マコミズの戦いから数日。シララスは普段より激しく修行に打ち込んでいた。彼が戦いの結果と経過を知ったのは戦いの翌日。結果以上に衝撃を受けたのは、その経過であった。
クゥラの見せた戦いぶり。一人で強き将に勝利するとまではいかなかったものの、今度同じ状況になれば強き将でも退けられるかもしれない。それほどの力を、彼女は戦いの中で示したのだ。
心域で心兵を操り、師匠であるヒミリクの心兵と衝突させる。二体の心兵が一体の心兵を狙っての攻撃だったが、ヒミリクの心兵はそれを軽々と受け止めていた。
「くっ! もう一度お願いします、師匠!」
シララスの頼みに、ヒミリクは首を横に振る。
「今日はここまでだ。君もかなり消耗しているだろう。動かし方も雑になっているし、心兵に込められた力も弱っている。そんな状態でいくら戦っても、強くはなれないぞ」
「けど……でも!」
なおも引き下がるシララスだが、言葉に意味はない。師匠の言っている言葉は正しい。頭では理解しているのだが、一日でも早く強くなりたい――その気持ちが口を動かした。
「シララス。君は確実に強くなっている。心兵の扱いも、戦術の知識も、十分に実戦で通用するだろう。あとはただ、君の力を活かす戦い方を見つけるだけだ。そしてこればかりは、私にも教えることはできない」
「師匠も、誰にも教わってないからですか?」
「ああ。だが、私にはカザミがいた。そして君にも、クゥラがいるだろう?」
「そう、ですね」
笑顔で告げるヒミリクの言葉に、シララスは弱く答える。しかしその反応もヒミリクの予想のうちで、彼女はさらに言葉を続けた。
「だが、私たちと君たちでは少し状況が違う。ココカゼにとって同盟飛行都市国家であるカカミ。友好飛行都市国家であるマコミズ。そして何より、敵対飛行都市国家であるチカヒミとの戦況。気軽に模擬戦や情報交換ができる状況ではないな」
シララスは黙って師匠の言葉に耳を傾ける。
「しかし、カカミであれば苦労はない。カザミに話はしておいた。明日は彼女とゆっくり話をしてみるといい」
「カザミさんに?」
カザミは師匠と肩を並べる実力者。彼女と直接話をできるなら、何かのきっかけは掴めるかもしれない。しかしそれは同時に、明日の修行は休むということ。軽く体を動かすくらいはできるだろうし、心域での動きが鈍るということはないだろうが……。
「それに、君には休息が必要だ。ここ数日の修行、どれだけ疲労が溜まっていると思う? 温泉も万能ではないのだぞ。君の頼みを断り切れなかった私にも責任はあるが、どの道明日の修行はお休みだ」
「……う。わかりました。カカミまでは?」
そこまで言われては断るわけにはいかない。自分でもどれだけ無茶な修行を続けていたのかはよくわかっている。ヒミリクに疲れを理由に修行を中断させられた時間も、昨日より十数分早かった。
「私もついていこう。まあ、君が二人きりで会いたい、というのなら邪魔はしないが」
「いえ、むしろありがたいです。カザミさんも師匠に会いたいんじゃないですか?」
少なくとも自分に会うよりは。それくらいの感覚でシララスは言葉を声にした。
「ん? カザミとは前の戦いのときにも会ったが……君が言うならそうするとしよう」
心域から川澄に戻り、シララスは軽く明日のことをシズスクにも伝えておいた。
「お土産」
「遊びに行くんじゃないからな」
シズスクの一言には即答。無言の圧力にも無言で耐えて、ようやく乗り切ったと安堵の表情を浮かべたシララスに、シズスクが一言。
「お土産はシララスでいいから」
「諦めたんじゃなかったのか……って、どういう意味だ?」
「ん? 強くなって帰ってきてねって遠回しに言ったつもりだけど、わかりにくかった?」
「そのお土産は持ってこれるかわかんないな」
微笑む幼馴染みに、シララスは苦笑を浮かべる。自分もできればそうしたいが、保証はできない。すぐにでも自分の戦い方を見つけたいが、見つけられるか自信がない。
「ふーん。そっか。ま、無理なら無理で急がなくていいよ? ちょっと置いていかれたくらいで自信を失くすような幼馴染みじゃないって、私は思ってたんだけど」
「買い被りすぎだ」
「うん。そうみたい。十五歳まで我慢できたのは、まぐれだったんだね」
