桜の花に集まって

第一話 恋の悩みは喫茶店


 重い。腹部にかかる重さで俺は目を覚ました。

「葉一、おはよう」

 目の前には幼馴染みの顔があった。だんだん意識がはっきりしてくる。

「なあ、もう少し優しく起こしてくれないか」

 毎朝のようにこの重さで起こされては寝覚めが悪い。寝ぼけてうっかり顔をあげようものなら、おでこをぶつけて痛い。最近は滅多にないけれど、慣れないうちは週に一度はぶつけてしまっていた。

「約十分」

「今日も起こしてくれてありがとう」

 乗ってから起きるまでの時間を告げられて、俺は笑顔で前言を撤回する。すすきがベッドから降りると、俺も体を起こす。

 そして辺りを確認。窓の鍵が開いているのに気付く。どうやら今日はここから侵入してきたらしい。家が隣同士で、俺の部屋とすすきの部屋はベランダが近いから、飛び越えるのは難しいことではない。

 クローゼットを開けている幼馴染みの後ろ姿を見る。ショートポニーテールの髪がぴょこぴょこと揺れていて可愛らしい。振り返った彼女の手には衣服が乗っていた。

「はい、着替え」

「ありがとう」

 俺たちの通う高校は面倒なことに制服ではなく私服。中学までと違って面倒だと言ったら、すすきが私が選んであげようか、と言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。

 パジャマを脱いで渡された衣服に袖を通す。すすきは背を向けているので、恥ずかしさはない。そう思ってゆっくり着替えていると、突然部屋の扉が開いた。

「すすきさん。兄さんは……ああ、起きてますね」

 ノックもせずに妹が入ってきた。油断した、と思った時にはもう遅く、妹の視線はやや下に向けられていた。背の低い妹と背の高い俺との身長差から、その視線の先にあるのは言うまでもない。

「今日も元気ですね」

 辛うじてぱんつを身につけてはいるが、布一枚で隠せるほど男の朝は甘くない。

「布団の上からだと見た目は変わらなかったけどね」

 いつの間にか確かめられていた。多分、十分もの間密着していたときだろう。

 布団越しにすすきの胸の感触も微かに感じられたのだから、逆もまた然りだ。我が妹のように小さなAカップサイズなら布団を越えることはできないが、そこそこ大きめなすすきのCカップなら春夏の薄い布団は越えられる。

 当然ながら反論はせずに手早く着替えを済ませる。その間も妹はじっと着替えを見つめていた。長めの前髪が特徴的だけど、目は隠れないので輝いているのがはっきりわかった。後ろ髪はセミロングで、自然のままストレートに下ろしている。

「朝ご飯、できましたよ」

 妹が言った。親が仕事で忙しい時期に、朝の家事を担当するのは妹の三葉だ。料理はすすきの分も用意してある。幼馴染みの親は今はさほど忙しくはないが、毎朝こちらに来ることが日常になっているので自然とそうするようになっていた。

 ダイニングのある一階へ下りる前に、幼馴染みの入ってきた窓の鍵を閉めておく。靴はないけど、玄関に運んでおいたのだろう。昨日の夜はしっかり鍵を閉めたけれど、幼馴染みには関係ない。

 最初にそうして入ってきたときに不思議で尋ねたのだけど、彼女曰く「愛の前に障害はないんだよ!」ということで、幼馴染みへの愛の力で障害――窓の鍵を開けて入ってきたらしい。最初は信じられなくて、親や妹が手引きしたか、何らかの仕掛けがあるのではと疑ったけど、じゃあ見せてあげると、実際に開ける様子を見せられては信じざるを得ない。

 すすきが窓の外に出て、俺は鍵を閉めて中で待つ。すすきがおもむろに窓に手をかけ引こうとすると、鍵がひとりでに開いて窓も開いたのだ。とても自然な動きだった。

 朝のこれは何度も経験しているのでもう驚くことはないけれど、完全に慣れたというわけでもない。でも恐れを抱くようなことはなく受け入れている。知らなかった彼女の体質を知っただけだ。

 ショートポニーの快活で元気な幼馴染み。その認識はずっと昔から変わらない。

 朝食はトーストに厚焼きの甘い玉子焼き。シンプルだけど、美味しく作るのは難しい。

 食事を終えて食器を洗うのも三葉の役目だ。小さな体で動き回る姿を見ると手伝いたくもなるが、手際のよい妹を手伝っても邪魔になるだけだ。

 私服姿の俺たちと違い、三葉は制服を着ている。妹は俺たちと同じ高校を受験する予定なので、来年の今頃には制服ではなく私服を着ていることだろう。近いから選んだ俺やすすきと違い、私服であることを重視して選んだ妹は、私服登校をとても楽しみにしている。

