私たちは招待状をもらってもこなかった星頂、春沢椿ちゃんの束ねるそらほし地域にやってきていた。あれからほしぐものお城では、枯葉くんがほしぐもちゃんにお姉さんのことを尋ねていたけれど、ほしぐもちゃんが首を横に振ったのは遠くからでも見えていた。
残念だったねと声をかける者はなく、残念だったと彼も言わなかった。いつか私もお手伝いしてあげたいけど、枯葉くんも今はそのときじゃないことはわかっている。
星の北の頂点五地域、そらほし地域。高低差の少ない高地に、広がる平らな高原地帯。澄んだ空気と見晴らしのいい景色。ここに椿ちゃんがいるんだよね。
「まずは星寮?」
「そうだね。寮頂に話をしよう」
私が聞くと、枯葉くんが答える。到着してから、真冬ちゃんはそらほし地域の景色を眺めるのに集中していた。あかほし地域は山岳地帯。同じ高地でも全く違う雰囲気に、きっと新鮮さを感じているのだろう。
「私たちは敵の警戒をしておく。交渉は枯葉に任せる」
「ああ、任されたよ」
「適材適所ってやつだね」
私が微笑むと、枯葉くんは小さく頷く。前は去ってくれたあめとゆき。四人だから去ってくれた強敵。でも今日は、春沢椿ちゃんも加われば五人だ。きっと彼女たちは、そのときを待ってどこかに隠れている。
二人のことだから正々堂々と姿を現してから挑んでくると思うけど、不意打ちには備えておかなくちゃいけない。状況が整ったら、相手も手段は選ばないかもしれないのだ。
青々とした草を踏みしめて、私たちは遠く視界の先に見える街を目指す。
布みたいな簡素な建物が並ぶ道を抜けていくと、目的の高い建物はすぐに目に入る。そのまま近付いていくと、視界に広がるのは星外の草原。ここの五星学園と星寮は、星外の近くにあるというのは地図で確認済みだ。
距離こそあるけれど、他の地域に比べて平坦なそらほし地域。聞いた話では低地もあるみたいだけど、中央五角星の通り道から星寮を目指すにあたって、そこを通ることはない。
「じゃあ、俺は男子寮にいってくる」
「私は女子寮だね」
どっちも繋がっているのだけど、男子寮頂と女子寮頂――二人ともこの時間に寮にいるかどうかはわからない。大太陽は高いけれど、いつもより低く感じる高原地帯。今日は五星学園は休みの日だけど、寮頂さんだって遊びにいきたいお年頃だ。
星寮もどこか澄んだ雰囲気を感じるのは、やっぱり背景に広がる草原のおかげ。
「寮頂さんいますかー。星頂さんに会いにきましたー」
玄関でその辺にいる人たちに声をかける。返事はすぐに返ってきた。
「寮頂はいませんけど、星頂の椿さんなら……ね?」
「うん。ずっと星頂部屋にいると思いますよー」
エントランスに集まっていた三人組の、二人が答えてくれた。
「閉じこもってるって話だけど、会える?」
「え?」
「へー。他の地域にはそう伝わってるんだー」
同じ二人が答えてくれる。警戒していた小夏ちゃんと真冬ちゃんも、星頂がいるという声を聞いたのか、合流していた。
「みなさん、他の地域の人ですね?」
黙っていた三人目の女の子が口を開く。
私が頷くと、彼女たちは顔を見合わせて再び言葉を口にした。
「閉じこもっているといえば閉じこもっていますけど……」
「調べものに忙しくて、外に出てくる時間がないだけですよー」
「私たちも最初は、浅海さんが消えたショックで閉じこもったのかと思っていました」
「浅海?」
「男の雰囲気」
真冬ちゃんと小夏ちゃんが加わってきた。その間に私はちょっと戻って廊下の先の男子寮の様子を確認すると、枯葉くんは問題ないという合図を送ってくれた。
