メダヒメ様に祈りと信仰心は恋心

第六話 本選トーナメント 決勝


「わたしのからだも あなたにあげーるー まいにちだってー」

「そこまでだ!」

「お姉ちゃん、だめ!」

 メダヒメ記念大会五日目。決勝当日。優勝を争う二人の朝は、そんな声で始まった。メダヒメ様への祈りの歌を捧げるサクヤを、ミコトとコノハが二人がかりで阻止する。最後まで歌えなかったサクヤは一瞬だけ不満な顔をしたものの、一瞬だけで続きを歌うのは諦めた。

「おはよう。今朝も仲良しね」

 ミコトとコノハの二人は、同じベッドから飛び出してきた。その気になればもっと早く止められたのを、わざわざベッドに潜り込んでから止めにきたのである。

 潜り込んだのがミコトであればこの程度では済まないが、潜り込んだのは妹であるコノハの方。ベッドの中で変なことをしていた様子もなかったので、サクヤもこれ以上の追及はやめておいた。

 仕度を整えて宿を出発し、競技場に向かい、参加者控え室で呼ばれるのを待つ。その間、ミコトとサクヤは最低限の言葉しか交わさず、それでいて仲良く試合に備えていた。

 競技会場を見下ろすのは満員の観客と、数人の参加者席からの観戦者、そしてそれらより高いところにある王家の観覧席に座る二人。

 六十六メダル、威厳と活力に満ち溢れた風貌の国王――メリトリア・ヴェスパ。五十四メダル、気品と魅力に満ち溢れた風貌の王妃――メリトアリア・シーナ。メダヒメ記念大会の決勝戦、主催者である彼らがそこに座るのも当然のことだった。

 その二人に気軽に手を振って挨拶するのは、参加者席で気楽に観戦する二人の娘――メリトリア・ナノ。隣には困った顔を見せるリオネと、微笑ましく見守るコノハの姿もあった。並んで優勝者を決める戦いを見つめる三人の耳に、大きな歓声が届く。

 最初に入場したのはミコト。次いでサクヤは駆け足で入場し、軽くポーズをとって大きな歓声に応える。ミコトもそれに倣うように、軽く手を振って歓声に応えてみせた。

 そして、笛の音が響く。音色は荘厳に、長い旋律となって競技会場を包み込む。奏でる調べに歓声は静まっていき、再び歓声が響いたのは約一分後――試合開始を告げる笛の音が、流れるような音を広げて調べを奏で終えた瞬間だった。


メダヒメ記念大会 決勝 カタヒナ・ミコト 対 ヤマブキ・サクヤ


「さあ、行くわよ!」

 掛け声とともに放たれるのは、山吹色の衝撃。ミコトは交差させた海水を衝突させ、大量の水飛沫によって衝撃を弱め、右斜め前方に駆けることで確実に回避する。

「悪くない選択ね」

 サクヤは呟いて、桜色と紅葉色の衝撃を周回させる。溢れんばかりの心を込めた声による衝撃であっても、高まるのは威力や速度だけであって、衝撃そのものの性質は変化しない。それを昨日の戦いで見抜き、ミコトは『海』のメダル一枚で衝撃を受け止めた。残りは自らの体を動かして回避。メダル力の差から、初めから単純な力勝負をしていては彼に勝ち目はない。

 もし昨日のナノとの戦いで、彼が体術を駆使した戦い方を重視しなかったら。

 もし昨日のリオネとの戦いで、彼女が心を込めた声を見せていなかったら。

「お前に対して、余裕を見せたらすぐに終わるからな」

 ミコトもここまで完璧に、サクヤの初撃を防ぐことはできなかっただろう。完璧ではあっても余裕は全くない、防御と回避。ミコトは雪雲を空高くに準備しながら、反撃の構えをとる。

「力の差を理解しての、カウンター狙いかしら? いいわ、乗ってあげる!」

 二色の衝撃を回らせ纏いながら、サクヤは真っ直ぐにミコトを目指して駆けていく。降り始めた雪の中でも足は止めず、見せていない海による奇襲を常に警戒しながら高速の前進。

 接近して心を込めた蹴りを放ったサクヤに、ミコトは吹雪を集中させてサクヤのバランスを僅かに崩し、狙いをほんの僅かに逸らす。加えてミコトが体を逸らせば、蹴りの軌道は完全にミコトから外れるが、サクヤの攻撃はもちろん蹴りだけではない。