 食後の休みを挟み、俺たちは学校へ向かう。俺とすすきの通う町立香久藻高等学校と、三葉の通う町立香久藻中学校は正反対とまではいかずとも、離れているので途中で道が分かれる。

「兄さん、すすきさん。また放課後に」

「ああ、気をつけてな」

「またね、三葉」

 初めて交わす挨拶だが、これから一年はこれがいつもの挨拶になるだろう。小学校と中学校は近くにあったから、通学途中、学校から遠く離れた場所で、妹と別れるのは今日が初めてだった。

「寂しい?」

「変な感じはする」

 途中からとはいえ、二人で登校するのが毎日続くかと思うと、やはり違和感がある。そのうち慣れるのだろうけど、それまではしばらくこの感覚が続くのだろう。

「行こっか」

「ああ」

 答えて歩き出す。三葉に何かあった日に二人で登校することは何度かあったけれど、何もない日にこうして歩くのは初めてで新鮮だ。ただ、そのときと同じく会話はあまり弾まない。

 俺、すすき、三葉は、幼馴染みとしていつも三人一緒にいることが多かったから、一人いなくなるとどうしてもそんな空気になってしまう。気まずさはなく、会話がなくても通じ合っているような落ち着く感覚。

 ゆっくりと時間が過ぎていくように感じられる。でもその時間はすぐに終わり、俺たちは学校に到着した。校門、玄関を抜けて、貼られた紙にすすきが駆け寄る。

「今年も同じクラスだよ!」

 指差す先には一年一組と太字で書かれた紙が貼ってあった。その下には、氷川葉一、双葉すすきと俺たちの名前が書いてある。

 これで小学生のときからずっと同じクラスという記録が更新された。

 教室に入ってしばらくして、担任の教師が入ってくる。楕円形のハーフフレーム眼鏡をかけて、スーツをしっかりと着た姿は真面目で硬そうな印象を与える。見た目は二十代前半くらいの若い先生だ。

「担任の七星一成だ。これから一年――場合によってはそれ以上になる生徒もいるだろうが、よろしく頼む。早速だが、ガイダンスを――」

 第一印象通りの七星先生が、学校について色々と説明をする。それから主要教科の説明に入り、彼の担当教科が数学であることが判明した。他には特筆すべきようなことはなく、学級委員長もすんなりと決まってその日の授業はスムーズに進んだ。

 放課後、俺とすすきはすぐには家に帰らず、ある場所へ向かう。行き先は中学時代からよく訪れていた喫茶店で、三葉と待ち合わせをしている場所でもある。

 木造を模した落ち着いた雰囲気の外観に、店内はやや洒落てはいるものの、昔ながらの雰囲気を醸し出す喫茶店。木製の看板には『cherry blossom』と書かれている。チェリーブロッサム――桜の花を意味するそれがこの喫茶店の名前だ。

 自家焙煎の珈琲と,同じく自家製の美味しいケーキが人気の喫茶店。店の雰囲気の良さもあって、どこぞの有名なチェーン店にも負けることはない。それらを追い抜くほどの大繁盛というわけでもないが、押されて潰れる心配はないと言っていいだろう。

「いらっしゃいませ。あ、君たちか。三葉ちゃんが待ってるよ」

 店に入ると顔馴染みの店員さんが迎えてくれた。長身でストレートの髪を長く伸ばした、アルバイトのお姉さんだ。

「こっちです、兄さん」

 三葉は手を振って自分の居場所を示す。カウンターや窓から離れた奥の四人席。店内を見渡しやすく、俺たちがここに来るときはいつもそこに座っている、指定席のようなものだ。

 座る場所は特に決めていないけれど、俺の向かいにすすき、隣に三葉となることが多い。

「ブレンド珈琲三つ」

「かしこまりました」

 いつものようにチェリーブロッサム特製のブレンド珈琲――味はそこそこだけど懐に優しい――を注文する。

 今日はどうだったとか、先生はどんな人だったとか、互いに話しながら待っていると、珈琲が届く。受け取った珈琲を飲みながら、俺たちは話を続ける。

 三葉は三年一組で、担任は星野フランツィスカ先生。二十代後半の保健体育の先生だ。金髪で体格の良い女性で、とても強く頼りになる人だから安心だ。

 それからはたまに一言二言の会話をしながら、珈琲をゆっくりと味わう。普段ならもう少し会話も弾むものだが、初日では大した出来事もなく、春休みの間も一緒にいることが多かったので話すことはあまりない。