「星頂の春沢椿さんには、浮貝浅海さんっていう幼馴染みの男の子がいて、それはもう仲が良くて羨むほどで……」
「うん、羨ましかったー」
「そういうことです」
どういうことだろう、というのは直接聞けばいい。彼女たちも詳しくは知らなそうだ。
「ありがとう。会えるんだよね?」
「大丈夫だと思いますよ」
「不審者じゃなければー」
感謝の言葉には最初の二人だけが答えて、私たちは階段を登って最上階を目指すことにした。
星寮の最上階。枯葉くんと合流した私たちは、寮頂部屋の扉の前に立つ。
「枯葉くんはどこまで聞いたの?」
「単に閉じこもってるだけじゃなくて、何か調べているらしいってことは」
「幼馴染みは?」
「ああ、浮貝浅海――十歳の頃、三年と少し前に消えたって話だね」
どうやら枯葉くんの方がちょっと詳しく聞いていたらしい。三年と少し前――枯葉くんのお姉さんが消えたのも三年前。きっと、その手がかりが気になって尋ねたんだね。
「ま、詳しくは本人に聞けばいいさ」
「そうだね」
でも最後は私と同じ。本人がいるなら、本人に聞くのが一番だ。
「春沢椿ちゃんいますかー! 他地域四人の星頂が揃ってやってきましたー!」
ノックをしてから、扉の奥にも聞こえるように声をかける。
しばらく沈黙。声はかけたから、何度も呼ばない。
ややあって、足音が聞こえてきた。とても静かな足音だけど、気配は感じる。
「私ならいますよ。招待状の件で、ほしぐも様が怒ったのでしょうか?」
ゆっくりと扉を開けて姿を現したのは、淑やかで儚げな雰囲気の女の子。ふわふわした感じのドレスみたいな服の間から、見える肌は白くて美しい。深層の令嬢という言葉がしっくりくる感じの女の子だけど、ロシアの血も入ってる真冬ちゃんの方が少し肌は白いかな?
髪の毛は左のサイドテールに結んでいて、はっきり露出した左耳と、髪の毛ですっぽり隠れる右耳の違いが際立っている。
横目で見た真冬ちゃんは可愛らしく微笑んでいて、小夏ちゃんはやっぱり見惚れていた。
そして男の子の枯葉くんもやっぱり……と思いきや、彼は真剣な表情で椿ちゃんを見つめていた。これはもしや、出会ってすぐの告白という、一目惚れってやつ!
「君に伝えたいことがあってきたんだ。それから、個人的に聞きたいこともある」
「個人的に? はい、恋人はいませんから、そういうのも構わないのですが……それより、大事なお話の方を先にお願いできますか?」
答えた椿ちゃんは、少し困ったような顔でそう答えた。
「そうだよ枯葉くん、えっち」
すかさず私がじろりと不潔なものを見るような目で、もしかするとご褒美になるかもしれない言葉責めをする。
「枯葉くんも男の子ね」
真冬ちゃんはくすくすと笑って言葉を繋いだ。
「そういうもの?」
小夏ちゃんは私たちみんなに尋ねるように、でもその中心にいるのは枯葉くん。
「え? いや、君たちの考えているような意味じゃ……」
「ふふ、知っていますよ。お姉様のことでしょう?」
慌てた様子の枯葉くんに、助け船を出したのは椿ちゃんだった。
「姉上のこと……君は」
枯葉くんは言いかけて、椿ちゃんの綺麗な笑顔の前に口を閉じた。八割くらいの確率で私もそっちかなと思っていたけど、二割もあれば明らかにしてみたくなるのが女の子の心情だ。
室内に案内された私たちは、用意されたソファに腰を下ろして話の続きをする。
私と真冬ちゃん、枯葉くんが正面で向かい合い、ソファの足りなかった小夏ちゃんは椿ちゃんの隣に座った。ちなみに枯葉くんを真ん中にしようとした私の狙いは本人の強い抵抗に譲歩して、私が中央、左に枯葉くん、右に真冬ちゃんという形に落ち着いた。
