私は神丘神社の丘を下り、鉈鉱市の心臓にいた。地下を走る鉄の長方形が、またこの地に停止する。鉈鉱市鉈振町、鉈鉱市営地下鉄道の駅前。さらに北には神丘と私の家がある。鉈鉱市の中心街の名に恥じない、人を探すには絶好の地である。
鳥のイヤリングの女性は二人いた。声もかけた。しかし、どちらも普通の人だった。けれどほんの少しだけ、同じ鳥のイヤリングの者として普通より噂には詳しかった。
気配の薄い長身の女性。ミステリアスな雰囲気の占い師。街で見かけるのは稀。
この三つが、日が高く昇る時間まで調べて得られた情報である。十数人の鳥のイヤリングの女性に声をかけて、やっと得られた情報だ。どうやら、鳥のイヤリングをしていると、話を知っている者に声をかけられることがたまにあるのだとか。
「ハンバーガーに、チーズバーガー二つ。それとバニラシェーキ。以上」
五月の陽射しでも、長い時を外で過ごせば体力も消耗し、お腹も空く。ちょうど駅前にはすぐに料理が出てくる、便利な店がある。ご一緒にお勧めされるじゃがいも揚げはお断り。ハンバーガーとチーズバーガー一つ、シェーキをお店で頂いて、残る一つはお持ち帰り。これで午後に調べて体力を失い、小腹が空いても心配無用。
鳥のイヤリングをつけて、長身で、ミステリアスな雰囲気。探してみるが、視界に入った者でそれに当てはまる人間はいない。
何人かに声をかけてみた。女性だけでなく、男性にも。余計な勘違いをされることも覚悟の上だったが、私が呪いと口にすると去っていく者が多くて助かった。乗ってきた者には、また別の意味で噂を聞けてありがたかった。真の呪いは、そういったオカルト情報に紛れている可能性が最も高いのだ。
チーズバーガーを口にして、ぼんやりと街行く人々を眺める。私の通う学園も、ここ鉈振町にある。この地に暮らす生徒も多く、寮もあり、今日は休日。制服を脱いだ学園生の姿を見かけることも少なくなく、特に注意を払う相手はいなかった。
幼馴染みが恋人と仲睦まじく歩いていたのも、真剣な表情で街を歩く少女も、最初に見かけたときは何も気になるところはなかった。
しかし、真剣な表情の少女は、次に見たときにも真剣な表情をしていた。さらに次に見たときにも、その顔は変わらなかった。私と同様、街で何かをしている仲間らしい。
追いかけてみよう。そう思ったのは、長き調査に疲れ観察に飽きたからである。
始めから、今日だけで全てがわかるとは考えていなかった。情報を耳に入れてからの初めての休日に、時間をかけて調査したとはいえ、たった一日。それだけで鳥のイヤリングの女性に出会えるなら、噂が広まる前にどこかで正体が判明しているはずなのだ。
まばらな人に紛れて、距離をとって尾行しながら考える。鉈鉱市は所詮人口十万人の小さな市。利用者の多い地下鉄駅前だろうと、ごみのように人は現れない。
噂だけが広がり、その中には容姿の情報が含まれているにもかかわらず、具体的な情報はほとんどないという不思議な状況。街に現れるのは稀なのに、こちらの情報はそれ以上に共有されていた。そこから考えられる可能性はいくつかあるが……。
人の数も減ってきたので、まじないをかけて気配を消しておく。
やはり有力な可能性としては、本人が噂を流しているというもの。噂を調べている者に接触するのか、関係なく接触して噂を利用して「あの噂の?」と手間を省いているのか。
前者だったらいいなと思いながら、追いかける少女は路地裏を抜けて、小さな空間に到着していた。そこで待っていたのは一人の女性。こんなところでする話は、秘密の話に違いない。「くと」
念には念を入れて、六言呪法の一言『くと』を唱えて、完璧に気配を消す。所詮は素人の気配消しに過ぎない最初のまじないと違い、相応の力を使うけれど、それだけの価値はある。
彼女も、真の呪いに至る重要な存在。かの探偵と同じく、私の勘がそう告げていた。
第三話 神丘凪
「遠く遠く軽やかに! おっもい一撃、ホシノ☆エモーション!」
可憐な必殺技が奥で守りを固めていた、ボスに炸裂!
「……ふう」
思層空間を抜けて、大きく息をつく。やっぱり何かがおかしい。さすがに三日連続にはなかったけれど、木曜日に一つ。そして土曜日の今日は、これで三つ目。規模としては大きなものはなかったけれど、普通ならこんなに続くはずがないもの。
私は現実空間に戻ってすぐ、組織特製の無線機を取り出して師匠に連絡する。この状況はやっぱり一度報告して、組織が何かを知っていないか確かめないとね。
見た目は小型の携帯電話みたいなものだけど、通信傍受への対策や音質の差が凄いらしい組織の無線機。通常なら組織の外にいる私が持てるものではないけど、私もまた凄いのだ。
「師匠。お話したいことがあります!」
「何かあった? それと、師匠はやめてって何度も言ったでしょう?」
「でも、師匠は師匠です。私に戦い方を教えてくれたのは、久怜奈さんですから!」
「そんなに偉いものじゃないわよ。まあ、それはそれとして。場所を指定するわ」
指定された場所を記憶して、返事をしてすぐにその場所に向かう。路地裏の先の微かに開けた場所に、師匠の道久怜奈さんは待っていた。
「師匠ー」
細身で長身で美人の師匠。会うのは春休み以来だけど、今日も綺麗で憧れである。やっぱり困ったような顔をしているので、残念だけど今は師匠と呼ぶのを控えよう。
「お話したいことって?」
「はい。最近、思層空間で戦うことが多くて……何か知りませんか?」
私は久怜奈さんに今日までに発生した、全ての思層空間についての詳細を報告。師匠の表情は変わらないままだったけど、これはいつものことなので私は待つ。
「組織は忙しく動いてるわ。けれど、鉈鉱市に待機している私は暇よ。ただ、そうね。志狼なら何かを知っているかもしれないから、聞いてみましょうか」
「お願いします」
ここ鉈鉱市にいる組織の人は、久怜奈さんともう一人。羽倉志狼っていう男の人が、一年前から定住している。年齢は久怜奈さんが二十三歳、志狼さんが二十七歳と年上だけど、組織所属期間では師匠が大先輩。鉈鉱市の滞在期間でも師匠が先輩。
「志狼。少しいいかしら?」
「はい! 何ですか、道先輩? ひょっとして、組織から連絡でも!」
「別件よ。星乃から話を聞いたの」
「ああ……で、何ですか?」
露骨に落胆した様子の、無線機の先からの声。この人のことはよく知らないけど、組織の人としてはある意味で忠実な人間みたいね。
「なるほど。俺の方でも、思層空間の発生はいくつか察知してましたが、大きな動きとは無関係の発生のようでしたから、あまり詳しくは調べてないですね」
「そう。相変わらず、無駄にアンテナを張っているのね」
「使命感、とでも言ってもらえませんか?」
「だそうよ」
久怜奈さんは無言で通信を切って、私に声をかけた。
「久怜奈さんはどう思います? 今回の件、偶然なんでしょうか」
「そうね……発生場所と規模を考えると、偶然の可能性は十分にあると思うわ。大規模な思層空間は火曜日に発生しただけなのでしょう?」
「はい。鉈鉱市で大勢の感情を揺さぶるような出来事も起こってないです」
思層空間は強い感情などをきっかけに生まれるもの。だから、大きな事件や事故が起これば思層空間が頻発する可能性も高くなる。あるいは、コンサートなども影響は大きいけれど、ここ数日の鉈鉱ドームでは大きなイベントは開催されていないし、オリンピックのテレビ中継なんかも当然ない。
「それじゃ、また何かあったらいつでも連絡を頂戴。組織の活動とは無関係でも、あなたの頼みなら多少は手伝わせてもらうわ」
最後に久怜奈さんは微笑んでくれた。やっぱり師匠は優しい人だ。
「はい。もしものときは、師匠を頼らせてもらいますね!」
師匠という言葉に、やっぱり困った顔を見せる久怜奈さん。師匠は師匠だから師匠と呼びたいのだけど、久怜奈さんを困らせるのは師匠を困らせることだから、我慢しよう。
先に路地裏から帰っていった久怜奈さんを笑顔で見送って、少ししてから私も移動する。
「……ん?」
そこでふと、気付く。また思層空間が発生したのかと思ったけど、これは人の気配だ。気になったのは、感じた気配はすごく近く――私たちの会話が聞こえるような距離だったこと。
「こんにちは」
気配を感じた方向に振り向くと、物陰から一人の女の子が出てきた。背が低いから一瞬子供が迷い込んだのかと思ったけど、そんなはずはないね。どことなく見覚えがある顔と、しなやかそうな黒い髪。同じ学園の、女の子?
「私は神丘凪。話は聞かせてもらいました」
「神丘神社の?」
凪ちゃんはこくりとうなずいた。確か二年C組の、神丘神社の一人娘。学園全体での知名度は知らないけど、少なくとも二年生なら名前くらいは大半が知っている女の子ね。
それより、今この子は大事な言葉を口にしたよ!
「どこから?」
「全部。暇つぶしに盗み聞きしてました」
「暇つぶしにしては、随分と上手な気配の消し方ね」
そうは言ってみるけど、強い不信感はない。盗み聞きだけが目的なら、最後まで気配を消してこっそり逃げればいいんだもの。なのに凪ちゃんは、わざわざ姿を現した。それも久怜奈さんがいなくなるのを待ってから。
「私への接触も、暇つぶし?」
「いえ。星乃さんでしたよね?」
「佐々木星乃。D組よ」
「あなたの話は非常に興味深い。私が求める情報も得られるかもしれない。だから、こうして面識を作っておきました」
まっすぐに私の顔を見て、凪ちゃんは言った。思層空間について知っているわけじゃなさそうだけど、それならこちらからも一つ提案させてもらうね。
「凪ちゃんの目的は?」
「唯一無二の真の呪いを探して求めています」
「呪い、かあ」
「真の」
どうやらそこが重要らしい。ともかく、彼女も色々と情報には詳しそうだ。
「当然、無条件で情報提供して、ってことじゃないよね?」
「気になる情報があれば、もちろんこちらからも」
思層空間の頻発については、原因が全くわからない。なら、彼女にも協力してもらうと助かるよね。その前に、色々話さないといけないこともありそうだけど、これはまた今度にしてもらおうかな?
「全部聞いていたなら知っての通り、私、結構疲れてるの。明日、詳しいお話できる?」
「無論です。では、神社に来てもらえますか? その方が、色々と都合が良いので」
「ええ。じゃあそうするね」
それから私と凪ちゃんは、話をする詳しい時間を決めてから別れた。明日、日曜日の午後二時過ぎ。神丘神社の境内で、女の子二人の待ち合わせだ。
三つの失踪
四 葉桜の宿
学園から東へ向かい、しばらくすると急な流れの――日本の川としては一般的な――鉱採川に突き当たる。そこで鉈振町を象徴する多くの建物は途切れ、木々の自然に囲まれた川向こうに広がるのが、鉈鉱市葉桜町である。
北西から南西を海に囲まれた葉桜町は、温泉街として有名な土地だ。その地に古くからある温泉宿の一つ、葉桜の宿。私の暮らす家に帰宅して、明日からの休日の動きを考える。
失踪した学園生は二人。失踪に関連する手掛かりは僅か。次に調べるべきは、失踪する前の普段の様子であるが、これらは休日に調べるには効率が悪い。かといって手掛かりの少ない状況では、どう動くのが効率的か判断が難しい。
とりあえず、考えを深めるなら場所は一つと決まっている。まずはそこに移動しよう。
「あ、帰ってきた。おかえり」
玄関の扉を開ける音に気付いたのか、居間から廊下に妹の霧鈴が顔を出す。小さくて可愛いと評判の妹である。妹も神丘学園の一年生で、部活にも所属しているが、調査で忙しい日はいつも私が遅れて帰宅する。なおクラスは一年A組。竹水千花の情報は噂を知るのみで、名前さえも知らなかった。両親は、この時間なら宿の仕事をしているだろう。
「ただいま。私は出で湯を利用するが、霧鈴もどうだ?」
「遠慮しとく。邪魔もしないから」
「ふむ。了解した」
邪魔もしなければ、協力もしない。妹のいつもと変わらぬ返事を受け取り、私は服を脱いで出で湯に向かう。入りたいときにいつでも出で湯に入れるのは、温泉宿の子として生まれた恩恵の一つだ。そしてこの出で湯に入るとき、私の頭脳は冴え返る。
私にとって、葉桜の宿の温泉はただの温泉ではない。だからこそ敬意と愛情を込めて、出で湯と呼称することにしている。
美しく色付いた出で湯に浸かり、再び思考を巡らせる。さすがにこの手掛かりでは、失踪事件の解決まで推理を到達させることはできなかったが、捜査方針を決めるには有効だ。
学園の外、鉈振町であらゆる不思議な情報を探る。
他にも様々な方針は考えられたが、最終的にこの方向で捜査を進めるのが一番であると私の頭脳は判断した。情報不足の現状では、セオリーとも呼べる方針ではあるが、どんな事件でも常にそのセオリーが正しいとは限らない。今回のように奇怪な事件においては、捜査方針には特に注意を払うべきなのである。
この結論に私の頭脳が至った以上、今回の連続失踪事件は単なる平凡な家出ではないということになる。興味深いこの事件の裏に、果たして何が潜んでいるのか。
このとき、私は既に重要な手掛かりの一端を目にしてはいたのだが、私がそれを手掛かりと知るためには、二日後の日曜日を待たねばならなかった。こればかりは、当時の私の推理力の及ばぬ範囲であるがゆえ、自力で到達できなかったのは悔やまれる点である。
第三章 巫女とカードと探偵と
白と赤の聖域を浄化する装束に身を包み、神なる丘に守られし聖域で、本日やってくる二人の来客を待つ。一人は土曜日に約束し、もう一人は昼前に動いてのちに来るようにと伝えておいた。『くと』により大体の居場所を把握して、最短距離で捉まえれば簡単なこと。
無論、二人に二人を呼んだことは伝えていない。とてもなだらかな丘を胸に抱く少女とはあれ以降の接触はないし、うら若き探偵少年には、場所と時間を伝えたのみだ。
しかし、なだらか丘は約束を破らない。うら若きはこの機会を逃さない。そしてこちらにも急がねばならない事情がある。彼の居場所を探る『くと』の力は今夜の月が出る前には消えてしまう。本来、予定外であったのはなだらか丘の方なのだ。
はらはらと舞い落ちる桜の花びらを、ほうきという名の巫女道具で浄化する。時計はないが空に浮かぶ熱源を見れば、大体の時は把握できる。もうそろそろ、なだらかな丘が神丘に到着し、ここ丘の上に建つ神丘神社に姿を現すはずだ。
「こんにちは、凪ちゃん。少し早かった?」
「時計がないから数分の把握は不能」
私が把握できる時は大体のもの。細かい時間など、平時から気にするものではない。
「しかし、迷惑な時間ではない」
暇をつぶすための掃除をする手を止めて、そのあたりにほうきを立てかけて準備が整っていることを伝える。探偵の気配は感じないが、目の前の少女との話もすぐには終わらない。
「巫女服、可愛いね。巫女が呪いって、変な感じがするけど?」
笑顔で楽しげに会話が始まったが、鳥居一つぶんの距離から伝わる慎重な心。こっちの話をする前に、まずはあなたの話を聞かせてくれる? という回りくどい尋ね方だ。
私は答えるのを少し待つ。呪術により張っておいた結界に、探偵が侵入した。さすがの探索能力と言うべきか、風下にいる彼にも話は耳に入ることだろう。なだらか丘が気付いているのかいないのか、今出てこられると話はややこしくなるので盗聴を許そう。
「巫女だからこそ、呪いには普通の人より縁があるのです。しかし、真の呪いは唯一無二。私が知るのは呪いっぽいものや呪術的なまじない程度。そもそも、我が神社に祀られるナタフヒメ様は……さて」
「どうしたの?」
首を傾げるなだらか丘に、私は風下を見て言葉を続ける。
「貧乳は感度がいいと巷では噂ですが」
風下の彼に猶予を与える前置きを。逃げる気配は、感じられない。
「私より遥かに胸が小さいあなたなら、気付いていますか?」
「凪ちゃんは、普通だよね?」
「普通……」
じっとなだらかな丘を視界の中心に。確かに私の持つ膨らみは、なだらかではない。言葉通り、程々に膨らんでいる。しかしそれを普通と呼んだ場合、目の前の丘は……。
「まあ、法一くんなら聞かれてもいいかなーって。こそこそ隠れているのも、何か事情があるように思うもの。盗み聞きって、あまりフェアじゃないでしょ?」
なだらか丘はなだらかであることを気にしない人のようだ。これで心置きなく貧乳と呼べるのはありがたい。この呼称は的確なのに、女の性を持つ者には抵抗者が多いのだ。
「ふむ。やはり気付かれていたか。それより、凪。今日この時間に、星乃も来るということを知っていて、私も呼んだ理由は?」
私が呼びかける前に、探偵が自らその姿を現してくれた。探偵の質問に返す答えは、今考えたことをそのまま口にしてみよう。
「それを推理できないなら、今すぐ帰って」
「私と彼女、双方に話がある。場所と時間を揃えたのは、何らかの事情で会話の予定が狂ったため、その方が都合がいいと判断した――現状の情報で推理できるのは、ここまでだ」
「ということで、私が呼びました」
今度はなだらか丘に、言葉を向ける。探偵の方には、微笑みでも返せば鉈鉱市民なら理解してくれるだろう。
「私としては、言ってもらえると助かったんだけど、結局やることは同じね。ちょっと予定とは順序が逆だけど、私から先に話をするね」
「お願いします」
「私はどちらでも構わない」
私と探偵の承諾を得て、なだらか丘が話し始めた。ちなみに三人の位置関係は、探偵が加わり綺麗な三角関係となった。
「法一くんには前にも見せた、このカード。凪ちゃんは、初めて見るよね?」
私は花札でないことを確認して、頷く。単純な花の絵柄という構図は似ているが、新種の花札でもないと思う。
「このカードは思層空間で使えるカード。思層空間の名前、法一くんは初めて聞くよね?」
今度は探偵がゆっくりと頷いた。続いてなだらか丘が、小さく頷く。
「じゃあ、始めるね。まず思層空間がどういうものか、それからこのカードについて。にわかには信じられないかもしれないけど、必要なら質問は受け付けるから」
私と探偵が頷き、話は始まった。
「思層空間は強い感情などをきっかけに生まれる、現実とは異なる空間。放置しておくと、生み出した本人や周囲の人に悪影響を与えるの。結果、仲違いや争いが起きて、大きいものでは戦争にまで発展する。だから誰かが対処しなくちゃいけなくて、それを防ぐ組織が思層統制組織――通称STS。私は属していないんだけど、お父さんとお母さんが所属していたの。STSがなければ、世界大戦は十度起きていたとも言われるほど、裏の世界では有名な組織よ。
と、その話は余計に長くなるし、私もそんなに詳しくないから、また今度ね。
それでね、その思層空間に入って、暴走を止める方法は一つ。中にいるボスを倒して、思層空間を破壊するの。病原体を直接攻撃して治療する、手術みたいなものね。ただ、思層空間は生み出した本人の空間。通常の攻撃に効果はないわ。
――そこで、このカード。思層空間を生み出す力と、同じ力で生まれたカードなの。どれだけ大きな思層空間でも、力の源そのものが持つルールは変えられない。だから、カードの力を使えば思層空間を破壊できるってわけね」
なだらか丘のカードバトル少女は、そこで言葉を区切った。私が質問するまでもなく、探偵がなだらカードに質問をする。
「組織の外で君が動いているということは、この街には組織の者はいないのか?」
「師匠と志狼さんの二人いるよ。でもね、組織が対応するのは基本的に、何万何十万もの人命が失われたり、自然や土地が失われたりといった、大規模な影響に繋がるような思層空間だけなの。小さな思層空間が発生して起きるような、小さな事件には対処しない。ほんの数人や数十人が死ぬ程度の、ね。
それもそれで大事なことだって、ちゃんとわかってる。だけど、私はその道は選べなかったから、組織にとっては小さな思層空間に一人で対処しているの」
「組織的な大犯罪には全力で対処するが、小さな市で起こるような事件には対処しない、といったところか。とても共感できる活動だな」
なだらか丘は鉈鉱市民の命を守る、ヒーロー少女だったらしい。探偵の言葉に微笑みを見せたなだらかヒーローは、話は終わりとばかりに視線で私を促した。
「今話せるのは、そこまで?」
「そうね。私に守秘義務はないけど、あなたたちとの信頼もない」
「そう。なら、私の話をする。といっても、唯一無二の真の呪いを探して求めている――これ以上のことは特にないのだけど、二人にかけた『くと』については説明しておく」
なだらかヒーローが信頼というのであれば、この知識は話しておくのがいいと思う。
「呪いっぽいものを独自に組み合わせて、体系化した私の呪い――六言呪法の一言。効率的に力を変換し、最大限の力を発揮する、非常に優れた呪い。他は、口にしても私にしか使えないから問題はないけれど……」
