五つの星の頂点 ほしぐも

第十話 星史子と五つの星の頂点


「はい。これよ」

 ほしぐもの居城。姉上から手渡された刀は、姉上が鍛えた最高の刀。しかしその渡し方は出かける前にお弁当を渡すような気軽なもので、俺は拍子抜けしつつも腰に携えて帯で留めてみる。

 場所は姉上が寝ている――暮らしているといってもいい一室で、俺と姉上の二人だけ。あれからすぐには帰らず、俺たちはほしぐもの居城で一晩を過ごしていた。

 帯を止めたまま、鞘から刀を抜こうとする。しかしその刀は最後まで抜けず、切っ先が鞘に引っかかっていた。いつものように、普段の刀を抜こうとするとなるように。

「姉上」

「あんたのための刀だけど、今のあんたに抜ける長さにしたとは言ってないわよ。いつもの刀と同じでしょ?」

「そうだね。同じだけど……」

 帯を外した鞘刀。そして留め具を外しての抜き身。姉上が渡してくれた刀の鞘にも、その留め具はついている。装飾のない、けれど刀と同じように硬く鍛えられた専用の鞘。

 帯を外して、改めて鞘から抜いた刀の刀身を確かめる。美しい波紋に、鋭く煌く切っ先。間違いなく姉上の刀で、最高傑作。俺が見たことのある姉上の刀の中では、これ以上の刀は見たことがない。

「ほしぐもには鍛えるときに協力してもらったから、鞘刀でも抜き身でもどっちでも斬れると思うけど、斬る前にあんたが倒れたら星史子は倒せない。あたしの刀じゃあんたは守れないけど、あんたを守ってくれる仲間はいる。彼女たちを信じて、無理はせず……」

「一瞬の隙を的確に見抜いて、一太刀で決めろ――だね?」

「そ。ま、失敗したら負けってわけじゃないけど、あんたにとって一生の恥になるのは覚悟しておきなさいね」

「わかってるよ。格好よく、居合で決められないのは惜しいけどさ」

 微笑を浮かべる姉上に、苦笑で返す俺。一太刀で決めるならその方が映えるけど、俺には居合の技術はないし、俺が扱う刀で居合ができる体や腕の長さもない。

 それでも居合みたいに、綺麗な一太刀を決められたら最高だけど……姉上が苦戦する星史子が、そんなことを許すような相手とは思えない。俺の役目はとにかく一太刀を浴びせること。全力を込めた一太刀を、力さえ込められれば状況なんて選びはしない。

「それで、その星史子だけど……」

 微笑を消して、それでも柔らかい表情のまま、姉上は言った。

「今夜にはやってくると思うわ。ほしぐもが、そう伝えておいてと」

「そう、か」

 今夜。新たな刀を慣らすには十分だ。いや、慣らす時間なんて必要ないかもしれない。だってこれは姉上が俺のために鍛えてくれた刀。握った瞬間に理解した。この刀なら、今すぐ戦いに赴いても、俺はいつも通りに――いつも以上に戦える。

 星頂として頂点五地域に戻らず、俺たちがここに残ったのは何もゆっくり休むためではない。温泉喫茶で話を終えて、湯上りの程よく冷たいほしぐも茶を淹れながら、ほしぐもがさらりと言った言葉。

「状況を考えると、そろそろ……動きがあると思います」

 彼女のその言葉があったから、俺たちは単独行動は避けて一緒にいることにした。もっとも、それがなくても俺は姉上と一緒にいたいと思っていたから、その知らせは好都合だった。

 俺たちがあめやゆきと戦っている間、正確にはあめとゆきが俺たちと戦っている間、彼女たちは星史子の動きについて調べていたらしい。というかそれが本来の役目で、俺たちにちょっかいを出したのはついでの行動。暇潰しに近い行為だったという。

 それにしては派手な暇潰しだと思うが、そんな暇ができるほど星史子の動きは掴みにくいものだったのだろう。

 だが、その暇潰しが功を奏して、力に惹かれた星史子が姿を現した……というわけではないようで、あめとゆきが星史子の姿を捉えかけたから、俺たちの力を試す全力の戦いを受けて立った。

 偶然があるとすればただ一つ。星史子が次に現れる場所が、今俺たちのいる中央五角星であることだけ。こればかりはあめとゆきにも予想はできず、星史子の動きを確実に捉えられるときを待つしかない。