「それは……そう、だな」
幼馴染みの言葉に、思い出す。心域を生み出せるようになるまで、心域で戦う力を得られるまで、十五年もかかったのだ。心兵を動かし、心生みとして戦える日をずっと待っていた。たった数日置いていかれたくらいで、なぜここまで自信を失くす必要があるのか。
「ありがとう。シズスク」
だから素直に。それを気付かせてくれた幼馴染みに、感謝の言葉を述べる。
「ん? あー……うん。今のは本気で言っただけなんだけど、受け取っておくね。貸しってことで一つ」
「えー……なんか、いや、でも」
わざわざ言わなくてもいいじゃないかとシララスは思ったが、そういう素直なシズスクだからこそ、幼馴染みとして信頼できる。だから文句を言うのは、今はやめておいた。
翌朝。シララスとヒミリクは心橋を使い、カカミへ向かった。カカミ神社の前で、待っていたカザミに軽く挨拶をして、役目を終えたヒミリクはさっさと帰ってしまう。
「よろしく頼むぞ、カザミ」
「ええ。できる限りのことはしましょう」
先日のチカヒミの動きを考えると、ココカゼの心生みが二人とも長く離れるわけにはいかない。特に、ヒミリクが一日も離れていたらそこを狙われる可能性がある。
「いいんですか?」
それにしても、多少の会話をする時間はある。あまりにもあっさりとした別れに、シララスはカザミに尋ねる。
「時間は貴重ですから。さあ、さっさと心域を広げなさい。それから……そうですね、あなたの心兵を見せてもらいましょう」
「はい」
いきなりの指示にもシララスは素直に従う。程々の広さの心域を広げ、すぐに一体の心兵を生み出す。それから、カザミの顔を見て次の指示を待つ。
「では、少し待っていて下さい」
カザミは神域を広げず、シララスの心域に生み出された心兵に近寄る。上から下、前や後ろとその心兵を眺めてから、カザミは質問した。
「これは……素晴らしい比率ですね。特に意識してはいないのですか?」
「比率? えーと、あ、はい。心兵しか生み出せなかった期間が長かったですし、心船や心網の修理をしているうちに慣れたみたいです」
言葉の意味を理解するのに少し遅れたが、シララスは頷いた。だがもちろん、カザミがそれを見逃すはずもない。
「ふふ。その前に、少々知識の確認もしておいた方が良さそうですね?」
「う……お、思い出してます。水、火、風、地――心兵を構成する四つの比率ですよね」
だがこれくらいでシララスも狼狽えない。知識自体はもう思い出している。
「はい。わたくしの精鋭たちも綺麗な比率ですが、あなたの心兵は完璧です」
「でも、それが戦いで役に立つわけじゃない、ですよね?」
「ええ。わたくしの神兵を精鋭たらしめるのは、わたくしがそう力を込めたゆえ。見た目が美しいだけでは基本的に役には立ちませんね」
「例外は?」
「目立つ見た目にして囮に使う、状況によっては使えるでしょう。もっとも、完璧でなくとも機能はするでしょうけれど」
カザミはそこで言葉を区切り、話題を転換する。
「あなたは他の比率でもすぐにできますか? 水を三割、火を二割、風を四割、地を二割――寸分の狂いもなく、お願いします」
「はい。これでいいですか?」
言われた通りの比率で、シララスはすぐに心兵を生み出す。カザミは再びその心兵を四方から眺めて、小さく頷いた。
「完璧ですね。凄い特技ですよ」
「この短時間で完璧ってわかるカザミさんも、凄いですね」
シララスにとってはそれも驚きだった。師匠でさえも、こんな短時間ではそこまで見分けられないし、得意ではないと言っていたから時間をかけても難しいかもしれない。
「経験と才能の差ですね。わたくしが神域を生み出す高い力を発現した年齢、あなたも当然知っていますよね」
「はい。十歳――発現する可能性の中では、最も早い年齢ですね」
「可能性にすると、一パーセント。それから多くは十一、十二歳の頃に発現し、以降に発現する者は減っていく……それでも、素質があるなら十五歳には必ず発現します」
生み出された心兵に顔を向けたまま、カザミが言葉を続ける。シララスは困ったような表情を作って、弱々しい声で言葉を引き継いだ。