探偵が何かを聞きたそうだったので、柔らかい視線で問いを促す。
「その呪いでは、どこまでのことができる?」
「正式な儀式を行えば、人も殺せる。でも、呪いは本人の力を超常の力に変換するもの。力を使い尽くして行った者も死ぬ。私の六言呪法でも、それは変わらない」
探偵は頷いて、私に続きを促した。
「六言はくと、りゅりり、るむむる、しゅいーい、ゆりゆりゆ、とっふぁっせーりぇー。もちろん今のように、ただ口にしただけでは効果はない。ともかく、法一さんと星乃さん。お二人に使った力は、最小のもの。こうしてお話をするために使っただけで、害を与えるつもりはなかったし、今もない。だから、真の呪いに関する情報を得ることがあれば教えてほしい。鳥のイヤリングの女性も、関する情報の一つ」
「ふむ」
「情報交換なら、歓迎ね」
探偵となだらかヒーローが同時に反応する。なだらかヒーローの言葉に、探偵も同意するように言葉を続けた。
「私もそれなら、依存はない。ところで、星乃が求める情報は?」
「あ、言ってなかったね」
なだらかヒーローは前に私が聞いた内容――思層空間の発生が頻発していること――を探偵に伝えた。それが不自然な状況であることを、少女が付け加える前に少年は理解する。
「さて、私が調べている事件については、噂くらいは知っていると思うが……情報交換であるなら、共有すべき情報は伝えておこう」
言って、探偵は失踪した学園生の名前、学年とクラス、所属する部活動、その他様々な基本情報を教えてくれた。調べようと思えば学園生なら誰でも知れる情報だけど、それを手帳も開かずにすらすらと言えるのはまさに探偵らしい。
あいにくと、寮生やスキー部に親しい知り合いはいない。それはなだらかヒーローも同様らしく、手帳にいくつかの情報を記録するだけで何も言葉は返さなかった。
私も巫女装束の裏から紙と筆のようなペンを取り出して、名前やクラスなど重要そうな情報を記録する。真の呪いを調べる過程で、情報を耳にしたら記録し覚えておこう。
「では、本日はありがとう。助かりました」
私が感謝の言葉を述べると、探偵も呼応する。
「こちらこそ、情報提供に感謝するよ」
「私はほとんど提供した側だけど、また機会があると嬉しいね」
なだらかヒーローは曖昧な笑みを浮かべていた。しかし、付け加えられた言葉から、情報交換に関しては彼女が一番前向きに感じられる。おそらく情報を収集する能力には、それほど長けてはいないのだろう。
境内の鳥居の前で、二人を見送る。なだらかヒーローと探偵は少々の距離を保ちつつ、並んで緩やかな階段を下りていく。真の呪いに至るのは、まだ遠そうだ。
三つの失踪
五 三人目の失踪者
私がその情報を知ったのは、明けて月曜日の二時間目が終わった頃だった。二年A組の男子生徒が無断欠席。同学年であり、クラスも隣。私の耳に情報が入るのは早かった。名は双田草二という学園生で、面識はない。帰宅部で成績その他に特筆すべき点もない。
現時点では体調不良などにより、欠席の連絡が遅れているだけの可能性も高いが、その可能性は放課後になればほとんど消えるだろう。そしてその時点で、彼も新たな失踪者であると推定して、私は捜査を開始することに決めていた。
状況としては、七園舞華とは違うが、竹水千花とは類似している。彼女たちの調査をするついでに、彼についても調べておけば何らかの共通点を見出せるかもしれない。
そして放課後、予定通りに私は捜査を開始する。学年は三年、一年、二年とばらばら。性別も女子が二人から、男子が一人。部活やその他、これといった共通点はない。三人とも鉈鉱市の生まれというのは、一応共通してはいるが手掛かりとしては弱い。
個人について尋ねる中、清吉を通してスキー部を中心にあたる。七園舞華は学園内での知名度もあり、寮生や彼女に注目する彼らから一定の情報は得られている。
箱入り娘のお嬢様。綺麗な容姿で優等生だが、恋人はなし。高嶺の花として男子が動かないとも、彼女が断り続けているとも言われているが、真相は不明。しかし、学年をまたいで注目している男子たちは前者であることは事実と思われる。
彼女と違い、竹水千花の情報は少ない。清吉も同じスキー部として顔や名前は知っているのだが、学年も違い性別も違う相手だ。同じ部活でも普通はすぐに親しくならない。
「こんちはー。おーい、龍太先生ー」
スキー部の今日の練習場所に着いて、清吉がまず顧問の先生に声をかける。引き締まった筋肉の体育教師で、スキー部顧問の松本龍太。二十四歳と若く、かつてのスキー経験から志願してスキー部の顧問を前任から引き継いだと聞いている。
「どうしたんだ、清吉? ええと……入部希望、ではないみたいだね」
私の姿を目に留めた松本先生に、私は深々と礼をして名乗りと事情を説明する。
「二年B組の土井法一です。本日はスキー部の竹水千花さんのことについて、部員の方々に話を聞きにきました。よろしいでしょうか?」
あえて失踪とは口にせずに、周囲にいた他の生徒たちを見回す。やや驚いた表情が多く見受けられるが、迷惑そうな表情をしている者は一人もいない。反応を窺うに、彼女の欠席を心配している者は少なくないと見てもいいだろう。
それは無論、視線を戻した顧問の教師も同様。真剣な表情で小さく頷き、周囲にいた何人かの生徒に声をかけていた。おそらく、竹水千花と親しい者たちであろう。
「千花のこと、調べてるんですよね先輩?」
「私たちの可愛い後輩を誘拐するなんて、犯人の手掛かりは?」
「……練習したいから、早めに済ませてもらえます?」
協力の度合いには違いがあるようだが、顧問の呼びかけを無視しない時点で、話を聞くには十分だ。見たところ、やはり下級生が多いようだが、二年三年の女子も何人かいる。
集まったスキー部員の学園生に、早速質問をする。
「竹水千花の、部活での様子は?」
「普通でしたよ」同学年の女子が答えた。
「部活内での人間関係に、問題は?」松本先生を見て尋ねる。
「うちは運動部だけど、上下関係は厳しくないからね。僕が見たところでは、仲良くやっているように見えたけど」松本先生は二年と三年の女子に視線を向ける。「……どうかな?」
「可愛がってましたよ」
「もちろん、普通にそのままの意味で!」
「……千花も、嫌がってはいなかったです」
先輩二人の言葉に、後輩が付け加える。スキー部の雰囲気については清吉から聞く話とも一致する。
「他に何か気になることは?」
「ええと……」
「んー」
私の質問に、何人かの女子が曖昧な答えを返す。知っているが話せないといった様子だが、彼女たちの視線は顧問の松本先生をちらちらと見ている。
「なるほど。貴重な情報提供、感謝します」
「お、もう帰るのかー!」
少し離れたところで準備体操をしている清吉を尻目に、私はスキー部の練習場所から離れる。校舎の角を曲がり、グラウンドが視界に入る。私はそこで足を止め、校舎の壁を背にしばらく待つことにした。
少しして、駆け足の足音が聞こえてくる。経過した時間を考えると、本格的な練習が始まってから隙を見てやってきた、といったところだろう。
「ちょっといい? というかもしかして、待ってた?」
「ああ。それで?」
駆けてきたのは二年生の女子が一人と、やや遅れて一年の女子が二人。練習中であちらも急ぐだろうと、私は余計な前置きはせずに尋ねる。
「千花ちゃん、松本先生と妙に仲がいいの」
答えたのは二年生の女子。付き添いらしい一年生も、同意するように小さく頷く。
「竹水千花が好意を?」
「うん。でも松本先生もまんざらじゃなさそうで、ちょっと噂になってたの」
「本人には?」
付き添っている一年生に尋ねる。こういう話は、同学年の方が尋ねる機会も多いだろう。
「聞きましたよー。でも、付き合ってないって言ってました」
「私も聞きました。……それより先輩、練習を」
「あはは、そうだねー。そんじゃ!」
「ありがとう」
後輩に急かされて駆け出した背中に、短い言葉で改めて感謝の言葉を述べる。
これは、また日を改めて松本先生にも話を聞いた方が良さそうだ。清吉の話では、スキー部の休みは水曜日。部活中では聞きにくい話であるし、その日を待つとしよう。
その後、三人目の双田草二も含めて情報を調べたが、彼に関して得られた情報は多くはなかった。明るい性格の男子で、思春期の男子らしくえっちなことには興味津々。とはいえ過剰なものではなく、それが原因で女子から嫌われているということもない。
人間関係にも気になるものはなく、恋人もなし。今日一日調べた限りでは、ごく一般の男子生徒といった印象だった。七園舞華や竹水千花との接点も、現時点では見つからない。
竹水千花は明後日に詳しく調べるとして、明日は七園舞華と双田草二について詳しく聞き込みをすることにしよう。見えない関係性がまだ存在するかもしれない。
その結果をここに記すと、二人に関して有力な情報は得られなかった。彼らにも話を聞いたのだが、私が先週調べた情報が補強されるのみで、新たな情報は出てこなかった。捜査の難航に彼らからも、「七園先輩を見つけてください」「舞華様をお願いします」と委任され、私が承諾したくらいである。
人数を活かして調べても新たな情報が見つからない以上、今回の事件が特異な事件であることはもう疑いようはなかった。
第四話 平和な学園生活
今日も平和だなあ、と私は呑気に構えていた。今日は火曜日。学園は昼休み。日曜日から三日間、思層空間の発生は察知していない。先週の頻発は、今週の分もまとめて発生しただけなんだろうか? そう思うくらいの平和な今日である。
でも、まだ油断はできないね。法一くんが調べている学園生の連続失踪事件も、三人目の失踪者という新たな展開があったらしい。私は平和でも、学園は平和じゃない。
廊下を抜けて、校舎の裏のちょっとした裏庭のような場所へ。持ってきたお弁当の蓋を開けて、一人でゆっくりとお昼の時間。あまり人の来ないこの場所なら、いざというときに動きやすいし、何よりここは景色と空気が最高だ。数本の樹と、遠くに見える神丘。一般の学園生はなかなか気付かない、神丘学園の穴場ね。
そんな穴場で栄養豊富なお昼を食べていると、誰かの足音が聞こえてきた。ここに初めて来る一年生か、それとも前から知ってる私の仲間か、どっちだろう?
果たして、私の視界に現れたのはどっちでもない長身の女性だった。学園の先生かと思ったけれど見覚えがないし、先生にしては若すぎると思う。教育実習生もいなかったよね。身長以外の特徴といえば、左耳に見える鳥のイヤリング。
「……ん?」
口に運んだご飯を咀嚼してから、ふと思い出す。そういえば、凪ちゃんが探してる女性も鳥のイヤリングの女性だ。あとで詳しく聞いた、特徴とも一致するね。雰囲気はミステリアスだし、気配も察知できるけどかなり薄い。
彼女は私の方を見ると、ほんの少しだけ頬を緩ませた。そのままこっちの方向に歩いてくるけど、歩く場所はベンチに対して直角。私の前を横切って、まっすぐに歩いていく。
「こんにちは」
とりあえず、声をかけないとね。凪ちゃんのこともあるけど、そうじゃなくても見覚えのない女性が学園の敷地内を歩いている。不審者かもしれないから、確認しなくちゃ。
「ふふ、こんにちは」
鳥のイヤリングの女性は足を止めて、私に笑顔を向けた。不審な様子はないね。不思議な様子はあるけれど。
「不審者ですか?」
こういうときは単刀直入が一番ね。失礼かもしれないけど、不審な人じゃないならきっと冷静に対処するはず。不審者と問われて慌てるような、やましいところがないんだもの。
「ええ。そう言えるかしら」鳥のイヤリングの女性は笑って認めた。「私はこの学園に許可なく侵入した、一人の占い師。ただ、悪意はないから先生には黙っておいてもらえる? その代わりに、ちょっとした『おまじない』を教えてあげましょう」
怪しい言葉だけど、私を騙そうとするような気配は感じないね。思層空間で何度も戦った私は、そういうことには敏感なのだ。そうじゃないと、罠に引っかかって負けちゃうもの。
「おまじない?」
「そう。あなたの願いを叶える、おまじない。悩み、あるんじゃないかしら?」
「はい。でも、きっと無理ですよ」
どんなに優秀なおまじないでも、思層空間に対処するにはカードの力がないとね。
「あら、調べさせてもらえる?」
鳥のイヤリングの女性は私を見つめて、真剣な表情をみせた。ほんの一瞬、私でも集中していないと見逃すくらいの、僅かな変化ね。
「……そうね、無理ではないけれど……今はちょっと、難しいかしら」
すぐに戻った笑顔で、彼女は言った。
「私は大鳥小鳥。もしものときは、この名で探してちょうだい?」
それだけ言うと、彼女は鳥のイヤリングを揺らしてこの場を去っていった。向かう先を確かめようかとも思ったけど、お弁当はまだ六割。それに多分、角を曲がったところで姿は隠して消えている。何となくそんな気がして、私はお弁当の四割を口に運んでいった。
第四章 大鳥小鳥
大鳥小鳥と名乗った鳥のイヤリングの女性。なだらかヒーローから貴重な情報が伝えられたのは、火曜日の放課後のこと。昼休みに遭遇したという、学園の裏に広がる美しい庭に訪れてみたが、もちろん鳥のイヤリングの女性の姿はない。
名乗った「大鳥小鳥」という名前は、占い師としての別の名前だと思う。けれど、それが本名であろうとなかろうと、私にとって重要となるのは別にある。
彼女の口にした『おまじない』こそが、私の求める重要な情報なのだ。
本当に単なるおまじないなのか、唯一無二の真の呪いなのか、これは是非とも本人に確かめなくてはいけない。大鳥小鳥の名を利用すれば接触できないかと考えたけれど、おそらくその名そのものには意味がないと思う。あくまでも彼女から接触した相手が、再び彼女に会うための合言葉として、鳥のイヤリングは大鳥小鳥の名を告げたはずだ。呪いっぽいものを使えれば、誰でもそれくらいのことは簡単にできる。
そういった呪いを使ってくれれば私からも探りやすいけど、接触を急がないのであれば、呪いを使うまでもなく合言葉は機能する。遅くとも、鳥にその気がある間は。
ならば今の私にできることは何か。積極的に動くべき機会が来るのを待つ。それが無難であり最善な選択だ。鳥のためらいは、彼女が現在何らかの物事に忙しいことを示している。そちらに何らかの変化があるのを、今は静かに待つとしよう。
鳥がなだらかヒーローに告げた言葉には、時間が経てば問題はないという意味も隠さずに含まれていたのだから。
三つの失踪
六 松本龍太
水曜日。私は放課後の職員室を訪れ、松本龍太先生に詳しい話を聞くため待っていた。スキー部としての活動はなくとも、教師としての活動はある。待機時間は数十分であった。
「やあ、待たせたね。僕に詳しい話を聞きたいって聞いたけど……」
「はい。ともかく、場所を移動しましょう」
尋ねる内容を考えると、職員室の前で詳しい話はできない。私たちは廊下を抜けて、校舎の外へ、人の少ない校舎の側面で話を始めた。
「捜査に進展はあったのかな?」
「いいえ」
「だから、千花ちゃんについて僕に聞きにきたと」
「そうですね。松本先生は、部員の女子は基本的に名前で?」
「うん」松本先生は頷いた。「スキー部の部員は、男子も女子も名前で呼んでいるよ。さすがに、一般の生徒まではそうじゃないけれど」
松本先生は清吉のことも名前で呼んでいた。月曜日に近くの部員を呼んだ際も、女子を名前で呼んでいた。だが、その全てが呼び捨てだったと記憶している。
「千花ちゃん、というのは?」
私の指摘に、松本先生は一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、ややあって私の言葉の意味を理解したのか、笑顔で答えた。
「今なら人もいないし、気を抜いてもいいかと思ってね。君の聞きたいことっていうのは……」
「松本先生が、竹水千花と仲が良い――という話を聞きました」
「やっぱりそのことか。誰から、とは聞かないでおくよ」
小さく肩をすくめて、松本先生は言った。
「噂になっているらしいのは、僕も知ってるからね。確かに、千花ちゃんとは仲が悪いわけじゃないけれど、決して君が想像するような関係じゃないよ」
「あいにく、私はまだ何も想像はしていません。探偵として余計な先入観は不要なものですから。ただ、一般に想像するような関係というと、恋人ということでよろしいでしょうか?」
私は注意深く確認する。九分九厘そういう意味であるとしても、推理において証言の正確さを確認するのは怠るわけにはいかない。
「そうだね。恋人関係じゃないよ」
松本先生は大きく頷いて答えた。
「では、なぜ彼女と仲が良いのですか? 特別な事情でも?」
「千花ちゃんはスキーが上手なんだ」
「彼女は特待生ではなかったはずですよね」
鉈鉱市立神丘学園には、優秀な学園生を優遇する特待制度が存在する。授業料免除や学食の割引など、主に金銭面での優遇措置であり、クラスなどは一般の生徒と変わらない。
「ああ、去年スキー場で見てね。そのときに会話して、仲良くしているんだ」
「そうですか」
松本先生に嘘をついている様子はない。しかし、物事を隠すのに嘘は必須ではない。聞かれなかったことには答えず、聞かれたことにも最低限の事実だけで答える。並の質問に対してなら、それだけでも十分に秘密を保つことは可能だ。
スキー部に入るような少女であれば、去年もスキー場に行っていた可能性は高い。同じくスキー部の顧問である彼が、スキー場にいるのも自然だ。偶然、出会うこともあるだろう。
「松本先生には、妹がいらっしゃいますよね?」
「ええと、急に話が変わったね」
驚いた表情を見せたものの、松本先生の顔に動揺は見られない。
「答えられないことでしたら、無理には聞きませんが」
元々私は詳しい話を聞きたいと言っただけで、何の話を聞きたいかについては一言も告げていない。聞くべきことは全て、ここで聞かせてもらうつもりだ。
「そう、じゃないけど……よく知ってるなと思ってね」
「学園に来ていなくとも、学園生の基本情報は頭に入っています。松本小枝。一年A組の自宅学習生。事情までは知りませんが、松本先生も体育教師ですから、一年のスポーツ特待生の名前くらいは覚えていますよね?」
「もちろん。確か、スピードスケートの……ああ」
「そういうことです」私はゆっくりと頷く。「土井霧鈴。一年A組。スピードスケート部所属の特待生。妹のクラスにそんな生徒がいれば、探偵として私から動かずとも自然と耳に入ってくるものです。兄妹関係については、調べましたが」
「そうか。確かに小枝は僕の妹だけど、それがどうしたのかな? 千花ちゃんはD組だし、妹とは関係ないと思うんだけど」
「関係がある、と私は言った覚えはないですよ」
「あっ」松本先生は小さく叫んだ。
失言というには些細なもの。しかし、思わず口から出た叫びには真実が隠されている。
さて、ここからが重要だ。正直、この程度では糸口としては弱すぎる。
「松本小枝と竹水千花。二人の一年生に、何らかの接点があったのであれば、松本小枝の兄である松本龍太――松本先生も知っているのが自然、ではないでしょうか」
私の直線的な推理に、松本先生からの答えは返ってこない。しかしその表情を見れば、どう答えるべきかを考えているのは明らかだ。ただ……。
「はは、確かに小枝と千花ちゃんは知り合いだよ。言っただろ、去年のスキー場で僕は千花ちゃんと会話した。滑りに行くときは――いつもじゃないけど――そのときは小枝も一緒だったんだよ。何も問題はないよね?」
「そうですね。問題は、ないと思います」
そう。この程度の答えで、私はそれ以上の追及はできなくなる。去年のスキー場での出来事については、嘘が混じっていても私に調べる手段はない。それに、その場に小枝がいたかいなかったかを明らかにしたところで、重要な点は明らかにならない。
接点を隠していた理由が何なのか、一応それについても尋ねてみよう。
「なぜ隠していたんですか?」
「聞かれなかったから、かな?」松本先生は真剣な顔で答えた。
「確かに、その通りです。では、竹水千花と出会ったのは?」
これについては、松本先生も明らかにしていない。
「それは……答えにくい質問だね」
「でしたら、今日はここまでで構わないですよ」
私は言った。
「え?」松本先生は幾分驚いた表情を見せる。
「また日を改めて、お話を聞くかもしれません。よろしいですか?」
「ああ、そうしてくれるかな」
このまま追及しても、松本先生は全てを話してはくれないだろう。そしてまた、私にも真実を暴くだけの情報が揃っていない。ならば準備を整えてから、改めて動くべきだ。