 でもそれ以外は全て二人の予想通り。それほどの力を持つ彼女たちになら、確かに任せてもいいのかもしれない。無理をするとわかった上でも、俺よりも強い二人。

 それにほしぐももいる。星史子を消失させるのは彼女の使命でもある。

 けれどあめとゆきにとっては、それは使命ではない。あくまでも協力者。ならばその協力者を選ぶのはほしぐもで、彼女はどちらも選んではいない。あめとゆきが無理をすることを心配はしているが、それを恐れて使命を果たすのを躊躇する気もない。

「私はどちらでもいいのです。ただ、落葉の刀はもうできています。それを使わないで終わるというのも、少し寂しいですね」

 そう言ってほしぐもは微笑んだ。湯上りの、少し火照った体で。可愛らしく。

「春夏秋冬花咲いて、葉は枯れ落ちて――」

 そして呟く。言葉。意味はないが、示しているものはわかる。

 だから迷わず、俺たちは決めたのだ。改めて、五人で。俺だけの意志ではなく、俺たちの意志で。この戦いの結末まで、五人の星頂はほしぐもに付き合うと。

 同じ場所にいたあめとゆきの表情は、笑っていた。その笑顔の意味はわからない。敵ではなくなっても、彼女たちの考えがわかるわけではない。ただ、笑っていた。冷ややかではなく、暖かくもなく、ただ拒絶の意志だけは感じさせない、意志を感じさせる笑みで。

 夜が近付いてくる。

 大太陽はまだ空にあり、外は明るく照らされている。

 だが、その照光が消えた瞬間から、今夜は始まる。

 ほしぐもの居城の入り口の前。そこで俺は敵の到来を待っていた。正面の門の前には秋奈さんが、櫓の上には小夏さん。門の裏では真冬さんが樹氷を手に構え、椿さんは俺から少し離れた入り口の前に待機している。

 ロングポニーテールにロングツインテール、アシンメトリーテールに何十本もの触角のような髪の毛。煌き伸びた長い髪――それは俺も例外でなく、長髪は戦う準備が整っている証拠。

 初めて見るのは、椿さんが宵闇の光をほのかに纏っていること。いつでも瞬間的に複数を癒すための準備だそうで、そのおかげで癒す前から髪の毛は煌き伸びている。

 城の中にはほしぐもと姉上、側近のノギさんがいる。あめとゆきも城の周辺のどこかにいるのだろうが、どこにいるのかは察知できない。星史子の動きを集中して探るため、全力で隠れている彼女たちの気配はほぼ消えている。

 もしも星史子に襲われたら迎撃すると言っていたが、その言葉を口にしたときの彼女たちの顔には、そんなことには絶対にならないという自信がありありと浮かんでいた。

 夜はもうすぐ。

 今夜は、間もなくやってくる。

 そして――影が動いた。

 影。

 そう表現するしかない何かが、大太陽の光が届かない夜に動いていた。月明りだけで現れるはずのない、人のような大きさの影。

 粉雪が舞い、遠くで小さな雨が降る。

「……きたのか」

 ゆきとあめ、二人からの合図。そして感じる影。星史子の影なのか、それとも星史子の力が影として動いているだけなのか。暗闇の中、俺の実力では完全に把握はできない。

 ただ……。

 その影は門を抜けて、俺たちの方にやってきていた。緩やかな坂道を這うように。

 近付く影の正体を見極めようと、集中した俺の目に映ったのは地を這う幼女の姿。

 仰向けに、こちらに足を向けて、近付いて、笑顔を見せる。

「……っ」

 帯を外して鞘刀に手をかけた。しかしその瞬間には、地を這う少女は横に逸れて、今度はうつ伏せになって椿さんの傍を駆け抜ける。

「枯葉さんっ」

 鋭く椿さんが声を発した頃には、影は消えていた。

 どこかほしぐもにも似ている、同じくらいの幼い少女。あれが――星史子。

 いつでも襲えた。

 俺たちより戦う力の高い真冬さんや小夏さんがいる門を軽々と抜けて、ここまで僅かな時間で到達した。俺たちだけでなく、誰が相手でも襲いかかることができた。無論、彼女たちなら俺のように反撃が遅れることはないと思うが……。