「十四歳までに発現する可能性は九十九パーセント。十五歳になるまで発現しないなんて、俺とカザミさんでは全く違いますね」
「あら? そうでしょうか」カザミは振り向く。「十五歳で発現する可能性も、また一パーセント。わたくしと同じ、希少な存在であることに変わりはありませんよ」
予想もしていなかった言葉に、シララスは作っていた表情も忘れ、ぽかんとする。
「一つの世代の心生みや神代りが活躍する時代は、もっと長いのです。五年の差なんて、すぐに追いつけますよ。わたくしやヒミリク、それにシァリ――三人もの同世代の先輩がいるなんて、あなたとクゥラは幸せですよ。直接教わることができるのですから」
カザミは笑顔を向ける。シララスは今度は自然に困った顔になり、口を開いた。
「でも、戦い方は教えられない、自分で見つけるしかない……ですよね?」
「はい。さすがシララス、ヒミリクの弟子なだけはありますね」
「弟子とは認めてくれないんですけどね。師匠も頑固です」
シララスは表情を緩め、笑顔を向けるカザミに微笑みを返す。
「さて、次はどうしましょうか。ヒミリクには休息も兼ねていると言われましたから、軽く模擬戦というわけにもいきませんし……」
「じゃあ、色々話を聞いてもらえませんか? 俺にどんな戦い方が合っているのか、自分なりに色々考えてみたんです。修行で試す前に、カザミさんの助言を下さい」
「それくらいなら、もちろんです。せっかくですから、実際に神兵を動かして試してみるとしましょう。目印として十数体、戦わせなければ問題はないでしょう」
「お願いします!」
それから、やや小さめの心兵と神兵を生み出して、戦い方の研究が始まった。シララスが生み出した心兵は弱いもので、カザミの神兵も精鋭ではない。あくまでも目印としての、短い距離を歩く程度にしか疲れない行動だ。
ヒミリクやカザミ、シァリなどの戦い方を元にアレンジした戦い方。彼らとは全く違う――しかしシララスにとって得意とも限らない――新たな戦い方。あるいはもっとシンプルに、流れに任せての勘と経験に頼った戦い方。
様々な戦術をシララスは試した。カザミの助言もあって思った以上に戦えたものもあれば、助言するまでもなく合わないとわかる戦法もあった。
日が暮れて。
「成果は上々……とは言えませんでしたね」
「はい。でも何か掴めた気がする――なんて言えればいいんですけど」
長時間の研究も、結果はその程度のものであった。
「俺、もしかして戦いに向いてないんじゃ……」
「と言うには、なかなか戦えた戦法もあったでしょう?」
「そう、なんですよね……」
そこが悩ましいところである。カザミの目から見ても、シララスに戦いのセンスが致命的に欠けているようには見えなかった。ただ、彼のセンスがどういうもので、それをどう活かせば能力を全て発揮できるのか、それが見えないだけで。
「わたくしの記憶や知識にない戦い方……きっと、それがあなたに合っているのでしょう。付け加えると、ヒミリクも知らない戦い方ですね」
「カザミさんと師匠が知らない戦い方なんて、あるんですか?」
「無論、わたくしも書物などから知識を蓄えてはいますが、基本的には独学です。どこか遠くの飛行都市国家では、わたくしたちの想像もつかないような戦術が一般的かもしれませんし、また彼らにとってわたくしたちの戦術が未知のものであるかもしれません。さらに過去に溯れば、記録に残らない斬新な戦術、未来で誰かが思いつく新たな戦術もあるでしょう」
「その中のどこかに、俺に合う戦い方がある?」
「でしょうね。けれど、とても広いですよ?」
カザミはちらりと北東の方角を見る。そこには大国チカヒミがあり、さらにその遠くには二人も名前さえ知らない飛行都市国家が多数存在することだろう。飛行都市国家の飛行速度は一定であるゆえに、数年程度では飛行都市国家の位置関係は変わらない。
心生みや神代り、真者なら進路を操作することも可能であるが、一年に半飛行都市国家分しか移動しないのだから、一生かけてようやく実感できるほどの変化を与えられるくらいだ。
ココカゼ、カカミ、マコミズ、チカヒミ――四国の位置関係は、彼らが生まれる以前から殆ど変わっていない。チカヒミ内で飛行都市が移動することは何度かあったが、それらはココカゼ、カカミ、マコミズに影響を与える動きではなかった。
