しましまくだものしろふりる

第一章 大陸北部精霊記


 静かな風が吹いていた。海は穏やかで波も弱い。日差しも程よく、漁村に住む者たちにとっては絶好の漁日和であった。漁村の名はフィーレット村。大陸北部の西の果てにある小さな漁村だ。

 ほとんど旅人の寄りつかない村ではあるが、そんな村にも宿屋は存在する。宿屋を営む夫婦の名をそのまま宿した、レーファの宿。木で造られた宿の一階には、貯蔵庫や食堂、夫妻家族の部屋があり、二階には一人用の客室が二つ、二人用の客室が一つあるだけ。宿にしては小規模だが、それでも村においては一、二を争うほどの大きな建物である。

 それでもやっていけるのは、こんな辺境の地まで旅する人はそれなりの目的を持っていることが多く、長期滞在することが多いからに他ならない。そんな旅人は一人旅が多く、二人部屋が埋まることは数年に一度あるかないか。しかし、今はその二人部屋が埋まっていた。

 そんな状況に宿屋の娘、レーファ・スィーハは嬉しく思いながらも、やや困惑していた。両親は遠くの街へ出ていて、いま宿を営むのは彼女一人。仕事内容は心得ているどころか、彼女が一番上手にこなせるくらいなので、困惑の理由は別にあった。

 その理由は当然、二人部屋に泊まっている客に関してである。

「記憶喪失?」

 開け放たれた窓から風が流れ込み、スィーハの薄い緑色の髪を揺らす。潮風により髪が痛みやすい漁村でありながら、その短い髪は綺麗に手入れされていた。綺麗なのは髪だけではなく、薄くやや青みがかった緑の瞳に、幼さを残した小さな唇など、容姿全体に当てはまり、彼女目当てに宿屋を訪れる村人もいるくらいだ。

「うん、そうみたい」

 その少女とスィーハは、ベッドに隣合わせて座り話をしていた。再び吹いた風は先程よりもやや強く、今度は奥に座っていた少女の淡い青色の髪も揺らす。長さはスィーハよりも少し長い。瞳は髪よりもやや濃いが、まだ淡いといえる青色。背はスィーハより高く、座っていてもそれは変わらない。

 風が止み、その少女は笑顔を見せる。服装は質素よりはやや豪華な程度のものだが、少女自身の美しさがそれさえも魅力的に見せていた。美少女、という単語でまとめるならスィーハと同じ。しかし、彼女の場合は気品が漂っていて、どこかのお嬢様やお姫様、といっても差し支えないだろう。それでいて、年齢からかまだ幼さも残っていて、美しさだけでなく可愛さも兼ね揃えている。

「だから、何か知らないかなって」

 その言葉をスィーハが聞いたのは二度目である。記憶喪失だと少女が明かす前に口にした言葉であり、スィーハが困惑した言葉がそれだった。

「ボクにわかるかどうかはともかく、その前に覚えていることは?」

「知識だけなら結構あるみたい。他は何も覚えてないや」

「それじゃあ、さっきの名前は偽名?」

「だね。ルーフェがそう呼ぶからそうなのかな、って」

 ルーフェ、というのは先ほど、少女と共に宿を訪れた旅人の名前である。機能的で行動しやすい騎士装束を纏った長身の彼女は、宿に泊まる際、「宿を頼む。私はエラントル・ルーフェ。彼女はリシャ。私は少し外を見てくるから、リシャを部屋に案内しておいてくれないか?」と言って、すぐに宿を出ていってしまった。

「彼女は何か知らないの?」

 ルーフェとリシャは同じ舟に乗って、どこかから海を越えてやってきた。そうなると、彼女がリシャのことを知っている、とスィーハが考えるのはもっともなことだ。

 どこかというのは、漁村の北や西、海を越えてやってきた者は今まで誰もいなかったからである。北の海を越えた先には人の暮らす島があるらしいから、そこから来たのかなとスィーハは思っていた。

「知ってると思う。でも、知らない、って言ってる」

 その疑問にリシャは即答する。わかりにくい受け答えだが、それはつまり知っているけれど隠している、ということに他ならない。それでも、そうはっきりとリシャが答えないのは、ほんの少しの会話の中で、ルーフェがリシャを信頼していること、そして、リシャ自身もルーフェが悪意を持っているわけではない、と直感的に感じたからである。

 身体が覚えている、というよりは、思い出せない記憶が覚えている、というものだろう。それがわからないリシャにとっては不思議でたまらないが、答えられないのには深い理由があるのだろうと、詮索するのは早々に諦めることにした。

「あ、そうだ。もうひとつわかることがあるよ」

 そう言ってリシャは靴を脱ぎ、両足をベッドに投げ出してスィーハに向け、スカートをめくってみせる。その中には武器や道具が忍ばせてあるわけでもなく、綺麗な白い肌の太ももと、水色と白の横じま模様のしましまぱんつがあるだけである。

「それって、もしかして……」

 スィーハはしまぱんをじっと見つめながら、驚きの表情をみせる。しまぱん自体は特別なものではなく、はいている女の子はたくさんいるだろう。しかし、わざわざそれを見せるということから、あるひとつの結論が推測できる。