 再び姿を現した星史子は、俺の股の間を抜けるように現れた。

 一瞬動きを止めて、仰向けに俺の顔を見上げる。

 その顔は美しく、星の衣を纏っている、長い髪の幼女。かつての記憶よりはっきりと、その姿は俺の目に映る。しかしそれは俺の力が強くなったわけではない。

「……ひさしぶり?」

 小さな声だった。感情を感じさせない、不思議だけど美しい声。姉上が榛雷斗と一緒に戦っていた場に、いた少年。それが俺であることを確認するために、一瞬動きを止めた。

 だが俺は鞘刀を振ることはできなかった。振っても、当たらない。星史子に隙はあるが油断はない。それを察するくらいの力は、俺にだって養われている。

 星史子はゆっくりと地を這って、長い髪を揺らしながら正面の門へと向かう。

 その姿を見て、星史子が浮くように地を這っていることに気付く。地面すれすれに浮いているから、手足はどこも地面に接していない。

「枯葉くん! じっとしてないでこっちにきてよー!」

「そうは言っても……!」

 門の方から声をかける秋奈さん。その近くでは櫓の上から流体玉を放ちつつ、梯子を滑り降りる小夏さんの姿と、長く鋭い樹氷を構えて振り回す真冬さんの姿も見える。

 だが、彼女たちの攻撃は星史子には当たらない。

「素早い」

「足止めするのも一苦労ね」

 ある程度の距離まで近付くと、小夏さんと真冬さんの声も聞こえてくる。

「翻弄、されていますね」

「ああ。……けど」

 一緒に接近した椿さんの声に返事をする。浮くように地を這い、仰向けに、うつ伏せに、たまに立ち上がっては、俺たちと遊ぶように動き回る。

 これ以上近付いたら、奇襲を受ける心配が……。

「――うわ!」

 そう思った直後、星史子がうつ伏せに地を這って俺の股の間を抜けていった。安全と判断した距離でも、気付けないうちに詰められた。もし攻撃をされていたらと思うと、穏やかではいられない。

 確かに攻撃をする気配はあった。星史子は腕を伸ばして、俺の足を掴もうとしていた。咄嗟に足を動かして回避はできたが、本気で掴みにこられていたら間に合うはずがないのだ。

「舐められているのは、気に食わない」

 小夏さんが触角みたいな毛をさらに生やして、無数の流体玉を星史子に向けて放つ。方向から俺の体に当たりそうになるが、流体玉は俺の体をすり抜けるように飛んでいく。それだけ彼女の操る流体玉は正確で、高速で、しかしその全てを、星史子は軽やかにかわしている。

 そのまま星史子は、反撃に移った。

「近付いてくるなら、好都合!」

 だが小夏さんの前には、髪の毛を煌かせてツインテールを二つにした、ダブルツインテールの真冬さんが樹氷を手に待ち構えている。

「はあっ!」

 真冬さんが横に振り払った樹氷は、樹の枝の部分も伸びた氷の部分も、全て星史子に直撃した。動きが止まる。かつて見た光景によく似ているが……姉上の刀と、樹氷は違う。

 氷は砕け――樹の枝が折れた。

 星史子の体に触れただけで。触れ続けただけで。全身が星史子の武器であり、鎧である。そう理解するのに時間はかからなかった。

 新たな樹氷が生み出されるまでの短い時間。星史子は真冬さんの横をすり抜けるように、小夏さんの頭上を掠めるように、浮くように地を這って飛び跳ねた。

 直後。

 小夏さんが膝から崩れ落ちて、真冬さんも横に倒れる。俺にははっきり見えなかったが、直感で理解はできた。星史子は的確に、最大の一撃を二人に与えていた。

 椿さんは既に走り出していて、星史子と同じようにすり抜けながら二人を癒していく。

「――全快」

「だけど……」

 立ち上がる小夏さんに、言葉を続けた真冬さんは笑顔で星史子の消えた方向を見る。

 二人の傷は全て癒された。椿さんの宵闇の光は未だ輝きを放っていて、まだ戦える。

「枯葉くん」

「……わかってるよ」

 消えた星史子は姿が見えないが、まだきっと近くにいるのだろう。その間にやってきた秋奈さんに、少しの間を置いてから答える。

 星史子を倒すには俺の――姉上の鍛えた刀が必要で、それを振るうのが俺の役目。重要で重大で、しかしそれまでは、彼女たちに任せるしかない。わかっていたこととはいえ、それまでただ自分の身を守ることしかできないのは、やはりもどかしい。