「敵、ですか」
私たちが一通りの情報を伝えると、椿ちゃんは小さな声で呟いた。その表情に色はなく、伝えられた多くの情報を反芻するのに忙しいのかもしれない。
と思っていたら、彼女はすぐに微笑んだ。理解がとても早いのか、信じていないのか。
「承知しました。私も戦いは不得手ですが、星頂としてお手伝いできることはしましょう。ところで、一つ確認しておきたいことが……」
「うん、何でも聞いて」
「敵の正体や目的は、聞かれても答えられないけどね」
私と枯葉くんの答えに小さく頷いてから、椿ちゃんは聞いた。
「あめとゆき、それから雨蛇に雪蛇……彼女たちが狙うのは、星頂だけですか? 星内に暮らす一般の住民を襲うことは、一度もなかったのですね?」
「うん。ないよね?」
「ああ、完全に狙いは俺たちだ」
「ほしぐもやノギさんは、一般の住民じゃないものね」
真冬ちゃんも加えて、正面の三人が続けて答える。小夏ちゃんは幸せそうに椿ちゃんに触れない程度に寄り添っている。表情は無に近くても、雰囲気だけで伝わるものだ。
「あなたたちを誘き寄せる、あるいは散らばらせるなどの目的で、住民を利用しようとしたこともないですか?」
軽い声で、けれど真剣に尋ねる椿ちゃん。
「星寮に侵入されたときは、襲える可能性も示唆していたけれど……」
答えたのは枯葉くんだ。あのときのことは、私も一緒にいたからよく覚えている。
「襲うと言っていたのは俺たちだけだったと思う。もしみんなを巻き込むつもりならと飛びかかりそうになったけど、それで怒って反撃されたのも……自己犠牲に対する怒りだった」
枯葉くんが確認するように私に視線を送る。答えてあげよう。
「うん。どういう意味で寝込みを襲うつもりだったのかもわかんない」
そういう意味じゃないという視線が送られてきたけど、これも事実だ。敵だけどゆきも小さな女の子。襲ってくる目的もわからないんだから、そういう目的の可能性だってある。
とはいえ、記憶違いの確認という意味も果たしたからか、視線だけで文句はなかった。
「そう……なら、関係ないかしら。それとも、関係あるのかしら」
椿ちゃんは呟くだけで、質問もそこで終了した。
「ともかく、今日はゆっくり休んでいってください。話を聞いた限りだと、敵が襲ってくるなら今なのでしょう? 幸い、ベッドなら足りています」
広い星頂部屋には来客用と、兄妹姉妹用のベッドがある。もちろん私のところにもあるけれど、あんまり手入れしてないから彼女みたいな台詞は言えない。
「椿ちゃんも手入れしてるんだ? 枯葉くんもしてるんだよ」
「ふふ、まるで自分はしていないみたいな……」
柔らかい笑みでそう言った真冬ちゃんは、私の笑顔を見て一転、小さな驚きを顔に浮かべた。
「してない?」
小夏ちゃんが確認してくる。知らない三人に、私は頷いて答える。
「あ、あれ? もしかして私だけ? だって、来客なんてこないでしょ? 今回みたいなことがなければさ。兄弟姉妹もいないし、もちろん、みんながくるときには手入れするし、月に一回は汚れてないか確認するよ!」
「月に一回……七十五日に一回、年に五回か」
枯葉くんが淡々とした声で言い直した。普段は使わない部屋、それくらいで十分だと思う。
「いいもん。いざとなったら綺麗好きな枯葉くんをお婿さんにもらうから。それに女の子として、体はちゃんと手入れしてるもん」
「いや、それ俺に言われても」
「使わないといっても、あちらのベッドまでに仕切りがあるわけでもないですよね?」
困った顔の枯葉くんに和まされていると、椿ちゃんが踏み込んできた。
「うん。ここはね。私のところもそうだけど」