 そう。しまぱんの力を完全に引き出せる者――伝説の勇者の証であるということだ。

 この世界において、ぱんつの力を引き出す、ということは女の子なら誰でもできることだ。実際、その力を活かして戦う騎士や傭兵、旅人となる女の子はたくさんいる。もっとも、女の子だけではなく、大人の女性にも力を引き出せる者はいるが、その力は弱い。ぱんつの力を引き出せない男たちよりやや強い程度で、弱い魔物相手にさえも苦戦するほどだ。

 しかし、それがしまぱんとなると話は別である。しまぱんは最強にして万能のぱんつ。その力を引き出せる者は、力を完全に引き出せる者だけで、他のぱんつのように、相性次第である程度までなら引き出せる、ということはないのである。

「それでね、ルーフェはくだもの」

「彼女も、完全に?」

「うん。ちなみに、今は真ん中に一個、れもんが描かれたれもんぱんつだよ」

 力を引き出せるぱんつは四種類ある。しまぱんことしましまぱんつ、果物の描かれたくだものぱんつ、真っ白なしろぱんつ、ふりるのついたふりるぱんつ、の四つだ。先ほども書いたように、しまぱん以外のぱんつはある程度なら引き出せる者はたくさんいる。

 しかし、どのぱんつにしても、その力を完全に引き出せるのは同じ時代に一人ずつ。しまぱんが伝説の勇者なら、くだものぱんつ、しろぱんつ、ふりるぱんつは伝説の勇者の仲間、といったところだろう。

「伝説の勇者に、その仲間かあ……」

 スィーハはしまぱんを見つめたまま、ぼんやりと言葉を口にする。リシャは頷きながらも、もじもじと膝を擦りあわせて頬を赤らめていた。

「ねえ、そんなにじっと見つめられるとさすがに恥ずかしいんだけど……」

「あ、ごめんね。しまぱんなんて珍しいものだから、つい」

 ぱんつが力の源、というだけあってこの世界に生きる女の子の大半はぱんつを見せることを恥ずかしがることはない。それに、力を少しでも引き出せるなら、男の意識を一瞬見せただけで奪うくらいは簡単なので、異性にそういう目で見られることもない。

 ただ、そうはいっても、ちょっと見せるのと、じっくり見られるのは話が別である。例えそれが同性であっても恥ずかしがるのが普通だ。

「それでね、私たちは他の仲間を探しにきたんだって。でも私、自分のこともわからないくらいだし、どうしたらいいかわからなくて。ルーフェは、私に全てお任せください、って言ってくれるけど、じっとしているのもどうかと思ったんだ」

 スカートを下ろし、ぱんつを見えなくしてからリシャは話し始めた。話しながらふと、スカートをさっさと下ろせば良かったんじゃという考えが頭をよぎったが、ひとまず置いておくことにして話を続ける。

「だから、何か知らないかってのは、私のこともあるけど、残りのしろぱんつやふりるぱんつの力を完全に引き出せる人を知らないかな、って」

 リシャはスカートを下ろしたものの、靴を再び履くことはせず、じっとスィーハを見つめていた。スィーハはそれを不思議に思いながら、本能的にやや身体をリシャから離した。

「というわけで、やっぱり見るのが一番だと思うから、スィーハのも見せて!」

「え、いや、ボクはいいよ! というか、見るのが一番って何さ!」

「……えー、でも、見て触っていじるのが一番だと思うんだけど」

「なんで増えてるのさ!」

「え、あー、それは……そう! 私、実は女の子が好きだから?」

 しどろもどろになりながらも、もっともらしい理由をつけてみるリシャ。本音は言うまでもなく、先ほどじっと見られたことへのお返し、というだけであり、当然スィーハも何となくそうだろうなとは思っていた。だから次に指摘しようと思っていたのだが、言い訳としての理由が想像を遥かに超えるものだったため、一瞬言葉を失う。

 そしてその隙をリシャが見逃すはずもなく、その手は素早くスィーハのスカートの裾を掴んでいた。スィーハのフリルスカートはやや長いため、いきなりめくることはできないが掴んでしまえば関係ない。ゆっくりとめくるなり、勢いよく引き下ろすなり、ぱんつまで辿り着くのは容易である。

「つーかまーえた。……なんかこうしてると、本当にそういうのも悪くないかなって思えてくるよね?」

「はなせー! ボクはそういうのに興味がない……わけじゃないけど、ボクには大事な人がいるんだから、だめなんだよ!」

 そこまで言い切ってから失言に気付くスィーハだったが、ここまで言ってはどう取り繕っても否定することはできないのも同時に気付いたため、無言でただスカートを脱がそうとするリシャの手を離そうと抵抗する。

「そっか、じゃあ見るだけならいいよね。ところで、それって女の子?」

「う、うん……でも、ボクが一方的に想ってるだけで……って、見るだけでもだめだよ!」

 尚も抵抗を続けるスィーハだったが、次第にリシャの力の前に押されていく。先に掴まれてしまったというのもあるが、抵抗できない理由は別にあった。

「スィーハ、無駄だよ。しまぱんの力を甘く見ないで!」

「こんなところで力を使うなー!」

 一応、ぱんつの力は無限ではなく有限である。とはいえ、少し休んだら回復するので枯渇の心配はなく、そもそもこの程度の状況であるなら、三日三晩ぱんつの力を使い続けたとしても問題はないのである。