私は松本先生と別れて、他の失踪した学園生について多少の聞き込みをしてから、葉桜の宿に戻った。この水曜日までの変化といえば、双田草二も失踪者として認識する学園生が増えたくらいで、新たな情報は得られなかった。
「ただいま」
「おかえり。今日も?」
比較的早い時間に帰ったのだが、霧鈴も先に帰っていた。話を聞くと、今日の部活は少し早く終わったらしい。
「ああ。もちろんだ」
私はそれだけ答えて、すぐに出で湯に浸かった。心地好い熱で頭を冴え返らせ、推理する。
松本先生が、自身と竹水千花の関係について隠し事をしているのは間違いない。それには彼の妹である、松本小枝も関係している。つまり、松本小枝に接触することで、有力な手掛かりを得られる可能性は高い。
そのためには、松本小枝に近い人物に接触する必要がある。入学直後より自宅学習生の松本小枝には親しいクラスメイトはいない。妹の話では入学式には出ていたそうだが、その面識を頼りに接触は難しいだろう。そうなると、現状考えられる人物は一人しかいない。
松本龍太。スキー部顧問、学園の体育教師。
私の頭脳が到達した結論は、他になかった。早速明日、動くとしよう。
七 松本小枝
翌日の木曜日。私は放課後に学園を出て、松本龍太先生が帰宅するのを待っていた。日を改めて、場所も改めて、詳しい話を聞くために。
「君は……」
しばらく待つと、現れた松本先生が意外そうな顔を見せていた。
「松本先生。今日は自宅で、お話を伺わせてもらいます」
「もらいます、か」
「先生も鉈鉱市民でしたよね?」
「そうだね。生まれも育ちも鉈鉱市だ」
彼の家は鉈鉱市鉈振町にある。探偵として詳しい住所も知ってはいるのだが、突然の訪問では話に応じてもらえない可能性も高い。だからこうして、事前に伝える。
松本小枝の住所となると、いくら私でも簡単には情報を得られないのだが、学園の教師である松本龍太先生であれば調べるのは簡単だ。火曜日に遠くから確認したところ、小さな一軒家であることは判明している。一緒に暮らしていると考えるのが妥当だろう。
「よろしいですね?」
「どうしても、かな?」
松本先生の目をしっかりと見て、私は緩やかに大きく頷く。
「七園舞華に、双田草二。失踪した学園生は、竹水千花だけではありません。全てを解決するために、必要なことです」
「そう、か。それを言われると、仕方ないね」
松本先生は諦めたように微笑んで、私を自宅へ案内してくれた。もし今回の事件が、竹水千花の失踪だけであったら、彼にはここで断られていたことだろう。
目的地に到着する。間違いなく、確認した一軒家だ。
「小枝と二人でここに住んでいるんだ。両親からもらってね。お金は僕があとで両親に返すことになってるんだけど」松本先生はそう前置きしてから、振り返って続けた。「小枝が驚くかもしれないし、少し待ってもらえるかな?」
「もちろんです。話は玄関で、何なら外でも構わないです」
「さすがに、中には入れてあげるよ。もしものときも、その方がいいだろうし」
言って、松本先生は自宅に入っていった。彼の知る全てを話すかどうかは、私次第ということか。探偵として、望むところである。
玄関の前で、周辺を確認しながら待つ。他の住宅からは少し離れた、比較的広い敷地に建つ小さな一軒家。とはいえ、その敷地の多くは家を建てるのが難しい坂。鉈鉱市は坂の多い土地柄、特に神丘の近くにある鉈振町では平地の方が少ないため、決して珍しくはない。
「さあ、どうぞ」
思ったよりも早く現れた松本先生に、私はゆっくりと頷いて中に入った。広い玄関は質素なもので、置いてある靴は二足。土ぼこりが落ちていた形跡はなく、必要以上に綺麗に清掃された様子もない。二足の靴しか元々置かれていなかったと考えていいだろう。
一足はもちろん、先程まで履いていた松本先生のもので、もう一足は女性のものと思しき可愛らしい靴。サイズからして、松本先生のものではない。
廊下の先に人影はない。廊下には用意されていたスリッパが一足。私はそれらを一瞬で確認して、靴を脱いで廊下に立った松本先生を見上げる。
「ダイニングで話そうか?」
「いえ、ここで十分です」
私は松本先生が頷くのを確認してから、すぐに話を切り出す。
「松本先生は竹水千花とは恋人関係ではない。これは事実ですね?」
前回は学園の敷地内だったので、強く警戒していた可能性を排除するために確認する。
「もちろんだよ」松本先生ははっきりと答えた。
「しかし、親しい関係ではある。これも事実ですね」
「うん。昨日言った通りだよ」
「それから、松本小枝と竹水千花も知り合いでしたね」
「ああ」
念のための事実確認は終了した。推理の前提に問題はない。話を進めるとしよう。
「わかりました。では、小枝さんに会うことはできますか?」
「今は無理だね」
「なぜです?」私は鋭く尋ねる。
「なぜって、小枝のことは知ってるだろ?」
「ふむ」私は大げさに頷いてみせた。「確かに、小枝さんは自宅学習生。人付き合いが得意であるとは考えていません」
「そう、だから無理なんだ」
松本先生の声に僅かに安堵の色が混じる。しかし、私はゆっくりと首を横に振って、話はまだ終わっていないことを告げる。
「ですが、人前に出ることができないほどの、深刻な恐怖症でもない。人の多い冬のスキー場に、去年あなたと二人で出かけているのですからね。私は何も、小枝さんと仲良く話をしたいと言っているわけではありません。顔を見せてもらえれば、それでいいのです。二人で暮らしているという事実を確認するために。それも、無理なのですね?」
「それは……」松本先生がやや俯く。
「そして、そのスキー場で小枝さんと千花さんは知り合っている。そこであなたも千花さんと会話をしている。おそらく、小枝さんと一緒に」
彼の態度や性格、そしてスキー部顧問という立場からも、スキー場で妹を一人放っておいて、竹水千花と会話をしたとは考えられない。それこそ、妹にも秘密の恋人関係でもなければ。
「そしてもう一つ。あなたはそのスキー場で、千花さんと初めて出会ったとは言っていない。それ以前から、千花さんのことは知っていたのではないですか?」
「そうだね。それは認めるよ」松本先生は小さな声で答えた。
「しかし、去年の彼女は中学生。鉈鉱市立神丘学園は高等学校です。中学生の女の子と、一人の高校教師――あなたと千花さんに、接点が生まれるとは考えにくい。でも、中学生の女の子同士であれば、それも同じ中学校であれば接点は容易に生まれるでしょう。松本小枝と竹水千花の出身中学も、住所と校区から推定するに、同一の可能性が高い」
人口十万人の鉈鉱市に、中学校は多くない。去年の竹水千花の住所までは調べられていないが、彼女が自宅から通学していることを考えると、引っ越した可能性は低いだろう。
「つまり、松本小枝と竹水千花は、以前からの知り合いであった。そして、妹を通じて松本先生も千花さんとは親しくしていた。違いますか?」
「違わないよ。君の言う通りだ」
松本先生は肩をすくめて、私の指摘をあっさりと認めた。
私はそれに安堵することなく、次の話を進める。隠されていた事実を一つ暴くことはできたが、なぜ隠していたのかは明かされていない。そして、この予想していたかのような、諦めの早さ。もう一つの隠し事については、まだ白状するつもりはないようだ。
「ところで」私は玄関に置かれた、一足の靴に目をやった。「こちらの靴のサイズは、覚えていらっしゃいますか?」
「靴? ……小枝の?」松本先生は怪訝そうな顔で確認する。
「どうですか?」私は質問を繰り返した。
「ええと、確か……二十三、二十二だったかな?」
「ふむ」私は屈んで、靴のサイズを確認する。「二十二・五ですね。間違いはないようです」
その瞬間、私は横目で松本先生の表情を確認する。私が顔を上げたときには完全に消えていたが、正解と判明した一瞬にほっとした表情を浮かべたのを見逃しはしない。
「では、この靴の持ち主に会わせてもらえますか? いらっしゃいますね?」
「だから、小枝は無理なんだ。その、別の事情で」
私は小さく首を振って、正確に言い直す。物的証拠はないが、先程の反応からもう答えは見えている。
「竹水千花さんに、会わせてもらえますか? 何なら、この靴についた土を調べて、どこの土であるのか確かめてみましょうか。自宅学習生であれば、普通はつかないはずの土が見つかるかもしれません」
……というのは、かの有名な探偵に憧れたはったりである。私も探偵として、土の知識も人並み以上にあるが、学園の土は鉈鉱市においては一般的な土。調べたところで何も証明できない可能性が非常に高いが、この局面なら言葉だけでも十二分な効果を発揮する。
無言でしばらく待つ。さすがに、考える時間も必要だろう。
「そこまでする必要はないよ。ちょっと待っていて……」
松本先生が振り返った瞬間、見えていたダイニングの扉が開いて、中から一人の少女が姿を現した。ショートポニーの、活気に溢れた印象を与える女の子である。
「あと一日だったのに、なにやってるんですか龍太先生!」
教師を指差し睨みつけて、ショートポニーの少女は文句を言った。
「いや、そこは彼の推理力を褒めてあげるべきじゃないかな」
松本先生の言い訳に、少女の視線がこちらを向く。
「初めまして、竹水千花です。先輩ですよね? 話は扉の裏から聞いてました。凄い推理力で余計なことをしてくれて、この責任はとってもらえますね?」
「ふむ」私は動じることなく尋ね返す。「それはもしかして、ここに松本小枝の靴がないことと関係しているのかな? 咄嗟に靴箱に隠した様子は見受けられなかったが」
「はい。ええと、名前は?」
「土井法一だ」
私が名乗ると、千花はすぐさま話を再開した。
「法一先輩は優秀な探偵ですから、当然、小枝のことも見つけて責任をとってください。あと一日だったのに、先輩のせいで『おまじない』はだめになったんですから」
「元より、失踪事件は全て解決するつもりだ。詳しく聞かせてもらおう」
気になる単語も出てきたが、まずは全ての話を聞き、情報を整理することだ。
「忘れもしない四月二十七日のことです。私の大事な小枝が、突然いなくなったんです。だから私は龍太先生と探してたんですけど、小枝は学園に行ってないから学園で聞いても意味ないし、見つからなくて」
「大事な親友がいなくなって、心当たりもなかったと」
私が確認も兼ねて整理すると、意外な答えが返ってきた。
「はあ、心当たりはそうですけど。私と小枝は親友なんかじゃないですよ」
「ほう」私は先を促す。
「ええと、先輩が理解のある人だと信じて話しますけど、私と小枝は互いに互いを大切に想い合う仲間。愛情をもって愛し合う、恋人ってやつです!」
「なるほど。その関係は、想定していなかったな。だが、理解はあるつもりだ」
同性愛、わかりやすくいうと百合といった関係か。推理の大筋に影響はないが、恋人であれば兄の松本先生と仲が良くなるのも不思議ではない。
「それで、そんなときに鳥のイヤリングの女の人が声をかけてきて、恋愛成就のおまじないを教えてくれたんです。誰にも知られずに十日間身を隠せば、恋人が見つかるって言われて、本物かもしれないと思って。私と小枝の関係はあんまり人に話してないですから。ともかく龍太先生に協力してもらって、先週の水曜日からやってたんですけど……あと一日で」
最後は言葉の代わりに視線が送られてきた。それはともかく、一つ気になったことを確認しておこう。
「その、誰にも、には彼は含まれないのか?」
「一人なら協力者はいいって言われました。私が学園生だから、一人だけじゃ厳しすぎるでしょうって言われて。その人にとっても、それくらいがちょうどいいって話でした」
「了解した」
私は黙って立っていた松本先生の方を見て、尋ねる。
「学園にはなぜ連絡しなかったんですか?」
「ああ。休みの間に見つからなければ、連絡しようと思っていたよ。けれど、月曜日には七園舞華さんがいなくなったと聞いて、その日に千花ちゃんからおまじないの話も聞いたんだ。だから、今なら僕の家に匿いやすいかなと思ってね」
「なるほど」
今の松本先生に隠しごとをする理由はない。私はその情報を手帳に書き留めて、さらに詳しい情報を千花に尋ねた。
「具体的な時間は?」
「昼休みでした」
「情報提供、感謝しよう。それと……」
私は松本小枝について、容姿や体格などの情報を両名に確認してから、この日の捜査を終了した。竹水千花の発見という大きな進展はあったが、他の失踪事件はまだ解決していない。それどころか新たな失踪事件も発覚した。失踪した人数は三人のまま、変わらないのである。
第五章 恋愛成就
金曜日の朝、探偵から情報を得た私は太陽が落ちる前に学園を出て、二枚の板で滑る部活顧問の自宅にやってきていた。話では、一応もう一日隠れてみるそうなので、目的の人物は必ず中にいる。探偵には教師を通じて、連絡してもらった。
呼び鈴を鳴らして、私は名を告げる。
「神丘凪。連絡はいっているはず」
「あ、聞いてますよー」
無事に中に案内され、私は竹水千花というショートポニーの百合少女と対面する。
「恋愛成就のおまじないはやっぱりだめみたいです。神丘神社の巫女さんとしては、どう思いますか?」
座してすぐに、百合少女から質問がとんできた。こちらも時間には余裕があるので、神丘神社の巫女として答える。
「確かにナタフヒメ様は恋愛の神。だけど……」
私は言うべきかどうか、巫女として迷う。
「女の子同士は、だめなんですか?」
その迷いを別の意味に誤解されてしまったので、私は頭を振った。こちらも情報を求める以上、真の呪いを探して求める者として判断することにしよう。
「問題ない。ナタフヒメ様の御利益は全ての恋に平等。憎むべきはただ一つ、浮気をする異性のみ。同性の浮気については不明だけど、多分同じ」
「そう、なんですか?」
声からも伝わってくる疑問の感情。後半は一般には知られていない事実だから、不思議に思うのも必然なのだ。ただ、百合少女にとってそこは重要ではないはず。案の定、私が小さく微笑んで黙っていると、すぐに話題は元に戻った。
「鳥のイヤリングの人の話でしたよね?」
「ええ。細かい場所や時間、確認したい」
「そう、ですね……ちょっと待ってください」
私は黙って彼女が思い出すのを待つ。何しろ十日も前のことだ、重要なことでなければ正確な刻んだ時を覚えている人間は少ないだろう。彼女にとって『おまじない』は重要でも、鳥のイヤリングの女性と出会ったことはそこまで重要ではないと思う。
「場所は中庭の近く、外でした。学食を出てすぐだったのは覚えてるんですけど、時計もないですし、正確な時間は……」
私はその情報を記録しながら、用意していた質問をぶつけてみる。
「平均的なお昼の食事時間は?」
「二十分くらいです」
「それは、運ばれてから? 運ばれる時間も含めて?」
「運ばれてからです」
記録の手は止めずに、小さく頷く。その日の時間の記憶はなくても、普段の行動の時間は記憶している人間は少なくない。この文明に溢れた現代日本、時を計る機械が偶然目に入ることは数多いのだから。
「頼んだ料理は覚えてる?」
「はい。まだ色々試している途中ですから。月曜日は、海苔定食を頼みました」
「海苔、と」
私はその情報を記録してから、別のページの記録を確認する。学食の海苔定食。一般には安価で有名な海苔弁当と似た名前ながら、様々な工夫を凝らした海苔料理による、学食の中ではやや高めの定食だ。平均的な提供時間は、三分。ここは海苔弁当に負けていない。
「その日の食事は、いつも通り?」
「特に何もなかったですね」
つまり、百合少女が鳥のイヤリングの女性と遭遇したのは、昼休みが始まってから約二十四分後。一年D組から学食の距離は近いから、注文時間を考えても加算する時は一分でいい。
なだらかヒーローと百合少女の情報を整理する。遭遇したのは同じ昼休み。しかし出会った時間は、お弁当を食べている最中だったなだらかヒーローの方が五分以上も早い。そこで問題となるのが、鳥が声をかけるタイミングの早さだ。なだらかヒーローの場合はかけられたことになるけど、声をかけられると見越して現れたように思える。
まるで、声をかけた相手が『おまじない』という超常の力を頼りにするとわかっていたかのような――いや、実際にある程度まではわかっていたはずだ。原因不明の恋人の失踪に、思層空間という、いずれも不可思議さにおいてはとても大きい。だったら、直感にせよ呪いを使ったにせよ、真に能力があって時間もあれば気付けるはずなのだ。
そう考えると、鳥は真の呪いを知っているかどうかは別として、呪いっぽいものやまじないに詳しいのはもう間違いないと思う。
五分以上の差はどういうことかと考えてみる。先に遭遇したのは百合少女、それから一週間以上経ってなだらかヒーロー。その間に、学園への侵入能力が向上した? や、違う。学園に侵入できたからといって、昼休みで人の多い学食にも侵入できることにはならない。
となると、単純に食事が終わるのを待っていただけで、なだらかヒーローの前に姿を現したのが食事中だったのは、場所柄から次にどこへ移動するのか読みにくかったから。
「質問はおしまいですか?」
「はい。助かりました」
私は巫女微笑みで、質問の終わりを告げる。とても貴重な情報で、本当に助かった。
「凪先輩は、法一先輩とはどんな関係なんですか?」
質問が終わったら別の話が始まった。でも彼女としてはこれは気になって当然のこと。
「探偵とは目的を別とする、大切な情報交換仲間。私は今、鳥のイヤリングの女性を追っている。そして彼は、学園生連続失踪事件を追っている」
「そうですか。助手ではないんですね?」
「残念ながら。でも心配ない。彼が優秀な探偵なら、一人でも解決できるでしょう」
真の呪いの調査が落ち着いたら、なるべく巫女微笑みと優しい口調。神丘神社の娘として、幼い頃から教えられた記憶が自然と仕草を生み出してしまう。
「恋人でもないんですね?」
「ない。恋愛感情もない」
私ははっきりと答えた。無駄な誤解は放っておいても、役に立つことはあんまりない。
それっきり百合少女の興味は探偵から薄れたらしく、また別の言葉がとんできた。
「小枝、大丈夫かな……」
呟きのような、私に答えを求めてはいない言葉。その気になれば、六言呪法で安否くらいは確かめることはできる。だが、それは探偵にとっては余計なこと。私にとっても、状況によってはどれくらいの体力や気力を必要とするかわからない、大変なことだ。
そして何より、私には恋人が突然いなくなった悲しみは理解できない。恋人が浮気して離れていったことに対する憎しみなら、神丘神社の娘として深く理解しているけれど。
私が何も言わずに黙っていると、百合少女は儚げな笑みを浮かべていた。それからすぐに私は帰宅することになって、それ以降は彼女も落ち込んだ様子を見せない。
「『おまじない』の方は、私が必ず見つけます」
別れ際、私は巫女微笑みと一緒にその言葉を告げた。探偵の優秀さが私の想定を下回るものであれば、真の呪いを探すついでに協力してあげよう。最後に見えた百合少女の笑みは、幾分か爽やかだった。
第五話 日曜日の思層空間
その思層空間が発生したのは、日曜日だった。頻発した先週とは打って変わって、今週になって初めての思層空間。私は察知した自宅を出て、今回の思層空間に入るのに最も適した場所を目指す。
察知したといっても、詳しい場所はわからない。規模も大きくないみたいだし、先週の頻発が偶然じゃないとしたら、場所を探りやすいところから入った方がいいよね。
思層空間に入るのに、物理的距離はあまり関係ない。けれど、発生した場所に近ければ近いほど、私が思層空間でやれることは増える。カードの発揮する力に変わりはないけど、それ意外では結構な差。
ナタチカに乗って、鉈鉱市の東にある鉱採湖へ向かう。周囲の大きな鉱採公園を抜けて、深く濁った湖の裏へ。私の調べた限りでは、ここが色々探るには一番の場所。もっとも、調べるには勝たなくちゃいけないんだけど、心配ないね。
「私の感情があなたの思層を壊してあげる! さ、楽しくカードで遊びましょう?」
うーん、実に一週間ぶりの前口上! やっぱり気持ちがいいね。
入った思層空間は、規模は大きくなくても特殊な形状をしていた。空まで伸びた曲線と曲面が一周する、球体型の思層空間。私がいるのは球体の中で、ボスらしき姿が見えるのは球体の外。思層空間そのものは絶対に壊せないから、見えていても攻撃は届かない。
この緻密な守り、それなりに熟成された思層空間みたいね。
「ステッキ!」
攻撃が届かないのは敵も同じ! 私はまず普通のステッキを取り出して、近くのフラワーやアローを刈っていく。球体の中に敵は少なくて、敵が多いのは球体の外。でも、一気に突破しようとしたら、球体の中の敵が背後を狙う……本当に、いい造りね!
