緋色の茜と金のオルハ

三 魂流図書美術博物館


 魂流図書美術博物館の図書館に、浴衣たちは訪れていた。一通りの話が終わって、それからは普段通りに図書美術博物館で過ごす。今日は一人、新たな仲間も加えて。

 図書館の中ではお静かに、言葉はなくそれぞれ興味のある本を探すのだが、茜にとっては初めての場所。これだけの広さなら、まずは地図を確認するものである。

「たくさんある」

「本は読まないか?」

 茜の言葉に小声で会話。

「読まなくはないけど、時代が違うんだよ。昔のものは読みにくいかも……」

 確かに昭和や大正、昔に書かれた小説は平成の現代では読みにくいものが多い。同じことが平成を過去とした、未来でも発生するのは自然なことだ。

「ホームズがあるなら、大丈夫じゃないか?」

「あ、じゃあそれで」

「場所は検索用のパソコンもあるけど……」

 その手の本がどこにあるのか、ここによく訪れている浴衣もオルハも知っている。だがちょうど、彼らよりもっと詳しい人の姿が近くにあった。

「穂野絵さん」

「はい。何かご用ですか?」

 くらほのえ。矢倉の倉に、稲穂野戦絵画の穂野絵で、倉穂野絵。セミロングストレートの髪が美しい、美人のお姉さんといった風貌の女性だ。

「あら、あなたは初めまして? 魂流図書美術博物館の総合司書学芸員、倉穂野絵です」

 見慣れない姿にすぐに気付いて、穂野絵は微笑んで自分の役職を告げる。

「司書で学芸員……」

 茜は繰り返す。図書美術博物館の図書館で司書、美術館博物館で学芸員。そこまでは茜もすぐに理解したが、その前の一言が気になった。

「総合?」

「ええ。全ての施設にまたがって、対応するのが私の役職。今日は真北さんがお休みだから、なるべく図書館にいることにしています。どんな本をお探し?」

「この時代のホームズを」

「この時代?」

 穂野絵が首を傾げる。滅多に見られない彼女の困った仕草に、浴衣とオルハは興味を惹かれる。言った茜は言葉の意味に気付いて、どう説明するか考えていたが、それより早く穂野絵が答えを返した。

「現代で出版されているものなら、あちらの書架ですよ」

「ありがとうございます」

 小さく礼をして、浴衣とオルハを一瞥してから、茜は示された場所に向かう。

「いつもながら、凄いですね」

「はい。さすが穂野絵さん」

 あれだけの会話で言葉の意味を正確に把握し、目当ての本を示してみせた総合司書学芸員に、浴衣とオルハは感嘆の言葉を口にする。

「ありがとう。転校生?」

「ではないですね」

「はい。むしろ危険人物」

「織羽ちゃんの話し方がいつもと違うのも、彼女が理由なのですね」

 そういえば話し方はそのままだったと、浴衣もオルハも言われて気付く。穂野絵には幼い頃からお世話になっているので、オルハも自然と素で話していたようだ。

「詮索はしませんが、付き合うことになったらお姉さんにも教えてくださいね?」

「もちろんです」

 微笑を浮かべた穂野絵に、オルハが即答した。

 それから浴衣とオルハも本を探しに図書館内を歩く。二人が向かうのは同じく科学の書架。とはいえ広い図書館。科学の書架だけでもそれなりの面積はあるが、途中までの道は同じだ。

 その途中、二人の目に一人の少女の姿が映った。

 書架の高いところにある本へ向けて、背伸びをして手を伸ばす小さな女の子。長いツインテールを揺らして、反動も利用して手を届けようとするが、彼女の身長はせいぜい百二十センチといったところ。どうやっても届きそうにない。

「この本かな?」

 迷わず浴衣は女の子の近くに寄り、目当ての本を代わりにとってあげる。

「あ、その隣の……はい、それです」

「はい」

「ありがとう!」

 本を受け取った少女は、騒がしくならない程度の大きな声でお礼を言うと、音を立てずに早足で去っていった。

「さすが浴衣さん」

「ん? 何が?」

 疑問で答える浴衣に、オルハはくすくすと笑う。そんな二人の耳に近付いてくる足音が届いて、止まると同時に近付いてきた少女が声をかけた。

「遠くから見てたよ。浴衣くんが告白を断った理由、そういうことだったんだね」

「うん?」

 こちらも意味がわからない。浴衣は疑問を現れた茜にぶつける。

「幼女好きのロリコン」

「酷い誤解だな」

 それに幼女好きとロリコンはほぼ同じ意味である。高いところの本を代わりにとってあげただけで、そこまで強調されるとは浴衣も心外だった。

「あれ違った? 答えは?」

「ふむ」

 否定するように反論させて答えを引き出すという魂胆か。気付いた浴衣はどう答えるか少し考える。口にしても構わないが、自分から理想の恋を口にするのは恥ずかしい。

「それにしても、不思議な女の子。今日も難しい本」

 迷った浴衣に、助け舟を出したのはオルハだった。

「ああ、分厚い心理学の本だった。ところで織羽は、何度か見たことあるのか?」

「幼女に興味津々な浴衣くん」

 茜の一言は無視して、オルハの答えを待つ。すると、彼女は小さく首を傾げた。

「浴衣さんも一緒にいた。それに、今みたいなのも初めてじゃない」

「あれ、そうだったかな」

「今みたいなの、無意識だから忘れてる?」

 オルハの声を耳に入れながら、浴衣は思い出す。確かにこういうことをするのは無意識でやることが多いけれど、難しい本をとってあげた記憶なら思い出せるのではないか。しかし、いくら思い出そうとしてみても、先程の女の子の姿は浮かんでこなかった。

「同じ髪型の小学生か、中学生くらいの女の子なら、何となく思い出せるな」

「お姉さんかも。私も、何となく覚えてる」

「……これが二人の歴史。幼馴染みの力」

 もっとも、彼女と会話をしたことがあるわけではないし、思い出せないのも仕方ない。話はここで終わりにして、彼らは本来の目的に戻ることにした。

 読書を終えた夕方の広場、帰宅の道につく前にオルハが聞いた。

「茜は、浴衣さんの家に住んでる?」

「あ、呼び捨て」

「あなたは敵。仲良しの証ではない」

「まあいいや。そだよ、私は浴衣くんの家に住んでるの」

 オルハの視線が浴衣に向けられる。浴衣は頷いて、事実であると答えた。

「そう。明日も迎えに?」

「うん。あ、でも、いつもここに来るならここで待っていてもいいよ。私は人の恋を邪魔するような女の子ではないのです」

「私は浴衣さんのことは……」

「誰も浴衣くんとオルハちゃんのことなんて言ってないよ?」

 会話がほんの少しだけ止まる。入ったら邪魔になるだけだと、浴衣は黙っていた。

「さすが、未来の悪の秘密組織」

「あはは、私も恋ってよくわかんないんだけどね」茜は朗らかに笑ってから、真剣な表情で続ける。「子作りのやり方はよくわかるけど」

「浴衣さんを襲うなら」

「ん? 幼馴染みに、何の権利があって?」

「悪事を未然に防ぐのは、人として当然の判断」

「私には悪いことをするのが当然だから、その論理はわからないよ」

 どうやら二人の話はすぐに決着が付くものではなさそうだ。そう判断した浴衣は、間に入って止めることにする。

「そろそろ帰ろう。遅くなる」

「はい。浴衣さん」

「そうだね」

 オルハと茜もすぐに承諾して、三人は並んで帰路につくのだった。並びはもちろん、浴衣の左隣にオルハ、その左に茜。既に定着した、いつもの並びである。


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