六年前の書状、半年後の武力要求。それが近年では――記録に残る限りの歴史を紐解いても――最も大きく影響を与える出来事であった。
「この状況じゃ、そんな余裕はないですよね」
そもそも、チカヒミの多数ある飛行都市を抜けていくことでさえ、シララスには――ヒミリクやカザミであっても――困難なことである。単身での戦闘を得意とするシァリなら手段はあるかもしれないが、そこからは地図のない旅。広がる空のどこにあるかもわからない、未知の飛行都市に向けて心橋を架け、さらには国としての交渉も必要となるだろう。
「ええ。でも、チカヒミになら行けます。幸いにして、と言いますか……」
「……行ける? もしかして、前に偵察した飛行都市には、まだ?」
シララスの言葉に、カザミは優しい表情を彼に見せて頷く。
「敵対する大国に、単身での偵察――そこで突然現れる伏兵……さあ、シララスはこの危機を切り抜けられるのか。そしてその中で、見つかる彼の戦い方とは? 物語の筋書きとしては面白いと思いませんか?」
「俺には無謀な賭けにしか思えません」
率直な感想を口にしたシララスに、カザミは用意していた言葉をかける。
「ああ、ちなみにこれは、ヒミリクの言葉ですよ?」
「師匠の? もしかして師匠には深い考えが……」
「冗談の一つとして出た言葉ですけど。ちなみにわたくしは、とりあえず女心を理解させればよいのでは、というものでした」
「……なんて話してるんですか」
シララスが思わず呟くと、カザミはにたりと笑って彼を見つめた。
「大人の乙女の秘密の会話――ふふ、聞きたいのなら話してあげますよ? それであなたがどれだけ傷付くことになるかは、わたくしにもわかりかねますが」
「結構です」
「冗談ですよ。ヒミリクもわたくしも、影でこそこそ悪口を言うような真似はしません。話した内容は純然たる事実のみ……問題はないでしょう?」
「むしろそっちの方が怖い気がするんですが」
一瞬安心しかけたシララスだったが、カザミの表情が変わっていないことに警戒する。
「懸命ですね。それに比べれば、チカヒミの偵察など児戯も同然。決行は明日、場所は覚えていますね? 忘れてしまったのでしたら、もう一度お教えします。お願いしますね」
「……えーと、それは強制ですか?」
シララスが困った顔を向けると、カザミは明るい笑みを浮かべた。
「チカヒミに動きがありそうだ。可能であれば誰かを偵察に向かわせたい。という話は少し前からシァリからも出ていまして。しかし、クゥラは先日の戦いで成長してしまいました。威力偵察と思われてはこちらも困ってしまいます。そこで乙女の秘密の会話が始まり、いくつかの冗談も飛び交ったのですが……一つ言えることは、時間はあまりないということです」
最後の言葉に、シララスも真剣な顔を返す。もしこのまま来るべき時が来て、そのときに自分だけ戦い方を見つけられなかったら……数人の一般将を相手に、自分が苦労している間に、万が一、万が一にも師匠たちが負けることがあれば。
きっと、後悔してもそのときにはもう遅い。
「もし俺が捕まっても、助けは期待していていいんですよね?」
だったら今、自分がとるべき行動は決まっている。偵察で捕まろうと、戦いで負けようと、チカヒミの目的はココカゼ、カカミ、マコミズを管理下に置くこと。命を奪われることはないし、むしろ丁重に配下としてもてなされる可能性もある。
「さあ、それはチカヒミがあなたをどう扱うか次第ですが……偵察に失敗されると、戦況が有利に運ぶことはないと見ていいでしょうね」
声は優しいが、カザミの言葉と表情は真剣そのものだ。
「わかりました。絶対に戻ってきます。その、戦い方については保証できませんが」
成長を諦め、逃げるだけならどうにかなる。それくらいの修行は十分にしてきた。
「ええ、お願いしますね」
けれど、やはり。
偵察以上の収穫を期待する気持ちが、シララスの心の中から消えることはなかった。冗談のようなことが実際に起こって、戦いの中で自らの戦い方が見つかる――それはとても、面白いものだと思うから。たとえそれが、どんなに無謀な賭けであろうとも。