ヒーローとしては一気に華麗に決めたいところだけど、今日は調べなきゃいけないこともあるんだから、慎重に確実に殲滅! 余力、残しておかないとね!
中距離の敵をボウで的確に狙い撃ちして、遠くからのキャノンによる反撃は適度なステップで回避! 球体の内側だから上でも奥でも丸見えね!
外への出口までは、難なく到達! 問題はここからね。
中から外を確認して、一度出たら見えにくいキャノンの位置は覚えてる。でも、キャノンは固定砲台ってわけじゃない。私みたいに機敏に移動して回避することはできなくても、相手から攻撃するときに障害物を避けて移動するくらいは簡単。
曲面の球体に障害物はないけれど、球体という形が地平線となって視界を遮る。着実に殲滅するにしても、出る瞬間は出入り口周辺の突破で多分時間を使っちゃうね。
「ま、とにかく行くとしますか!」
考えている間に、私の行動時間が再び! 上空の出入り口に向けて特大のキャノンを一発二発! それから床にキャノンを撃って、大きく跳躍して突破! そのまま空中から、待ち構える敵を着地するまでにアロー連射!
小さな範囲の敵を倒したところで、素早く二本のステッキを取り出して、さらに床に守りの盾となるフラワーを八方向に設置!
「うん! さあ、どこから来るかな?」
守りは磐石、じゃないけれど、並の攻撃で破れるほど薄くもない。普通なら……。
敵の行動時間になった。すぐにやってきたのは、後方へのキャノン、ボウ、アローによる集中砲火。ここまでは普通の反応。フラワーが破られたら、ステッキで弾けばいい。
けど、やっぱり今回の敵は優秀ね。もうすぐ破れそうといった瞬間に、頭上に向けて放たれたキャノンから、大量のステッキが落下! 光を放出しながらの高速回転で、守りの薄いところから私を狙ってくる。
守りではあまり見かけないステッキ。接近戦に特化したものだから、それも当然ね。
「でも、ちょっと甘いかな?」
私は持っていた一本のステッキを投げて、淡い光を放ちながらゆっくりと横に回転! 今は私が守る番。攻撃能力はほとんどないし、盾としても一点に特化した攻撃なら簡単に破られるほど、心許ないもの。でも、振ってくるステッキの狙いは、私に当てること!
だったら簡単! ちょっとぶつけて、逸らせばいいの! ほんの少し逸れた落下ステッキ軍団は、周囲に展開されていたフラワーに弾かれて、力を失って、私に届くのは三分の一!
後ろの盾は破られても、一枚だけなら射線も制限! これくらいなら、回避可能ね!
「さて、それじゃあ……」
なおも回転を続けて、フラワーの盾の隙を縫って飛来してくる三分の二。でも、もう私の時間だ。私に届く頃には回転、勢いはそのままでも、攻撃力は消えている。
「キャノンステッキ!」
満を辞して取り出した、私の必殺武器! 鋭い光を迸らせるそれを高く投げて、相手の時間になる前に敵のステッキを破壊! それから、後方に向けてキャノンを連発!
周囲の危険を排除したところで、破られた盾の方向に前進開始!
ボスらしき敵がいるのは、ちょうど球体の裏側。このまま守りのフラワーを残しつつ、最短距離を攻める。床に設置したから大きく動かすのは難しいけど、ある程度までは遠距離からの射線を妨害してくれるはずね。
そこからは、敵の数こそまだまだ残っていたけど簡単だった。何たって、最大の戦力を集中して、私の体力気力を削ろうという作戦を、無傷で破ってあげたんだから! 作戦の大前提が崩されちゃったら、残りの作戦はどれだけ完璧でも意味はないもの。
それでも油断はしないで、確実に殲滅しながらボスの側に到着! 時間は十分、後方からの狙撃も届かない。万全に万全を期して、至近距離で武器を構える!
これで、準備完了!
「遠く遠く軽やかに! おっもい一撃、ホシノ☆エモーション!」
激しい光が目の前の敵を覆い尽くして、一瞬で消滅! さらに、思層空間も崩れていく。このまま余韻に浸っていたいところだけど、そんな暇はないね。
思層空間が崩れていく中、私は察知した気配の方向に視線を向ける。場所は球体の内側。消滅する思層空間にありえないはずの、増援が現れていた。でも、思層空間が消える頃にはその姿も消えていて、私に確認できたのはフラワーの光に包まれた姿だけ。
遠くから私を観察していたのは間違いなさそうね。それに、私に正体を気付かれないようにもしているとなれば、先週からの思層空間が偶然じゃない証拠!
現実空間に戻った私は、素早く周囲を確認する。現れた場所から、増援の侵入者さんもこの周辺から思層空間に入ったはず。思層空間では隠れていても、現実空間ではちょっと油断しているかもしれないもの。探せる範囲で探さないとね。
遠く湖の先を見て、すぐに私の目に留まったのは一人の人物。いつか見た、コートに帽子にサングラス――謎の青少年だった。こんなところで、何をしているんだろう?
あるいは、何をしていたんだろう?
彼は鉱採公園を堂々と歩いていて、そのうち私の視界の外に出た。この場所からじゃ確認できるのはここまでね。追跡も無理。追いかけようにも、ここからじゃ間に合わないもの。
それから、思層空間を発生させた人の場所も探ってみたけれど、鉈鉱市の住宅地の一つで正確な場所までは不明。鉈振町の南、ナタチカの駅近にある住宅地ね。
日はまだまだ暮れないけれど、私は家に帰るとしよう。なかなかの敵に勝った余韻に浸りながら、私は今日の情報を頭の中でまとめておく。法一くんと、凪ちゃんに伝えるために。
三つの失踪
八 学園生の帰還
月曜日。何事もなかったかのように、竹水千花が登校していた。早朝に松本先生に声をかけられて、始業前に本人にも挨拶をして確認。木曜日のうちに軽く話は聞いていて、星乃や凪にも伝えていたので、驚くことはない正常であることの確認である。
そしてもう一人。双田草二も、何事かあった様子で登校していた。二年A組。始業直前の登校であったので、情報が入って顔を確認したのは授業の合間の休み時間。
「で、本当は何があったんだよ?」
「宇宙人に攫われたんだ!」
「貫くなー」
「だから、攫われたんだって! 宇宙人に!」
当然、クラスメイトにとっても注目の的。聞き耳を立てずとも、そんな会話が教室の外まで聞こえてきた。私はほとぼりの冷める頃――昼休みに彼を尋ねることにした。同じ答えを貫くのであれば、昼休みにはクラスメイトを中心に他の二年生も飽きるだろう。
「失踪していた、二年A組の双田草二で間違いないな?」
「え? ああ……間違いないと思うぜ。宇宙人に改造されて、記憶を改竄でもされてない限りはな!」
私が前置きもせずに尋ねると、双田草二も前置きなく答えた。影のある笑みを浮かべて。
「失踪の理由は?」
「宇宙人に攫われたんだ!」
「そうか。放課後、詳しい話を聞かせてもらえるか?」
「え? ええと、あ、ああ! でも、宇宙人に攫われたからな! 未知の超技術で、間違った記憶を植えつけられてるかもしれないが、それでもいいなら!」
「構わない。聞かせてもらいたい」
慌てた様子を取り繕ったつもりらしい草二に、私はもう一つ付け加える。
「私の他にもう一人、連れていくが構わないな?」
「どんなやつだ?」
「オカルト研究部のエースとは、親友を通じて旧知の仲でな。宇宙人となれば、探偵の私よりも彼女の方が詳しいだろう」
「あ、ああ……オカ研か」
草二はほんの少し驚いた顔を見せてから、余裕の表情で答えた。驚きを見せたのは、私が探偵と名乗った直後。オカルト研究部のエースには、驚きの反応はしていなかった。
「やっぱり興味あるよなあ。もちろん、好きに聞いてくれて構わないぜ。だが何度も言うが」
「では、また放課後に」
私は軽く手を振って、口を開いたまま数秒動かなかった彼を置いて、早速二年D組へ向かうことにした。多分、今なら清吉も一緒だろう。
「え? うーん、聞いてはいるし、一応聞こうとは思ってたけど……」
案の定二人でいたところに私が話を伝えると、やはり興味の薄そうな答えが返ってきた。
「噂を聞くだけでも、絶対嘘だよね?」
「だろうな」
「そうなのか?」
私が即答すると、清吉が私と澄の顔を交互に見て疑問を口にした。
「オカ研エースの勘よ。ま、宇宙人は嘘でも、何らかの真実は含まれてるかもしれない。聞かないわけにはいかないけどね」
「会話の動揺を見れば明らかだ」
「おお……二人がそう言うんなら、そうってことだな!」
「はい、あーん」
「あーん」
会話をしながら、平然と澄が運んだ玉子焼きを口にする清吉。今日も仲良し、二人に問題はないようだ。
「でも、いいの? 私と一緒だと、法一くんはあんまり聞けないと思うけど」
「それでいい。私も宇宙人は専門外だからな」
「ん。じゃ、そういうことで」
話が終わったので、私はその場をあとにする。これ以上二人の邪魔をするのも悪い――清吉と澄であれば多少の視線は気にしないのであるが――し、私には他にもやることがある。
そして放課後。私は澄と一緒に、草二から話を聞いた。場所は中庭、先に明るい木の椅子に堂々と座った草二に続いて、私と澄も机を挟んだ向かいに座る。
「まずは名乗っておくわね。私はオカルト研究部の河中澄よ」
「学園生連続失踪事件を調べている土井法一だ」
「宇宙人に攫われた、双田草二だ」
それぞれの自己紹介を終えて、質問が始まる。
「さて、いっぱい聞かせてもらうけど、答えられることだけに答えてくれればいいからね。曖昧な情報は曖昧なまま、知らないものは知らない。いいかな?」
「はい。いくらでも聞いてください」
冷静にまくしたてる澄に、落ち着いた様子で答える草二。ゆっくり観察させてもらおう。
「君は宇宙人に攫われた。その誘拐方法は、思い出せる?」
「気が付いたら攫われてたんだ。わからないな」
「場所や時間は?」
「昼過ぎだったのは覚えてる。でも、場所は記憶にないんだ」
「昼過ぎってことは、金曜日から日曜日の間ね」
「ああ。土曜日の昼過ぎだ」
草二は明快に答えていく。準備は完璧のようだ。いつ準備したのかについては、もう尋ねても意味がないだろう。昼休みから放課後の間に考えていたと言われてしまえば、私にそれを証明する手段はない。頭の中でいつ考えたか――これはどれだけ優秀な探偵でも、現代のあらゆる技術と知識を組み合わせても、証明は不可能だ。
「それから一週間、攫われてる間は何をされたの? 食事はもらえてたわよね。見たところあなたは健康みたいだし」
「さあ? 俺も知りたいくらいだよ。何たって、気が付いたらいつの間にか一週間も経っていたんだからな!」
「ふむ」澄は小さく頷いた。
「きっと、眠らされるとか凍らされるとか、そんな感じだ!」
「じゃあ、どこで宇宙人に攫われたって思ったの?」
「え? そ、それはその、あれだ、気が付いたら一週間! これは、普通の人間に攫われたならありえないことだろ?」
「そうね。でも、それだけなら宇宙人じゃなくても、未確認生命体であれば可能な技術を持っているかもしれない。まあ、私たちみたいに詳しくないなら、未確認生命体と宇宙人がイコールの関係で結びつくのも不思議じゃないけど」
「あ、ああ。そうそう。そういうことだよ! 俺は宇宙人に攫われたんだ!」
「そ。じゃ、話は終わりよ。法一くんからは何かある?」
「特には」私ははっきりと首を横に振る。
草二は露骨にほっとした表情を見せて、視線に気付くと慌てて引き締めていた。
「終わったなら、俺は帰ります。さようなら!」
そしてすっくと立ち上がり、駆け足で中庭を去っていった。私も澄も彼のあとは追わず、腕を組んで小さく肩をすくめた彼女に、私も肩をすくめて苦笑いを返す。
「宇宙人に攫われたなんて、やっぱり嘘だったわね」
「そのようだ。しかし……」
彼の答えは一貫して、宇宙人に攫われたという嘘を真実と言い張るもの。何かを隠しているのは間違いなく、その言葉に真実はほとんど含まれていない。
「土曜日の昼過ぎに、何かあったようだな」
ただ、この一点を除いて。場所は覚えていないのに、日付や大体の時間は覚えている。宇宙人に攫われたことを証明するのに重要でないと判断したのか、これだけは真実のようである。
「そうね。ま、私はこれくらいで終わりかな」
「ああ」
「もしも本当に宇宙人がいたら、そのときは教えてね」
「もしもそんなことがあれば、すぐに教えよう」
手を振って去っていく澄と別れて、私は一人中庭に残っていた。双田草二については詳しく調べねばならないが、他にも調べなくてはならないことがある。私はそのための情報を交換するために、いずれやってくるであろう二人を待っていた。
第六話 学園の思層空間・再び
法一くんや凪ちゃんと一通りの情報交換を終えた頃だった。
「ごめん、私ちょっと抜けるね」
「うん?」
「ひょっとして、思層空間?」
話が終わってすぐに立ち上がった私に、法一くんと凪ちゃんが反応する。
「うん」
私が頷くと、二人は興味津々といった様子で私の方を見ていた。そういえば、二人の前で思層空間が発生したのは初めてだったね。
「どういう場所なんだ?」
「是非、私も入ってみたい」
「うーん、入ることはできるけど、二人じゃ危ないね。カードの力がないと戦えないから」
私は少し考えてから、きっぱりと首を横に振って答える。
「一般の護身術は通用しない、か」
「無駄な体力気力の消耗は避けたい」
「でも、屋上までなら。終わるまで待っててくれる?」
二人が頷いて、私たちは三人で学園の屋上に向かう。察知した思層空間は小さなものだけど、入る前に密度が濃いとわかるくらいに完成されている。発生場所は鉈鉱市内のどこか遠く。
「じゃ、二人はそこにいてね」
安全な距離をとって、私は思層空間に入る。現実空間が揺らぐように、曲線と曲面で構成された思層空間が見えたときには、後方にいた二人の姿も消えていた。
「私の感情があなたの思層を壊してあげ――きゃっ!」
いつものように前口上を口にしていたら、突然のキャノンに慌てて中断する。ヒーローの前口上を邪魔するなんて、ううん、邪魔できるなんて!
「キャノンステッキ!」
私はすぐさまカードから武器を取り出して、攻撃が飛んできた方向――後ろを警戒する。隠れた地形の裏から、さっきのキャノンは飛んできた。そして、それを飛ばせたってことは、敵は私と同じく、この思層空間に侵入した誰かね。
思層空間に侵入したら、最初に攻撃の時間が与えられるのは侵入した側。それはこの思層空間を形成する力のルールで、変えることはできない。
でも、それが発生するのは最初に誰かが侵入したときだけ。何人も待機して、常に攻撃の時間を維持することはできない。確か、侵入した揺らぎが影響を与えるんだっけ?
誰かは知らないけど、私の侵入に呼応するように侵入したのは確実ね。そして遠くから攻撃をしてきたってことは、現実空間での物理的距離は近くない。
目的がわからない中、警戒する方向から数発のキャノンの砲撃!
「今度は当たらない……よっと!」
今は私の行動時間でもある。見え見えのキャノンの一撃、回避は簡単!
狙いが甘いのか、続いた二発目三発目は大きく逸れて――違う! 私は素早く視線の先を追って、着弾したキャノンの砲撃が激しい光となって、敵が倒されたのを確認する。直後、空間は揺らいで、思層空間が崩れていく。
「決め台詞も……なんてやつ!」
私は叫んで、何者かがいる方向にキャノンステッキの先端を向ける。でも、崩れていく思層空間では狙いは定まらないし、剥がれ落ちる空間の欠片が邪魔して攻撃も届かない。ほんの小さな曲面だけど、少しでも触れたら軌道が逸れて逃げられちゃう。
もっとも当てて倒したところで、現実空間に戻るだけだから捕まえられないんだけど、大きなダメージを与えれば現実空間でも影響が残るはずなのだ。崩壊する速度から、走って追いかけても絶対に間に合わない。なら、こうするしかないもの。
「とにかく、お返しね!」
崩れる空間の隙間を縫うように、キャノンステッキから太くて鋭い一撃を発射!