遠回しにはするけど、言い訳はしない。
「手入れしなかったら、一緒のベッドで寝ればいい。四人くらい入れる」
「さすがに星頂用でも、四人は苦しいね」
「密着すれば余裕」
「密着かあ……」
真冬ちゃんと小夏ちゃんが盛り上がっている。ほしぐもに招待された日が初対面の二人だけど、もうかなり仲が良さそうだ。きっと、到着前の出会いで何かあったんだね。
枯葉くんを見る。その場合、俺だけは別になるのか……、なんてことを考えているに違いないけれど、口に出さない限りは私は何も言わない。
「まあ、私も昔はそんなにやっていませんでしたが……ここでずっと調べものをするようになってからですね」
調べもの。その言葉に枯葉くんが反応したけど、椿ちゃんが小さく首を横に振る様子を見て口は開かなかった。
「話せば長くなります。今日はまず、敵のことを」
それで話は一旦終了。私たちはこの日、そらほし地域に泊まっていくことに決まった。
窓の外の大太陽はまだ高い。なら、やることは一つだ。
そらほし地域の観光。街を見てみたいと提案したのは私だけど、他の三人も同じ気持ちだったのかすぐに頷いてくれた。問題があるとしたら、椿ちゃんは本から顔をあげて、「お好きなようにどうぞ」と言うだけだったこと。観光案内をするつもりはないらしい。
五人の星頂が揃わないようにと考えてるわけでもなくて、調べるのに集中したいから。枯葉くんや小夏ちゃんは理由を聞いて、一緒に残ろうとしたけれど、きっぱり断られていた。
「これは敵にも関わる重要な調べもの。一人で集中させてもらえますか?」
なんてことを言われたら、二人とも構わず一緒にいることはできないのである。
そしてそれは、私たちが星寮を出て、観光を始めようと思った矢先に起こった。
透色の体と真白き体。それに毛むくじゃらの部位。かんてんソフトクリーム。あめとゆきの生み出した、雨蛇と雪蛇。いろんな呼び方をされたそれが、私たちを待っていた。
かんてんには角みたいな毛むくじゃら。ソフトクリームには尻尾みたいな毛むくじゃら。
星寮と街の間、だだっ広い高原にたった二体のかんてんとソフトクリーム。生えた角は鋭く長い一本の角。生やした尻尾も一本だけど、蛇には元から尻尾があるから二本尻尾。
「二体か……こいつらは俺が相手をするよ」
二歩、三歩。枯葉くんが帯を外して、鞘に入ったままの刀を構える。煌めいて長くなった髪を、高原の風がなびかせる。無謀でもなければ勇敢でもない、それでも先陣を切ることに変わりはない。きっとどこかに隠れているあめとゆきの襲撃に備えつつ、
「気をつけてね」
私は笑顔で言った。強い星頂を倒すために、私たちを狙ってくればいい。特に戦闘においては、近接戦闘の真冬ちゃんに、遠距離戦闘の小夏ちゃん。そこに時間稼ぎは得意な私が加われば、どんな襲撃にも耐えられる。
けれどもし、各個撃破を狙うなら。枯葉くんが襲われたら助けるのは大変だ。
「助けは必ずくる。だから、負けないで」
続く言葉は私が言った言葉だけど、今の私が考えた言葉じゃない。
「これがあなたの……」
「世界に刻む、刻まれた文字」
私の視線の先に刻まれた文字を、私はそのまま読んだだけ。真冬ちゃんに小夏ちゃん、星頂のみんなにも読める文字。一歩先に刻まれた文字、きっと枯葉くんも気付いたはずだけど、ちゃんと読んで伝えないとね。
「いつ刻んだんだ?」
二体の蛇との間合いを測りつつ、枯葉くんが聞いてくる。
「今の私じゃない未来の私。あるいは過去の私。世界に刻んだ文字は時を重ねて刻まれる」
短く答える。私の力はそういうもの。詳しいことは、敵を倒してから話せばいい。