 リシャはしまぱんの力を使えばすぐに脱がせられる、と思っていたが、スィーハの抵抗は彼女の予想以上だった。引き出す力を抑えているのでどれほどまでかはわからないが、そこそこ強くぱんつの力を引き出しているのは間違いない。

 力を完全に引き出せばわかるかなと考えるが、知識としての記憶を辿ると、残りのしろぱんつとふりるぱんつは防御的なぱんつであり、いくら最強で万能のしまぱんの力だとしても、相手の力を完全に引き出させるのは難しいことに気付く。

 工夫すればできるのかもしれない。けれど、今の目的はそれよりもさっきのお返しがメインである。リシャは深く考えることをやめ、ただ脱がしたりめくったりすることに専念することにした。

 そして、長い攻防の中、一瞬の隙を見つけたリシャがスィーハのスカートをめくり上げようとしたその瞬間、部屋の扉が開いた。

「何をしているのですか?」

 扉を開けたルーフェの目に映ったのは、色々な攻防の末に、死守したフリルスカート以外の服がはだけて、肌が露出しているスィーハと、それに重なるようにしてスカートを掴みつつ、スィーハの小さな胸に顔を埋めているリシャの姿だった。

 硬直する二人の間を風が吹き抜け、ルーフェの長い黒髪を揺らす。普段の凛々しくも美しい表情はそのままだが、目の前の状況を理解するのに時間がかかっているのか、体は扉を開けたままの姿で微動だにしない。彼女の黒い瞳に映る光景にも変化はなかった。

「……私は姫を護る騎士。姫の命に従い、リシャの身を護るのも私の役目。ただ、この状況はむしろリシャがスィーハを襲っているのかもしれない。しかし、世の中には誘い受けという言葉もありますし、スィーハが誘惑した可能性も……」

 ぶつぶつと思考をそのまま口にするルーフェ。普段の彼女なら思考を垂れ流すことはないため、今の彼女はそれだけ動揺しているのだということが見てとれる。そんな声を聞きながら、硬直が解けたリシャはこっそり動きを再開するが、スィーハも硬直が解けていたためしっかり防衛されてしまう。

「……とりあえず、離れさせます」

 そして、その間に思考がまとまったルーフェが行動を開始し、優しくリシャの身体を抱えてスィーハから引き剥がした。スィーハは安堵の表情を見せていたが、リシャの残念そうな表情を見てルーフェの心に微かな罪悪感が芽生える。

 まずは状況を理解するのが先決ではあるが、ルーフェにとって大事なリシャを悲しませる姿を見るのは辛い。とりあえず、その前にやれることはないかと考えた彼女が辿り着いた結論はこれだった。

「リシャ。スィーハを裸にするのは私にお任せください」

「なんでそうなるのさ!」

 静かに行動するルーフェ。攻撃に長けたくだものぱんつの力もあってか、スィーハも抵抗しきれなかった。結局、スィーハが解放されたのは数十秒後。上半身の服と下着が脱がされ、リシャが嬉しそうな顔をするまでかかるのであった。

「なるほど。でしたら、私にも責任がありますね」

 状況を理解したルーフェが最初に口にした言葉はそれだった。あれだけ暴走した原因には当然関係ないが、そのきっかけとなったのは彼女がリシャに最低限のことしか伝えず、やるべきこともすべて自分でやろうとしたことである。

 ルーフェとしては、船旅で疲れたリシャには休んでいてほしい、というだけだったのだが、記憶喪失であるリシャに対して、普段のように行動だけで示そうとしたのは失敗だった。

 ルーフェはその意図をリシャに伝える。もちろん、普段通り、という過去に繋がる部分は伝えず、意図だけを抜き出して。聞いたリシャはやや考えた末、こう言った。

「そっか。じゃあ、次からは私も一緒でいいんだよね。記憶喪失だから役に立たないって思われてるんじゃなかったんだ」

 破顔するリシャ。ルーフェはそう思わせていた自分の不甲斐なさを悔やんだが、悔やんだところで過去は変わらないことはよくわかっていたので、態度や表情には見せない。しかし、本人も気付かないほどの一瞬、表情が陰ったのをスィーハは見逃さなかった。

 こうして、宿屋の一室でのちょっとした騒動は幕を閉じたのである。

 翌日の早朝。リシャとルーフェは宿屋を出発する準備を整えていた。昨日、ルーフェが村を調べたが、手がかりさえも見つからなかったためである。それに合わせて、スィーハはいつもより早起きして朝食を作っていた。

 朝食を食べ終え、少ししたら出発するというリシャたちに、スィーハは別れを惜しんで話しかける。

「もう行っちゃうんだね、二人とも」

「ええ、来るべき日のために急がなくてはなりませんから」

「来るべき日、か……」

 そんな日は来なければいいのに、とスィーハは思う。この世界に住む者なら誰もが知っているひとつの言い伝え。しまぱんの勇者が現れるのは、世界が滅びかねない大きな危機が訪れるとき。そして、その危機を救うには四人のぱんつの力を完全に引き出せる者が必要である。