「……ふう」
着弾した瞬間と、思層空間が崩れる瞬間は同じ。当たったかどうかは確認できなかったけど、やれることはやった。これ以上は何もできないし、今日はここまでね。
「これが、思層空間か……」
「無事に終わった?」
現実空間に戻った私を、法一くんと凪ちゃんが迎えてくれる。凪ちゃんの問いには、私は曖昧に頷いてから微笑む。
「終わったけど、交換する情報が増えたかな?」
私が話そうとすると、その前に法一くんが手を挙げた。
「その前に、一つ聞かせてもらいたい。思層空間に入るときは、常にこうなのか?」
「こう、って?」
「現実空間から姿が消える。少なくとも、私には認識できなかった」
法一くんは横目で凪ちゃんを見ていた。その視線に、凪ちゃんが答える。
「私でも、確実に把握するのは疲れる。りゅりりでぼんやり、るむむるでも大体。入ってまじないで身を守って観察した方が、あるいは」
「知識があってコツを掴めば、二人でも認識することは可能ね。ただ、一般人が偶然認識できるなんてことは、思層空間の性質上ありえないの」
「ふむ、そうか」
法一くんは納得したように大きく頷いた。凪ちゃんは俯いて、何かを考えているみたい。暇になったら知識とコツ、教えてあげてもいいかもね。
それから私はさっき起きた出来事を二人に伝えて、さらに情報交換。それぞれが気になったことを質問して、答えられる人が答えて、私たちは屋上を下りて廊下で別れた。
別れてすぐに、私は校舎の裏庭に移動して、周囲を確認しつつ無線機をポケットから。取り出した無線機で、私は師匠の声を聞く。
「師匠――久怜奈さん。お話があります。二人きりで、大事な秘密のお話です」
第六章 約束
「法一さんの家は、葉桜の宿と聞きました。温泉です」
私は探偵を捉まえて、先日から得ていた情報を彼に伝えた。昨日の情報交換を経て、私と探偵となだらかヒーローの仲は、それなりに深まったといって差し支えない。ならば今こそ、この情報とお願いを口にするときだ。
「温泉……出で湯か」
「温泉に入りたいです」
探偵の推理力なら、これで伝わるはずだ。そうでないなら探偵は探偵と呼べない。
「さすがに宿の出で湯は難しいが、家の方なら。広くはない」
やはり探偵は探偵、優秀である。
「しかし、私にも都合がある。凪も、今は忙しいだろう」
「はい。星乃さんも同じく」
「……まあ、私は構わないが」
ちなみにこのことは、なだらかヒーローにはまだ伝えていない。私の独断専行だ。
「落ち着いたらそのときに。法一さんの推理力の源を、お借りします」
温かい泉――探偵はその出で湯に浸かり、頭脳を冴え返らせていると聞く。情報源はもちろん、私の幼き頃よりの馴染みの友人。バカと付き合うオカルトから。
私は何も、ただで温泉に入りたいがためだけに、探偵を捉まえたのではない。その出で湯の効果を確かめたいという気持ちも、確かに少しは存在するのだ。
「ふむ。貸せるものかはわからないが、了解した」
日取りは次の情報交換のときに、落ち着いたら決めることになった。私もそれまでになだらかヒーローに話しておくとしよう。彼女もきっと、この約束を歓迎してくれるはずだ。
第七話 師匠と組織
凪ちゃんから約束の話を受けた、火曜日の放課後。私は師匠こと久怜奈さんとの待ち合わせに、鉈振町駅前のハンバーガーショップでポテトをつまんでいた。サイズはL。
半分くらい食べたところで、ショップに久怜奈さんがやってきた。私はポテトをつまみながら、小さく手を振って場所を知らせる。師匠と声をかけたいのは、今は我慢。
「話は……もう少し待った方がいい?」
「あ、大丈夫です。このままで」
「星乃が気にしないなら……内容次第では移動してもらうけど」
久怜奈さんが腰を下ろすのを待って、私は話をする。組織のことも話すけど、普通に話したところで理解する人はいないから、聞かれても困らないね。それに、この時間の二階は比較的空いていることが多いのも調査済み。
「まずは、昨日のことをお話しますね」
私は昨日の思層空間での出来事を、法一くんと凪ちゃんのことは省略して師匠に話した。
「なるほど。それで?」
「はい。だから久怜奈さんに、昨日のことを聞いておきたくて。この鉈鉱市内で、組織に動きはありましたか?」
私は残りのポテトをゆっくりつまみながら、微笑んで聞いてみる。こうして久怜奈さんと二人きりでお食事――師匠は何も食べてないけど――するのも久しぶり。嬉しくなっちゃうのも仕方ないね。
「それはつまり、その何者かが組織の者だと疑っている……ということかしら?」
真剣な久怜奈さんの言葉に、私はつまむ手を止めて頷く。
「普通に考えたら、私みたいに一人で動いてる人がいるとは思えませんし、なんで私に攻撃したのかは知りませんけど、組織の人の可能性が一番高いです」
「一応、私もその組織の人よ?」
まっすぐに私の目を見つめて久怜奈さんが言う。私はポテトつまみを再開して、一本を食べ終えてから小さく笑って言った。
「もう、なに言ってるんですか。私の師匠があんなことするはずないですよ。だから、組織の人で一番信頼できる師匠にお話をしてるんです」
「そこまで信頼されるほど、私はできた人間じゃないわよ?」
「でも、私に色々教えてくれたのは師匠で、師匠の師匠は私のお母さんです。確かに、お父さんやお母さんに比べると、久怜奈さんも私もまだまだですけど、私と久怜奈さんならどっちが立派かは言うまでもありません」
「……ふう。まあいいわ。組織には何も動きはないわよ。まあ、遠くの方では何かしている人たちもいるでしょうけど、ここ鉈鉱市及び、周辺では全く動きはないわね」
久怜奈さんが話してくれたので、私は残り少ないポテトを大事につまむ。
「昨日の行動は、私も志狼もいつも通りよ。軽く巡回しながら、緊急のときにいつでも動けるように待機。志狼からも特に重要な連絡はなかったわ」
「そうですか。じゃあ……うーん」
師匠は絶対に信頼できるから、可能性は排除していいね。だとすると、他に考えられる可能性は……でも、どうなんだろう? そんなことをする動機なんて、あるはずがないもの。
「あとで、志狼に詳しく確認しておきましょうか?」
私の表情から察したのか、久怜奈さんがそう聞いてくれた。さすが師匠。久怜奈さんの前では、私に隠し事はできないね。
「いえ、その必要はないと思います。昨日はあっちから私に接触してきたんです。それもおそらく――どうやったのかはわかりませんけど――私を誘った上で。組織の人が干渉しない思層空間に、この鉈鉱市で入ろうとするのは私だけのはずですから。もちろん、他にも誰かそういう人がいるって可能性も否定はできませんけどね」
その人にとってあれが初めての思層空間での戦闘で、偶然私が入った直後に入って、敵と味方の区別がつかなくて、無差別に攻撃しちゃった……って可能性も、なくはないもの。
「そこまで考えて、私のことは疑わないのね」
久怜奈さんの確認するような言葉。私は最後のポテトをつまんで、呆れた顔で師匠に言う。
「もう、しつこいですよ。師匠はあんなこと、絶対にしません。私と久怜奈さんに誓って、保証します」
「保証になってないわね」
「そうですか? でも師匠って、キャノンは苦手でしたよね?」
私と師匠の信頼だけで証明は十分だと思うんだけど、久怜奈さんがしつこいので十二分に証明しちゃおう。師匠はキャノンが下手、って言っているようなものだから、できれば言いたくなかったけれど師匠が悪いのだ。
「昔の話よ。今は、そこまで苦手じゃないわ」
「じゃあ、軽く手合わせします?」
「私が手加減するかもしれないわよ?」
「むむ……とにかく、私は師匠は疑わないんです。そう、このヒーロー魂に誓って!」
「……そこをヒロインにできなかったのは、月乃さんに謝りたいわね」
久怜奈さんはため息をついた。お父さんとお母さんに憧れて、私はこうしているんだから何もおかしくないと思うんだけど、久怜奈さんは気にするみたいね。変なの。
「それで、師匠」
「何かしら? それと、師匠はそろそろやめてもらえる?」
ついでにこっちも勢いで通せるかと思ったけど、そうは問屋が卸さないね。残念。
「それで、久怜奈さん。私は私で動きますけど、もしものときはお願いします。私は組織のこと、嫌いじゃないですけど、共感はできないですから」
「わかってるわよ。そんなの、昔からね」
久怜奈さんは笑顔を見せてくれた。これで私も、後処理のことは気にせずに動ける。まだ見知らぬ誰かの可能性も考えなくちゃいけないけど、一番高い可能性にしっかり対処できるようにしておかないとね。これは、私にしかできないことなんだから。
手段も動機も、今の私には何もわからない。だけど私が狙われていることだけは、間違いないんだもの。今度は、前口上も決め台詞も邪魔させないんだから!
第七章 ナタフヒメ
一陣の風が吹いて世界は大きく動き出す。水曜日の情報交換は、探偵の吹かせた風が巻き起こしたもの。なだらかヒーローは一つの決意を固め、流れる水は川となって私の世界をも潤すだろう。だから私は求めよう。今こそ、約束を果たすそのときだと。
「温泉」
私はたった一言。とても大切な一言を、はっきりと声にした。学園の裏に吹く微かな風では、この言葉は掻き消せない。
「……今なのか?」
「私、あまり落ち着いていられないんだけど」
困惑と疑問と反論と。二人の反応は私の予想の内にある。外になければ、勝つのは私と決まっているのだ。
「焦りは禁物です、星乃さん。戦うべき相手の目星はついたとはいえ、あなたから接触して戦いを挑むことはできない。今少し、落ち着いてみるべきではないでしょうか?」
悠々泰然と巫女微笑み。なだらかヒーローの反論は封じた。
「それから法一さん。あなたが辿り着く推理の結果は、あなた一人で解決できるものではないと薄々感付いているのでしょう?」
探偵も黙り込む。勝利は目前、最後の言葉。
「そして私は膠着状態。でも、それを動かす鍵はお二人の中に。つまり温泉です」
そして勝負は決した。しかし私にははっきりと予感があった。もう一つの攻防が、私たちを待ち受けていることに。
後日。葉桜の宿に到着。
有名な宿で場所は承知しているけれど、私たちは宿に泊まるのではない。探偵に客人として招かれるのだ。私となだらかヒーローは、探偵と一緒に彼の家に到着した。
「お兄ちゃん、おかえりー」
「ただいま」
探偵の家に入ると、小さくて可愛い女の子が探偵を兄と呼んでいた。
「妹の霧鈴だ」
「へえ、小さくて可愛いね!」
なだらかヒーローよりはなだらかでないと思うのだけど、彼女の言う小さいはもちろん身長のことだろう。しかしそれも、年下であれば自然な差でしかない。
「兄のお友達ですね? 初めまして、霧鈴です」
妹探偵はぺこりと礼をして、私となだらかヒーローに挨拶した。二人でいたからか、兄の性格を熟知しているからか、彼女などとは微塵も疑わないあたり、きっと優秀な妹だ。
「私たちはこれから出で湯を利用する」
「……三人で?」
でも、この言葉には少し驚いたようだ。ちなみになだらかヒーローもそわそわしている。
「いや、当然別々に」
「はい。時間が惜しいので、それにその方が効率的です」
探偵の言葉を遮ってみた。妹探偵がちらりと、なだらかヒーローがすかさず私を見る。
「ちょ、ちょっと凪ちゃん。三人でって、そんなの!」
「お兄ちゃん、私もいた方がいい?」
「君は、恥ずかしくないのか?」
いくつかの声がまとめてとんできた。とはいえこの場面、探偵の言葉にだけ答えれば問題は解決する。
「恥ずかしくない。堂々と入らせてもらう。恥じらいを見せれば、一般的な男であれば性欲を刺激される。けれど、堂々としていれば綺麗に感じる気持ちが上回るはず。世界の芸術に描かれた裸婦も、かつての混浴文化も、それを証明しています」
さらに巫女微笑み。これは探偵ではなく、なだらかヒーローに向けて。彼女が真のヒーローであるなら、恥じらいくらいは制御できるに違いないのだ。
「うーん、それなら、やろうと思えばできるけど」
「はい。それと、私も今後のために一度くらいは男の裸を見ておこうかと」
「普段の姿を見ても、意味はないと思いますよ」
妹探偵が冷静に真実を告げた。ちなみに探偵は堂々と様子を見ている。懸命な判断。
「あいにくと、まだそこまでの友人関係ではない。急ぐこともない」
「だって、よかったねお兄ちゃん」
「よかった?」
思わず聞き返してしまった探偵に、妹探偵がきょとんとして、「言わせるの?」といった感じの視線を兄に返していた。探偵は小さく瞳を動かすだけで理解を示し、兄妹の会話は視線だけで終了した。私もいずれ、あれくらいの仲になったらいくつか試すとしよう。
いつの日か宿の温泉に比べれば小さいと探偵は話していたが、一般家庭に比べれば遥かに大きい出で湯の浴室。それは脱衣所の広さからも明らかなものだ。
「いいですよ」
脱衣所から顔を出した妹探偵が、私たちが衣類を脱ぐのを促す。さすがに一緒に脱いで一緒に入るのはこちらが恥ずかしいと、探偵が言ったのでこんなことになった。
私はゆっくりと、隣のなだらかヒーローのなだらかなものが、実際に見るとどれだけなだらかなのか観察しながら、衣類を脱いでく。彼女のなだらかは本物だった。彼女も視線に気付いているのだろうが、何も言わないので気にしない人であるのも本物だった。私の見立てに間違いはなくて一安心である。
妹探偵から渡された手ぬぐいを頭に乗せて、私は適度に勢いよく浴室の扉を開ける。なだらかヒーローは片手に持っていた。
探偵は既に、淡く色付いた出で湯に浸かって待っていた。視線は私ではなく、なだらかヒーローに向けられている。貧乳を愛する者かと一瞬思ったけれど、彼が見ていたのは髪の毛だ。ロングツインテールの髪を下ろした、普段とは違う姿。やはり探偵と言えども、男としてそのギャップには注目してしまうようだ。
それに、古来より優秀な探偵は美しい女性に弱いもの。これも探偵が優秀である証拠に……ならないと思う。
広い浴槽に、私となだらかヒーローも浸かる。
少しして。
「――これは」
言葉のない空間に、私は声を響かせる。隣のなだらかヒーローと、やや距離のある探偵が何事かとこちらを見た。
「三十……九度?」
「ああ、確かそれくらいだ。宿の方ではもう少し熱いものもあるが」
探偵の解説は反射的に、スムーズに行われた。
「――なるほど」
私は大きく頷いて、感覚を研ぎ澄ませてみる。この出で湯に何らかの神秘的な力があり、それが探偵の頭脳を冴え返らせている……その可能性を確かめるために。
「ただの温泉ですね」結果。
「私にとっては、大切な出で湯だ」
それは探偵として、そして宿の息子としての言葉のようだ。確かに、この心地好い熱さなら考え事をするには適していると思う。そしてこの温度こそが、探偵には最も適している絶妙な温度なのだ。
「私も特に何もないね。気持ちいいだけ」
「はい。何もなくとも、気持ちいいのが温泉。いい友人を持ちました。これからも、裸を見せることを条件にでもすれば、いつでも入れてもらえるでしょう」
「口から全て漏れているようだが」
「本音を漏らすのが、信頼の秘訣ですよ」
ほんの少し気の抜けた巫女微笑み。私は真の呪いのためなら、包み隠さず全てを見せて話す覚悟はできているのだ。そしてこの温泉は気持ちがいい。
しばらくして。
「二人とも」
今度の沈黙を破ったのは、探偵だった。すっかり長湯モードに入っていた私となだらかヒーローに、ほんの少しの緊張感が走った気がする。温めの温泉は長湯に最適なのだ。
「一つ、考えがまとまった。話をしたい」
「うん。ここでいいよー」
「お願いします」
「いや、私としては移動したいのだが」
すっかりだらけきった私たちに、探偵のそんな要求が通るはずがない。私となだらかヒーローは目で合図を送り合い、私が代表して言葉を返した。
「法一さんは、温泉内で密室殺人事件が起きたとしても、わざわざ外へ出て推理を披露するのですか? 犯人に証拠隠滅の隙を与えるような、そんな真似をするのですね」
最高にだらけきった巫女微笑みで、探偵に論理をぶつける。
「松本小枝は、思層空間に囚われている。場所も狭い範囲で推定した。星乃に頼みたい」
「ふえ?」
あまりにも端的な推理披露に、なだらかヒーローの反応が遅れた。もちろん私は最高の心地好さの中でもすぐに理解したが、面白いので助け舟は出さないでいよう。
「――それ、本当?」
面白い時間はすぐに終わって、とっても真剣な声が浴室に響いた。
「嘘は言わない」
「場所は?」
真剣な会話が始まったけれど、私は無関係なので温泉を楽しんでいよう。
「殿山はわかるな?」
「あ、うん。一応、大きな山だし」
巫女として少し気になる話が出てきた。鉈鉱市の南にある、大きな山の名前だ。その山は神丘よりも遥かに高く、それでいて鉈鉱市民の間では特に有名ではない。
「その麓、折殿町の広い場所。可能性はいくつかあるが……」
「思いつくのは、鉈鉱ドームね」
「ああ。動いてもらえるか?」
「もちろん。もし何もなくても、元々手がかりがないんだから同じこと」
二人の話は終わったらしい。せっかくなので、私も巫女として何かを伝えてあげよう。
「殿山には、トノヤマノカミという男神がいましたね」
「ん?」
「聞いたことないよ?」
山に祀られていた男神トノヤマノカミは忘れ去られた神。我らが神丘神社に祀られし、女神ナタフヒメ様によって。二人が知らないのも当然なのだ。
「ナタフヒメ様とトノヤマノカミはかつて愛し合っていました。女神と男神の愛です。しかしトノヤマノカミは浮気をしたのです。怒った女神は、男神の大きく硬くしたものに鉈を振り下ろし……こうして、鉈振姫の名が生まれたのです。ちなみに、トノヤマノカミは殿山にそのまま神をつけて、殿山神です」
「鉈を……」
「浮気したんだ?」
探偵が下半身を確認するように呟いて、なだらかヒーローも驚きの色を見せながらも、真剣モードが残っていたのか冷静だった。
「さあ、探偵が萎縮している今のうちに、脱出です」
「え? いいの凪ちゃん?」
なだらかヒーローの問いに、私ははっきりと頷く。
「鳥のイヤリングの女性については、手がかりがないのですよね?」
「あ、ああ……そうだな」
「謎の青少年との関連も、ないのでしょう?」
「ああ」
巫女微笑みを意識して顔に浮かべながら、なだらかヒーローに促されたので探偵に言葉で確認しておく。探偵が言わなかったということは、有力な情報がないということ。私もぼんやりと心地好い時間を楽しんでいただけではないのだ。
「ちなみに、ナタフヒメ様も今の私のように……」
「着替えが終わったら、霧鈴に言ってくれ」
ぶっきらぼうな探偵が登場した。なかなか珍しい姿だけど、今後の友好的な関係のためにこれ以上はやめておこう。
私となだらかヒーローは探偵の言葉に頷いて、脱衣所で着衣することにした。
三つの失踪
九 謎の青少年
松本小枝については、現状私にできることはもうない。何者かに誘拐された学園生。探偵としては救出まで行いたいところだったが、私がやれば小枝に危険が及ぶのは避けられない。探偵の推理力と話術をもってしても、堅く守られた城を力尽くで崩すのは困難を要する。
そちらは彼女に任せるとして、私も私で未解決の事件を捜査する。星乃が二度見かけた、謎の青少年。彼については、もう少々調べなくては核心には辿り着けない。
彼女たちと出で湯を利用した木曜日の夜に、私は地図を開いて目星をつけ、金曜日の放課後には地図を片手に細かい地形を調べていた。場所は、星乃が謎の青少年を見かけた鉱採公園。