先に動いたのは、鋭く長い角を生やしたかんてんだった。振り抜こうとした枯葉くんの鞘刀に、鋭く長い角が受け止めるようにぶつかって、鍔迫り合いみたいな感じになる。
そこにソフトクリームが地面を這って接近、強襲。尻尾から伸びたもう一本の尻尾が、しなる鞭のように枯葉くんの足元を狙う。あれなら本体の尻尾に攻撃は届きにくいし、よく考えられた連係だ。
「それでやられるほど……俺は弱くない!」
対して枯葉くんは、鞘刀に力を入れて押し込める。しなる毛むくじゃらの鞭は、その押し込んだ鞘刀を支えにしつつ、跳んで回避。
でも、それを待っていたかのように――実際に待っていたんだと思う――毛むくじゃらの角が振り上げられ、枯葉くんの体が浮く……跳ね上げられる。
浮いた枯葉くんが着地するところには、角と尻尾が構えられている。
「そこだ!」
枯葉くんは空中で鞘の留具を外して、鞘刀を逆手に持って切っ先を地上に。そこにいるのはもちろん、待ち構えているかんてんソフトクリーム。
予想していなかった飛び道具が、待ち構えていたソフトクリームの体に直撃する。残ったかんてんには、角を避けるように空中で身を翻してすれすれの降下突き。
見事! 雨粒が弾けるように裂かれて消えたかんてんの体をクッションに、素早く着地した枯葉くんは、抜き身の刀で毛むくじゃらの尻尾を振り回してきたソフトクリームに向かう。
強烈な尻尾鞭の一撃。でも、さっきと違うのはその距離だ。毛むくじゃらの尻尾が振り回されると同時に、ソフトクリームの真白き尻尾も振り回されている。そしてその尻尾の先は、枯葉くんの刀が届く距離。
「遅い!」
またも見事! 枯葉くんの振りは敵より僅かに早く、尻尾の先を一刀両断にした。もう一本の毛むくじゃらの尻尾も動きを止めて、雪の塊が砕けるように消えていく。
「さあ、隠れてないでさっさと――そこか!」
気配を感じて――感じるように露骨に現された気配に向けて、抜き身の刀が振るわれる。
「狙いは正確。でも……」
姿を現したのは、レインコートのスレンダー少女――あめ。どこに隠れていたのか、どうやって現れたのか、気配は感じても詳しくはわからない。ただ、彼女はレインコートに包まれた腕で抜き身の刀を受け止めていた。
「――遅いし、弱い」
重なるように聞こえた声の主は、毛糸のコートにマフラーの小さな少女――ゆき。枯葉くんの背後に現れて――もちろんこちらもよくわからない――彼の背中にそっと触れた。
「二人を出しただけでも、役目は果たせたさ」
煌めいて生えた五本の触角みたいな毛と、煌めいて伸びたロングツインテールの髪。小夏ちゃんと真冬ちゃんがすかさず動き出した。私も髪を煌めかせてロングポニーテールに、準備はするけど動かない。私の役目は――隠れた敵に備えて注意を払うこと。
五つの浮かんだ風にも水にも見える流体玉があめとゆきを背中から狙い、立派な長い樹に鋭い氷の穂先をつけた樹氷を片手に、振り回して突き刺すように真冬ちゃんが駆ける。
「ふーん……じゃあ、ばいばい」
小夏ちゃんの攻撃を受ける前に、ゆきが言った。そして、枯葉くんの背中に力を込めて、彼の体を勢いよく吹き飛ばす。
「ぐっ――この程度、まだ……」
刀を落としそうになった枯葉くんだったけど、必死に抵抗して握った手は離さない。けど、敵はもう一人。吹き飛ばされた先のあめが足を振り上げて、彼の急所に鋭い一撃を加えた。
言葉にならない悲鳴とともに、枯葉くんは刀を落としてうずくまる。私にはよくわからないけれど、あそこを蹴られるととても痛いとは聞いている。あめとゆきも容赦ないね。