 少し前までは、そんなのは単なる伝説、作り話だと思うものが殆どだった。しかし、普段は滅多に人を襲うことのない魔物たちの行動が、近年になって活発化している事実は、世界に何らかの異変が起きていると考えるには充分すぎるものだった。

 もっとも、それでもまだ信じていないものは多い。理由は簡単だ。異変が起きているとしても、世界の危機になるほどならしまぱんの勇者が現れるはず。しかし、しまぱんの勇者を見たことがあるという目撃例は広まっていない。だから、多くの人はまだ大丈夫だと判断しているのである。

「それで、行き先はやっぱりラーグリア?」

 ルーフェが頷く。リシャはまだ聞かされていなかったのか、頷きはしなかったがその名前は知っていて、彼女自身もおそらく次はそこだろうと思っていたため驚きはしなかった。

 ラーグリアはフィーレット村から東に歩いて半日、馬車で数時間ほどの所にある貿易街だ。大陸北部の西側に位置する村々と、東の大国パロニス王国との中間点にあり、西部ではもっとも人や物の集まる場所だ。

 スィーハの両親を含めた村人の数人は、現在その貿易街へ村で必要な物資や、宿を営むのに必要な物の買い出しに赴いている。リシャが名前を知っているのは、それを泊まるときにスィーハから聞いていたからである。

 彼らを乗せた馬車が帰ってくるのは翌日。急ぎの旅でないのならそれを待つのもいいが、目的が目的なだけにそういうわけにもいかない。リシャたちの旅の目的は、ぱんつの力を完全に引き出せる者を探すことではなく、世界の危機の原因を突きとめてそれを解決することにあるのだから、悠長にしている時間はなかった。

「それじゃ、またね。スィーハ!」

「うん。また!」

 旅立つ前のお別れの台詞は、さようならではない。また会えたら、という気持ちがないわけではないが、理由はもっと単純だ。リシャたちがこの村へ来たのは舟だから、旅が終われば必ずここへ戻ってくることになるのである。

 宿を出る直前、手を振って別れの挨拶をするリシャに促され、ルーフェも恥ずかしがりながら小さく手を振る。それを見たスィーハは笑顔を見せ、リシャたちも笑顔を返す。

 背を向けて歩き始めた二人の姿を、スィーハは宿屋の二階、一人部屋の一室から姿が見えなくなるまで眺めていた。それからふと、部屋のベッドを見て目を閉じる。

「記憶喪失、か……」

 その小さな呟きは誰の耳にも届かず、窓から流れる風ですぐに掻き消された。

 フィーレット村を出たリシャとルーフェは、ラーグリアへ向けて歩き始める。半日かかる距離といっても、これだけ早い時間に出れば、やや速めに歩けば昼頃には辿りつけるだろう。とはいえ、着いてからも街を歩き回ることを考えると、ここで体力を消耗するのは得策ではない。

 なので、急ぎの旅ではあっても、歩く速度は普通のままだった。それでも、昼過ぎには間に合うから、その日のうちに聞き込みをする時間は充分にある。仮に手がかりが何も見つからなかったとしても、それから宿で休み、翌日にまた他の街や村へ出ることも可能だろう。

 しかし、歩き始めて一刻ほど。その予定を大きく狂わす事態にリシャたちは遭遇することになる。その事態に最初に気付いたのはルーフェだった。

「止まってください。それと、戦闘準備を」

 言われてリシャも気付く。遠く右後方に魔物の群れが見え、それらは二人のいるところへ向かってきていた。二人を狙ってというわけではなく、移動の最中なのだろうが、近年の魔物は人を襲うことが多いため、遭遇すれば戦闘になる可能性が高い。

 リシャは腰に携えたソードレイピアを抜き、ルーフェは槍を立てて構える。すぐに攻撃できる体勢に構えないのは、低いが戦闘にならない可能性を考慮してのことだ。仮に、魔物に戦う意思がなかったとしても、臨戦体勢を整え敵意を見せる者が目の前にいれば、戦いになるのは避けられない。

 警戒を強める二人に近づく魔物は二種類。陸上を駆けるのは、細長い身体に漆黒の体毛を生やした四足歩行の獣型魔物。空には茜色のやや大きな翼に、短く硬いくちばしを持つ鳥型の魔物。どちらも魔物としてはかなり弱い部類で、数体なら戦闘経験がなくとも、ある程度ぱんつの力を引き出せる女の子であれば簡単に勝てる。

 しかし、合わせて三十程の群れで、陸上型と飛行型の二種類が揃っているとなれば、話は別だ。戦闘になれば、普通の旅人なら苦戦するのは間違いない。よほどの無茶をしない限り死ぬことはないだろうが、怪我をする可能性はあるだろう。

 とはいえ、それはあくまでも普通の旅人の場合だ。ぱんつの力を引き出せる者が二人もいれば、上手く誘導すれば一薙ぎで殲滅することも難しくはない。

 ふと、今まで迷うことなく二人に向かっていた魔物の動きに変化があった。獣型の魔物は今まで通り直進を続けているが、鳥型の魔物の動きはやや鈍っていた。鳥型の魔物は視力が高いため、リシャとルーフェの姿を捉えたのがそのきっかけである。