「ところで兄さん、クラスに気になる女子はいましたか?」

 その話題を振られたのはちょうど珈琲を飲み終わって、お姉さんが食器を片付けに来たときだった。

「可愛いのは何人かいたけど、性格まではわからないしな。三葉はどうなんだ?」

 外見だけで好きになる、一目惚れというのもあるようだけど、一度も経験したことのない俺にはよくわからない感覚だ。

「どうと言われても、大体見知った顔ですし……そもそも、兄さんより素敵な人がいるわけありません」

 妹は俺の顔をじっと見つめて断言した。今日も三葉は変わらない。

「可愛い妹に愛されて幸せだね。やっぱり愛は素晴らしいんだよ!」

 拳を握って声を張り上げる幼馴染み。すすきも変わらない。

「兄さん、幼馴染みにも愛されて幸せですね」

「私の愛は平等だけどね。幼馴染みとして三葉も愛してるよ」

「ありがとうございます」

 いつもながら俺の入り込む余地がない会話だ。もっとも、入り込めたところでややこしくなるだけなのは明らかなので、どっちにしろ変わらない。

「葉一くん、今日もハーレムしてるねー。羨ましい」

 食器を片付けて戻ってきたお姉さんが参加してきた。これもいつもの光景。特に混雑していないときは、彼女もたまに会話に入ってくることがある。

「私は兄として好きなだけです。その他の感情はありません」

「私も幼馴染みとして愛してるだけで、恋とは違いますよ」

 三葉はやや困ったような顔で、すすきは笑顔でお姉さんに返す。俺も二人に続く。

「恋がないのにハーレムなんて言わないでください」

「えー。でも二人とも、葉一くんに『えっちしよ?』と言われたら断らないでしょ?」

 色んな過程を飛ばしてきた。それに俺はそんな口調では頼まない。

「兄さんのためなら今すぐにでも。どうせ他の相手とすることはないでしょうし、私も処女のまま一生を終えたくはありません」

 妹は平然と答えた。最後の一言とともに、懇願するような視線を向けられても困る。

「私は三葉みたいにはできないけど、葉一が本気で私のことを好きになって、付き合うことになって、『二人でめくるめく愛の世界を堪能しよう!』なんて言われたらそりゃ、断る理由はないよ」

 幼馴染みは過程を重視してくれた。でも俺は絶対にそんな頼み方はしない。

「ハーレム?」

「聞かないでください」

 お姉さんは首を傾げてそう言った。ここで断言しないあたり、お姉さんの感覚は信頼できると思いかけたけど、最初に話題を振ったのもお姉さんであることを考えると、やっぱり信頼するのはやめておこうと思う。

「それじゃ、お姉さんは仕事に戻るね」

 逃げた。でも俺は特に何も言わない。二人もお姉さんの質問に答えただけなので、彼女がいなくなれば誰もこの話題を広げるようなことはない。

 珈琲も飲み終わったことだし、幼馴染みと妹の二人を喫茶店に残し、俺は一人で帰宅する。夕ご飯の買い出しをして、料理をする時間を考えるとそろそろ帰らないと間に合わない。夜の家事は俺の担当だ。

 喫茶店を出て近所のスーパーへ向かいながら、今日の夕ご飯を何にするか考える。集中しすぎて注意力が散漫になったせいか、何かに躓いて転びそうになる。

 幸い、気付くのが早かったので転ぶことは免れた。一体何に躓いたのかと地面を見回してみたが、何も見当たらない。おそらく躓いたときに蹴飛ばしてしまったのだろう。

「帰りは気をつけないとな」

 スーパーで買った食材を持っているときに転んでは大変だ。俺はこの事を心に留めて、買い物の帰りは一層気をつけて歩くことにした。

 その甲斐あってか、無事に家に到着した俺は夕ご飯の準備をする。用意するのは二人分。すすきが来るのは普段なら朝だけだ。彼女の親が忙しいときは、一人で食べるのは寂しいからと一緒に食べることもあるけど、そういうのはたまにしかない。