その間に、流体玉があめとゆきの背中に直撃して、真冬ちゃんも接近する。
こちらも二体、敵も二体。けれど、枯葉くんの尊い犠牲によって作られた隙に、先制攻撃を加えたのは小夏ちゃんと真冬ちゃんだ。
「その子たちは私が抑えるよ! 小夏ちゃん、真冬ちゃん!」
瞬間的に現れたかんてんとソフトクリーム。数は十。かんてんには二本の毛むくじゃらの角が生え、ソフトクリームには二本の毛むくじゃらの尻尾――元の尻尾と合わせると三本だ。
十体の敵は小夏ちゃんと真冬ちゃん、そしてあめとゆきに枯葉くんを囲むように現れたけれど、私は世界に軽く刻んで敵の進行を妨げる。直線的な突進を止めるには、そこまで大きな力は必要ない。
樹氷からは鋭い氷の槍が幾重にも生まれて、あめとゆきの二人にまとめて襲いかかる。上下左右に逃げ道のない攻撃、後方には逃げ道はあるけれど、そこは小夏ちゃんの攻撃範囲。増援の動きを少しだけでも止めた今、あめとゆきには受けるしかない。
「はあっ!」
「……仕留める!」
真冬ちゃんと小夏ちゃんの声。彼女たちも今が最大の好機だと理解している。まだそんなに仲良くない私たちでも、完璧に近い連係。
「氷がゆきを貫いても、ゆきは再び固まるよ」
直撃した樹氷を、ゆきは受け止めていた。言葉の通りに貫かれたわけでもなく、ただ両腕を広げて受け止めただけ。氷は触れた部分から溶けていき、ゆきの体は貫けない。
「あめは小さな風じゃ流れない。弱い水じゃあめに流される」
その間に、あめは小さな雨粒を飛ばして流体玉を全て破壊していた。私たち三人の最高の攻撃は、届かない。でも、まだ攻撃は終わってない。
「なら――これはどうだ!」
倒れていた枯葉くんが起き上がって、拾っていた抜き身の刀を素早く振り払う。その一撃は――あめのレインコートを綺麗に裂いた。
腰の下から裂かれて、あめの素肌が大太陽のもとにさらされる。長い長いレインコートの下には、綺麗な素足だけしかなかった。
「……えっち」
「え? いや、そういうつもりじゃ、というかなんでそんな!」
動揺する枯葉くん。ここにきて色仕掛けを――ううん、そんなことしなくても、多分反撃はできる。つまりこれは、余裕を見せているだけ。
レインコートの破れた裾をめくるあめ。現れたのは下着――じゃなくて水着。でも枯葉くんは咄嗟に目を逸らして、攻撃が遅れる。今の私たちにとってそれは、致命的な遅れ。
「ごめん、限界! 耐えて!」
「はい。では」
「信じる」
微笑んだ真冬ちゃんと、私の瞳をまっすぐに見た小夏ちゃん。二人に私が抑えていたかんてんとソフトクリームが襲いかかって、目前にはあめとゆき。
樹氷を振り回して反撃する真冬ちゃん。
再び生み出した流体玉で、的確にかんてんとソフトクリームの体を狙う小夏ちゃん。
かんてんソフトクリームだけなら、これで問題なかった。でも、敵はまだいる。あめはようやく視線を戻した枯葉くんを軽々と蹴り飛ばして、そのまま小夏ちゃんの背中に鋭い飛び蹴りを放つ。同じく真冬ちゃんに近付いていたゆきは、樹氷を片手で掴み、もう一方の手で突き上げるような掌底を放つ。
三人が吹き飛ばされて、残った何体かのかんてんソフトクリームが私に向かってくる。
「私だって、簡単には――!」
三人とも私を、私が世界に刻んだ言葉を信じてくれた。私だって、その言葉を信じている。だから負けない。とにかく負けなければ、助けはくる。きっとあの言葉は……。
私はあめとゆきに一矢報いたい衝動を抑えて、耐えることだけに集中する。私の力は戦いには向かない。でも、こうして時間を稼いで、守るだけなら、この体も使って戦える!