 桜色の衝撃が至近距離からミコトを狙い、それを妨害しようとする海水の壁は紅葉色の衝撃が砕いていく。襲いかかる衝撃の力を吸収しようと思ったミコトだが、咄嗟に考え直して回避行動に切り替える。

 吹雪に紛れて固めた雪の板を、海水で流して足元に。そこに素早く乗ったミコトは、衝撃が襲いかかる方向とは逆に大きく距離をとって回避する。

「あら、残念」

 外れた衝撃は残った雪を全て吹き飛ばし、開けた視界の中でサクヤは笑顔を見せていた。

「紛らわしいものだな」

 激しく、美しい攻防に観客席が沸き立つ中、参加者席で観戦するリオネが呟いた。

「色でも惑わして、込められた力は判断不能。色鮮やかで魅せながらも、それに加えて……」

 答えるナノの視線の先、先程発した声とともに放たれた見えない衝撃がミコトを襲い、彼の機動力を高める足元の海水と雪の板を、完全に砕き散らしていた。

「ミコトさん! 負けないでー!」

 歓声にも負けないように声を張り上げて、コノハはミコトを応援する。その声が届いたのかミコトは笑顔を見せ、サクヤは呆れた目で彼を見つめながらも口元は笑っていた。

 そして今度は、ミコトから動く。サクヤが様々な衝撃を織り交ぜると分かった以上、反撃を狙っての戦いはリスクも高く、決まったとしても一撃で勝負を決めるには至らない。ならば先手を打ってからの、反撃に対する反撃を狙うのがより確実だ。

 離れた距離を活かして、自らの周囲から吹雪を広げていく。白く大量の雪でミコトの姿は消えて、この状態ではサクヤも迂闊に軽い攻撃は放てない。

「全部吹き飛ばすのは面倒ね。だったら、受けてあげましょう」

 全力で心を込めた衝撃であれば話は別だが、もちろんサクヤはそれを行わない。メダル力に差があるとはいっても、常に全開で使い続ければ消耗し回復も一瞬では間に合わない。

 吹雪の中からの奇襲を警戒するサクヤに、ゆっくりと吹雪が移動しながら近づいていく。そしてそれが彼女の眼前まで到達した瞬間、吹雪は急速に勢いを弱めてただ空中で舞うだけの雪に変化していた。

 止んだ吹雪の先で姿を現したミコトに、サクヤは何のつもりかと尋ねようとする。しかし、その声は競技会場に響かなかった。

「声は音がなければ響かない。その音、吸収させてもらったぞ」

 ミコトが言葉を口にするより早く、サクヤは状況を理解して笑顔を見せていた。

「心だけなら、いける!」

 雪が声を、音を吸収できる時間には限りがある。その間にミコトは吹雪の幕で隠れている間に高めていたメダルの力、海による激しい攻撃を開始する。

 地面に海を広げ、広げた海は荒れた海となってサクヤに襲いかかる。数多の雪によって吸収されて声は出せず、心を込めた蹴りでも全ての雪を払うのは間に合わない。だが、荒れた海に対してはその心が遺憾なく発揮される。

 (甘いわよ!)と口だけを動かして、サクヤは心を込めた手を伸ばす。

 真っ直ぐに伸びた右手が海水に触れた瞬間、荒れた海は穏やかになり、サクヤを避けるように流れていく。優しい心により静まった海。しかし形はどうあれ、初撃を防がれることはミコトも予想していたことだ。

 静まった海から何本もの水柱が立ち昇り、空中で方向を変えて、前後左右上空と様々な方向から同時にサクヤに襲いかかる。

 逃げ場のない海水の群れに、サクヤは地面を心を込めて強く蹴って高く跳び、そのまま空中で回転して何本かの海水を蹴り弾き、幾本かの攻撃を受けながらも勢いは衰えない。一回転した蹴りは周囲の雪をも弾き飛ばして、サクヤはすかさず声をあげる。