「ただいま帰りました、兄さん」

 丁寧に挨拶をして妹が帰ってきた。今日の夕ご飯はペペロンチーノ。妹のように上手に作れるわけではないが、ペペロンチーノは一応俺の得意料理である。

 明日に週末を控えた放課後、俺は一人で喫茶店にいた。今日はすすきと三葉が二人で下着を買いに行っている。二人は一緒に来てもいいと言っていたが、恥ずかしいので断った。

 一人といっても、喫茶店にいるのは俺だけではない。今日は週末なので他にも一人、常連客が来ている。カウンター席が定位置の木場ゆりか先輩だ。二年生で女子バスケ部所属、金曜は部活が休みなのでこの時間に来ている。

 いつもは部活が終わってから来ているそうなので、俺たちと出会うのは金曜の放課後か、休日くらいしかない。常連客同士たまに会話をすることがある程度で、特に親しいわけではないいけれど、いないと何か物足りないように感じる。

「あれ、今日は一人?」

 もちろん木場先輩にとってもそれは同じ。誰かが足りないときはいつも、驚いたように声をかけてくる。でもそれだけで、理由を聞いて来ることは滅多にない。

 先輩に返事をしてから、奥の席に座っていつものブレンド珈琲を頼む。しばらくしてお姉さんが珈琲を持ってきて、そのまま俺の向かいの席に腰掛けた。

「何してるんですか」

「葉一くんが暇そうだし、お姉さんも暇だから」

 木場先輩はカウンターでマスターと楽しそうに話をしている。チェリーブロッサムのマスターは髭が特徴的なおじさんで、昔はスポーツをやっていたらしい。昔のスポーツ少年と、今のスポーツ少女は、世代は違えど話が合うというわけだ。

 だからといって、お姉さんがここにいていい理由にはならない。そう思って口を開こうとしたら、お姉さんが先手を打ってきた。

「それに私、今日はバイトじゃないから」

 簡素ながらもここの雰囲気によくマッチしている、喫茶店の制服を着たお姉さんがそんなことを言う。

「ですよね、マスター!」

 お姉さんの呼びかけに、マスターは頷いてみせた。説得力のない格好だけど、からかっているわけではないと証明されては信じるしかない。

 だったらなんで制服を着ているのか、などと問うことはない。去年ここでお姉さんに受験勉強を教えてもらっていたとき、客が少ないとはいえ、仕事中にも関わらずほぼ付きっきりで教えることを許したマスターだ。

 以降もお姉さんが俺たちの所に長くいても、咎めたことは一度もない。そんな彼なら、休みの日に制服を着て店内にいることを許しても不思議ではない。

「お姉さんとマスターって、どういう関係なんですか?」

 不思議ではないけれど、気にはなる。普通の喫茶店のマスターと店員の関係としては、あまりにもフランクというか、ゆるいというか、とにかく普通じゃない。

「仲良しだよ。一緒にお風呂に入ったことも、同じベッドで寝たこともある仲良しさんです」

「それって……」

 マスターはどう若く見ても三十代後半から四十代。お姉さんは大学二年生の二十歳だから歳の差は倍近くある。だからといって恋愛が成立しないわけではないけれど、俺は驚いて声が出せなくなる。

「うん。お父さんだよ」

 親子だった。お姉さんはにやにやと俺の顔をじっと見つめている。

「変な想像してたでしょ?」

「させたのはお姉さんでしょう」

 天然なんかではない、わざと紛らわしい言い方をしたのはこの人だ。

「怒った?」

「はい。だから責任取ってください」

 俺は声を押し殺して言った。俺が一人で喫茶店に来るのは、お姉さんに相談したいことがあるときだ。互いのことを詳しくは知らなくて、歳の近いお姉さんは相談しやすい相手で、中学生の頃からよく相談に乗ってもらっていた。

 今日はなんだか変な頼み方になってしまったが、この流れではこれが自然だと思う。

「ここで?」

「静かにやれば大丈夫です」

 ここからカウンター席は離れているし、そこの二人も休まず会話を続けている。お姉さんがマスターに呼びかけたように、大きな声を出さなければ相談内容が筒抜けになることはないだろう。

