すいすずユズリ

一話 いもうとふたり、あにひとり


湖守の家の三人兄妹

 私には妹が二人いる。さて、ここで気まぐれな風の神を介してか、はたまた別の神を介してか、私たちの刻む歴史を見ようとする君たちに問題をひとつ。私は和神私立高等学校の二年生で、私の妹は二人とも一年生で同じクラスに通っている。しかし、二人は双子ではない。つまりどういうことか、じっくり考えてもらいたいところだが、時間がないのですぐに答え合わせをしよう。

 妹たちとは五月の連休も終わった現在、歳の差は一つと二つ。四月三日と二月二十七日に生を受けた、いわゆる年子というやつである。ちなみに私も前年の四月二十一日生まれなので、同じく年子である。

 それが何を意味するのか、これは極めて重大な問題であるともいえるが、たった一言で済む問題でもある。私と妹の学年の差は常にひとつ。小学校では五年間、中学校では二年間、そして高校でも二年間、ともに同じ校舎で学ぶことになるだろう。そして私たちはそのことを嫌うことなく、好意的に受けとめている。

 つまり、だ。私たち兄妹はとても仲が良いのである。

湖守家の朝

「……ふむ」

 私はカーテンの隙間から差し込む光を眩しく思いながら、その眩しさを全身に受け止めようとカーテンを開く。時刻は午前六時。神社の朝は早い、のではあるが今日は少々寝坊をしてしまったようだ。就寝時間はいつもと変わらない。となると、やはり先ほどの不思議な夢が原因かもしれない。

 朝日を軽く浴びながら、髪をゆるやかに整えて家を出る。短い髪は整えるのに数分とかからない。妹たちは外の掃除でもしているのか家から出ていて、もう一人の家族の姿も見当たらないが、少なくともこの和神神社の敷地内にはいるだろう。

 小さな神社の境内、掃除をするのにそれほど多くの人手は必要ない。この時間であれば既に掃除はほとんど終わっているだろう。妹たちへの感謝と埋め合わせはあとにして、私は神社の北にある湖、和神湖へと歩いていく。

 家を出て、正面の手水舎と神木を右に。神木の裏には広い参道。そして拝殿と社務所があり、おそらく妹たちはそのあたりにいるはずだ。そのまま木々の間を抜けて、真っ直ぐ北へ向かうと、陽光に照らされて輝く湖面が私を出迎えてくれた。左手、少し離れた所には湖上に浮かぶ神殿が見える。拝殿の裏から伸びた橋の先にある神殿。煌めく湖面とあいまって神々しさを醸し出すそれを見られるのは、ここに暮らす者の特権だ。

 若き神の生まれる町、和神町。北海道の西にある、山と湖に囲まれた小さな町だが、その伝承ゆえに、その手のごく僅かな人には少しは知られているとかいないとか。

 その若き神の生まれる力の源、と言われているのがこの和神湖である。確かに、澄んだ湖を見ているとその言葉も嘘ではないと思えるが、私が伝承を信じるのはそれとはまた別の、それでいてもっと確実な理由によるものである。

 神は確かにここにいる。若き神は数年に一度、この町のどこかに降臨する。

 神の姿は誰の目にも映る。しかし、それを神と認識できるのは、神と出会ったことのある者だけ。そしてそれは、数万人の暮らすこの町でも多くはないのである。

鳴らない鈴の音、湖守鈴

 ぼんやりと湖を眺めていると、ふと背後に気配を感じた。といえば格好がつくが、少し前から足音が聞こえていただけである。

 振り向くとそこにはほうきを持ったパジャマ姿の妹が一人。制服には着替えていないものの、髪の毛はしっかり結んであって、いつものショートツインテールに赤いりぼんが目立っている。

 妹の一人、湖守鈴はほうきを近くの木に立てかけると、私の元へと駆け出して、そのままの勢いで抱きついてきた。優しく抱きとめると、鈴は私の胸に顔を埋める。

「鈴、寝坊してすまなかった」

 顔を埋めたまま、鈴は首を横に振って返事をする。私は妹の頭を撫でてやり、二人で掃除をしていたことを褒める。私が寝坊をしたら、好きなだけ甘えてもいい、というのが私と妹たちとの約束だ。

「……お兄ちゃん、独り占め」

 鈴が呟く。口数の少ない鈴が言うほどだから、よほど嬉しいのだろう。もう一人の妹への牽制もいくらか入っているのだろうが、今は鈴だけを見る時間だ。我が妹たちの独占に対するセンサーは優秀であり、この状況なら、何もしなくてもあちらからやってくるのは確実だ。