 そして、鈍くなった動きは再び加速する。進行する方向を変えて。その動きに合わせるように、獣型の魔物は咆哮をあげる。彼らの視界にも二人の姿が写り、臨戦体勢を整える合図だった。

 獣型の魔物はバラバラの集まりから、左右に大きく広がった包囲陣形をとる。どんな陣形だろうとあまりにも力の差が大きいため、リシャとルーフェの勝ちは揺るがないが、一薙ぎで全滅することはできなくなった。

「……やるしかありませんね。リシャ、あなたは左側を」

 頷きかけたリシャだったが、方向を変えた鳥型魔物の行き先に気付いて首を横に振る。

「私の方が速いよね?」

「はい。私が道を作ります」

 鳥型魔物が向かった先は二人が今まで歩いてきた方向。フィーレット村の方向だった。弱い魔物とはいえ、戦える女の子の少ないフィーレット村にとっては脅威となる。距離を考えると偶然そうなっただけだろうが、今はそんなことはどうでもよかった。

「どきなさい」

 駆け出すリシャの前に立ちふさがる魔物を、ルーフェの槍が貫く。包囲を突破され陣形が崩れた魔物の群れは、リシャを追う者とルーフェを狙う者に分かれた。数は前者が三体。しかし、戦っていては速度の速い鳥型魔物に追いつくのが難しくなる。

 駆け出すリシャを追う魔物に、ルーフェは持っていた槍を投げる。遠くまで飛んだ槍は魔物の一体を貫き、残りの魔物は怒りによってルーフェを優先攻撃対象とみなす。

 ルーフェの槍は投げ槍ではないが、それを遠くまで投げられたのは攻撃に特化したくだものぱんつの力を引き出せるからに他ならない。その分他の能力はやや劣るが、この程度の魔物が相手なら問題にはならないだろう。

 獣型魔物と戦うルーフェを振り返らず、リシャは鳥形魔物を追いかける。数は十体。戦闘になれば一気に倒せるが、逃げられた場合はリーチの短いソードレイピアでは、空を飛ぶ相手には少々手間取るだろう。身体能力も強化されるため、跳んで攻撃することも可能だが、飛べはしないのでやはり時間がかかってしまう。

 そのため、リシャは攻撃できる距離まで近づいても、魔物に攻撃をすることはできなかった。近づけばこちらに襲ってくることを期待したが、それは叶わない。攻撃して注意を引こうにも、全てがこちらを狙ってくるとは限らない。

 そうなると、手はひとつだ。彼らを追い抜いてフィーレット村に魔物が迫っていることを伝え、防衛する。しかし、鳥型魔物の飛行速度は思ったよりも速く、追い抜いても伝える時間はない。

 もう少し速度があれば……と、そこでリシャは思い出す。自分のことはわからないが、知識ならある。その知識の中に打開策があった。問題は、そのための道具があるかどうかだ。

 リシャは走りながら荷物を確かめる。そして、程なくしてそれは見つかった。

 ――黄色と青の横じま模様のしましまぱんつ。

 走りながらというのは難しいので、リシャは一旦立ち止まり、靴を脱ぎつつスカートをまくり上げる。そして素早くはいていた水色と白の横じま模様しましまぱんつを脱ぐと、見つけた黄色と青の横じましまぱんを脚に通した。

 しかし、慌てていたため水色と白の横じましまぱんが片脚に引っかかっており、二枚のぱんつが少しからまってしまう。リシャは軽く息を吐いて心を沈め、からまったぱんつを手早く外して、水色白横じましまぱんは荷物入れに、黄色青横じましまぱんを下半身に装着する。

 鳥型魔物は遥か遠くに見えるほど離れてしまったが、問題はなかった。スカートを下ろし、靴を履いたリシャが駆け出すと、鳥型魔物との距離は一気に縮まっていく。その速度は今までより速く、追いつくどころか追い抜くことも容易に可能だ。

 リシャが思い出した記憶――いや、知識は単純なものだ。ぱんつの力は万能のしましまぱんつ、攻撃に特化したくだものぱんつと大きく分かれているが、全てのぱんつで同じ力が引き出せるわけではない。

 しまぱんの場合は、しましまの色の組み合わせなどによって引き出せる力が変化するのだ。特に、しまぱんは万能で最強のぱんつ。その組み合わせも多彩で、引き出せる力も多い。他のぱんつでは、偶然使いやすいぱんつが見つかることはまずない。探して準備しておく必要があるだろう。

 なお、水色白横じましまぱんは全体的に万能な組み合わせ、黄色青横じましまぱんは速度が高まる組み合わせである。その代償として攻撃力は劣るが、フィーレット村に伝える、という目的には不要だからさほど問題にはならないだろう。

 そして、十数分後。リシャはフィーレット村に到達していた。後ろに魔物の姿は見えなくなったが、あの飛行速度を考えると猶予は十分といったところだろう。小さな村とはいえ、全ての人に伝えるには短い時間だ。大声で叫ぶことも考えたが、風が強いため村全体に聞こえるような場所を探すには時間がかかるかもしれない。村を駆け回るにしても、村に詳しくないリシャでは効率が悪い。