「君がいいならいいけど、お姉さんはどうしたらいいかな?」

「どうって、いつもと同じでいいですよ」

 何を聞いているんだろう。俺は怪訝に思ったけど、聞かれたからにはちゃんと答える。お姉さんは表情こそいつも通りだが、ややびっくりしたような声で答えた。

「いきなりそれなの? 結構マニアックなんだね、葉一くんって」

「何の話ですか?」

 ここでようやく気付く。どうやらお姉さんは最初の言葉を勘違いしたらしい。

「今度は言葉責めかー。……あ、やっぱり恥じらった方がいい?」

 聞く時点で恥じらいがないわけだけど、そんなことよりまず言うべきことがある。

「悩みの相談です」

「自分で慰めてみせてって話じゃなかったの?」

「違います」

 言葉責めなんて言った時点で、どうせ言うんだろうなとは思っていたから驚かない。

「なーんだ。つまんないの。で、相談って?」

 お姉さんは明らかに落胆した様子を見せる。色々言いたいことはあっても、言ったら損するだけなのは明らかなので何も言わずにおく。

「その、恋愛のことです」

「面白そうだね。さあ、話して!」

 途端に目を輝かせるお姉さん。興味を持ってくれたのはいいけれど、声が大きい。俺は口許で人差し指を立てて静かにするように促す。お姉さんは頷いて、それからは小声で会話をしてくれた。

「当然、君のことでいいんだよね?」

「はい。俺、普通の恋愛がしてみたいんです。偶然同じクラスになった人に一目惚れして、恋に落ちるような、そういう感じの」

 お姉さんはうんうんと頷きながら俺の話を聞いていた。そして聞き終わってすぐに言う。

「すすきちゃんや三葉ちゃんがいるのに贅沢な悩みだねー」

「でも俺、自分で言うのもなんですけど、容姿や性格は悪くないと思います」

「確かに君は年齢の割に落ち着いていて眉目秀麗。背も高いし、耳に僅かにかかるくらいの短い髪も似合ってるよ。一般的に見ても格好いいんじゃないかな。性格も傲慢だったり狡猾だったりもしないし、嫌われる要因にはならないよね」

「それなのに告白されたことは一度もないんですよ」

「ハーレムだからね」

 違うと否定したいところだけど、周囲からそう見えるのは否定できない。それが原因で告白されないというのも不思議ではないどころか、主因とも言えるだろう。

「憧れる気持ちはわかるけど、お姉さんに聞かれても困るなー。でも相談だもんね。ここはお姉さんが君にいい話を聞かせてあげましょう」

「いい話?」

「世の中にはね、君よりも長い間、普通の恋愛に憧れていてもできない人がいるんだよ。もちろん、容姿や性格が悪いからってわけじゃないし、周りに異性がいないからってことでもないよ。好みの違いもあるだろうけど、少なくとも現代日本では綺麗に分類される。

 具体的に言うと、背は君よりも高くてね、スレンダーな体型をしてるの。容姿端麗でどこかのお姫様といっても通じるくらいって、親や友人、知り合いにはお世辞じゃなくて本気で言われるくらい。胸はAが三つ並ぶくらいの貧乳さんだけど、世には貧乳好きの男の人だっていっぱいいるんだよ。葉一くんもそうだよね」

 決め付けられた。でも嫌いというわけではないのでどう口を挟むか迷う。

「もちろん、嫌いじゃないってのも含めてだよ。別に葉一くんが貧乳大好きって言ってるわけじゃないからね。ともかく、それに加えて長いストレートの黒髪もさらさらで、性格だってちょっとずれてるところはあるけど、悪くないの。

 それなのにね、生まれてから二十年、ずっと誰にも告白されたことがなくて、君のようにハーレム的な状況にもなったことがない人だっているんだよ。

 そもそも、普通の恋愛って何なのかな? こういうのが普通の恋愛だって誰かが定めたわけでもないし、わかりやすい恋愛の形でしかないと思うの。時代や場所によって形も変わるし、永遠不変の普通の恋愛なんてきっと存在しないよ」

「普通の恋愛……そう、ですよね」

 お姉さんの言うことは正しいと思う。恋愛に限らず、普通なんてものは絶対的なものに見えても、実際は結構曖昧なものでしかない。そう考えると、俺とすすきや三葉の関係も特殊なものではないと言えるかもしれない。

「あの、なんかうやむやにされてません?」

「あ、ばれた」

 最後はもっともらしいことを言ったけど、その前は単にその人からすれば贅沢な悩みだと言っているだけだ。

「そんな凄い人いるわけないですしね」

 それだけの容姿を持ちながら、女子学校育ちのような特殊な環境でもなく、一度も告白されたことがない人がいるなんて信じられない。これがなければ危うく騙されるところだった。

