部室内に机を叩く大きな音が響いた。
「彼女が欲しい」
その音に合わせて叫ぶ男の声。その彼の手は、机を叩いた形のまま制止している。
「突然ですね、先輩」
それを諫めるでもなく咎めるでもなく、彼の向かいで読書中の後輩は、一瞬だけ顔をあげて答えた。そして彼の返答を待たずに、読書を再開する。
再度響く轟音――というには少し小さめな、机を叩く音。
「彼女が欲しい!」
「はあ、そうですか」
呆れた声で答える後輩。そんな態度に気付いているのかいないのか、先輩は言葉を続ける。
「どうしたらいいと思う?」
「告白でもすればいいじゃないですか。夏のインターハイも終わった今、燃え尽きた少女たちの心の隙間を埋めるセメントにでもなってください」
頬をほんのりと赤らめて、再び机を叩く先輩。心なしか、今回は音が不安定な気がする。
「それは恥ずかしいだろうさすがに!」
「……いちいち叩かないでください」
相当意志が強くないと抗えないだろうと思えるほど、強く先輩を睨みつける後輩。それでも萎縮しないのは、先輩が鈍いからだろうという確信を持って、後輩は次の提案をする。
「なら、告白を待てばいいじゃないですか」
「ほう、では行こうか。ついてこい」
素早く後輩の腕を引っ張り、強制的に立ち上がらせる先輩。そして後輩の手を握ったかと思うと、ぐいぐいと引っ張って外へと連れ出す。
されるがままの後輩は、私がいたら告白されませんよとか、離してください誘拐ですとか、先輩には羞恥心というものはないのですかとか、色々言ったものの先輩には届かない。
校内にある小さな並木道。背後からの夕陽に照らされて、いつもより紅く染まった紅葉の中を、先輩と後輩は手を繋いだまま歩き続ける。
「先輩、そろそろ手を離してくれませんか」
「……告白されないな」
まともにやっても無駄だと判断した後輩は、他の方法で攻めることにした。
「告白されたいなら、まずは手を離してください」
「む。そうか」
勢いよく手を離す先輩。そんな風に離されるとは思わなかった後輩は、少しバランスを崩してよろめいた。
「それで、次は?」
そんな後輩の様子に気付いた先輩は、転びそうになる後輩の腕を掴みつつ聞く。
「そうですね……まずは目を瞑ってください」
「任せろ」
素直に目を瞑る先輩。後輩はゆっくりと彼の傍に歩み寄り、次の言葉を発する。
「私がいいというまでそのままで。でないと告白されませんよ」
「よし」
あまりにも素直すぎる態度に半ば呆れながらも、先輩の頭を軽く引き寄せる。
そして素早くキスをすますと、彼の胸を軽く突き飛ばして、静かに離れた。
「もういいですよ」
目を開けた先輩は、呆然とした表情のまま何かを言おうとする。しかし、それを遮って後輩は言葉を続けた。
「今キスされましたね? その人は先輩のことが好きですから、いつか告白されるでしょう」
「そうか。それで、その相手は誰なんだ?」
わかっていないというわけでもなく、確認するように尋ねる先輩。後輩は思案する様子もなく、即答する。
「少なくとも私ではないのは確かですね」
「……そうなのか?」
先輩に疑いの眼差しを向けられた後輩は、心底呆れたように大きくため息をついた。
「はい。何か勘違いしているようですが、おそらく間違いないでしょう」
「わかった。部室に戻ろう」
後輩の手を握り、また紅葉の中を歩き出す先輩。先程まで背後から二人を照らしていた夕陽は、正面から照らすものに変わった。
後輩の離してください恥ずかしいじゃないですかという声は、今度も届かない。
その途中、先輩はひとつだけ質問をした。後輩を見ないようにして、夕陽を眩しそうに眺めながら。
「さっきの話だが、俺からの告白じゃだめなのか?」
後輩はちらりと先輩を見ると、小さな笑みを浮かべつつ、明瞭な声で答えた。
「さあ、知りませんよそんなの」