 少し考えて、リシャは目的地を定めた。どのような方法で伝えるにしても、一人では限界がある。ならば、村に詳しい知り合いに協力を頼むのが得策だろう。

「スィーハ!」

 レーファの宿の前、リシャは大声でその知り合いの名を呼ぶ。いなかったらどうしよう、という考えも一瞬浮かんだが、今宿にいるのはスィーハだけ。宿を放っておいてどこかへ出かけている可能性は低い。

 その予想通り、程なくしてスィーハがのんびりと宿から出てきた。他に客がいないから暇なのか、やや眠たげな表情をしている。

「リシャ? どうしたの? 忘れ物かな?」

「ううん、別の用事。この村に魔物が近づいてる。だから、それを村の人に伝えたいんだ」

「魔物?」

 ぼんやりと答えるスィーハ。リシャの様子を見て真剣な表情になる。しまぱんの力のため、息も切らさず汗もかいていないものの、衣服の乱れから急いで戻ってきたことははっきりと見てとれた。

「うん、わかった」

 リシャは魔物の数や種類、到着するまでの予想時間をスィーハに伝える。聞いたスィーハは少し考えてから、こう言った。

「じゃあ、伝えるのはボクに任せて。走るのは得意なんだ。リシャは戦いに集中して」

「お願い。あと、戦いの間なんだけど……」

 倒すことは問題なくできる。けれど、魔物が分散してしまったら、全てを対処しきれない可能性も考えなくてはならない。

「この村に戦える人はどれくらい?」

「今戦えるのは、ボク一人だね。他にも女の子はいるけど、それなりに戦える人はラーグリアに向かう村人たちの護衛に付いていってる」

「スィーハ、だけ?」

 複数の魔物を逃してしまったら、一人ではやや不安がある。その不安を声や表情から読み取ったスィーハは、安心させるためにリシャの手を握って言葉を口にする。

「うん。でも、安心して。一応、この村で一番強いのはボクだから。スカートを脱がそうとしたリシャならわかるよね?」

 言われてリシャは昨日の出来事を思い出す。スィーハは本気を出していないとはいえ、ぱんつの力を完全に引き出せるリシャとルーフェの攻撃から、ぱんつを見られるのを最後まで死守していた。もっとも、それ以外は死守しきれてはいなかったが、一定以上の力を持っていることを示す証拠としては充分だ。

「わかった。なるべく逃がさないようにするけど、もしものときはお願い」

「うん。じゃ、伝えて来るね」

 軽く手を振ってスィーハは駆け出した。速度はリシャよりも遅いが、村人全員に伝える場合何よりも重要なのはルートだ。村に詳しくないリシャには見ていてもよくわからないが、おそらく最短ルートを走っているのだろう。

「さて、と」

 リシャはスィーハの姿が見えなくなったのを確認して、魔物が向かってくるであろう方向を見る。まだ魔物の姿は見えないが、確実に近づいてはきているだろう。なるべく魔物を逃がさないためには、早めに捕捉するのが重要だ。リシャは戦闘準備を整えつつ、村の出口へと歩みを進めていった。

 フィーレット村や周辺の村、ラーグリアに接する大きな平原に、魔物の姿はまだ見えない。馬車道として申し訳程度に整備されている街道にもその姿はない。馬車や旅人の姿も見えないのは幸いといえるだろう。

 リシャは注意深く魔物の姿を探す。スィーハと話していた時間、村を歩いた時間を考えると、もうそろそろ見える距離に入るはずだ。しかし、東を眺めていてもその姿はまだ見えない。速度を落としたのか、それとも迂回してここへ向かっているのか――念のため、リシャは北に広がる海にも視線を向ける。魔物の姿もなければ、舟の姿も見えない。

 今度は南に広がる平原を見渡す。平原の先には大陸北部とそれ以南を隔てるピスシィア山脈が広がっている。どんなところかリシャはわからないが、ルーフェやスィーハの話によると、とても険しい山岳で越えた者は殆どいないらしい。そのため、距離的にはラーグリアよりやや近いものの、そちらへ行くのは後回しにすることになった。

 平原からも見えていたものの、改めて眺めるととても長い山脈にリシャはやや見とれてしまう。一瞬魔物を探すという目的を忘れかけたが、山脈側の平原に鳥型の魔物の姿を見つけて思い出す。

 東から来ないと思ったら、やはり迂回していたのか――と、リシャは考えるが、その考えが違ったことに気付くまで時間はかからなかった。こちらへ近づく魔物。翼の色は、赤。似て入るが、茜色ではない。くちばしもやや長いようだ。

 変化が少ない事から同型の亜種と見られるが、問題はその数だ。ざっと見ただけで二十体はいる。強さはやや強い程度だとしても、数が倍ならそれだけ倒すのに時間はかかる。ふと東に目をやると、遠くに先程の魔物の姿が見えた。数は十体。分散せず密集している。あれだけなら簡単に殲滅できるだろう。

「……スィーハ」

 呟く。彼女がそれなりに強いことはわかっているが、密集しているとはいえ、十体相手に戦うのは危険かもしれない。だけど、二十体以上の相手をするよりはましなはずだ。

 ならば答えはひとつしかない。南から来る魔物を一体たりとも村に入れずに撃破する。不確定要素はあるけれど、迷っていても状況はよくならない。リシャはもう一度、心の中でスィーハの名を呟くと、ソードレイピアを構えて平原へ駆け出していった。

