雪触手と空飛ぶ尻尾

テール族の転校生――佐宮菊花の手記・三


「安土ツイナです。よろしく、北海道の人!」

 元気な挨拶をする転校生がやってきたのは、その週の終わり、金曜日のことだった。片手を高く斜めに伸ばしてポーズを決めている。あのときと同じ近代的で色彩豊かな制服。テール族の少女、ツイナに間違いない。

「彼女は留学生……みたいなものらしい。詳しい資料は見てない」

 隣に並ぶ身長差四十四センチのゲーマー教師――竹山先生は言い切った。よくあることだし、本人に聞けばわかることなのでクラスメイトから文句は出なかった。むしろ、質問する機会ができて喜んでいる人もいた。主に男。

 美少女転校生の話題性は凄いもので、クーリの入ったくりぐるみの話題はほとんど消えてしまった。けれどクーリの目的は目立つことでもないし、問題はなかった。ツイナは私たちを見ても微笑むだけ。多分知っていてこのクラスを選んだのだと思う。

 しかし、今日の話題は転校生一色、というわけでもなかった。その日はもうひとつ、一部の注目を集める大きな話題があったのだ。

「だから、あれは魔法だって。空を飛ぶと言ったら魔法、決まってるだろ!」

「そうかな。空中を音もなく浮遊する、僕たちには無理でも、仮に異星人だとすればそれくらいの技術があっても不思議ではないはずだよ。何せ、宇宙を旅できるのだからね」

「それこそ、魔法があれば一瞬だぜ。どーんと!」

「……何の話?」

 私がその話を耳にしたのは、俊一と一緒に登校してきてすぐのこと。健人くんと陽太くんの会話の意味がわからずに、私は呆れた顔で二人を見ていた真美に尋ねた。

「私たちが昨日見たものについての正体を議論してる。昨日から」

「見たって、何を?」

 私は荷物を席に置いてから、続けて尋ねる。俊一も同じように手ぶらで戻ってきた。

「はっきりとは見えなかったんだけどね、雪のように真っ白な細長い何かと、二本の尻尾みたいなものが空で喧嘩してるのを目撃したんだよ」

「へえ」

「……おい、菊花」

「なに?」

 小声で話を遮る俊一に、私も小声で返す。

「この話って……」

「うん。ねえ真美、その細いのってどれくらいの長さだった?」

「うーん、一メートルくらいかな。ま、見間違いかもしれないけどね。目や口も見当たらなかったし……何かの触手にも見えたけど、触手だけの生物なんていないでしょ?」

「そうかな?」

 私は鞄の中からくりぐるみを出して、抱きながら言ってみた。白いうさぎの尻尾が一回だけ少し揺れた。練習しておいた肯定の合図だ。見られていたことは気付いていたらしい。

 結局、健人くんと陽太くんの議論には結論はでなかった。ただひとつだけ、二人が見た何かについての仮の呼び名は決まっていた。雪のように真っ白な細長い触手は、そのまま雪触手。空を飛ぶ尻尾のような何かも、同じように空飛ぶ尻尾。

 これから長い間、学園を中心に利音市を騒がせる噂、雪触手と空飛ぶ尻尾の伝説。この小さな目撃談が、その大きな噂の始まりだった。

「そうかなって、心当たりあるの?」

「ヒドラの巨大化」

「ヒドラ?」

「クラゲのでっかいのを極限まで絞って、そこから長い触手を何本か生やしたような生物」

 図鑑で見たことがあるくらいで、生で見たことはないけどそういう生物もいる。

「それが一本だけ分離して、大きく成長したらどうかな?」

「空を飛べるまで?」

「飛べるまで」

 さっきからくりぐるみが尻尾を二回揺らす行為を何度も続けている。否定の合図だ。私は背中を親指で軽く押して、了解の合図を返しておく。

「それはないっしょ」

「だよね」

 ここでクーリに出てきてもらうのは騒ぎを大きくするだけ。私はクーリに出会うまでの知識から導き出せる可能性を口にしただけで、それ以上のことは何も言わなかった。

 機会があればとは思っていたのだけど、その機会は遠のくばかり。理由はもちろん、それから始まったホームルームでツイナがやってきたからである。彼女の耳にも雪触手と空飛ぶ尻尾の噂はすぐに入り、最初の休み時間。

「昨日のこと、黙っておいてね。私はただ、学園生活を楽しみ――調査しにきたけだから」

 と、ツイナが私と俊一に小声で言ってきたので、私たちはしばらく黙っていることにした。

 その日の昼休み、教室にて。私は真美、ツイナと三人で机を並べてお弁当を広げていた。ツイナへの質問ラッシュは、彼女が休み時間に素早く答えを返したことでほぼおしまい。ほとんどの答えが秘密だったのだから、時間はかからない。答えていたのはテール族に関すること以外。スリーサイズも平然と答えたので、男子は歓喜。女子はその男子を冷めた目で見ていた。