「こっちよ!」

 瞬間的に放たれた衝撃を下方に放ち、その反動でさらに高く跳躍。ふわふわ舞い続ける雪の上に踊り出て、下から襲ってくる全てに対して大きな声を響かせた。

「全部まとめて――消えなさい!」

 心を込めた大きな声とともに、山吹色の衝撃が薄く広がっていく。それはミコトの吸収の力を込めた雪を、水柱となって襲いくる海を、言葉通り全て消し去ってみせた。

 劣勢からの反撃に会場が大歓声に包まれる中、サクヤが着地する前にミコトが激しい追撃を加える。海水に乗せて小さな無数の雪の塊を上空に運び、その勢いのまま雪の塊がサクヤを狙って飛んでいく。

「この程度で緩める気はないみたいね。どれだけ完璧に決まったと思っても、余力がある限り常に次の手を用意する……初めて会ったときより随分成長したじゃない」

 声とともに放った衝撃の反動で雪の塊を回避しながら、桜色と紅葉色の衝撃を体に纏っていく。周回させるのではなく、ナノが雷光を纏うように二色の衝撃をその身に。

 そして、流星のように急降下して放つのは、ミコトへの飛び蹴り。心と声、全てを込めた強力な攻撃を、ミコトは回避するのではなく真っ向勝負で受け止める。

「来るなら――来い!」

 厚い雪の壁と、その裏には海水の層を重ねて、吸収の力も込めた最大の守りでサクヤの突撃を防御。一瞬で砕かれるものをその目にしながらも、ミコトは足を止めていた。

 サクヤの蹴りがミコトのいる地面に届き、衝撃と雪と海がまとめて弾けて爆発する。

 弾けた様々な力により、煙の中で姿の見えない二人に観客席が静まる。

「ど、どうなったんですか?」

 それはまた、参加者席にいたコノハたちも同様だった。自分より戦いに詳しい二人に尋ねるように口を開いたコノハに、リオネとナノの二人は少し様子を見てから答える。

「決着はまだ着いていない。それは確かだろうな」

「はい。問題は、ミコトさんの動きをサクヤさんがどこまで読んで……いえ、どこまで受けたかですね」

 煙が晴れた競技会場で、ミコトはサクヤの蹴りを左手で受け止め、右の拳をサクヤに突き出していた。しかしそれはサクヤの体には届かず、見えない衝撃によって縛られ動きを止められている。

 両者とも無事な様子に沸き立つ観客席。歓声に包まれた競技会場で、サクヤは笑顔でミコトを賞賛する声を発した。

「惜しいわね。いい反撃だったけど……」

「その言葉、言うのはまだ早いんじゃないか?」

 空中で動きを止めて、纏った衝撃も消えているサクヤの横から、激しい吹雪が鋭い結晶の粒となって襲いかかる。同時に後方から貫こうと狙うのは、海水の槍。

「そうかもしれないわね。ここで決める気はないなら、あんたの作戦は完璧よ」

 吹きつける雪と海の槍が直撃し、サクヤの体が舞い上げられて地面に落ちていく。同時に、彼女が声とともに放った山吹色の衝撃がミコトを吹き飛ばし、大きな音を立てて壁に叩きつけていた。

 相討ちによる互角――そう思えた衝突だったが、サクヤは地面に落ちる直前で心を整えて空中でその身を制御し、華麗に着地。一方ミコトは、受け身もとれずに地面に落ちていた。

「でも、結果は五分じゃない。この程度のダメージじゃ私は倒せないわよ!」

 すかさず心を込めた声を紅葉色のいくつもの衝撃として、立ち上がろうとするミコト目がけて連続して放っていく。立ち上がる直前、立ち上がった瞬間、立ち上がったあと――全てのタイミングで届くような衝撃を、ミコトは倒れたまま回避する。

 柔らかく固めた雪の舟を海水に浮かべ、浅い海の海流を操り舟を進ませる。衝撃を回避しながらミコトは立ち上がり、距離を保ったまま雪を崩して地上に降りた。

「ほう。機敏な判断だな」

「でも、まだ終わってませんよ?」

 参加者席でリオネとナノが会話している間も、サクヤの攻撃は続いていた。ミコトに向けて全速力で駆け寄って、全力の飛び蹴りを放つ。

「食らいなさい!」

 声とともに放った緩やかな衝撃でミコトの体を縛り、全力の蹴りがミコトに直撃する。

「……食らって、やるよ!」

 だがミコトはそれを防御もせずに、高い威力であることを承知の上で受け止める。通常であればその蹴りによって吹き飛ばされるであろうミコトの体は、サクヤの声で縛られていることによりその場から動かない。