「えー。いるよぉ」

「なら連れてきてくださいよ」

 ふてくされるお姉さんに、俺は呆れたように返す。作り話にしては性格や胸の描写の完成度が高すぎる気もするが、実際にこの目で見ないと到底信じられない話だ。

「桜沢利里。二十歳。処女。私立香久藻大学に通う二年生。喫茶店チェリーブロッサムのマスターの娘にしてアルバイト」

 平坦な声のトーンでお姉さんが言った。改めてお姉さんを見る。うん、信じよう。

「現在は絶賛ハーレム中の氷川葉一という少年に、自分もハーレムインさせてもらえないかとこっそりアプローチ中。両親も承認しています」

 同じトーンでとんでもないことを言い出した。俺は何を求められているんだろう。

「それはともかく、相談のことだけど今はお姉さんの手に負えません。というわけで、明日みんなでここに来て。お姉さんにいい考えがあるんだ」

「いい考え、ですか」

 さっきのいい話の内容を考えると、素直に任せるのはちょっと抵抗がある。

「今度は本当だよ。お姉さんに任せなさい!」

 お姉さんは胸に左の手のひらをあてて、はっきりと言い切った。ここまで自信満々に言われたら信じてみてもいいかもしれない。

 土曜日の昼下がり、俺はすすきと三葉と一緒に喫茶店を訪れた。チェリーブロッサムの軽食は一応用意しているといった程度で、メニューがサンドイッチとおにぎりの二つしかないため休日でもこの時間はあまり混まない。今日は俺たちの他に客の姿はなかった。

 それでもメニューに入れるだけあって味は良く、常連客の中には珈琲やケーキよりもこれを目当てに訪れる人もいるくらいだ。

 俺たちはいつもの席に座り、ブレンド珈琲三つとショートケーキ二つ、チョコレートケーキ一つを頼む。昼食は家で食べてきたから軽食は頼まない。美味しくても値段はそれなりにするから、ケーキと一緒に頼むような余裕はない。

「お待たせしましたー」

 珈琲とケーキが運ばれてくる。頼んだのは俺と三葉がショートケーキ、すすきがチョコレートケーキだ。ケーキを食べ珈琲を飲みながら、普段通りに会話をしながらお姉さんが来るのを待つ。

 お姉さんが来たのはちょうどケーキを半分ほど食べ終わった頃だった。

「お待たせー。ちゃんと連れてきたね」

 すすきと三葉は不思議そうな顔をして俺を見る。けれど俺は何も答えず、曖昧に笑みを返すだけだ。何をするつもりかわからないけど、邪魔をしたら悪い。

「私から説明するよ。葉一くんが昨日ね、お姉さんに恋の悩みがあって相談してくれたんだけど、私一人じゃ手に負えないんだ。だから二人にも協力してもらおうと思ってさ」

 ちょっと待て。そう思ってもここまで言われてはもう止めることはできない。俺はお姉さんが一通りの説明をするのを聞きながら、途中で勝手な推測を入れた部分を訂正しつつ、説明が終わったところでお姉さんに言った。

「いい考えってこれですか」

「そだよ。秘密にしてとは言われなかったし」

 確かにその通りではある。お姉さんに相談したのは二人より頼りになると思ったからで、聞かれたらまずい話というわけではない。けれど不意打ちでやられるのはちょっと困る。

「事前に俺に言うという考えはなかったんですか」

「結果は変わらないと思うけど、言った方がよかった?」

 それも事実で間違ってはいない。事前に言われていようがいまいが、結果は同じだ。

「葉一は恋したかったんだね」

「知りませんでした。言ってくれればよかったのに」

「幼馴染みとして手伝わないわけにはいかないよね!」

「私も妹としてお手伝いをします。兄さんのためなら何でもできます」

 すすきと三葉は俺を真っ直ぐに見て、交互に言葉を口にする。そして二人の主導で、俺の恋人探しが始まることになった。二人に聞かれた時点で覚悟はできていたので驚きはしない。二人の行動力の高さは昔からよく知っている。

「兄さんは待っていてくださいね」

「私たちだけでやっておくから。準備ができたら報告するよ!」

「お姉さんにも手伝えることがあったら言ってね」

 そんな声を聞きながら、俺は食べかけのケーキを口に運んだ。こうなっては俺にできることは何もない。どう転ぶかわからないけれど、落ち着いて報告とやらを待つことにしよう。


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