 そしてその予想が当たったのは、鈴が埋めていた顔を上げ、私にとびきりの笑顔を見せてから、一転して悲しそうな顔をしたことですぐに判明した。

 可愛い鈴のことをこのまま抱きしめてあげられないのは残念だが、私の妹は一人ではない。愛情を一人だけに注げないのはもどかしいが、仕方のないことである。木々の中を駆けてくる足音を聞きながら、ほんの数秒後には顔が見えるであろう、もう一人の妹の到着を私は待つことにした。

新緑の輝き、湖守翠

「お姉様! お兄様の独占はそこまでです!」

 パジャマ姿でほうきを突き出し、声を張り上げたのは私のもう一人の妹、翠だった。ほうきを持たない左手は腰に当て、どっしりと、そして優雅に構えるは翠の象徴。そよ風に揺れる、お姫様のようなウェーブを描く髪はセミロング。

「次はわたくしの番です。お兄様、時間は?」

「二分十六秒。コンマ以下は不明だ」

 鈴は渋々といった面持ちで、私の体から離れる。他のときならこうすんなりとは進まないが、今回は事前に決められた約束がある。私が寝坊してしまった以上、鈴が甘えた時間と同じだけ、翠にも甘える権利がある。

「二分、越え……わたくしとしたことが、そんなにも気付かないなんて」

「翠、落ち込むのはあとにした方がいい。分割することになる」

 いつでも妹を甘えさせる準備はできている。とはいえ、もうそろそろ朝食ができる時間だ。私がそう言うと、翠は素早く私の懐に潜りこんで、抱きついてきた。

 鈴はというと、翠が投げ捨てたほうきと自分のほうきを拾って、さっさと片付けに戻ってしまった。私に抱きつく翠はじっと動かずに、何も言わない。頭を撫でてみると、びくんと大きく体を震わせて、小さな声で言った。

「お、お兄様。わたくしは、そこまでしていただかなくても……」

「なら、そうしよう」

 平等にしてあげたいところだが、本人が嫌だというのなら無理にはやらない。翠は近づくまでは積極的だが、いざ近づいたらいつもこうなってしまう。知っていて意地悪をするのは、このままだと暴走してしまいそうなときに限る。

 そうしているうちに、時間の二分十六秒が過ぎた。翠が離れるのと同時に、ほうきを片付け終わった鈴も戻ってきた。

 三人揃ったところで、私たちは家に戻ることにする。三人ともまだパジャマ姿のまま。着替えに朝食、登校前にやることはまだたくさんある。

湖守家の若き神

「ただいま」

「おかえりなさい」

 家に戻ると、もう一人の家族がエプロン姿で出迎えてくれた。

「礼人、鈴と翠が好きなのはわかりますが、次はもう少し早くお願いします」

 私の名を呼び、彼女は時計を指差す。寝坊したのもあってか、想定していた時間より十分ほど遅れている。遅刻の心配はないが、朝食が冷めた事に文句を言っているのだろう。

「わかった、気をつける」

 テーブルの上には味噌汁と焼き魚が並べられていた。冷めているといっても、程よくぬるくなったくらいで留まっているのは、彼女だからこそと言えよう。

 長い髪を白いりぼんでまとめてポニーテールにした、外見的には二十代前半くらいの彼女は、私たちの母であって、母ではない。対外的には母、湖守ユズリとして通じている彼女だが、彼女が私たちの生みの親でないことはよく知っている。

 焼き魚は和神湖で採れた魚だ。本来、神聖なる和神湖の魚を採ることはできない。水浴びであれば社務所、私たちの許可さえあれば可能だが、そこに住む生物を採る許可を与える権利は私たちにはない。和神湖に住む生物は、神のもの。よって、その魚が採れるということは、ユズリが神であるということだ。

 時間の割に冷めない料理も、彼女が若き火の神であることを考えると別に不思議でもなんでもない。調理にもガスを使わないので節約にもなっているが、そもそもお金の心配はないので恩恵はごく僅かである。

「いただきます」

 四人揃って、挨拶をして食事を始める。本来であれば、三人と一柱と数えるべきなのだろうけど、親代わりのユズリと一緒に暮らし始めてからもう十年になる。その間に、四人という表現にすっかり慣れてしまった。

 十年前。それはユズリが若き神として生まれた頃。そして同時に、私たちの両親が死んだ頃でもある。


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