 魔物はリシャの姿を捉えると、動きを止めて臨戦体勢を整えた。逃げる気はないようだ。状況によっては避けられた戦いかもしれないが、おそらくそれは無理だろう。彼らに直接武器を向けなくとも、仲間が倒される姿を見れば彼らも戦いに参加するはずだ。別種の魔物ならともかく、同型、それも亜種となれば仲間意識が強い可能性は非常に高い。

 先手を打ったのはリシャだった。

「かかってきなさい!」

 声を張り上げ注意を引く。低空にいた魔物の一体を横薙ぎに斬り、そのまま高く跳び、上空の魔物にソードレイピアを突き刺す。

 空中で突き刺せば一瞬身動きがとれなくなる。それ以前に、空を飛べる鳥型魔物の方が、空中戦は有利だ。それをわかっているのか、魔物は空中のリシャへ向かって集団で飛びかかる。その数は十。残りの魔物の半数だ。

「……待ってました」

 しかし、それはリシャの狙い通りだった。リシャは口許を僅かに動かしてそう言うと、ソードレイピアを静かに構えた。力の差はあっても、危険な戦法をとったのは多くの敵を素早く倒すため。とはいえ、普段の水色白横じましまぱんではできない芸道だっただろう。しかし、今リシャがはいているのは、速度重視の黄色青横じましまぱん。

 攻撃力は劣るため、軽く薙いだだけでは一撃では倒せない。しかし、相手が勢いよく向かってきているなら、その力を利用できる。

 とはいえ、当然空中で勢いよく一回転して、などという芸当はさすがにできない。だが、半回転程度なら腕だけでもやれる。

 リシャは空中で近づくのを待つ。相手が勢いよく向かってきているとはいえ、こちらが静止しているのでは威力がやや足りない。だが、その威力は相手が持ってきてくれる。

 後ろから迫る鳥型魔物が勢いよく、リシャに体当たりを食らわせる。それも複数。リシャは前方に吹き飛ばされ、それを待っていた別の魔物がリシャに追撃を食らわせようとして――一閃。

 勢いをなくしたリシャは落下していく。同時に、衝突の勢いで加速したリシャのソードレイピアに斬られた数体の魔物も、命を失い消滅していく。死体の残らない魔物は、倒されればただ消えるのみだ。

 着地したリシャに残りの魔物が襲いかかる。しかし、その動きに先ほどまでの統一性も戦略性もない。大した反撃はないと思っていた空中で、手痛い反撃を受けて動揺しているのだ。

 そうなれば、魔物にもう勝ち目はない。魔者たちは唯一の勝機を逃してしまった。

 伝説の勇者であるしまぱんの力を持ってしても、空中でじわじわと少しずつ削られていけばさすがにどうしようもない。無論、防御力の高いしまぱんであれば話は別だが、今はいているのは別のしまぱんだ。

 魔者たちにあった唯一の勝機、それは空中にいるリシャに、二十体全員でばらばらに襲いかかり、リシャが力を失うまで、何十時間とお手玉状態にする、というものだけだ。それだけやっても、この程度の魔物が与えられるダメージは微々たるもの。だが、リシャも人間である。万能のしまぱんといえど、空腹を防ぐことはできない。

 勝機を逃した魔物たちは、リシャに斬られ、貫かれ、ときには蹴り飛ばされ、得意の剣術だけでなく、不慣れな体術でさえもあっさりと倒されていく。

 最後に残った二体の魔物は、勝負を諦めて逃げようとしたが、その方向は彼らが来た方向ではなく、フィーレット村の方向であった。偶然にせよ、意図してにせよ、そちらへ向かったのは彼らにとって失敗だった。

 リシャは素早く駆け出し、ざっと方向を計算して跳躍。一体の魔物を薙ぎ、もう一体の魔物を突き刺し、着地した頃にはソードレイピアは鞘に収められていた。

「これでよし、と」

 全滅させても安堵はしない。真剣な表情のまま、リシャはフィーレット村を目指して駆け出す。なるべく急いで倒したとはいえど、二十二体もいれば時間もかかる。既に、フィーレット村の東にいた魔物の姿は見えなくなっていた。

 フィーレット村を見ても、建物の陰に隠れているのか姿は見えない。状況はどうなっているのだろう、という不安を抱きながら、リシャは速度を限界まで速めて駆けていった。

「リシャー!」

 フィーレット村に戻ったリシャを迎えたのは、笑顔で手を振るスィーハだった。リシャ同様、傷一つなく元気な姿で立っている。

「大丈夫だった? こっちよりたくさんいたみたいだけど」

 駆け寄るリシャの身体に傷がないか確かめながら、スィーハは言葉を続ける。

「大丈夫みたいだね。良かった」

 安堵して笑顔を見せるスィーハ。リシャはその様子で聞くまでもないかなと安心するが、はっきり聞かないとやや不安も残るので念のため確認する。

「私のことより、スィーハこそ大丈夫だった?」

「ボク? うん、あの程度なら余裕だよ! なんたってボクは――あ、えっと、とにかく無事ってことで!」

「そ、そう? それならいいけど……」

 妙にテンションが高いスィーハに驚きながらも、リシャは無事だということを知って安心する。何か言い淀んだのは気になったが、昨日必死で防衛したように、あまり人に知られたくないようなことがあるのだろうと置いておくことにする。仲良くなればいずれ話してもらえるかもしれない。