「それにしても、スリーサイズはないっしょ?」

「そうなの? 別に知られてもあたしに困ることはないよ」

「そうだよね。せっかくだからツイナ、性的な弱点を教えて?」

「性的な……え? 何、スリーサイズってそういう意味で聞いてたの?」

「うん」

「文化の違いってやつ?」

 ちなみに私たちから少し離れたところでは、俊一が一人でお弁当を広げている。視線はちらちらとツイナとくりぐるみに向けられていて、ちょっと怪しい幼馴染みのできあがりだ。

「今度からもっと調べて気をつけないと……」

「そんなことより、性的な弱点は?」

「答えるわけないでしょ」

「じゃあ真美でいいや」

「残念、私も答えません」

「ちぇ」

 少し残念だったけど、真美の反応はいつも通りだ。俊一はお弁当を食べ終わっても、まだ私たちをちらちらと見ている。ツイナへのちらちらは俊一に限ったことではなく、男子を中心に一部の女子も注目していたから、俊一が変な目で見られることはなかった。

 放課後。図書館へ向かおうとしていた私にツイナが声をかけてきた。

「菊花、あなたにいいお知らせがあるわ」

「お知らせ?」

「ええ。あなたを特別に、あたしたちの家に招待してあげる。もちろん、そこのうさぎさんも一緒にね。明日、迎えにいくから待っていなさい」

「私はいいけど……」

 くりぐるみの中のクーリは、尻尾を一回振っていた。私が何も言わなかったのを見て、ツイナは微笑みを返す。

「それ、俺も混ぜてもらってもいいか?」

 俊一が軽い調子でそう言った。表情も笑顔だけど、目は真剣だ。

「ふふん、予想通りね。あなたなら大歓迎よ」

「大歓迎、ね……」

 俊一は疑うような視線をツイナに向ける。対するツイナは笑顔を返すだけで、黙っていた。

「それって、私は誘ってくれないの? や、土日は部活があるんだけどさ」

「真美もいずれ招待してあげるわ。でも、明日はこの二人だけじゃないと困るの」

「ふーん。そっか、それじゃまたねー」

 真美は薙刀を片手に、手を振って教室から出ていった。今日一日で、ツイナと一番仲良くなったのは私と真美の二人。彼女が私に話しかけてきたのがきっかけで、一緒にいた真美も巻き込まれる形で一緒に話すようになっていた。

「ツイナ、菊花に変なことをする気なら……」

「安心して、俊一。あたしが興味あるのはそっちのうさぎさん。菊花には何もしないわ。もちろんあなたにも手は出さない」

 ツイナの発言で、一部男子から向けられていた俊一への嫉妬の視線が和らいだ。

 私は話が終わったのを確認して、軽く挨拶をして学園図書館へと向かう。中学校の校舎を出て図書館へと向かう途中、人気がなくなったところでクーリが言った。

「メス尻尾風情が、わらわたちを招待するとはな……菊花、一応気をつけるのだぞ」

「珍しいね、俊一みたいなこと言って」

「わらわに用があるなら、わらわだけを呼べばいい話だからな。まあ、危害を加えることはないにしても……時間はとられるかもしれんぞ」

「うん。お姉ちゃんに遅くなるかもしれないって伝えておくよ」

「うむ。そうするがいい」

 クーリと話している間に、学園図書館に到着。今日も楽しい図書委員の時間が始まる。

 帰宅後、お姉ちゃんにツイナの家に招待されたことを伝えると、お姉ちゃんからも新しい情報が返ってきた。なんでも、お姉ちゃんのクラスにツイナのお姉さんが転校してきたらしい。姉妹の転校生ということで、既に一部ではちょっとした話題になっているのだとか。

「お姉ちゃんは誘われた?」

「いいえ。話はしたけれど、それ以上のことは何もないよ。隊長さんとして、色々と忙しいのでしょう。明日は利音市の中心地を調査しにいくそうよ」

「そっか。会えるかなと思ったけど、ちょっとお預けだね」

 結局のところ、このお預けは意外と長く続いて、私がポーニャさんと話せる頃にはちょっとどころでない時間が経過していた。そしてその頃にはまた別の大きな事件もあったのだけど、ここでそれを記すのはまだ早い。第二の事件を記すのは、ツイナの家で起こる第一の事件を記してからだ。


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