鉱採湖は鉱採川の支流が流れて作られた湖。鉱採公園やそこへ繋がる道こそ整備されているが、周辺には自然が多く残る土地だ。身を隠すには絶好の場所、とはいえ無闇に探しても意味がない。
鉱採湖周辺の地形を一通り確認したところで、私は鉱採公園に戻る。
「すみません、人を探しているのですが……このような人を見かけませんでしたか?」
私は公園にいる人に声をかけ、コートに帽子にサングラスという謎の青少年の特異な容姿を伝える。この季節、そんな格好の相手を見かけたら普通は簡単に忘れないだろう。
十人程度に聞き込みをした結果、目撃証言は二人――近くに住むという老夫婦からの証言を得ることができた。この五月になってから見かけるようになったとの話で、頻度は一週間に一度か二度。多くはないが、決して少なくもない。
学園内での目撃情報や、星乃の目撃回数。それらを考えると、毎日ここに来ているという老夫婦が見かける頻度も似たようなもの。
しかし、もし誰かがこの近辺に潜伏するのであれば、突発的な行動でない限り、事前に何度か調査をするはずだ。ならば、老夫婦が毎日ここに来ているという事実も、その際に把握しているだろう。潜伏において、潜伏場所近辺の住民情報は場所の選定に並ぶ重要な要素だ。
隠れるのに適した地形であっても、近辺に決まった行動を毎日のようにとる者がいて、常に目撃される可能性が高いのであれば、その時点で潜伏場所には適さない。
毎日という点でいえば老夫婦も当てはまるのだが、彼らの場合は時間もほぼ決まっていて、移動範囲も狭かった。例えば――そこの小さな林に隠れて様子を見るだけで、目撃されないように行動することは難しくないだろう。
そして現に、そこの林ではないがどこかで私を監視している気配があった。自らの潜伏する場所で、長時間に渡り何かを調べている人間がいる。警戒して距離をとり、姿を現さないようにするのは当然のことだ。
どこで気付かれたのかまでは私にもわからないが、明確な気配を感じたのは五人目の聞き込みの最中。どうやら目的の人物は、潜伏はできても気配を消すことはできないらしい。
あるいは、気配を消す気は元からないか。私の前に姿を見せないのだから、何かを仕掛ける気はないのだろうが、何かを仕掛けられるのを待っているようには思える。
だが、直接の接触は今の私の目的ではない。
「人を探しています。お話、よろしいですか?」
私は公園を歩いていた者に声をかけて、謎の青少年の容姿を尋ね聞いた。十数人に声をかけた結果、目撃証言をさらに二つ――一人はたまに公園に遊びに来る小学生の少女で、もう一人は帰宅時に鉱採公園を抜ける会社員――得ることができた。
複数の証言が得られたところで、私は小さく首を横に振ってみせてから、足取りを遅くしてナタチカの駅へ戻る。諦めた仕草を信じたかどうかは別にして、この行動に対してもおそらく相手からの接触はないはずだ。
鉈鉱市営地下鉄道定期券――ナタチカフリーパスで改札を抜け、ホームで次の電車が来るのを待つ。緩やかに一回りするように敷かれたレールを走るのは、反時計回りに三本の電車。次の到着までは五分強。接触の時間は十分にある。
だが予想通り、相手からの接触は何もなく、私はそのまま自宅に帰るのだった。
第八話 鉈鉱ドームの思層空間
私が動いたのは、土曜日の午前九時だった。鉈振町から折殿町までは、ナタチカで移動して約十五分。折殿町の鉈鉱ドーム前駅から、地下鉄直結の鉈鉱ドームへ地下道を歩く。
数分で到着した鉈鉱ドーム。今日の鉈鉱ドームではイベントもないし、スポーツの試合もない。そして、思層空間の気配も察知できなかった。でもここまでは予想通りの展開ね。そんなに簡単に見つかるなら、法一くんの頭を頼るまでもないもの。
私は一旦考えるのをやめて、鉈鉱ドームの外に出る。普段来ない折殿町、どんな街かを見て回ることにしよう。といっても、鉈鉱市折殿町は殿山周辺の、広いだけの平地。見るものは少ないけれど、それでも鉈鉱ドーム周辺にはいくつかのお店がある。
幸い大きな書店もあったし、鉈鉱ドーム内のグルメも少しは営業しているみたいだ。時間を潰して食事して、ほんのりカードの力を漏らしながら相手が気付くのを待とう。
元々、もう一度私に接触するつもりだったのなら、気付けばいずれ動いてくるはずだ。そしておそらく、最初の動きはたった一つ。しっかりお腹を満たして、戦いの準備は万全にしておかなくちゃね。
ドーム内の飲食スペースで頼んだ、かけそばを食べていたとき。私は小さな思層空間の発生を察知した。場所は鉈鉱ドームの中心、この場所からなら入れる場所は……。
おそばをすすりながら思い出して、私はしっかり食事を終えてから立ち上がった。
この場所からだと、殿山方面に十分ほど歩いた場所に、思層空間に入るのに適した場所がある。けれど、思層空間の反応は動いていない。だったら直接、乗り込んだ方が近いね。
今日は何もないから、ドーム観客席へ繋がる道はシャッターが下ろされている。でも、敵が中にいるということはどこかは開いているはずだ。私は一つ一つのシャッターを調べて、ほんの僅かに下から光が漏れているシャッターを開けて、観客席に侵入成功。招かれたのか招いたのか、どっちにしても開けたシャッターを閉めておくのは忘れない。
思層空間はドームの中心、芝生の上空で発生しているみたい。不思議なのは、発生しているはずなのに発生させている人間が見当たらないこと。
偶然発生したものであれば――こんなところでどうしてという疑問はあるけど――思層空間を発生させた本人は、思層空間の傍にあるはずだ。このくらいの規模なら、意識はあるけど少し調子が悪かったり、気分が高揚していたり、そういった形で。
「ま、考えていても仕方ないね」
ざっと観客席を見渡しても、人の姿はない。気配は……これだけ広いドームの観客席だ。私には遠くの方まで察知できないね。
「私の感情があなたの思層を壊してあげる! さ、楽しくカードで遊びましょう?」
ちゃんと言えた! ふふん、今度は邪魔はないみたいね。
「……ふう」
と、喜んだのも束の間。この思層空間は、明らかに変だった。小さな曲面と曲線で構成された空間に、存在する敵は一つのフラワー。他の敵の姿は、全くない。
それに見たところ、特別な能力を持っているわけではなさそうね。私はキャノンステッキを取り出して、軽く振ってそのフラワーをなぎ払う。これじゃあさすがに、決め台詞は叫べないもの。
思層空間が崩れて、私は現実空間に戻る。その直後、また同じ場所に別の思層空間が発生した。集中して察知するまでもなくわかるほどの、大きな思層空間だ。
「ふう……」
私は大きく息を吸う。これはどういうことだろう? どうやっているんだろう? そんな疑問が浮かんでくるけど、まずは相手の正体を確かめないとね。
「いるんですよね! えっと……何とか志狼さん!」
こんなときにど忘れ! でも、思い出す時間ももったいないから、このままいくよ!
「何とかとは、まあ接点が少ないから仕方ないかな?」
声が返ってきた。方向は、私の後ろ。振り向くと、観客席の一番高いところに彼がいた。何度か見たことのある、師匠と同じ組織の人。
「俺は羽倉志狼だ。さて、これ以上のお話は……その思層空間を破ってからにしてくれ」
「そうですか」
私はすぐに発生した思層空間に入って、即座にキャノンステッキを取り出した。さっき言ったから前口上は省略! 一瞬でボスらしき敵が遠くにいるのを確認して、向けるはキャノンステッキの先端!
これで、準備完了!
「遠く遠く軽やかに! おっもい一撃、ホシノ☆エモーション!」
道を塞ぐ敵をまとめてなぎ倒し、強烈な光がボスを貫く。勝負は決まりね。崩れていく思層空間を感じながら、私は戻った現実空間で笑顔を見せた。
「終わりましたよ?」
私は驚いた顔も見せずに、私をまっすぐに見下ろす羽倉志狼さんに声をかける。感じる印象は、前に会ったときと変わらない好青年。背が高いから、高いところにいるともっと高く見えるのが、そのときとの唯一の違いね。
声の調子も、熱い性格も、垣間見えたそのときと変わらない。
「さすが、相当な実力だな。だからこそ、君の存在は俺にとって障害になる」
「組織に熱心なあなたに、どうして?」
素朴な疑問をぶつける。どこまで話してくれるかわからないけど、聞けるだけ聞いておかなくちゃ損だもの。
「ああ。そうさ」志狼さんは大きく手を広げてほくそ笑んだ。「俺は誰よりも、組織に熱心な男だ。実力はまだそこまでじゃないが、組織への熱は誰よりもある!」
そこで言葉を一旦止めて、今度は自嘲するような笑みが浮かぶ。
「だが、残念なことにまだ俺は組織として、活動できてはいない。大きな戦争も起こる気配がない退屈な状況だ。だったら、少しくらい組織の活動外で遊んで、争いの土壌を自ら育てるのも、仕方のないことだろう?」
「……自ら?」
感情的に言葉をぶつけたい気持ちを抑えて、私は尋ねる。大丈夫、これくらいで怒るような私じゃない。感情は全て、思層空間でぶつけてやればいいんだもの。
「ああ。だけど、俺にはそこまでの資質はないし、何より直接動いたら組織に気付かれてしまうだろう? しかし幸いにも、組織は大きな争いに繋がる思層は統制するが、小さな事件には動かない。ならば資質あるものを探し、その力を貸してもらっても、組織には邪魔されないというわけだ。
――たった一人、組織とは無関係に活動する君を除いてはね。だから、俺にとって君は最大の障害ってわけだ。理解したかな?」
「そこまで話しちゃって、いいんですか?」
「無論だ。君はここで排除する。それに、もしかしたらと思ってね。先輩に聞いた話では、君は一度暴走したというじゃないか」
「残念ながら、二度目はないですよ? お父さんとお母さんのいた組織で、そんなことをしようなんて人がいたのは……悲しいですし、怒りたくもなりますけど。でも、その力は全てここに詰まっているんです。私の、両親のおかげで」
一枚のカードを持って、私は答える。このキャノンステッキは、私の感情の力。お父さんとお母さんが守ってくれた、私の大切なカードだ。
「ふ。まあ、いいさ。さあ、もう一度といこうか。君が倒れるまで、俺の思層空間で戦ってもらおう。色々研究して、ちょっと特殊な方法で生み出していてね。何度だって――ほら、このように」
再びドームの中心に、思層空間が生まれた。中くらいの、そこそこの質。
私は無言で思層空間に入って、前口上も決め台詞もなしにさっさと壊してしまう。
「こんなの、いくらやっても私は倒せないですよ?」
現実空間で、再び志狼さんと対峙。呼び捨てにしてもいいのかもしれないけど、ここでの私は冷静なのだ。全てが終わるまで、普通にしてあげよう。
「ああ。だが、力は確実に消耗するだろう?」
再び生まれた思層空間を、破壊。もう一度、生まれて、壊して、本当に何度も生まれるねと思いながら壊していく。
そして十個目の思層空間を壊した直後。安堵した私に、キャノンの一撃が飛んできた。
「……ん!」
警戒はしていたので咄嗟に回避したけれど、そのキャノンはとても厄介なものだった。威力よりも、攻撃範囲を重視した一撃! ダメージは弱いけど、私も完璧に回避することはできなかった。……やってくれるね。
「君の動きを調べて、弱らせて、それから正面から叩き潰させてもらう。もちろん、諦めて逃げても俺は構わないが……今度は、俺から接触はしないぞ」
「そして、今の私には証拠がない。ま、いいけどね」
私は不敵に笑って、次の思層空間を破壊する。キャノンを警戒していたけど、今度は攻撃してこないみたいだ。警戒するだけでも気力を使うし、本当、困った相手ね。
でも、これでいい。私がある程度消耗したら、きっと直接私を倒しにくるんだから。壊れる直前の不意討ちだけで倒せるだなんて、志狼さんも思ってないし、私も倒されないもの。だからそのときまで、私は黙々と思層空間を破壊するのだ。いつものように、それで志狼さんの力は削れなくても、彼女の力は確実に少しずつ減っていくはずだから。
私は戻った現実空間で、スカートのポケットに手を入れて、中のお守りを握る。
これは昨日、法一くんの家で凪ちゃんがくれたもの。神丘神社の巫女が作った特別なお守りで、いっぱいお祈りしてくれた凄いお守りだ。
そしてもちろん、そのときの言葉も忘れてはいない。だから、私は負けないの。大事な二人の仲間がいるのに、負けるはずがないもの。
第八章 巫女のお守り
湯上がりの探偵宅。温泉宿と遜色ない畳敷きの一室で、私はなだらかヒーローと二人で涼んでいた。北の春の夜は、今日も異常なく肌寒い。招いた客人を湯冷めさせてはいけないと、歩いて帰る私たちに探偵が配慮してくれたのだ。
高等学校の平常授業を終えて、学園から程々に離れた家を訪れ、ゆっくりと温泉を楽しめばこの季節の太陽はみるみるうちに落ちていく。外はすっかり夕焼けである。
「気持ちよかったね、凪ちゃん」
「はい。さすがは老舗の温泉宿。最高でした」
ゆっくりゆったりくつろいでいると、誰かがやってくる足音がした。探偵はちょっと用事があると言っていたので、もしご両親なら神丘神社の娘としてご挨拶をしよう。
私となだらかヒーローが振り向くと、そこにいたのは妹探偵だった。
「お兄ちゃんとの温泉、どうでした?」
妹探偵が聞いてきた。可愛らしい日常会話のトーンで。
「どうって……」
なだらかヒーローがこちらを見た。探偵の妹とはいえ、どこまで話していいか迷っている様子だ。私の方は全て話しても問題ないのだけど、彼女の事情はまた少し違う。
「いい温泉でした」
「そうですか。じゃあ、ごゆっくり」
妹探偵は興味なさそうに、すぐに戻っていった。元々私たちにはあまり興味がなく、それでも一応妹として兄の友人には興味があった、といった行動だと思う。
元の二人に戻って、私はなだらかヒーローに声をかけた。
「お守りを作ってきました」
今日のために、約束した日から準備していたこと。探偵もそろそろ戻ってくるだろうし、私たちもそろそろ涼みは十分だ。だから、今がちょうどいいと思う。
「お守り?」
「はい。巫女といえばお守り。星乃さんのために祈りを込めました」
懐から取り出したお守りを一つ、なだらかヒーローに差し出す。
「お守りかあ……」
なだらかヒーローはすぐには受け取らずに、お守り袋の文字を見ている。そしてちょっと見てから、私の顔を見て尋ねるような声を響かせた。
「……安産祈願?」
「私としては呪符の方が得意。でも思層空間の性質が詳しくわからないと日常生活に支障が出るし、きっとあなたは望まない」
「うん。……安産祈願?」
「なので、巫女としての祈りを宿した護符にしました」
「安産?」
なだらかヒーローが三回も聞いてきた。慌てなくても、そのことはこれから話すのに。
「お守りの護符は袋の中です。外は神丘神社の余りもの。裁縫は苦手」
「そうなんだ?」
「はい。袋は保護膜。文字は飾りです」
ナタフヒメ様は呪いの神。一般には恋愛の神。それにしても鉈鉱市の外まで広く知れ渡っているわけではない。安産祈願のお守りは不人気なのだ。ちなみに一番人気は恋愛祈願。恋人や伴侶との良好な関係を維持する御利益が籠もっている。
「そっか。ありがとね」
なだらかヒーローは笑って、私のお守りを受け取ってくれた。
そんなとき、今度は探偵が部屋にやってきた。用事とやらが終わったらしい。
「そろそろ、湯冷めは問題なさそうだな」
私たちの様子を見て、瞬時に判断する探偵の推理力と観察力。
「凄い瞬間視姦能力」
「帰る前に星乃、少しいいか?」
私の呟きには何の反応も返ってこなかった。もしかすると、探偵は知らない側なのかもしれない。今後、相応しい場面で確認するとしよう。
「なに?」
「出で湯で頼んだ件だが、危険はないか?」
「そりゃ、あるよ?」
探偵の言葉に、なだらかヒーローが笑顔で答える。早速私のお守りの出番だ。
「でも、凪ちゃんからお守りももらったし、法一くんも心配してくれてる。だったら、大きな危険じゃないから大丈夫。だから、法一くんも法一くんで、やることやってね」
「承知した」
なだらかヒーローの答えに、探偵は大きく頷いた。ここで彼女を信頼して任せると言えないあたり、探偵には遠慮も感じられる。でも、今の私たちならこんなものだろう。協力はしていても、まだ何も成し遂げられてはいないのだから。
第九話 切り札
思層空間で使えるカードは、使う人の資質によって自然発生する。組織では研究や開発も行っているみたいだけど、私には縁のない話だ。
「……さて、そろそろか」
「そろそろ、かもね?」
志狼さんの呟きに、私は微笑みを返す。私の体力と気力は、既に万全の状態からだいぶ落ちている。それでも、真っ向からぶつかり合えば勝つのは私だ。
「見せてあげよう。俺の研究の成果、その真の力を!」
再び生まれた思層空間に、志狼さんが先に入っていった。私も追いかけるように同じ思層空間に入る。もちろん、警戒は忘れずにね。
曲線と曲面、長いけれどシンプルな空間。私が入ると、遠くから志狼さんの声が聞こえてくる。組織には思層空間内での連絡用のカードもあると聞いているから、それを使ってるんだろう。
「この思層空間は俺のものではないが、俺の思層空間だ。君が倒すべき相手はこの俺。そしてここに配置された敵は――全て君の敵だ」
配置されたといっても、地形に阻まれてその姿のほとんどは見えない。そして、彼の言葉を本当とするなら……これは、想像以上に厄介かもしれない。
「どうやってるのかは知らないけど……不意討ちはしないみたいね」
想像以上に厄介な思層空間。今まで通りに戦ったら、私は勝てないね。
一つ、大きく深呼吸。
「私の感情があなたの思層を壊してあげる! さ、楽しいカード遊びはもう、終わりにしましょう?」
前口上を響かせた直後、遠くからキャノンの砲撃が飛来! さすがにこの距離じゃ当たらないけど、私は油断せずに回避。今は私の攻撃の番。そして、志狼さんの攻撃の番でもある。これで単なる打ち合いなら、勝つのは私だけど……。
私も反撃するように、キャノンの砲撃を発射! 当たらないことを前提の、牽制と様子見の一撃だ。この状況で、相手から接近してくることはありえないもの。
余裕を持ってステッキを取り出したところで、またキャノンが飛んでくる。これは、思層空間に配置された敵のものね。同時に攻撃できないとはいえ、攻撃時間は相手が二倍! 今まで通りに攻略しようとしたら、近づく前にやられちゃうね。
でも、今の私には、新たな力がある。凪ちゃんのお守りと、法一くんの言葉。初めての頼りになる仲間を得て、私の中に生まれたもう一つの切り札。
「サテライト!」
私の行動時間。すぐに私は、一枚のカードから切り札を取り出した。空中に浮かび、全てを見通す索敵の目――サテライト。多分、二人の性格に影響されて生まれたもの。
「隠し持っていた……いや、新たなカードか。だが!」
空に浮かんだサテライト目がけて、志狼さんのキャノンが放たれる。
「……もう、遅いよ!」
私は空中で光が炸裂するのを一見もせずに、駆け出す! サテライトの効果は単純にして高速。もう、配置された敵の全ては把握した。空からの偵察を警戒していたみたいだけど、サテライトの前にはあの程度じゃ無力ね。
それだけに消耗も大きいから、普通の思層空間では使いたくないけど、この普通じゃない思層空間なら迷わず使う!
ステッキキャノン片手に、ボウとアローで的確に邪魔な敵だけを撃破! 最短ルートを全力疾走! 接近すればするほど、普通のキャノンは不利になるんだから!
「ふ、予想外だな。しかし、俺もSTSの一人! 手は――ある!」
遠く視界の先、志狼さんは両手にキャノンを持って大きな光を私に連発!