「……どうやら無事に終わったようですね」

 少しの間、談笑をしつつ休んでいた二人に、ルーフェが声をかける。二人に混じってルーフェもしばし休憩してから、不意にすっと立ち上がる。気付いたリシャもそれに続く。立ち上がった理由は説明するまでもなく、スィーハは口を開くが引き止める気はない。

「もう行くの?」

「はい。少々予定は狂いましたが、今からならまだ今日中に間に合うはずです」

「私は明日でもいいかなと思うんだけど……」

 ちらとルーフェを見るリシャ。ルーフェは強い意志を込めた真剣なまなざしでリシャを見つめていた。

「だめ……みたいだね」

「はい。リシャの頼みでも、目的に支障が出ることは承諾できません。ただ、今日中にラーグリアまでいければ、明日の午後、聞き込みが終わる頃には休めますから、それで妥協してください」

「あれ? 急いで出なくていいの?」

 この周辺の地理しか知らないリシャは当然の疑問を口にする。その疑問に答えたのはスィーハだった。

「ラーグリアの東にはパロニス王国があるんだけど、そこまでにはピスリカル森林を抜けないと行けないからね。ボクなら半日もあれば抜けれるけど、夜の森は暗いから、慣れてないと時間がかかると思う。森の北のカルネ橋を渡っていく手もあるけど、そっちは遠回りで、普通に行っても一日かかるんだ」

「とはいえ、馬車を使えばすぐですけどね。ただ、ラーグリアは商人の町。午後からだと馬車はほとんど出ていないと聞きます」

「そうなんだ。でも良かった、ちょっと疲れたし、明日は休めるんだよね」

「聞き込みを終えてから、ですけどね」

 やや厳しい口調で注意するルーフェに、わかってるよ、とリシャは笑顔を返す。

「では、行きましょうか」

 歩き出したルーフェを追いかけようとするリシャを、スィーハが肩を叩いて呼びとめる。そして、ルーフェに聞こえないように耳打ちする。

「ルーフェはああ言ってるけど、フィーレット村へならともかく、パロニス向けは午後でもあるんだよね、馬車」

「そうなの? ……そうなんだ」

 なんで言わなかったのか、は聞くまでもなくわかることだ。おそらく、あちらで知ったとしても、予定は予定ですから、などと言って休ませてくれるのだろう。

「じゃ、またね」

「うん、また」

 今度は小声で、今日の朝したのと同じような挨拶を交わす二人。少し離れてしまったので、リシャは早歩きでルーフェを追いかける。そして、そのままルーフェを追い抜き、ちょっとだけ前に出たところで、振り返って口を開く。

「ありがとね、ルーフェ」

「……何の話ですか?」

 言葉とは裏腹に、ルーフェはリシャから顔を背けていた。リシャが表情を見ようとすると、ルーフェは別の方向に顔を向ける。なかなか表情が見れないので、リシャは諦めて一言だけ口にすることで諦めることにした。

「照れてるルーフェって、かわいいよね」

「て、照れてなど……いません」

 今度は表情を見ることはせず、リシャは前を向いて歩き出す。やや遅れてルーフェも歩き出した。リシャにもう見る気がないとわかっていても、何となく直視するのは恥ずかしくて、視線を北の海に向ける。

「……リシャ」

 海の先、どこか遠くを眺めながら。先ほどまでの顔を真っ赤にした表情から一転、物憂げな表情でルーフェは守るべき者の名を呟く。

「姫様、私は……」

 その言葉は誰にも届くことはなく、口の中からさえも漏れない小さな声で発せられた。表情には悲しみや不安といった暗い色が見てとれる。しかし、それも言葉を発した一瞬だけのことで、振り返ったリシャには見られずに済んだようだ。

「ルーフェ? どうしたの?」

「何でもありません。すぐに参ります」

 立ち止まりはしなかったものの、だいぶ速度が落ちていたらしい。ルーフェはもう一度だけ海の先を見つめると、駆け足でリシャを追いかけていった。追い抜くことはせず、隣を歩きながらリシャの顔を見る。

 記憶喪失――そんな大きな不安があるにも拘らず、屈託のない笑顔を見せるリシャ。そして、何かを、いや、ほぼ全てを知っているルーフェに対して、詮索することなく、信頼を向けてくれるリシャ。

「見つかるといいですね」

「うん、そうだね」

 そう、必ず見つけなくてはならない。ルーフェは笑顔で答えるリシャを見て、残りの仲間――しろぱんつとふりるぱんつの力を完全に引き出せる者を見つける、という成し遂げるべき役目を再確認する。もちろん、それだけではなく、世界の危機を救うのが最終目的である、ということも忘れない。

 そんな決意を固めるルーフェの隣で、リシャはまだ見ぬ世界にはどんなものがあるのだろうと、期待に胸を膨らませていた。


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