すいすずユズリ

四話 いもうとひとり、かみひとり


校門に立つ

 放課後、妹たちと合流して私たちは四人で下校する。彼女の姿を見かけたのは、玄関を出てすぐだった。彼女を見たまもりは一瞬言葉を失ってから、大声で叫んだ。

「……な。何してるの、お姉ちゃん!」

 一人の女性が校門に立っていた。校門の前ではなく、校門の上に。ラフなスラックス姿なので男子からの多大な注目が集まるこはないが、いる場所が場所なので、男子と女子からバランスよく注目されてはいる。

「あ、やっほー! まりもー!」

「いや、まりもじゃなくてまもり……じゃなくて!」

 まもりが駆け出して校門に立つ彼女を見上げると、何事かを早口でまくし立てているようだった。私たちがゆっくり歩いて到着した頃には、まもりの説得や文句の効果か、彼女は校門の上から飛び降りていた。またその飛び降り方が派手な大ジャンプだったので、一瞬さらなる注目が集まったが、降りてからはすぐに落ち着いた。

 溌剌としたショートカットの、元気な女性。身長は私とほぼ同じで、まもりの隣に立つと少し高いので、見た目からはまさに姉と妹、といった印象だ。

「ヒサヤ、何しに来たの」

「散歩してて近くに寄ったから、可愛い妹の顔を見ておこうと」

「普通に待てなかったの?」

「あたしも最初はそうしてたよ。でも、遅かったから、つい」

 ヒサヤは悪びれる様子もなく、からからと笑っている。

「もういい。ほら、帰るよ」

 問答無用でヒサヤの腕を引っ張るまもり。相変わらずな様子に、私たちは苦笑する。思えば、出会った頃から彼女はあんな調子で、私たちはユズリとは違った意味で困惑したのだった。

回想・大雨前夜

 五年前、小学校を卒業した私とまもりは、来年中学校へ。鈴と翠は六年生へ。私と妹たちにとっては一年の別れだったが、まもりにとってはそうではなかった。

 帰り道に寄った火宮の家。私たちはまもりに誘われて、家に入って遊んでいた。ダンボールの積まれた部屋はとても広くて、通い慣れたはずの彼女の家が別の家のようにも感じられた。

「明日、だったか」

「うん。明日で、お別れ。だからさ、最後にいっぱい遊ぼう!」

「最後なんて言わないでください。きっと、また会えますよ」

 翠の言葉に、鈴も大きく頷いて同意を示す。

「うん。そうだね」

 まもりは笑ってそう答えたけれど、その声は弱々しかった。彼女が無理をしているのは誰の目にも明らかで、挨拶をした彼女の両親も元気がないように見えた。

 仕事の都合で別の町に行かなければならない、だから引っ越すのだと、まもりが聞いたのは二月ほど前だったらしい。それを私たちが知ったのは、それから一月後。色々考えていたという、和神町に残れる可能性が完全に消えた日だった。

「礼人のお母さんにも、よろしくね」

「……ああ。そう、だな」

 私は思わず口ごもってしまった。ユズリは、まもりの知っていた母ではない。けれど、彼女は違和感なくそれを受け入れている。冗談のつもりで伝えてみたこともあったが、本当に冗談としてしか受け取られなかった。

 引っ越しの話を聞いたとき、秘密はなくしておきたいと明かそうとした。が、私たちがどれだけ真面目に伝えてみても、まもりは一切信じようとしなかった。

「でも、これで本当にお別れかあ……寂しいな」

 本人にまで元気をなくされては、私たちも元気には振舞えなかった。それでも、すぐに空元気を取り戻したまもりと、私たちは日が暮れるまで遊び、夜は私たちの家にまもりを誘って一緒に夕食を食べて、夜遅く、ギリギリまで一緒の時間を過ごした。