「っと!」
私は咄嗟に地形に隠れて、攻撃をやり過ごす。今のは通常のキャノンの砲撃。攻撃範囲を重視したわけじゃない。けど、使い方が通常じゃなかった。私が一気に攻め落とそうとするのを見て、相手も消耗を気にせず戦うことにしたみたいね。
このまま移動したら、敵の――この思層空間の敵の行動時間になってしまう。私の選んだ最短ルートは、ほんの数センチのずれも許さない細い道。少し逸れたら、キャノンにボウにアローにフラワーと、場所によってはステッキまで含めた集中砲火!
サテライトで完璧に把握したからこそ狙える、ピンポイントの隙ね!
地形を盾に身を固めながら、次の行動を考える。地形を活かした守りが固い場所ゆえに、私も動かなければ守るのは容易い。でも、時間をかけるとせっかくの索敵が無駄になるね。配置されている敵も、動けないわけじゃないもの。
だったら、行動はこれに決まりね。
「はあっ! いっけえっ!」
最短ルートをまっすぐに、キャノンステッキの先端を前に向けて走り抜ける。二本のキャノンの砲撃には、こっちもキャノンステッキの一撃で相殺!
「……力勝負か。その消耗で、どちらが尽きるのが先かな?」
「さあ、そんなの……終わればわかること!」
もちろん、無闇に全部ぶつけるんじゃなくて、回避できるものは回避する。私のキャノンステッキは確かに強力。でも威力は、普通のキャノンと大きな差はないもの。キャノンステッキの利点は、キャノンとステッキの力を同時に自在に扱えることなんだから!
そしてその利点を活かして、私は道端のフラワーを的確に刈っていく。このあたりに仕掛けられているのは、全て地雷のようなフラワーね。射程は狭いけど、凄く見つけにくいの。サテライトで把握しているとはいえ、半歩でも間違えると大ダメージ間違いなし!
さらに進むと待ち受けているのは、足を絡めとる蜘蛛の巣のようなフラワー。光の網に捕まると、途端にボウやアローが動き出す。行動時間の終わりにうっかり引っかかると、相手の激しい攻撃でやられちゃうね。
まだ少し時間はあるけれど、私は足を止めて地形に身を隠す。急ぎたいけど、ここはゆっくりね。敵の配置はわかっても、自分の能力を見誤ったら情報も役立たないもの。
蜘蛛の巣を無事に抜けたところで、敵――志狼さんの行動が変わった。ここまで接近したらキャノンは不利とみたのか、フラワーの盾に隠れてボウで牽制しつつ、後退!
だったら私も、キャノンの相殺はやめてステッキで弾くだけ! そして隙を見て、先端を志狼さんに向けて鋭いキャノンの光で、配置された盾をまとめて破壊!
「逃がさないよ!」
「耐えてみせるさ!」
さすがに、そろそろ消耗が限界に近い。でも、ここまで来たら、一瞬の隙を作れば決着はつけられる!
そのためには、志狼さんの思考を考えないといけないね。配置された敵と戦う思層空間と違って、彼は私と同じカードの力で戦う敵。動くのも、攻撃するのも、私と同じ。同じだけ動いていたら、後退する相手にはなかなか追いつけない。……だったら。
私と志狼さんの行動時間が終了して、私は一度足を止める。これ以上進んだら配置された敵の射程範囲内。すると志狼さんも足を止めて、続きはまたといった表情を見せた。
でも、残念ね。私はそんな悠長なことはしないの。
私の守りの時間。敵の攻撃の時間。でも、私は気にせずに志狼さんに近づいていった。可能な限り速い速度で、攻撃を受けるのも厭わずに!
「な……しまった!」
私の行動に驚いて、すぐには動けなかった志狼さん。まだ私の攻撃の時間は来ない。配置された敵の、ボウやアローは私に直撃している。でも、サテライトで敵の能力は、攻撃力がどれくらいなのかも把握済み。この一回だけなら、耐えられるね。
そして、その僅かな遅れが決定的となる。この間に詰めた距離は、もう縮まらない。
これで、準備完了!
……だけど、少し待つ。接近はできても、攻撃はまだできないもの。
「遠く遠く軽やかに! おっもい一撃、ホシノ☆エモーション!」
行動時間が始まった直後、私は必殺の一撃を放つ! 素早く盾を展開させる志狼さんだけど、ここはもう私の間合い! 放たれた光の束は、盾の準備が整う前にボスに直撃!
「く……まだ、まだ!」
「――もっとおっもい一撃、ホシノ☆エモーション!」
ちょっと省略して、もう一発! 今度は気合で耐えることもできずに、志狼さんはその場に崩れ落ちた。そして、思層空間も崩れていく。
現実空間に戻った私の前に、倒れていたのは志狼さんだけじゃなかった。片膝を立てて苦しそうに姿勢を整えた彼の前。観客席のベンチに、一人の女の子が仰向けで倒れていた。
「志狼さん。その女の子は?」
「俺の思層空間に軟禁していた、力の源……だった少女だ」
話せる気力はあるらしい。私は志狼さんを無視して、ベンチに倒れている女の子の場所を目指す。近づいていけばはっきりとわかる。今までの思層空間を生み出したのは、すべて彼女の思層の力だ。その感情のほとんどは、寂しさ。それから、少しの恐怖。
「志狼さん、彼女に危害は?」
「見ての通り、大事に扱っているさ」
女の子の着衣に乱れはなく、怪我をしている様子もない。近くでわかった感情――思層空間の源となる力とも、矛盾はない。
倒れた女の子は眠っているように見えたけど、間近になった頃には目を覚ましていた。
「……ん? ここ、どこ?」
「体は大丈夫ね? 松本小枝ちゃん」
「はあ……えっと、どなたですか?」
私の言葉に疑問もなく答えた女の子――松本小枝ちゃんは、体を起こして首を傾げた。色々とやることは残っているけど、ともかく最大の問題は解決ね!
三つの失踪
十 七園舞華
私が動いたのは土曜日の午前、八時を過ぎた頃だった。葉桜の宿を出て、向かう先は鉱採公園鉱採湖。昨日までの捜査により、場所の特定はほぼ完了した。
しかし、踏み込むには相応の準備も必要だった。双田草二への手紙を送り、地図に描かれた地形と実際に見た地形を比べて推理する。そして最後の仕上げは、今日これから行わねばならない。
鉱採湖に到着した私は、鉱採川沿いに上流を目指していく。林の中に広がるのは険しい山道であり、そう長い距離を歩くわけではないが体力がなくては目的地へは到達できない。
しばらく歩くと、一つの洞窟が見つかった。この洞窟に正式な名称はないが、便宜上鉱採洞窟と呼ぶことにする。
鉱採洞窟の入り口から覗いた中は暗く、奥は見えない。私はランタンに火を灯し、洞窟の中に侵入した。広めの洞窟で身を屈める必要はないが、道はまっすぐではない。分かれ道がないか注意深く確認しがなら、慎重かつ迅速に歩いていく。
そのまま五分、十分。遠くの方に仄かな明かりが見えた。私はランタンの火を消し、さらに奥を目指す。風は僅かに感じるが、この微風は侵入していたときから感じていたものだ。歩いた距離と地形からこの先に出口があるとは考えにくいが、光が入る程度の小さな穴が開いている可能性は十分にある。
日中であれば明かりがなくても、多少の生活可能な空間がこの先に存在する。私は光の方向へ向けて、あえて足音は消さずにまっすぐに向かっていった。
光が強くなる。洞窟の奥の狭い空間には、一人の少女がいた。床には僅かだが物が置かれていて、少女の視線は足音の方向――私の方へ向けられている。
暗い洞窟でも輝きを残す端正な顔立ちで、微笑を浮かべて黙って見つめる少女。
「あなたが七園舞華さんですね?」
私は単刀直入に、彼女も少しは予想しているであろう質問をする。
「はい。一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
私は頷く。舞華は笑って、それから真剣な表情で言った。
「この場所のことは、彼から?」
「聞いてはいません」私は首を横に振る。「だが宇宙人に攫われたと言う彼の様子が、一つの手掛かりとなったのは事実です」
「なるほど。では、あなたの目的をお聞かせ願えますか?」
「学園生連続失踪事件の解決。それが探偵としての、私の目的です」
「探偵ではない、あなたの目的は?」
「私は探偵としてしか行動していません」
「ふむふむ」舞華は何度か頷いてから、柔和な笑顔で言った。「私を見つけたことで目的は達成されましたね」
「いや」私はゆっくりと首を横に振る。「七園舞華の失踪事件を解決しただけでは、全ての事件を解決したことになりません」
「連続……でしたっけ?」
舞華は首を傾げる。私は大きく頷いてから、続けた。
「はい。あなたの知らない誘拐事件も、他に発生しています。しかしその一つは既に解決し、もう一つも間もなく解決します。私と情報を共有する、頼りになる友人が動いているのです」
「私の他にも、失踪した方は二人いたのですね」
「一人は知っているのでは?」
「さあ? どうしてそう思うのですか?」
とぼけたように可愛らしく笑ってみせる舞華に、私は少しの間を置いて答える。
「先程あなたが口にした、彼もこちらに呼んでいます。七園舞華さん。あなたの失踪事件を解決するには、彼の――双田草二の失踪事件も同時に解決しなければなりません」
「あら、呼んでしまったのですか?」
「はい。あなたがもし彼を守ろうとしているのであれば、ご迷惑かもしれませんが」
「私に彼を守る理由がある、と?」
舞華の瞳に訝りの色は見えない。見えるのは最初からずっと、楽しみの色だけだ。彼女の動機については推理するのは難しかったが、この様子から動機は火を見るより明らかだ。もっとも、それが動機の全てであるとは限らない。
「私はないと考えています。あなたが彼に恋をしたというのであれば、話は別ですが」
「それこそ、ありえませんね」
私と舞華は微笑み合う。それから少しの間、無言の時間が続いた。分単位での細かい時間は指定していないが、私の行動にかかった時間と、鉈鉱市営地下鉄道の発着時間、及び手紙を受け取った彼の精神状態を考慮するに、そろそろだろう。
洞窟の中に足音が響く。その音は次第に大きくなり、彼が姿を現した。
「俺をこんなところに呼び出して、何の用なんだ?」
現れた双田草二は、軽く状況を確認してから私の方を見て言った。
「もう一度言っておくが、俺は宇宙人に攫われたんだ!」
自信満々で繰り返した草二に、私は冷静に指摘する。
「詳しい地図もなしに、よくこの場所に辿り着けたな」
「そりゃ、この公園は小さい頃の遊び場だったからな!」
さすがに彼も、これくらいの対応は考えてきたらしい。こんな険しい山道の先に、小さい頃の彼が辿り着けるとは思えないが、わざわざそれを指摘して遠回りをする必要はない。
楽しむつもりの七園舞華に合わせるのは私も楽しめるが、彼は言い抜けようとするのみ。
だから私は、決定的な一言を最初に告げる。
「七園舞華に罪はないが、双田草二には罪がある。私は探偵だ。捜査しているのは学園生連続失踪事件。これから、全てを暴かせてもらおう」
私はまっすぐに草二を見た。彼は僅かに視線を逸らして舞華を見ていたが、すぐにこちらに視線を戻した。彼女が白状したわけではないと、すぐに察したのだろう。
「俺に罪があるって言うなら、その推理聞かせてもらおうじゃないか。言っとくけど、俺は何も答えないからな!」
沈黙を決め込んだ彼に、私は問題ないとばかりに口元を緩める。
「今回の学園生連続失踪事件は複雑にして、同時に単純な事件でした。一つ一つの単純な事件を、重なった偶然が繋げた。ただそれだけのことです。
多くの者が知らぬ間に発生した、一つ目の失踪事件。それをきっかけとしつつも、また別の理由によって起こった三つ目の失踪事件。そして、それらとはまた違う理由で発生した二つ目の失踪事件。三つの失踪事件が偶然、近い時に発生した。それが全てを解決しようとする私を混乱させたのです。――慌てないで、これも必要は前置きです。
奇妙な偶然のおかげで、七園舞華の失踪に関しては私より早く気付く者が現れた。そして彼の行動がまた、事件を複雑にして、同時に解決へと導いてくれた。感謝するよ」
その彼――双田草二は宣言通り沈黙を貫いていた。ならば遠慮なく、名指しさせてもらおう。
「それが君――双田草二だ。どのように推理を進めて、調査し、ここに辿り着いたのかまでは私にもわからない。しかし君は確かに、この場所に辿り着いた。その証拠は今も、あなたが持っていますね? 七園舞華さん」
「証拠、ですか? どのような?」
舞華は微笑んで聞き返した。もう一人の草二は微かに表情を変えつつも、沈黙している。
「いいでしょう」私はおもむろに頷いて続ける。「草二くんが、舞華さんが鉈鉱洞窟――この呼称でご理解いただけるようですね――にいることを突き止め、ここに侵入する際に残された証拠。正確には、舞華さんが自衛のために残した証拠です。それを今すぐに出してもらってもいいですが……」
私は視線を草二に固定して、言葉を続ける。
「まずは、その経緯についての推理をお話しましょう。これで白状してもらえるなら、わざわざその証拠を出してもらう必要もない。君にとって、人生を左右する証拠だ」
未だに彼の沈黙が破られる気配はない。続けよう。
「さて、鉈鉱洞窟に侵入を果たした君はどうしたか。普通に考えれば、失踪した学園生を見つけたのだから、まずはその失踪した理由を尋ねるだろう。こんなところに、それも長期間潜伏しているのだ。誰でも多かれ少なかれ事情は気になるだろうし、居場所を特定するため努力した者にはそれを聞くことが最大の目的になるかもしれない。
それから、心配して探しにきたのであれば学園に連れ戻そうとするだろう。説得するか、強引にか、方法は様々で複数の手段を使うことも考えられる。あるいは、その理由に共感したのであれば、共犯となって一緒に失踪することも考えられる。
七園舞華は学園では有名な女子生徒だ。特に、男子生徒からの人気は高い。その男子生徒の中には、双田草二くん。君も入っているのではないかな? ――ああ、答えは結構。君は自分の言葉通り、沈黙を続けたまえ。せっかくの機会だし、私も推理を楽しみたいんだ。
彼女に惹かれた男子生徒は多いが、私の知る限り七園舞華ファンクラブなるものは学園には存在しない。いくつかのグループは見られるが、特に争いもなければ厳しいルールといったものもない。それゆえに、そこに所属せずとも彼女が好きだという男子生徒は何人もいる。その中には、その気持ちを自分の内にのみ隠している者も少なからずいるだろう。
さて、では君がその一人であったという仮定に基づくと、この状況は憧れの舞華先輩と二人きりになれる絶好の空間だ。共に失踪を続け、特別な関係を結ぼうとすることも十分に考えられる。例えば、恋人という関係が平和的で一般的な思考だ。
しかし、この場所は彼女が長く隠れられた程の人目につかない場所。鉈鉱洞窟の中で何か事件が起こっても、大きな声をあげても周囲に気付く人はいない。
だとすればそう、弱みを握って監禁するには絶好の場所だと思ったのではないかな? おあつらえ向きに、失踪したという事実と理由がその弱みとして使えそうだった。学業放棄というのは弱みとしては強くはないかもしれないが、この状況ならそれでも十分だろう」
私はそこで言葉を止めて、舞華の持ち物が置いてある場所に歩いていく。荷物を開ける必要はない。それはそこに、いつでも使えるように置いてあったのだから。
「ここにあるコートに帽子にサングラス――これらは私も見かけた謎の青少年が身につけていたものと同じものです。青少年というからには男性を装って、歩き方もとても上手に真似ていたようですが、私の目は騙せません。何しろ、変装は私の趣味でしてね。この髪もいざというときにすぐに変装できるよう、それなりに伸ばしているのですよ。
学業を放棄しつつも、変装して学園や鉈鉱市の街で楽しんでいた。そしておそらく、舞華さんは失踪に飽きたら事情を話さずに何食わぬ顔で戻るつもりだったのでしょう。そう、彼のように、宇宙人に攫われたとでも言ってね」
「ふふ、ちなみに他にも色々用意していましたよ? 道に迷って動物さんに助けられた、というのも有力な候補でした」
「ふむ。どうやら彼女は認めてくれたようですね。さて、君はどうかな?」
「証拠もないのに何を認める必要があるんだ?」
真顔で答える草二に、私はじっと待つ。舞華が失踪の事実と理由を認めたのであれば、自ずから証拠を提示してくれるはずだ。
「……あら? 証拠なら、まだ持っていますよ?」
「そのときの音声を記録した、ボイスレコーダー……ですね」
「はい」
私が舞華の方を見ると、彼女はポケットから小さなボイスレコーダーを取り出した。再生ボタンに手をかけようとするのを見て、それを待っていたかのように草二が動き出す。
「待ってたぜ!」
私の横をすり抜けるように、草二は一気に距離を詰めていく。
「……ふむ」
私に対しての警戒は薄い。素早く彼の腕を掴んで拘束することも可能だろう。だが、私は彼の動きを止めなかった。ここでこれを確認することで、私の推理が全て正しかったことが証明されるのだから。
「そこだっ!」
ボイスレコーダーに、彼のできる限りの速度で手を伸ばした草二。突然の襲来に舞華は、驚いた顔も見せずに呆れたような笑みを浮かべていた。
「えい」
舞華の体から繰り出された鋭い蹴りが、容赦なく草二の腹部に直撃した。彼自身の走行速度と、彼女の蹴りの鋭さが重なり、草二の体は地面に倒れる。
「勢いだけで向かってきて、また返り討ちに遭う気分はいかがですか?」
「……くう、こ、これでも少しは鍛練してたんだからな!」
悔しそうに顔をあげる草二。やはり、七園舞華は双田草二を退けるだけの術を持っていた。
「なかなかの護身術ですね。私でも、相当苦労するかもしれません」
「ふふ、サバイバル術と護身術は私の趣味なんです。ですから……」
何とか立ち上がった草二を見下ろすように、舞華が告げる。
「少し程度では、追いつけないんですよ? ……ぽち」
「あっ」
押されたボイスレコーダーの再生ボタン。なおも手を伸ばそうとした草二の腕を、今度は私が後ろから拘束する。こちらに注意は払っていなかったようで、力を入れるまでもなく簡単に捕らえることができた。
ボイスレコーダーから流れてくる音は、足音から始まった。
『こんなところにいたんですね、七園舞華さん』
最初に聞こえてきたのは双田草二の声。
『……あら? 見つかってしまいました』
答えるのはもちろん、七園舞華の声だ。
『舞華さんが失踪して、俺たちみんな心配してたんですよ。悪い男に誘拐されて、危ない事件にでも巻き込まれたんじゃないかって。舞華さんは綺麗だから、俺はとても心配で。必死に探して、ようやく見つけました』
レコーダーから流れる声に嘘はない。少なくともこの時点では、彼の気持ちは純粋にこれだけだったのだろう。
『そうなのですか?』
『はい。怪我はないみたいですけど、何があったんですか? 家族と何か? それとも学園内で? 俺にできることだったら、お手伝いしますよ』
心配しつつも、彼女の特別になろうとする提案。草二が舞華に好意を持っていて、洞窟に二人きりというこの状況。どんな男でも、この状況なら勇気を出しやすいだろう。
『いえ、心配は無用です。私は好奇心で――あとちょっと学園の勉強に疲れただけで、ちょっと失踪してみただけですから。私の学んだサバイバル術、今のところ通用していますわ』
『は? ええと、好奇心?』
『はい。私としては、もう少し続けたいので黙ってもらえると嬉しいです』
『……続けたい、ですか』
草二の小さな声もボイスレコーダーはしっかり録音していた。性能のいいものを彼女は使っているようだ。
少しの沈黙。この日は風が強かったのか、たまに風の音が聞こえてくる。
『だったら』
沈黙を破って、草二の声がレコーダーから流れた。
『秘密にする代わりに、ちょっと俺の言うことを聞いてもらえませんか?』