 だがそれが俺の、今の精一杯。それにしても少しでも油断すれば、一撃でやられる。

「そ。ならいいんだけど」

「秋奈さんは、見えてるんだよね?」

「まあね。……きたみたいだよ」

 再び少し離れたところで戦いが始まる。樹氷に流体玉、ときどき剛体玉。先ほどの接触で二人も少し慣れたのか、今度は簡単にやられるようなことはない。椿さんは二人対星史子の戦いを審判するかのように、こまめに立ち位置を変えて巻き込まれないように、同時にすぐに宵闇の光で癒せるようにしている。

 動きが見えている分だけ少しは余裕があるだろうが、それでも椿さんは自らの役目を果たすだけで精一杯のはずだ。

「これは、かなり力を入れて世界に刻まないと止まらないね。枯葉くん、終わったら頼りにさせてもらうよ」

「おとこがほしくなる、か」

「うん。枯葉くんじゃない普通の男の子だと、気絶どころじゃすまないね。何日か寝込むことになるかも」

「それで確実に止められるなら、いくらでも」

「止められるよ。枯葉くんがゆっくり刀を振るえるくらいなら」

 ある程度は事前に確認し合っていたこと。再確認するのは、そうすべき事情があるから。

「速すぎて捕まえられないし、枯葉くんの近くって大変なんだからね」

「うん。みんなには恩を返さないとね」

 呆れたような笑みを浮かべる秋奈さんに、苦笑いを浮かべて俺は返す。一歩踏み込むくらいは間に合うにせよ、それ以上は秋奈さんにも止められない。

「準備は?」

「直前に。その方が、格好いいでしょ?」

 微笑んだ彼女に、俺も微笑みを向ける。

「ま、最後は君にもってかれちゃうんだけどね。おいしいところは君のもの」

「俺だけじゃないさ。この刀を鍛えたのは姉上だから、半分は姉上だよ」

「じゃあ、君たち姉弟のものだね。でも半分って、枯葉くんも言うようになったね」

 姉上が三年前に星史子を退けたからこそ、今の戦いがある。三年前からこの日のために、姉上は新たな刀を鍛えた。俺が決めるのは最後の一太刀。ただそれだけで、半分と言ってしまうのは正確ではないのかもしれない。

「それくらい言えないと、こんなところに立っていられないからね」

 俺は笑って答える。虚勢ではない、確固たる意志。消えた姉上に再会できたことで、固まった意志。だけどそれは最後のきっかけだっただけで、白樺秋奈さん、柊真冬さん、榎小夏さん、春沢椿さん――四人の星頂との出会いが、俺に大きな影響を与えたと思う。

 自信がついたわけではない。彼女たちの力の高さに、自らの星頂としての力の弱さを確かめさせられただけ。自分で知る以上に、明確に、繊細に、自らの力を理解した。

 無理はしない。無茶もしない。俺にやれることを、やれると理解する。

「そっか。枯葉くん、出会ったときより格好よくなったかも。惚れちゃうよ?」

「好きにしてくれても構わないよ。でも、今は……」

「だねー。任せっきりだけど、だからこそ見逃せない」

 星史子と対する、真冬さんに小夏さん、椿さんの戦いは俺たちの目前で続いている。どちらが優勢なのか、よく見ていてもわからないくらいの激しい戦い。高い次元の、しかし高すぎる次元ではない。

 戦いの次元で言うなら、姉上はもっと上だ。星史子に対して、たった一人で互角に戦える。もしあの頃にほしぐもの力がもうちょっとでも高ければ、三年前に姉上が全てを終わらせていたかもしれない。

 長く硬く鋭い樹氷も、速く柔く重い流体玉と剛体玉も、星史子には傷一つ付けられない。

 でも、戦いが長引けば長引くほど、星史子も力を消耗する。人より遥かに高い凄まじい力を持つ星史子だが、それゆえに力の消耗も激しい。それこそが唯一の弱点であり、唯一の勝機。