 それどころか、サクヤの蹴りの威力によって縛りも解け、ミコトの体は自由になった。だがもちろん、蹴りによるダメージはどこにも逃げることなく、ミコトに届いている。

「あんた……まさか!」

 サクヤが驚いた声をあげた瞬間、縛りを失ったミコトは片膝をついてくずおれる。

「ああ。最大の反撃……食らってもらう!」

 ミコトの足元から雪山がせり出して、至近距離で回避の間に合わないサクヤの体を貫くように持ち上げていく。その雪はサクヤの力を吸収し弱めるもので、その雪山の頭上から大量の海水が大きな塊となって次々と落下しては、弾けて消えていく。

 防御を捨てての攻撃の威力は凄まじく、サクヤはその攻撃に顔を歪める。痛みと苦しみが彼女の心を埋め尽くし、崩れた雪山は雪崩となってその体を巻き込み地面に叩きつけた。

 そのまま起きないサクヤの姿に、一時静まった観客席からちらほらと歓声や声援が響き始める。その多くの声援はサクヤに向けられたもので、その声には決勝の激しく面白い戦いをもっと見たいという心が込められていた。

「応援、されてるぞ?」

「そうねー。あんた、追撃しないの?」

 片膝をついたまま声をかけるミコトに、サクヤは転がって仰向けになりながら、軽い調子で答えと質問を返す。

 少しの間があって、ミコトが答えた。

「できたら、してるさ」

 先程の攻撃は、彼の持つメダル力のほぼ全てを込めた、最大の反撃。余力は残さず、多少の時間があれば回復して追撃もできるが、今すぐには何もできない。

「ふーん。ま、でも上出来よ。私が声で縛ることを読んでの、完璧な反撃だったわ。本当、随分成長したじゃない」

「ああ。コノハのために、負けられないからな」

 微笑みを見せたミコトに、サクヤは苦笑を浮かべる。

「言ってくれるわね。あ、ちなみに私の体を好きにしていいという約束も、まだ有効よ?」

「行使はしないぞ」

 即答したミコトにサクヤはため息をついてから、ふっと小さく笑みを浮かべた。

「あはは。何言ってるのかしら? 私はそれでやる気が出るなら、って思っただけよ?」

「……え?」

 きょとんとした顔で言葉を漏らすミコトに、サクヤは反動をつけて軽やかに立ち上がってみせた。そして、歓声が響くのと同時に満面の笑みでミコトを見つめる。

「さてと。あんたにひとつ確かめたいんだけど、私を驚かせて、苦しませて、心を弱らせて、そうしたら勝てるとでも思っていたのかしら?」

「違った、のか?」

 ミコトもどうにか立ち上がりながら、サクヤの問いに答える。再び響く大歓声はまだまだ戦いが見られるという喜び一色に包まれているが、参加者席から眺めるリオネやナノといった一部の実力者と、王家の観覧席から眺める国王と王妃――そして、目の前で対峙するミコトは勝負が決していることを一番よく理解していた。

「だったら残念ね。私の心に正も邪も、強いも弱いも関係ないの。純粋でさえあればそれは全て私の心として、私の力となる。結構効いたけど……ふふ、最後はやっぱり色をつけてあげた方がいいかしら?」

 その声とともに、今までの会話で放っていた見えない衝撃が三色に色付く。桜色と紅葉色と山吹色の衝撃がミコトの周囲に浮かび上がり、号令とともに襲いかかる。

「えいっ」

「くっ……お前の心に、性はいっぱいあるだ――」

 防御もできずに衝撃を受けながら、ミコトは最後の一言を残そうとするが、一つの衝撃がサクヤの操作で口に当たって言葉は続かなかった。

「失礼ね。私のメダヒメ様への気持ちは、信仰心と恋心よ。……そりゃ、もちろんいずれはメダヒメ様とそういうこともしたいと思って、常日頃から考えてはいるけど」

 そんなサクヤの言葉は、途中で意識を失ったミコトの耳には最後まで届かなかった。


第七話へ
第五話へ

メダヒメ様に祈りと信仰心は恋心目次へ
夕暮れの冷風トップへ