世界に刻んで隙を生んだかんてんには、鋭い蹴りを。ソフトクリームには、打ち下ろすような掌底を。
「……きた?」
「きた。ゆき」
ゆきとあめの言葉。助けは――きた。
「無事ですか? 道をお願いします」
歩いてやってきたのは、そらほし地域の星頂――春沢椿ちゃん。
「任せてよ」
どこへの道か、私は問わない。作るべき道はもちろん、枯葉くんに小夏ちゃん、真冬ちゃんたちへの道。横切る椿ちゃんが私の肩に触れて、暗くて優しい光が私を包み込む。
「あなたにも。――参りましょう」
ゆらりと倒れるように、椿ちゃんは駆け出す。私が刻んだ世界の隙を縫って襲いかかるかんてんソフトクリームを華麗に回避して、彼女は倒れた三人に順番に近付いていく。
触れるときには再び、暗くて優しい光。煌くような髪の毛は、左のサイドテール側ではなく右側に。ちょっとだけ伸びたのは右のサイドテール。長さの違うアシンメトリーテール。
彼女が触れた人は、元気になって立ち上がる。小夏ちゃんは流体玉を飛ばし、真冬ちゃんは樹氷を構える。枯葉くんは最後だったけど、振り抜いた抜き身の刀は椿ちゃんに背中から襲いかかろうとしたソフトクリームを一刀両断にしていた。
「私の力は宵闇の光――壊れたものは癒します」
三人とも、そしてあまり疲れてはいなかったけど私も、完全復活だ。
「五人揃ったね。あめ、どうする?」
「回復されたのは面倒。また今度にする?」
ゆきとあめの二人は頷き合って、あめは纏った雨粒で流体玉を全て破壊してから、ゆきは樹氷を掴んでへし折ってから、高原の中に姿を消してしまった。
気配はまだ少しある。追いかけることはできるけど、私たちの誰もがそれはしない。
「やー、完敗だね」
私の言葉を、他の誰もが否定することはできないのだから。
「完敗だったねー」
「ええ。でも……」
「私の本気をあの程度と思ってもらったら困る」
そらほし地域の五星温泉はふわふわしていて涼しげな温かさ。多分、窓から見える高原の景色も影響してると思うのだけど、戦いを終えたその日の夜、私たちはみんな――男の子の一人を除いて――揃って星寮の温泉を楽しんでいた。
「私がもう少し早くいければ、変わっていましたか?」
「変わってたよ」
即答した私に、椿ちゃんは事情を加える。会話は真面目だけど、私たちの顔はみんなとろけそうになっている。小夏ちゃんも顔には出さないけど、声からその気持ちは伝わってくるね。
「そうですか。すみません、私、陽射しに弱いもので」
「反動? 生理的な?」
「そういうものです」
「ふーん。まあ、でも……変わっても勝てるわけじゃなかったよね」
「私も万全ではなかったけど、今だとあなたたちを巻き込むかもしれない。そう、ロシアンガールは冷たい氷の使い手なの」
「うん。かといって、一対一で勝てる相手じゃない」
小夏ちゃんは真冬ちゃんに寄り添って、仲良さそうにしている二人。でも戦いとなると仲が良いだけでは上手く連係はとれない。特に、あめとゆきのような完璧な連係を可能とする敵を相手には。
「私は癒すだけですが、疲労状態を確かめられないといけませんものね」
「私だって、無闇に使ったら疲れちゃう」
椿ちゃんの体もふわふわしていそうだ。この問題は、私たちだけでは解決できない。本格的な反省会は枯葉くんもいないとだけど、今の私たちに必要なのは反省じゃない。
敵は強い。でも、私たち星頂の力も強い。決して、勝てない相手じゃないと思うから。
私たちはふわふわなお湯に包まれて、今一人の枯葉くんはどんなことを想像して何をしているのかな、なんて他愛もない会話を楽しみながら、とろける感覚に身を委ねていた。
もちろん、私が完全に癒されるには枯葉くんが必要。宵闇の光でも、生理的なこれは完全には癒せないみたいだから。そのことは、戦いが終わっての疲労と、椿ちゃんの全員に向けた確認ではっきりした。生理的なものは、壊れたものではないのである。