 もっとも、その限界よりも俺たちの限界の方が先にくる。星頂の力も無限ではない。

 だから、できる隙は一瞬。それも優勢のときか、劣勢のときか、互角のときか、どのタイミングで隙ができるかはわからない。

 流体玉が飛び交う中、星史子は浮くように地を這い回る。その隙間を縫うように氷の先端が襲いかかるが、それらも全てすれすれで星史子はかわす。地を這いながら、空高くに浮くことはない。

 地上を這う星史子の動ける範囲は限られる。小夏さんと真冬さん、二人が動く度にその隙間は減っていく。

 しかし星史子の動きも非常に速く、何より直撃したところで防がれるか、受けられて無効化されるだけ。

 星史子はそのまま二人に近付き、樹氷を構えた真冬さんが受け止める。

「――今?」

 横から流体玉が飛んできて、星史子は樹氷に右足をかけながらも、両腕を軽く振って玉を弾き返す。隣の秋奈さんが呟いたのは、そのときだった。

 ここからでは踏み込んでも刀は届かない。それに、彼女の声には疑問が含まれている。

 秋奈さんは一歩前に踏み出した。

「……今か?」

「もう少し……かも」

 真冬さんは力を込めて攻撃を受け止めている。横から続けて飛んでくる多くの流体玉への対処もあって、星史子の動きは止まっている。だが、その威力がどれだけ高くても、星史子には通用しない。

 樹氷が蹴り上げられて、星史子の体は空中で回転しながら浮き上がる。星の衣からは何かが見えそうで見えなくて、小さく笑う彼女の視線は俺たちの方を捉えていた。

 その瞬間。

「――お願い!」

 秋奈さんの声が響いた。俺たち全員に聞こえるように、だけど動けるのは俺だけ。

 彼女の髪が煌いて、ポニーテールが形を変えていく。ポニーテールの上にもう一本、二段ポニーテールになった秋奈さんを横目に、尻目に、俺は駆けていった。

 真冬さんが樹氷を弾かれながらも、星史子の攻撃を体で受け止める。彼女を支えるように小夏さんも後ろに立ち、集めた流体玉と剛体玉を背中に回して耐久力を上げる。もちろんすぐ傍には椿さんが控えていて、多少の傷ならすぐに癒せる。

 それでも星史子の力は強く、高く、三人の守りは突破される。

 その間に、俺はあと一歩踏み込めば刀を振れるところまで近付いていた。帯を外した鞘刀を手に、鞘の留め具を外す時間はない。

 星史子の周りを囲うように、世界が秋奈さんの手によって刻まれていく。そういえばどうやってあれだけの数を刻むのか、どんな感覚で刻んでいるのか聞いたことがなかったと思いつつ、地面を強く踏みしめていく。