真面目な声だが、その中にはやや威圧的な響きが混じっている。先程の沈黙の間に、彼が何かを考えて、一つの結論に達した証拠である。
『なんでしょう?』
『まずはキス。それから、服を脱いで下さい』
『ふむふむ。それはつまり、秘密にするから性交しろと?』
『せいこ……そ、そうだ! こんな場所、誰も来ないんだから、いいですよね? 嫌だと言っても、どうせ誰も来ないんだ。ちょっと、思ってた形とは違うけど……憧れの舞華さんを好きにできるなら俺はやってやる!』
『あ、ちょっと、やめ――』
声とともに足音や衣服が擦れるような音が響く。
『無駄ですよ。こんなところに隠れた自分を――』
草二の言葉が途切れた直後、誰かが倒れるような音がボイスレコーダーから流れた。それを最後に、レコーダーから流れる音はなく、舞華も再生を終了した。
私は呆けた顔で動かない草二に向かって、言葉を告げる。もう彼に抵抗する気力はないと見て、拘束は再生の途中で解いていた。
「完璧な証拠ですね。無断で録音したものであっても、これを聞いたら誰も君を擁護しようとは思わないでしょう」私は顔を舞華に向ける。「それで、舞華さんはこれを盾に彼を洞窟に軟禁し、一時は失踪の共犯としたものの、飽きたので解放した――ということですね」
「はい。そちらは録音していませんが」
「結構です。さて、私には特に警察を呼ぶ義務はないのですが……学園生連続失踪事件の解決はさせてもらいます。七園舞華さん、学園に戻ってもらえますね? 拒否をなされても、潜伏場所の情報は学園長にも伝えておりますから、隠れ続けることは困難でしょう。夕方まで舞華さんから連絡がなければ、学園としても動くかもしれませんね」
私は微笑を浮かべて、舞華の答えを待つ。
「ふふ。もちろん戻りますよ。ここまでされては、もう十分楽しめましたもの。ただ、探偵様でも学園を動かす力はないのですね。そこまで言って、かもしれませんだなんて……うふふ。最後にまた一つ楽しませてもらいましたわ」
舞華は満面の笑顔。見事に看破されたことに、私は苦笑して肩をすくめるしかなかった。
第九章 おまじない
土曜日の朝日が昇ってから、私は神丘神社で過ごしていた。探偵となだらかヒーローは今日動くという。その結果が出る頃には、きっと鳥も動くはずなのだ。ならばほうきを片手に、そのときを待っていればいい。
一度天高くまで昇った太陽が、傾き始めて少し。神丘神社に来客が現れた。
遠くからではぼんやりとしかわからないけど、多分鳥のイヤリングをつけている女性。大鳥小鳥と名乗る、自称占い師。
「こんにちは。神丘神社の可愛い巫女さん」
「こんにちは」
私は鳥に深く礼をして、巫女として接する。だって巫女と呼ばれたのだから。
「あなたと、あなたのお友達にはおまじないは不要だったみたいだけど、それでもあなたは私に用があるのでしょう?」
「はい。観察していましたか?」
「そうね。この『おまじない』は使う相手を選ぶ。それで、面白そうな人を観察していたのだけど……私の想像以上に、面白い人たちだったわ」
鳥はにっこりとして言った。私も対抗して巫女微笑みを返してみる。
「用は何かしら?」
知っているのかいないのか、知っているとしたらどこまで知っているのか。それを悟らせないミステリアスな態度に、私は回り道はせずに核心から入る。
「私は唯一無二の真の呪いを探しています」
「あら、巫女さんなのに?」
「ナタフヒメ様は呪いの神です。両親は興味がないみたいですが」
「あなたは興味津々なのね」
真の呪いという言葉に驚きもしない鳥。けれど、彼女は決定的な言葉を口にしないと自分からは絶対に言わないと思う。
「あなたの扱う『おまじない』は、真の呪いですか?」
「私の『おまじない』が?」
「あなたの話を真実とすると、発揮する力は呪いっぽいものでは説明がつきません。だからそう推測しています」
「へえ……詳しいのね」
鳥は妖艶を意識したらしい笑みを浮かべた。こっちの演技はあまり得意ではないらしい。多分、彼女は独身だ。
「確かにその通りよ。私の『おまじない』は、指定したおまじないを――特定の儀式行動を私以外の人が行うことで、力が満たされる真の呪い。与えられるのは精神的な利害に限られて、肉体的な利害は与えられないけれど……」
「一種の呪い代行?」
「そうね。最終的に行使の判断は私がして、体力や気力を消耗するのも私。だけど、常に危険が及ぶのは儀式行動『おまじない』を行った人よ」
「興味深いですね」
「そうでしょう? でも『おまじない』の呪いは血で受け継がれるもの。母から受け継ぎし、強い力を扱う宿命に私は従っているの」
妖艶っぽく微笑んで、物憂げな表情を見せた鳥。
「その割には、あまり噂を聞かないですね」
「そうね。あまり使いたい力ではないのも確か。けれど、この力は譲れないのよ」
「ふむ……」
私は少し考えてから、鳥に再び言葉をぶつける。
「それは、悪用を警戒して?」
「あなたとお友達は、私の『おまじない』に頼ることなく全てを解決した。あなたにとって真の呪いは、不要な力じゃないかしら。あなたはなぜ真の呪いを求めるの?」
質問に質問で返された。けれどこれは、いずれはっきりさせないといけないことだ。
「確かに今回は無事に解決できました。今後も解決できると信じています。でも、私は使うために真の呪いを探して求めてはいない。探究心、趣味、それだけです」
それは古の時代の道具を使うためではなく、博物の館に保管するように。古き書画に残された真実を、広く知らしめず秘匿するように。
「そもそも、あなたの『おまじない』の呪いは悪用するには非常に難しいものと考えます。自分のためには使えないのでしょう?」
「ええ。けれど、工夫はいくらでもあるわ」
「私がするように見えますか?」
ここで自慢の巫女微笑み。相手が男だったら、八割くらいはこれで態度が和らぐ。巫女の微笑みは最強なのよ、とお母様が言っていた。試したことは滅多にないし、探偵は二割だった。
「人は外見では判断できないわ。でも、私の調べた限りでは……しないでしょうね。だからこうして、ここに出てきてあげたのよ」
今度は謎めいた爽やかな笑顔。複雑だけど、こっちの笑顔は凄く上手だった。
「でも、譲れないのだけどね」
「そうですか? 血で受け継がれる――そう言いましたよね?」
「言ったわね」
「血縁や血統ではなく、単純に血と言うのなら……量によっては可能に思います。命を失うほどの大量の血が必要で、というのなら私も諦めます」
「あなたは、どう思うの?」
鳥は最後まで私に答えを求めるみたいだ。そして、一つでも間違えたら譲る気はない。そんな意思は表情からはっきりと伝わってくる。
「少量――微量でも十分と考えます。唯一無二の真の呪いは、それ自体は単なる超常の力。受け継ぐ際にそれほどの危険を伴うとは考えにくいですし、そうだとしたらもっと有名になっているように思います。私が、ここまで気付けないなんて、決まってます」
私の呪いに関する知識は、鉈鉱市どころか日本中でも相当高いレベルにある。神丘神社の巫女なのだから、鉈鉱市を中心に動いていても情報源はいっぱいあるのだ。
「凄い自信ね。でも、正解よ」
「当然ですね」
こと呪いに関していえば、私の推理力は探偵にも引けをとらないと思う。だから自信はあったのだけど、真の呪いは唯一無二。ほんの少しの不安はあった。
「そこまでわかっているなら、譲ってあげてもいいのだけど……少し時間はかかるわよ。それなりの儀式が必要なことくらい、想像していたでしょうけど」
「もちろんです。今日は一日、空いています」
真の呪いが偶発的な怪我で受け継がれてしまうのなら、それはもう感染する病とでも呼ぶべきものだ。私は鳥の言葉に大きく頷いて、早速儀式の準備を始めることにした。
おまじないを活用した、『おまじない』を受け継ぐ儀式。それはとても単純で、ほんの少しの恥じらいもある二人きりの儀式だったが、私たちはそれを無事に終えることができた。ほんのり吸血鬼気分である。
第十話 後日譚
全てが終わった日から二日経って、月曜日。あれから私は師匠に連絡して、後処理で日曜日も色々やることがあった。法一くんは学園長と何か話があったみたいで、凪ちゃんは無事に真の呪いを受け継いでいた。本当に、全てが終わったのだ。
ただ、みんなが一気に動いたおかげで、学園にも動きがあって……それぞれ気になることがいくつか出てきていた。なので、今日も三人揃って情報交換である。
場所は学園内。それと関係する場所に移動して、確認した方がいい話もあったから。
「到着だ」
先頭を歩く法一くんが足を止めて言った。場所はスキー部、部室前。
「やあ。ちょっと待っていてくれ。千花ちゃん! 小枝!」
出迎えた龍太先生が二人の名前を呼ぶ。あの事件が解決して以来、小枝ちゃんも学園に来るようになっていた。その理由について、私たちはみんな気になっていた。あの日、小枝ちゃんを保護して家までつれていったけど、疲れていたから詳しい話は聞けなかったもの。
「あ、みなさん! 小枝のこと、本当にありがとうございました!」
「もう、千花ちゃん。恥ずかしいからそんな大声はだめ!」
「うん……いつもの小枝だあ」
嬉しそうに千花ちゃんは小枝ちゃんに抱きついていた。小枝ちゃんは頭を撫でている。とっても熱いね。見ててもいいのかな?
「聞きたいことがあるんでしたっけ?」
小枝ちゃんが言った。この反応だと、人見知りにはとても見えないね。
「ああ。自宅学習生だった理由を聞きたくてね。教えてもらえるかな?」
「小枝は体調不良だったんですよ。私と付き合ってから、少しずつ具合が悪くなって、私のせいじゃないかってすごく心配で」
「……と、千花ちゃんの言う通りです。お医者さんにも行ったんですけど、原因不明で」
困った顔の二人に、私は笑顔で告げる。小枝ちゃんはあんなことに巻き込まれたのだ。思層空間についても、ちょっとは知る権利があると思う。もちろん、恋人の千花ちゃんにも。
「うーん、それは本当に千花ちゃんのせいかもね?」
「や、やっぱり!」
「千花ちゃんと恋人になれたのが嬉しすぎて、影響が出ちゃったんだと思う。思層空間は強い感情によって生まれるから……小枝ちゃん、今は元気でしょ?」
厳密には他にもきっかけはあるけれど、二人への説明はこれだけでも十分ね。
「先輩が、倒してくれたから?」
「あの、また繰り返すこともあるんでしょうか?」
小枝ちゃんと千花ちゃんが同時に質問してくる。私は小枝ちゃんに頷いて、千花ちゃんには曖昧に首を横に振って答えた。
「あれだけやったから、多分大丈夫だと思うけど……志狼さんの研究についてはまだ組織でも事情聴取の途中だから、断定はできないの。ごめんね」
「いえ、救ってくれただけで、千花ちゃんと再会できたのは、先輩方のおかげなんです」
「うん。むしろ、小枝が迷惑をかけて、こっちこそごめんというか……」
「それを言ったら、私の知り合いが迷惑をかけてなんだけど……この辺にしとくね」
二人の笑顔に見送られて、私たちはスキー部部室をあとにした。中庭に向かって廊下を歩く途中、凪ちゃんが質問をする。
「それで結局、少女誘拐犯はどうなったのですか?」
「ちょっと難しい状況ね。思層空間のことは裏の世界の知識だから、表立って警察や裁判所を動かすわけにはいかないし、かといって組織内にもそれに類する機関はないの。それでも組織には規律があるから、それに法って牢屋みたいなところに軟禁して、研究内容について洗いざらい話してもらってるとこ。組織への熱は変わらないから、聴取はスムーズみたいね」
「それが終わったら?」
「さあ? 研究の内容次第ね。相応の罰を与えつつ、研究部門に異動もあるかも」
このあたりは私も組織の人ではないので、あまり詳しくは聞かないようにしている。
「それから、今後似たようなことが起きても組織内で処理できるように、師匠が色々動いてくれるって。私のいる鉈鉱市の外で起きちゃったら、大変だもの。多分三日もあれば、動き出すはずね。私の両親に悪いからって、結構な武器になるみたい」
「星乃の両親は、今は亡き英雄といったところか?」
「そうだけど……あれ、話したっけ?」
確かに私の両親はもういないけど、そのことはまだ二人に話してなかったと思う。機会があれば話そうと思ってたけど、それより優先すべきことがみんなにあったから。
「私は探偵だ。だが、情報が少なかったので自信はなかった」
「そっか。ま、昔話はまた今度してあげるから、次は法一くんの話を聞いていい?」
そうこうしているうちに、中庭が見えてきていた。今度は私が色々質問する番ね。
「法一くんはなんで、三つの失踪事件が別々のものだってわかったの?」
中庭の明るい木の椅子を少し動かして、私たちは腰を下ろす。普段は一つの机に椅子は二つだから、隣の机から一つ拝借ね。机を挟んで私と凪ちゃんは、法一くんと向かい合った。
「失踪した日時から考えれば、簡単なことだ。竹水千花が『おまじない』の話を知るより前に、七園舞華は失踪している。七園舞華が失踪した直後に知った可能性も残っていたが、その可能性は双田草二の失踪でほぼなくなった。鳥のイヤリングの女性――大鳥小鳥の行動パターンを考えると、彼に接触したとは考えられない。この点は――凪」
「はい。私も同意見。それで見つけられた」
「それから、竹水千花と松本小枝に関しては、小枝に関係する情報が不自然なほどに少なすぎることから別と判断した。思層空間を実際に見るまでは確信が得られなかったが……」
「あのときに見て、確信した」
「その通りだ」
私が言うと、法一くんは大きく頷いた。
「ところで、脅迫して返り討ちにあった彼の処分は?」
「あ、私も気になる。今日は来てなかったみたいだけど」
ほとんど何もできずに未遂に終わったとはいえ、無理やりはいけないことだもの。
「ふむ。今回の事件の性質からして、最終的な判断は七園舞華に任せられているが、その判断の場には私と学園長も同席していた。あまり口外する話ではないから、念のため場所を移動してもらえるか?」
法一くんの言葉に私と凪ちゃんは頷いて、人気のない校舎の裏庭に移動。法一くんは周囲を念入りに――とても素早く――確認してから、話の続きを口にした。
「双田草二の行動は決して擁護できるものではないが、元々のきっかけは七園舞華にある。本人としてもそれを考慮して、無論同席していた草二に一つの提案をした」
「どんな?」
「七園舞華の失踪を唆したのは双田草二であり、悪いことではあるが草二のことを舞華は許した――今回の失踪事件については、そういうことにしましょう、と。秘密にしていれば私もあなたも平和です、とな。草二としては濡れ衣を着せられることになるが……」
「真実を知られたら、未遂なのに強姦魔と呼ばれて大変ですね。状況からして、折られなかったにせよ相当な衝撃を受けたのは間違い――」
「凪。それ以上はやめてもらえないか?」
「男であれば想像するだけで痛みは理解できる。了解です」
まあ、未遂でもいけないことはいけないことだけど、舞華さんの人気を考えたらそのまま伝えると事実以上に罪は大きくなっちゃうね。
「そういうわけで、両者の合意の上でそういうことになった。真実を知るのは私と当事者二人に、学園長。それから、ここで話を聞いた君たちだけになる。両親にも秘密、だそうだ」
「平和的ね」
「二度目はないですか?」
確認するように凪ちゃんが聞いた。
「一応、私もそう確認したが、本人の様子を見る限りおそらく大丈夫だろう。状況は違えど二度も返り討ちにあったんだ。それに、秘密の共有という形で特別な繋がりを彼が得られたのもまた事実。これ以上は、私の探偵としての活動範囲外だ」
法一くんは小さく肩をすくめた。どうやら話はおしまいみたいね。最後はもちろん、凪ちゃんについて。
「凪は真の呪いを見つけて、目標は達成か」
「はい。でも、次の真の呪いが待っている」
「あれ? 唯一無二って言ってたよね?」
即答した凪ちゃんに、私もすぐに疑問を返す。法一くんも不思議そうな顔で凪ちゃんを見つめていた。二人の視線を浴びた凪ちゃんは、綺麗な微笑みを浮かべていた。
第十章 『おまじない』の呪い
「知っての通り、私が探して求めた真の呪いは唯一無二のもの。けれど、それはあくまでもその真の呪いが唯一無二という意味」
なだらかヒーローと探偵の視線に答えるように、私は説明する。
「今回の『おまじない』の呪いは唯一無二で、他に同じ真の呪いは存在しない。でもまた違う力を発揮する、真の呪いは存在するかもしれないし、しないかもしれない。情報がないから断定はできないけど、私はきっとあると信じている」
真の呪いは確かに存在した。でも北海道は広いし、日本はもっと広い。アジアはさらに広くて、世界はもっと広い。地球に宇宙、まだまだ私の知らないものもいっぱいだ。
だから私の目的は、まだ続いている。全ての真の呪いを見つけるまで。そこまで生きていられるのか、現代の文明でそこまで辿り着けるのかはわからない。だけど、真の呪いを探すと決めたときから、私の覚悟は決まっていた。
「なるほど。確かに考えてみれば、他に存在してもおかしくはないか。『おまじない』の呪いというものも、それ一つで世界を揺るがすほどの力ではないのだろう?」
「はい。そんな力だったら、簡単に譲ってもらえるわけがない」
色々と制約もあるし、消耗する力も決して少なくはない。私の六言呪法に比べると遥かに少ないのは確かだけど、それだけ。
「ともかく」
説明は理解してもらえたみたいなので、私は話を変える。これが一番、大事なことだ。私と探偵となだらかヒーローの、これから先を左右する大切なお話。
「今回の件で、私一人では限界があることも判明した。だから、今後も二人とは仲良くしておきたい。重要な協力者として……それから、貴重な理解ある友人としても」
少し、どきどきする。こういうことを言うのは、私はあまり得意ではない。巫女としての神丘凪と、真の呪いを探して求める神丘凪。その二つを知った上で、こういうことを言ったのは初めてだ。
幼馴染みのオカルト河中澄とは、幼馴染みだから自然と仲が続いた一種の奇跡。私は真の呪いに興味を持ち、彼女はオカルト全般に興味を持った。こうなれば、自然とくっつく。
「ふむ。私としても、同じ気持ちだ。あいにくと、私は孤独なハードボイルド探偵を目指してはいないのでな。頼りになる協力者二人と、たった一つの事件で出会えた。今回だけの関係とするのは、私も避けたいところだ」
探偵が言った。私と探偵は真面目な顔で見つめ合う。
「なんか、二人とも硬いなあ」
横からなだらかヒーローの声がつきぬけた。楽しげで柔らかい声なのに、とても鋭いように感じたのは気のせいではなく、きっと私と探偵の雰囲気のせい。
「私はね、二人のおかげで切り抜ける力をもらえたの。だから、何もなくても仲良くするつもりだったんだけど、迷惑じゃないよね?」
「それを聞くのは意地悪です」
「そう言われても、これは染みついた癖のようなもので……妹にも、そんなんじゃ絶対に彼女はできないねとは言われているが」
なだらかヒーローの一言で、空気もなだらかになった。不思議だけど、心地好いと思う。
「では、彼女がほしくなったら私の『おまじない』でお手伝いしましょうか?」
「いや、それもどうかと思うのだが」
「うーん……私はずっと独身はいやだから、最後の手段で頼らせてもらうかも?」
唯一無二の真の呪いをどう使うかは、私に委ねられた。もちろん悪用はしない。他の真の呪いを探すために使うかもしれないけれど、派手なことをするつもりはないのだ。
学園の校舎裏、庭を模した美しき場からは空に浮かぶ熱源が見える。輝き照らすその光に照らされし静かな空間を、私と、探偵土井法一、なだらかヒーロー佐々木星乃――三人の笑い声は静寂を破らんと揺るがせていた。