 そしていよいよ、まもりが家に帰ろうという直前、急に大雨が降り出した。

「うわ。凄い雨!」

 玄関をちょっと開けただけで、大きな雨音が聞こえてくる。見送りに来たのは私だけで妹たちはいない。二人は遊び疲れて眠ってしまい、今はユズリが寝室に運んでいる。

「傘、貸すよ」

「ありがと」

 いつものように、気軽に傘を貸し出す。湖守の家と火宮の家は近いから、こういうことは昔からしょっちゅうだった。

「……ねえ、この傘、貰ってもいいかな?」

「安い傘だけど、いいのか?」

 さすがにコンビニで買えるようなビニール傘よりは上等なものだけど、特別高価な傘でもない。何か別の贈り物でも送った方が、思い出になるんじゃないだろうか。もっとも、それは準備をしているところをまもりに見つかって、そういうのはいらないからと言われてしまったから渡せないのだけれど。

「でも、いつもと同じでしょ? だから、ね?」

「わかった。でも、返したくなったら返してもいいからな」

「大人になれば、返せるかな」

 まもりは苦笑いを浮かべる。今にして思えば、そこまで遠い町への引っ越しではないのだし、高校生くらいになれば機会は作れただろう。だけど、まだ小学生だった私たちには、そんなことまでは想像できなかった。

 大人になれば。その約束は、当時の私たちにとってとても遠い先の約束だった。今でもそんなに近い約束ではないとはいえ、当時に比べれば遥かにましだろう。

「それじゃ、さようなら」

「ああ、さようなら」

 いつものように。何気ない日常と同じように、私たちは挨拶を交わして別れた。心なしか、雨の音はさっきよりも強くなっているように感じた。

導き手、あるいは語り部

 さて、ここからの出来事は湖守礼人が直接経験したものではない。このあと、彼が経験した出来事はこれだけだ。

 数十分後、礼人たちの家にまもりがまだ帰っていないという連絡が、火宮の家から伝えられた。礼人はユズリに手伝いを頼み、二手に別れて、大事な親友にして幼馴染みであるまもりを探しに行こうとする。

 そうして色々準備を整えたところで、湖守家に鳴り響くチャイム! 大雨の中、突如現れた殺人鬼か、はたまた死者の使いか。……と、思ったかどうかは定かではないが、彼らは出迎えた。

 すると現れたのは、女神のような美しい美少女な若き水の神。彼女に連れられて、まもりが傘を返しに来たのである。傘がなくても水の神の力があれば、雨など怖くはない。

 そしてその美少女は、火宮まもりの姉、火宮ヒサヤとして家を預かり、引っ越しでまりもが礼人たちと別れることはなくなった、というわけだ。

「ヒサヤ、まりもではないですよ」

 不思議な幻聴が聞こえた気がするが、気のせいだ。ともかく、そういう事情があるがゆえに、ここからの話はまもりの視点でお届けするのが、覗き見する君たちにとって最良なのではないかと、あたしは判断したわけだ。

 なに、神の力を持ってすれば、回想に浸っている誰かさんに介入するのも容易。

「そこそこ大きな力を使うので、他の神にくだらないことに力を使うな、といつも怒られているのがヒサヤという神です」

 と、怒られてしまったので、脚色はせずにありのままを伝えよう。後に出てくることだが、あたしはまりもから当時の心境をじっくり吐露されている。そして今のまりものこともよく知っているから、自然に回想を続けられると思う。ユズリにまりもに伝えられたらまた怒られるので、あたしもたまには真面目にやるよ。

回想・若き水の神、ヒサヤ

 その日は、一日中晴れのはずだった。降水確率はゼロパーセント。降ったとしても、こんな大雨になるはずなんてなかった。

 でも当時の私は、そんなことなんて忘れていて、礼人たちと別れたくない気持ちでいっぱいだった。大雨の中、傘を差して、真っ直ぐ帰らなかったのも、ほんの少しでも時間を稼ぎたかったから。でも、さすがに家の方に戻るわけにはいかない。そこで私は、和神神社の奥にある湖、和神湖に向かうことにした。

 晴れていれば煌めいて、綺麗な湖。何度か、礼人たちと一緒に浅瀬で水浴びをしたこともある、思い出の場所。でも今は、大雨の雫に叩かれて、湖面は激しく音を立てていた。小さな波紋がいくつもできては消え、またできては消えの繰り返し。

 その湖の上に、女の人の姿が見えた気がした。最初は、引越ししたくない気持ちが生んだ幻なのかと思っていたけど、その幻はじっと見つめても消えないどころか、私に気付いて水面を滑るようにこちらにやってきた。