 星史子の左と右の連続回し蹴りが真冬さんと小夏さんを吹き飛ばし、追撃に動こうとした星史子は世界に刻まれた壁に動きを封じられる。

 複雑ではなく単純に、深く滑らかに刻まれた世界。星史子がどう動いてもそこを抜けられないように、世界は刻まれた。

 踏みしめた地面を蹴り、俺は一歩踏み込む。

 抜いた鞘刀を、動きを止めている星史子に向けて力を込めて振り抜いていく。

「届……けっ!」

 襲いかかる鞘刀を見て、星史子は表情を変えなかった。驚きも恐怖もなく、最後まで楽しそうにこちらを見つめていた。

 鞘刀が、星史子の体を斬る。

 不思議と手応えはなかった。すり抜けるように斬れた瞬間は、もしかすると俺の動きが遅れて避けられたのかとも思ったが……星史子は美しい笑みでこちらを見ていた。

 その表情に、そんな表情を見せる幼い少女に、少しだけ罪悪感のようなものが芽生える。

 だが、迷いはない。星史子を倒さずに解決できる方法があるなら、ほしぐもや姉上が、三年前から動いていた榛雷斗が動かないはずがない。

 星史子の姿は、そんな可憐な表情のまま静かに消失していった。

「枯葉くん、やった?」

「……と、思うんだけど」

 手応えのなさに自信はないが、星史子は姿を消して、気配も感じない。

 椿さんに癒されて立ち上がった小夏さんに真冬さん、五人で状況を確かめる。あめとゆきに尋ねてみるのもいいかもしれないが、それよりもっと確実な相手に確かめよう。

 居城の扉が開いて、その人物が側近を連れて現れた。

「みなさん、星史子の消失を確認しました」

「間違いないのか?」

 念のために俺が尋ねると、ほしぐもは小さく首を傾けて笑顔で答えた。

「これでも私だって、集中していたんですよ。扉の裏から気配は感じていました。戦いの邪魔になってはいけないので、外には出られませんでしたが……」

 視線を向けられたノギさんは、小さく肩をすくめて苦笑する。

「あたしがもう少し動ければ、外でもよかったんだけどね」

 開いたままの扉から、姉上の声と姿が近付いてきた。どうやら、間違いなく星史子は消失したみたいだ。姉上の鍛えた刀は、ほしぐもが力を与えた刀は、星史子を消失させた。

「完全に消失して、復活することはないのか?」

「ま、今度現れてもまた倒すだけだけどね」

 そんなことを言いながら、秋奈さんは俺の腕に抱きついてきた。それもするすると袖をたくし上げて、素肌になった俺の腕に。

「はい。星史子は何度も生まれるものではありません。私がほしぐもでいる限り、新たな星史子は生まれませんよ。……それにしても」

「姉の前で見せつけてくれるじゃない」

「えへへー。でも枯葉くん、言いましたから。いくらでもって」

「……ああ。言った……。けど」

 急速に俺の体から力が抜けていく。傍までやってきた椿さんが宵闇の光で癒してくれたが、すぐに無駄だと気付いたのか、宵闇の光は幽かに暗闇へと消えていく。

 それにしても、ここまでとは……思ってはいなかった。

「秋奈さん……せめて、ベッドの上で」

「ベッド? やだ、枯葉くん。私はそれよりお風呂がいいなー」

「……はは」

 星史子の動きを止めてくれたのは彼女だ。文句は言えないし、そうしたいのならそうしてもいい。もちろんその前に、真冬さん、小夏さん、椿さんが隙を作ってくれたのも大きい。

「一つ聞いていいかな?」

「ん?」

「それ、俺が耐えられるか?」

 秋奈さんは俺の腕に抱きついたまま、容赦なく俺の力を吸収していく。幸い、彼女が肌で直接触れているのは俺の腕だけ。素肌に抱きつかれて柔らかな胸の感触もだいぶはっきりと伝わってくるが、彼女の触れている素肌は手と手首だけ。

「え? うーん……君の体は耐えられると思うけど、心は耐えられるかな?」

「ちょっと待て」

「あ、心まで吸うって意味じゃないよ。体は私が支えるし、他のみんなにも協力してもらえば君に怪我はさせないよ。ただ……そんな魅力的な状況に、枯葉くんが気力を振り絞って何かをしたくなるとか、その場では何もなくても思い出して何かをしたくなるとか、そこまでは私にも想像しきれないよ」

「ああ……」

 そういうことか。理解はするが、言葉は出ない。

「温泉喫茶までは程々にしてくださいね」

 まるで温泉喫茶なら何をしてもいいと言うように、ほしぐもは優しい笑みを浮かべた。

「ま、一応あたしも一緒にいくから、大丈夫でしょ。あたしの知らない間に、あんたが変わった趣味に目覚めてない限りはね」

 姉上の言葉には答えないでおく。もちろん、姉上が想像するような趣味には目覚めていないが、答えることで色々と話題が広まってしまうのは確実だった。

 三年前に消えた姉上は、今ここにいる。

 星が重なる夜の出会いから始まった、ゆき、あめ、ほしぐもと星史子に関わる全ては、星の集う夜に決着がついた。

 だが、俺にとって一番大変なのは、ここからかもしれない。

 そう予感させるのは、触れる秋奈さんの手と腕と胸。そう確信させるのは、隣を歩く他の三人の星頂の表情。真冬さんは楽しみを待ちきれないような笑顔で、小夏さんも普段の無表情にほんのちょっとだけ緩んだ笑みが連なっていて、椿さんは心配と興味が半分半分。

 やはり、これからが――俺にとって一番の夜だ。

 五人の星頂がこうして出会い、ほしぐもの傍らに集まっている。

 三年前に姉上が消えたのをきっかけに、だから俺はこの状況を受け入れようと思う。これからどんな大変が待ち構えていようと、俺は受け入れる。負けないように、受け入れよう。

 温泉喫茶への道は、ゆっくりと。

 星の中……穏やかな夜を。


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