「……神、様?」

 直感で、何となくそう思った。溌剌したショートカットは、大雨に濡れているはずなのにぴんぴんしたままで、濡れてもいない。きっと、それは神だから。大きな証拠だ。

 綺麗な大人の女性、とはちょっと違くて、雨の中を元気に駆け回るお姉さん、といった印象だった。よもや、中身があんな性格だなんて、そのときはこれっぽっちも思っていなくて、私は彼女に縋ることしか考えていなかった。

「あ、あの!」

 降臨した若き神は、出会った人の願いをかなえる。和神町に住んでいる人なら、誰でも知ってる言い伝え。だったら、彼女はきっと私を助けてくれる。そう思った。

「や、あなたが初めての……って、なんで泣いてるの?」

「え? 私、泣いて……?」

 気付かなかった。雨だから、でも、傘があるから顔は濡れてない。じゃあ、多分、本当に泣いてたんだと思う。

「えーと、あなたの願いだけど、私を泣かせた悪い男に天罰を、でおっけー?」

「……ごめんなさい、何か幻聴が聞こえる」

「幻聴じゃないよ!」

 なんだかずいぶん気さくな、というか、気さくすぎる神様だと思った。

「と、あたしはヒサヤ。若き水の神。願い、あるんでしょ?」

「私、礼人たちと一緒にいたい……別れたくない。引っ越しなんて、いや……」

「そう。じゃあ、今日からあたしはあなたのお姉ちゃんだ! あなた、名前は?」

「え? え、えっと……ま、まり……まもり」

 わけのわからないことを言われて、私は少し動揺してしまった。

「まりもだね!」

「まもり」

「緑の!」

「違う」

「よし。じゃあまもり、そういうことだから、大丈夫だよ」

 そう言うと、ヒサヤは私を抱きしめてくれた。お姉ちゃんがいたら、こんな感じなのかなと思うような、優しい感覚。なんだか変な神様だけど、信じられる。このときに、私は初めてそう思った。

 それから、礼人に傘を返して、ヒサヤを連れて家に戻ると、最初からお姉ちゃんがいたみたいに両親は彼女に接して、ヒサヤが「私がまりもを預かるね!」と言ったら、両親はすぐに納得してくれた。また名前を間違えられたことが気になったけど、そのときは嬉しかったから笑顔を見せるだけで、文句は言わなかった。

 最初はちょっと変な感じがしたけれど、お父さんとお母さんとは今でもよく電話で会話をして、ヒサヤとも仲良しだから、いつの間にか気にならなくなっていた。本当に、彼女が姉のように思えてきたのもあるのかもしれない。

 そのあと、ユズリが火の神だって知ったときは驚いた。礼人の両親が死んでいて、お父さんが消えたことにも、火事で消えた前の家のことも、ヒサヤに出会うまでは全く不思議に思わなかったのだから。神と出会った人しか神を認識できないことは知っていたけど、まさかここまでのことができるとは、驚くのも仕方ないと思う。

火宮まもりと火宮ヒサヤ

 なんだか変な気分だった。ぼんやり回想に浸っていたら、誰かに頭の中を荒らされたような感覚。それが気のせいではないのは、そういうことができそうな誰かさんを見て、露骨に目を逸らされたことですぐに理解した。

 まあ、いつものことではないが、ヒサヤはたまに神にしかできいないようなことをするので、迷惑をかけられない限りは私から怒ることでもない。

「ヒサヤ、また何かやった?」

「まもりには何もしてないよ」

「私には、ね」

 そのあたりの役目は、私ではなくまもりのものだから。神と人、願いをした者と、それを叶える者の関係。けれど、まもりとヒサヤは最初から、ただの役としてではなく、本当の姉妹のように仲が良かった。出会ったときの話も聞いて不思議ではなくなったけれど、落ち着いたユズリとの違いには少し驚いたものだ。

 ヒサヤはまもりの追求を楽しそうに受けている。まもりも本気で怒っているわけではないのは、顔を見ればすぐにわかる。ちょっとした注意といった感覚なのだろう。

 仲良しの姉妹の姿を見て、私はふと隣を歩く妹たちのことを考えていた。私と手を繋いで、仲良く歩く鈴と翠。二人にも彼女たちのようにとまではいかずとも、もう少し仲良くしてもらいたいと。


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